前回の記事

 

‐『歴史を直視すること』は 現在の「不条理を打ち破る力」である その1‐

 

 

・物事の『文脈』を知り あらゆる「想像力」を蓄える

 

 

‐シリーズ・朝鮮近代史を振り返る その10(ついに日清戦争が勃発する)‐

 

‐シリーズ・朝鮮近代史を振り返る その15(日露戦争と韓国併合)‐

 

‐朝鮮最後の『クラウンプリンス』李垠<イウン> その3(日韓併合・悲劇の狭間で)‐

 

韓日併合はどういうことかというと━対清戦争に運よく勝ち、対露戦争にも勝つことになった結果、どこも邪魔者がいなくなったところで強引に呑み込んだものです。

 

明治日本は成り上がり的な発想そのもので、寺内が朝鮮に乗り込んで来たときも「朝鮮人は奴隷になるか死ぬかどちらかだ・・・・・・」とハッキリ言いきっています。

 

相手を適切に見る態度なんかは全然ないんです。

 

このような発想のもとに韓日併合がなされたんです。その当時、いかにむちゃなことをやったかといういい例をお話しします。対露戦争のために、京城<当時は漢城/現ソウル>から新義州<朝鮮と中国(丹東)国境沿いの街>に鉄道を敷設するのですが、そこで日本からいろいろと食いつめた者とか鉄道土木の出稼ぎ者も多く朝鮮にやってくるわけです。

 

とくに婦女子に対する暴行ですね。

 

当時朝鮮で警部部長をやっていた今村鞆<いまむらとも>という人がいるのですが、その人はとても朝鮮民俗に詳しい人です。その人が一九二八年に書いた書物を読むと「朝鮮にはそれまで囚人という名称がなく、新造語として、チョンジュンインあるいはチョンジュンサラムというのができた」そうです。

 

これは刑務所の囚人という言葉ですが、これを漢字で書くと田中人となるんです。今村鞆の文を引用すると「この言葉は日本人が朝鮮に入ってからつくられた新語でこれがはやり出したのが日露戦争以後のことである」と言っております。

 

どうしてこうなるかと言うと、京城から新義州まで鉄道を敷くときに日本の田中組がハッピを着て仕事をするわけですが、仕事が終わると朝鮮人の婦女子に乱暴するわけです。

 

あまりにひどいので、それを見かねた日本の領事警察が捕らえて連れていくわけです。ところがみんな背中に田中と書いてあるわけです。だからチョンジュンインがまた連れられていくということになって、それが囚人の名詞になったわけです。それがいつのまにかハッピを着ようが着まいが囚人のことをチョンジュンインと呼ぶようになったのです。

 

それぐらい初期においては無法天下の乱暴をしたということなのです。

 

たとえば道で会った朝鮮人に荷物を持てと命令してことわると、遠慮なくぶったたくということもあったわけです。

 

なにしろ初期においては差別なんていうところまでいかないんですよ。略奪にいそがしいわけです。王様の墓を荒らすとか、朝鮮人参畑を荒らすとか、いわゆる弱肉強食ですよ。まったく思いあがったやり方なんです。麻薬政策もその一つです。それは明らかに朝鮮人を白痴にさせようとしていたわけです。それに梅毒政策があります。これはかつてオランダとかスペインがやったことなのですが、たまったもんじゃないですよ。死ぬか生きるかですからね。

 

ですから朝鮮の合併はイギリスがどこからの国へ侵略するのと違って<これ自体も咎めなくてはならぬが>、だましては右腕一本取って、こんどは左腕というようにじわじわと無力にしていき、最後に力がなくなったとみてけりをつけるわけです。ある朝鮮の歴史家は、日本はやり方がとても浅薄だし、植民地を支配する能力を持たないんだと言っております。

 

(金城朝夫氏によると、当時の日本外務省あたりでは、植民地支配体験を持っているヨーロッパ人といつも相談しているみたいなところがあったし、台湾と沖縄を略取して統治するときなどいつも外国人の専門家と相談していたという。)

 

さらに朝鮮人をいためつけるためにさまざまなことをやっている。

 

これは韓国統監府時代からのことですが、いわゆる財政顧問・目賀田種太郎の貨幣政策は悪名高いものです。はやく言えば、朝鮮全土を貨幣の飢餓状態に落とし入れたのです。それで朝鮮人の所有財産が一夜にして転落した。そうしておいて、あらゆる名目の重い税金を容赦なくかける。こうなるとたまったもんじゃない。やむなく朝鮮人は、あらゆるものを担保に入れて金を借りるわけです。

 

当時の日本人の大半が金貸しですよ。それは「世界一の金利」だと書いてあります。日本人の金貸しは十数倍もの担保をかけさせて金を貸し、朝鮮人が期限の切れる前日ごろに金を返しに行くと、もう金貸しは姿を隠していないのです。

 

そして次の日には期限が切れたと言って担保を全部さらってしまうのです。朝鮮の黄海道に生まれ育った林清梧の小説『飢餓革命』は、当時の日本人の乱暴狼藉ぶりをよく描いていますが、朝鮮人の妻君までも担保にとっていた事実も書かれてあります。日本国内に人権というコトバすらなかったのですから、ましてや植民地にそんなものがあるわけない。要するに天皇専制という天皇の価値と弱肉強食の残酷さは比例するものですね。

 

※<>は筆者註/原書傍点はアンダーライン

 

『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社 240~243頁より

 

‐人はお互い『恩義』を忘れない(ローソン朝鮮学校支援と澤地久枝さんの話)‐

 

ここでも以前触れたように、戦前生まれのノンフィクション作家澤地久枝さんがご指摘するように、実際に過去の日本帝国主義がおこなった政策の数々を類推し、それを自らに置き換え想像するかたちで「韓国や北朝鮮の人たちが良いように思うはずがない」と、そりゃあ核武装までして国を守るわなと、一度歴史を知れば、そういう“並々ならぬ覚悟”の根源さえも理解できてしまう。

 

 

・「民主主義」をタテに 最大限のマウンティング?

 

 

『【記者会見映像あり】コロナ禍で緊急事態宣言! 見えてきた「安倍独裁」へのシナリオ!? 岩上安身が引き出した総理の「本音」を痛烈解説! 2020.3.27ジャーナリスト浅野健一氏インタビューから』

 

https://www.youtube.com/watch?v=dgIXL0EHIi4

 

‐日本の「リベラル」よ、「民主主義」を理由にオレたち偉い言うのはやめろ(修正加筆あり)‐

 

その一方で、こうした物言いの「裏側」に、ある種日本人に問われた諸倫理に対する『免罪符』と機能しているフシが見られる。その思考を解剖するに、「中国や北朝鮮(「北」という言い方は礼節に欠ける)」に対して、ひとたび『独裁国家』という「レッテル」を貼ってしまえば、過去の日本が犯した歴史的罪を考えることなく、それらの国々に対して、あたかも自分たちの国は「まともである」ような錯覚を覚えるのだが、これは単に“現実から逃避”する作業と他ならない。

 

‐コロナ騒動を巡った『中国人ヘイト』について‐

 

「偏向した言説」が蔓延る社会において、歴史を忘却した民族の“認識”なるものは、そういう『独裁国家』というのが、ぽっと北東アジアにあって、自分たちは「その脅威」の“被害者”であると、はたまた彼らとは違う“優越者”であると悦に浸りますが、日本がそんなに「他国を見下すほど『良い国』」であったかは、この28年間生きて感じた試しがない。

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=W_1HbkyNuJk

 

‐ズバリ2019年は、太郎の年!(れいわフィーバーに燃えた日々)‐

 

以前書いた記事で、韓国人の方々のコメントを掲載させて頂きましたが、その中で「日本の民主主義はアメリカから授けてもらったもの」とハッキリ指摘されています。

 

というか、その『御本山』である米国の歴史そのものが酷い・・・。

 

‐アメリカはコロナ・パンデミックでも平気で制裁をぶちかまします‐

 

“よそはよそ ウチはウチ”

 

そんな言葉がこの国にあるが、ごもっともだと思う。

 

 

『経済崩壊・医療崩壊が迫る中で今選択を迫られていること〜柄谷行人の『世界史の構造』から考える社会モデル転換の可能性〜』

 

https://www.youtube.com/watch?v=S1nd-xsyXsE

 

本当に、「上述の文脈」で攻撃してくる連中が絶えぬが、あなたは北朝鮮や中国の『何を知ってんの?』と、現在の“民主主義世界”とされるものに、本当に「自由がある」と思っているのなら、だいぶ現実知らずな周回遅れの認識であることは変わりがない。

 

アメリカのような『人権の当り屋』として、幾多の「反抗的な国」に対して制裁や戦争をぶちかまして、大量殺戮をする「本当の人権侵害」を指摘せずにして、「金持ち政治」でしかない彼らの“絵に描いた餅(形骸化した民主制度)”ばかりを翼賛する人間らは、もれなく『偽善者』であると考えます。

 

‐日本衰退の根源である「対米従属」に迫る‐

 

 

『間違ったマスクの付け方 2020年4月10日 ニュース れいわ新選組代表 山本太郎』

 

https://www.youtube.com/watch?v=UczPqeYkOm4

 

英語や現地語も喋れずあらゆる当事者との認識を“共有できない”致命的特性を抱え、人間的能力値の『カースト』としては、「最下層」に近いものがありますが(書いてる自分でも嫌になる)、そういう意味では「他者を想像する」ことに、彼らは恐ろしく欠如している面を感じる。

 

右も左も、『同じ空気』を吸うお仲間しかいないから、重層的な自我を創る上では、かなりの足枷となり、いかに「それだけに合わせるか」の脳ミソしか使わない。

 

こうしたものが積りに積もって、日本に蔓延する「無関心社会」の惨状をあらわす結果となり、もう本当に“粗しか見えない”状況となりました。

 

‐【ここが酷い】『アベノマスク』に対する批判(政治的無関心の「危険性」)‐

 

人々の認識もドロドロ沈殿し、社会もぶっ壊れて、倫理観もすべて失った先は、いよいよ『個別的死』が訪れる時代になるのかと思うと、恐ろしくて夜も眠れません。

 

 

<参考資料>

 

・『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社

 

・Cluttered talk blab blab blab 『中国は、放伐主義である』記事

 

https://ameblo.jp/cluttered-talk/entry-12583989529.html

 

 

<ツイッター>

 

【歴史学を学ぶ大切さを伝えるブログ(ふーくん)】

 

https://twitter.com/XMfD0NhYN3uf6As

 

 

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