どんな比例代表制が望ましいのか
前回のエントリ
の続き、というか補足のようなものです。
私の主張の大前提は、小選挙区中心の制度よりも、比例代表中心の制度に変えた方が圧倒的に良い、というものです。現行の並立制のもとであっても、比例代表の配分のほうが小選挙区より増えれば(総定数が減っては意味がありませんが-あ、ついでに私は議員定数は増やすべきだと思っています。が、それはまた別の機会に)、そういう改革には賛成します。
その上で、では比例代表を中心にした制度を作るとして、どのような比例代表が良いのかを少し考えてみたいと思います。
※なんかエライ長文になってしまいましたが、お急ぎの方は最後の【結論】だけ読んでいただければ結構です。
【歴史】
その前に、ちょっとだけおさらい。ブクマでも何人かの方が指摘されていましたが、選挙制度については、今を去ること15年前、細川内閣の時代に、散々議論されたのですよね。いまそれを蒸し返したいのは、そもそも私が小選挙区制に反対であること、そして比例代表の定数を減らすという声が特に(ほぼ確実に次の政権を担うであろう)民主党から聞こえてくるからです。
それ以前は、衆議院の選挙は俗に言う「中選挙区制」でした。正確に言うなら、「大選挙区制限連記制」…でしょうか。一つの選挙区の定数が3~5(例外もありましたが)で、総定数は500を越えていました。
戦後、保守勢力は、これを小選挙区制に変えることが悲願でした。教科書で「ハトマンダー」とか「カクマンダー」なんて聞いた方も多いと思いますが、小選挙区の区割りを政権党に有利になるよう恣意的に決定しようとすることを「ゲリマンダー」と言いますが、それを鳩山一郎や田中角栄がやりかけて、そんな風に批判されたわけです。でもって、導入に失敗してきた。それを、保守二大政党を目指す「非自民」の細川内閣が、とうとう導入してしまったわけです。
導入された制度は、「小選挙区比例代表並立制」。要するに、有権者は二票を持ち、小選挙区で一人の候補に投票し、また比例代表区でも政党(またはその政党のリストに載っている一人)に投票し、それぞれ別々に当落が決定するシステムです。本来別々に決まるものですが、重複立候補が可能なため、小選挙区で落選した候補が比例代表区で当選することも起こり得ます。「敗者復活」なんて言われたりしますが、それは小選挙区を中心にした見方であって、本来は「敗者復活」などではなく、あくまでも比例区で当選した人、なわけですね。恥じ入ることは何もない。
さて、小選挙区制は相対一位を決定する方式ですから、話が簡単です。本当は決戦投票をするかどうか、とか、移譲式にするかどうか、とかあるんですが、小選挙区制の話をしたいわけではないので、ここでは省略します。それにそもそも、私は小選挙区をなくしたいという立場ですしね。
では、比例代表をメインにするとして、どういった比例代表制にするのが良いのでしょうか。ここでは、(繰り返しますが)比例代表メインの制度に変える、というのがダントツ第一位の目的であり、どのような比例代表にするかという議論は二次的なものであるという立場を表明した上で、折角ですのでこの話も展開したいと思います。
※以下、多少話を簡単にしていますので、不正確なところがあるかもしれませんが、あらかじめお詫びします。
【方式】(よくご存知の方は飛ばして先に進んでいただいて構いません)
まず、現行の比例区の方式を見てみましょう。各政党は候補者の名簿を届け出ます。有権者は名簿を届け出た政党に投票します。名簿には順位がふってあって、各党ごとに何人当選したかが決まれば、上位の候補者から順に当選が確定します(小選挙区との重複立候補に関係する惜敗率などの詳細は省略します)。重複立候補のことをおいておけば、いわゆる「拘束名簿式」、ということになります。まあ運用面では、重複立候補を多くしてあまり拘束という感じではなくなっている政党もあるようですが。いずれにしても、一応は「政党を選ぶ」方式の投票です。
拘束名簿式でなければどうなるかというと「非拘束名簿式」になります。すこし前から参議院の比例代表はそうなっていますね。政党名で投票しても良し、名簿に登載された候補者個人の名前を書いても良し、という制度です。各党ごとの当選者は、候補者個人名への投票であっても、その候補が属する党への投票とみなし、総得票数に応じて分配されます。名簿に登載された候補のうち誰が当選するかは、個人名での投票の多寡によって左右されます。
なお昔は(前世紀は、と言うとなんかカッコイイですね。違うか)、拘束名簿式でした。順位は届出政党が決めていたわけですね。
いったんまとめ。
「比例代表制」ですから、当選人数は、その党への投票にほぼ比例して分配されます。直接政党名を書くにしろ、その政党に属する候補者の個人名を書くにしろ、基本的にはその政党への投票です(本当は、さらにどう各党に当選者数を分配するかでも色々方式がありますが省略します。日本の場合は「ドント式」というやつですね)。
で、問題は、各党ごとに当選人数が決まったら、その当選人数の中に誰が入るかです。
「拘束名簿式」なら政党があらかじめ決めた順番で、
「非拘束名簿式」ならその政党が届け出た名簿のうち個人得票の多い順に、
ということになります(かなり単純化して言っていますが)。
もうちょい複雑な方式があります。ドイツなどで実施されている、「小選挙区比例代表併用制」というものです。日本の衆議院で実施されている「並立制」とは一文字しか変わりませんが、制度論上はまったく違うものです。「小選挙区」と入ってはいますが、基本的には比例代表制と思っていただければいいでしょう。個人的には、中長期的にはその「小選挙区」の部分がいろいろ悪さをするのではないかと思っていますが、それは後ほど。
有権者は政党と小選挙区の候補と二回投票します。が、基本的には、各党の議席は比例代表で配分されます。では、比例代表で「誰が」当選するか、というと、まず、小選挙区で1位になった人が入ります。たとえば比例で30議席配分された党が、小選挙区で10人の候補が1位になったとすると、まずその10人が当選します。残りの20人は、比例名簿の順位に従って決まります。ですから、基本的には比例代表制です。
比例で10人しか配分がないときに20人小選挙区で1位になっちゃったらどうするか?その時は、定数が増えます。「超過議席」ってやつですね。無所属の候補が1位になった場合も同様です。なので、完全に比例代表というわけではありません。が、まあおおむね比例代表だと思っていいでしょう。
そういうわけで、この「併用制」は、かなり強引に言うならば、「非拘束名簿式」の変形版と言ってもいいのかもしれません。かなり強引ですが。共通点は、各党の議席配分数は比例代表で決まるものの、そこに候補者個人への投票が加味される、ということです。
【で、要するに何が言いたいのかと言うと…】
ついうっかり長々と書いてしまいましたが、要するに、個人に投票する意味は一体あるんだろうか?というのが、私の問題意識なのです。各党への議席配分は比例で決まるわけですから、国会内での政党間の力関係は、とりあえず誰が当選するかというのは二次的な問題です(個人個人の交渉力とかはあえて二次的とみなしています)。その上で、個人に投票するというのはどういう意味があるのか、と。
前エントリでも書きまたが、現代政治をすすめる上で、個人ができる範囲というのはどうしても限られるでしょう。スーパーマンみたいな人が何百人と集まるわけがない。どうやったって分業が必要になります。各党の中で。とすると、なんだかんだ言っても、結局個々の議員は所属政党の意向で動くわけですよね。自民党でさえ、たいていの問題についてはそうですよね。だから、たまに党の決定と違う行動をとると、わざわざ「造反」なんて言われたりする。
だとすると、一体個人名を書く意味はどこにあるのか。
全国一区の非拘束名簿式ならばまだわかります。選挙後、その党で力を持って欲しい人に得票が集まれば、その党もその候補の意向を無視できなくなるだろう、という「期待」が持てますから。しかし、比例区の区割りが狭かったり、小選挙区との併用だったりしたらどうでしょうか。
さらに言えば、各党のなかで誰に影響力を持ってほしいか、というのは、これは本来公的な選挙で決まるものではなく、その党内の事情のはずです。つまり、誰が執行部に入るか、とか、誰の意向を尊重してほしいか、というところに影響力を行使したいのであれば、公的な選挙でではなく、その党になんらかの形で働きかけたり、あるいはその党に入って、党員として行動するのが筋ではないか、と思うわけです。
【組織と個人】
実は、こう書いている私自身も、以前は非拘束名簿式がいいのではと考えていました。個人名で投票できるというところに魅力を感じていたのですね。しかし、しばらく前から-どこかで急に考えが変わったわけではないのですが、数年前ぐらいからでしょうか-、それはどうも違うのではないか、と思うようになってきました。
非拘束式のよく言われる問題点に、タレント候補が出ると、タレント候補が大量の得票をして、しかしその得票は所属する政党のものでもあるわけですから、タレント候補に乗っかる形で他の候補まで当選してしまう、というものがあります。それは確かに問題としてあるわけですが、しかし私は本質的な問題ではないと考えています。
問題の根っこには、どうも、「組織」は悪で、「個人」は善、というボンヤリとした発想があるのではないか、という気がしています。明快な根拠があるわけではないのですが、色々と発言を見ていると、そう感じるのですね。
たとえば、自民党について常々批判しつつも、選挙になると自民党の候補に投票する人なんてのはザラにいるわけです(自民党に限りませんが)。こういう行動は、「悪いのは自民党で、うちの選挙区の自民党議員ではない。むしろ、うちの選挙区の自民党議員が率先して、自民党内部での改革を頑張ってほしい」みたいな発想に基づいている場合がおうおうにしてあるのではないでしょうか。小泉の「内部からぶっつぶす」というようなスローガンはその最たるものなのだと思います。
でも、結局その選挙区で通った自民党の議員も、やってることは自民党の議員として自民党の決定に従って行動してるんですよね。だから、個別の議員は良いけれども、っていうのは、実は自分の投票行動を自分で納得させるための自己欺瞞なのではないか、とすら思うのです。
消費税導入の時なんかもそうでしたが、一つの政党内で、賛否がわかれるなんてのは実に無責任だと思うのですよね。喫緊の課題でなければまた話は違いますが、争点になっていることについて、同じ党でもAさんは○でBさんは×、でも党としては○と言っている、なんてなったら、投票する人は困ります。Bさんの選挙区では、×と言ってることを信じてBさんに投票する人も多いでしょうが、いざ国会での議決のときは、まあBさんも○と投票するのですよね。
近代政党ってのは、組織政党なわけです。自民党みたいな議員政党(実態としてはまあそうでしょう)は、形態としては前近代的ですよね。大体簡単に離合集散できるってところがおかしいわけで。それでも国会内での行動は組織として行われるわけです。そして、それは現代であればどうやったってそうなるし、むしろ党内で個別の分野のエキスパートを持ち、官僚にも対抗できるような力量を政治家が持とうとしたら、それがほぼ唯一の解となるでしょう。だとすると、良くも悪くも組織として動かないとどうにもならないわけです。
だから、私が拘束名簿式の方がいいのではないか、と思うのは、そういう「個人」に対する幻想を捨て、現実を見るためにはそれが良いのではないか、と思うからなのです。なんというかな、個人に投票することで、政党内部の人事にまで参画しているかのような幻想を持ってしまっているような気がしてならないのですよ。それがしたいならその党に入れ、と。それが筋だろう、と。
拘束式といえども名簿に個人名は載っているわけですから、どういう人を載せ、どういう順位をつけているかまで含めて、その政党を評価したらよろしい。そういう人事も政党の能力としては重要だと思うのです。
【結論】
長々と書きましたが、言いたいのは、実態は組織で動いてるんだから、組織に投票した方がクリアでいいじゃん、変な幻想も持たずに済むし、ということです。
最後に繰り返しますが、私にとっては比例代表がメインの制度に変わることが第一の希望であって、どういう比例代表がいいかについてそれほど拘りがあるわけではありません。ただまあ考えていくと、こういうのがいいんじゃないかな、と、まあその程度の話です。考える際の材料にしていただければ幸いです。マスコミを見ていてもあまりこういう意見が載らないので。
(公開直後に書き忘れたのを思い出したのでちょっと追記)
無所属や個人を活かすには、参議院を活用するような制度設計をするべきなのだと思います。衆議院は政党間のぶつかり合いにして(なぜ政党かは上に書いたとおり)、参議院はそれとは違う特色を出して、そこを救う、と。具体的にどうすべきかはまだ考えがまとまりませんが…。
私の主張の大前提は、小選挙区中心の制度よりも、比例代表中心の制度に変えた方が圧倒的に良い、というものです。現行の並立制のもとであっても、比例代表の配分のほうが小選挙区より増えれば(総定数が減っては意味がありませんが-あ、ついでに私は議員定数は増やすべきだと思っています。が、それはまた別の機会に)、そういう改革には賛成します。
その上で、では比例代表を中心にした制度を作るとして、どのような比例代表が良いのかを少し考えてみたいと思います。
※なんかエライ長文になってしまいましたが、お急ぎの方は最後の【結論】だけ読んでいただければ結構です。
【歴史】
その前に、ちょっとだけおさらい。ブクマでも何人かの方が指摘されていましたが、選挙制度については、今を去ること15年前、細川内閣の時代に、散々議論されたのですよね。いまそれを蒸し返したいのは、そもそも私が小選挙区制に反対であること、そして比例代表の定数を減らすという声が特に(ほぼ確実に次の政権を担うであろう)民主党から聞こえてくるからです。
それ以前は、衆議院の選挙は俗に言う「中選挙区制」でした。正確に言うなら、「大選挙区制限連記制」…でしょうか。一つの選挙区の定数が3~5(例外もありましたが)で、総定数は500を越えていました。
戦後、保守勢力は、これを小選挙区制に変えることが悲願でした。教科書で「ハトマンダー」とか「カクマンダー」なんて聞いた方も多いと思いますが、小選挙区の区割りを政権党に有利になるよう恣意的に決定しようとすることを「ゲリマンダー」と言いますが、それを鳩山一郎や田中角栄がやりかけて、そんな風に批判されたわけです。でもって、導入に失敗してきた。それを、保守二大政党を目指す「非自民」の細川内閣が、とうとう導入してしまったわけです。
導入された制度は、「小選挙区比例代表並立制」。要するに、有権者は二票を持ち、小選挙区で一人の候補に投票し、また比例代表区でも政党(またはその政党のリストに載っている一人)に投票し、それぞれ別々に当落が決定するシステムです。本来別々に決まるものですが、重複立候補が可能なため、小選挙区で落選した候補が比例代表区で当選することも起こり得ます。「敗者復活」なんて言われたりしますが、それは小選挙区を中心にした見方であって、本来は「敗者復活」などではなく、あくまでも比例区で当選した人、なわけですね。恥じ入ることは何もない。
さて、小選挙区制は相対一位を決定する方式ですから、話が簡単です。本当は決戦投票をするかどうか、とか、移譲式にするかどうか、とかあるんですが、小選挙区制の話をしたいわけではないので、ここでは省略します。それにそもそも、私は小選挙区をなくしたいという立場ですしね。
では、比例代表をメインにするとして、どういった比例代表制にするのが良いのでしょうか。ここでは、(繰り返しますが)比例代表メインの制度に変える、というのがダントツ第一位の目的であり、どのような比例代表にするかという議論は二次的なものであるという立場を表明した上で、折角ですのでこの話も展開したいと思います。
※以下、多少話を簡単にしていますので、不正確なところがあるかもしれませんが、あらかじめお詫びします。
【方式】(よくご存知の方は飛ばして先に進んでいただいて構いません)
まず、現行の比例区の方式を見てみましょう。各政党は候補者の名簿を届け出ます。有権者は名簿を届け出た政党に投票します。名簿には順位がふってあって、各党ごとに何人当選したかが決まれば、上位の候補者から順に当選が確定します(小選挙区との重複立候補に関係する惜敗率などの詳細は省略します)。重複立候補のことをおいておけば、いわゆる「拘束名簿式」、ということになります。まあ運用面では、重複立候補を多くしてあまり拘束という感じではなくなっている政党もあるようですが。いずれにしても、一応は「政党を選ぶ」方式の投票です。
拘束名簿式でなければどうなるかというと「非拘束名簿式」になります。すこし前から参議院の比例代表はそうなっていますね。政党名で投票しても良し、名簿に登載された候補者個人の名前を書いても良し、という制度です。各党ごとの当選者は、候補者個人名への投票であっても、その候補が属する党への投票とみなし、総得票数に応じて分配されます。名簿に登載された候補のうち誰が当選するかは、個人名での投票の多寡によって左右されます。
なお昔は(前世紀は、と言うとなんかカッコイイですね。違うか)、拘束名簿式でした。順位は届出政党が決めていたわけですね。
いったんまとめ。
「比例代表制」ですから、当選人数は、その党への投票にほぼ比例して分配されます。直接政党名を書くにしろ、その政党に属する候補者の個人名を書くにしろ、基本的にはその政党への投票です(本当は、さらにどう各党に当選者数を分配するかでも色々方式がありますが省略します。日本の場合は「ドント式」というやつですね)。
で、問題は、各党ごとに当選人数が決まったら、その当選人数の中に誰が入るかです。
「拘束名簿式」なら政党があらかじめ決めた順番で、
「非拘束名簿式」ならその政党が届け出た名簿のうち個人得票の多い順に、
ということになります(かなり単純化して言っていますが)。
もうちょい複雑な方式があります。ドイツなどで実施されている、「小選挙区比例代表併用制」というものです。日本の衆議院で実施されている「並立制」とは一文字しか変わりませんが、制度論上はまったく違うものです。「小選挙区」と入ってはいますが、基本的には比例代表制と思っていただければいいでしょう。個人的には、中長期的にはその「小選挙区」の部分がいろいろ悪さをするのではないかと思っていますが、それは後ほど。
有権者は政党と小選挙区の候補と二回投票します。が、基本的には、各党の議席は比例代表で配分されます。では、比例代表で「誰が」当選するか、というと、まず、小選挙区で1位になった人が入ります。たとえば比例で30議席配分された党が、小選挙区で10人の候補が1位になったとすると、まずその10人が当選します。残りの20人は、比例名簿の順位に従って決まります。ですから、基本的には比例代表制です。
比例で10人しか配分がないときに20人小選挙区で1位になっちゃったらどうするか?その時は、定数が増えます。「超過議席」ってやつですね。無所属の候補が1位になった場合も同様です。なので、完全に比例代表というわけではありません。が、まあおおむね比例代表だと思っていいでしょう。
そういうわけで、この「併用制」は、かなり強引に言うならば、「非拘束名簿式」の変形版と言ってもいいのかもしれません。かなり強引ですが。共通点は、各党の議席配分数は比例代表で決まるものの、そこに候補者個人への投票が加味される、ということです。
【で、要するに何が言いたいのかと言うと…】
ついうっかり長々と書いてしまいましたが、要するに、個人に投票する意味は一体あるんだろうか?というのが、私の問題意識なのです。各党への議席配分は比例で決まるわけですから、国会内での政党間の力関係は、とりあえず誰が当選するかというのは二次的な問題です(個人個人の交渉力とかはあえて二次的とみなしています)。その上で、個人に投票するというのはどういう意味があるのか、と。
前エントリでも書きまたが、現代政治をすすめる上で、個人ができる範囲というのはどうしても限られるでしょう。スーパーマンみたいな人が何百人と集まるわけがない。どうやったって分業が必要になります。各党の中で。とすると、なんだかんだ言っても、結局個々の議員は所属政党の意向で動くわけですよね。自民党でさえ、たいていの問題についてはそうですよね。だから、たまに党の決定と違う行動をとると、わざわざ「造反」なんて言われたりする。
だとすると、一体個人名を書く意味はどこにあるのか。
全国一区の非拘束名簿式ならばまだわかります。選挙後、その党で力を持って欲しい人に得票が集まれば、その党もその候補の意向を無視できなくなるだろう、という「期待」が持てますから。しかし、比例区の区割りが狭かったり、小選挙区との併用だったりしたらどうでしょうか。
さらに言えば、各党のなかで誰に影響力を持ってほしいか、というのは、これは本来公的な選挙で決まるものではなく、その党内の事情のはずです。つまり、誰が執行部に入るか、とか、誰の意向を尊重してほしいか、というところに影響力を行使したいのであれば、公的な選挙でではなく、その党になんらかの形で働きかけたり、あるいはその党に入って、党員として行動するのが筋ではないか、と思うわけです。
【組織と個人】
実は、こう書いている私自身も、以前は非拘束名簿式がいいのではと考えていました。個人名で投票できるというところに魅力を感じていたのですね。しかし、しばらく前から-どこかで急に考えが変わったわけではないのですが、数年前ぐらいからでしょうか-、それはどうも違うのではないか、と思うようになってきました。
非拘束式のよく言われる問題点に、タレント候補が出ると、タレント候補が大量の得票をして、しかしその得票は所属する政党のものでもあるわけですから、タレント候補に乗っかる形で他の候補まで当選してしまう、というものがあります。それは確かに問題としてあるわけですが、しかし私は本質的な問題ではないと考えています。
問題の根っこには、どうも、「組織」は悪で、「個人」は善、というボンヤリとした発想があるのではないか、という気がしています。明快な根拠があるわけではないのですが、色々と発言を見ていると、そう感じるのですね。
たとえば、自民党について常々批判しつつも、選挙になると自民党の候補に投票する人なんてのはザラにいるわけです(自民党に限りませんが)。こういう行動は、「悪いのは自民党で、うちの選挙区の自民党議員ではない。むしろ、うちの選挙区の自民党議員が率先して、自民党内部での改革を頑張ってほしい」みたいな発想に基づいている場合がおうおうにしてあるのではないでしょうか。小泉の「内部からぶっつぶす」というようなスローガンはその最たるものなのだと思います。
でも、結局その選挙区で通った自民党の議員も、やってることは自民党の議員として自民党の決定に従って行動してるんですよね。だから、個別の議員は良いけれども、っていうのは、実は自分の投票行動を自分で納得させるための自己欺瞞なのではないか、とすら思うのです。
消費税導入の時なんかもそうでしたが、一つの政党内で、賛否がわかれるなんてのは実に無責任だと思うのですよね。喫緊の課題でなければまた話は違いますが、争点になっていることについて、同じ党でもAさんは○でBさんは×、でも党としては○と言っている、なんてなったら、投票する人は困ります。Bさんの選挙区では、×と言ってることを信じてBさんに投票する人も多いでしょうが、いざ国会での議決のときは、まあBさんも○と投票するのですよね。
近代政党ってのは、組織政党なわけです。自民党みたいな議員政党(実態としてはまあそうでしょう)は、形態としては前近代的ですよね。大体簡単に離合集散できるってところがおかしいわけで。それでも国会内での行動は組織として行われるわけです。そして、それは現代であればどうやったってそうなるし、むしろ党内で個別の分野のエキスパートを持ち、官僚にも対抗できるような力量を政治家が持とうとしたら、それがほぼ唯一の解となるでしょう。だとすると、良くも悪くも組織として動かないとどうにもならないわけです。
だから、私が拘束名簿式の方がいいのではないか、と思うのは、そういう「個人」に対する幻想を捨て、現実を見るためにはそれが良いのではないか、と思うからなのです。なんというかな、個人に投票することで、政党内部の人事にまで参画しているかのような幻想を持ってしまっているような気がしてならないのですよ。それがしたいならその党に入れ、と。それが筋だろう、と。
拘束式といえども名簿に個人名は載っているわけですから、どういう人を載せ、どういう順位をつけているかまで含めて、その政党を評価したらよろしい。そういう人事も政党の能力としては重要だと思うのです。
【結論】
長々と書きましたが、言いたいのは、実態は組織で動いてるんだから、組織に投票した方がクリアでいいじゃん、変な幻想も持たずに済むし、ということです。
最後に繰り返しますが、私にとっては比例代表がメインの制度に変わることが第一の希望であって、どういう比例代表がいいかについてそれほど拘りがあるわけではありません。ただまあ考えていくと、こういうのがいいんじゃないかな、と、まあその程度の話です。考える際の材料にしていただければ幸いです。マスコミを見ていてもあまりこういう意見が載らないので。
(公開直後に書き忘れたのを思い出したのでちょっと追記)
無所属や個人を活かすには、参議院を活用するような制度設計をするべきなのだと思います。衆議院は政党間のぶつかり合いにして(なぜ政党かは上に書いたとおり)、参議院はそれとは違う特色を出して、そこを救う、と。具体的にどうすべきかはまだ考えがまとまりませんが…。
衆議院の選挙制度は比例代表だけにしよう
現行の衆議院の選挙制度は「小選挙区比例代表並立制」というものになっているわけですが。私は、この小選挙区制というものが、色々な点で政治を歪めていると常々思っているのです。無論、大量の死票が生まれ、得票率と議席率の乖離が甚しいという点が大きいわけですが、それだけではない。国会のありかたという点からも、小選挙区制が望ましいとはとても思えないのです(もちろん、この二点は強く関連しているわけですが)。
いまの選挙戦も、まるで争点が「政権選択」であるかのような-その先がどうなるかは付加的な問題であるという気にさえさせられる報道で満ちている-感じですが、果たして国会というものはそれでいいのか。国会が議論をする場である以上(代議士というくらいですからね)、国民の意見をなるべく反映してもらうように議席を配分するのが良いのではないかと思うわけです。小選挙区制の「メリット」として語られるものの中に、「どちら」が政権を担当するかが明瞭に出る、というのがあるわけですが、それを「メリット」などとはとても思えないのです。
それに、小選挙区にしたら政権交代がおこりやすくなるかというと、そんなことはない。試しに総務省のデータ を見てみましょう。下に、小選挙区、比例代表区それぞれの得票率を示します。数値は前回2005年のものと、前々回2003年のものです。前回は小泉郵政「改革」選挙のもので、自民党が300議席取ったやつですね。
総選挙小選挙区得票率(%)
総選挙比例代表区得票率(%)
小選挙区は、公明党や社民党など一部の選挙区にしか候補を立てない政党があるので、政党間の力関係を正しく反映したものではありませんが、それでも自民党は過半数の得票ではないのですよね。2005年の小選挙区での議席数は、自民党219、民主党52。実に4倍以上の違いですが、得票率では高々1.2倍の違いしかありません。
比例区ではより正しく政党間の関係がわかると考えられますが(小選挙区とのバーターをやってる場合もあるので多少のズレはあるでしょうが)、自民党の得票率は、2005年でさえ38%しかない。公明党と合わせてギリギリ過半です。その前2003年では、自公で50%を下回ります。もちろん議席配分をドント式で行えば多少は大政党に有利になりますから、議席は2003年でも自公でなんとか過半数になるかもしれません。でも、こっちの方が、政権交代は起きやすそうですよね。
比例代表一本に絞ることのメリットは、ストレートに政策で投票できることです。自公を政権から降ろしたければ、とにかく自公以外に投票すればよい。これが小選挙区だと、自公を落とすためにはどうしよう、という判断が入ってくることになります。今回の選挙でも、民主党が地滑り的勝利を納めそうですが、新政権への有権者の期待はかなり低い。これは政策で選んでいるのではなく、政権を誰が担当するのか(彼らが何をやるのかはさておいて)で選んでいるからでしょう。
比例代表制になっていれば、自公を降ろすのに、どういう政策が望ましいのかまで合わせて示すことができます。つまり、単に政権担当者を変えるというのではなく、どういう方向で変えたいのかを有権者の意思として示すことができる。国会の姿としては、この方がはるかに健全ではないでしょうか。
もう一つ付け加えると、なにせ複雑な世の中ですから、議員といえども個人で理解できる範囲というのは限られます。そこで政党という集団が必要になる(という言い方は、本当はあまりにも皮相なのですが、そのあたりは今回は措いといて)。とすると、どういう候補をどういう順位でリストに並べるかまで含めて、本来は選ぶべきだろうと思います。いまの(参院)比例区のように、個人へも投票するような方式はやめるべきでしょう(リストへの投票に絞るべき)。もちろん、小選挙区を廃止するほうがずっと重要ですけれども。
比例にしても政権交代は十分起き得ます。それに対して、小選挙区にして「二大政党」以外の意思が淘汰されることのデメリットは民主主義という観点からは破壊的に大きいと言わざるを得ません。小選挙区の本家と言われるイギリスでも、比例代表を求める世論は年々大きくなっている と聞きます(EU議会選はイギリスでも比例代表だし、最近設置されたスコットランドなどの議会も実質比例代表[小選挙区比例代表併用制]ですね)。
国会を、まるで我々から隔絶した「お上」のようにするのではなく、我々の意見を反映した「精鋭」によって議論する場としていくためには、比例代表一本にするのがいいと考えます。民主党は比例区の定数を減らしたがっているようですが、それはいかんでしょう。
(つづき:どんな比例代表制が望ましいのか )
いまの選挙戦も、まるで争点が「政権選択」であるかのような-その先がどうなるかは付加的な問題であるという気にさえさせられる報道で満ちている-感じですが、果たして国会というものはそれでいいのか。国会が議論をする場である以上(代議士というくらいですからね)、国民の意見をなるべく反映してもらうように議席を配分するのが良いのではないかと思うわけです。小選挙区制の「メリット」として語られるものの中に、「どちら」が政権を担当するかが明瞭に出る、というのがあるわけですが、それを「メリット」などとはとても思えないのです。
それに、小選挙区にしたら政権交代がおこりやすくなるかというと、そんなことはない。試しに総務省のデータ を見てみましょう。下に、小選挙区、比例代表区それぞれの得票率を示します。数値は前回2005年のものと、前々回2003年のものです。前回は小泉郵政「改革」選挙のもので、自民党が300議席取ったやつですね。
総選挙小選挙区得票率(%)
年 | 自民党 | 民主党 | 公明党 | 共産党 | 社民党 | 国民新党 |
2003 | 43.85 | 36.66 | 1.49 | 8.13 | 2.87 | -- |
2005 | 47.77 | 36.44 | 1.44 | 7.25 | 1.46 | 0.64 |
総選挙比例代表区得票率(%)
年 | 自民党 | 民主党 | 公明党 | 共産党 | 社民党 | 国民新党 |
2003 | 34.96 | 37.39 | 14.78 | 7.76 | 5.12 | -- |
2005 | 38.18 | 31.02 | 13.25 | 7.25 | 5.49 | 1.74 |
小選挙区は、公明党や社民党など一部の選挙区にしか候補を立てない政党があるので、政党間の力関係を正しく反映したものではありませんが、それでも自民党は過半数の得票ではないのですよね。2005年の小選挙区での議席数は、自民党219、民主党52。実に4倍以上の違いですが、得票率では高々1.2倍の違いしかありません。
比例区ではより正しく政党間の関係がわかると考えられますが(小選挙区とのバーターをやってる場合もあるので多少のズレはあるでしょうが)、自民党の得票率は、2005年でさえ38%しかない。公明党と合わせてギリギリ過半です。その前2003年では、自公で50%を下回ります。もちろん議席配分をドント式で行えば多少は大政党に有利になりますから、議席は2003年でも自公でなんとか過半数になるかもしれません。でも、こっちの方が、政権交代は起きやすそうですよね。
比例代表一本に絞ることのメリットは、ストレートに政策で投票できることです。自公を政権から降ろしたければ、とにかく自公以外に投票すればよい。これが小選挙区だと、自公を落とすためにはどうしよう、という判断が入ってくることになります。今回の選挙でも、民主党が地滑り的勝利を納めそうですが、新政権への有権者の期待はかなり低い。これは政策で選んでいるのではなく、政権を誰が担当するのか(彼らが何をやるのかはさておいて)で選んでいるからでしょう。
比例代表制になっていれば、自公を降ろすのに、どういう政策が望ましいのかまで合わせて示すことができます。つまり、単に政権担当者を変えるというのではなく、どういう方向で変えたいのかを有権者の意思として示すことができる。国会の姿としては、この方がはるかに健全ではないでしょうか。
もう一つ付け加えると、なにせ複雑な世の中ですから、議員といえども個人で理解できる範囲というのは限られます。そこで政党という集団が必要になる(という言い方は、本当はあまりにも皮相なのですが、そのあたりは今回は措いといて)。とすると、どういう候補をどういう順位でリストに並べるかまで含めて、本来は選ぶべきだろうと思います。いまの(参院)比例区のように、個人へも投票するような方式はやめるべきでしょう(リストへの投票に絞るべき)。もちろん、小選挙区を廃止するほうがずっと重要ですけれども。
比例にしても政権交代は十分起き得ます。それに対して、小選挙区にして「二大政党」以外の意思が淘汰されることのデメリットは民主主義という観点からは破壊的に大きいと言わざるを得ません。小選挙区の本家と言われるイギリスでも、比例代表を求める世論は年々大きくなっている と聞きます(EU議会選はイギリスでも比例代表だし、最近設置されたスコットランドなどの議会も実質比例代表[小選挙区比例代表併用制]ですね)。
国会を、まるで我々から隔絶した「お上」のようにするのではなく、我々の意見を反映した「精鋭」によって議論する場としていくためには、比例代表一本にするのがいいと考えます。民主党は比例区の定数を減らしたがっているようですが、それはいかんでしょう。
(つづき:どんな比例代表制が望ましいのか )
『an・an』御提案のブラハラ対策
前回
のコメント欄で、Jさんから「もっとやらんかいッ!!」(意訳)と励ましのお便りをいただいたので、ABO FANさん監修の武将の話に行く前に、もう少し紹介してみる(コメント欄での対応に精神的に疲れたのでというのもあるのですが)。
で、同じくコメント欄で、B研さんから「ブラハラという言葉の一般化が進めば良いと思います」とのコメントもいただいた。確かにその通りで、言葉というものはある概念を確立する上で大変重要な役割を果たすものだと思うし、「ブラハラ」の一言で、その単語がなければ大量の言葉を使って説明しなきゃいけないことがたちどころに伝わる(どこまで正確かどうかは別にして)。というわけで、「ブラハラ」普及活動(「ブラハラ普及」活動じゃなくて、「ブラハラ」普及活動ですよ!)の一環として、『an・an』の「ブラハラ対抗術」のコーナーを、もう少し紹介してみよう。
前回紹介したように、このコーナー(「誤解と偏見を吹き飛ばす!? ブラッドハラスメント対抗術」、p.80-81)は、各血液型の人に対して、4種の血液型それぞれからどのようなことを言われるのかを示し、そして各血液型ごとに「原因」と「対策」をアドバイスするものとなっている。ってわかりにくいな。ええと、前回A型を例に少し紹介したので、今回はB型にしようか。B型のは、Oからは「いい加減で、口先ばっかり」、Aからは「野蛮よね!」、Bからは「人の邪魔ばかりしないで!」、ABからは「ウソつきの顔してる」(これヒドイよねえ)と言われることになっているらしい。それぞれの「一言」について、若干詳しい解説がついている。とてもヒドイAB→Bについて引用すると、
こんなのが、Bだけじゃなく、A, O, ABそれぞれにも書かれている。
次に原因と対策。これは、各血液型について4種類のみ(AB→Bとかじゃなくて、B型の人にたいするアドバイス、ということ)。折角なので、B型の原因と対策を紹介しておこう。
対策のほうはもう完全に誰に対しても当てはまる話。当てはまるというか、社会人として気をつけなきゃいけない当たり前のことでしょう。
まあ万事がこんな調子で、まさにブラハラ被害者に対する二次加害を2ページにわたって繰り広げている特集なのであるが、面白いので「典型的なブラハラ発言」として出しているものを一覧にしておこう。
最後に、「あえて振る舞う、血液型かく乱術」の一覧も出しておこう。前のエントリでは、一番最初の「みんなが盛り上がってる席でも、突然「帰るから」と言い、本当に帰る」という「AB型演出術」についてるコメントを紹介したが、ここでは詳しいコメントは抜きにして、何をやるか、そしてそれが何型の演出術なのかの一覧を書いておこう。
というわけで、ブラハラに気をまわさざるを得ない状況に追い込んだという点では一歩前進ですが、基本的にブラハラ推進雑誌の中なので、「対策」なるものはかえって悪質。だいたい、2ページにわたって書いてるのに、ブラハラ自体への批判は皆無ですよ。タイトルの下には「相手に悪気はないとわかっていても」って、悪気がなきゃいいのかよ! セクハラだってパワハラだって、悪気があるとは限らんだろうが。血液型で人を判断してしまうこと自体がブラハラなんだから、ブラハラ対策と称して血液型別ブラハラ及び血液型別ブラハラ対策なんぞを載せることがブラハラそのものなのだ。
→次の『an・an』についてのエントリ
で、同じくコメント欄で、B研さんから「ブラハラという言葉の一般化が進めば良いと思います」とのコメントもいただいた。確かにその通りで、言葉というものはある概念を確立する上で大変重要な役割を果たすものだと思うし、「ブラハラ」の一言で、その単語がなければ大量の言葉を使って説明しなきゃいけないことがたちどころに伝わる(どこまで正確かどうかは別にして)。というわけで、「ブラハラ」普及活動(「ブラハラ普及」活動じゃなくて、「ブラハラ」普及活動ですよ!)の一環として、『an・an』の「ブラハラ対抗術」のコーナーを、もう少し紹介してみよう。
前回紹介したように、このコーナー(「誤解と偏見を吹き飛ばす!? ブラッドハラスメント対抗術」、p.80-81)は、各血液型の人に対して、4種の血液型それぞれからどのようなことを言われるのかを示し、そして各血液型ごとに「原因」と「対策」をアドバイスするものとなっている。ってわかりにくいな。ええと、前回A型を例に少し紹介したので、今回はB型にしようか。B型のは、Oからは「いい加減で、口先ばっかり」、Aからは「野蛮よね!」、Bからは「人の邪魔ばかりしないで!」、ABからは「ウソつきの顔してる」(これヒドイよねえ)と言われることになっているらしい。それぞれの「一言」について、若干詳しい解説がついている。とてもヒドイAB→Bについて引用すると、
分析力抜群なAB型は、手の内を明かさず行動するマイペースなB型を、ごまかし上手と判断しがち。"隠し事をしている"と思いやすいAB型には、日時や場所など証拠となる事柄を織り交ぜながら話して。だって。これって、Bに対してもヒドイ言い草だけど、ABに対してもムチャクチャだよねえ。
こんなのが、Bだけじゃなく、A, O, ABそれぞれにも書かれている。
次に原因と対策。これは、各血液型について4種類のみ(AB→Bとかじゃなくて、B型の人にたいするアドバイス、ということ)。折角なので、B型の原因と対策を紹介しておこう。
原因 アイデアが斬新で冒険心に富み、怖いものなしで行動し、すぐ飛びつくわりには飽き性。自分流のスタイルを貫くので枠からはみ出ることが多く、規律無視は日常茶飯事。好き嫌いが激しくて嫌いなことは見向きもしない。どう思います?勝手な決めつけと、誰にでも当てはまる言説の組み合わせ。「すぐ飛びつくわりには飽き性」なんて言い回しも、「飽き性なわりにはすぐに飛びつく」でだいぶ印象変わるのだけど、言ってることは同じ。そういう二面性は誰にもあるもんで、そう言われたら「そう言われればそうかな」と誰だって思うだろう。「規律違反は日常茶飯事」ってのも無茶苦茶だけど、どういう類の規律かを書いてないので、重大な規律違反かもしれないし、落ちてた100円玉をくすねてしまった、ぐらいの規律違反かもしれない。電車・バスでお年寄りに席譲らなかった、なんてのも、規律無視と言われれば「そうかなあ」と思いますよね。
対策 その場のノリで話してしまうと、自分では楽勝だと思っても、じっくり考えたら実行できないことも出てくるはず。相手に期待を持たせて約束違反にならないように。できそうにないことは最初から口にしないほうがいいでしょう。
対策のほうはもう完全に誰に対しても当てはまる話。当てはまるというか、社会人として気をつけなきゃいけない当たり前のことでしょう。
まあ万事がこんな調子で、まさにブラハラ被害者に対する二次加害を2ページにわたって繰り広げている特集なのであるが、面白いので「典型的なブラハラ発言」として出しているものを一覧にしておこう。
A→A いちいち小うるさいんだから…よくもまあこんだけ悪口考えつくもんだ。というか、こういう悪口を広めてきたのはan・an、アンタらだろうがッ!!!
O→A ほら、またくだらないこと言ってる
B→A ホント、足手まとい!
AB→A いてもいなくても同じじゃない?
A→B 野蛮よね!
O→B いい加減で、口先ばっかり
B→B 人の邪魔ばかりしないで!
AB→B ウソつきの顔してる
A→O ズボラで無神経すぎ
O→O 実力ないくせにイバってる
B→O 存在が暑苦しい!
AB→O 学習能力ゼロだよね
A→AB 自己チューで冷酷
O→AB あー、陰気が移る
B→AB ケチくさっ!
AB→AB ズル賢いよね
最後に、「あえて振る舞う、血液型かく乱術」の一覧も出しておこう。前のエントリでは、一番最初の「みんなが盛り上がってる席でも、突然「帰るから」と言い、本当に帰る」という「AB型演出術」についてるコメントを紹介したが、ここでは詳しいコメントは抜きにして、何をやるか、そしてそれが何型の演出術なのかの一覧を書いておこう。
AB: みんなが盛り上がってる席でも、突然「帰るから」と言い、本当に帰る。いや~、こうやってブラハラは拡大していくんですなあ。こんなの完全にステレオタイプの植付けじゃん。大体、「一大事、一大事!」なんて、ただのバカじゃんか。
A: 初めてのお店には入りたがらない。
O: 飲み会では必ず場を仕切る。
A: 「一大事、一大事!」とひとり気をもんで、大騒ぎしまくる。
O: 上司にも突っかかっていく。
B: 都合が悪いことは、すっとぼける。
AB: 常に書物を持ち歩く。
B: 多数決の場面では、少数派にまわる。
O: カラオケでは真っ先に歌いだす。
AB: 最初と最後の帳尻だけはうまく合わせる。
B: みんなの知らないマイナーなものを「レアだから」と好む。
A: 礼状やお礼メールを欠かさない。
というわけで、ブラハラに気をまわさざるを得ない状況に追い込んだという点では一歩前進ですが、基本的にブラハラ推進雑誌の中なので、「対策」なるものはかえって悪質。だいたい、2ページにわたって書いてるのに、ブラハラ自体への批判は皆無ですよ。タイトルの下には「相手に悪気はないとわかっていても」って、悪気がなきゃいいのかよ! セクハラだってパワハラだって、悪気があるとは限らんだろうが。血液型で人を判断してしまうこと自体がブラハラなんだから、ブラハラ対策と称して血液型別ブラハラ及び血液型別ブラハラ対策なんぞを載せることがブラハラそのものなのだ。
→次の『an・an』についてのエントリ
『an・an』血液型特集号(8.12/19合併号)
前エントリでも少し触れたが、『an・an』の血液型特集号が現在発売中である。ピンクの表紙。そこら中に平積みになっていたり、コンビニでも目立つところにあったりするので、お気付きの方も多いだろう。…とここまで書いて雑誌のウェブにリンクを張ろうと『an・an』のウェブページを見たら、次の号が発売ですね。欲しい方(?)は急いで。
で、最近は便利になったもので、中身の一部まで公開してくれちゃっている。ちょっと見てみて欲しい。
→こちら
…頭が痛くなるだろう。ちなみに第二特集は「方位術」である。なんというか「やっちゃった」感で一杯なのだが、これだけ売れているのだから「なるほど」と思って買う人々が大勢いるということなのだろう。ヤレヤレである。
表紙のド真ん中には「その知識 更新してますか? 血液型の真実」と書いてあるのだが、「真実」なんかこれっぽっちも書いちゃいねえ…という口調になるほど噴飯モノである。
なお、昨年度も同様の特集号を出していた。それについては昨年のエントリを参照されたい(『an・an』の血液型特集:ダメだこりゃ )。血液型と前世を組み合わせたトンデモ話を展開している。
さて、血液型特集の冒頭(p.22)は、「脳タイプ」の判定テストである。前回も紹介したように、今年の特集では、血液型と「脳タイプ」を組み合わせていることが特徴である。どんなことを書いているか、少し引用しよう。
さてさて、「脳」である。典型的なステレオタイプ的「右脳・左脳」論と、わかったようなエエカゲンな「男脳・女脳」論の組合せだ。それぞれどういう特徴付けがなされているかを見ておく。これは「判定テスト」の結果の説明の文章である。なお、詳しい文章は省略して、見出しだけにする。
次のページからは、血液型と、脳タイプの左右・男女別に分析がなされる。たとえば、p.24,25には見開きでA型の場合の「あなたの気質」が、p.26,27には「脳タイプで判明する恋愛傾向と相性」が載っている。各血液型について、右脳×男脳、右脳×女脳、左脳×男脳、左脳×女脳、という具合に4種類づつ。さらに相性については、それぞれに対して「彼」の血液型で分類されている(「彼」の脳タイプはどうでもいいらしい)。こりゃ読むのも大変だ。自分が当てはまるところ以外を読む人はほとんどいないだろう。
ちなみに個別の脳タイプの話に行く前に、各血液型の総評が色々と書いてあるのだが、A型のものは、冒頭がこうである。
ちなみに「農耕民族」でググると、「他のキーワード」に「農耕民族 A型」なんてのも出てくるので、どうもA型=農耕民族、という設定は、結構あるらしい。困ったものである。
どうでもいいツッコミというか嘆きなのだが、p.25の解説文の背後のイラストに、なぜか「E=Mc2」と書いてある。勘弁してくれ。
こんなのが延々つづくわけであるが(各血液型で4ページであるから16ページも!!)、その後に、「今をときめく」女性4人の「血液型心理テスト」の回答が載せられている。それを見て、それぞれの女性の血液型を当ててください、というのである。いわゆる「血液型当てっこ」だ。4人の女性とは、木下優樹菜、水川あさみ、吉高由里子、福原愛である。愛ちゃん、こんなことしてちゃいけないよ!!
ちなみに上述のアンアンのウェブサイトにはFROM EDITORSというコーナーがあって、そこでは木下優樹菜の血液型を当てられた人は編集部にはいなかった、という正直な告白が載っている。つまり、役には立たん、ちゅうこっちゃな。
4人の女性の次は、4人の男性である。「注目男子の本音トークつき。血液型が導く、恋愛&婚カツ必勝法。」だってよ。で、A, B, O, ABの男子が登場である。◯型男子の攻略法、てなコラムもあって、それぞれ「年下の◯型くん」「同い年の◯型くん」「年上の◯型くん」ごとに対策が書かれている。このコラムを書くにあたって話を伺ったのが、矢作美和、勝木友香という人々。前者は編集プロダクションの代表(血液型に関する著書もあるそうだ)、後者は放送作家。
続いて「結婚への近道はここに! 女性の血液型別・正しい婚活のススメ。」だってよ。ここは一気にザックリと、血液型ごとに述べられているにすぎない。ここも矢作・勝木の両氏のコメントが。
…このペースで紹介してたら終わらんな。(^^;;
グループの行動とかも面白そうなんだが、そこは飛ばして、「血液型別ムーンセラピー」もツッコミどころ満載なのだがスキップして(ここはもう本当にどの血液型についても誰にでも当てはまることしか書いていない。そして、それぞれに適切とされるグッズが価格入りで紹介されている。アイピローとかリラックスのためのCDとか。で、満月の日、とか、新月の日、とか、その中間の日、とかで色々「アドバイス」がなされている)、色々スキップして、これだけ紹介しておこう。
たとえばA型の人がO型から言われる言葉が「ほら、またくだらないこと言ってる」。いや、言われる内容は別にそれだけじゃないだろう。でも、この一言で代表させられちゃっている。で、その解説が、
下欄には、「あえて振る舞う、血液型かく乱術」と題して、血液型を演出する方法が載っている。たとえば、
まあ万事こんな調子なのです。ブラハラ対策と言ってはいるが、こりゃブラハラ被害者に対する二次加害だよ。
さて、あと最後にもう一つ特集が残っているのだが、それはまた次回。なんせABO FANさんも関わっている特集だから、もう少し丁寧に紹介してあげないと可哀そうだろう。(^^)
もっと後ろには江原啓之のコラムがあったり(動物が霊的に云々とまたエエカゲンな話を書き散らしとる)、色々ツッコミたいところは多いのですが。広告もスゴイしなあ。
で、最近は便利になったもので、中身の一部まで公開してくれちゃっている。ちょっと見てみて欲しい。
→こちら
…頭が痛くなるだろう。ちなみに第二特集は「方位術」である。なんというか「やっちゃった」感で一杯なのだが、これだけ売れているのだから「なるほど」と思って買う人々が大勢いるということなのだろう。ヤレヤレである。
表紙のド真ん中には「その知識 更新してますか? 血液型の真実」と書いてあるのだが、「真実」なんかこれっぽっちも書いちゃいねえ…という口調になるほど噴飯モノである。
なお、昨年度も同様の特集号を出していた。それについては昨年のエントリを参照されたい(『an・an』の血液型特集:ダメだこりゃ )。血液型と前世を組み合わせたトンデモ話を展開している。
さて、血液型特集の冒頭(p.22)は、「脳タイプ」の判定テストである。前回も紹介したように、今年の特集では、血液型と「脳タイプ」を組み合わせていることが特徴である。どんなことを書いているか、少し引用しよう。
2つの脳タイプ判定テストで、血液型診断がより緻密に。…どうしたらいいのだ。"ブレインメイト"の育て方なんて把握しちゃったら、「理想的な恋愛」を手に入れる前になんかモノスゴイ学術的な賞とか手に入れられちゃいそうだが。
人間の心身の健康を保つために、重要な役割を担っている血液と脳。「血液型が性格や行動パターンに大きな影響を及ぼしているのと同じく、脳の思考タイプも個人の考え方や適性に様々な作用をもたらします。今回は、右脳タイプか左脳タイプか、そして男脳タイプか女脳タイプかを判定する2種類のテストを血液型と組み合わせ、本来の自分に備わっている性質や"脳力"を導き出します」(「G・ダビデ研究所」オフィリア・麗さん)
どんな「脳力」が自分に備わっているのかも、P.24からの脳内イラストでチェックして。「◯◯力」の文字のサイズが大きいほど、その力が他のタイプに比べて秀でていることを示唆。
「小さな文字で表されているのは、脳の奥底に潜んでいて発達しきれていない脳力。その開発法も解説するので、ブレインエクササイズに励んで。脳と脳が共鳴し合う運命的なパートナー"ブレインメイト"の育て方を把握すれば、理想的な恋愛が手に入るのも間近」
さてさて、「脳」である。典型的なステレオタイプ的「右脳・左脳」論と、わかったようなエエカゲンな「男脳・女脳」論の組合せだ。それぞれどういう特徴付けがなされているかを見ておく。これは「判定テスト」の結果の説明の文章である。なお、詳しい文章は省略して、見出しだけにする。
右脳タイプ: イメージ力高い、ひらめき派。…なんというか、かんというか。女性誌がこんなこと言ってていいのか、という気がするのだが…ジェンダーって聞いたことある?とか編集部には訊いてみたい。
左脳タイプ: 頭の回転が速い、思考派。
男脳タイプ: 主体性に富み、冒険心も旺盛。
女脳タイプ: 環境に柔軟に溶け込む感性が。
次のページからは、血液型と、脳タイプの左右・男女別に分析がなされる。たとえば、p.24,25には見開きでA型の場合の「あなたの気質」が、p.26,27には「脳タイプで判明する恋愛傾向と相性」が載っている。各血液型について、右脳×男脳、右脳×女脳、左脳×男脳、左脳×女脳、という具合に4種類づつ。さらに相性については、それぞれに対して「彼」の血液型で分類されている(「彼」の脳タイプはどうでもいいらしい)。こりゃ読むのも大変だ。自分が当てはまるところ以外を読む人はほとんどいないだろう。
ちなみに個別の脳タイプの話に行く前に、各血液型の総評が色々と書いてあるのだが、A型のものは、冒頭がこうである。
村での定住生活を営む農耕民族がルーツとされるA型は、…」出た~、「農耕民族」!!イキナリ「農耕民族」とか言っちゃうあたり、底が割れますね。
ちなみに「農耕民族」でググると、「他のキーワード」に「農耕民族 A型」なんてのも出てくるので、どうもA型=農耕民族、という設定は、結構あるらしい。困ったものである。
どうでもいいツッコミというか嘆きなのだが、p.25の解説文の背後のイラストに、なぜか「E=Mc2」と書いてある。勘弁してくれ。
こんなのが延々つづくわけであるが(各血液型で4ページであるから16ページも!!)、その後に、「今をときめく」女性4人の「血液型心理テスト」の回答が載せられている。それを見て、それぞれの女性の血液型を当ててください、というのである。いわゆる「血液型当てっこ」だ。4人の女性とは、木下優樹菜、水川あさみ、吉高由里子、福原愛である。愛ちゃん、こんなことしてちゃいけないよ!!
ちなみに上述のアンアンのウェブサイトにはFROM EDITORSというコーナーがあって、そこでは木下優樹菜の血液型を当てられた人は編集部にはいなかった、という正直な告白が載っている。つまり、役には立たん、ちゅうこっちゃな。
4人の女性の次は、4人の男性である。「注目男子の本音トークつき。血液型が導く、恋愛&婚カツ必勝法。」だってよ。で、A, B, O, ABの男子が登場である。◯型男子の攻略法、てなコラムもあって、それぞれ「年下の◯型くん」「同い年の◯型くん」「年上の◯型くん」ごとに対策が書かれている。このコラムを書くにあたって話を伺ったのが、矢作美和、勝木友香という人々。前者は編集プロダクションの代表(血液型に関する著書もあるそうだ)、後者は放送作家。
続いて「結婚への近道はここに! 女性の血液型別・正しい婚活のススメ。」だってよ。ここは一気にザックリと、血液型ごとに述べられているにすぎない。ここも矢作・勝木の両氏のコメントが。
…このペースで紹介してたら終わらんな。(^^;;
グループの行動とかも面白そうなんだが、そこは飛ばして、「血液型別ムーンセラピー」もツッコミどころ満載なのだがスキップして(ここはもう本当にどの血液型についても誰にでも当てはまることしか書いていない。そして、それぞれに適切とされるグッズが価格入りで紹介されている。アイピローとかリラックスのためのCDとか。で、満月の日、とか、新月の日、とか、その中間の日、とかで色々「アドバイス」がなされている)、色々スキップして、これだけ紹介しておこう。
誤解と偏見を吹き飛ばす!? ブラッドハラスメント対抗術。…どの口が言うかああああっ!!! と叫びたいところであるが、その中身は噴飯モノである。サブタイトルはこうである
"◯型っぽい"とか、"ぽくない"とか。相手に悪気はないとわかっていても、言われてちょっとムッとした経験、ありませんか?そんな"ブラハラ"を招く原因と、各血液型の間で生じやすい軋轢を解明。血液型を"かく乱"する技も伝授!…こんなことやってるオマエがブラハラなんだよッ!! (担当は「マギーさん」)
たとえばA型の人がO型から言われる言葉が「ほら、またくだらないこと言ってる」。いや、言われる内容は別にそれだけじゃないだろう。でも、この一言で代表させられちゃっている。で、その解説が、
太っ腹なO型にとって、A型の気配りは細かすぎていくら聞かされても「ワケわかんない」のが本音。妄想好きのありえない話と、呆れて一周したがるO型なので、ポイントを絞って伝えることが大切です。ってなあ。「またくだらないこと言ってる」って言われる時は、そりゃ関係なさそうなことをグダグダしゃべってる時だろうから、別にA型やO型でなくても「ポイント絞ってしゃべれよ」と思うだろうが。
下欄には、「あえて振る舞う、血液型かく乱術」と題して、血液型を演出する方法が載っている。たとえば、
みんなが盛り上がってる席でも、突然「帰るから」と言い、本当に帰る。これはAB型演出術なのだそうだ。ってAB型に失礼だろうが!!しかも、その解説が、
空気を読みつつも、「オーストリア在住の親戚から連絡が入るから」など、もっともらしい理由をつけるのがAB型流。悪びれずに「ホント残念」と言い残して立ち去って。ってこれのどこがもっともらしいんだよっ!!!
まあ万事こんな調子なのです。ブラハラ対策と言ってはいるが、こりゃブラハラ被害者に対する二次加害だよ。
さて、あと最後にもう一つ特集が残っているのだが、それはまた次回。なんせABO FANさんも関わっている特集だから、もう少し丁寧に紹介してあげないと可哀そうだろう。(^^)
もっと後ろには江原啓之のコラムがあったり(動物が霊的に云々とまたエエカゲンな話を書き散らしとる)、色々ツッコミたいところは多いのですが。広告もスゴイしなあ。
というわけで、とりあえずここまで。
他にも色々紹介したい本(マジメなやつ)とかいろいろあるんですが、なんか今年の夏は忙しくて。お盆休みもロクになかったしなあ。年々どんどん忙しくなってる気がする。やれやれ。
続きはコチラ(「『an・an』御提案のブラハラ対策」)
他にも色々紹介したい本(マジメなやつ)とかいろいろあるんですが、なんか今年の夏は忙しくて。お盆休みもロクになかったしなあ。年々どんどん忙しくなってる気がする。やれやれ。
続きはコチラ(「『an・an』御提案のブラハラ対策」)
メディアにおける血液型性格判断(追記あり)
たまたま、「たけしのニッポンのミカタ!」ってやつを見てました(普段は見ない)。血液型性格判断の話があるというので。ウェブサイトはこちら
。
テーマは「『占い』なしでは生きられない!」で、その中の一つとして血液型性格判断が出てきました。番組の言い方を借りると、「血液型の性格診断を元にした「血液型占い」」ということですが。いや、この部分、なかなか良かったと思います。
ある血液型に特徴的とされる性格特性を10項目選び、街の人300人にアンケート。どの血液型も、平均すると6割前後の項目について「自分に当てはまる」と答えていました。もちろん番組のアンケートなのでサンプリングがどうなってるとかわかりませんが、まあ300人もいれば大体イメージは湧くでしょう。この結果をもとに、広島修道大学准教授の中西大輔氏がいろいろ解説してくれます。メカニズムの話には一切触れず、統計的に根拠がないこと、関連がないにもかかわらずつい信じてしまう心理的メカニズムについて語っていました。
また、聖徳大学の山岡重行氏(この方講師なんですね;ABOFAN氏がよく自説-はないそうですが:p -を補強するのに山岡氏の論文を引用していますが)が、多数派であるA、Oが喜ぶような結果を作れば本が売れるのだ、ということを語っていました(本当にそれを狙って出した本がどれだけあるのかというと、私はちょっと懐疑的ではあるのですが)。マスコミの影響で信じてしまっているのだ、ときっぱり言っていましたね。
妙な「肯定論」も出てこなかったし、ありがちな「人間が4つに分類できるわけがない」という反論にならない反論(印象論としては有効だと思いますが)も出てこなかった。メカニズムの話もせず、手堅く根拠がないということを300人の調査というデモンストレーションを交えて語っていて、説得力があったのではないかと思います。
他のコーナーは…マトモな感覚の持ち主なら(私から見ての「マトモ」ですが)、ここに出てきた「信じてる人」はちょっとひいちゃうなあ。最初の「占い主婦」なんて、勘弁してくれと思ってしまう。家族は大変だわ。
後半の「占い師は当ててはいけない!?」というのも、わかってる人には面白いけど、どこまで伝わるかどうか、ちょっと不安でした。いや、基本的に正しいことを言ってるんですが。つまり、わけのわからん能力で未来を当てるのが占い師なんじゃなく、「未来の可能性を示すこと」、「相談者の願いや希望といったものの後押し」である、ということが強調されていました。
さてさて。
今年も『an・an』の血液型性格判断特集が出ましたね。近日中に内容の報告をしたいと思いますが、わたしゃ中身見てのけぞりましたよ。昨年は「前世」と血液型をカップルさせた「占い」だったわけですが、今年は…
と一人ボケツッコミをやってしまうほどズッコケてしまった。(^^;;
さすが老舗女性誌、世間の流行をおさえておる、と思って読み進めていくと、
…ちなみにこのコーナーの戦国武将のところ、ABO FAN氏が関わっています。
さらにさらに、同じコーナーの最期のトピック。
三浦じゅんに見せたら大喜びするんじゃないか。
うーん。去年のものについてはこのエントリ で取り上げました。そのエントリからリンクも張ってますが、TAKESANさんとこのエントリ「血液型で政治を語る」 のコメント欄の安原さん の嘆きは必見です。
なんというか、「恥を知れッ!!」と叫びたい気分です。
(追記8/16)
下でABO FANさんがコメントしていますが、その中で、番組に登場された中西さんのブログを紹介してくれています。御本人によるコメントであり重要だと思いますのでリンクしておきます。どうぞご覧ください。
たけしのニッポンのミカタ! 「占い」なしでは生きられない!
テーマは「『占い』なしでは生きられない!」で、その中の一つとして血液型性格判断が出てきました。番組の言い方を借りると、「血液型の性格診断を元にした「血液型占い」」ということですが。いや、この部分、なかなか良かったと思います。
ある血液型に特徴的とされる性格特性を10項目選び、街の人300人にアンケート。どの血液型も、平均すると6割前後の項目について「自分に当てはまる」と答えていました。もちろん番組のアンケートなのでサンプリングがどうなってるとかわかりませんが、まあ300人もいれば大体イメージは湧くでしょう。この結果をもとに、広島修道大学准教授の中西大輔氏がいろいろ解説してくれます。メカニズムの話には一切触れず、統計的に根拠がないこと、関連がないにもかかわらずつい信じてしまう心理的メカニズムについて語っていました。
また、聖徳大学の山岡重行氏(この方講師なんですね;ABOFAN氏がよく自説-はないそうですが:p -を補強するのに山岡氏の論文を引用していますが)が、多数派であるA、Oが喜ぶような結果を作れば本が売れるのだ、ということを語っていました(本当にそれを狙って出した本がどれだけあるのかというと、私はちょっと懐疑的ではあるのですが)。マスコミの影響で信じてしまっているのだ、ときっぱり言っていましたね。
妙な「肯定論」も出てこなかったし、ありがちな「人間が4つに分類できるわけがない」という反論にならない反論(印象論としては有効だと思いますが)も出てこなかった。メカニズムの話もせず、手堅く根拠がないということを300人の調査というデモンストレーションを交えて語っていて、説得力があったのではないかと思います。
他のコーナーは…マトモな感覚の持ち主なら(私から見ての「マトモ」ですが)、ここに出てきた「信じてる人」はちょっとひいちゃうなあ。最初の「占い主婦」なんて、勘弁してくれと思ってしまう。家族は大変だわ。
後半の「占い師は当ててはいけない!?」というのも、わかってる人には面白いけど、どこまで伝わるかどうか、ちょっと不安でした。いや、基本的に正しいことを言ってるんですが。つまり、わけのわからん能力で未来を当てるのが占い師なんじゃなく、「未来の可能性を示すこと」、「相談者の願いや希望といったものの後押し」である、ということが強調されていました。
さてさて。
今年も『an・an』の血液型性格判断特集が出ましたね。近日中に内容の報告をしたいと思いますが、わたしゃ中身見てのけぞりましたよ。昨年は「前世」と血液型をカップルさせた「占い」だったわけですが、今年は…
あなたの潜在能力と恋愛傾向は?でたぁ~~ッ!!脳!!オー脳!!(古っ!!!)
血液型×脳タイプで完全判明!
と一人ボケツッコミをやってしまうほどズッコケてしまった。(^^;;
さすが老舗女性誌、世間の流行をおさえておる、と思って読み進めていくと、
武将も仏像もABOで斬る!歴女もハマる血液型!!ってんなアホな。
おもしろブラッドトピックス。
…ちなみにこのコーナーの戦国武将のところ、ABO FAN氏が関わっています。
さらにさらに、同じコーナーの最期のトピック。
あなたには誰が合う?…参りましたッ!!、と思わず言ってしまいそうな。(^^;;
血液型別オススメ仏像。
三浦じゅんに見せたら大喜びするんじゃないか。
うーん。去年のものについてはこのエントリ で取り上げました。そのエントリからリンクも張ってますが、TAKESANさんとこのエントリ「血液型で政治を語る」 のコメント欄の安原さん の嘆きは必見です。
なんというか、「恥を知れッ!!」と叫びたい気分です。
(追記8/16)
下でABO FANさんがコメントしていますが、その中で、番組に登場された中西さんのブログを紹介してくれています。御本人によるコメントであり重要だと思いますのでリンクしておきます。どうぞご覧ください。
たけしのニッポンのミカタ! 「占い」なしでは生きられない!