表現力を向上させることの困難 | いまのしゅんかん

表現力を向上させることの困難

こちらの国では、あと1週間ほどで、6週間の夏休みに入る。

もっとも、大学は決まった夏休みなどなく、期間もタイミングも任意である。

ただ、先週に学会が終わり、その関連論文の締め切りも近く、その投稿でもってそのテーマは一応終息するので、ちょうど今区切りの時期になっている。

次の研究準備もしなければならず、やることが明白に決まっていて実験に明け暮れていたときとは違って、今は考えなければならないことも多く、行き詰まりさえも感じている。

やっぱり、実験は単純に楽しいが、なかなか結論の出ない問題に取り組むのは大変だ。

 

論文を書いていて、改めて痛感したのは、自分の表現力の乏しさ。

日常会話はだいぶ支障がなくなってきたとはいえ、やはりきちんとしたものを英語で書くというのは、まだまだ訓練が必要だ。

半年前に、授業の課題でレポートを出したときも、取り上げたネタとしてはよかったのだが、どうもわたしの表現に誤解を生じさせるところが多々あり、結果的に評価は最低だった。

今回も、観点の異なる3人の指導教官にさまざまな類のツッコミを入れられ、急遽構成を変更したり、もっとわかりやすい記述に変えたり、修正に四苦八苦した。

当然だが、指導教官らは、誤りや疑問を指摘しても、わたしの意見を理解できていないので、それをどのように改善したらよいのか、明確に提案してくれるわけではない。

クエスションマークがつくたびに、どのようにしたら納得してもらえるか、長い時間かけて考えた。

 

この夏は、博士論文執筆の練習として、英語の学術レポートを書こうかと考えている。

 

ちなみに、わたしの語学センスは貧弱で、日本語でさえも、苦労していたぐらいだ。

小学校のときから国語は苦手だったのだが、特に努力して改善しなければならない局面がなかったので、そのまま何もしないまま大学生になった。

最初の3年間は特に問題を意識しなかったが、4年生になって研究室に配属になってから、研究の発表をしたり、ゼミ資料を作成するようになり、指導教官に痛烈にわたしの言語能力の問題を指摘され、取り組まざるを得なくなった。

それで幾分改善はしたが、民間企業に研究員として就職し、毎週報告書を書いて提出していたのだが、「何を言いたいのかわからない。」と言われることもしばしばあった。

 

我ながら、発想や着眼点はなかなかだと自負しており、また評価されることもあるが、表現力が乏しいために自分のアイデアを相手に理解させることができず、それで苦労することもよくある。

 

なかなか改善できないだけに、そしてその必要性を痛いほど感じているだけに、困難を感じている。