その③からの続き…
無論、ミッチーもある意味信長たまの事情を理解しているし、
逆に天下万民に平等な機会を…
そういう宿命に共感するところもあって、
とりあえず信長たまの方についていくわけですが…
先にも述べた様に、ミッチーは相手が自分より下という根拠を探す意味で、
信長たまの理想…いわば粗を探し始めます。
こればかりは内面の部分で、表に出さずに人を馬鹿にする、
ある意味、自己顕示欲に基づく行為なので、
真意を確証するには本人以外難しい部分でも有りますが、
結果、謀反に走った事実からそういう心境の変化を齎す作用は、
動機として有力な部分と考えられます。
その発端が、羽柴秀吉の素行…
ミッチーからしてみれば、秀吉の「話を纏める力」という点で
信長が感じているポイントは多少理解するところでも有りますが、
ある意味、自分の様に能力のある人間がやれば、
それ以上の力を発揮できると思う点。
いわば、秀吉だから出来る事というより、
秀吉で無くとも出来る事と考えるのです。
これを深層心理として裏付けるもう一つは、
ミッチーが逆に孫子の内容を熟知していた程の知識人故に、
孫子を学べば自ずと信長の発想は気づくこと、
教育を適正に施せば秀吉でなくとも、
秀吉の様なリーダーは量産できる。
そういう考えに至ったと思われます。
更に、秀吉には教養が無く、武士として素行が粗野点。
浮気をしては女房に叱られるなど、
武家男子として家を納める威厳が全くない。
当時の武家なら浮気の一つは側室で片付く話だったため…
そう考えると農夫に機会を与えて武家の威信を崩すより、
武家の教育を受けたモノを更に学問で教育して、
厳格な武家社会を敷く方が、
規律に満ちた社会を構成しやすいと考え始めた…
まあ、ミッチーの言い分は一理あるし、
ミッチーも馬鹿では無いので、それはそれで正しい。
結局、徳川の時代がそんな感じだったし…
その後の秀吉の天下を見ても、
ミッチーの危惧する点は理解できる。
そこで起きた手取川の戦いでの秀吉の無断撤退事件。
軍の規律という部分を容易に犯して、
挙句の果てには、味方勢に穴が開いて上杉に負けたという始末。
それはミッチーにとっては死罪に値すべき行いだったともいえるし、
逆に信長たまは異例ともいうべき処分でこれを裁いた。
信長たまからすれば秀吉は自分の宿命を代表するコマであり、
秀吉を抹消する意味は武家でなければ武士は務まらぬという、
「天の定めはその生まれに殉ずる」という感じに思えてしまう。
故にもう一度機会をという考えに陥ったと思われる。
ある意味、信長たまの甘さとはこういう部分で、
簡単にみれば情だが…
秀吉も天下を取った後で、織田の治世は甘かった様な事を言っていたらしいが…
結局、どいつもこいつも自分の方が上に思いたいという心理は、
人間の嵯峨ともいうべき点で当然考える事なのです。
信長たまの考えをより大きく言えば
「人間の定めが天により決められているというだけではツマラナイ…」
そして信長の根底にある部分は、
「己は武家の子として今日の定めを受けたが、
来世秀吉の様な農夫の子だったら、
自分の定めは農夫で終わるのではツマラン…」
というモノでも有った訳です。
「故に、農夫で有っても天下を得られる機会をこの世に…」
まあ、高飛車な人なんで簡単に言えば、
出自関係なく才覚で世の中を動かせる世界ならば、
己は何時でも天下を狙えるという自信が有ったのでしょう…
ある意味、世界一目立ちたい人的な感じで考えてもらえばと思います。
ただし、その世界一目立ちたいがゆえに、
世界一自由で楽しい世界の構築が出来る…
そういう才能で有る事は忘れては成りません。
ただ、比較して聞いてみれば、
ミッチーの考え方の方が厳格で規律に満ちた世界で、
信長たまは、最後は自分の都合の様に思えてくるかも知れません。
故に、ミッチーが信長たまに取って代わろうと感じ始める点は
ご理解いただけたでしょうか…
恐らくミッチーが信長たまの理想を逆に深い意味で考え出せば、
自己の都合の様に解釈できるという状態に成ります。
ただし、この錯覚…
ミッチーの世界は、士農工商の江戸で有り、
カースト制度のあったインド、
階級制のあった英国です。
かつてのアパルトヘイトもそれに近く、
イスラム原理主義に縛られた社会もそれに近いとも言えます。
では、信長たまの理想の世界は、
それはアメリカ合衆国であり、現代の日本であり、
多くの民主制国家がそれに相当します。