ショーエイのアタックまんがーワン -35ページ目

ショーエイのアタックまんがーワン

タッグチームLiberteenの漫画キャラクター・ショーエイが届ける、笑えるブログ・ショーエイの小言です。宜しくお願いします。

その③からの続き…

 

無論、ミッチーもある意味信長たまの事情を理解しているし、

逆に天下万民に平等な機会を…

そういう宿命に共感するところもあって、

とりあえず信長たまの方についていくわけですが…

 

先にも述べた様に、ミッチーは相手が自分より下という根拠を探す意味で、

信長たまの理想…いわば粗を探し始めます。

こればかりは内面の部分で、表に出さずに人を馬鹿にする、

ある意味、自己顕示欲に基づく行為なので、

真意を確証するには本人以外難しい部分でも有りますが、

結果、謀反に走った事実からそういう心境の変化を齎す作用は、

動機として有力な部分と考えられます。

 

その発端が、羽柴秀吉の素行…

ミッチーからしてみれば、秀吉の「話を纏める力」という点で

信長が感じているポイントは多少理解するところでも有りますが、

ある意味、自分の様に能力のある人間がやれば、

それ以上の力を発揮できると思う点。

いわば、秀吉だから出来る事というより、

秀吉で無くとも出来る事と考えるのです。

これを深層心理として裏付けるもう一つは、

ミッチーが逆に孫子の内容を熟知していた程の知識人故に、

孫子を学べば自ずと信長の発想は気づくこと、

教育を適正に施せば秀吉でなくとも、

秀吉の様なリーダーは量産できる。

そういう考えに至ったと思われます。

更に、秀吉には教養が無く、武士として素行が粗野点。

浮気をしては女房に叱られるなど、

武家男子として家を納める威厳が全くない。

当時の武家なら浮気の一つは側室で片付く話だったため…

そう考えると農夫に機会を与えて武家の威信を崩すより、

武家の教育を受けたモノを更に学問で教育して、

厳格な武家社会を敷く方が、

規律に満ちた社会を構成しやすいと考え始めた…

まあ、ミッチーの言い分は一理あるし、

ミッチーも馬鹿では無いので、それはそれで正しい。

結局、徳川の時代がそんな感じだったし…

その後の秀吉の天下を見ても、

ミッチーの危惧する点は理解できる。

 

そこで起きた手取川の戦いでの秀吉の無断撤退事件。

軍の規律という部分を容易に犯して、

挙句の果てには、味方勢に穴が開いて上杉に負けたという始末。

それはミッチーにとっては死罪に値すべき行いだったともいえるし、

逆に信長たまは異例ともいうべき処分でこれを裁いた。

信長たまからすれば秀吉は自分の宿命を代表するコマであり、

秀吉を抹消する意味は武家でなければ武士は務まらぬという、

「天の定めはその生まれに殉ずる」という感じに思えてしまう。

故にもう一度機会をという考えに陥ったと思われる。

ある意味、信長たまの甘さとはこういう部分で、

簡単にみれば情だが…

秀吉も天下を取った後で、織田の治世は甘かった様な事を言っていたらしいが…

結局、どいつもこいつも自分の方が上に思いたいという心理は、

人間の嵯峨ともいうべき点で当然考える事なのです。

信長たまの考えをより大きく言えば

「人間の定めが天により決められているというだけではツマラナイ…」

そして信長の根底にある部分は、

「己は武家の子として今日の定めを受けたが、

来世秀吉の様な農夫の子だったら、

自分の定めは農夫で終わるのではツマラン…」

というモノでも有った訳です。

「故に、農夫で有っても天下を得られる機会をこの世に…」

まあ、高飛車な人なんで簡単に言えば、

出自関係なく才覚で世の中を動かせる世界ならば、

己は何時でも天下を狙えるという自信が有ったのでしょう…

ある意味、世界一目立ちたい人的な感じで考えてもらえばと思います。

ただし、その世界一目立ちたいがゆえに、

世界一自由で楽しい世界の構築が出来る…

そういう才能で有る事は忘れては成りません。

 

ただ、比較して聞いてみれば、

ミッチーの考え方の方が厳格で規律に満ちた世界で、

信長たまは、最後は自分の都合の様に思えてくるかも知れません。

故に、ミッチーが信長たまに取って代わろうと感じ始める点は

ご理解いただけたでしょうか…

恐らくミッチーが信長たまの理想を逆に深い意味で考え出せば、

自己の都合の様に解釈できるという状態に成ります。

ただし、この錯覚…

ミッチーの世界は、士農工商の江戸で有り、

カースト制度のあったインド、

階級制のあった英国です。

かつてのアパルトヘイトもそれに近く、

イスラム原理主義に縛られた社会もそれに近いとも言えます。

 

では、信長たまの理想の世界は、

それはアメリカ合衆国であり、現代の日本であり、

多くの民主制国家がそれに相当します。

 
その⑤へ続く

 

 

 

その②からの続き…
 
さてさて…話をもっと前に戻して、
信長たまと光秀ことミッチーの因果なのですが…
信長たまは宿命は追うモノの実際は自分が上に立つ必要性は考えていませんでした。
これは疑問を感じる人が多い部分と思われますが、
先ず、宿命たる天下万民の平等なる機会という部分では、
自分の理想を実現する土台さえあれば、
自分が上に立たずとも成し得るという考えでも有ります。
そして、幸若舞「敦盛」を好んだ事実。
まあ、諸説色々な想像が錯綜するところですが…
 
人間五十年、化天[1][2]のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ
 
有名なシーンは桶狭間の戦いの前に舞ったという点。
桶狭間の前にこの句を舞ったという事は、
死を決した意味をっ含みます。
無論、勘違いしたクレージーな宿命論者とはいえ、
死ぬことは怖い事です。
まして定めを信じてここで死なば、その定めは何も意味しません。
かといって今川に怖気づいて恥をさらして死ぬは、
定めをも汚す事と成ります。
そこで、人の一生はいずれは滅ぶもの、
定めは所詮夢事なのかも知れぬが…
定め有ればこれを汚すことなかれ…
と覚悟を決めたところです。
まあ、「うつけの兵法」では
実は勝算を見出しての出兵だったとするのですが、
それでも自分の勝機は結果が出ねば解らぬこと、
故に、最後は
「死を決して勝機を逃がすことなかれ!!」
と自分を戒める意味でこの句を詠んだとします。
 
ただ、桶狭間以降もこの句を好んだというのがポイントで、
ゲン担ぎとも考えられますが、
逆に生への執着をすて定めに成就せんという意味で
捉えられることも出来る部分です。
生いわば現生への執着が無ければ、
いくら財を得たとしても、死なば無意味、
いくら権力を維持したとしても死なば無意味、
ただし善為すところ成就すら場、死して尚も名を残せじ…
幸若舞「敦盛」の句の意味を追求していけば、
そういう真理に結びつくとも考えられます。
よって財も権力も宿命を全うするための道具ではあれど、
必ずしも必要なものでは無く、
それが他に属するモノであっても、助けとならば奪う必要も無し。
これは徳川との同盟を大事にした点でも言えます。
故に、足利義昭が将軍たる器で、
玄徳の様に信長の補佐するところを理解していたのなら、
信長の力によって足利家再興は成し得た事でしょうし、
それ以前の応仁の乱などの習わし同様に、将軍家を立てて
それで事を納める事は不思議な事では無いとも思われます。
よって信長の膨張された野心は、後世の俗が己の野心と照らし合わせて、
信長を俗物化させた空想とも言えます。
 
筆者がこうして信長たまの意図する意味を好意的に考える様に、
ミッチー(光秀)も信長たまの生き様を好意的に捉えていたと考えたかも知れません。
ミッチーが曹操と同じ感じなら、
人間の良識に惹かれる点は言えます。
曹操が玄徳の真っすぐな生きざまに惹かれ、
以前大事に扱っていたように、
関羽の玄徳に対する忠義に惚れ込んだように・・・
信長が私心を捨てて真っすぐに定めに対して生きていくのなら、
自分はそれを補佐しても構わない。
玄徳に対してはそれで自分を補佐して欲しいと考えた様に…
信長の夢に付きあっても良いと考えたとも言えます。
 
ただ…人間のそういう善的な部分の思考は、
意外にもモロク崩れやすいので、
当てには成らない、恋愛に似た感情といえます。
いわばその人に惹かれる切っ掛けには成るが、
時が立てば、夫婦と一緒で惹かれた部分は醜悪な部分が見え始めて、
徐々に薄れていく。
玄徳が曹操を信じなかった部分は、
惚れやすく冷めやすいタイプだったという点で、
人の醜悪な点を見出す事にシフトする人間だったという事です。
これは人に対する潔癖症な人間が陥りやすい深層心理なのですが、
自分が完璧と自負するがゆえに、
他人の醜悪な部分に猜疑を持つというモノです。
光秀が自信を「治世の能臣」と位置づけるがゆえに、
己こそが絶対たる真理そのモノという内に秘めたる気持ちがあるゆえに、
信長たまと何れは対立し始めるのです。
 
信長たまの不運な点は、真っすぐ故に煙たがわれ、
理に適うがゆえに恐れられる。
孔明=としましたが、皆さん…孔明の怖さをご存知ですか?
自分の意見よりも更に優れた見識で異を唱える。
普通の君主ならば、自分は孔明に良い様に使われると錯覚してしまうのです。
孔明が引きこもりのニートとして暮らしていた理由も、
その辺を知っていての事だったといえます。
恐らく引きこもりニートに成る前に、何度か仕官したと思いますが、
アイデアを出しても拒絶されたり、
ある意味当時の常識に押しつぶされたりといった感じで、
ほぼ役立たず扱いされていた感じだったとも思います。
これは現代で言うなればSONYでプレーステーションを開発した
久夛良木 健氏の奮闘みたいな話が近く、
彼の場合、大賀典雄というSONYの実力者が玄徳だったのかもしれません。

https://ja.wikipedia.org/wiki/PlayStation_(ゲーム機)


まあ、孔明の場合、彼の才能にとっては窮屈過ぎた

恐らく劉表の陣営を見てニートに成った方がマシと考えたとも思われます。

孔明のアイデアは素晴らしいが金が掛かる…

なんて言われたら…無能に成っちゃうしね…

連弩に木牛流馬を考えて、研究費を下さいと言っても、

自分でサンプル作って持ってきなさいって言われて、

…木材加工するのが苦手なんで、誰か設計図を加工してくれない…

何か…オッサンが原作書けても漫画に落とせないからダメと

編集者に言われたのを思い出すね…

 

現代っ子のように、上があれではどこに行ってもダメだな…

韓信の様に一生懸命アピールして仕官を探す様な努力もしない、

まあ、三顧の礼以前の話を考えれば最近巷で言われるニート説は、

かなり現実的な所だったと思います。

まあ、オッサンも副収入で暮らせるから、

作家活動は気が向いたらなんて感じでやっているように、

農作業で食っていけるし面倒だからまあ良いか・・・
孔明もそんな感じだったりして…
 
ただ、玄ちゃんが誘ってくれて、すべて自由にやらせてくれたから、
南荊州と蜀を分捕って、曹操の作った魏を虐めてやったぜ…
って出来たわけで、
計略にしても何にしても悪い事考えて実行しても、
全部、自分が悪い子ちゃんで、玄ちゃんは流されただけという
蜀漢というイメージが損なわれない国づくりも出来た訳です。
それは何もかも玄ちゃんが孔明を信じて任せてくれたがゆえに出来た事…
でも、あれだけ恐ろしい悪い子ちゃんに成れるような才能を、
自分の下に置いたら…本人が乗っ取る意識が無くても、
乗っ取られると錯覚してしまうのでは…
因みにまさか孔明が…と考える
孔明だから有り得ない…と考えるようでは孔明は絶対に見向きもしません。
そういう人間に限って、自分を使いこなせない君主なのだから…
まあ、孔明のやる事を理解し、時にはそれでは方向性が違うという、
明確に孔明と向き合って理を解ける人間でなければ、
ただ恐ろしくなって逃げていくだけとも言えます。
故に、玄ちゃんは凄いんだぞ!!BY ショーエイ
 
とはいえ信長たまも同じ状態で、
斯波氏立てても斯波氏が猜疑を抱いて信長を邪魔者に感じ始める。
宿命を背負っている故に、
自分の理想を口やかましく訴えるし、
邪魔者として手を出してくれば宿命の為に悪い子ちゃんに成って、
乗っ取るしか無くなる。
まあ、誰か良い子で居させて…という感じで、
玄ちゃんの様に全幅の信頼を置いて任せてくれれば楽なのに…
 
これは足利義昭も同じで、結局自分を前に出そうとして、
最後は信長から逃げていく。
ある意味、信長たまの性格も問題で、
丁寧に主君を扱う故に、その主君は勘違いを起こして、
織田軍団が自分のモノにできると錯覚する。
錯覚し始めると勝手に物事を遂行し始めて、
信長たまの意図するところを外し、
逆鱗に触れて説教を食らう。
丁寧に扱う姿勢と逆鱗に触れた時の鬼の様な感じのギャップが恐ろしくて、
みんな逃げ出したくなる…
実際、信長たまは女性に近い感じの人で、
良妻に努めている女性が、夫の浮気に激情して急に怖くなるような、
そういうイメージの人です。
こうなると…亭主は萎縮するか、逆上してDVに訴えて黙らせるか…
でも、奥さんが吉田沙保里さんみたいに強かったら…
逆にぶっ飛ばされますよね…
そうやって恐妻に成っては離婚を繰り返すうちに、
イメージが杉田かおるさんみたいになっちゃうのもご理解いただけますでしょうか…
まあ、あそこまで行くと良妻を装ってても、イメージ定着しちゃって、
いつ恐妻に変貌するか解らない…そういうイメージ信長たまには付随してくる感じ…
単純な話…浮気しなければいいんだよ…戦国的な意味合いで…
 
長いけどその④まで続く…文字制限が邪魔!!
①からの続き…
歴史事実とその心情を探る意味で
個人的に興味を持つ作風を考えると…
例えるなら織田信長と明智光秀の関係性で、
信長の情状も光秀の情状も明確に示せば、
両者をサポートする側が興味を示せる作品に成るのでは…
信長の情状のみでは、光秀側のサポーターは反発する、
光秀側の情状のみでは信長側のサポーターは反発する。
両者の情状を善悪で区切らずに、心境変化で表現すれば、
人間として起こるべくして起きた話として理解できるといえます。
 
これを詳しく書くには、小説なみにしたためる必要性もあるため、
頑張って「うつけの兵法」という名ので、
信長の話を書いてみようと思っていますが、
 
簡単な流れで言えば、
光秀は足利義昭を将軍として、
幕府再興によって天下平定を目指した。
ただし、光秀の野心部分は見逃しては成りません。
光秀の野心は自らの才覚で義昭を補佐し、
その功績にによって幕府再興の暁には第一の幕臣となる事だった。
野心を持たないのなら出家して仏法哲学者としての道があったはずなので、
武家としての立場に留まった選択肢から、
彼を聖人の様に考えるには無理が生じるとも言えます。
よって彼が「治世の能臣」を目指した野心は考えられます。
※これは筆者の心理分析によるものですが、
心理思考的に曹操に近かったのは明智光秀の方で、
諸葛孔明に近かったのは寧ろ信長の方です。
そして二人の関係性は、三国志とは逆転した立場とすると、
実に本能寺の辺は辻褄が有って来るという事です。
故に、光秀は乱世の姦雄では無く、治世の能臣をっ目指した…
理由は曹操の様に家系的な地盤無く、
自力で部隊を組織する状態に無かった為、
己の現状として能臣のみが大成する機に合ったと見出すだろうからです。
一方の信長は孔明とは異なり、最初から今回は地盤を持っていた。
故に自らの野心と宿命をむき出しに出来たという感じです。

 

一方の信長は、野心家であったという感じはイメージとして拭いきれませんが、

彼の行動を詳細に分析すると、宿命を帯びた野心といえます。

これは人を差別なく評価し、取り立てたり接する事も厭わない性格に現れる意味です。

いわば元より地盤を有していたのなら、庶民を蔑視するほうが当然なのに、

何故、蔑視する事無く同じ人間として見れたのか…

裏を返せばその方が人材が集まるから…と、いうのは逆に後付けの話で、

今の時代で言えば、

学歴に囚われず能力のみ評価する経営者で、

簡単そうで難しい…いわば、学歴の無い人間に難しい事を理解させるより、

学歴で難しい部分を理解できる保証が有る人間の方が、

使いやすいと考えるからです。

農民は農業の事には生来明るいが、武家の作業は理解できない。

経営者の苦労を考えず、自分の給料のみしか考えない社員に、

経営を任せるより、経営を理解する社員に経営を任せる方が良い。

単純に考えればそういう話にもなります。

よって如何に差別なく扱うという行為が難しい事なのか…

先ず知っておく方が賢明に成ります。

いわば弱者からしてみれば理想的でも、

強者にとってはそれほど必要で無い事なのです。

ただ、信長の思考になるとそこに留まるは凡人の所業に成るのです。

ここで一つ言えるのは信長は宿命を感じる程イカレタ人間=

自分は天より定められし人間と勘違いしていたとも言えます。

ただ、勘違いが勘違いで無いと自信に証明する意味で、

イカれる程、宿命を背負ったと言えます。

それ故に、天下万民皆平等という考えに従ったと言えます。

勿論、それを証明するには武家以外の人間が、

武家以上の能力を持つ事を実感せねばなりません。

いわば学歴無いモノでも東大生以上の能力を発揮できるという証明です。

そしてその証明こそが、宿命を全うする自分に対する意義、

「天は万民にたいして公平に機会を与えているものであり、

自らはその世界を実現する為に存在する。」

という確証に繋がるのです。

こうして考えれば、何故農民上がりの秀吉を重用したのかも、

合点が行くのではと思います。

ここで「うつけの兵法」と題する意味合いです。

信長=諸葛孔明とした際に、

孫子に匹敵する兵法家という点は大事に成ります。

ただし、勉強家のイメージが先行する孔明とは違い、

信長は勉強家というイメージは薄いかも知れません。

ただ、オッサン先生は…

「孫子を知らずして孫子を語る」

という事を言っています。

 

孫子を知らずして孫子なんて語れないだろう!!

と、皆さんは考えるでしょうが、
オッサン先生に言わせえば、
孫子が語ることと同じ内容を知らずとも語れれば、
それは孫子と同じレベルになるのでは…
という発想なのです。
そして信長というのはそれを題材とするにうってつけの人物と言えるのです。
孔明の場合、孫子を熟知していた可能性が有るので面白くないと言った感じかな…
 
以前のブログで孫子を説明しましたが…
正直、オッサンもあんまり孫子の文脈には詳しくありませんが、
オッサンは自分の言いたい事は、孫子を探れば出てくるという自信が有るそうです。
???
何という…恐れ多き発言…
ただ、信長…もう…こうなったら僕自身のイメージは森蘭丸みたいに成るので、
信長たまと言い換えて話しますが、
信長たまも同じ様な感じだったら…
そういう意味でタイトルを「うつけの兵法」としただけです。
そして、オッサン先生みたいな勘違いした様な言動をすれば、
皆さん…オッサンを「うつけもの」の様に見てしまいますよね…
よってこれこそが信長が「うつけ」と言われた部分として辻褄が有って来るのです。
 
では、秀吉を重用する際に、信長たまは何をしたのか?
秀吉に様々な補佐を与えています。
信長たまは秀吉に適材適所という意味で、
人の話を纏める器量に注目します。
人の話を纏める器量とは…
色々な意見を集約して最良を選択する能力です。
これは理解力という部分でもあり、
現代風に言えば情報からケーススタディによって
適正を導き出すという所です。
よって秀吉自身がアイデアを生み出す力を持ち合わせていないだろうが、
出てくるアイデアを集約して組み立てる方向へ導くリーダーには成れると考えたのです。
逆を返せば、アイデアを生み出す力を信長たま自身が持っているわけで、
自分のアイデアを自分以外で実行させるには、
秀吉の様な人物はうってつけだったのです。
また、アイデアは有っても実行に移すにあたって、
様々な難問が生じる事は周知の事で、
現場でその難問に対処して実現化できる人物こそ、
安心して任せられる人物と成るのです。
いわば、信長たまが発したアイデアが現場で難局に嵌った際、
信長たまに更なるアイデアを聞きに来る。
それはそれで構わないのですが、
アイデアを現場で解決しながら成就した報告のみ受けられれば、
それだけスピード感が増すというモノ。
その中で秀吉にはそういう力が見られるために、
ドンドンと任せていけたと言えます。
そして、信長たまは秀吉に足りない知識を補わせる…
いわば学問で勉強させるより実践で学ばせる意味合いも含めて、
戦闘面では蜂須賀小六、兵法面では竹中半兵衛などを宛がうのです。
そしてそれらを取りまとめてチームとして動かすには、
武家出身者よりも、農民出身者である秀吉の方が
上手く纏められると見ていたのです。
何故?
武家出身者ではその知識を学んだプライドから、
他の意見を用いるには障壁を齎すが、
学ぶ姿勢の途上にある事知り、
それは自身の能力の足りなさをあえて知りうる農民出身者故に、
他の教えに忠実な姿勢を示せる。
そしてその下で動く者たちも、自らの力を最大限に発揮でき、
一つの纏まりとして一人の勇将より大きな力を生み出す。
 
はい…これ孫子で言われている事です!!
文脈調べるの面倒なので、出しませんが、
以前もブログで取り上げた部分です。
 
信長たまは逆に言えば知っていてやったというよりも、
自然と合理的な効果を検証するうえで生じた結果といえます。
そしてそれを文脈にしたためて後世に残せば…
孫子と同じこと言ってるだけじゃん…
とな成るので、孫子が既に語っているのなら、
孫子の言葉にしておけばいい…
という感じで秀吉が出世していった事実だけが残ったのかな?
ここが曹操と違う点!!
曹操は孟徳新書としてこういう事を残しましたね…
 
長いけど…その③に続く…

どうも…ショーエイです。

昨年の大河ドラマ…おんな城主 直虎を一気見してみたのですが…

脚本家があの「JIN 仁」を手掛けた森下佳子という人だったのですが…

 

フィクションのドラマとして見れば良い話に纏めたと評価できる感じですが、

大河ドラマというノン・フィクションが求められるモノとして見ると、

全く辻褄の合わない愚作となってしまいます。

 

大河ドラマで、

ドラマだから歴史フィクションでも良いという感じは多々あるので、

作品としては史実とは全く違う別世界の話…

いわばIFの状態なら、

直虎という架空の人物がそういう生き方をした話とすれば

綺麗なお伽話で評価は出来ます。

ただ、大河ドラマという冠上、

架空の人物では無く実在の人物として描くのなら、

歴史とのつじつま合わせが全く無い愚作と言えてしまうのです。

 

残念なことに、IT技術の進歩でWIKI調べが容易に成ったご時世では、

視聴者の興味ですぐに「実際の所」を簡単に調べられてしまう点を考えねば成りません。

これは脚本家が原作者を兼ねた状態で連載という意味合いで考えると、

一概に脚本家の責任にするという点は言えません。

逆にNHKのスタッフや社員がもっと真剣に対処すべき事だったとも言えます。

ある意味、脚本家の機嫌を損ねない為に、

NHKのスタッフが史実との照合で口出ししなかった様な裏話も見えてくる訳で、

結局、作品を綺麗に纏めても、

書き上げた実態は作中で悪役にやらせた忖度事情が見えてしまう

皮肉な状態であったとも言えます。

まあ、表面上と書き上げた人間のギャップがある作品で、

上辺だけの良い話と言えてしまう内容と酷評します。

 

いわば直虎の理想的な姿(表面上)を描きつつ、

実際、作家は大名時代の今川氏真の立場で書いた話という内容に

見えるという事です。

 

詳しく言えば、

史実を自分の都合で捻じ曲げるがゆえに、

史実の奥底に潜む真理を無視したストーリーに成り、

史実に潜む奥深い駆け引きが、逆に浅いモノに映ってしまったという事です。

 

まあ、因みにオッサンは市川海老蔵の信長にちょっと期待してみたらしいのですが、

所詮は歌舞伎役者…信長の真理に及ばぬレベルと残念に思ったとの事。

真・戦国無双のイメージで演じただけだろ…

オリジナリティの無いコスプレ?

と、まあ彼の人気を敵に回す様な言い方をしています。

人気が有る相手だから酷評するのはそれを敵に回すので怖い…

これでは直虎に出てくる直虎如きに馬鹿にされる愚将と同じで、

それこそ真理に反する行いで…田舎者の長いモノに巻かれる状態と言えてしまう。

 

故に、ダメなものはダメとハッキリ言って、

それを擁護する人間も纏めて切り捨てる。

これこそ信長流という事らしいのです。

因みに、海老蔵より

菅田将暉くんに信長をやらせる方が面白いと言ってます。

 

では、作品の内容…

ほぼ、WIKIと照らし合わせると、グジャグジャな内容に成ります。

勿論、WIKIに出てくる話が全て史実では無いにせよ、

外せない情報…

例えるなら信長公記>信長記という直近の記述を優先して見るなど、

WIKIには参考資料先が明記されています。

そうした比較を元に、ほぼ一致した情報であれば、

外せない情報として考えねば成りません。

この外せない情報が蔑ろにされてストーリーを組み立てると、

全然違う世界の話となってしまいます。

主人公に都合のいい設定に変換したがゆえに、

主人公の夢だけの話…お伽話に成ってしまうのです。

 

また、庶民レベルの先入観で作るがゆえに浅い話に…

徳川が信長を恐れていた、

信長が徳川を恐れていた…

ハッキリ言って農民レベルのビビりな発想…

人間不信とい病気に掛かったような話しです。

これは今回の脚本家のみならず、

日本で評価される作家全体にも言えるレベルで、

参考するに値しないレベルといえます。

 

逆に日本の作家でも司馬遼太郎氏などは評価できる人たちで、

史実の内容を吟味した上で、

上手く史実との辻褄を合わせて史実で見えないフィクション部分を

物語として描いていると言えます。

因みに彼の作品で「国盗り物語」というのが有り、

前半は斎藤道三、後半は信長なのですが、

信長の記述に関しては…「何を考えているか解らない」

という言葉が多々見受けられます。

 

実際、心理学における「誤解」が史実を複雑化させる部分で、

ビビりな人間ほど「誤解」を生じさせるというのは、

現代における人間関係でも共通して言えることです。

ある意味、「人の優しさの裏には何か潜む」

こういう誤解する心理が囁かれるのも事実で、

真意で優しくしても、裏を誤解して逆に不信感を抱くという作用も生じます。

 

戦国の世ではこうした心理作用がもっと強烈に出てくるもので、

裏切り=死という部分で意識されたであろうことは理解すべき点といえます。

 

いわば、ヤクザの親分の優しい一面と

その裏にある闇組織を纏めるという点を考えた時、

貴方は彼の優しさを好意的に受け入れられますか?

という心理部分です。

そしてその優しさを受け入れられずに警戒心を抱いてしまう。

そして隙を見てその関係から逃げ出そうとする。

自己の視点で見れば当然の事の流れに感じるのですが、

では、本意の優しさで接した相手はどう感じるか…

貴方の怯えた心情など相手は全く知る由も有りません、

それゆえに隙を見て逃げた行為は、

裏切られたと激情させる話に成り、

結果、逃げた人間が警戒していた事が

そのまま降りかかる事となるのです。

 
戦国時代に於ける心理状態はほぼこれに近いと言えます。
 
野良ネコが人間を警戒してすり寄らないのと一緒で、
手なずけるには時間が掛かります。
ただ、沢山いるネコの中で、警戒心を持たずに近づいてくるネコは、
逆に可愛く思えてしまいます。
無論、相手がネコ嫌いだった場合は、それは罠で、
警戒心を持たないネコは馬鹿に見えます。
しかし、例えば自分の家を糞尿で荒す事態が発生した場合、
可愛いネコは見逃して面倒見るが、
懐かないネコは駆除しようという対象に成る点は否めません。
 
何が正解で何が不正解なのか…
結果のみ知るところで、
ネコなら頭で行動をコントロールすることは叶いませんが、
人間にとってはそこは人生の選択という駆け引きなのです。
それをネコと同じでレベルで、
一方のみを信じて行動する…アホと見られも仕方のない話です。
ネコでも賢いネコは、距離感を保ちつつ、
警戒心と好奇心の駆け引きで相手を見極める事が出来るのですから、
人間もその位の駆け引きは考えていきましょう。
いわば、怯える農民は侍が近づくと逃げていくが、
駆け引きを知る農民は、侍と距離を保ちつつ交渉で相手を探る、
当時の社会構成はこういう事でも有ったと理解できます。
そして土地を荒す行為が一揆としたなら、
それを駆除する行為も必要に成るわけで、
どちらが善でどちらが悪かという話は、
一概には見極められない所でも有ります。
 
ノン・フィクションで話を書く場合、
そこは歴史に対する裁判であることが一番望ましい。
いわば善か悪を見極めるには色々な事情が重なる為、
また当時の社会構成上、報復行為として当然だっただろう事柄などを考え、
見ていくことが大事なのです。
そして裁判の如く、史実に有る証拠を照らし合わせて、
心情でありその情状をさぐる事が大切です。
そしてそれを考えさせる作品ならば、
色々な方角からの興味を引き込む…
 
②に続く…
 
 
 
 
 

 

 

 
 

 

どうも…ショーエイです。
さてさて今年も引き続き北朝鮮問題で
コント劇場が継続されそうな話ですが…
北朝鮮は韓国にすり寄った形で動き出したのですが…
これに対してアホ首相は時間稼ぎだのなんだのと
当たり前の事を言っています。
当たり前とは…
誰もがその可能性を知っている事。
その上で更なる問題の根本的な部分を見極めようとしているだけです。
 
日本の様に北朝鮮を敵視しているのなら、
後々手のひら返して同じことを繰り返すのは当然です。
敵視される方からしても、隙を見せればいつ戦争を仕掛けてくるか解らない…
日本人側からすればそれは北朝鮮であると思うように、
軍備拡大、自衛隊の海外派兵合法化など日本の行動を考えれば、
日本が戦争をしたがっているという印象を与えていても可笑しくは有りません。
 
そういう自己のイメージを考えずに、
北朝鮮は嘘をついていると言っているのだから、
おこちゃまの言い分にしか聞こえないのも事実です。
ある意味、キム・ボンよりアホ・ボンの方がおこちゃまに見える話です。
 
さて、問題の核兵器なのですが…
日本やアメリカが北朝鮮を潰そうという姿勢を崩さないのなら、
核兵器を北朝鮮が放棄することは考えられません。
ただ実際に戦争になって困るのは韓国で、
先ず韓国は確実に戦争による被害を被るという点。
アメリカが韓国も同盟国として扱う以上、
韓国の被害を軽視して行動する訳には行かない。
そういう状況下でキーマンとなるのは日本では無く、韓国です。
アホはアホ故に日本がキーマンで有ると勘違いしている…
故に、ウザいのでアメリカもハイハイと聞いたふり…
そして困るなら米国製の武器で武装しておきなさい…
と、ぼったくりバーで国税をジャンジャンまき散らしている有様…
 
キム・ボンは恐らくその点を突いて韓国にすり寄ったと考えます。
韓国が戦争に前向きに成らない限り、
米国も簡単には戦争に踏み切れない。
その反面、アホ首相はまんまとキム・ボンの手の内で転がされ、
慰安婦問題を含めて韓国との亀裂を拡大させようとしてます。
ある意味、韓国が裏切った的な言い分で…
ガキかてめえは!!
 
実際、北朝鮮は核兵器で脅しを掛けるもアメリカとの
戦争を怖がっているのは当然です。
ただ、戦争して勝てる策があるとすれば、
反米感情を煽って、他の反米感情を持つ組織や国家と連携して、
米軍の分散を図る事。
そして欧州が参戦しない状況を構築する事です。
勝てる見込みのない戦争は国を挙げた自爆テロと同じで、
国内外から立場を追い込まれればそういう可能性は有るかも知れません。
 
こうした戦略面での行動で北朝鮮の動向を探るのなら、
アホ首相の様に北は嘘をついているかどうかなんて話は
どうでも良い事なのです。
元々、嘘有りきで考えるのが当然なのですから…
それを前提に物事を考えるのなら
北朝鮮が有利に成る状況を先ず構築させない事が先決。
そうなると米国がイスラエル問題などで孤立化することは愚策。
それに追随して米国に媚び売っても何の良策にも成らない。
また、韓国との関係も、慰安婦問題で対立する点は仕方のない事だとしても、
それ以外の事で日韓の亀裂を市民レベルで感じさせることは愚策です。
平昌オリンピックに政府高官を派遣しないなんて行為も、
韓国にそんな日本と一緒に戦争なんてできるかという不信感を与えるだけです。
まして日本が戦争できる状態に成ることは好意的に感じないわけだから、
韓国が自国の安全を犠牲にしてまで北朝鮮と戦争するとは思えません。
逆に日本が軍を動かすのなら、韓国は戦争をしないと断言する事も叶います。
いわば北の軍事力が怖いわけでは無く、
日本を暴走させる方がよっぽど危険と言えてしまう話でも有ります。
 
そういう日本が自国のイメージを勘違いしている点を突いて
日韓の分断を図り、米国が困惑する状況を生み出したと考えるのなら、
キム・ボンの策は日本政府が間抜け故に、上手く嵌りそうと言えることです。
キム・ボンをガキ扱いするのは構わないが、
そのクソガキに良い様に翻弄されるダメな大人では、
情けない以上に間抜けな話としか言いようが無いと言えます。
 
正直、経済制裁で北が孤立化する状況というより、
アホとドラ男大統領が、間抜けなまでに傲慢な姿勢で、
自身の孤立化を強めるため、
逆に心理的に孤立させるには至らない点。
いくら経済制裁を現状課したとしても、
一握りの首脳部が餓死するほどには成らない点。
いわば北朝鮮の国民が苦しむだけで、
首脳部は自分の食い扶持を彼らから徴収すれば良いだけだからです。
 
以前、四面楚歌を構築する話をしましたが、
最終的には心理的な孤立を与えなければ無意味な事だと言うことです。
いわば頼れる仲間が誰もいない故に勝ち目がないと思わせるのが
ポイントに成ります。
それを敵を嫌う人間まだ大勢いるという状況では、
勝ち目無しと諦めるより、むしろ勝機を探る思考の方が働いてしまいます。
更に、現状アホもドラ男(トランプ)も解っていないのは、
中国が最近北朝鮮の占領を考え始めているという事。
いわば国連制裁の効力が働かない状況を中国は想定していて、
アメリカがそれに対して中国へプレッシャーを掛け続ける。
中国は敢えて精力的に制裁に参加する姿勢をみせて、
それでも効果は無い部分を強調する。
2019~2020年…丁度、東京オリンピックが迫るころ合いを見て、
中国は北朝鮮への侵攻を考えるのではと思われます。
このころに成れば、米国のプレッシャーは更に強まり、
中国も結果を出すという意味合いの大義が成立します。
その結果を出すために軍事行動へ向かう事も考えられるわけです。
更にその時期は…
日本がオリンピック開催もあって
戦争状態に成ることを嫌がるポイントであり、
その為、米軍があえて動きにくい状況に成るからです。
 
ただし、韓国が日本への嫌がらせで北朝鮮と戦争する可能性も有りますが、
今回の歩み寄りがどういう流れに成っていくかでその辺も変わってきます。
 
アホは所詮アホなレベルでしか物事を考えていないので、
こういう可能性は全く考慮していません。
アホに限らず、日本の外務省であり防衛省も無能が故に、
アホをアホのまま放置しているとも言えます。
少しでも日本政府機関全体が無能でなければ、
その辺を察して、韓国との関係性構築を
対北朝鮮の最重要課題として動き出すと思われるからです。
更には、韓国が警戒するような憲法改正など考えず、
日米韓の役割分担を現状出来得る範囲で
協議するよな動きを示すだろうと考えます。
 
それとは逆行した行動を示すがゆえに、
アホと罵るに値するレベルと言えるのです。
 
まあ、このアホをアホと気づかない国民もどうしようもないレベルなのですが…
テレビや新聞、ネットニュースでこういう点を指摘する人間が居ない事自体が
嘆かわしい話で、
安全保障が専門でない国民が知り得ない点は無理も有りません。
正直、池上彰氏が語れば国民も理解できるだろうとは思いますが、
彼はそれほど命知らずでは無いだろうから、
気付いたとしても言えない事になってしまいそうです。
いわば、アホ首相を無能扱いしなければならない訳で、
色々と難しい立場に追い込まれる…今の日本はそういう状態なのです。
 
今年、一発目からアホをアホと言えてしまう…
アホは一生アホで居続けるだろうから、
アホが日本のトップである限り、
日本はアホな国で有り続ける。
 
アホはアホでも皆を楽しませ続けるアホなら、
それはそれで素晴らしいと思う。
ある意味、外国人観光客が見て喜ぶ
ゴスロリやらギャルまたコスプレしている子たちの方が、
アホな総理大臣よりよっぽど日本の為に成ると言えます。
ある意味あのアホみたいなクレイジーさが
外国人に日本が別世界であるかの様な印象を与えるわけで、
それが一種の興味の対象でもあると言えるのです。
日本人がリオのカーニバルを見て別世界に感じるのと同じで、
楽しそうな国という意味で、そういうクレイジーな文化は、
一種のアピールポイントといえます。
これを日本の恥部の様にしてしまうのは、逆にアホな話で、
もっとオリンピックに向けてそういう部分をアピールした方が良いんじゃないのか…
綺麗な国日本より、クレイジーな国日本の方が、
より海外からクール・ジャパンとして認識されるモノです。
因みにクールって英語では涼しいという意味よりも、
他人とは異なる生き様に対して「That`s COOL」と表現するモノなのです。
オタクも含めてアイドルに熱狂して奇妙な踊りで盛り上がる感じも含めて、
他国には無い雰囲気を生み出している国故に「COOL JAPAN」なのです。
普通の長いモノに巻かれる日本人は全然「COOL」では無く「FOOL」なのですよ・・・
 

どうも…ショーエイです。

今年最後のブログと成ると思いますが…

今年も色々な事件が多発して世の中は大変でした。

まあ、アホ2人と悪ガキの喧嘩はまだ継続中で、

来年もクダラナイ・コントに巻き込まれるのかな…

下手したら昔ながらの爆薬仕掛けてバンバンやる感じで

コントの幕引きをしたりして…

 

では、本題の成功する人…しない人…

これは根本的には心理学としての話で、

おおよその統計上のものとご理解ください。

絶対では無いが、深層心理に基づく話です。

 

まず、成功する人しない人は、

一般的に言えばその実行力で決まると言えます。

ただ、この実行力という言葉を理解していても、

結局は消極的に陥ってしまう人も多いと思います。

 

そこで解りやすく分析してみると、

無言実行型は実行力の無い人、

有言実行型は実行力のある人と分けられます。

成功するしないをベースに例外を言えば、

技術力があるか無いかでも変わります。

技術力とはPCスキルなどを含む、

自己に生産性を齎す技術。

料理が得意な人は、おいしい料理を提供できれば、

シェフとして成功できる・・・そういう違いです。

ただし社交面の実行力が伴わなければ、

結局は人に使われる側のままとも言えますが、

それで家族と幸せに暮らせているのなら、

失敗とは言えません。

 

ただし起業して成功するしないは、

上記の分析で大きく異なります。

 

まず、起業するだけなら金さえあれば誰でもできます。

ただ無言実行型の人間が失敗しやすいというのは、

自らのヴィジョンを他に伝える事をしないので、

ワンマン経営型に成ってしまいます。

ワンマン経営で企業が上昇傾向にあれば、

社員もその流れを信用して付いていくだろうが、

下降傾向に陥った際に、一気に見限られるのも事実です。

 

逆に有言実行型は、周りに馬鹿にされる様な事を言いますが、

その分、自分のヴィジョンを伝えようとします。

いわば無言実行型は周りに馬鹿にされるのが嫌だから、

黙って実行に移すというだけで、

結局は一人で何事も考える方へ陥ります。

その反面、有言実行型は

周りに馬鹿にされる事を半分周知で言っている…

その為、自身の欠点を他人の意見で修正していき

その上で実行する感じに成ります。

 

では、孫子の兵法を元にこの違いを語ると…

敗ける側は、人に頼らず自身の力のみを過信するが、

勝つ側は、常に自身の足りないところを知り、

それを他で補おうとする。

孫ピンの言葉にある、

己を知りという部分に該当する意味も含みます。

 

無言実行型は他を当てにしない故に、

無言でただひたすら自身の内で解決しようとする。

有言実行型は他の意見を必要とするがゆえに、

あえてヴィジョンを語りその参加者を見極める。

 

日本では無言実行型を美徳みたいに言うため、

それ故に夢を語る人間を馬鹿にしてきました。

粗を探して「それではダメだ…」

ここで止まってしまいます。

まあ、田舎者という点はこういう部分にも表れてくるのですが、

人の夢を聞いて何とか実行できる方向へと考える、

そういう姿勢も大事なのではと思います。

 

ただし…何れにせよ成功する過程に於いては、

多大な努力…いわば過程上の失敗も繰り返さなくては成りません。

有言実行型のリスクは、その過程で呆れられる事でも有ります。

そして人に頼るという意味でも馬鹿にされがちに成る点です。

無言実行型のワンマン経営の場合は、

逆に失敗を任せた相手に押し付ける事が叶います。

 

???

ちょっと整理して言えば、

ワンマンの場合、社員にヴィジョンを語らずに仕事を投げた形に成るため、

それに従事した社員はその失敗は自身の失態として受け止めます。

逆にヴィジョンを語って仕事を任せた場合、

失敗した社員はそのヴィジョンの実効性に責任を転嫁してしまう傾向を持ちます。

どの道、両者とも任せた社員の能力と根性が足りない点では一致しますが、

ワンマンの場合、もう一度チャレンジさせる過程では

社員に汚名返上という点で意識させ、

有言実行型は渋々夢に付き合わせる感じを与えます。

この点だけを見れば無言実行型のワンマン経営の方が、

流れは作りやすい様にも見えます。

 

勿論そのワンマン経営者の能力が著しく高いのなら、

逆にそのままの方が速いペースで成長することも言えます。

ただし、中途半端・・・能力が有っても「著しく高くない」場合、

自らの欠点を補えずに失敗する点は否めません。

これは圧迫心理に於いて、

任せた人間が失態を表明できなくなる状態を齎し、

ワンマン意識が伝播していく点が考えられ、

最終的に経営者同様に欠点を補えない状態を

下へ下へと齎す連鎖に発展していきます。

故に、欠点を発見しても見えなくしてしまおうとする…
まあ、最近よくある不良品や不正調整で誤魔化す状態へ
導いていくという事です。
 
逆に有言実行型の集団経営では、
責任がそのヴィジョンの実行性に有る点で一致している分、
欠点は容赦なく報告を受けます。
欠点が報告される分、いち早く対応を考える事が叶うため、
修正していくことが逆に容易に成ります。
また、集団で考えようとする分、
意見も多方面から出てくる為、
解決策の糸口も見つかりやすい。
ただし、モチベーションという点では、
社員の質・・・いわばチームで勝ち取るという
意識があるか無いかで変わってきます。
この中にワンマンタイプが混じっていると、
直ぐに放棄したり恩着せがましい交渉が発生し,
周囲を巻き込んで混乱させる点が生じます。
それ故に、社風に合わない人間は排除する…
逆に経営者としては
シビアな判断が必要とされる点は否めません。
更にこれは失敗を受け止められるか否かでも
タイプの向き不向きが生じます。
(まあ、失敗することは当然と想定できるか否かです。)
 
まあ、成功の難しさは、両者とも両者に存在する
潜在的な欠点をどう克服するかがポイントに成るのですが、
最終的には「己を知る事」と成るわけです。
 
まあ、スポーツチームで見ても
これらの理論は強いチーム、弱いチームで比較してくと
似たような感じに成るかも知れません。

 

しかし忘れては成らないのは、

高度経済成長期の日本ではTOYOTAを含めて、

有言実行の下で、様々な技術者たちがその夢を信じて、

悪戦苦闘の下で世界で戦えるJAPAN・ブランドを構築してきたことです。

 

日本の教育上、

学歴社会ゆえに無言実行型が多くなる点は否めません。

いわば自己過信型…

勘違いしては成らないのは、

如何に社交性に富んだ人間でも、

無言実行型はワンマンタイプで有るという事です。

特化した技術は持っているが、

結局はそこに過信して他の事も

自分の理想で埋めて失敗する。

彼らは欠点を指摘されると全否定されたかのように感じてしまう。

そういうネガティヴに成る事を恐れる故に、

他人に余計な事は語らず、ただ指示だけを与えて従事させる。

そしてその環境に慣れてしまい、

年を重ねるごとに自分の行動に説明が出来ない状態を齎す。

まあ、政治家であれ官僚を見ても解る事です。

彼らのマニュフェストを見て実効性の有るモノというより、

寧ろ聞き心地いいモノで埋め尽くされてる点は、

表面上の社交的要素のみと理解すべき点でも有ります。

 

そして何よりも恐ろしい事は…

自己過信しすぎて直感だけで判断するように成るという事です。

 

将棋のプロが戦争に特化した才能が有るとは言えない。

勿論、プロの棋士はその点を弁えておられると思いますが、
中途半端な人間ほど、そこで過信してしまう。
将棋で他人の手の内が読めるから、
戦場でも相手の手の内が読めると思ってしまう。
また頭に情報を詰め込んだ学歴社会ゆえに、
多重に組み合わせた分析は不得意で、
知識、いわば一本道に沿った分析のみに陥る。
いわば・・・ホリエモンが言っていた「想定内」という所でしか考えず、
想定外の出来事に対応できない。
 
無論、彼らに兵法を語らせれば、
「彼を知り、己を知らば…」
なんて言い出す事でしょうが…
彼らの彼を知りは常に過去の情報…
己を知りは常に過信状態で自分の戦力しか考えていない…
まさにコレこそ生兵法というのですが・・・
 
多重に組み合わせる分析に於いては、
先ず情報は当たり前…いわば誰も欲しがる事。
そしてその情報を元に、自分が敵なら次に何を考えるか…
そして己の情報が全て敵に知られている状態を想定して、
敵が自分たちに対してどう備えるだろうか…
こうして考えると多岐に亘って木の枝が分かれていくように、
想定できる可能性は広がります。
コレを一人・・・いわばワンマンで考えても見落としが発生するのが当然で、
より多くの人の視点から考えを汲み取ることで、
想定する範囲が広がるという事。
その上で最上の策を講じる・・・
これが「彼を知り、己を知らばの神髄です。」
 
とは言え、普通に金もうけの意味では、
技術に特化したワンマンタイプが儲け易いのは当然ですし、
金のある人はそういう人間を欲しがります。
逆に、有言実行型の集団経営は人に頼らなければならない分、
資金が必要に成ります。
ただ、いずれにせよ天才と呼ばれる程でない人が多数なわけで、
天才で無い人が成功するには、
仲間を集って有言実行型で挑む方が賢明といえます。
まあ、天才で無い人が一生懸命ワンマンタイプで頑張っても、
所詮は認められないで終始すると割り切って考える方が良いと思います。
でも、彼らが集団で固まれば多種多様な才能を
世の中にアピールできると思ってください。
 
いわば一つの漫画作品も雑誌という集団の場を以てアピールする事で、
人目に付くわけで、消費者も多種多様性の中故に好みに遭遇しやすくなる。
 
ある意味、とんこつラーメンの巨匠が醤油ラーメンを作って
商品のバラエティを提供するより、
ラーメン博物館の様に、
多種多様な才能が集まって特化したモノを提供する方が、
より好みに遭遇しやすく満足度も得られやすくなる。
 
アイドルでも同じ…AKB48の様に集団でアピールする事で、
ソロでは成功しそうにないタイプも、誰かの好みに引っかかり、
大きく飛躍できる。
 
少し有言無言実行とはかけ離れて聞こえますが、
有言実行型とは目標を共有し集団を統率して実行していくタイプで、
無言実行型は己の才能に頼って集団を従えるタイプ。
 
また有言実行とと無言実行という辞書の意味とは異なりますが、
あくまでタイプとして「有言実行型」と「無言実行型」の違いを説明すると。
 
例えばサッカーの本田圭佑選手…
「ワールドカップで優勝する!!」
一見、有言実行型に見えますが、
結局は無言実行型で、
個人の力をアピールして周りをその駒として考えていた感じです。
故に、言わなきゃ良いのにという言葉に成る訳です。
※自己過信のファンに聞き心地いい言葉。
逆に有言実行型は長友佑都選手に近く、
ワールドカップで優勝する為に皆で一丸となって頑張ろう
的な感じに成ります。
まあ、どの道両者の目的に周りが付いて行かなかったのが
残念な事ですが、
自分が引っ張って優勝へ導くという意味では、
天才マラドーナやペレ、そしてメッシやロナウド…
彼らと比較しても見劣りするする意味で、
無理が生じます。
いわばその発言が齎す効果が結果を出す過程に於いて何の意味も持たないという意味で、
有言する事の価値が無いパフォーマンスなだけ…言葉に意味が無い…
いわば無言でも良い事を、パフォーマンスで口に出しただけの言葉。
※申し訳ないが素晴らしい選手でも世界基準の天才とは言い難いし、
その天才が発しても無言実行と同じ意味という事です。
 
これはオッサン先生が漫画原作を目指すと表明しているのも同じで、
それは有言しても無言で実行しても同じ事という意味です。
まあ、ブログ上のパフォーマンスで有言しているだけで、
その言葉が他に与える影響は全くないという事です。
逆に、オッサン先生が安保法制の件で裁判所に行くというモノは、
少なからずとも同じ思いを抱く人たちにメッセージとして伝えた点で、
有言実行という意味に成ると思います。
いわば無言で有れば誰かがそれに向かった事を誰も知り得もしない訳で、
有言することによって誰かが動き出したという事で
他に意識を与えられるという事です。
 

 

そういう意味で有言実行で優勝を目指したい意図を使い、

他の選手を鼓舞してその統率によって足りない部分を補いながら
チームとして力を付けていく。
可能性を考えても、今は足りなくとも何時かは出来るかも知れない…
そういう言葉には聞こえるものです。
そしてその言葉で全体が盛り上がるのなら、
言葉に意味が有るという形で有言と捉えます。
※辞書の中訳とは異なる意味で考えてみて下さい。
 
まあ、実際に日本女子代表は優勝しちゃった訳だし、
これは突出した才能というより、澤選手に引っ張られて、
一丸となったチームで勝ち取った賜物です。
才能という意味では、澤選手より
フランスのネシブやブラジルのマルタの方が輝いていた感じだし…
彼女も有言を使い、他の選手たちもその実効性を補佐する雰囲気が、
あのチームにはあったとも言えます。
 
有言実行とは自分の言葉で恥をかきたくないがために
頑張る為の言葉では無く、
周囲と目的を共有して達成を目指すための言葉として活用する。
これが天才を凌ぐための成功の道なのです。
それが無い言葉は…意味の無い言葉で行動する…無言実行で、
本人以外何をしたいのか訳わかんない状態に成るのです。
いわば自分だけの目標なら言わなくても何の影響もないよね…
的な意味。
 
まあ、何度も言うようですが、
天才だったら無言実行でも行けます。
 
日本のアホな首相と副首相…
プライミニスター・アホと、
アホー副総理ね…
(ちょっとロレツが回んない言い方に成っちゃったけど…)
 
自分たちが歴史的な天才に成れると勘違いしてるんじゃ…
何…富国強兵ですか?
今の時代は富国狂商ですよ…
狂商って・・・消費者がガンガンモノを買える状態。
中国なんてそんな感じ…
故にアメリカもあまり突っ込めない…
市民が金使える状態こそ経済が回る。
経済が回れば企業も儲かる。
市場が活発なら、企業も進出してくる。
諸外国もその国に一目を置く。
 
法人税下げても、市場に魅力が無ければ、
HQを置く意味では機能性として不憫だし、
税金バーゲンみたいな状態で各国が同じ発想に転じたら、
税収が落ち込み市民への重税に走るしか無くなる。
法人税のデフレみたいな現象です。
 
そういう意味では
アホに限らず、ドランプも才能が無いね…
(鼻が詰まった…)
 
企業は自分に都合のいい話をするが、
結局は重税、低賃金に陥れば、
商品は売れなくなって市場は魅力を失う。
税金安く成っても意味の無い場所にHQ於いてもね…
彼らからしてみれば魅力のある場所で、
安い税金にしてもらいたいだけ…
まあ、民主制の弱点で、
政治家は企業から支援を受ける状態でもあるので、
彼らの言い分を無視できず、
悪政に走り出す…ほぼ合法化された賄賂の様な腐敗政治。
 
移転する話…脅しだね・・・
例えるならニューヨークからダブリンに移転する?
どうぞどうぞ…
ニューヨークの多種多様な人材の集まる場所から離れて、
人材確保で後手に回るつもりなのかな?
日本企業が日本を離れて上海やシンガポールへ?
日本人の人材確保に不憫する状態なだけ…
田舎者集団の日本人社員たちが、
好んで外国へ行きたがるのかな?
実際はこんな感じ。
 
まあ、アホに限っては軍事費上昇の為に増税…
金の無い人間はどうせお金を落とさないから…無視。
そんな感じだね…
実際は、中国を見ても解るように
金の無い人間が金を持つと爆買いする。
層の多い低所得者が金を使いだせば商品はそれだけ売れる。
 
税収が落ち込んでる理由は・・・
簡単な話…儲かる企業が半減したから…
なぜ儲からない…海外の競争で負けたから?
それ以上に日本の消費が半減したから…
どうやら調べると初任給に変化は有りませんが、
経費が使えなくなり、残業代は出ない。
ボーナスは充てに成らず、
ローンを組むのも難しいという大きな違いが判明。
更に調べると食費などの物価は高騰し、
衣食住+趣の食に消費の多数が向かい、
衣や趣味に使う分量が減る・・・
住など以ての外、車すら買えない・・・
都内だと車庫問題がある為、維持費が大変。
物が売れないというより、物が買えないのが現状。
TPPなどで農業部門を保護するのは良いけど…
それで物価が高くてじゃアホとしか言いようが有りません。
 
失敗する人たちがこぞって更なる失敗へと導いていく。
儲かる企業は自己の利益を追求するため、
社会を腐敗へと導いていく。
確かに企業からしてみれば我慢して消費が増えていく状態を期待するより、
目先の自己利益が優先だろうしね…
その経営者は数字さえ出せれば株主に継続させてもらえる。
その先の事なんて知った事ではない…
 
政治家がこんな話に乗っかってどうするの?
とは言え、こんな社会事情を聞いて、
そうなのかと危機感を持つ一般市民も少ない。
これは日本に限らず世界全体で言える話です。
まあ、残念なことに歴史の事例を見ても、
後、100年はこういう腐敗状態が続くだろうと思います。
 
オッサン先生に言わせると・・・
この100年間は英雄と呼ばれる天才は表に出てこないだろう・・・
江戸時代の徳川吉宗が没して100年後に幕末に発展した…
その間に誰か記憶にあるかというと…
知らん…え、葛飾北斎?・・・英雄じゃないし…
 
「越後屋・・・お主も悪よのう…」
そんな時代が100年も続いたんじゃないのかな…
そういう意味では、アホもアホーも更には今泉くんだったかな…
歴史的にどうでも良いような人間ばかりなんだよ・・・所詮は…
それとも東條のアホみたいに戦争でも起こして
アホみたいな名声でも目指すつもりなのかな・・・?
 
と、言う感じで失望している有様です。
ただアメリカの様にドランプ支持が低い状態ならまだ救いようが有るが、
アホに50%の支持が付くようなこの国の状態は絶望的だとか…
まあ、ネトウヨとマスコミが同じレベルの話題しか提供できない時点で、
どうしようもない・・・と、ほぼ諦めモード…
 
人類は世代を重ねても、
末期症状に気づくのに100年も掛かるんだね…
それともいち早くこれに気づき、民衆は立ち上がれるのか?
無理だよね…今、辛うじてでも生活できてるから…
 
とはいえ…徳川吉宗の様な内政的英雄の登場位は
期待したいものですが・・・
相当な天才でなければ、腐敗の修正は難しく、
前述のとおり苦難の道すがら足元を掬われて失速してしまうものです。
来年は日本国民一人一人、そして大多数が
もっと賢くなってくれる事を願うばかりです。
 
 
 

どうも…ショーエイです。

オリンピック開催もあと2年半と近づいてきました。

そこで個人的にオリンピックの開会演出をするならどういう風にするかを考えてみて、

日本以外の世界中の人が見て退屈しないように

JAPANベースで出来る楽曲の選択をしてみました。

時代背景を想像しながら聞いてみて下さい。

 

まず、演出は戦後から1964年の東京オリンピックを通して、

2020年のオリンピックへ向かう・・・

そうした日本と世界の時代背景を象徴するもので考えてみました。

先ず、最初は中島みゆきさんの「時代」から入りたいと思います。

 

YOUTUBEに中島みゆきさんのバージョンが無かったので、

それ以外でベストな徳永英明さんバージョンでUPしました。

戦後の日本と「時代」の歌詞を照らし合わせて、

第二次大戦後の復興時代を感じて聞いてみて下さい。

これは日本のみ成らず世界大戦後の世界全体に共通して感じられる
そんな意味を与えるのではと思います。
戦禍で焼けた街、戦争で失った大事な人たち…
そういう背景を感じながら聞いてみて下さい。

そして朝鮮戦争などの世界情勢を背景に思い浮かべてみて下さい。

これを1945~1950年を象徴する挿入歌とし、

「回る回るよ時代は回る」
という歌詞が、人類が同じ戦争を何度も繰り返すという皮肉を与え、
「そんな世界のままで良いのか?」
というメッセージも合わせて感じてもらえればと思います。

 

楽曲の時期は違いますが、演出と歌詞のマッチングを優先すると、

この曲がベストと思います。

 


1950~1964を象徴する挿入歌として、上を向いて歩こうを選びます。

 


4PMのSUKIYAKIで世界中の人が聞き覚えのある楽曲を

2番目に挿入する演出は大事なポイントです。

世界中の人が知らない曲ばかりだと、

意外と演出に入り込めない視聴心理現象を起こすため、

2番目に誰もが聞いたことある曲を引き込んで、

演出の趣旨へ引き込むテクニックを用います。

また、上を向いて歩こうの歌詞がその時代を象徴する意味でも、

伝わりやすいため、2番手はこの曲以外には有り得ないとも思います。

日本は東京オリンピックへ向かう頃合いで、

世界はベトナム戦争へと向かった時代です。

日本が活気づく有様は坂本九さんのバージョンが良いと思いますが、

ベトナム戦争などの世界背景と聞き覚えのあるSOUNDで演出を考えるなら、

4PMのバージョンも良いと思います。

ただ、歌詞の意味では4PMのSUKIYAKIは単なるLOVESONGにしか聞こえなくなるので、

メッセージ性を考えるなら坂本九さんの歌詞は絶対に成ってきます。

出来れば両者を上手くアレンジしたバージョンが有ればベストなのかもと思います。

(誰か作ってくれ…的な期待をしてます…)

 

1964~1975の挿入歌としては美空ひばりさんの真っ赤な太陽。

一度目の東京オリンピックを得て、

日の出のごとく

高度経済成長へと進む日本の勢いを象徴するサウンドで、

世界はベトナム戦争の真っ最中。

真っ赤な太陽という表現がマッチングする時代だと思います。

ただ一点、2番の「何時かは沈む太陽だけど…」という部分は、

メッセージ性で考えると経済が沈むことを予期する意味合いとなるので、

「時には沈む太陽だけど…」と変更し、浮き沈みの苦難は有るけど

という意味合いにした方が、恋愛の情熱を復興への情熱と掛けた意味として

解りやすいのかもと思います。

まあ、そのままでも良いけど…

個人的には何か預言者っぽい歌詞に感じるので気に成るポイントです。


バックバンドにはTOKYO SKA PARADISE ORCHESTRAを

 

歌い手は現状多部未華子さんの歌い方がベストな感じですが、

美空ひばりさんに匹敵する歌い手の誰かが居れば、

SOUND的には盛り上がりを演出できると思います。

あまり古すぎず、グループ・サウンズの雰囲気を壊さない演出が

ポイントに成ります。

因みにこの歌詞を、当時の終身雇用を会社との恋愛という形で

掛け合わせて聞いてみるととても意味深な歌詞に成ります。

まあ、日本人にしか解らない事かも知れませんが…

 


1975~1985を象徴する楽曲にはゴダイゴの銀河鉄道999。

バブリー日本を象徴する時代で、

銀河鉄道の様に世界へ大きく旅立った時代。

コレをEXILEのバージョンが丁度、

ワンレンボディコンとバブリーなイメージを合わせて演出してくれるので、

そのまま彼らのバージョンを採用したいと思います。

まあ、その反面世界は冷戦時代の真っただ中ですが、

ベトナム戦争も終わり、冷戦もベルリンの壁崩壊へと向かって行く時代。

その移り変わりの時代としてもこの楽曲は素敵だと思います。

そしてここまでを第一部として区切り、

戦争で疲弊した国々に30年の月日を掛けて大きく成長した日本を紹介し、

前向きに…いわば「上を向いて歩こう」というメッセージを盛り込みます。

そして、第二部からはバブル崩壊を得て現在に至る日本は勿論、

冷戦終結を迎え世界は徐々に手を取り合って

国際協調を目指す社会へ奮闘していく時代だというメッセージに切り替えていきます。

いわば第一部は世界と対等に成るまでの日本、

そして第二部は世界と共に歩み始めた日本というイメージで演出を想像してみて下さい。

 


1985~2000年と15年分の時代を宇多田ヒカルさんのFirst Loveで演出します。

少しこの辺で再びある程度世界に認知されてる方に登場してもらう事と、

FirstLoveとい意味あいがベルリンの壁崩壊後の米ソの関係を象徴できる点、

更にはバラードに落とし込んでバブル崩壊後の日本の苦境をイメージできると考えました。

悲ラブソングは日本のバブル崩壊のみ成らず、

社会主義から民主主義へと変貌していった国々を表し、

コソボ問題などの苦境をイメージする意味で捉えると、

意味合いがマッチングするかも知れません。

 


そして2000年~2005年のミレニアム期を、

平原綾香さんが歌うJupitorで演出します。

Jupitorの楽曲は世界中でも認知度の高い楽曲で、

ミレニアム期というグローバリゼーションが大きく広がる盛り上がりと、

そのSOUNDのマッチング、

更に9.11の新しいテロとの戦争の始まりを印象付けるうえで、

ベストな選択なのではと思います。

因みに今でこそ当たり前な9月に行われる国連総会・・・

これが招集され注目されるようになったのは、

2000年9月8日の国連ミレニアム宣言からの話なのです。

そういう流れが大きな惑星ジュピターを象徴する意味でも、

印象的に映ると思います。

 

 


2005年~2010年を象徴する楽曲に中島みゆきさんの地上の星を・・・

 

時代はテロ戦争の真っただ中、イラク戦争などが始まった時代でも有ります。

また、日本は高度経済成長期に活躍された方々が引退していった時期。

世代の変化と世界の変化をイメージするのには、

中島みゆきさんのオリジナルバージョンと聖飢魔Ⅱバージョンで迷うところですが、

やっぱり中島みゆきさんのオリジナルの方が良いかも知れません。

ただ、2008年のリーマンショックが発生した混沌した時代を考えると、

聖飢魔Ⅱバージョンの演出が伝わりやすいような気もします。

ある意味両者のコラボとか考えても新鮮かも知れません。
世代交代で迎える地球規模の問題は、
第二次大戦の苦境を知る出代が中心となって
国連ミレニアム宣言などで国際協調の一歩を踏み込んだのとは裏腹に、
反グローバル化なども主張されるように成って、
旧世代の努力と逆行する世界中が信用という意味で
疑心暗鬼に陥った状態が発生した意味を含みます。
全てがリーマンショックによる世界同時不況による影響と考えると、
聖飢魔Ⅱの楽曲がフィットするように感じるかもしれません。

 


2010~2015を象徴するものとしてAKB48のヘビーローテーションで、

リーマンショックから立ち直っていく世界と、

クール・ジャパンが浸透し始めたアニメとアイドルの時代で、

華やかさを演出し一気にテンションを盛り上げます。
景気回復で混沌し疑心暗鬼になりつつあった時代から、
国際協調の有り方を見つめなおす時代へと向かいます。
米ロの対立の反面、ISに対する協調の必要性。
そして難民問題・・・南シナ海の問題
さらには現在の北朝鮮問題など…
戦争か外交か…そういう事を考えなおす時代で、
戦争では解決しない問題と徐々に気付き始める流れと期待する意味で、
アップテンポの曲で表現してみました。
更にHEAVY LOTATIONはラジオで繰り返し掛かる楽曲という意味ならず、
過労死などに象徴される過剰労働意味も含みます。
SNS革命、スマホの浸透、リーマンショックからの立ち直りと、
曲が演出する華やかさの背後に、
貧富の差が生じている皮肉を込めた意味合いで盛り込みます。
まあ、演出としてはこの楽曲世界のオタクに認知されたものでも有るので、
盛り上がりが頂点に達するにはべストな選択と言える事と、
インテリ層からも皮肉を込めた演出という部分で評価を受ける意味合いで、
面白い試みに成るとも思います。
ただ、演出でそういう皮肉な闇の部分を見せつつ、
歌詞に有るように「徐々に近づいていく」という部分で、
手を差し伸べ合う大切さを強調すれば、
この楽曲は最高の選択となることも考えられます。
無論、ブラック企業と過剰労働を解消する
政治的なパフォーマンスが伴わなければ、
皮肉である部分は解消されないわけですが…
後、2年半でどう流れていくか…
※防衛費の為に重税を課そうとする現状では無理かも…
 
 
さて…2015年~2020年を象徴する楽曲…
まだまだこれからの時代であり、社会問題をどう修正していくかで、
ヘビーローテーションの後の楽曲の選曲となるわけですが…

 


再びオリンピックへ向かう時代と明るい世界・・・

これを象徴できるようなFIFA World Cup 2002のアンセムみたいな感じの演出が

ベストに成れるようにしたいものです。

 

まあ、どうせ日本人の演出だとAKBなどのアイドル曲を

盛り上げに持ってきたいと考えるのは想定できる事です。

秋元康氏を組織委員長に起用している時点で、

外せないポイントとして考えておくべきとも思います。

その上で、演出が文学的に成るように構成し、

尚且つ、Made IN JAPANで世界中の人に感動を与るには、

かなりハードルの高いモノと成ります。

 

そういう事を含めて構成を考えたわけですが、

1945~1950の部分を省き、

上を向いて歩こうから始めるような演出だと、

オリンピック通して世界の平和を伝えるメッセージがぼやけ、

日本人の自己満足に陥るとも思います。

ロンドンオリンピックの演出の様にイギリス自慢に成ってほしくない。

あくまでイギリス自慢が世界に認知されているレベル故に、

それでも成立した訳ですが…

日本自慢はクール・ジャパンといえ、アジアとフランス位・・・

それ以外はドラゴン・ボールとポケモンしか認知されてません。

下手にこんな演出をすると、開会式のパフォーマンスはスルーされます。

 

確かにオリンピックの開会演出はどの国もメッセージ性は有りません。

ただ演出に終始した内容に成っているので、

そのレベルで良いのならそのレベルで良いのではとも思います。

唯一、オリンピックの歴史を振り返る程度が関の山…

 

ただ、後世、日本の2020オリンピック・パラリンピックは凄かった…

そういうモノを目指すのなら、

世界に平和を促す演出は平和憲法の国という日本ならではのモノと伝わると思います。

 

とは言え、まあ、今のレベルで進めば…

最後の演出は…アニソンみたいな感じに…


しかも、こういう感じテクノ・ハードロックの演出に向かうのではとも思います。

それともAKBか坂系の演出にするのかな?

 

正直、本来は洋楽で構成を考える当方として見れば、

メッセージ性の無い演出だけに終始する

他の楽曲は興味なし!!

多分、世界基準でも興味を持たれない方向に成るのかも知れません。

ロンドン大会での演出ですらあまり感動しなかった…
そういえば有名人がいっぱい登場したよね…
 
因みに秋元康氏作曲の「川の流れのように」を
バブル崩壊の部分に挿入する演出も有りそうですが…
問題はその歌詞が…川の流れの様に身を任せ、
アメリカナイズされていくことを嘆く意味に成りかねないので、
恐らく不評を買います。
「知らず知らず歩いてきた細く長い道の・・・振り返ればはるか遠く故郷が見える。」
これをバブル期崩壊の部分で挿入すると、戦前の日本から離れてしまい、
バブル崩壊の災厄はアメリカナイズされたことに
よって招いた出来事という意味が成立します。
そして、戦前の時代が正しかったかのような誤解を与えるものになると思われます。
国際社会を舞台にする演出で、
気づかずにこういう事をしてしまう事は多々あります。
パフォーマンスだけしか思いつかない演出家が多いので、
何とも言えませんが…
日本に限らず、宗教文化の異なる世界全体を相手にするという事は、
とても神経を使う作業だと感じて考えてもらえればと思います。
 
日本の楽曲を紹介するだけの演出か、
日本の楽曲を印象付けるための演出か、
印象付けるには映画の様に曲とイメージのマッチングは
とても大切だという話でした。
中国など外国の楽曲を聞いただけではあまり印象に残らない様に、
海外の人も日本の曲を聞いただけではおなじという事は知っておくべき事だと思います。

どうも…ショーエイです。

日本社会の無神経さに尽くあきれ果てる今日この頃です。

まず、無神経なニュースの表現。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171213-00000075-san-m_est


産経新聞のニュースですが…

パレスティナ側が今我慢しているという事を考えず、

まるで侮辱しているかのような内容。

「長年にわたるイスラエルへの抵抗の結果が出ないことによる「疲れ」。」

と、「言う声もある」と表現しているが、

大事なポイントを押さえていないのが問題です。

 

実際にトランプは宣言こそすれど、

移転の法執行延期にはサインをしている。

パレスティナ側からすれば現状では米国の一時的な感情の隆起で、

大統領が変われば事態は変化すると期待しているだろうこと。

それゆえの我慢なのではと見る方が、

パレスティナの人たちも報われるという事です。

 

「疲れ」という暴力集団的な言い方している事は、

その彼らの我慢に対する侮辱にしか成らない。

いわばトランプの宣言から

今後、イスラエル寄りの見解が主流となってで事態が変わらないのなら、

彼らに残される道は命がけの抵抗と成るからです。

 

根本的な問題を考えると、

元々はパレスティナ人の土地に英国の占領統治が始まり、

その流れからユダヤ人に土地を譲渡した事。

第二次大戦後、各地で民族独立が成功した流れとは裏腹に、

ユダヤ人の独立が保護され、

パレスティナ人は占領統治下からの実質的な独立が阻まれた。

事の怨恨はココに始まると言えます。

 

第三者の公平な目線で見れば、

イスラエルの独立もパレスティナの独立も同じ意味で尊重されるべき。

ただ、複雑なのは土地が重複しているという事。

無論、ユダヤ人の独立国家であるイスラエルは

現状であれ今後も尊重されるべきものであるが、

重複する土地に於いてはパレスティナ人の人権も尊重されるべき。

 

一見、イスラエルの法律上、

他民族、多宗教の存在を認める形で尊重されていますが、

参政権、選挙権などではユダヤ人が多数派を占める状態で調整されています。
WIKI記載の人口データによると。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB

 

2013年のイスラエル中央統計局のデータでは、総人口は802万人である。そのうちユダヤ人が604万人(75.3%)、アラブ人が166万人(20.7%)、その他32万人(4.0%)となっている[221]。アラブ人の大半はムスリム[222]、2009年のデータではアラブ人の78%がムスリムである[223]。なお、イスラエルでは1970年に改正された帰還法により、ユダヤ人の定義をユダヤ教を信仰しているか、母親がユダヤ人のものとしている。イスラエルは移民国家であり、出身地ごとに欧米系をアシュケナジム、アジア・アフリカ系をセファルディム、オリエント系をミズラヒムと呼び[224]、同じユダヤ人でも異なる人種の場合もある(ユダヤ人も参照)。

 
という分布に成りますが、
WIKI記載のパレスティナ人の人口を見ると…

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%8A

パレスチナ自治区の人口は約330万人で、西岸地区が3分の2、ガザ地区が3分の1を占めるとされる。これは、900万人強いるとされるパレスチナ人の全人口の3分の1にあたる。

自治政府は1995年の暫定自治拡大合意に基づき、1996年に行われた立法評議会選挙によって正式に発足した。

 
と有り、実際には604万対496万人の人口比率に成る感じです。
ただしWIKIのパレスティナに関する統計データは年号が無いため
古いものの可能性も有り、人口比率は1:1に近いと考えても良いかもしれません。
 
さて、イスラエルの法律では他民族多宗教が認められていると記しましたが、
法律の内情はWKI参照の概略で
イスラエルは建国宣言で「ユダヤ人の国家」(Jewish State)と規定されており、ユダヤ人の定義は、「帰還法」(1970年改正)により、「ユダヤ教徒もしくはユダヤ人の母親から生まれたもの」と定義している。同時にアラブ人の市民権なども認めており、ユダヤ人「のみ」の国家というわけではない[92]。ユダヤ教の教義に基づく安息日の労働を禁ずる法が存在し、教育に関する法ではユダヤ教文化を重視することが盛り込まれている[91]
 
と、なっています。
一方で議会制民主主義を採用しているとあり、
イスラエルがパレスティナ人を「対等な国民」と認めた場合、
ユダヤ教主体の政治体系が崩壊してしまうという事が考えられます。
この矛盾とも言うべき点は、よく知っておくべきポイントです。
日本人に限りませんが、多くの人がこの矛盾点を全く知らない事が、
第三国の世論を複雑化させている所です。
 
民主制、宗教の自由を認めているからイスラエルは悪くない!!
 
仮に知っていた場合は、
イスラエルはアパルトヘイトの様な政治体系を持っているから、
悪い国家だ!!
 
まあ、こうした両極な考えを導き出す意味で矛盾点とさせてもらいます。
 
とはいえイスラエルのユダヤ人主体=単一民族国家という
アイデンティは無視されるべきものでは無いし、
国連憲章に於ける内政不干渉という点でも、
その状態を維持したいという政策には
その不当性を主張できないという事も有りますし、
そこはイスラエルの主張を理解しても良いと思います。
ただし、国連憲章に於ける、
全ての人類の対等な人権(略)という意味においては、
一国家内でのパレスティナ人の権利は
不当に扱われているという事が言えます。
そこでイスラエルの主張を尊重する意味においては、
パレスティナは独立国家として扱い、
彼らは彼らで国家を形成する状態を認めるしかない。
現状の結果はこういう事です。
 
では、なぜ未だに拗れているのか…
これは全てイスラエル側の横暴が原因です。
これはハッキリと言えることで、
よくニュースでイスラエルによる
ヨルダン川西域への入植というようなものが流れます。
入植とは、
ある意味イスラエルが開発に着手したという意味で理解すれば良いと思いますが、
例えば住宅地、リゾート開発と考えれば資本主義的な意味で
悪事とは言いにくい事に成ります。
米国の一部の人がイスラエルのこの行為を悪事としない点は、
資本主義的な発想で適切と感じているからだと思われます。
とはいえそれによって土地の権利等はイスラエル側に属することになるので、
パレスティナ側からすればそれは侵略行為で土地を奪われたことを意味します。
これがイスラエルの横暴とするポイントです。
いわば一国家内の出来事故に、
現j段階では国際法上侵略行為に成りませんが、
パレスティナの独立が認められてしまうと、
この入植行為は侵略行為に成るからです。
 
イスラエルは自治や独立した政治権利を認めているから、
パレスティナ人は国家として国の方針に従えという、
非対等な考えを押し通しています。
こうしたイスラエルの主張に、
貴方がパレスティナ側の人間だったら納得できますか?
 
イスラエルはこうした権利を押し通したいが為に
パレスティナ国家の独立を認めません。
しかし、一国家としてはアパルトヘイト同様に、
パレスティナ人に対等、特に国家としての政治的権利は
存在しません。
故に、イスラエルの横暴な権利主張は認められない事と成ります。
国際社会がパレスティナ独立に前向きに考えるポイントはこういう事です。
 
今回、トランプがエルサレムへの大使館移転を宣言したのだから、
国連を含むその他の国際社会は、
逆にパレスティナを独立国家として承認する方向で対抗すべきです。
その上で東エルサレムをパレスティナの首都と認定すれば、
基本的には双方に対等な処置に発展したと言えるでしょ。
 
パレスティナ問題を含むアラブの問題は
とても複雑ですが…
複雑なのはお金が絡む話だからという事も
忘れては成りません。
 
ユダヤ人の全員が全員、横暴な考え方という訳でも有りません。
それは日本人全体がアホで田舎者という意味では無いのと一緒です。
でも、一部の力を持った人間が調子ぶっこいて、
力押しの考えに終始すると、
それで全体の印章として定着してしまうのも事実です。
 
日本の学歴社会の構図も似たようなもので…
東大卒の人脈が相互に金を動かし合って、
国内を牛耳る状態に成っている点は言うまでも有りません。
世界で言うなれば、世論で言うほど濃くは無いが、
ユダヤ人同士が融通を利かせてコミュニティーを
形成している点でも同じです。
 
で…彼らは優秀なのか?
金を持っている、金を回せる・・・
学歴というモノは先輩後輩の関係も含めて、
ある種の同類同士の信用の担保です。
そういう担保の上で金を回し合って、
技能に優れた人材を雇って利益を上げる。
何も無い人間が銀行から資金を調達するには限界が有ります。
所が、こういうコミュニティー同士は、
ゲーム上で攻略法を教授するギルドの様に、
投資ファンドを組んだら資金を投入してやる・・・的な感じで、
大きな資本を集められます。
無論、それはお勉強を頑張った人たちの利得なので、
これを僻んでも無駄な事ですが…
それで彼が優秀か?
そこは別です・・・いわば頭は普通の人レベルで、
ギルドに守られた普通のゲーマー…
まあ、裏社会で言えば大きな組織に
組み込まれて守られている組織員で、
必ずしも喧嘩無双ではないような感じです。
ガチの喧嘩ならプロの格闘家の方が強いわけだから…
 
ただ、そういうコミュニティーに守られる故に、
虎の威を借るキツネに成れる。
資本主義社会の実態はこういう事です。
これはアメリカでも同じで、
そういう意味ではユダヤ人のコミュニティーは強い。
 
こういう力関係が社会を複雑化させ、
普通レベルの頭脳で
最後は意固地に成ってパワーゲームに発展してしまうがゆえに、
解決できそうな問題も解決が難しくなる。
その代表的な問題がパレスティナ問題です。
 
まあ、キリスト教徒では無いが…
金持ちが天国へ行くのは、ラクダが針の穴を通るより難しい…
そういう皮肉が見える世界です。
 
因みにこの皮肉は不可能ではないトンチでも有るので、
頭を使えば天国(善道)への道は開かれるという意味です。
※トンチを突き詰めれば不可能では無いが…
実際はそれをやると更に皮肉られるという
とんでもないオチが有るようです。
 
 
 

 

 

どうも…ショーエイです。

結婚式などで著作権Freeで楽曲を提供すると宣言したGLAY…

所が、JASRACは料金を徴収すると言っているとか…

 

どうしてこの国は個人の権利に関しての尊重が滅茶苦茶に成るのでしょうか…

 

まず、著作権を持つ側が放棄というより無償提供に言及した場合、

管理する方もその個人の権利を尊重するのが当然です。

JASRACは著作権保護を目的としていますが、

個人が権利を利用して宣伝活動の一環とする点を妨害すべきでは有りません。

 

???

どういう事かと言うと、

無償提供によってより多くの人に親しんでもらえる環境で、

GLAYという存在を広げたい…

いわばGLAYの楽曲を広げる事で、自分たちの宣伝にも成るという事です。

日本人は無粋な話を嫌うので、

ビジネス的な部分は語りませんが、

本意とは別に、権利や逆に本意を全うする意味では、

ビジネスで主張することが大事です。

いわばGLAYがビジネス的な権利主張をしないから、

JASRACが勝手に著作権保護という名目で利用するといった感じに成るのです。

これを不当徴収とするなら裁判で不利益を被る主旨を訴えなければ成らないという事。

そうすると自己宣伝活動が表面化され、

アホみたいに日本人は失望するような話を打ち出してきます。

 

基本、著作権使用は営利目的で無ければ払う必要性は無い!!

 

最近、インターネット動画などの楽曲使用で著作権料の話が出てきます。

勘違いしている人が多いと思いますが、

YOUTUBEなどアクセス数に応じて収入が得られるというシステムなら、

これは営利目的と考えられるので著作権料の使用は妥当です。

ただし収益が確定しない場所…

個人ブログやHPでの使用は自由に使っても構いません。

 

また、結婚式など個人演奏会だったり、個人で流す楽曲に関しては、

流す側が営利目的で無いので

JASRACの著作権料徴収は本来不当徴収に値します。

これが逆に結婚式場が楽曲を提供する、
または外部からバンドを呼び寄せて演奏させる、
などの営利目的に纏わる場合、
著作権料を結婚式場または外部バンドが支払うのは当然と成ります。
 
個人の趣向で結婚式場の機器を使って音楽を流す…
どこに使用する側の営利目的が存在するのでしょうか?
 
こういう流れでJASRACの活動は不当な方向に向かっている感じがするので、
GRAYな話をします。
 
基本、YOUTUBEも著作権フリーで構わないというのが
私の個人的見解です。
芸術の拡大という意味では、自由な表現こそ望ましく、
芸術・・・特に音楽の場合、伝播する方がその楽曲の宣伝にも成ります。
 
自分の映像にこの楽曲を盛り込めばイメージがより伝わる。
それを多くの人に見てもらいたい・・・
YOUTUBEでより多くの人が見れば収益につながるが、
ある意味、確定収益では有りません。
誰も見なければ0円で、多くの人が見れば100万円という話で、
プロのバンドが演奏すれば1円でも確実に入るというモノとは異なります。
 
ある意味、Youtubeはインターネット上のストリートパフォーマンスであり、
その収益は電子上の技術で機能するチップと考える方が良いと思うのです。
ただ、楽曲のダウンロードやMP3への変換などがある為、
一概には著作管理側を批難できませんが、
逆にそこに規制するのであれば、
YOUTUBERへの著作権使用料は不当と成ります。
その規制が成立しない場合なら、
第三次利用という可能性も含めて、
著作者の権利に対して利用者は
反対に芸術創作活動に対する寄付という意味合いを兼ねて、
JASRACなどに支払うのはその手助けと位置づけることは考えられます。
(法的罰則規定が無い徴収権利という意味で…)
 
さて、()内に表現した法的罰則規定が無いという話でGRAYな話に戻りますが、
JASRACの徴収に関して、利用者全体が無視すればJASRACの徴収に赤字が発生します。
 
???
どういう事かと言うと、相手が少数の場合、
JASRACはまだ裁判で脅しを掛けられますが、
大多数の場合、裁判で赤字が発生するからです。
年会費は5000円程度と少額な為、
裁判で数百万掛けて徴収するには大きなリスクと成るからです。
罰則金なんてのも有りますが、
裁判で営利目的で無い事が上記の様に説明できる、
多分、出来なくとも徴収できるモノでは有りません。
恐らく敗訴しても年会費の支払いのみで判決。
罰則金はほぼゆすり(※あえて犯罪用語で言います)の為の方便。
ただし現状では、
大きな収益を得ているYOUTUBERは抜き打ち訴訟の意味で狙われますが、
大きな収益を得ていないYOUTUBERは狙われにくいという事です。
そこで楽曲利用者全員が無視すれば、
JASRACはYOUTUBEからの徴収を諦めると思います。
一部でも支払う人間が居ると、
逆にこういう団体は調子に乗って政府の課税同様に
取れるなら取る事を考えるだけです。
 
 
裁判が怖いから…社会全体がそれをしているから…
まるで田舎の人の様な思考が日本人の大多数の思考なのですが、
不当なものは不当と主張し、個人の権利を守る姿勢を
もっと考えてもらいたいと思います。
それが無いから政府の言いなり、力に逆らえない、
そういう国民性に成って何れは自己満独裁者を
誕生させる社会に流れてしまうのです。
 
現状、アメリカに媚び売る国の気質を見ても、
この田舎者体質が国民全体に浸透しているのでは無いかと
そう思う今日この頃です。
 
また、JASRACの権利徴収で裁判に成っても
 
「確定収益には成らない行為なので、
営利目的と言われても
個人的な表現に成るのでは無いでしょうか…」
 
と主張すればJASRACも簡単に踏み込めないと思います。
営利目的で無ければ、
憲法上の表現の自由は最大限に尊重されるべきポイントに成るからです。
因みに「表現の自由」の保護法益は
言論のみならず芸術性の尊重も含まれ、
自由なファッションや作品の表現は、
公共の福祉=公共を巻き込む行為=
被害者が故意で目撃する状況でない状態に反しない限り、
最大限に尊重されるべきものなのです。
 

まあ、営利目的と言う部分では宣伝も含まれますが…
この境界線は難しい部分と思われます。
商品を認知させる意味で、
イメージに合わせて楽曲を挿入する。
CMなどはそういう意図から商品の売れる幅を広げる
0では無い確定収益に基づくものと言えます。
まあ、と、いうよりも寧ろCM製作者が楽曲を含めたパッケージで、
CM提供者から収益を上げる故に営利目的であるとする方が、
境界線を引く意味で適切かもしれません。
 
ただイメージに合わせて楽曲を利用するという視点から
店舗内の音楽使用も考えると、
店舗内のイメージに合わせて
商品をアピールしているとも考えられますが、
外へ向けて認知を与えて購買意欲に結びつけるCMと、
店舗に入って雰囲気づくりで使用している音楽とは、
営利目的の意味で区別されるべき点だとは言えます。
いわばCMでの楽曲使用は、その効果全般で、
外から購買意欲を引き付けて利益に結び付ける行為に対して、
店舗内の楽曲使用は内側の雰囲気づくりなだけで、
その楽曲で外から客を呼び寄せている訳では無い。
逆にAKB48(古いけど)をダシに宣伝しているのなら、
AKB48を客寄せ目的で使用しているため、
著作権、肖像権など支払う必要性は生じます。
こうした権利主張を明確な論理と道理で考える、
これが都会で戦う力です。
 
田舎者はその辺解んないし怖いから…
言われるがままに納得してしまう。
東京に居る人でもこの気質なら田舎者です。
 
何でもかんでもJASRACなどが言うから払うのではなく、
納得の行かない事で権利を主張することは大事なのでは…
そして裁判などで大事に成って皆で考える機会を設ける。
そういう社会貢献の意味での自己権利の主張は大切だと考えて欲しいです。
※日本は裁判費用をもっと安くすべきという
社会政治的な改革も主張しておきます。
 
こういう事で裁判や余計な論争などは
社会に迷惑かける・・・とか考えるから、
日本人は田舎者気質で
長いモノに巻かれる内弁慶な国に成るのです。
 
田舎気質な人間ほど裁判などを恐れる…
それは未開の地、
いわば結果が解らないところへ踏み込む勇気が無いから…
故に都会に飛び出さずに、
住み慣れた場所に留まる。
例えそれが東京人であっても、
世界に向かって飛び出さないのなら田舎者と一緒。
東京も含めてそういう人間が日本人には多すぎる。
東京まで勇気を持って出てきた地方人でも、
東京で留まれば、住み慣れた日本の内側に居るだけ。
 
都会人とは、常に新しいモノを求めて、
散策するもので、
違う考えや文化と、いい(民主的な)意味で
戦う力を備えているものです。
 
日本がアメリカの後塵を浴びるのは、
日本が単一民族で有るのに対して
アメリカは多民族故に都会の暮らしに慣れた人たちで有る事は、
認めた方が良いのではと思います。
 
ただ…田舎者に都会の良さをアピールすると
都会カブレと非難を受ける様に、
大多数の日本人に
世界の広さをアピールするのは難しいのかも知れません。
 

都会人とか田舎者なんてのは、
出身地や居住地の話では無く、
現代の情報社会の中では、

その生きる姿勢次第なんだよね…

どうも…ショーエイです。

この間、北朝鮮の木造船が漂着したニュースがやってましたが…

自衛隊も政治家も危機感を感じているの?

軍備拡張とかなんとか言っていて、

結局は無策無能なのが、ニュースを公表した点で伺えます。

 

さて…この木造船漂着…ネット上では潜伏みたいな感じで騒いでいるのですが、

そんな程度の話では有りません。

このアホな日本政府が何を公言しているのか…

海保でも木造船は発見できずに日本領土に漂着できます。

そういう実情を北朝鮮に証明した話です。

それに対して何の危機感も無く…漂流した船なので帰還させました…

 
おいおい…帰還させるの別として、
漂着させた事は対応する反省くらい示しなさい。

 

ある意味

と、いう事は…

戦争に成った際に、北朝鮮が決死隊を木造船に乗せて

日本侵攻への足掛かりを作れる。

 

そうなるとこれを防ぐには、航空機では無く寧ろ潜水艦や海保の船を増やして

監視を強めるしかない。

 

日本の自衛隊も政治家もステルス機の導入に気を取られているが、

ステルス機は寧ろ攻撃用兵器。

自衛の為なら、ステルス性より寧ろステルス発見できる技術が必要です。

ただ、北朝鮮の出来得る作戦に対しては海保の船と人員の増強が寧ろ重点課題。

日本政府も、それを提案している防衛省や自衛隊が如何に無策なのか伺える話です。

木造船が日本領土に漂着できたという点は、

寧ろこういう危機感の無さを露呈している様なものです。

 
さて…北朝鮮が戦争を始めたら何処へ攻め込んでくるか…
潜水艦を用いて金沢の小松基地を狙います。
実は小松基地は東京と平壌の直線状に有る場所なので、
ミサイル迎撃の重要拠点に成ると思われるからです。
勿論、自衛隊は秘匿にしている話でしょうが…
多分、軍事に携わる人間なら内外問わず見え見えの配置です。
 
故に自衛隊の目をそこへ向けさせるのにも好都合な場所です。
小松基地を近代兵器で狙う形で、防衛意識をそこへ集中させて、
実際は北海道へ木造船に乗った決死隊が進行する作戦を取って来るでしょう。
何故、北海道か?
北海道の北はロシアに成るからです。
北朝鮮が韓国を飛び越えて日本へ侵攻した際、
拠点とするには最適な場所だからです。
更に、沖縄を主体として活動する米軍からも距離を取れる点。
 
ただし、北朝鮮だけではこの奇襲攻撃までが限界です。
もし奇襲に成功したとしても1っか月も持たずに撤退を余儀なくされるでしょうが、
その間に、本命の韓国進行が本格化する形で米軍の司令部の混乱を狙ってきます。
とはいえ、ロシアと中国の参戦の見込みが立たない場合、
それでも北朝鮮に勝算が無い事は北朝鮮も知りうるところです。
しかし、米軍の兵力が中東と他の地域で分散したら…
この作戦は少なからずとも韓国を落とす程度に成功する可能性は有ります。
 
なんて…やばい…と感じる…
それが平和ボケ…
実際に、北朝鮮がそういう行動を取れば、
ロシアと中国はアメリカと一緒に北朝鮮をボコります。
国連憲章に明確に違反する行為(侵略行為)で、
国際社会での信用という点で一致している必要性があるからです。
先にも話したように、グローバル経済で繋がった国同士故に、
双方で市場を遮断するのはデメリットでしかない為、
北朝鮮の暴走(弁護しようもない行動)ごときで、
最大の国益を無駄にはしないと考えるだろうからです。
 
故に、アホ政権が騒いでいる話はどの道無策無能なのです。
まあ、備えあれば憂いなしというのなら
木造船ごときを漂着させない警備網の構築を
優先的に進めるべきなのでは…
レーダーに映らなくても潜水艦のソナーには反応するだろうし・・・
 
【追加】
日本のサイバーセキュリティが甘い点は、
サイバー攻撃を受けた事が報告されない事です。
アメリカは国防省ですら公表します。
裏を返せば、サイバー攻撃を認識し対処したという事に成るわけで、
攻撃を受けた事すら気付かないのは、
逆にサイバー攻撃が成功した事を意味します。
???と思う人は良く考えてみて下さい。
サイバー攻撃は相手に悟られたら失敗です。
悟られずに放置されることが望ましいわけで、
攻撃を受けた側が気付いていないから
何時でも利用できるのです。
 
サイバー攻撃を受けていない、
またはブロック出来ているというより、
サイバー攻撃を受けた事すら気付いていない…
日本の状態は寧ろそう見るべきです。
 
日本に限って、そんな事有るはずが…
それが慢心で、備えを怠る心理的な腐敗です。
企業を見てください…気づけば不正だらけ…
上層部は気づいてすら無かった…
国も同じで、気づけば忖度だらけ…
国は誤魔化し続ける…
表面上良く見せて実際は穴だらけ…
それが今の日本を象徴している事に気づいているのは、
どれだけの人間がいる事やら…
 
憲法改正などで戦争できる国にすることが
備えだなんて言っているが、
現状の状態でロクに備えを考えれてもいない人間たちが、
何を妄想してるのか…

自衛隊がプロの軍隊だか知らないが、
戦略を考えるうえでは素人同然なんじゃ?
木造船が漂着できる事は北に隙を見せている話で、
それに対応する危機感が全く示されていない。
逆にこういう危機感を示すことは、
軍事機密以前に日本が国として戦略思考を持ち合わせている証明として、
敵国への抑止に成る。
どうするか…そこは軍事機密だが、
漂着させない動きをするという表明は、
日本がその奇襲攻撃の意図を察知したと
敵に感づかせる意味を持つ。
 
まあ、この間、マティス米国防長官と小野寺防衛大臣が
連絡を取り合ったニュースが流れてましたが…
多分、米国に漂着の件で怒られた感じだったのでは…
米軍もゴムボートで艦船に侵入を受けて
穴を空けられたことが有るからね…
ただ単に漂着事で済ませた日本の危機感の無さに呆れたんでしょう…
 
現状緊張状態に有って何というダラシナサか…
今のままでは米軍の情報を日本に提供した瞬間、
中国経由で北朝鮮に筒抜けに成る可能性すら感じられるんだし。
日本のサイバー防衛は、本当に遅れているのも有名だしね…
 
【追加】
さて…信じる信じないは別として…
この一連の流れでは…
日米は北朝鮮ダシにした中ロの軍事シミュレーションで敗北したことを意味します。
あくまで日本と韓国を防衛するというシミュレーションで…
いわば、先に述べた作戦は中ロの参戦が無かった場合、失敗に成りますが、
中ロの参戦、もしくはロシアだけでも厄介な話に成ります。
北海道を奇襲で落とされる意味はかなり大きなダメージで、
中国がこれに呼応して沖縄へ侵攻した場合、
米軍は韓国防衛で後手に回ってしまいます。
 
無論、これが単なるシミュレーションという笑い話で終われるのは、
コレにプラス欧州の動きが考慮されていない点もあるからです。

欧州が入り込めばロシアは逆に極東への集中は困難に成り、
中国がアメリカと日本、北が韓国という構図に…
更にオーストラリアと南シナ海で揉める東南アジアの諸国が
中国を見限って参戦したら、
中国が今度は後手に回る可能性も濃くなります。
 
国連を相対的に相手にした場合、
どの道そのシミュレーションに勝算は無い話と言えるのです。
ただし、米国と日本が孤立して世界を敵に回したら…
欧州は無視、オーストラリアなどもどちらに付くか…
シミュレーションで示す戦況次第な可能性も出てくる話です。
 
日本の間抜けさに米軍は足を引っ張られる内容に終わります。