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foo-d 風土

自然や芸術 食など美を 遊び心で真剣に

 

 

 

 〈花材〉

 イボタノキ

 ストック枝咲き

 ガーベラ

 ナルコラン

 

 今回は新緑を想いながら

  少し自然っぽくワイルドに生けてみました。

 

 イボタノ木は何日かすると枝先にとても小さな白い花をたくさん咲かせ、いかにも山の花の美しさがあります

 この状態でイボタノ木の枝先ごとに白い花が咲いたら美しいでしょうね。

 

 

 

  《花器》

    織部釉を使った拙作「蓮」です

 

 

 

 
 
雨晴れて
 更に輝き
   繚乱の花
  
  
    恵那市にて

 

 

なぜここに

 

 なぜこのバランスで?

 

 計算し尽くしたこの配置

 

  やはり

 植物は素晴らしきアーティスト

 

 

 

今日の雨

  傘を忘れて

   帰路につく

  山吹の花

    何を想う

 

 

  濡れながら帰りましょう

 

 

 …………………………

 「七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき」

太田道灌で有名な歌ですが、作者は 兼明親王(かねあきらしんのう)で、

「七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに なきぞあやしき」

 平安中期 嵯峨天皇の皇子です。

 

 小倉の山荘に住んでいました頃、雨が降った日、蓑を借りる人がいましたので、山吹の枝を折って取らせました。

 その人はわけもわからずに通り過ぎて翌日、(蓑を借りようとしたのに)山吹を折って渡された意味がわからなかったということを言って寄こしてきましたので、返事として詠んで送った歌です。

七重八重に(あでやかに)花は咲くけれども、山吹には実の一つさえもないのがふしぎなことです。わが家には、お貸しできる蓑一つさえないのです。

 

 若き日の太田道灌が雨が降ってきたので蓑を借りようと小屋に入ったところ、若い女が何も言わず山吹の花一枝を差し出したので、道灌は怒って帰宅しました。 

 後に山吹には「七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞ悲しき」の意が託されていたのだと教えられ無学を恥じたという有名な話。

眞 Sin 2024.4.21

 

 

 

献立 卯月

まず 生ビールで喉を潤し

 

 

先付

ホワイトアスパラの擦り流し

 

  毛蟹 桜花

いい感じ 少し濃いめの味が

 シャンパーニュ ロジャーバルニエ ブリュットとよく合う

先付2

平貝 みる貝 ゼンマイ 菜の花 生姜ソース

生姜がピリッと山菜の苦味を抑えてこれもいいね

 

ロゼワイン

イタリア テッラダリージ チェラスオーロ ロゼ

ロゼの甘い酸味が生の貝の生臭みを綺麗に消していい感じ

 

 

お造り

真鯛 あおりイカ 防風

防風が付いているなんて いいね

真鯛に塩を乗せ生海苔を乗せて巻いて食べる。

旨い

白ワイン

日本(山梨県)  ルバイヤート2017 甲州辛口

 サラッと飲みやすい白。

気が抜けた様な軽さ 汗をかいた時にグビグビ行くには最適だね。

 

 

赤ワイン

ブルゴーニュ ピノ・ノワール ミッシェル ピカーノ2020

 

スペシャリテ

鰻の海苔巻き

 フォアグラ マンゴー お麩 大根のべったら漬け

この5種を海苔で巻いて食べる。

最初の一口 海苔も歯で切れ 全体のそれぞれの味もマリアージュして旨いが、二口目は海苔が水分を吸って歯で噛んでも切れない😅

バラして食べる。

 

結構美味しい

 

 

 

飛龍頭 鯛真子 ふき 

眞子が口の中でトロトロっと溶ける

 

日本の白

グラスホッパー ナゴミ ヴィンヤード

やはり 日本の白らしい

さらっと綺麗な味 それだけ

 

飛騨牛黒毛和牛 筍 芽キャベツ 昆布佃煮

昆布の佃煮を調味料に使うのは魔法の旨みなので美味しくなるのは当たり前だが、今回は飛騨牛野ヒレ肉のサラッとした牛肉の旨みに昆布の佃煮の旨みがとてもよく補完して、いい旨みを出している

 

合わせるのはルミリアシオン ドメイヌソガ ラナルシー サンシミ2021

日本小布施のソガ メルロー

優しいワインなのだがあまりメルローっぽくないちょっと残念

 

お腹がいっぱいなので 残念だが、ご飯は半分以下にお願いした。

 

桜海老 筍 うすい豆の炊き込みご飯

 

いいダシが出てとても美味しいので口はもっと食べたいが、お腹は無理 残念残念

 

塩分がちょっと強い

 

お土産で炊いた残りをおにぎりで頂く。 明日 お茶碗にこのおにぎりに白茶を掛けて食べればすごく美味しいと思います。

これは絶対間違いの無い食べ方です。

 

バニラアイスクリームに数種のベリーに葛を使ったジェリー

 

ペアリングはポルトワイン

ポルトガルのラモスピント

レイトボトルド ヴィンテージポート2017

 

濃厚な甘味に酸味の効いたデザートワイン

これをバニラアイスクリームにブラックベリー ラズベリー等数種のベリーに葛を使ったジェリーに掛けてみた。

やはり、思い通り 美味しい

バニラアイスに濃厚なポルトをかけると貴族の味だ。

 

 

どれも 美味しかった

 

 …………………………

眞 (シン/sin)

名古屋市中村区名駅3丁目25₋9 堀内ビルディング地下1階

052-571-0005

 

 新緑を

  ルージュワインで

   食べる昼

 

    〈恵那峡 カバノ〉

 

3年位前にオープンしたということで、四年ぶりに帰省したので初めてのお店。

 

 お店の壁に蕎麦名人「翁」のだるま 高橋邦弘氏の額があり、

 

 

尋ねたら、高橋邦弘氏のお弟子さんで鳥取県日野町の方の所で修行された女性店主で、倉吉で開業とのこと。

 高橋名人の蕎麦打ちは2度も見に行ったが、打たれるのは二八蕎麦。

すぐ目の前で打たれるその手は、無駄が一切なくどんな蕎麦屋よりもとても早く、まるで神の手のようです。

 江戸蕎麦の並蕎麦の常道(切りべら23本(1寸(3.03cm)を23本に切る(1.3mm)並切り))より少しだけ太く、麺線はスッと走りとてもきれいで、蕎麦つゆの味も中庸で、形、喉越し、味の三者が揃った素晴らしい蕎麦です。

さて、こちらは高橋名人の孫弟子だが、二八蕎麦ではなく、九一蕎麦(九一とはそば粉9につなぎ1の割合)で、切った太さは15本切り(1寸(3.3cm)を15本に切る、約2mm位の幅)の太打ちで全く違う。

 残念ながら今日は車の運転だから蕎麦屋酒は、無し😭

注文

 蕎麦がきのお吸い物480円

 野菜の天ぷら粗挽き蕎麦2180円

粗挽きは1日10食のみとの事

 

メニューのざる蕎麦1080円 粗挽きは+200円で粗挽き蕎麦1280円 大都会と同じの値段で強気の値段だが、美味しければ良い。

 

⚫︎そばは福井産 鬼殻入り30メッシュ位の粒子

美味しそうな色をしている。

いつものことだが、まず 何もつけずその味を楽しむ

 甘味は少ないがまあまあの味

 

蕎麦つゆ

鰹節と昆布に、鯖節を使っているのだろういい旨みだがちょっとサバの生臭みが出ている、少し残念。

 

⚫︎蕎麦がきのお吸い物

小さな団子状の可愛い蕎麦がきが2個入っている。

 

プリプリっとした固め ざる蕎麦用の50メッシュ位の粒子かな。

小さすぎて蕎麦がきのおいしさが楽しめない。一個にして、もっと大きくすれば蕎麦がきの美味しさが楽しめるのに。

 

 香害についての注意書きが書かれていた。

食の場所だけでなくどんな場所でも当たり前のことだと思うが、

特にその匂いは料理の香りや全てを台無しにする。

こう言うことを書かねばならないほど世は化粧品や洗剤その他、あまりにも酷い臭いで乱れていると言うことです。

 

何はともあれ、倉吉市では一番美味しい蕎麦だろう。

ご馳走様

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蕎麦酒房 つなぎや

鳥取県倉吉市上井262-7

0858-24-5114

 脚がスーッと長くあまりにも均整が取れすぎた 世界一美しい木造建築

 

なんと 平安の創建時は朱と金で輝いていたという。

 

日本一危険な所にあり、

それをみるためには木の根を掴みながらよじ登り、鎖の助けでロッククライミングで行かねばならない国宝。

 

鳥取県の中央部 倉吉市から入っていく。 三徳山 三仏寺の

その山奥深く厳しい修験道のさらに奥 奥之院 投入堂が目指す所です。

 

 本堂までは誰でも行けますが、投入堂は、あまりの山奥で、機材を運ぶこともできない山の崖の凹部に建っており、絶壁にどうやって建てたのか。工法は謎のまま現在も解明されていません。だから、大昔から平安時代に役の行者(えんのぎょうじゃ)が法力で岩壁に投げ入れたとしか考えられないと「投入堂」とよばれています。

 

 投入堂へ行くには平坦な道はなく、両方が切り立った崖や木の根を掴み、垂直に近い岩場では、鎖を助けに登っていく。北アルプスの縦走路より厳しい所ばかりを両手両足で登って行く危険な修験道を本堂から1時間かけて登りますが、数年に一度何人かが滑落していて死者も出ています。 私の登った前日も一人滑落して救急車で運ばれたそうです。

 

 危険なので、入山にあたっては入念にチェックされます。

一人で行くのは禁止。何かあった時のために2人以上。

山を登れる服装はスカートや幅広のスラックスは禁止。

 靴は靴底に凹凸のある運動靴かトレッキングシューズを履く事。(金具の付いた登山靴は木の根を痛めるため禁止)。靴底は必ずチェックされます。

 靴が理由で入山許可が下りない場合、わらじ(有料)に履き替えることで入山許可が下りる場合があります。

 両手に荷物を持たないよう、バッグはリュックが理想。

あまり歳をとった方は断られることがあります。

等の厳しいチェックが終わると用紙に名前と住所、携帯番号を書き出発です。

 

 尚、今回は、片足が60cm以上上げられないと登れない箇所が何箇所かありました。

 

 しかし その危険な山を登りきり、投入堂の前に立つと何も言えない満足感があります。

 

 全国の古寺や仏像を撮り続けた日本が誇る大写真家、土門拳は「日本一の名建築は」と問われた時に「投入堂」と即答し、「二度と登るのはごめんだ」と言いつつ何度も撮影で三徳山を訪れたという。

 

 この投入堂 創建当時は朱の色(高いお寺は丹(に)塗り)で部分的に金箔も使った豪華な仕上げだったそうです。(10年位前多くの学者が入り精密検査で壁にわずかな痕跡を判明)

あの崖の中で当時のまま丹塗りで建ってたら比べようもなく、素晴らしく美しかったことでしょう。

 

 

 

獣道のような険しい道

 

大きな岩の間を垂直に登ります。

 

木の根を掴んでよじ登っていきます。

垂直に近い

 

 

 

 

 

 

くさり場 クサリを持ってしっかりよじ登る

 

馬の背 両サイドは深い谷になっていて風が吹くと怖いです。

 

胎内潜り

 

 

やっと 投入堂が現れた

 

 

 

 

 

 登りより危ない下りのきつい修験道を汗をかいて降りてきた後は、下界の三朝温泉の川にある河原湯に浸かってからゆっくりと疲れを癒し帰るのがいつもの習慣でした。

 今回もいい天気で様々な花などを見ながらゆっくり行って来ました。

 

 

私の実家から車で30分ほどで本堂に着きますが、

私は小学3年生頃から何度も来ていて、もう10回以上登っていますが、危険なのは今も一緒。しかし、2回の地震の影響で以前よりきつくなった感じがします。

 

 その厳しさを乗り越えたあとは、観ても素晴らしい建物です。

 

もう時効だから言いますが、半世紀前、鍵をかけて鉄条網で侵入禁止されていた投入堂下の柵を乗り越えて崖をよじ登り、投入堂の中に入ったことがあります。ここから落ちたら死にますね。

狭い舞台から見る崖下の眼下の景色は全て自分一人の世界で、それはそれはきれいでした。

そして帰りに舞台に落ちていた枯葉は掃除しておきました。

 

皆様も足腰が大丈夫なうちにこの偉大な建物をご覧になってください。

 

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三徳山三佛寺は、鳥取県のほぼ中央、倉吉の南の三朝温泉からさらに山峡に分け入ったところにある天台宗の名刹。三徳山は標高約900m。修験道の霊山とあって地形は急峻で、谷は深い。断崖や巨岩が露出する三徳山が開山されたのは、706(慶雲3)年といわれ、役行者が開いた。

 

三徳山三仏寺が開山されたのは、飛鳥時代最末期706年(慶雲3)年といわれ、最盛時には41の堂宇に僧坊が3,000、寺領は1万町余りの威容を誇り源頼朝や足利義満にも尊崇された。それらの堂宇や坊舎はことごとく兵火で焼失したが、岩壁の投入堂は建立時のまま残った。建てられたのは平安時代後期といい、大山と共に山陰地方山岳密教の聖地でした。

 

天台宗 三徳山 三佛寺

鳥取県東伯郡三朝町三徳

 

 4月に出雲に行った目的

1、酒をたしなむ者として、酒発祥の神社 佐香神社(さかじんじゃ)へお詣りする事。 

 神代の時代、出雲族は大和族に国譲りをしたため、松尾神社などばかり目立ちますが、佐香神社の主祭神:久斯神(くすのかみ)がとても重要です。

2、旧暦10月神無月の時、日本中の神様が出雲に集まられますが、その神々が最初に上陸される稲佐の浜と、お帰りになる時に全員集まり別れの宴(直会(なおらい))をされる万九千(まんくせん)神社の参拝。

旧暦10月10日の夜、海の向こうから集まってこられる神様たちを、出雲大社の西1kmほどにある稲佐(いなさ)の浜でお迎えするのが「神迎神事」です。

 出雲大社境内の神楽殿でも「神迎祭」が行われ、これが終わると、神々は出雲大社境内の十九社(じゅうくしゃ)という宿で鎮まられるとされています。

神在月26日から翌未明にかけて諸国へとお旅立ち(神等去出=からさで)なさりますが、その前に、八百万の神々が万九千(まんくせん)神社に集まられ神宴(直会=なおらい)を催したのち、神在月26日から翌未明にかけて諸国へとお旅立ち(神等去出=からさで)なさるとされています。

3、出雲大社と 出雲の地産地消 美味しい地物の満喫です。

 最初の夜は洋食。マーレ ドラートでイタリアンを 次の夜は和食。 鮮魚の美味しい吉田屋へ

  お昼は出雲そばです。

 

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 さて、最初の目的 酒発祥の神社 佐香神社(さかじんじゃ)ですが、

出雲市駅から車で30分弱 郊外の鄙びた農村の小高い山にありました。

 

 

桜の

 鳥居の前に立つと、松尾神社の鳥居が建っています。そして、それより小さな鳥居が後ろにあり、それは佐香神社と書かれた鳥居でした。

 現代においても征服民の圧力が生きているとは、驚きというより何か恐怖すらおぼえます。

 

 

ここまでは観光客もあまり来ないようで、2組しかいませんでした。

 

様々楽しませていただいている日本酒に感謝と共に、今後さらに美味い酒に巡り合えることを祈ってきました。

 日本のお酒の話

 米を使ったお酒のはじまり

諸説ありますが、日本の稲作は縄文晩期(約2600年前)に中国から九州北部に伝わったという説があり、弥生時代には日本酒のルーツとなる「どぶろく」のような酒が飲まれていたと考えられています。

 日本に酒というものが存在したことを示す最古の記録は、中国で3世紀(280年)に書かれた「三国志」中の「魏志倭人伝」で、倭人が「人性嗜酒(さけをたしなむ)」と評しており、喪に当たっては弔問客が「歌舞飲酒」をする風習があると書かれています。

 日本に伝存する最古の正史「日本書紀」には、スサノオノミコトが出雲国の肥河(島根県斐伊川)で箸が流れてきたのでその川を上ると、美しい娘、櫛名田比(くしなだひめ)を間に老夫婦が泣いていた。八岐大蛇(やまたのおろち)が娘を攫っていくという。スサノオノミコトは八岐大蛇を倒すために「八塩折之酒(やしおりのさけ)」を作らせて、吞ませ退治したというお話があります

この神話に出てくる「八塩折之酒(やしおりのさけ)」は、古事記や日本書紀に登場しますが、神話に残る「日本で最初に造られたお酒」です。

 それでは、日本最古の酒造場といえば、どこにあったかご存知でしょうか?

それはやはり出雲。

島根県出雲市にある佐香神社(さかじんじゃ)と言われます。

733年に完成した出雲国風土記に「佐香の河内に百八十神等集い坐して、御厨立て給ひて、酒醸(さかかも)させ給ひき。即ち百八十日さかみずきして解散け坐しき。故、佐香と云う

(佐香の河内に多くの神々が集まって煮炊きする調理場を建てて、酒を造って百八十日にわたり酒宴を開いて解散した。そこで酒みずき(酒宴)のさかによって佐香という」とあり、酒造り発祥の地とされています。)」

とあり、佐香神社は酒造りの神様として祀られています。

「さかもり(酒盛り)」の「さか」で酒の語源となる場所ですね。

主祭神:久斯神(くすのかみ)、大山咋命

配神:天津彦彦火瓊瓊杵命、木花咲耶比売命、百八十神(ももやそがみ)

久斯神は酒の神のことであり、少彦名神の別名ともされる。大山咋命は京都の松尾大社からの勧請である。また配神の木花咲耶比売命も酒造に関係のある神である。

久斯之神(くしのかみ)ですが、酒は薬ともされていましたし、百薬の長というように、「久斯=くすり=さけの意味で酒から酒の神と呼ばれたのでしょう。

この佐香神社、現在も酒造場として、毎年10月13日の例大祭のためだけに

1石(180ℓ)限定の酒造免許を受けていて、宮司が杜氏を務めて濁酒を醸し神様へ奉納するとともに、参拝客にも振舞われます。

佐香神社(松尾神社)

さかじんじゃ(まつおじんじゃ)

住所

出雲市小境町108

余話

 出雲風土記と同じ頃に書かれた「大隅国風土記」と「播磨国風土記」には、「口噛みノ酒(くちかみのさけ)」と「カビ(麹)の酒」が登場します。

 清酒発祥の地は奈良。

室町時代末期1450年ごろの菩提山正暦寺発祥の菩提酛(または水酛)という酒母(=酛)造りの手法が開発され、速醸酛や生酛系酒母の原型で、これを元に清酒を作ります。

現代において酒の神として多くの醸造家から尊崇されているのは、特に、

松尾大社(京都市西京区)、

梅宮神社(京都市右京区)

大神神社(おおみわじんじゃ、奈良県)、の3社ですが、このうち松尾大社と梅宮神社には5月中にお参りする予定です。