どんな比例代表制が望ましいのか | ほたるいかの書きつけ

どんな比例代表制が望ましいのか

 前回のエントリ の続き、というか補足のようなものです。
 私の主張の大前提は、小選挙区中心の制度よりも、比例代表中心の制度に変えた方が圧倒的に良い、というものです。現行の並立制のもとであっても、比例代表の配分のほうが小選挙区より増えれば(総定数が減っては意味がありませんが-あ、ついでに私は議員定数は増やすべきだと思っています。が、それはまた別の機会に)、そういう改革には賛成します。

 その上で、では比例代表を中心にした制度を作るとして、どのような比例代表が良いのかを少し考えてみたいと思います。

※なんかエライ長文になってしまいましたが、お急ぎの方は最後の【結論】だけ読んでいただければ結構です。

【歴史】
 その前に、ちょっとだけおさらい。ブクマでも何人かの方が指摘されていましたが、選挙制度については、今を去ること15年前、細川内閣の時代に、散々議論されたのですよね。いまそれを蒸し返したいのは、そもそも私が小選挙区制に反対であること、そして比例代表の定数を減らすという声が特に(ほぼ確実に次の政権を担うであろう)民主党から聞こえてくるからです。
 それ以前は、衆議院の選挙は俗に言う「中選挙区制」でした。正確に言うなら、「大選挙区制限連記制」…でしょうか。一つの選挙区の定数が3~5(例外もありましたが)で、総定数は500を越えていました。
 戦後、保守勢力は、これを小選挙区制に変えることが悲願でした。教科書で「ハトマンダー」とか「カクマンダー」なんて聞いた方も多いと思いますが、小選挙区の区割りを政権党に有利になるよう恣意的に決定しようとすることを「ゲリマンダー」と言いますが、それを鳩山一郎や田中角栄がやりかけて、そんな風に批判されたわけです。でもって、導入に失敗してきた。それを、保守二大政党を目指す「非自民」の細川内閣が、とうとう導入してしまったわけです。

 導入された制度は、「小選挙区比例代表並立制」。要するに、有権者は二票を持ち、小選挙区で一人の候補に投票し、また比例代表区でも政党(またはその政党のリストに載っている一人)に投票し、それぞれ別々に当落が決定するシステムです。本来別々に決まるものですが、重複立候補が可能なため、小選挙区で落選した候補が比例代表区で当選することも起こり得ます。「敗者復活」なんて言われたりしますが、それは小選挙区を中心にした見方であって、本来は「敗者復活」などではなく、あくまでも比例区で当選した人、なわけですね。恥じ入ることは何もない。

 さて、小選挙区制は相対一位を決定する方式ですから、話が簡単です。本当は決戦投票をするかどうか、とか、移譲式にするかどうか、とかあるんですが、小選挙区制の話をしたいわけではないので、ここでは省略します。それにそもそも、私は小選挙区をなくしたいという立場ですしね。
 では、比例代表をメインにするとして、どういった比例代表制にするのが良いのでしょうか。ここでは、(繰り返しますが)比例代表メインの制度に変える、というのがダントツ第一位の目的であり、どのような比例代表にするかという議論は二次的なものであるという立場を表明した上で、折角ですのでこの話も展開したいと思います。

※以下、多少話を簡単にしていますので、不正確なところがあるかもしれませんが、あらかじめお詫びします。

【方式】(よくご存知の方は飛ばして先に進んでいただいて構いません)
 まず、現行の比例区の方式を見てみましょう。各政党は候補者の名簿を届け出ます。有権者は名簿を届け出た政党に投票します。名簿には順位がふってあって、各党ごとに何人当選したかが決まれば、上位の候補者から順に当選が確定します(小選挙区との重複立候補に関係する惜敗率などの詳細は省略します)。重複立候補のことをおいておけば、いわゆる「拘束名簿式」、ということになります。まあ運用面では、重複立候補を多くしてあまり拘束という感じではなくなっている政党もあるようですが。いずれにしても、一応は「政党を選ぶ」方式の投票です。

 拘束名簿式でなければどうなるかというと「非拘束名簿式」になります。すこし前から参議院の比例代表はそうなっていますね。政党名で投票しても良し、名簿に登載された候補者個人の名前を書いても良し、という制度です。各党ごとの当選者は、候補者個人名への投票であっても、その候補が属する党への投票とみなし、総得票数に応じて分配されます。名簿に登載された候補のうち誰が当選するかは、個人名での投票の多寡によって左右されます。
 なお昔は(前世紀は、と言うとなんかカッコイイですね。違うか)、拘束名簿式でした。順位は届出政党が決めていたわけですね。

 いったんまとめ。
 「比例代表制」ですから、当選人数は、その党への投票にほぼ比例して分配されます。直接政党名を書くにしろ、その政党に属する候補者の個人名を書くにしろ、基本的にはその政党への投票です(本当は、さらにどう各党に当選者数を分配するかでも色々方式がありますが省略します。日本の場合は「ドント式」というやつですね)。
 で、問題は、各党ごとに当選人数が決まったら、その当選人数の中に誰が入るかです。
 「拘束名簿式」なら政党があらかじめ決めた順番で、
 「非拘束名簿式」ならその政党が届け出た名簿のうち個人得票の多い順に、
ということになります(かなり単純化して言っていますが)。

 もうちょい複雑な方式があります。ドイツなどで実施されている、「小選挙区比例代表併用制」というものです。日本の衆議院で実施されている「並立制」とは一文字しか変わりませんが、制度論上はまったく違うものです。「小選挙区」と入ってはいますが、基本的には比例代表制と思っていただければいいでしょう。個人的には、中長期的にはその「小選挙区」の部分がいろいろ悪さをするのではないかと思っていますが、それは後ほど。
 有権者は政党と小選挙区の候補と二回投票します。が、基本的には、各党の議席は比例代表で配分されます。では、比例代表で「誰が」当選するか、というと、まず、小選挙区で1位になった人が入ります。たとえば比例で30議席配分された党が、小選挙区で10人の候補が1位になったとすると、まずその10人が当選します。残りの20人は、比例名簿の順位に従って決まります。ですから、基本的には比例代表制です。
 比例で10人しか配分がないときに20人小選挙区で1位になっちゃったらどうするか?その時は、定数が増えます。「超過議席」ってやつですね。無所属の候補が1位になった場合も同様です。なので、完全に比例代表というわけではありません。が、まあおおむね比例代表だと思っていいでしょう。
 そういうわけで、この「併用制」は、かなり強引に言うならば、「非拘束名簿式」の変形版と言ってもいいのかもしれません。かなり強引ですが。共通点は、各党の議席配分数は比例代表で決まるものの、そこに候補者個人への投票が加味される、ということです。

【で、要するに何が言いたいのかと言うと…】
 ついうっかり長々と書いてしまいましたが、要するに、個人に投票する意味は一体あるんだろうか?というのが、私の問題意識なのです。各党への議席配分は比例で決まるわけですから、国会内での政党間の力関係は、とりあえず誰が当選するかというのは二次的な問題です(個人個人の交渉力とかはあえて二次的とみなしています)。その上で、個人に投票するというのはどういう意味があるのか、と。
 前エントリでも書きまたが、現代政治をすすめる上で、個人ができる範囲というのはどうしても限られるでしょう。スーパーマンみたいな人が何百人と集まるわけがない。どうやったって分業が必要になります。各党の中で。とすると、なんだかんだ言っても、結局個々の議員は所属政党の意向で動くわけですよね。自民党でさえ、たいていの問題についてはそうですよね。だから、たまに党の決定と違う行動をとると、わざわざ「造反」なんて言われたりする。
 だとすると、一体個人名を書く意味はどこにあるのか。
 全国一区の非拘束名簿式ならばまだわかります。選挙後、その党で力を持って欲しい人に得票が集まれば、その党もその候補の意向を無視できなくなるだろう、という「期待」が持てますから。しかし、比例区の区割りが狭かったり、小選挙区との併用だったりしたらどうでしょうか。
 さらに言えば、各党のなかで誰に影響力を持ってほしいか、というのは、これは本来公的な選挙で決まるものではなく、その党内の事情のはずです。つまり、誰が執行部に入るか、とか、誰の意向を尊重してほしいか、というところに影響力を行使したいのであれば、公的な選挙でではなく、その党になんらかの形で働きかけたり、あるいはその党に入って、党員として行動するのが筋ではないか、と思うわけです。

【組織と個人】
 実は、こう書いている私自身も、以前は非拘束名簿式がいいのではと考えていました。個人名で投票できるというところに魅力を感じていたのですね。しかし、しばらく前から-どこかで急に考えが変わったわけではないのですが、数年前ぐらいからでしょうか-、それはどうも違うのではないか、と思うようになってきました。
 非拘束式のよく言われる問題点に、タレント候補が出ると、タレント候補が大量の得票をして、しかしその得票は所属する政党のものでもあるわけですから、タレント候補に乗っかる形で他の候補まで当選してしまう、というものがあります。それは確かに問題としてあるわけですが、しかし私は本質的な問題ではないと考えています。
 問題の根っこには、どうも、「組織」は悪で、「個人」は善、というボンヤリとした発想があるのではないか、という気がしています。明快な根拠があるわけではないのですが、色々と発言を見ていると、そう感じるのですね。
 たとえば、自民党について常々批判しつつも、選挙になると自民党の候補に投票する人なんてのはザラにいるわけです(自民党に限りませんが)。こういう行動は、「悪いのは自民党で、うちの選挙区の自民党議員ではない。むしろ、うちの選挙区の自民党議員が率先して、自民党内部での改革を頑張ってほしい」みたいな発想に基づいている場合がおうおうにしてあるのではないでしょうか。小泉の「内部からぶっつぶす」というようなスローガンはその最たるものなのだと思います。
 でも、結局その選挙区で通った自民党の議員も、やってることは自民党の議員として自民党の決定に従って行動してるんですよね。だから、個別の議員は良いけれども、っていうのは、実は自分の投票行動を自分で納得させるための自己欺瞞なのではないか、とすら思うのです。
 消費税導入の時なんかもそうでしたが、一つの政党内で、賛否がわかれるなんてのは実に無責任だと思うのですよね。喫緊の課題でなければまた話は違いますが、争点になっていることについて、同じ党でもAさんは○でBさんは×、でも党としては○と言っている、なんてなったら、投票する人は困ります。Bさんの選挙区では、×と言ってることを信じてBさんに投票する人も多いでしょうが、いざ国会での議決のときは、まあBさんも○と投票するのですよね。

 近代政党ってのは、組織政党なわけです。自民党みたいな議員政党(実態としてはまあそうでしょう)は、形態としては前近代的ですよね。大体簡単に離合集散できるってところがおかしいわけで。それでも国会内での行動は組織として行われるわけです。そして、それは現代であればどうやったってそうなるし、むしろ党内で個別の分野のエキスパートを持ち、官僚にも対抗できるような力量を政治家が持とうとしたら、それがほぼ唯一の解となるでしょう。だとすると、良くも悪くも組織として動かないとどうにもならないわけです。

 だから、私が拘束名簿式の方がいいのではないか、と思うのは、そういう「個人」に対する幻想を捨て、現実を見るためにはそれが良いのではないか、と思うからなのです。なんというかな、個人に投票することで、政党内部の人事にまで参画しているかのような幻想を持ってしまっているような気がしてならないのですよ。それがしたいならその党に入れ、と。それが筋だろう、と。

 拘束式といえども名簿に個人名は載っているわけですから、どういう人を載せ、どういう順位をつけているかまで含めて、その政党を評価したらよろしい。そういう人事も政党の能力としては重要だと思うのです。

【結論】
 長々と書きましたが、言いたいのは、実態は組織で動いてるんだから、組織に投票した方がクリアでいいじゃん、変な幻想も持たずに済むし、ということです。
 最後に繰り返しますが、私にとっては比例代表がメインの制度に変わることが第一の希望であって、どういう比例代表がいいかについてそれほど拘りがあるわけではありません。ただまあ考えていくと、こういうのがいいんじゃないかな、と、まあその程度の話です。考える際の材料にしていただければ幸いです。マスコミを見ていてもあまりこういう意見が載らないので。


(公開直後に書き忘れたのを思い出したのでちょっと追記)
無所属や個人を活かすには、参議院を活用するような制度設計をするべきなのだと思います。衆議院は政党間のぶつかり合いにして(なぜ政党かは上に書いたとおり)、参議院はそれとは違う特色を出して、そこを救う、と。具体的にどうすべきかはまだ考えがまとまりませんが…。