『私たちのエコロジー』展(森美術館)
『私たちのエコロジー』展―地球という惑星を生きるために(森美術館)『マッスルメモリー5トン』ニナ・カネル北海道産ホタテ 貝殻の大量廃棄問題建築材として再利用するにも洗浄、焼成にコスト、重油を使用する矛盾実際に踏歩することで今どんな問題が起きているのかを追体験する。今回、写真撮影禁止ゾーンが多かった。一般的に認知されていない環境破壊の事実を絡めた作品がちらほら後は流し気味に巨大な真珠に似せたオブジェとのこと。人工的に養殖される真珠。真珠の身になってみぃと音声ガイドの声。真珠の恨み節が聞こえるだろうか。長い年月をかけた自然生成と人工物と…(ちょっと忘れました)後半の広い間再利用・再生正直、今回、軽く流した作品が多くなってしまった。映像作品が多く見入ってしまったことも影響したか。少し、疲れてしまった。虫や泥を扱った映像は印象に残った。 自分なりの現代アートへの解釈 (間違っていたらごめんなさい)作品はすべて遠いところでの比喩のつながり時空を超えた比喩。またはその組み合わせ。意外なもの同士の組み合わせ。近くのものを遠くへ。遠くのものを近くへ。遠近差メタファー。現代詩にしても現代アートにしても、扱うのが言葉か物体かの違いだけ。そんなものかなと思っています。置いてあるオブジェや映像は、どこまでいっても物質、一部に過ぎません。言うなれば、幾つもの必要条件の重なり。作品についてのコンセプトの意図を感覚的に思考していかないと鑑賞すらままならない。それらすべての必要条件が被ったところに自分の気づきが関わることで現代アートの十分条件に。 (あくまでふと思いついたことです。ちょっと浮いたというか穿ったことを書きたくなってしまう癖があるかも🙇)現代アートは有料でも音声ガイド付きで鑑賞することをお勧めします。(入場料とは別に500円くらいだったと)そこを払うのがもったいないという人は各作品に付される説明プレートを読みながらでいいでしょう。でないとふつうに置いてけぼりにされますね。あと作品群を見ていると、真面目にやりすぎるとふざけているように見えてくる法則が人間の行いの中にはあるのかな、などと思ったりします。とことんド真面目にやって可笑しく見えてしまおうのノリがあるような気がします。極から極への振り子。生真面目さとユーモアの両極端で表現されてるみたいな。なぜかそこに妙なリアリティを感じてしまうのが不思議です。シリアスさとユーモアを飛び越えたものを目の前にする感覚です。知的で奇妙なものにわざと脳をバグらせて当たり前になりすぎた日常に新鮮さを取り戻す。そういう意味ではデトックスです。 (おわり)