村田沙耶香さんの「しろいろの街の、その骨の体温の」(朝日文庫)

 

   成長し続けるニュータウン、光が丘。イメージカラーは白。小学校には、新学期になると、10人以上の転入生が入ってきます。

   小学4年生の女の子、結佳。仲がいいのは、3年生以来の友だち、若葉ちゃんと信子ちゃん。しかし、近ごろ、微妙な変化が。信子ちゃんが夢中のお人形遊びが、若葉ちゃんにはもう、面白くないようす。若葉ちゃんが興味あるのは”おしゃれなもの”。人気者の若葉ちゃんは、学校では取り合いで、いっしょに遊んでいても、すぐに誰かに連れていかれてしまいます。それでも、若葉ちゃんは、結佳と信子ちゃんに、また同じクラスになったら仲よくしよう、といてくれます。一方で、結佳は違うクラスの男の子、伊吹くんと習字の教室でいっしょ。かぼそい伊吹くんを「おもちゃ」にしたいと思い、結佳は強引に伊吹くんと「大人のキス」をします。

 中学生になって2年目のクラス替えで、結佳は、また信子ちゃん、若葉ちゃんと同じクラスになります。しかし、3人が”仲よく”することは、ありませんでした。クラスの中の階級を決める、女の子たちのグループ分け。若葉ちゃんは、一番上のグループに受け入れられ、クラスの”女王”小川さんたちと行動しています。信子ちゃんは、最下層のグループ。どのグループにも受け入れられなかった余りものの女の子たち3人のグループ。クラスの中で一番「気持ち悪い女の子」とされている馬堀さんもいっしょです。そして結佳は下から2番目の「おとなしい女子」のグループ。みんなで4人。階級は下ですが、4人の相性はよく、平和な日常です。そして、伊吹くんはというと、急に成長し、足が速くて「可愛い男の子」としてアイドル扱いされるようになり、男の子たちの中では「最上級」の男の子」。しかし、鈍感な伊吹くんはクラスの中に階級があることにまるで無頓着。「下」の女の子たちにもふつうに接してきます。そんな伊吹に対する自分の気持ちが変わってきていることに気づく結佳。この気持ちは・・・・・・

 

 

 21日、のののさんの東京読書会のBグループで、純文学が好きという男性がおススメくださった本です。純文学も「読まず嫌い」にならないよう、少しずつ読んでいきたいと思っていたので、私はこの方のお話に興味津々。さっそく、図書館で予約を入れました。ところが、その前に読んでいた原田ひ香さんのデビュー作も、それどころか「東京ロンダリング」も文芸誌に掲載されていたことを知り、現在「純文学の壁」は案外、低いものになっているのでは、と感じました。

 実際、読んでみると、村田沙耶香さんのこの作品も、たいへん読みやすかったです。「ストーリー性のない内省的で難解なもの」と決めつけていた純文学に対するイメージは、みごとに覆させられました。はっきり言って、北乃勇作さんのような特殊なSFの方が、はるかに難しいです。

 

 この本の背景になっているのは、ずばり「スクールカースト」。2000年代から使われ始めた言葉だということですが、一般認知されたのは、米倉涼子さん主演のドラマ「35歳の高校生」からではないでしょうか。私がこの現象を知ったのは、柚木麻子さんの長編「王妃の帰還」から(レビュー済だと思っていましたがまだでした。いずれレビューさせていただきます)。しかし、単語化されたのが最近なだけで、昔から、古くは戦後すぐから同じような現象は見受けられたという意見も強いです。ふりかえってみるに私は中高生時代、このようなストレスフルな現象とは無縁だったので、懐かしい、あるいはトラウマだ、という読後感はありません。なので、この作品に関して語る資格はないのかもしれませんが、私なりに感じたこと、読解したことをご紹介したいと思います。

 

 物語は結佳の一人称でつづられます。なので、極端に言えば、完全に客観性に欠けた物語と言えないこともないです。

 まず、小学生時代、3人女の子たちの外見的描写として描かれているのは、若葉の「色素の薄い髪」と信子の「ぼさぼさの髪を結んだ」くらいなもの。若葉がどうして人気があるのか、その理由は不明なのです。それが、中学になると、明確にランク付けされてしまいます。若葉は誰もが認める美少女で、しかも、小学生時代より綺麗になっていて、クラスの上層にいるべきしている存在なのですね。しかし、さらにグループ内での位置づけという細かいものがあり、その点からみると若葉は”女王”小川さんを囲む”侍女”。そう、どう頑張っても”妹”には成りえない位置づけなのです。無理して笑い、無理して小川さんに合わせる若葉。結佳の目から見た彼女は、小学生時代、きれいなヘアピンのコレクションを見せてくれた時とは違って、ぜんぜん”輝いて”見えません。

 一方の信子はクラスで一番差別されている馬堀さんに対して、「一方的に話し続けている」だけの友だち関係。そう、じつのところ、ちっともお友だちではありません。彼女なりに、小川さんを見返すという「革命」をたくらみ、子どもっぽいファッション誌に書かれた「女の子はみなお姫さま」という言葉を励みにします。安物の香水をふりかけまくり、カン違いなオシャレすればするほど、みっともなくなっていきます。そして、片想いの男の子と「今日は6回も目があったから、彼も私を好き」と思い込む。彼女は同情するべき立ち位置にいるのですが、読者がどう努力しても共感できない痛いキャラに描かれてしまっているのです。ここまで、信子というキャラを貶めた作者の意図はどこにあるのでしょうか。

 

 そして、「カーストに気づきもしない、鈍感で天然な幸せキャラ」と結佳が認識している伊吹。作者もそう「ミスリード」しようとしているかのようです。

 はたして、ほんとうに彼は鈍感なのでしょうか。

 彼が結佳とつきあいたいと言いだすシーンがあります。そのときの、なぜつきあいたいのか、その理由。それが、実に「まとも」に聞こえるのです。彼はカーストを知らないのではなく、それにとらわれていない唯一の人物なのでは? そんな彼と結佳は、まじめで純粋な真の恋をすることができた可能性があったのに、とその後の展開を思うと読み返すのが辛くなります。

 この小説を「下位の女子が、上位の男子とウマくヤッちゃう話」と一言でまとめた人がいますが、じつは「ウマく」もなんともない。自らに対して張った罠に、結佳はまんまとハマってしまったのだと思います。それも、落とし穴がそこにあると解っていて落ちたようなハマり方。

 その点に関して、解説の西加奈子さんの指摘は実に鋭い。「スクールカースト」というわかりやすい表相に、惑わされていません。それゆえ、本書の解説は、小説本文読後にお読みになることをおススメします。ミステリーのネタバレ以上に重要なことが書いてあると思いますので。

 

  村田沙耶香さんといえば「殺人出産」などのSF的、ディストピア的な作品が取り上げられることが多いですが、「平凡な」(実は本人が思い込んでいるように醜くもなんともない)女子中学生を主人公とした「しろいろの街の」は、青春期の自意識と主人公特有の早熟な性意識というものに深く切り込んだ秀作だと感じられました。

 

 それにしても、スクールカースト。何冊かそれに関する本を読みましたので、現実なのか、ネットやマスコミが作りだした幻想なのかを含めて、いずれレビューしたいと思います。