自分で切り拓く
リトアニアから帰ってきてから息をつく暇もない。
締め切りがせまっている論文の修正はもちろんのこと、語学学校に行くためのカウンセラーを受けたり、新しい仕事の可能性が出てきたので、その打ち合わせをしたり。
語学学校は、席が空いていれば、夏休み以降から始まる予定である。
仕事も、決まれば、夏以降ということになる。
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リトアニアの最後の夜は、学会開催のパーティがあったので、欠席することにしていたわたしともう一人の博士の女の子と二人きりで飲みに行った。
でも、女の子2人きりという遠慮のなさのせいか、一番濃い交流だったような気がする。
お互いに、深いところまでつっこんで話をした。夜中の1時まで。
彼女のご両親は、もうおられないそうだ。
お父さんは、彼女が8歳のときに自動車の事故で亡くなり、お母さんは、去年、乳ガンからの転移で非常に最悪の状態で亡くなったとのこと。
兄弟はなく、お父さんが他界したのが早かったため、お母さんとは普通よりも強い関係であったそうだ。
亡くなる寸前は、しょっちゅう里帰りして見舞ったが、亡くなったときは言いようのないショックで、研究に打ち込むしかなすすべはなかったとのこと。
「でも、わたしは、2ヶ月前に結婚して、新しい家庭を築いたわ。悲しみは誰にでもあるし、消すことはできない。でもこうして新しいことを創りだすことも可能なのよね。」
そう力強く話す彼女に、ただ感動してしまった。
新しい環境に身をゆだねて幸せを与えてもらうのを期待するのではなく、自分で「創る」と言い切るところに、すがすがしさを感じたというか。
現に、結婚生活はそう楽しいことばかりでなく、ケンカもしょっちゅうするそうだ。
「ま、これが普通だと思っているけどね!」
あと半年で博士学位を取得できる見込みで、今はカナダに職を得ることも考えているとか。自分で将来を切り開いている感じがする。
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学会前に、彼の元奥さんは財布を盗まれてしまったそうだ。
現金はたいしてもっていなかったものの、カードなどが入っていたので、口座を止めるべく、銀行の電話番号をきくために、彼のところに電話してきたようだ。
その直後、わたしがこの国を発ったあと、今度は水疱瘡にかかってしまったそうだ。
なんと、3度目の罹患である。
あと1週間で引越しがあるのに。
財布を盗まれたとき、彼女は彼にお金を貸して欲しいと頼んだらしいが、彼は断ったそうだ。
彼女は、「自由」である身分を選んだが、同時にそれは、自分自身で何もかも責任をもたなければならないという立場になった、ということである。
自分で生活するための環境を整えるだけでなく、何か問題が起きれば、自分自身で対処しなければならない。今まで彼が自治体に連絡したりアレンジしてくれていたのも、すべて彼女自身でしなければならないのだ。
わたしが行ったリトアニアも、ソビエト連邦からの束縛から逃れたくて、1991年に独立を果たしたが、それで100%国民が幸せになっているわけではないとのこと。
自由を与えられたのと同時に、今まですべて国が面倒みてくれたことを、今度は自分自身で責任を負わなければならなくなり、国の保障を失うことにもつながったからだ。
能力のあるなし関係なく、就職の斡旋もすべて国がやってくれた。しかし資本主義になった今は、自分で仕事を得なければならない。
苦しみや悲しみを乗り越えて、新しい未来を切り拓いていくような友達を、学会で得ることができ、本当に幸運だったと思う。