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so what(だから何なんだ)

人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、恒例の「〇〇とは?」・・・というまとめを旅行が終わった都度に書いています。

 

一部は「ペルー人とは?」で既に書いています。

 

 

今回はブラジルとアルゼンチンを訪れていますが、あまりにも短期間すぎて書けないというか、書く資格がないというべきでしょう。^m^

 

そこで、「南米とは?」というスケールの大きいことを書いてみます。

 

ペルーでも触れましたが、南米の国々は自分たちのアイデンティティーを確立するのが難しいと感じました。

 

ペルーにはインカ帝国という歴史を持っています。

 

それを基礎にして、あのインカ帝国の末裔とアイデンティティーを確立できるはずです。

 

じゃあ、他の南米の国々は何を基礎にして自分のアイデンティティーを定義すれば良いのでしょう?

 

あのシモン・ボリバルは他国(スペイン)からの解放戦争を戦いましたが、彼は南米全体の統一国家を描いていました。

 

しかし、あまりにも理想主義者であったと思われます。

 

南米人というアイデンティティーをどう定義すれば良いのでしょう?

 

ペルーでさえ、インカ帝国の末裔という認識で統一できていないのです。

 

外国の支配から解放したものの、南米各国はいまも政治が不安定です。

 

ぼくは、南米は南米人としてのアイデンティティーを持てないからだと分析します。

 

こう書くと、その原因を外国(主にスペインとポルトガル)による支配に求めることも可能でしょう。

 

コロンブスが新大陸を発見したのは1492年、ピサロがインカ帝国を滅ぼしたのが1533年、そしてシモン・ボリバルなどの活躍で南米諸国が独立を果たしたのが1820年代です。

 

大雑把に言ってヨーロッパによる南米の支配は300年足らずの期間です。

 

南米のアイデンティティーを求めるなら、それより以前の歴史に踏み込まなければなりません。

 

南米を理解するには、約5万年前とされる「出アフリカ」から始めなければならないとぼくは思うのです。

 

・・・つづく。

 

 

 

・・・・・・・っということで、大谷くんのBaby写真。

 

長女が生まれた時を思い出しました、

 

今はないですが、築地産院で生まれた長女。

 

父親でもガラス越しでしか面会できませんでした。

 

でも、面会終了時間の隙を狙って、カミさんがぼくを招き入れたのです。

 

初対面の我が子にまずしたこと・・・・。

 

それは、手足の指の本数を数えることです。(;^_^A

 

当時ぼくは椎間板ヘルニアを患っていて、治療院を変えるたびにレントゲンを撮られていたのです。

 

その影響が我が娘に出ていないかと、心配で心配で。^m^

 

ありがとう。

 

五体満足で生まれてくれて。

 

次女もそうですが、今でも反抗期真っ盛りです。

 

ムカっとさせられることばかりですが<`ヘ´>、当時の感動を忘れちゃいけないですね。(^^ゞ

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、まだ旅行記は終わっていませんよ。

 

最終日は、アルゼンチン側から滝を見ることになります。

 

バスに乗ったままで、ガイドだけがパスポートを集めて手続きします。

 

30分以上かかるかな?

 

観光目的だけではなく、アルゼンチンの物価が高いのでブラジル側に買い出し目的に越境するのです。

 

乗用車がずらっと並んでいます。

 

アルゼンチン側の国立公園入り口。

 

 

ブラジル側はトロッコ自動車とジープを乗り継ぎましたが、アルゼンチン側はトロッコ列車で向かいます。

 

途中に駅が一つあります。

 

混んでいたら、そこまで歩いてから乗ることもあるそうですが、今回は始発駅から乗れました。

 

 

アルゼンチン側はブラジルとは反対に滝を上から見ることになります。

 

トロッコ駅から降りると、ずいぶん歩かされます。

 

 

大洪水で流された歩道橋の残骸がまだ残っています。

 

 

日本だったらすぐ片付けるのに、こちらは何をするにも遅いです。

 

 

ようやく滝壺らしきものが見えてきました。

 

轟音が聞こえてきます。

 

 

「悪魔の喉笛」と呼ばれる観光の目玉です。

 

 

はい、悪魔の喉笛。↓

 

滝の奥が緑色に見えるでしょう?

 

 

この日は風向きが良く、水飛沫が飛んできませんでした。

 

風向きが悪いと、雨ガッパは必須だそうです。

 

 

当然観光客が押し寄せ、歩道から見える箇所に近づくのは至難の業です。

 

ぼくなんか、次の人に空けようとすぐに離れるのですが、特に欧米人はそんな発想はしません。

 

いつまでもへばりついて動こうとしません。

 

ずう〜っと駄弁っていて、後ろからどついてやろうかと思いましたヨ。

(ーー゛)

 

 

アルゼンチン側はボートによるアトラクションは出来ませんね。

 

でも上から見る価値はありますよ。

 

 

観光用のヘリコプターが上空を何機も飛んでいます。

 

これも、予約を取るのが大変みたい。

 

10分間のフライトで3万円だったかな?

 

参加者の中には、ビクトリアの滝でもヘリコプターに乗った人が何人かいました。

 

ぼくは、嫌というほど乗っているので、当然パスです。

 

お次は、三国国境地点です。

 

 

川がTの字に交わる地点です。

 

立派な斜張橋が架かっていますが、完成はいつになるやら状態だそうです。

 

橋の左がパラグアイで、右がブラジルです。

 

みんなが写真を撮っているこちら側が、アルゼンチンです。

 

 

アルゼンチンの国旗の色ですね。

 

 

ちょっと歩いたところに三国の国旗が掲揚されている場所があり、その前でみんながポーズを取って記念写真を撮っています。

 

こんな撮影会をいつまでも続けています。

 

ほんと好きやなぁ〜。(ーー゛)

 

 

ぼくは離れた場所から観察しています。

 

そうそう、撮影で思い出しましたが、「集合写真」を撮らないのです。

 

ツアーなら必須だとばかり思っていましたが、今はそういう発想はないそうです。

 

個人情報の保護ってのかな?

 

これには驚きました。

 

ツアー参加の常連に聞きましたが、えっ!なぜ?という反応でした。

 

あとどうでもいい話ですが、こちらの「土の色が赤い」んです。

 

鉄分を多く含んでいるからだそうですが、あまりの赤さに驚きました。

 

その影響か、建物の塗装に赤色が多く使われていました。

 

とても肥沃で、農業に向いているのだそうです。

 

そういや、アマゾンのジャングルなんか植物の宝庫ですもんね。

 

・・・・・・・

 

これにて南米観光は終了です。

 

サンパウロに飛んで、6時間のフライトでメキシコシティに夜行便で向かいます。

 

6時間の待ち時間ののち、17時間かけて成田に向かうことになります。

 

メキシコシティーに行く途中で通過したニカラグア。

 

実はODA案件で、ぼくが受注した橋梁工事の現場がニカラグアでした。

 

社長を連れて現場慰問に訪れたことがあります。

 

↓眼下にニカラグア湖が見えました。

 

 

ちょっと見づらいでしょうが、ラテンアメリカにある淡水湖では2番目に大きな湖です。

 

↓もう12年も前のことなんですね。(^^ゞ

 

 

これで今回の旅行記はオワリです。<(_ _)>

 

あと、気付いたことなんかをポチポチ書きますが。

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、前にも書きましたが、旅行好きには「人工派か?自然派か?」の2タイプがあります。

 

ぼくは断然人工派です。

 

人工派とは人間が作り上げた建造物、ピラミッドなどがその代表ですね。

 

人工派は必ず付随する「歴史」に興味を持っています。

 

一方自然派は、自然が作り上げた彫刻、すなわち風景のダイナミックさや美しさの方に興味を持っています。

 

今回のツアーはその両方の目玉が味わえました。

 

人工派のマチュピチュと自然派のイグアスの滝ですね。

 

参加者に聞いたところによると、自然派が多いような印象を受けました。

 

すなわち、イグアスの滝が本命で、マチュピチュがオマケという考えです。

 

ぼくは全く逆で、イグアスの滝のほうがオマケでした。

 

年配の参加者ばかりですから、「両方が目的」とソツない答えをしますが、実際に耳にしたのは「マチュピチュは思ったほどではなかった」でした。

 

多分彼らにはイグアスの滝でびしょ濡れになった瞬間に発した歓声が記憶の大部分を占めているはずです。

 

三大瀑布(イグアス、ナイアガラ、ヴィクトリア)をクリアした参加者も多かったです。

 

確かに、イグアスの滝はスゴイ。(エレノア・ルーズベルトがMy poor Niagara」と言ったのは有名だそうです。)

 

地球の裏側まで行く価値があります。(タブン)

 

すでに書きましたが、それってイベントですよね。

 

ぼくのようなヒネクレ人間は、だったらUSJかディズニーランドでいいじゃないと思っちゃうのです。

 

インカ帝国って、それほど古くからある文明じゃないんですね。

 

「前身となるクスコ王国は、13世紀に成立し、1438年のパチャクテク即位による国家としての再編を経て、1533年にスペイン人のコンキスタドールに滅ぼされるまで約200年間続いた。最盛期には、80の民族と1,600万人の人口をかかえ、現在のチリ北部から中部、アルゼンチン北西部、コロンビア南部にまで広がっていたことが遺跡および遺留品から判明している。」

 

というのがウィキペディア説明です。

 

ぼくはもっと古い文明だとばかり思っていました。

 

200年続いた後、約500年前に滅んだのです。

 

日本の歴史で言えば、鎌倉時代の始まりから室町時代の初期くらいの歴史です。

 

いっぽう、イグアスの滝は1億 2000 万年前に既にあったとされていますので、比較になりません。

 

それでもぼくはやっぱりマチュピチュが断然良かった。

 

その理由は、すでにマチュピチュについて自分なりの考察をしたことでお分かりでしょう。

 

自然派は確かに感動する。

 

でも、その感動から考察する楽しみには繋がりませんよね。

 

決して自然派を貶しているわけではないので、誤解なきよう。(;^_^A

 

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、マチュピチュで「大学」と説明された建物です。

 

 

マチュピチュが天体観測所と理解するならば、占星術としての天文学を学ぶ教室、あるいは研究室との説明の方が理にかなっています。

 

大学というと現代の大学が連想され、誤解が大きいと思います。

 

写真には、いくつかの杭が壁から出ていて、これはこの建物だけの特徴です。

 

文字のなかったインカが繊維に結び目を付けそれを輪にしたものを使っていたとの説明を受けました。

 

杭はその輪を掛けるためとのことでした。

 

ぼくには、全然ピンとこない説明でしたが、文字の代わりに知識を伝承するような手段をインカは持っていたのでしょうか?

 

それがあったんですね。

 

繊維に結び目をつけた輪とは、まさに有名な「キープ(quipu)」のことだそうです。

 

 

説明時には想像できませんでしたが、後から調べたらこのようなものなんだそうです。↑

 

主に数量の記録や分類に使われたと思われます。

  • 人口や納税、収穫量の記録

  • 軍事や労働動員の管理

  • さらにはカレンダーや暦の記録とする説

結び目の位置=位取り(十の位、百の位など)を表し、十進法で数を記録できるという点は、極めて高度です。

 

面白いねぇ〜〜。

 

キープは数字を表すと考えられてきましたが、最近では言語に近い機能を持っていたとの説が出てきました。

 

キープを読む専門の人たちは「キープ・カマヨク(quipu camayoq)」と呼ばれました。

 

まさに、知識を扱う神官・学者階級だったんですね。

 

それなら納得できす。

 

大学じゃないですよね。^m^

 

それにしても、インカ人すごいぞ。(^^)/

 

 

 

・・・・・・・っということで、マチュピチュの目的についてぼくは「天体観測所」であると想像しました。

 

 

ぼくがそう感じたくらいだから、同じ考えを持つ学者がいるはずだと調べてみました。

 

いるんですよ、実はぼくの観察や直感は、最前線の研究者たちの見解とかなり共鳴しています。

 

【天体観測所としてのマチュピチュ説】

 

ジェラルド・バイグル(Gerald B. Vailguth)

彼はインカ文明の天文学的遺構に注目した研究者で、「インティワタナ(Intihuatana)」が冬至・夏至・春分・秋分など、太陽の動きを計測するための石であるとする説を支持しました。

主要な建物(神殿や広場)は、特定の天文イベントに合わせて配置されているという研究成果もあります。太陽が山の稜線に沈む様子を「目盛」として観測していたという説は、まさにぼくが感じた通りです。

 

アントニオ・アラタ(Antonio Arata)

ペルーの考古学者で、マチュピチュを「天文学的儀礼のための巡礼地」とする説を発表しています。

彼の論によれば、宗教的、宇宙的中心地であり、政治的中枢ではなかった。

王の居住というよりも、神官たちが定期的に訪れて天文観測と儀式を行っていたと考えられています。

 

【未完成説と神官居住説】

ジーン・サヴィオ(Jean-Pierre Protzen)

建築学の観点からマチュピチュの石工技術を分析し、「部分的に未完成である」と指摘。

これは計画変更や突然の放棄を示唆しており、「王の滞在痕跡がない」ことと重なります。

「建設中にインカ帝国がスペインによって征服された可能性」も指摘されていますが、それ以上に宗教施設として始まり、完成を待たずに歴史が動いたという見方もあります。

 

では、なぜ「辺鄙な場所」に?

これについては、最近の研究でも「地の利を選んだ結果、あの場所になった」という説が有力です。

宇宙観に合致した地形(川の蛇行・山の形・方角)が重視された。

太陽信仰と密接に関係する「聖なる空間」として、場所そのものが選ばれたというわけです。

 

ぼくの直感的な「天体観測のための神官の聖域だったのではないか」という説は、まさに最新の学術的議論と響き合っているんですね。

 

「隠れ家」ではなく、「選ばれし場所」——それも天と語らうための。

 

・・・・・・・

 

調べてから行くか?行ってから調べるか?

 

ぼくの旅行スタイルは常に後者ですが、真っ新な知識で想像を膨らますのが好きです。

 

正直にいえば、調べるのが面倒なだけなんですがね。(;^_^A

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、イグアスの滝を実際に見ると、水が落下しながら水飛沫を上げる奥の方が緑色に見えるんです。

 

光の屈折によるものだと想像できますが、その理屈がよくわかりません。

 

↓適切な写真ではありませんが、見た人はそうだったと思い出すはずです。

 

 

イグアスの滝の「落ち込み部分が常に緑に見える」理由は、

水が赤や黄の光を吸収し、青と緑が残る。
そのうちの“緑”が、飛沫の白さとの対比で視認されやすい角度に屈折・透過しているから。

というのがAI君の回答です。

 

何となく変な回答だとは感じますが、一応納得しておきましょう。(^^)/

 

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、マチュピチュに行く前は、安全のために隠れ住んだ場所だと想像していました。

 

あれだけ人里離れた場所に、自給自足できる村を建設したのですから。

 

日本でも平地に造った城の裏側に籠城するための山城を建設したケースが多いんです。

 

武田信玄の居城(躑躅ヶ崎館)以外に要害山城があります。(人は石垣、人は城と言ったとされていますがね。)

 

いわばパニックルームですね。

 

マチュピチュもそんな目的で建設されたと。

 

しかし行ってみると、人里離れたとはいえ、隠れるためではなかったような印象を持ちました。

 

なぜなら、天体観測所が中心に位置しているからです。

 

古代は政治と占星術が深く結びついていました。

 

その重要性は現代人が想像する以上だったのです。

 

すでに触れましたが、あの観測台から太陽の動きを観察するのに、山々の頂上が目盛として使えるのです。

 

 

そういう観測所にベストな場所となると、辺鄙な山しかなかったのです。

 

辺鄙だから造ったのではないのです。

 

王の部屋と同時に神官の部屋も立派なのです。

 

石積みをみると、マチュピチュは未完成だそうです。

 

王が滞在した形跡もないようです。

 

ですから、王が居住する施設ではなく、天体観測の神官が生活するためだったとぼくは納得しています。

 

・・・・・・・っということで、ちょうど1年ぶりの海外旅行でしたがまるで、海兵隊並みの厳しさでした。


最後まで耐えた自分を褒めてやりたい。


参加した旅行通の兵たちも、これまでのツアーで一番辛かったと口を揃えていました。


飛行機から降りてまず向かったトイレ、シャワートイレであることに感激の涙。(TT)


やっぱ日本はエエワ。(^^)


家に帰ったら一風呂浴び、刺身をつまみにビールを飲む。


あぁ~天国じゃ。\(^o^)/


・・・・・・・っということで、なんと表現すればいいか、滝そばまで行って水しぶきを浴びるわけですので、Wetと表現します。

 

そのWetぶりがどの程度か行かなきゃ分かりません。

 

WetどころかSoakです。(^^)/

 

ぼくはウィンドブレーカーとナイロン製のズボンの上に、雨合羽の上下を着こみました。

 

これはお勧めできません。

 

待ち時間が長すぎて、滝でぬれるより先に汗でびっしょりになります。

 

着替えを前提に、なるべく裸に近い格好がいいです。

 

水着かサーフパンツがいいでしょう。

 

強力なエンジンを積んだゴムボートに乗り込むのですが、ライフベストをかぶります。

 

滝と言ってもメインの滝に突っ込むわけではなく、無数にある小さな滝が集まっている場所に向かいます。

 

ボートの船頭は波が来ると横転するかと思うほど急旋回して、波にぶつかり上に飛び跳ねます。

 

すれ違うボートの波を利用したり、ジャンプするポイントを的確につかんでいます。

 

ドカンという衝撃とともに、ボートは飛び上がり、乗客は波しぶきをかぶり歓声を上げます。

 

 

↓小さな滝が集まる地点に来ます。

 

 

しばらくは滝を眺めながら静かな時間が過ぎていきます。

 

 

滝が落下する地点に向かってしずしずと進みます。

 

 

もう十分しぶきがかかって、引き返すと思ったら大間違い。

 

 

そのまま滝の真下に突っ込んでいきます。

 

まさしく、滝行です。

 

ボタンの間、首筋から容赦なく水が流れ込みます。

 

乗客から悲鳴が上がります。

 

ようやく通り過ぎたかと思う間もなく、また突っ込みます。

 

これを4回くらい繰り返します。

 

レインコートやポンチョなど役立ちません。

 

ああこれで終わったとホッとするのもつかの間、今度はバックしてまた突っ込みます。

 

船頭たちは明らかに観客の悲鳴を楽しんでいます。

 

 

はい、これがイグアスのメインイベントでした。

 

 

ディズニーランドやUSJのアトラクションでスプラッシュを楽しみますが、こちらはスケールが違います。

 

でも、やっていることは同じ。

 

地球の裏側まで来て楽しむアトラクションかな?・・・と思わないでもないです。はい。