so what(だから何なんだ) -41ページ目

so what(だから何なんだ)

人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、日本で公開されたのかな?

 

Warfareは「戦争」ですが、本作は「交戦」のほうが適しているかも。

 

 

アメリカ海軍の特殊部隊SEALSの隊員たちが2006年イラクで経験した戦闘を、なるべく忠実に再現した映画です。

 

タイトルがよく使われる「実話に基づく」ではなく「記憶に基づく」となっています。

 

ですから、登場人物は記憶を語った実在の人物役です。

 

でも軍服を着て汚れていますから、誰が誰やら。^m^

 

アメリカ人なら区別つくのかなぁと、戦争映画のあるあるです。

 

ストーリーはありません。

 

Fワードのオンパレードです。

 

ちなみに「fuck up」はしくじるという意味なのね。

 

戦闘シーンの表現はここまで進んだのかと感心します。

 

銃弾が雨あられと飛び交います。

 

観客にその真ん中に飛び込んだと感じさせます。

 

まるで実弾。

 

加工しているんだろうけど、銃弾の弾道まで分かります。

 

アメリカ兵の戦い方に興味を持ちました。

 

マイクで本部と交信しながら闘うのね。

 

UAVのサーマルカメラで敵兵や味方の位置を伝え続けるのね。

 

ウクライナ戦争で高評価の戦闘車両、ブッシュマスターって信頼されているのね。

 

煙幕の目的で戦闘機を超低空飛行させるのね。

 

そしてアメリカ軍は、負傷した仲間を絶対に置き去りにしないのね。

 

重傷で死ぬだろうと予測できても。

 

自分の安全を心配せず、戦争体験してみたい人にはオススメです。(;^_^A

 

★★★★★

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、10月に誕生日を迎えるので、高齢者講習の案内が届きました。

 

講習2時間+実車運転+1万円が課せられます。

 

75歳以上になるとさらに「認知機能検査」が加わります。

 

理屈は分かりますよ、これだけ高齢者の事故が(意図的に)報道されるのだから。

 

でも、ぼくはスッゴく頭に来てるんです。

 

こういう一見善意に基づいた制度、大義名分のある制度に否応なしに従わされるって「子供扱いもいい加減にしろ!」と言いたい。

 

しかも、ぼくの免許証はブルーです。

 

ブルーだとこれも否応なしに講習会に出なくちゃならない。

 

出なきゃ、免許をやらんゾである。

 

あの講習会の何たるお粗末さよ。

 

講師が「ここに参加した人の中には運が悪かったと思っている人がいるでしょう?」と聞きやがるんだぜ。

 

そうさ、運が悪かっただけだとぼくは腹の中で答える。

 

今回のブルーは左折車線をカーナビが直進と指示しているのに従っただけなのに、警官が待ち構えていやがったんだ。

 

トヨタよ、責任を取れっ!!

 

これこそ運が悪かっただけだ。

 

こんな軽微な違反に、なんで罪人みたいに上から目線で説教を受けなきゃならんのだ。

 

おめえ〜ら警官の定年後の職を確保するのが目的だってことくらいお見通しだぜ。

 

こんな馬鹿らしい制度があるのは日本くらい。

 

アメリカを例にとれば、州による違いはあるものの、軽微な違反で講習なんて課さない。

 

重大な違反や再犯を繰り返す者のみ、特別なコースが設けられている。

 

ドイツじゃ、違反点数がオーバーすると、専門家による心理テストと講習が課せられる。

 

他の国もこんなクソの役にも立たない講習を自動的に強制している国はない。

 

子供扱いはやめて、もっと大人として扱うべきだろう。

 

しかも、講習の効果なんてあるのかないのか検証されていない。

 

暴走行為をする奴や悪質な運転手なんて世の中にはゴロゴロしているのを知っているじゃないか。

 

ぼくのような善良な市民を取り締まるより、そっちが先だろう?

 

老人より若造の方が事故を起こしているじゃないか?

 

自動車講習会以外に日本には「善意の無駄」がはびこっている。

 

その多くが実効性が乏しい、当事者の声を無視、誰も責任を取らない。

 

無駄な制度が、「やらないと叩かれるから」「保身のために続ける」という惰性で生き延びている。

 

たとえば:

  • 高齢者講習 → 「事故を減らすため」という善意

  • PTA → 「子どもたちのために」という善意

  • 避難訓練 → 「命を守るため」という善意

  • 自治会の草むしり → 「地域のために」という善意

どれもこれも実際に「これが本当に効果的か?」と問われると、誰も答えられない。

 

なのに、それを拒むと「冷たい人」「自己中心」とレッテルを貼られる。

 

つまり、「善意」を免罪符にして制度を作り、問答無用で従わせる。

 

すんげぇ〜〜腹が立つので、さらに付け加えたい。

 

中国人に簡単に免許を書き換えさせるなよ。

 

連中は日本語も読めないんだぜ。

 

日本が外国の運転免許からの「切り替え(書き換え)」を認めているのは、約30~40か国・地域だけだそうです。

 

その中に中国が入っていて、一部ではブローカーによる不正取得の温床にもなっているんですぜ。

 

そのくせ、自国民にはやたらに厳しい。

 

ぼくは若い頃スリランカで大型自動車免許証を取ったけど、書き換えられなかった。

 

ちゃんと大型バスによる実地試験も受けたのに。

 

中国とスリランカを分ける明確な根拠は何なんだ?

 

このダブルスタンダードをどう説明するんだ。

 

つい最近だって、狭い通路を猛スピードで走り死人が出た。

 

高速道路を逆走と知りながら走り、他の車を巻き込んだ。

 

酒を飲んで小学生の列に突っ込み、そのまま逃げた。

 

・・・・・・・

 

つい書き散らしてしまいましたが、アルコールは入っていませんよ。(^^)/

 

 

・・・・・・・っということで、リフォームに伴い、エアコン4台全てぼくの自腹にすることで押し切られました。(>_<)

 

今日作業に入ります。

 

その前に2Fのエアコンの室外機の置き台をどうにかしなくちゃなりません。

 

現状はこんな感じ。↓

 

 

この置き台は昔ぼくが自作したものです。

 

手前の室外機(次女の部屋)はリフォームに伴い撤去されました。

 

向こう側の室外機(長女の部屋)は今回取り外して交換するものです。

 

向こうの板はスティール製ですが、ずいぶん錆びています。

 

まず、手前の台を木で製作しましたが、腐食する可能性があるので、黒いペンキで塗りました。

 

しかし、材料の板がどうみても強度が足りないのです。

 

家にあった簀子(すのこ)を重ねてねじ止めして強度を高めました。

 

向こう側の錆びたスティールも強度が足りないので、これも家にあった木板をネジで止めることにしました。

 

完成系がコレ。↓

 

向こうの室外機はネジを外して持ち上げ、板を滑り込ませました。

 

置き台がいくらするのか知りませんが、経費削減になったと思います。

 

この屋根の傾斜が強いわけではありませんが、歳をとったおかげでへっぴり腰になりました。

 

ここから落下したら命はないですからね。(;^_^A

 

 

・・・・・・・っということで、朝のニュースを見ていたら、インドネシアが出てきました。

 

現役時代に、ぼくはインドネシアでビジネスをしたことはなかったけど、駐在した人の話では、インドネシア語は語順がシンプルで、動詞に時制がなく、性別や単数・複数の区別が曖昧だから、覚えやすいよと聞いたことがあります。

 

インドネシアに限らず、東南アジアを旅行すると、「漢字を使っている国がない」ことに気付きます。

 

中国はあれだけ強大な国だったのに、周辺国に漢字を使っている国がないってえのは不思議だと思いませんか?

 

例外は日本です。(もちろん台湾と香港は除きますよ。)

 

朝鮮やベトナム、モンゴルは一時期漢字を用いていたり強く影響を受けていた時代がありますが、いまでは例外を除いて使っていません。

 

いうまでもなく、日本はひらがなやカタカナを使って改善していますが、漢字を律儀に(?)使い続けています。

 

日本だけですよ。

 

漢字は画数が多く複雑すぎて使いにくい文字です。

 

中国だけは頑なに(?)漢字を使い続けています。(もちろん略字も使いますが。)

 

この複雑な文字は、文明や科学の発展にブレーキをかけている気がするのですがどうでしょう?

 

一方アルファベットはたったの26文字覚えればいいだけです。

 

表意文字と表音文字の違いですが、両者は「スピード感」が全く違います。

 

このスピード感が文明の発達に大きく影響したとは思いませんか?(アルファベットの本は恐ろしく分厚くなりますがね。)

 

中国が特に科学の分野で遅れをとっている(とっていた?)のは漢字が原因じゃないかと疑ってしまいます。(だから他国の特許を無断で使用する理由だったりして。(^^ゞ)

 

たしかに漢字はスピード感に欠けますが、逆に表現力が豊かです。(物事をじっくり考えるのにも向いています。)

 

特にひらがなと漢字の組み合わせは「美しい」。

 

日本人の美的センスと、感受性は文字による影響が大きいと思います。

 

そういう理由で、日本文学は世界的に優れている(あるいは生み出す可能性が高い)はずです。(逆に翻訳するのが大変。)

 

最初のインドネシア語に戻って、確かにインドネシア文学界はノーベル文学賞を受賞する作家を生み出せていません。

 

とはいえ、プラムディヤ・アナンタ・トゥールなどの評価の高い作家は存在するそうですが。

 

敗戦後GHQは日本にローマ字化を迫ったと聞いています。(だから日本は遅れているのだと。)

 

そんな漢字のない世界を想像すると、ゾッとしますがね。

 

・・・・・・・

 

このブログでは「日本人が日本を理解するためには」というテーマでよく書いています。

 

ぼくがいつも感じるのは、日本人は日本人の良さを知らないことです。

 

今回は「漢字」をテーマに、ぼくなりに掘り下げてみました。

 

 

 

 

・・・っということで、アイルランドって、実は「イギリス帝国の練習場」だったんじゃないかって思ったのです。

 

現地の言葉を奪い、土地を取り上げ、宗教を分断する。


そういう植民地支配の手口を、まずアイルランドで試した。


インドやアフリカに行く前に、ちゃんと予行演習してたってわけ。

 

それに比べて、日本は朝鮮や台湾でぶっつけ本番。


そりゃうまく行かないわな。

 

アイルランドを訪れた旅行者は自然や音楽に目を向けるけど、ぼくはつい、そんなことを考えてしまうんです。


だから何だって話だけど、こういう視点を持つ自分って好きですよ。

^m^

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、長崎県の外海(そとめ)から移住してきたキリシタンたちの気持ちを歌った哀歌をガイドさんが紹介してくれました。

 

五島へ五島へと皆行きたがる
五島はやさしや土地までも

 

五島は極楽 行てみりゃ地獄
二度と行くまい五島のしま

 

明治以降、多くの日本人が海外に移住した歴史があります。

 

このあいだ旅行した南米も移住先でしたね。

 

ほとんど例外なく、荒地を与えられ、勤勉な日本人が開拓していったという流れです。

 

日本人の勤勉さ、粘り強さは世界に誇るものですが、もっと上手くできなかったかという気がいつもします。

 

それは、政府が自国民を大事にしないことです。

 

移民を送り込むなら徹底した事前調査としっかりした契約が必要で、それが異なるなら相手国に強く改善を求める義務があるはずです。

 

しかし、日本政府は移民たちが何とかするだろうと、せっかくの日本人気質におんぶに抱っこしています。

 

先の戦争でもそうでした。

 

ろくな装備も与えず、潜水艦に対して無防備な輸送船に詰め込み、戦地に放り投げたのです。

 

単にやることはやったと自分たちを正当化するためです。

 

こういう日本政府の体質はどこから来るのか、よほど真剣に考えなければ同じ悲劇が繰り返されるだけです。

 

今問題になっている米不足問題もそうです。

 

米は日本の主食であり、自給自足できる唯一の農産物だと管理していたのにこの有様です。

 

勤勉な国民だから、文句も言わずに耐えてくれるでは、政府の意味がありません。

 

五島の哀歌には他にこんなのもあります。

 

五島はよかとこ

棚田は黄金の波

どこもかしこも主の恵み

住めば心も安らかに
どこもかしこも主の恵み

 

五島は涙の島じゃった
山も崖も人を追い
麦は育たず 波が吠え
祈る声さえ風に消ゆ

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、五島の印象をAIくんの助けを借りて書いています。

 

海の青さ、島々の静けさ、どこを切り取っても絵になる風景。

 

でも、何より驚いたのは「紀州の漁師さんたちが、昔ここまで漁に来て、やがて住みついた」という話を聞いたことです。

 

遠く和歌山から、荒波を越えてやってきたとは……気合いが違います。

 

しかも、その人たちは奈良尾などの町を開き、捕鯨も始めて、地域の発展にずいぶん貢献したのだとか。

 

地元では「紀州人が歩いた後は草が生える」なんて言われていたそうです。

 

これは「草も生えない」ではなくて、その逆。開拓者としての行動力や働きぶりが、土地を豊かにしたという意味なんですね。

 

一方、今の五島を歩いて感じたのは、「こんなに魅力的なのに、地元の人たちがその良さをうまく発信していないなあ」ということでした。

 

観光地としてのポテンシャルはすごく高いのに、それを前に出すのがちょっと控えめというか、もったいないというか。

 

昔から五島の人は、あまり自分たちの良さに頓着しない性分なのかもしれませんね。

 

素朴で実直、でもその分アピール下手。

 

それに比べて、紀州の人たちは行動派で、商売っ気もある。

 

土地の価値を見抜いたら、すぐ動いて、自分の手で形にしていく。

 

五島の漁場を見つけて、定住し、町を作ったのも、その目利き力と行動力があったからこそでしょう。

 

考えてみると、今の五島の観光にもこの「気質の違い」がヒントになりそうです。

 

島の人たちは控えめだけど、だからこそ外から来た人の目で「いいところ」を発見し、言葉にしていく必要がある。

 

紀州人がそうしたように、今も「五島の良さに気づく外の目」は、実はとても大切なのではないでしょうか。

 

観光業がちょっと空回りしているように見えるのも、たぶんその「外の目」と「内の誇り」がまだうまく結びついていないから。

 

五島には、語る価値のある風景も歴史も人柄もあるんです。

 

そこを、もっと物語として伝えていく工夫があれば、観光も、島も、きっともっと息づいてくる気がします。

 

かつて紀州人が五島に新しい命を吹き込んだように、これからは外から来た旅人や移住者が、また新しい視点で島を照らしてくれるのかもしれませんね。

 

こういう視点は、島国である日本全体にも必要だと思いますよ。

 

 

・・・・・・・っということで、今回のツアーは教会見学にあまり重点を置いておらず、歴史好きにはちょっと物足りなかったかも。

 

じゃあ、五島には教会以外何があるの?・・・と聞かれると、ずいぶん困ります。

 

青い海ですが、前回は晴れていたからこそで、今回は曇りや雨だったので印象には残らないでしょう。

 

単なる崖も行けば感動するけど、まあ特別じゃないですしね。

 

あと五島の名産といえば、アオサ、五島牛、塩、飛魚(アゴ)、手延べうどん、椿油、さつまいもともち米を混ぜて作ったかんころ餅など。

 

カミさんはこういうお土産大好き人間だから、どんどん買うのはいいんですが、全部ぼくに持たせてくれるんですね。(;^_^A

 

特に手延べうどんは重いけれど美味しい。

 

あと、前回気に入ったアオサは軽くてぼくも買いました。

 

とはいえ、観光で旅行客を呼ぶにはちょっと決定打に欠けますね。

 

無理矢理こじつけて観光化しようとしているのは分かるけど、もう少し五島の魅力が伝わるプレゼンテーションがないのかな?と今回も思いました。

 

NHKの朝ドラで「舞い上がれ」だったかな?は、確か3年前の放送だったし。

 

海水浴場は穴場的な存在でしょう。

 

しかし、泳ぐためにわざわざ五島に行くかな?

 

釣りをしないから分からないけど、優れた漁場であるはずです。

 

まあ、こんな具合に五島の魅力があまり知られていないことを残念に思います。

 

実際、島の過疎化は進む一方で、小中高一つの学校にまとめようとの話もあるようです。

 

五島は隠れた穴場というところがいちばんの魅力かもしれませんね。

 

あまり良いと知れ渡ったら、大陸の観光客が押し寄せてきますから痛し痒しですね。

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、五島列島はキリシタンの島。

 

長崎県の「外海(そとめ)」のキリシタンが移住してきたのがその始まりです。

 

じゃあ、なぜ移住してきたかというと、次の理由からです。

   
政策面: 五島藩が農地開発のために移住者を奨励(実利優先)
宗教面: キリスト教弾圧からの逃避、五島が信仰の逃げ場に
経済面: 外海地方の厳しい環境・飢饉による困窮

 

宗教弾圧によるものとされていますが、飢饉や人手不足も原因だったのですね。

 

今回は長崎港からジェットフォイルを使ったので1時間ちょっとで海を渡ることができましたが、当時の航海技術や船の能力では対岸に見えていても渡るのは困難だったはずです。

 

そして何より、この海域は潮の流れが急なのです。

 

今回のツアーでガイドさんがその辺を説明してくれました。

 

 

頭ヶ島天主堂から正面に平島が見えましたが、その裏に小さな島が点々と存在しているんですよとの説明だったので、地図で調べました。

 

フェリーやジェットフォイルなら一気に渡海できますが、手漕ぎの船や風頼りの小型帆船なら島伝いにいく方がずっと安全です。

 

こういう説明は納得できて満足です。

 

・・・・・・・

 

五島藩が人手不足だったとはいえ、そもそも五島列島には平地が少ないのです。

 

最初の頃は、平地を仏教徒と分け合っていましたが、人数が増えると山間部に追いやられました。

 

前回も見ましたが、一家族やっと食べられる作物くらいしか採れなかったようです。

 

今回のツアーではこの辺の説明は淡白でしたが、前回の旅行での説明を思い出し、またもや気分が落ち込んでしまいました。

 

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、3日目の続き。

 

井持浦教会はルルドの教会として知られています。

 

ここも4年前に訪問しています。

 

 
蛇口から「奇跡の水」が出てきます。
 

 
空のペットボトルまで売っています。
 
カミさんはこういうの好きですから、ペットボトルに詰め込んでいました。
 

 
大瀬崎断崖展望台です。↓
 

 
灯台が見えるはずなんですが・・・
 
風が強いので霧が流れるチャンスをうかがうけれど・・・。
 

 
晴れれば絶景であることは間違いないでしょう。
 
しかしこの霧が大問題。
 
帰りの飛行機が飛ばないかも知れないのです。
 
福江空港↔福岡空港間は1日3便しかなく、既に2便がキャンセルされています。
 
最終便が飛ばなければ、「延泊」になるそうで、宿泊費が発生するみたい。
 
現在福岡空港待合室ですが、いま見える飛行機は長崎行きですのでたぶんダイジョーブでしょう。たぶんね。