夏 至の日
スーパーでみつけた、日本の某有名酒造メーカーの焼酎
***************
昨日、夏至だった。
ここでは、ちょっとしたイベントがあり、夜の9時半ごろから焚き火をし、歌をうたうそうである。
クリスマスとは逆で、この日を境に日が短くなっていくので、太陽を元気づけ、作物が順調に育っていくための景気づけのような意味合いがあるようだ。
わたしたちは、彼の両親宅で一緒に夏至を祝い、その後近所の湖畔で焚き火を観に行く予定だったのだが、バーベキューをやったり、庭鑑賞したり、焚き火をやっていたら、あっというまに夜の10時となってしまった。
まだまだ明るかったので、9時ころだと思っていたら、、、、
日本も季節の変化に富んで、それぞれその美しさを愛でることができるけれど、この国はまた違った趣で季節を愉しむことができる。
というか、切実。
今は、本当に暖かくてさわやかで、日も長いから、夜遅くまで外で遊ぶことができるけれど、10月ころからは日も短かく日の光も弱く、天気の悪い日も多くて、本当に気が滅入ってしまうような気候になる。
こんなに社会福祉の行き届いた国であるにもかかわらず、比較的自殺率が高いのも、そういう気候が人の精神状態が影響を与えるせいではないか?とかんぐりたくなるほどである。
季節の変化が、人々の生活に深く影響を与えるので、イベントも本気で取り組むのであろう。
わたしも、この国に来てから、本当にきもちのいい気候の日などなかなかないので、天気のいい日はこのチャンスを逃すまいと、何かするようになった。外で食べたり、どこか散歩に出かけたり。
去年は最悪なほどに天気のいい日がほとんどなかったが、今年は気候が本当にいいので、頻繁に出かけているし、酒の消費量も多くなっている。
ビールはもちろんのこと、焼酎をスーパーで発見してからというもの、レモンやグレープフルーツを絞って飲むことにもはまっている。リトアニアで買ったウォッカも、100%果汁ジュースで割って飲む。暑いから、冷え冷えの酒が飲みたいのだ。
それで毎日酒を飲んでは、彼と雑談やら議論を交わせ、長い夜を愉しむのである。
「ねぇ、今月何気に食費が高くついているんだけど、酒を買っているせいかなぁ。焼酎だって高いしさ、フルーツだって揃えなければならないじゃん?」
「別にそれぐらいいいよ。別に借金するわけじゃないんだから。ほどほどにお金のことに気を配る必要もあるけれど、その範囲で楽しむことにお金を遣ってもいいじゃない。」
なんだかわかってきたぞ。
南国の人たちが解放的で刹那的に生きているのが。
わたしも、今、まさにこの気候の中で、この瞬間を愉しみたいと思っているから。
といって、研究が進んでいない言い訳にしてみたり。
違いと理解
先日、久しぶりに、この国に住む日本人の女性と話をした。
彼女も、もうすぐ引越しをして、ボーイフレンドとの同棲をスタートさせるという。
お互いに、彼氏の愚痴大会となった。
外国人同士って、特に東洋人と西洋人の間では、外見も、もっているバッググラウンドもまったく異なるだけに、好奇心も手伝って(あるいは誤解も手伝って)惹かれあう可能性は大きいのかもしれないが、それはあくまでもきっかけだけにすぎず、カップルとして関係を維持していくには、相手が日本人である場合と同様、努力というか妥協が必要なんだとつくづく感じている。
国民性の違いだけでなく、個人個人の性格や価値観、嗜好などもお互い認めなければならない。
それが、一緒に暮らすとなると、互いの違いが顕著にわかるし、その違いに日常的にずっと付き合わなければならないから余計にハードである。
例えば、元夫はテレビが好きで、家にいる間は四六時中テレビをつけていないと気がすまないタイプであったが、わたしは逆に静寂を好むので、それがうるさくて落ち着けなかった。特に、好んで観ていた「ガチ○コ」など、「一体どうなってしまうのか!!」はうざかった。
今の彼も、テレビが好きなのだが、いったんつけるとそれを観ることだけに集中して他のことが一切みえなくなってしまい、息子さんに対する注目も散漫になり、それがいちいちムカついた。結局、強制的に消しているのだが。
彼女も、どうにも機嫌が悪いと思ったら、ボーイフレンドと2週間一緒にいつづけていたことに気がついたそうだ。
無意識のうちに、ストレスをためていたのだろう。
まぁ、もちろん、外国人だから、基本的な価値観が異なることも多々ある。
彼女と話をして、当たり前だが、誰でもパートナーと時間を共にすることでイラだちが芽生えることがあるんだなぁ、と気がついた。
***************
この日記を書いている最中に、その彼女から電話があった。
「5分だけつきあってくれる?」
その言い方に、なんだか、嫌な感情を吐いてしまいたい欲求が感じられたので、
「なんかあったの?何でもいいから言ってもいいよ。」
と言って、話を聞いた。
内容は、ささいなことなんだけど、要するにあることがきっかけで彼に対して嫉妬心を覚えた、と。そして、そんなことで嫉妬してしまう自分を恥じているようでもあった。
「まぁ、B(わたしの彼)は、シャイだからそういうことは絶対しないし、同じケースを想像することはできないけど、わたしもささいなことですぐ怒ったりするよ。例えば、クリスマスのときに、貧乏だからといってわたしには2000円でプレゼントを買おうとしていたのに、その直後に6000円する携帯を元奥さんに買ったときには、マジで2日間激怒したもん。彼はさ、携帯だったら6000円なんて安いほうだって言っていたけど。要するに、金額とか程度の問題ではなくて、自分を大事にされていないような思いをさせられることを、そういう認識もなしに行動することに腹立つんだよね。好きだからこそ、ムカつくんだよ。だから、ささいなことであっても嫉妬を覚えることだって、自然の感情じゃない?」
彼女の彼は、彼女がそこまで傷ついてしまったことに、驚いていたようで、そして彼女も、そんなことで嫉妬してしまう自分がおかしいのではないか?と、一人で悶々としていたようだ。
でも、傷ついてしまったことは事実で、それを相手に伝えることは正しいと思う。
彼と彼女は、きっと恋愛観も異なるのであろう。
彼女が伝えない限り、その違いを認識しあうこともなく、余計にそのギャップに対するイラだちが大きくなるだろうから。
クリスマスの携帯事件にしても、セパレートとしたとはいえ、同居している間は、彼が家賃や保育料を全面的に負担していたにもかかわらず、頻繁に元奥さんに無心をされれば2000円とか4000円とか渡していたから、完全に彼女に対する金銭感覚が麻痺していた結果なのだろう。
わたしが本気で怒って、やっとセパレートした元妻に金を渡すことの、事の重大さを認識したようで、それ以降は、決して同意書に決められた金額以外には金を渡すことはしなくなった。彼女が財布を失くしたときに、4000円貸して欲しいといわれたときも、断ったほどだ。
もっとも、元奥さんのことだけでなく、子供たちの生活習慣や教育のやり方など、いろんなことで毎日議論している。
体力はいるが、少しずつ理解しあってきているとは思う。
そもそも、元夫と関係破綻したのも、話し合いさえ拒まれ、ただの感情の応酬になっていたから、お互いの欲求をすりあわせることもなく、イラだちだけが蓄積されたのが原因であったと思う。
違っているのはしょうがない。
要するに、それに対して、どれだけお互いが歩み寄れるかが重要なんだと思う。
今度、彼女と食事に行くことになった。
とても楽しみである。
自分を再評価すること
日本の友達に電話をした。
「再評価」をするために。
お互いに、感情のたけをぶつけて、自分が抑圧されているものから解放させるために。
もう限界だな、と思って、彼女にありたけの感情を吐き出したが、それでわかったことは、ただ「嫌い!」という感情をもつ自分を認めたかったんだってこと。
元奥さんをさんざん非難しながら、実はわたしの、「彼女を嫌い」という感情を正当化するための言い訳に過ぎなかったのだということに気がついた。
誰かを嫌っている自分。
どこか醜くて、いやしくて、どんどん自己否定に陥ってしまいそうだった。
だからそのための自己防衛として、彼女を嫌う理由について彼に滔々と述べたり、あるいはこのブログで彼女のことを書いたり、、、
彼女を嫌うのは、わたしのせいではない、って思いたかったのだと思うし、彼にもそう思って欲しかったのだと思う。
でも、誰かを嫌うことが悪いとかどうかは問題ではなくて、その感情をもっていることは事実であって、そういう自分を受け入れるのは自分しかいないんだってことを、その親友と話して気がついた。
誰にどう思われようが、そういう自分を認めるしかないんだなって。
実は、親友も、嫌いだなと思う人がいるとのこと。
そして、どうしてそういう感情をもつのか、必至に分析したがっているようでもあった。
彼女も、その感情を消そうとしているかのようだった。
「ねぇ、Rちゃん、嫌いだなって思うことが悪いと思わないで。わたしは、Rちゃんのどんな感情も受け入れるから、ここでは嫌いって叫んでもいいんだよ。わたしは、そんな素直なRちゃんが大好きなのだから。」
そう親友に言いながら、ああそうか、わたしも「嫌うことは悪いこと」という思い込みに束縛されて、その事実から目をそらし、悪口という手段で自己防衛に走り、自分がもつ本質的な問題からちっとも解放されていなかったんだな、と気がついた。
理由なんてどうでもいい。
誰からどう思われてもいい。
わたしは、彼の元奥さんが嫌い。
親友にそのままの感情を吐いたら、ずいぶんとすっきりとした。
彼だって、元奥さんの過ちを許してきたといいながら、わたしと付き合う直前に、2時間にわたって壮絶な結婚生活について語りつくし、いかに傷ついてきたか、そしてその感情を誰かに吐き出したかったことがうかがえた。
どんなにひどいことをされようとも、彼女の性格を変えられないとその過失を受け入れつつも、実はそれで多いに傷ついてきたことも事実なのである。
彼女を非難するというのではなく、ただその傷ついた自分を、誰かに受け入れて欲しかったのではないだろうか。
どんな感情をもっても自分は自分なんだって。
「いい人」のふりをしようとして、無理していた。
本当は、バカなくせに。それが自分なのに。
日本でも、Rちゃんの前でさんざん泣いて暖かく受容してくれたが、10,000km離れているここからでも、彼女の存在が近いように感じた。
怒りがもたらす困難(1)
「憎む」って、本当に不毛な感情だと思う。
できることなら、悪い感情を一切もたずに、平穏に暮らしたい。
***************
金曜日、彼の元奥さんはわたしたちの住むアパートに近い公営住宅に引越しをした。
前日にお願いされた引越しの手伝いを彼は拒んだが、結局当日も寸前まで再三の申し出をしてきた。彼はその度に断り、その現場には行かなかった。
しかし、引越しがすんだであろう時間の直後、今度は「1時間くらい、K(息子さんの名前)を引き取りたい。」と、電話による申し出があった。
彼はその申し出を受け入れるつもりであったようだが、わたしは「ダメ」と頑なに断った。
「今回この申し出を許したら、徒歩で10分くらいのところに引越ししてきて、これからもきっと寸前に引き取りたいと言ってくると思うよ。だって、ここまで近いから、思い立ってすぐにここに来ることが物理的に可能なわけでしょう?でも、わたしはそれをして欲しくない。一日前にアポを取って、ちゃんとお互い納得いくように計画を立ててから引き取ることが礼儀だと思うから。もし、突然の訪問を許していたら、わたしたちは彼女に振り回されることになるよ。じゃ、何、彼女が1時間引き取りたいって、その間わたしたちはどこにも出かけられず、ここで待ってろということ?そんな束縛を一体何回されるわけ?彼女が会いたいのもわかるよ。でも、Kは彼女のものだけではない。わたしたちが責任をもって養育をしている子供でもあるんだよ。最終的には彼女からこっちが責任をもってKを引き取らなければならないわけでしょう?そういう状況を理解しながら、彼女の欲求を満たすべきなんじゃないの?」
で、彼はそういうわたしの意見を彼女に説明したようだが、彼女はすっかり逆ギレしてしまったようで、彼女の母親同伴で我が家にやってきたのだった。
それで、アパートの建物の外で、彼が彼女と話し合ったのだが、彼女は自分の要求を言うだけ言って、ちっとも彼の言う事を理解しようとしなかったという。
結局、その場で、息子さんを9日間引き取ると言って、連れ去ってしまったのだった。
「でも、9日間もKの面倒なんてみれないと思うよ。大体、3日間の約束でさえ、2日目でギブアップするぐらいなんだから。」
「でも、今回は彼女の母親が夏休みでKの面倒をみるって言っているから、できるんじゃないかな。母親の方がまだ信用できるし。」
「そうはいっても、すでに子供から手が離れて常に自由である身の人が、急遽子供の面倒をみるって大変だと思うよ。極端な話、買い物だって、子供がいることで思い通りにならないこともあるわけじゃない?わたしは、9日間たつ前に、きっとギブアップすると思う。」
そしたら。
なんと、月曜日、彼は息子さんを保育園から引き取ってきたのだった。
たった、3日間でのギブアップだった。
2時ごろ、彼女から、息子さんを保育園に連れていったが、自分では迎えにいけそうもないので、かわりに彼に迎えに言って欲しいと申し出があったとのこと。
保育園から引き取ってから、彼女のところに息子さんを連れてきて欲しいと頼まれたが、彼は断ったという。
「ほら、わたしの予想した通りじゃない。彼女はすぐに約束を破るから、それでわたしたちが振り回されるって言っているの。一体、いつ約束破るかも予測できないし。それで何、これでKが戻ってきても、またすぐに彼女がまた引き取りたいって言ってくるかもしれないじゃない。それすらも、こっちはわかりはしない。」
怒りがもたらす困難(2)
彼は、そのときの電話で、彼女の代わりに迎えに行って欲しいという申し出に対して失望したこと、もう直接うちには来て欲しくないこと、Kを引き取りたいのだったら、保育園でKをひろって、一晩彼女のところに泊まらせて、翌朝保育園に連れて行って欲しいことなどを言ったのだそうだ。
どのように引き取るかについてはわたしたちの要望を受け入れたが、失望したことについては何も言わなかったそうだ。
あることで彼のお父さんから電話がきたときに、わたしの心境について語ったのだが、
「怒ったとしても、何もいいことないよ。きもちは理解できるけれど、どんなに憤慨しても彼女を変えることはできない。むしろ問題を大きくするだけ。どうかきもちを落ち着かせて、ゆっくり話し合おう。」
金曜日、彼女が息子さんを引き取った直後、彼女からお父さんに電話があったそうだ。
自分は母親なのだから、自分が会いたいときに会って何で悪い、会いたいときにはいつでも会うことを許されるべきだと、お父さんに対して怒りまくったとか。
それに対してお父さんは、そうはいっても、息子さんは新しい家族の一員でもある、それも慮るべきだと、できる限り温和に諭そうとしたが、一向に聞く耳もたずだったそうだ。
彼女は、お父さんに、わたしに対して説得して欲しくて、わたしに彼女の要求を受け入れさせるために、電話したのだろう。当然お父さんが諭したところで、耳に届くはずもない。
本当、脱力である。
確かに、彼女が母親であることは事実で、息子さんに会いたいというきもちは自然な感情である。
だけども、息子さんを引き取るといいながら、パーティに行き、挙句に二日酔いになって、連絡もないまま自然にキャンセルすることもあったり、育児に疲れたからといって息子さんを戻す予定を急遽早めたり、「母親」なのに、その約束の責任を果たすこともなく、自分本位にふるまってきた。
だけど、そういう責任感の欠如を、変えられない性質として、彼や彼のお父さんは彼女の挙動を受け入れてきたのだろう。
例えば、息子さんが彼女のところで急に病気になって彼女はすぐに引き取って欲しいと申し出があったが、彼は大学に行っていて連絡がとれず、彼のお父さんは車で別の場所でミーティングに行っており、彼のお母さんがタクシーで息子さんを引き取りに行ったのだそうだ。わたしからしてみれば、せめてお父さんが帰ってくるまで、彼女が面倒をみるべきだったのではないか?と思うのだが。
「ぼくは、彼女だけでなく、誰に対しても怒ることなく、不適切なふるまいを許してきたんだよ。怒ったって、エネルギーの消耗にしかないからね。」
「だから、彼女になめられるんだよ。あなたわかっている?彼女は、あなたのそういう親切に対して感謝しているわけではない。利用しているんだよ。いつでも受け入れるから、彼女はあなたがそういう人なんだって認識しちゃっている。現に、引越しの手伝いだって、さんざん断っているにもかかわらず、何度も頼んできたじゃない?最終的には手伝ってくれるという期待があったからなんだよ。Kを引き取るにしたって、いつでも返せる状況にあると思っているから、自分のプランを深く考えもせずに、思いつきで引き取るんだよ。あなたたちが怒りもせずに彼女の欲求を受け入れてきたから、彼女はその親切心に依存している。たまには怒って自分の主張をはっきり表明しないと、彼女に振り回されっぱなしだよ?」
確かに、社会の中で生きている限り、いろんな種類の人がいることは認めなければならず、また誰かと深く付き合うことによって困難が伴うことに対して受け入れなければならない。
だけど、理不尽なことに対して、黙っていられないわたしは、まだまだ大人になりきれていないのだろうか?
夏の愉しみ
いろいろあって、日本が恋しいこのごろであり、金曜日にはある出来事で本気で日本に帰ろうと思ったほどであるが、こっちの国も、やはり素晴らしいところはたくさんある。
この国は、ヨーロッパの中でも北の方に位置している国であり、寒くて暗い冬が長く、一年通して暖かい日が少ないので、短い夏をかみしめるように堪能しようとする傾向がみられる。
週末は大抵外に出て、海や湖にピクニックに行ったり、イベントに参加したり。
わたしたちも、毎週のようにどこかに出かけている。
平日でさえも、日が長いことをいいことに、夕飯のあとは大抵近所に遊びに行ったりする。
日本の、人気キャラクターを取り入れるような完全に子供向けとして独立したイベントとは異なり、こちらはもっと大人の文化に近いイベントが多い。
本格的なバレエダンスを取り入れた舞台ショーだったり、本格的なオーケストラミュージックを取り入れた音楽ショーだったり。演劇鑑賞やサーカスを観る機会も多い。
大人も一緒に楽しめる文化であるように思う。
わたしがたまたま日本でそういう機会を作らなかっただけかもしれないが、こっちの国に移るまでは、休日も外に出るとしても、デパートに行くかどこかに食べに行くかぐらいしかしていなかったように思う。夫も、自然に触れるのがそれほど好きでなかったせいもあるが。まぁわたしも、山はともかく、海は汚いし砂場が熱すぎるで行きたいとは思わなかったが。
*************
ところで、日曜日、穴場の場所を見つけた。
金曜日にある事情が発生し、彼の息子さんは、元奥さんと彼女の母親に9日間引き取られることになった。
それで、息子さんがいなくて寂しい思いをするであろう娘のために、日曜日に娘が好みそうな遊園地のようなところに連れていきたいと提案したのだった。
この国は、人口500万人しかいないのに、夏しか開いていない遊園地はけっこうあるようである。
それで、そのうちのひとつ「サマーランド」に行く予定にしていたが、インターネットで調べてみると、電車で2時間半かかることがわかり、とてもそんなところには行けないと、もっと近場の「サマーパーク」に行き先を変更することにしたのだった。
それで、早起きして、お弁当を作り、バーベキューの材料を詰め込み、電車に乗って向かったのだが、、、
最初の印象
こんなところに本当に「サマーパーク」があるの?
というほどの、農地の中にぽつんとある、いかにもしょぼそうなパークであった。彼も呆然としていた。
ゲートをくぐってみても、いかにも普通の公園を大きくしたような、乗り物ではなく、大型遊具があるだけのしょぼそうなパークだった。
どことは言わないが、某地方都市のなんとかパークを連想させるような、安易に人を呼ぼうと急ごしらえで作った公園に思えた。
ところが。ところが。
確かに大型の乗り物はなく、スタッフも著しく少ないが、遊べる施設はたくさんあり、しかもどれも味わいがある。
アスレチックにも似ているが、さりげなく彫刻されていたり、ペインティングが施されていたり。何気に創意工夫が盛り込まれていて凝っているのである。
ゴーカードでは、道路が本格的に再現されており、運転練習中の身であるわたしも、この国独特の停止マークとか注意マークを見つけて感心。信号も動いていれば、ガソリンスタンドもある。娘はしょっちゅうガソリンを給油していた。(笑)
鉄道とボートは人力である。
また、港を再現しているところもあり、そこではボートのラジコンがあった。
また、バーベキューもできるのだが、古い時代の建物の中にあって、それもまた雰囲気がある。
華やかさはないけど、気に入った!!
人も少ないし、なんだか穴場を発見したような、素敵な日曜日になった。
素朴だけど、味のあるこの国も、なんだかんだいって好きである。
自分で人生彩る
彼の元奥さんがようやく、公営住宅に入居することになった。
セパレートしてから10ヶ月、、、。
長かった、、、。
セパレートして原則的には同居が認められないにもかかわらず、合意書に年末まで彼のアパートで住むことを許されたのをいいことに、本当にその期限が来るまで、本気で住居を探そうとしなかった彼女。
結局、期限の翌日、又借りのアパートを新聞広告で見つけたものの、実は又借りは禁止されていて急遽出なければならなくなり、彼のお父さんの住所でここの市に再転入。
運良く別の又借り物件(家賃8万円)を見つけたものの、敷金50万円は戻ってこず、しかも新たに敷金を払うはめに。
公営住宅を申し込み、運良くすぐに物件(家賃6万円)が見つかり、敷金と家賃の前払い20万円を払ったにもかかわらず、入居日まで連絡がなく、再三市に督促の連絡をいれ、ようやく昨日公営住宅の鍵をもらったようだ。
昨日は、今日の引越しのために、彼に運送会社の手配を頼み、彼はそのアレンジをしてあげていたが、さすがに荷物を運ぶ手伝いを頼まれたときには、断ったそうである。
当然である。なんで運送会社を手配しているのに、さらに助けが必要なのだろうか。
しかも、彼に手配を頼んだのも、住所を明確に伝える自信がないせいだという。
ここの言語をほとんどマスターしているのではなかったのだろうか。
というか、わたしはここの言語ができず、発音を再現させることがまったくできないので、住所を伝えるのに毎回苦労しているが、それでもスペルを英語で伝えるなりしてなんとかやってきた。やろうと思えば、何とかなるものである。
「確かに、多少の困難は伴うかもしれないけど、それでも自分で処理しなければならないと意識させる必要があるんじゃないの?というか、最初にとりあえず自分でトライして、うまくいかなかったら助けを求めるというのはいいと思うんだよ。でもね、いつも自分で処理する自信がない案件に関しては、あなたに丸投げするでしょう?自分のことなのに、自分でやらなければという責任感が不足しているように思う。案件を完全にあなたが引き受けるのではなくて、せいぜいアドバイスするにとどめて、自立を促すべきじゃない?じゃないと、何か難しい問題が起きるたびに、あなたに問題が丸投げされるよ。失敗したっていいじゃない。そうやって経験を積んでいくうちに、自分で処理することに自信がついてくると思う。」
**************
今、同居を始めて3ヶ月たち、永住するための準備もぼちぼちはじめ、彼と結婚する可能性も出てきたわけだが、元夫と結婚を決めたときとは、まったく異なる心境である。
元夫とは見かけ上できちゃった結婚であるが、妊娠が発覚する3ヶ月まえにはすでに婚約ということで、両家に挨拶もすませたあったのだった。
当時、民間企業で、わたしのバッググラウンドとはまったく異なる分野のプロジェクトに携わっており、仕事がつらくてしょうがなく、おまけに元夫とは遠距離恋愛ともあって、自分が置かれている状況に満足していなかった。
それで、結婚ということで、状況を変えることができるのではないか、と大きな期待を寄せたのである。
彼の元奥さんも、結婚を決めたときは、明るい未来を期待していたのだと思う。
わたしの推測であるが、こうして今も彼に頻繁に連絡し、彼をアテにしているところからして、彼女はきっと彼のことを本当に好きだったのだと思う。
豊かなこの国で、優しくて親切な彼との新生活に、期待を膨らましてもおかしくはない。
でも、就職だとか、引越しだとか、結婚とか、出産とか、人生を彩るイベントは多々あるけれど、それだけで人生バラ色になるはずもないのである。
状況は変わるけれど、幸せになるとは限らない。
すべてのことにおいて、楽しいことだけでなく、苦しいことつらいことも伴うのが当然である。
わたしは、元夫に幸せにしてもらえると、アテにしていたのかもしれない。
けれども、結婚をしても、幸せかどうか決めるのは自分自身なんだ、と痛感させられた。
実際に、とてもいい保育園をみつけたり、仕事を得たり、交友関係を広げるなどの物理的な状況改善も自分でこなしたが、それだけでなく、自分で自分を受け入れること、精神的な安定をはかる大切さもまた認識した。
元奥さんもまた、結婚生活がそんなにバラ色であるはずもないことを思い知ったであろう。
豊かな国であっても、まったく異なる文化をもつ母国が恋しくなるのは自然だろうし。
それに、彼は自負するほど優しくはないし。激情したりすることはないが、結婚するまでの30年間アバンチュールを除いてはまともに恋人を得たことがないだけあって、相手に対する配慮のなさ、自分の世界に入り込んで周りが見えなくなるマイペースさは天下一品である。
確かに彼は、わたしの心の支えにはなってくれるかもしれない。
でも、幸せになるための努力をするのは自分しかいない、ということをわたしは知っている。
だから、今は、前回とは違って、将来に対して不安だらけで、プレッシャーも感じているのである。
結局、自分の人生は、自分で責任を負うっていうことなんだけど。
表現力を向上させることの困難
こちらの国では、あと1週間ほどで、6週間の夏休みに入る。
もっとも、大学は決まった夏休みなどなく、期間もタイミングも任意である。
ただ、先週に学会が終わり、その関連論文の締め切りも近く、その投稿でもってそのテーマは一応終息するので、ちょうど今区切りの時期になっている。
次の研究準備もしなければならず、やることが明白に決まっていて実験に明け暮れていたときとは違って、今は考えなければならないことも多く、行き詰まりさえも感じている。
やっぱり、実験は単純に楽しいが、なかなか結論の出ない問題に取り組むのは大変だ。
論文を書いていて、改めて痛感したのは、自分の表現力の乏しさ。
日常会話はだいぶ支障がなくなってきたとはいえ、やはりきちんとしたものを英語で書くというのは、まだまだ訓練が必要だ。
半年前に、授業の課題でレポートを出したときも、取り上げたネタとしてはよかったのだが、どうもわたしの表現に誤解を生じさせるところが多々あり、結果的に評価は最低だった。
今回も、観点の異なる3人の指導教官にさまざまな類のツッコミを入れられ、急遽構成を変更したり、もっとわかりやすい記述に変えたり、修正に四苦八苦した。
当然だが、指導教官らは、誤りや疑問を指摘しても、わたしの意見を理解できていないので、それをどのように改善したらよいのか、明確に提案してくれるわけではない。
クエスションマークがつくたびに、どのようにしたら納得してもらえるか、長い時間かけて考えた。
この夏は、博士論文執筆の練習として、英語の学術レポートを書こうかと考えている。
ちなみに、わたしの語学センスは貧弱で、日本語でさえも、苦労していたぐらいだ。
小学校のときから国語は苦手だったのだが、特に努力して改善しなければならない局面がなかったので、そのまま何もしないまま大学生になった。
最初の3年間は特に問題を意識しなかったが、4年生になって研究室に配属になってから、研究の発表をしたり、ゼミ資料を作成するようになり、指導教官に痛烈にわたしの言語能力の問題を指摘され、取り組まざるを得なくなった。
それで幾分改善はしたが、民間企業に研究員として就職し、毎週報告書を書いて提出していたのだが、「何を言いたいのかわからない。」と言われることもしばしばあった。
我ながら、発想や着眼点はなかなかだと自負しており、また評価されることもあるが、表現力が乏しいために自分のアイデアを相手に理解させることができず、それで苦労することもよくある。
なかなか改善できないだけに、そしてその必要性を痛いほど感じているだけに、困難を感じている。
制度と国のスタンス
国民総番号制について、コメントを下さったのだが、それに対して、社会がもっと弱者を助けるべきでは?という意見を書いた。
けれども、そのコメントをアップしたあと、しばらく考え、たとえ日本が国民総番号制を導入したとしても、養育費の肩代わりまでするような社会にはならないだろうな、と。
いくら同じような制度であっても、政府の考え方によって、いかようにも用途が異なるであろう、と思い直したのであった。
家族のあり方の考え方が変わらない限り、あくまでも個人は戸籍に所属する一員としてみなされるだろう。名前を変えることによって伴う煩雑さは、番号制によって解消されるとは考えにくい。
つまり、制度と、社会のシステムの関係性というのは、国の方針によって決まるのが当然だから、いくらこちらの国の制度のメリットを訴えても、日本という価値観が不変である限り、意味がないことに気がついたのだった。
ちなみに、この国では、社会民主主義が徹底的にいきわたっている国なので、番号制は国民の便宜性向上を中心にシステム化されていると思う。
養育費は、こちらでは、法律に基づいた義務であるので、それを保障するために、番号制を利用しているのであろう。
コメントを書いてくださった中に、そこまでする押し迫った事情があるのでしょうか、という質問があったのだが、「事情」ではなく、すべての個人の幸せを何よりも重く見る国だからこそ、そこまでしているのだと思う。
わたしは、1年以上前に、4歳の娘を一人にしていたことが発覚し、警察に呼ばれたことがあった。そのあと、市役所に何度か行き、ソーシャルワーカーと話をしなければならなくなった。この国では、4歳の子供が一人でいることに対して、それを見つけた人が「通報」する「義務」があり、そしてそれを犯した母親に対して、国が「指導」する「義務」があるということ。
しかし、「指導」といっても、その過失に対して責められるのではなく、二度とそのような状況にならないように話し合い、どうすればそれをしなくてもよくなるか、打開策をディスカッションするための場であった。
娘のためだけではなく、一人で子供を育てているわたしのための、ミーティングであった。
正直、なんでそこまで社会が個人の生活に関与してくるのか、理解できなかったのであるが。
***************
ちょっと話がずれるが、わたしは、社会主義の思想に少しだけ傾倒したことがあった。
単純に、社会で助け合うという思想に憧れただけだった。
自分の利益のためではなく、社会のために自分が働きかけるという考え方がいいな、と思っていたのだ。
なまじ、娘が通っていた日本の保育園の職員が、安月給なのに心身削って保育に携わっている姿に感動したせいだからかもしれなかった。
でも、それはただの、「キレイゴト」に過ぎないとわかった。
社会主義国ではないが、彼の元奥さんの母国では実にシェアの精神に富んでおり、だからこそ個人で責任をもとうとせず、常に互いに依存しあっている姿を目の当たりにして、社会主義は個人の自立を妨げることにもつながるのだ、と認識したからだった。
***************
わたしは、夫に善意を求めたけれど、夫はついに、結婚生活での自分の過失を認めなかった。
「ウソをついた」「出産のときにパチンコをしていた」「勝手に就職を決めた」
どんなにわたしを失望させようとも、それらは「違法」ではない。
わたしは、彼を得たことに対して、悪いことだとは思ってないが、「違法」なので、夫に200万円を払った。
わたしは、社会の前で、どんなに自分の非力さを感じたかしれない。
社会のあり方をわたしは変えることはできない。
人は、わたしを、自分だけの幸せを追求した、「自己中心的人間」と認識するだろう。
***************
わたし自身は、やはり社会のあり方が個人に与える影響は大きいと思う。
彼の元奥さんは、養育費について、支払う意志がなかったにもかかわらず(というか、その義務についてまったく知らなかった様子)、法律に基づいてこれから息子さんが成人するまで、毎月支払わなければならない。拒否や逃避は不可能だ。
その制度により、離婚しようとも、彼女が親でありつづけることを、否応なしに認識させられているのではないか、と思う。
本当は、国に強制されるのではなく、彼女自身が自らその意志をもつべき類のことではあると思うが。
自分で切り拓く
リトアニアから帰ってきてから息をつく暇もない。
締め切りがせまっている論文の修正はもちろんのこと、語学学校に行くためのカウンセラーを受けたり、新しい仕事の可能性が出てきたので、その打ち合わせをしたり。
語学学校は、席が空いていれば、夏休み以降から始まる予定である。
仕事も、決まれば、夏以降ということになる。
***************
リトアニアの最後の夜は、学会開催のパーティがあったので、欠席することにしていたわたしともう一人の博士の女の子と二人きりで飲みに行った。
でも、女の子2人きりという遠慮のなさのせいか、一番濃い交流だったような気がする。
お互いに、深いところまでつっこんで話をした。夜中の1時まで。
彼女のご両親は、もうおられないそうだ。
お父さんは、彼女が8歳のときに自動車の事故で亡くなり、お母さんは、去年、乳ガンからの転移で非常に最悪の状態で亡くなったとのこと。
兄弟はなく、お父さんが他界したのが早かったため、お母さんとは普通よりも強い関係であったそうだ。
亡くなる寸前は、しょっちゅう里帰りして見舞ったが、亡くなったときは言いようのないショックで、研究に打ち込むしかなすすべはなかったとのこと。
「でも、わたしは、2ヶ月前に結婚して、新しい家庭を築いたわ。悲しみは誰にでもあるし、消すことはできない。でもこうして新しいことを創りだすことも可能なのよね。」
そう力強く話す彼女に、ただ感動してしまった。
新しい環境に身をゆだねて幸せを与えてもらうのを期待するのではなく、自分で「創る」と言い切るところに、すがすがしさを感じたというか。
現に、結婚生活はそう楽しいことばかりでなく、ケンカもしょっちゅうするそうだ。
「ま、これが普通だと思っているけどね!」
あと半年で博士学位を取得できる見込みで、今はカナダに職を得ることも考えているとか。自分で将来を切り開いている感じがする。
***************
学会前に、彼の元奥さんは財布を盗まれてしまったそうだ。
現金はたいしてもっていなかったものの、カードなどが入っていたので、口座を止めるべく、銀行の電話番号をきくために、彼のところに電話してきたようだ。
その直後、わたしがこの国を発ったあと、今度は水疱瘡にかかってしまったそうだ。
なんと、3度目の罹患である。
あと1週間で引越しがあるのに。
財布を盗まれたとき、彼女は彼にお金を貸して欲しいと頼んだらしいが、彼は断ったそうだ。
彼女は、「自由」である身分を選んだが、同時にそれは、自分自身で何もかも責任をもたなければならないという立場になった、ということである。
自分で生活するための環境を整えるだけでなく、何か問題が起きれば、自分自身で対処しなければならない。今まで彼が自治体に連絡したりアレンジしてくれていたのも、すべて彼女自身でしなければならないのだ。
わたしが行ったリトアニアも、ソビエト連邦からの束縛から逃れたくて、1991年に独立を果たしたが、それで100%国民が幸せになっているわけではないとのこと。
自由を与えられたのと同時に、今まですべて国が面倒みてくれたことを、今度は自分自身で責任を負わなければならなくなり、国の保障を失うことにもつながったからだ。
能力のあるなし関係なく、就職の斡旋もすべて国がやってくれた。しかし資本主義になった今は、自分で仕事を得なければならない。
苦しみや悲しみを乗り越えて、新しい未来を切り拓いていくような友達を、学会で得ることができ、本当に幸運だったと思う。










