・・・・・・・っということで、今日は時間をかけて今回の旅行をまとめています。
今回が一番のキモです。^m^
中央アジアって何だろう?について書きます。
中央アジアの人を「ノマド」とする定義を聞きました。
ノマドとは「遊牧民」の意味らしいですが、シルクロードの中継地に住む人たちとしてはふさわしくないと思うのです。
農業をしている人もいますし、商業に従事している人もたくさんいるからです。
3カ国を回りましたが、どの国にも巨大な市場があり、多くの食品や商品が集まり取引されている。
もうこれは何世紀も続いてきたスタイルで一朝一夕にできた市場とは本質的に違うのです。
そのスケールには圧倒されます。
肉だけを見ても、供給される大量の肉を消費する需要が存在することに驚かされます。
当然日本にも市場が存在するわけですが、分散されているため一ヶ所でこのような巨大な市場を見ないだけとは分かっていますが。
文明の交差点としての長い歴史を感じざるを得ません。
交通の要所として、この地域が多くの侵略に遭ったことは歴史の語るところです。
ざっと見通しても匈奴、スキタイ、パルティア、鮮卑、突厥、ウイグル、セルジューク、モンゴル帝国、そしてソ連と支配が転変しています。
こんな中で、自分たちのアイデンティティーをどうやって保つのでしょう?
ノマドでいいのでしょうか?
南米で感じた自分たちの定義に困るなんて発想は、そもそも彼らにはないのでは?
あいまいな国境、あいまいな部族の区分け、多彩な人種の交流。
それが当たり前の環境の中で、自分たちのアイデンティティーを保つのは難しいのではないか?
そんなことの必要性に彼らは全く無頓着なのではないかと思います。
多文化を吸収する柔軟性とともに、自分たちの文化を守り続ける強固さ。
これら一見矛盾することが、ごく自然に調和しているのが中央アジアではないでしょうか。
ぼくにはそう感じられるのです。
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エルマー君(バスで隣り合わせになった青年)のオヤジは自分の国を出たことがありません。
いつも自宅にいて、テレビばかりを見ているそうです。
キルギスを出たことさえありません。
エルマー君もキルギス以外カザフスタンしか行ったことがありません。
そんな彼はイタリア留学を夢見ています。
ぼくの海外経験を目を輝かせて聞いている。
ロシアのくびきから解放され、国家としてのアイデンティティーが必要になってくるのはこれからなのです。
ノマドと定義されがちな彼らは、これからはずいぶん変化していくだろうし、いかざるを得ないのではないでしょうか。
以上、今回の旅行で感じたことのまとめです。
ぼくにはこういう実際に行ってみなければ生じない印象が大好きなのです。
だから一人旅は止められない。
少しは分かっていただけたでしょうか?(^^)/
