ショーエイのアタックまんがーワン -12ページ目

ショーエイのアタックまんがーワン

タッグチームLiberteenの漫画キャラクター・ショーエイが届ける、笑えるブログ・ショーエイの小言です。宜しくお願いします。

どうも…ショーエイです。

先ず最初に言っておくのは、

マツコ・デラックスもエルトン・ジョンもジョージ・マイケルも、

さらにはミーガン・ラピノーという米女子サッカー選手だって

エンターテインナーとして、アーティストとして、

スポーツ選手として大好きだし尊敬します。

 

でも、やっぱり最近のLGBTの議論はオカシイ!!

 

彼らを人間として尊重する意味では、

同じ人間であり同じ権利を有するべき点では

当然尊重されるべきです。

 

でも同性婚という話に成ると…

そこには生理現象、生理的な行為が意識されるため、

寧ろ「気持ち悪い」と感じる方が、

人間的、動物的には正常な反応という事です。

これを否定する欧米の考え方の方が

寧ろ、間違っています。

 

逆に、そういう人たちの存在に対して

「気持ち悪い」という事は人権侵害です。

この辺の境界線はきっちりと敷いて議論されるべきです。

 

いわば…生理行為(性行為)は

基本夫婦間であっても公に想像させる事は

あまり好ましいとは言いません。

それはLGBTで有っても当然です。

ただし生物学的な意味で正常な反応と言うのは、

種族保存の意味で成立する男女間の関係のみです。

 

これを日本語の「たわけ」という意味で伝えるなら、

近親相姦、同性愛、また獣姦などをする意味になるそうです。

 

同性愛は大衆が認めているから黙認されても、

近親相姦は気持ち悪いと言っても良い。

ましてや動物相手の趣味の獣姦なんて

想像するだけでも恐ろしい。

 

これらの生理行為に拒否反応を示すのは当然の反応です。

正常に種族保存の行為としての生理現象では無いのですから。

なので寧ろそういう事を連想させる話に成った場合、

拒否反応を示す意見を批判することも実はオカシイはなしで、

寧ろそこは当然かつ正常な反応と認識するべきなのです。

 

欧米では寧ろこうした正常な権利が侵害されている、

むしろ異常な状況だという事を理解して欲しい。

 

【人権としてパートナーシップを考えるのなら】

LGBT問題は愛する対象というよりも、

人生のパートナーとして信用する対象が違う

という方向で議論をするべきなのです。

 

生理行為に結びつく結婚という概念で受け入れられない事は、

LGBTの人たちは理解した方が良いです。

それを当然の権利の様に主張するなら、

ハッキリと同性婚に関しては「無理!!」

「生理的な意味で受け入れることはできません!!」

と伝えます。

 

ただ人生のパートナーシップという事に成れば、

ある意味「養子縁組」の様な意味で

成立させても良いということは言えます。

 

結婚では無いが、

結婚と同じ権利の共有という意味で。

これは寧ろ「義兄弟」または「義姉妹」という形で

伝えた方が良いかも知れません。

ある意味、生理的な恋愛関係は必要なく、

親友として一緒に暮らす場合も含まれる意味で成立させます。

ある意味、独身貴族を貫く男女が、

同性の友人と共同生活し、

その間権利を共有するという形でも良いという感じも含まれます。

まあ、中々LGBTの人以外が活用する制度ではないのですが…

 

慈善家として友人と子供を育てる目的である場合もあるわけで、

性生活に関しては其々が別個に相手が居る場合も問題ないとする部分が結婚とは異なる部分に成ります。

いわば不倫とか浮気という概念は罪に含まれない制度に成ります。

 

恐らく正常な性意識を持つ人であり、

人間としての倫理を重んじる人、

宗教的な意識で拒絶する人の意見を尊重するなら、

こういう部分の境界線は絶対の条件にするべきです。

 

ある意味、この境界を越えて結婚という部分、

同性婚という部分に拘るのなら、

この権利は大衆の意識次第で受け入れられる事も、

後に迫害を受ける事もある恐ろしい主張となります。

 

 

やっぱ・・・政治家はバカが多いのか…

これ彼らを庇う意味では無く、

何故、きちんとした主張が出来ないのか?

という話で言っておきます。

 

大衆にビビって、真っ当なことを言うのも怖いのか?

間抜けというより腰抜けか?

 

欧米の政治家もなに良い人気取りで、

人間としての有るべき姿を主張しない!!

 

人間として生きる権利と、

人間として守るべき社会には区切りをつけて当然なのです。

寧ろ色々な宗教的価値観を総括して言うなれば、

キリスト教で有っても区切りは着けている部分だし、

各国、各宗教的な見識は尊重されるべきです。

 

もし、これ以上LGBTの人たちが

無理に同性婚の権利を主張して、

それを認めない国々に圧力を掛けるのなら、

私はこの人たちを軽蔑します。

正常な人間の機能を冒涜し、

自分たちの快楽の為に

不条理な意識を植え付けようとしているだけと考えます。

 

人間の権利として対等に受け入れられたいのなら、

寧ろ正常な人間としての主張は理解し、

彼らの受け入れられる所で議論するように

と言っておきます。

 

同性婚という概念を受け入れる自由もあれば、

受け入れない権利も尊重しなければならないという事です。

どうも・・・ショーエイです。

スシローの事件で色々問題視する意見が飛び交う中で、

少し別の目線で考えてみて欲しいです。

 

もしあなたが裁判長として、

一人の高校生の人生を破滅に追いやる判断を迫られたら、

どれだけの日本人がそれを実行できると思いますか?

 

いわば、社会抑止の意味で破滅するほどの厳罰を科す方が、

実に効果的であることは誰もが感じる部分でしょうが、

一人の高校生をそこへ追いやるという判断を、

皆さんが背負った場合、その判断を下せるのか?

そういう話に成ります。

 

因みに信長たまの治世なら、死罪にしてあげます。

死刑とはまた残酷なと思うかも知れませんが、

寧ろ優しい刑罰です。

破滅した人生で残りの余生を送るなら、

さっさと死刑にしてその余生から解放してあげた方が、

全然よいという感じです。

当人は死罪という死の恐怖を感じるでしょうが、

死んでしまえばそんなのほんの一時なのです。

 

ある意味、一般的に破滅させる人生を与える事は、

死刑に処すより本来は残酷な仕打ちという事に成ります。

そういう風に考えてみた上で、

スシローでの事件を起こした少年への刑罰はどうするべきか

考えて見なければ成らないとも言えます。

 

ただ…軽い刑罰で抑止効果として成立するのか?

 

例えるなら刑事事件として禁固5年、

民事事件として損害賠償200万円程度の判決だったとした場合。

 

判決を受けた当人としては

十分反省するに足る内容かも知れません。

しかし、被害者側として見れば納得いかない内容にも感じます。

でも判決を下す裁判長や裁判官の立場で考えた場合、

自分の判断で一人の少年の人生が左右されるという、

自責が付与されます。

少年の更生の余地を考慮し、

破滅はせめて回避させてあげたい、

道徳的な観念にとらわれるとどうしてもそういう部分が過ります。

そういう意味で判決内容は

恐らく上記に記した範囲に収まる可能性は高いです。

 

しかし…第三者から見た場合は

何だか軽いと感じる部分も多々ある内容です。

ネット上でコメントを書く人の多くは、

寧ろ見せ締めの意味でもっと吊し上げる方が

社会抑止としての正義と感じるかも知れません。

 

しかし、実際にその人が裁判官として

少年の人生を左右する立場に成ったら…

また、残酷な判決を以て寧ろ別な意味で

その判決が吊るし上げられるものと成る可能性を考えたら…

果たして自身がネットで書き込んでいるほどの

残酷な判断を下せるのでしょうか?

 

こうして考えると結構複雑な事件です。

 

信長たまなら優しく死刑にしてしまいますが、

寧ろその考え方はイスラム国家に近いようにも思います。

中国であっても同様の判決に至るかも・・・

 

でも、こんな事で死刑になると思うと・・・

 

確かに抑止効果としては絶大です。

でも・・・なんだかやり過ぎな感じもと思うと思います。

では逆に一生晒し者にして破滅の人生を味合わせるのは?

考えようによっては死刑より残酷な地獄の人生です。

こうして日本人は

刑事事件として禁固5年、

民事事件として損害賠償200万円程度

が妥当かなと陥るのです。

 

刑に服する当人としては、禁固5年に賠償200万円は

十分辛く自己の行為を反省するに足るものと成るでしょう。

しかし、それで社会復帰が出来てしまうという点が、

むしろ社会抑止として軽くみられるのも事実です。

ヤンキー漫画やら、ヤクザ漫画を見て育つ

ヤンチャな子らからすると、

下手したら

人生に箔を付ける程度に感じるレベルとも言えます。

 

ただし…こうしたケースでの刑務所生活では…

昔なら実際は下っ端扱いされる外道の犯罪に成るのですが…

そういう経験のない少年たちにはまだ知る由もない話なので、

逆に経験しない内は抑止にすらならないとも言えます。

 

こうして総括して考えてみると・・・

日本の裁判での道徳感は妥当なのかどうかも

考えさせられる事案と言えます。

 

欧米であり日本では、

中国やイスラム教の判決は残酷だとして批難対象に成ります。

でも、社会抑止で考えるならとも言えますが、

冤罪等の可能性であり、

権利上の正当性という部分で見ると、

理解しがたい判決が有るのも事実です。

 

そういう事も含めて

どういう判決が妥当なのだろうか・・・

こういう議論をネット上で考えてみても良いのではと思います。

 

さて・・・そろそろガーシーを地獄に落とす話をしましょうか・・・

日本の裁判が甘いのは事実です。

本来ならばガーシ―が国会に出席しない行為は、

選挙詐欺に当たる行為です。

直接的にこっちで処理する方が良いのに…

と、思うのですが・・・

ただし…国会議員がこの件で訴える事は出来ません。

国会議員が出来るのは確かに懲罰勧告です。

寧ろ詐欺行為で訴えられるのは有権者で、

ガーシ―が当選した地区の住民と成ります。

憲法上の解釈で、

国会議員は国民の信託、この場合は有権者の信託を得て、

国に奉仕しなけければならないわけで、

その義務を怠り、更には国庫から給与を搾取したのなら、

詐欺罪に該当する行為に成る。

ただし…ガーシ―が

国会議員としての給与を受けていない場合は、

詐欺罪といういわば搾取行為という部分では微妙に免れる事も考えられます。

※あんまりガーシ―に興味ないので…よく知りませんが…

もし、議員として給与を受けてたら詐欺罪は成立します。

まあ、本来はどの国民でも訴えて良い話なのですが…日本の裁判官は国民の権利関係に疎いので、明確に投票した有権者という権利関係が成立しないと、判断という意味で自己責任にビビって出来ないと思います。

 

因みに彼は今ドバイを拠点に活動していると聞きます。

ドバイはUAEですね。

UAEは一応、ICPOの提携国です。

犯罪者として日本の警察を通じて国際指名手配されれば、

UAEの警察が身柄確保に動けます。

 

ただ…もっと残酷な方法を用いるなら、

寧ろUAEの法律に准じてガーシ―を裁く方法です。

ネットを通じて脅迫行為などを行った事実が有るなら、

その通信の発信源がドバイである場合、

ドバイで犯罪行為を行ったとすることもできます。

ドバイの法律がどうかまでは調べてませんが、

恐らく脅迫行為が証明されれば、

全世界共通で犯罪行為として成立します。

脅迫罪に限らず、

近代国家として法治しているのなら、

侮辱罪であり、名誉棄損罪なども法律として存在するはずです。

そして下手したら日本で裁くより過激になる可能性も有ります。

 

ガーシ―の被害者は先ず、

ドバイの通信システムから

ガーシ―の行為が発生した点を証拠として確保し、

UAEで刑事事件として通知するのです。

犯罪は行為を行った場所で裁けます。

基本です。

なのでドバイで脅迫行為等を行ったのなら、

ドバイの警察は動くはずです。

 

ここにある意味日本政府の案件も付与された場合、

恐らくUAEも外交上の関係性から動くでしょう。

ガーシ―の被害者で

金銭に余裕があって、政界にもコネのある人は、

この路線で追い込めば、

彼は死にます。まあ、自殺するかも知れませんね。

被害者には

芸能事務所であり、企業経営者など有ります。

脅迫という形が体裁上難しくとも、

UAEの法律を調べて

名誉棄損に該当する刑事告訴が可能なら、

この方面で動く方が賢明です。

脅迫罪の方が犯罪性としては強いですが、

脅迫罪を認めた場合、ガーシ―の発信したネタに対して、

一部以上の事実を認めた意味になります。

これを事実として認定したくない場合は、

日本の刑法でいうなれば

侮辱罪または名誉棄損罪で訴えるのが妥当という話です。

UAEの法律でこうした内容の刑法が有るかは不明ですが、

イスラム教の方が寧ろこうした行為に対して厳罰そうなので、

恐らく厳しい意味で存在するとは予測します。

まあ、UAEの法律に通じた国際弁護士に確認して見てください。

 

日本に帰って来るのを待つより、

より地獄へ誘える可能性が有ります。

 

仮にこの事件性がUAEで認められた上で、

ガーシ―が早々と逃げたなら、

日本でのケースと合わせて

速やかに国際指名手配が付くことも予想されます。

まあスノーデン容疑者同様に

ロシアに逃げ込めばという事には成りますが…

ある意味彼程度の情報でロシアが囲うか?

と、いう事も考えられます。

何はともあれ…指名手配を食らったら、

今の様な威勢のいい生活は無理なので、

こうして速やかに潰してあげても良いのではという話です。

 

ただし、現状日本の国会議員という

外交特権を利用する可能性もあります。

日本の政治家が賢くこの件を処理するなら、

懲罰の意味で外交上の特権をはく奪し、

UAEにそれを通知します。

そしてUAEの法律に照らし合わせて

被害者が刑事告訴しやすくします。

UAEで刑事告訴されたと知ったら、

ガーシ―は少なくともドバイに居れなくなるでしょう。

そしてやむなく日本に帰国する可能性も有ります。

仮に日本にもUAEにも居なくなった場合は、

国際指名手配扱いに成ります。

この時点で今の様な威勢の良い感じは無く成ります。

どうも・・・ショーエイです。

まあ、今に限ったという事でも無いかも知れないけど…

基本的に政治家は頭が悪いんだろうね。

頭が悪いというのは学歴の事ではないです。

寧ろIQの方です。

 

人間の知能をコンピュータで分類すると…

CPUという演算能力の部分がIQです。

学歴は寧ろハードディスクの容量。

メモリーに該当する部分は記憶力。

グラフィックボードのGPUに該当する部分は

想像力に成るのかな…

 

基本的にどれだけHDやSSDの容量が豊富でも、

CPUがポンコツだと計算に延々と時間が掛かるし、

寧ろ計算出来ない事が多くなる。

 

多くの人は人間の能力に

この記憶領域の大きさを求めているだけです。

 

確かに20世紀以前の世界では

こういう人は重宝されていた。

何故ならネットもPCも無かったから、

色々な知識を豊富に蓄えた存在はそれだけで貴重だった。

でも、寧ろネットやPCが

そうした記憶を保存できる存在として登場した時代では、

寧ろそんなもの何の価値も無くなる。

いわば…何か調べようと思ったらネット検索であり、

WIKI調べで十分に情報は引き出せるからです。

しかも、人間の知識と違って曖昧では無く、

統一性のある見識がそのまま閲覧できるのです。

 

なので…

テストの勉強で一生懸命学んだ学歴なんてものは

所詮はクイズ王程度の価値しかない。

英語では日本語のテストをクイズと言います。

 

最終的にはCPUが低いままなので、

未来予測という状況想定計算が苦手という人が殆どなのです。

 

【予言ではなく状況想定計算なのです】

CPUが低い人の多い中で、

未来予測は予言といった神秘的なものに見えるでしょう。

実は未来予測は…適切な言葉すら存在しないので、

解かりやすい表現で、「状況想定計算」とします。

最近はそれでも小説やマンガなどで、

ブレインツリーというものが大分浸透したのかな?

今期から2シーズン目のアニメ「虚構推理」では、

このブレインツリーが未来を決定するものとして登場します。

ただ、その表現はまだ神秘的すぎて、

現実のブレインツリーとは理解が些か違います。

 

状況想定計算に於いては、

未来軸の可能性を枝分かれの様に想定して行くのですが、

予言の様な未知の話に成ると

この無数に拡散していく枝を選別して決定する様な話に成ります。

 

まあ、普通の人には

何が起るか解らないので適当に選ぶ感じなのかな?

 

図の黒い線が未来の可能性の分かれ道とした際、

普通の人には無数に広がる黒い線しか見えません。

その中で絶望的な方向か、

希望的な方向かの判断しか出来ないのです。

高度なCPUで計算できる人なら、

実は赤い年数で表示された時間軸であり、

真ん中の境界線などを見極める力を持ちます。

 

例えるなら、

現在のウクライナとロシアの関係は、

一番左のラインに沿って絶望的を進んでいます。

なので双方の関係性は修復不可能という評価に陥ります。

先ずツリーの中で…最良の関係のラインに行くことは不可能です。

いわば右最外のラインです。

ただし、中間の境界線で見た場合、

いずれの場所からでも中間線から極力右外側に向かい、

いわば最良の方向に向かう事は可能なのです。

ただしそこには時間の経過を伴う点は否定しては成らないのです。

 

一方でイスラエルとパレスティナの問題は、

30年以上の最悪(左大外)の関係で進みました。

良好な関係を築くまでの中間線に到達するには、

単純に最短でさらに30年の時間を要すると考えます。

その中で小競り合いなどを続けている双方の関係は、

最悪のラインから徐々に中間線には近づいているが、

絶望的なエリアを掻い潜るように、

中々中間線に届いてくれません。

 

優秀な人で、イスラエルとパレスティナ双方が、

共存共栄できる状態で、

更には良好な関係を維持してくれるように導けるのなら、

最短で中間線を越えることは可能です。

しかし…絶望的エリアに居る場合、

様々な不信感が双方に根付いて、

裏切りや感情的な選択肢が常に付きまとい、

最悪のライン…

いわば中間線から遠ざかっていく選択肢を齎すのです。

 

こうしてブレインツリーを見せながら説明すると、

これを知った人たちには

この現象が何となく理解できるでしょう。

でも…残念なことに…恐らく世界中で

このツリーの状況想定計算の仕組みを知るのは、

このブログを読んだ人に限られるという事も言っておきます。

まあ、ブレインツリーの話は

昔カリフォルニアの小さな大学でした事は有りますが、

この状況想定計算の図として説明するのは、

今回が初めてに成ります。

 

因みにこのブログで記した話がよく当たるのは、

このブレインツリーの状況想定計算を

自然と見極めていたからで、

論理的に図式にして解説するような分析までは

していなかっただけと言っておきます。

 

勿論赤の時間軸も単純に5年分割して説明してますが、

日割りにも成るし、時間割でも発生します。

なのでその出来事がどのような時間軸で考えた方が良いのかは、

ハッキリ言って感性の領域に成る為、説明できません。

まあ、例えるならサッカーの試合で考えるなら、

選択肢の枝は下手したら分か秒の中で動く話に成るとも言え、

選手の成長といったスパンで考えるなら

月や日割りという事にも成ります。

 

勿論、国同士の外交上の問題なら、

年や5年単位で見極める事に成るわけですが…

その中では世代交代であり、政権交代、

世代間の意識の変化といった要素を計算しつつ、

出来る限り希望的いわば平和的な方へ導く頭脳が

必要に成ると言っておきます。

 

【頭が悪すぎる政治家とは…】

先ず…政治家とは言わずに、

一般的にブレインツリーの図の様な構造は知られてません。

また、色々な要素が絡んで、

図の様に単純に修正が進む話でもありません。

この図を知ってある意味行程表を組む事は可能です。

その行程表を組んで、

その目標に向かって平和的に世界各国が協力して取り組めば、

絶望的な状況から中間線を越えて

平和的かつ希望的な状態に戻すことは可能です。

 

でも・・・頭が悪すぎる政治家が絡むと…

絶望的なエリアで生じる副作用を当然の様に主張するのです。

いわば不信感から生じる保身行動です。

 

現在、中国とアメリカの間で半導体であり鉱物資源の話で、

色々と規制を用いてやりあってます。

アメリカの保身行動がこれを引き起こしているという現象です。

この保身行動…

一見するとアメリカの産業であり技術を守るのに

当然の行為に見えます。

それはブレインツリーの図を見た際の

一つの枝の中での話でしかない事すら誰も気づかないのです。

 

ブレインツリーはある意味歴史を分析する際にも使えます。

これを80年代、90年代のアメリカに当てはめると、

同じ事を80年代のアメリカはやりました。

相手は日本です。

結果として…90年代のアメリカはどうなったか…

日本に車であり家電産業は席巻されてしまいます。

寧ろ…アメリカは日本の技術力に敗北した時期です。

ところが2000年以降は再び逆転します。

何故か…

日本の技術を吸収しつつ、新時代の技術面で挽回したからです。

新時代の技術とは…先ずITです。

ITと言っても、ハード面の話で進めますが…

テレビ放送という時代からネット社会に転じる時代を先取りして、

コンピュータ部門に力を入れたという感じです。

ネット社会に必要なのは、コンピュータです。

それはスマートフォンも含まれるもので、

この演算機器の部門で優位性を勝ち取るといった効果が、

日米の逆転を引き起こした。

日本の技術はその部品の映像を表現するモニターの部分で

優位性を保てるはずだったが、

こうした技術は寧ろ韓国や台湾という場所で

安価に生産させることで日本の優位性は知らない内に

奪われていく事と成った。

 

さて…ブレインツリーの中で80年代、90年代、2000年代、そして2010年代、20年代と50年のスパンで見た際に、

80年代、90年代の保身に走った行動は

寧ろ米国にとってプラスには成りませんでした。

逆に敗北を認めてからの2000年代の躍進の方が、

アメリカを立ち直らせた訳です。

 

では…中国との半導体競争は…

寧ろ80年代の失態と同じことをしているだけなのです。

逆に今度は一応の同盟国であった日本とは違って、

中国がその面で技術的優位に立ったら、

中国の技術を国力で打開することは難しくなる。

これもブレインツリーで計算する中の最悪の結果で想定します。

日本の技術だからある意味業務提携といった形で、

その技術の根底を知る事が出来た訳ですが、

それが中国と敵対した状態に成ったら、

中国がその秘密や秘訣を簡単に米国に渡すことは無く成ります。

 

そう考えるのなら

寧ろ経済的に良好な関係を維持したまま、

ある程度の技術は盗み見できる環境の方が良いと言えます。

勿論、相手も米国の技術を盗み見してきますが、

双方がそうした状況下で発展していく方が、

米国が追いつく際に素早く動けるし、

中国との市場争いでも共存共栄することで、

そうほうの武力的な敵愾心を和らげることにも繋がる。

最終的に平和的な関係の維持を考えるなら、

こうした競争の方が米国にとっても安全かつ効果的なのです。

 

これが対立という関係性で進んだ場合、

仮に中国が技術面で逆転したら、

冷戦時代の逆で、アメリカは当時のソ連や中国同様に、

遅れを取る未来が生じる可能性も有るのです。

 

【アメリカの政治家は80年物の残飯!!】

ブレインツリーの状況想定計算を用いると、

未来の技術も見えます。

正直…メタヴァースとVRが進展しない理由も、

実は明確に見えてきます。

 

メタヴァースの成功には、

集約された圧倒的なユーザー数が必要です。

そしてそれは現状、VRを用いる必要性は無く、

モニターを通したTPS…

いわば第三者視点の操作でも十分なのです。

ある意味、メタヴァースは

この世界とは別のIT空間として存在すれば良いのですが、

そこにITの世界で誰もが共通して住んでいる状態で無ければ、

結局はその空間を別の空間に移動するという、

いわば没入感が削がれる現象が発生するのです。

それではゲームとして説明した場合、

Aのゲームに飽きたから、

Bのゲームをやる

という現状の環境と変化が無くなる話に成ります。

 

いわばメタヴァースの中では、

コンピュータを立ち上げた時点で、

そのコンピュータの世界が全てのIT世界に繋がっていて、

その中で行き来して生活できるもので有れば良いのです。

 

と、考えるなら…

Windowsであり、GoogleのOSは既にメタヴァースの領域なのです。

アバターが無いので意識は薄いですが…

GoogleならそこからYoutubeを開いて

好きな動画を検索して、

テレビ番組見る代わりに時間つぶしで見れる。

寧ろGoogleに限らず、

WindowsのEdgeからでも行けるわけです。

更にはNetflixなどもそこにはあるわけです。

買い物するならアマゾンであり、楽天なども有るわけです。

ゲーム探すならSteamなども有るわけで…

よく考えてみれば…

既にメタヴァースはそれらによって知らない内に

存在しているのです。

逆にザッカーバーグが目指す意味のメタヴァースなら、

実はWindowsのOS機能で出来る事を

アバターという自己の分身の世界を通してやるだけの話なのです。

ある意味アバターで会議が出来る仕組みとか、

アバター同士で仮想空間の街に出かけて遊ぶとか、

そういう仕組みを売りにしている時点で要らないものなのです。

 

寧ろ…ゲームとして売り出してヒットさせた方が良いと言えます。

 

メタヴァースの基本OSは既にWindowsに有る事を、

まあ・・・マイクロソフト自身も

気づいた方がいいのではないでしょうか…

 

次にVRことヴァーチャルリアリティの話…

最初に一言…

引きこもりニートは体を動かすことが苦手で、

キーボードやゲームパッドを使用して生活している。

何故…VR付けて動き回って

疲れるような遊び方をしなければ成らないのか?

 

冗談ぽく説明するとこういう事です。

 

寧ろ体を動かすことが好きな人は、

別に家の中で遊ぶ必要もないです。

まあ、アメリカなどだとそういう場所はいっぱいあるけど…

確かに日本だと金かかるし、予約が必要だったりと、

面倒くさい違いは有ります。

ただ…狭い日本の部屋で

周りが見えなくなるVR付けて動き回る遊びは、

つま先をタンスにぶつけて苦悶する可能性を想像すると…

ちょっと怖いかな…

 

なのでVRを着けて

コントローラーやキーボードで操作できる方が

遊びやすいという結論に成ります。

 

仮にザッカーバーグが提唱するような

触覚的な機能が付与されたら…

確かに…エロの世界では重宝されるような品物で、

メタヴァースとは切り離して、

それだけを集中して開発する方が賢明という話です。

いわばPCのグッズとして

 

VRを着けて360度グラフィックの世界を堪能するのも、

モニターを通して画面越しに視界を得るのも、

基本的には個人個人の趣向の範囲になる。

重たい邪魔なグラスを付けて遊びたいか、

身軽で現実の状況を把握して遊びたいか、

またはテレビを見ながら遊びたいか、

そういう選択肢が存在する中でのVRなので、

実際の使用価値はあまり高く無いという認識に成ります。

 

逆にVRを製品としてかつようするならば、

スポーツジムであり、ゲームセンターを中心に

商品化する方法が技術を最前面に活用した

ビジネスモデルが生まれやすいと言えます。

 

さて…80年物の残飯ども…アメリカの政治家を含め、

世界中の政治家にはこうしたヴィジョンが全くない。

ある意味、色々な筋から情報は得ているが、

その実態を分析する能力は全く無いと言っておきます。

まあ、たとえ優秀なIT経営者でも、

マイクロソフトの社内ですら、

メタヴァースの実態を知らずに、

メタヴァース事業断念した程なので、

仕方ないと言えば仕方ない話でも有ります。

 

なので…耳をかっぽじって我が話を理解しろ!!

と、信長たま風に言っておきます。

 

アメリカの英知が頑張ってメタヴァースやらVRに注視している中、

以前にもブログで話した様に、

中国では既に脳波の解析技術が着々と進んでいる。

ようやく米国でも一部の科学者がこれに挑戦し始めたが、

この分野が今後もっと注目されるべき分野なのだ!!

 

イーロン・マスクは脳にチップを埋め込んで

これを実現しようとも考えているが、

恐らくそれは中国の研究から出遅れる可能性もある。

 

科学の進歩や解析で、学術的な見解として、

人間の神経を伝って体を動かす仕組みなどは、

全てが電磁波などの信号によって伝えられるものだという点。

その電磁波または電気信号がどういう物質であるかが

大方判明した状態にある点は、

中国の企業が

脳波でドローンの操縦が出来るという技術から逆算すると

すでに到達した領域に有ると言える。

ただし、その解析がどこまで鮮明かは未だ不明であるが、

中国の国家機密として進展していた場合、

アメリカはこの研究に於いて

かなり遅れを取っている可能性もある。

米国がこの辺の予算であり、

研究に注視しているのなら既にある程度…

いわば脳波でドローンを動かす以上の話題は

出ていると考えられる。

 

先にゲームを脳波だけの操作でゲームをプレイしてみたという記事

【エルデンリングを脳波で】激ムズアクションゲームを脳波でプレイするプレイヤーが現れたぞ|parton|note

ここでは多くの人がその技術に懐疑的であったという話もあり、

恐らく米国での研究はまだそこまで進んでいないと言える。

 

脳波の解析技術が進むと…

これがヴァーチャルリアリティの本来の分野として成立する。

この時にモニター越しに目を通して見る感覚から、

寝ながら夢を見る感覚で

ヴァーチャルリアリティを体現できるという

新時代の技術に生まれ変わるのだ。

そしてココにWindowsとは別の

メタヴァース向けOSが必要と成るのだ。

 

いわば今モニター越しに

サイトへ飛んでアマゾンで買い物をする機能が、

寝ながらショッピングセンターに飛んで、

仮想空間の中で

ウィンドウショッピングを楽しむことが出来るに変化する。

脳波の計測と電磁波の刺激によって生み出される空間故に、

ここではモニター越しに見るウェブページは必要なくなる。

また、マウスでありキーボードの操作が不要に成る点、

更にはタッチパネルすら必要なくなる技術に成るゆえに、

現状必要なUIという操作の利便性に必要なパネル自体が

不要に成って来る。

いわば…どこそこのショッピングモールに行きたいと思えば、

瞬時にその意識が反映されてその場所に行けるからだ。

この技術が有ってこそ初めて

多くの企業が現状で撤退したメタヴァースの空間が成立するのだ。

 

これを中国が先に開発し、

そのOSも先んじて生み出す可能せいもあるのだ。

80年物の残飯連中は

この瞬間に何が起こるのか知る由も無いだろう。

アメリカが今の様にスパイウェアの可能性が

あるとこの技術を否定しても、

この技術が新世代に必要な物で、

アメリカが代替え技術を提供できないなら、

世界の主導権は中国に移動する。

いわば他の国はその技術を吸収し、

そこで新たな産業へ結びつけようと、

中国との関係を重視するようになるのだ。

この流れは歴史的に見ても、

世代が変わっていく人間の流れから考えても、

十分に起こりうることなのだ。

 

更にはスパイウェアとしてもかなり高度な技術に成る。

いわば人間の考える事が計測で見えてしまうのだ。

逆に言えば、科学的に可能な分野と成った以上、

この研究を側線してしない手は無い。

なので…多分中国政府は

既に研究を秘かにさせているのは間違いないだろう。

公にすれば米国を出し抜けなる為…

ただし…脳波で動かすドローンを

市場に出したのは失敗だったのか、

その企業の技術を中国政府も

その時点で警戒していなかったのか…

一部のアメリカ人もその研究の重要性に気づいたのは事実です。

 

ある意味、信長であり諸葛孔明が日本に居れば、

この研究の予算と人材にかなり集約してやらせる話でもある。

2人に限らず、郭嘉であり周瑜の様な人材が

この技術が可能性のある分野として見込める事を知ったのなら、

同じ判断を下すだろう。

 

勿論、こうした技術を商品化するには

高度な半導体の技術は必要不可欠と成って来る。

かといって…脳波の解析とOSを組み込む研究の中では、

寧ろ高度な半導体の技術は必要ないともいえる為、

今更規制を掛けてもこの分野の研究の足かせには成らない。

寧ろ高度なスーパーコンピュータの技術で米中が競い合う状況で考えると、中国は既に研究に必要なレベルの技術は獲得している。

更にはその脳波信号を解析して、メタヴァースクラウドの中で仮想現実空間に合わせて送受信を行うには、量子コンピュータという次世代の演算技術が必要に成ってくる。

この技術は一見アメリカが有利にも見えるが、

日本も含めて世界中が競い合うように研究をしている。

中国もこの辺に落ち度はないが・・・

技術的にはまだ初期段階の部分で頓挫している。

 

ここで米国が技術提供を閉ざし

中国が独自で半導体の進化を遂げた方が、

むしろ米国としては厄介な状況に成るし、

恐らく中国がそういう方向へ進んで

開発に努力することは想定できるのだ。

この時点で80年代の規制で日本に足かせして、

90年代には寧ろ米国の技術が追い抜かれたように、

中国に米国の技術が再び追い抜かれたら、

米国は完全に後塵を舐めて、世界の覇権すら奪われることに成る。

 

実は、WTOであり特許という分野で

半導体の技術に縛りを入れておく形を維持しつつ、

逆に中国企業への独自研究への意欲を削いでおくほうが、

中国が躍起になって技術獲得を目指す状況より

良いとも言える。

いわば米国からの提供が閉ざされるとなれば、製品維持の為に半導体研究に資金を入れなければ成らない。

いわばこうした企業にとっては背水の陣で、

その技術獲得が無ければ製品品質維持にかかわる問題として、収益に直結するからだ。

これは日本と韓国の間でも発生した悪手であり、韓国が必死に成ってその分野の研究に熱を入れた点で理解できる。

寧ろそういう背水の陣を考慮せずに、

米国の半導体がそのまま活用できるなら、

独自で開発しても採算がとれる見込みが薄れて

寧ろ積極的な研究はしなくなると言える。

 

こうした関係性を寧ろ維持しつつ、

脳波研究など中国が秘かに進める分野で

米国の研究が関われる環境として残しておくほうが、

仮に中国の研究労力が米国のそれより上回ったとしても、

最終的には潰しが効く状態で維持ができる点も言える。

80年物の残飯には見えないだろうが…

 

いわば中国が開発した脳波を用いたVRに、

質としては少し劣るが米国製の物が世界に

その代替品としてアピールする余地を残せるという事なのだ。

ファーウェイの5G技術のケースが

辛うじての所で米国の5G技術で代用できた様に、

次はVR機器や真のメタヴァースプラットフォームで

この覇権が争われる事に備えなければならないという話だ。

 

まあ、米国は軍事産業に関わる事だから

半導体の輸出を止めると言っているが、

そもそも今までそれを流していた時点で

意味不明な言葉である。

技術が盗まれる話なら既に盗まれているので、

今更止めるとしても寧ろ最新の技術は

渡してすら居ないのだから、

あえてそんな規制を掛ける意味すら不明である。

 

ある意味中国産業への

単なる嫌がらせでしかないというだけの話で…

寧ろ中国に独自開発の技術を

躍起にさせるだけの事でしかない。

 

頭の薄い・・・まあ…頭の無い政治家には

そうした事も解からないのだろう。

寧ろ中国がその輸出規制に困って

米国との外交で根を上げてくる事を期待しての物だろうが、

これも80年物の残飯頭の発想で、

中国の技術研究の力は恐らく

1980年代とは比べ物に成らないほど優れている事に

警戒感すらもっていない。

かつて半導体は日本の優位部門だったのが、

知らぬ間に韓国や台湾に奪われた訳で、

台湾より遥かに人口の多い

同じ漢民族の中国がそこに追いつけないという道理は

逆に怪しまれるべきものと考えた方が良い。

 

まあ、結果としてこのブログでは

警告するぐらいにしか成らないだろうから、

数十年後には米国にとって最悪の未来が到来するのは

避けれないのかも知れない。

 

アメリカの政治家も学歴や知識という部分では

優秀かもしれないが…

正直な所…IQという思考力の部分では、

80年物の残飯が脳みそ埋め尽くしていて、

多分時代の流れについて行けていないのが事実でしょうね。

 

まあ、このブログでは、今のアメリカは2次産業では無く、3次産業のサービス部門に特化した経済で考える方が適正だと

トランプマンどころかオバマ政権時代に伝えてたわけですが、

やっとその認識に社会が追いついてきたというのも事実です。

 

けど…この問題であり、世界平和の話は、

早めに対応しないとより難しい話に成る事は、

理解した方がいいのでは…

 

国務長官のネズミの残飯、ブリンケンの首を先ず切ったら、

少しはバイデンを見直しても良いかなと言っておきます。

で、無ければアメリカの崩壊と共に、

世界平和の可能性も崩壊させる事に成るかも…

 

本当にバカな政治家どものせいで、

世界統合まであと少しだったところが、

完全に米ソ冷戦時代に逆戻りした感じです。

 

グローバリゼーションが中国の台頭を招く政策だったとか、

意味不明な事言う人間も居るでしょうが、

そもそもそれでアメリカが中国の後塵を舐めるのなら、

むしろアメリカの能力が足りないだけの話なのです。

 

技術向上は競争によって躍進する。

足を引っ張って相手の進歩を止めようとしても、

足を引っ張る労力に邁進売る方が損をするのです。

単純な話…足を引っ張る側は、

現状を維持する事に注視して、

自分越えようとする相手を越えさせない様に

必死に成って妨害しているだけで、

自分を更に向上させる事を見失ってしまう。

寧ろ誰かを越えようとする側は必至に技術を磨き、

妨害される事に対してもあれこれと試行錯誤するものです。

 

越えようとする相手に対しては

自分はそれより更に引き離すつもりで対抗する事が、

絶対の勝利を勝ち取る条件で、

貪欲なまで越えようとする相手の技術まで

吸収しようと考えるのです。

 

相手の技術が見える所で戦う方が

情報を閉ざして見えない所で努力されるより、

戦い易い環境だという事も理解した方が良いです。

 

ある意味…イーロン・マスクが中国でのビジネスを

維持しようとする姿勢は、

そういう貪欲な視点で考えているからなのかも知れない。

 

因みに何度も言いますが、

世界を一つに纏めるためには、

アメリカが中国に負ける事は望ましくないのです。

何故なら、世界が一つに纏まる意味で、

覇権争いが移り変わる状態は、

覇権を巡って争いが継続することを意味する為、

これを食い止めるには覇権が移り変わってしまう前に、

世界が覇権の中枢を国連に委ねて

議決重視の仕組みで構成しなければ成らないからです。

 

戦国時代の流れから日本の覇権が

安土から大阪の豊臣、

そして江戸徳川に移って

250年後の維新で、

再び薩摩か長州という覇権が台頭した際、

議会民主制と言う形で、

日本国の覇権を議員という形で全国に分散して、

日本政府という集約したところにそれを移した事で、

日本では戦国や明治維新で生じた内乱と言うものは、

国民の誰一人とも想像だにしない国と成ったわけです。

ある意味、世界の姿もこれが理想と言っても良いのです。

 

坂本龍馬はこれを尊王攘夷という形で治めようとした。

 

アメリカに求めるのは国連攘夷では無く、

アメリカ合衆国憲法の国連適応という形で、

米国憲法による世界統合を以て、

合衆国議会の上に世界議会を設けて、

世界を一つに統合する。

勿論、州議会の上に合衆国議会があるのと同じで、

合衆国議会の上に世界議会が有る事を

踏まえた上でのもので・・・

 

こんな事は今すぐに理解されないかもしれない。

アメリカ人の中にも、中国人の中にも、

日本人や、欧州の人々の中にも…

 

しかし世代を積みかさねてネットで繋がる世界が、

一つの共通認識「世界は一つ」で浸透して行けば、

ごく当たり前の世界の姿として受け入れられるのは、

確実と言っても良いのです。

今、生きる世代が平和を望むのなら、

こうした新しい世代が一つの世界を意識できるように、

外交上で上手く調整して

纏まっていく地盤を作るのがベストなのです。

 

ゼレンスキーに言っておきますね。

ロシアとウクライナは

政治家の都合で戦争しているでしょう。

しかし、その都合で

ウクライナ人とロシア人が嫌い合う社会を良しとするのは、

平和を妨げる行為でしかない。

新たな世代には政治家の都合で戦争をして、

犠牲者が多数でる事に成ったが、

ウクライナの国民もロシアの国民も、

そんな戦争で殺し合う事を望んでいる訳では無い事は、

お互いに理解しあえる方向に導くことが望ましい。

 

今、直ぐは双方の国民の傷が深すぎて難しいだろうが、

オリンピックやスポーツの世界では、

政治家の都合とは別の人間が

競技を通じて競い合う場であること考えてもらいたい。

願わくば競技の場では双方が力を出し尽くして競い合い、

お互いが平和を望む人間同士として

アピールする場として欲しいと言えるのです。

 

ロシアの選手を如何なる理由でも排除しろと言うのは、

政治家の都合の話でしか無く、

その思想を以て国民に戦争と言う傷を

そのままロシア人への怨恨に結び付けようとする行為は、

言語道断な所業、

腹を切れ!!

とまで言っておきます。

 

もう一つ言うなれば…

この戦争はロシアの政治家のみならず、

NATO加盟国政治家であり、

ウクライナ政府の政治家の都合でやっている戦争なのです。

ウクライナの国民の都合なら、

こんな戦争は必要ない物でしょう。

こんな戦争で国民が犠牲に成る事も望んでいないだろうし、

ウクライナの土地をロシアに戦争で

奪われる事も望んでいないでしょう。

 

全てはこんな戦争が無ければ良かっただけの話で、

全てはこの戦争に関わる全ての政治家の都合が

原因でしか無いのです。

それはプーチンもゼレンスキーもバイデンもブリンケンも

欧州議会もNATOも含めての都合です。

ウクライナの国民は政治の都合に利用され騙されただけなのです。

そもそもが

ロシアはここまで大きな戦闘をする必要性が有ったのか?

という疑問同様に、

NATOという軍事的な連合(同盟では無い)が

平和を維持する意味で必要なのか?

という疑問も含めて、

ウクライナ国民が犠牲と成った政治家の都合なのです。

そこをウクライナ国民が理解できない限り、

この戦争は政治家の都合で更なる犠牲を

彼らに強いるだけです。

 

残酷な事を言いますが、

何時勝てるのか?本当に勝てるのか?

何時に成ったら終わるのか?

そういう曖昧な状況が継続する中で、

敵に怨恨を傾けても、

ただ苦しく悲しい状況が続くだけなのです。

どれだけゼレンスキー政権が奮闘して見せても、

どれだけウクライナ軍が奮戦して押し返しても、

戦争が終わる保証はどこにも有りません。

それでロシアが負けを認めるのはいつの話か・・・

更に過激に反撃して来ないのか?

ただ・・・こうした曖昧な不安が続くだけです。

 

政治家の都合は本当に国民を大事に考えていない話ですね。

勿論それはロシアも同じと言っておきますが・・・

政治家たちの都合は

平和より自分たちの意地のぶつけ合いで、

犠牲者の事なんて微塵も考えていないのです。

 

バイデンの顔を見ろ!!

援助だけして、

自分のプーチンに対する意地の為に

ウクライナ人は死んで当然という本心が見え見えです。

汚い男だ!!

そうで無ければ戦争以外でこの戦争を止めてみろ!!

 

 

どうも・・・ショーエイです。

アニメーション制作を一から勉強し、

始めてPremier Proを触って自らで編集を覚え、

ようやくオープニング・ムービーが完成しました。

 

 

これはたったの15秒のオープニングですが、

やっとYoutube制作出来るレベルに成ったかなという初作品です。

 

アニメーションの素材制作に苦戦したのが主ですが、

やっとこのレベルで動かせるようになったという感じです。

因みに動画編集やり方は経験上知っているので、

あとはPremierProで

自分のイメージ通りの操作が出来るかだけだったのですが、

意外と効果音の素材に苦戦した感じです。

 

さてここまで出来ると

コンテンツを作るのは時間との闘いなだけです。

既に…

 

こんなスタジオまで制作してあります。

コンテンツは見て楽しむのがコンセプトで、

ネコでチャップリンの様な事を目指す感じかな。

ただし、英語だけど字幕は使う予定です。

 

当初はライセンスの関係を気にして、

一般的に有名な楽曲の使用が出来ない事に悩んでましたが…

グローバルYoutuberで活躍しているSegawaさんが、

そういう楽曲を使っている事を知り、

まあ、法律上

「歌ってみた」、「踊ってみた」に+「表現してみた」は

問題無いと判断して

物怖じせずに制作をしていこうと思います。

法律上の境界線は正直難しい所なので、

一応、真似する際は専門家に聞いた方がいいです。

私も一応大丈夫としてますが、

Youtube運営側との見識の差も有ると思うので、

本当にギリギリラインと言っておきます。

まあ、そのギリギリに成らない程度で製作しますが…

 

そしてアニメーション制作で

色々参照させていただいたチャンネルを、

勝手ながらリンクで貼り付けておきます。

まあ、このブログ商用目的では無いので…

あと、感謝と誠意で貼るだけなので。

 

先ずは…

3Dのメモ帳 - YouTube

 

ここではBlenderというツールの

アニメーションの基礎中の基礎を教わりました。

基礎というのも動かす意味での基礎で、

リギングといういわば骨格と神経を作る感じの作業です。

ここでアニメーションの動きが決まる部分です。

 

Youtubeの検索で、

「Blender リギング」と入れれば上の方に出てきますが、

一応、見るべき順番でリンク貼っておきます。

 

初心者入門・ボーンとウェイトペイント解説【blender2.82】 - YouTube

 

初心者入門・IKアーマチュア解説【blender2.82】 - YouTube

 

初心者入門・歩きアニメーション解説【blender2.82】 - YouTube

 

ここで骨格が干渉する部分のいわば筋肉の付け方を、

ウェイトと言います。

まあ、骨格が干渉する重さの設定という所です。

これらは上でも紹介されますが、

ちょっともう少し詳しくと思うなら、

 

【初心者必見】ウェイトペイントで綺麗に塗るコツ徹底解説~基本編~#02【blender2.91】 - YouTube

 

コチラを参照します。

 

次にある程度の知識をマスターしたら、

mmCGチャンネル animetic - YouTube

こちらのチャンネルでもう少し詳しくを勉強します。

 

【Blender 2.9 Tutorial】キャラクターリギング解説 #1 -Character Rigging #1 - YouTube

 

【Blender 2.9 Tutorial】キャラクターリギング解説 #2 -Character Rigging #2 - YouTube

(足の詳細)

 

【Blender 2.9 Tutorial】キャラクターリギング解説 #3 -Character Rigging #3 - YouTube

 

【Blender 2.9 Tutorial】キャラクターリギング解説 #4 -Character Rigging #4 - YouTube

(手の詳細)

 

【Blender 2.9 Tutorial】キャラクターリギング解説 #5 -Character Rigging #5 - YouTube

(指の詳細)

 

とりあえずここまでで

ある程度のアニメーションは理解できます。

少なくとも理解できた。

 

勿論、初心者には

モデリングやBlenderの操作方法を勉強したり、

色付けなども結構面倒なので勉強しないといけないのですが、

そこは今は割愛します。

元々CGのモデリングはある程度知っていたので、

Blenderの操作方法だけ解ればという段階だったのは事実です。

 

そうした中で色々勉強させてもらって、

何度も見直したサイトなので上記のサイトには感謝してます。

有難うございました。

 

と、いう事で…

うつけの兵法の投降を休んで頑張っていた言い訳が、

実はこういう所にあったという話です。

 

いよいよNHKで「どうする家康」が始まったわけですが…

まあ、どんな設定でやるのだか・・・

 

別に誰が織田信長を演じようが気にしませんが、

正直演劇として見る分には楽しめると思います。

 

ただし…うつけの兵法で記す様な…

クレイジーな感じで誠実さがある表現は

出来ないと言っておきます。

 

何故なら…

マラドーナ選手をありのままの姿で物語にすると、

ギャング映画に近いほどクレイジーな作品に成り、

サッカーの世界に於ける苦闘など

美化されるべき部分が薄れて見えてしまうから。

 

信長たまもやりたいようにやっていたから・・・

人間的で殺伐とした感情と、

理性を以ている時の冷静さ、

この差はかなり激しく演じるには難しい所です。

 

いわば極端すぎて、

普通の人にはその差で生じる行動の

辻褄が見えなくなる様な感じだからです。

これを作家が表現できるかと言えば、

普通は無理です。

同じ感性を持っている人でしか

理解できない部分だからです。

またそこには色々な見識も含まれるため、

うつけの兵法くらい、

その時代背景を詳しく精査して書かないと、

正直理解不能という状態に成ります。

 

まあ、サイトで同じような作品…

いわば桶狭間までの半生を描いたものが

最近出てきたようですが、

正直、上から目線で言う感じですが…

相手にしてません。

 

何故なら信長本人の見識ではないから。

ある意味、第三者目線の作品でしか無いからと言っておきます。

 

うつけの兵法は寧ろ・・・

精神分析まで含めて精査した、

極めて信長本人の作品に近い部分で書いているからです。

この精神分析が一番難しい部分で、

こればかりは演じる役者さんも難しい所と言っておきます。

 

とはいえ、NHKの「どうする家康」は

その作品として楽しめるものと考え、

その作家がどう信長であり家康を

見ているかで興味を持てます。

人の評価はそういう所で面白いという感じで、

実際とは違うという見識では無く、

そういう風に見えるんだという興味で、

歴史小説を見る感じです。

 

これは他の人も同じで、

イメージと違っても、

その作家がそういう風に見たんだという興味で見れば、

先入観を排除して楽しめるという話です。

 

 

どうも・・・ショーエイです。

新年あけまして…

最近ではおめでたいか?

と、言うとそうでもないのでそこは省きます。

 

昨年からの継続で、世界全体は大きな過ちを犯している。

キリスト教やイスラム教、仏教を含めた

宗教的な表現になりますが…

 

我々は神ではない、

ゆえに選択に過ちを犯すのは仕方がない。

しかし、結果を得て省みることが出来ないのなら、

それは単なる愚者でしかない。

 

愚者は結果を以てしても

自身の選択不備を常に認めることが出来ない。

それは自らに神を求める愚行に走るからである。

 

まあ、政治家に愚者が多いのはこういう事ですが…

 

【全ての政治家は反省するべき】

最初にアメリカ大統領 ジョー・バイデンから…

一応、世界のリーダーであるアメリカ大統領。

リーダーが適切に判断できていれば、

ウクライナでの戦争は起こらなかった。

先ず平和を求める状況下でNATOは必要ない。

寧ろNATOの枠組みで

ウクライナで戦争に参加出来ないのだから、

NATOそのものが意味のない組織と言っても良い。

逆にウクライナへの支援という形で考えたら、

ここでもNATOの枠組みは関係なく、

寧ろ日本やオーストラリアなど

組織とは別で参加しているのなら、

国同士の友好関係維持こそが

重要な要素であることを理解するべき。

 

またこのNATOの枠組みに拘らなければ、

ロシアがウクライナに戦争を仕掛ける事は無かったと

断言してもいい。

 

反省するべき事は、

平和を求めるのに、

NATOという軍事的同盟の拡大を意識した事。

この意識をのものが

戦争を導くだけの選択でしかない事を

理解し反省するべき。

愚者として居座り続けるのなら

自らが平和主義であることを諦めるべきで、

それは神に近いものでは無く、

人(市民)を欺き

惨事に手を染める悪魔として

意識するべきはなしである。

 

次にロシア大統領 ウラジミール・プーチン。

反省するべきは

この戦争で結果として

ロシアとウクライナの間に大きな亀裂を生んだという点。

NATOの軍拡に対抗する手段として、

またドンバス地区でのロシア系住民の保護という名目で、

本当にこの戦い方で良かったのか?

ある意味、ロシア軍の統制が本来の目的を阻害し、

寧ろ戦争を野蛮化させた点は反省するべき。

結果としてウクライナの人々の心に

大きな抵抗を生んでしまった。

 

戦争故に残酷な状況を生み出す点、

戦争と言う殺伐とした環境で、

多くの犯罪を生み出してしまう点。

これらは戦争をする中で

当然の様に発生するもので有る事は仕方のない事でも、

それらを軍として抑止できなければ、

結果としてウクライナの人々の心は、

その行動自体に

敵愾心を大きく抱く効果しか生まないという事。

 

ある意味、感情的になって仕掛けたという点は省いても、

目的を大事にした軍事行動としては

些か範囲を肥大化させた点は反省するべき。

 

その次にウクライナ大統領 ウォロディミル・ゼレンスキー

先ず考えるべき点は、

ロシアを敵視する必要性があったか?

民意を大事に考えるのなら、

ロシア系、またはロシアとの友好を支持する側が、

マジョリティを占めても、

それは民主制として適正であるという点。

反ロシア支持層がNATOなどの支援を受けているなら、

ロシア支持層がロシアの支援を受けている状況は、

ハッキリ言って民主的な意味では公正な状況である。

ウクライナ側のこの戦争の発端は、

そもそもが反ロシア支持層の肥大化が原因である。

彼らの主張であり、

ロシア支持層への弾圧とも受け止められる行動、

いわばロシア語の公用語禁止を例に、

ロシアに軍事介入させる口実を与えてしまった事。

 

もしゼレンスキーがロシアと上手く付き合う形で、

国内的には上手く中立して調整し、

外交的にはNATOなどに目もくれず、

中立的に国の利害を考えて選択していたのなら、

国民にこれほど犠牲を強いる状況は避けられた。

その能力が不足していた点は反省するべき。

 

ただし…戦争が起ってしまった以上、

これ以上に平和的な選択肢を望むのは無理な状況で、

彼には残念なことに

戦争の結末を待つことしか残されていない。

こうした状況も全て当初、

ゼレンスキー自身が未熟であった点は反省した方が良い。

 

その次にフランス大統領 エマニュエル・マクロン。

一般的には彼は優柔不断だという様な

反省を促す傾向があるかもしれない。

しかし、彼はそうした評価を気にせずに、

自分の信じる行動と立場を維持してほしい。

反省する部分を言うのなら、

少しでも大衆の批判に動揺する気持ちがあった心境。

結果動じる事なく毅然とした態度を貫いた点は大事にし、

常に中立的な視点を維持して、

逆に内政的に発生するだろう

自らの過ちは常に柔軟に考える意識を持ち続けるという事。

政治的、民意的な流れに動じるようでは、

自らの歴史的な評価を落としてしまうという事を意識して、

政治生命を掛けてでも自らの信じる道に挑んで欲しい。

 

その他EUの政治家。

ロシアを嫌い、ロシアを非難するだけの政治家は、

ハッキリ言って愚者そのもの。

それが人道的な観点で

ロシア君虐めという状態を引き起こしている。

 

どの国でも同じで、

ヤンチャな子を虐めれば

ヤンチャな子はどんどん悪態をつく方へ進んでいく。

ヤンチャな子に更生を求めるのなら、

ヤンチャな子を理解してあげることでしか、

彼らを救う方法は無くなる。

ヤンチャな子が更生できなければ、

彼らは犯罪という社会で、

社会に反抗する生き方を選択するのだ。

 

極めて単純な要素で、

キリストの哲学を理解するはずの彼らが、

寧ろこんなことにすら気付かないで、

NATOという非平和的かつ軍事的な組織を用いて、

平和の為と主張する行為そのものが、

そもそも無理の有る主張でしかない。

 

優秀なはずの政治家という身分に有りながら、

得られる情報が少ない

大衆と同レベルの見識で行動すること自体、

能力として無能に近いと言える。

大衆が知らない都合の悪い部分を誤魔化して、

人気取りに走り、

大衆に合わせた形でしか権力を維持できない点は

大いに反省するべき話である。

もっと都合の悪い部分も含めて、

素直に認めつつ

そこで本来の平和という視点で

何が適切かを考え行動する勇気を持つべき。

 

優秀な政治家としてそれが出来るはずなのに、

臆病風に吹かれて出来ないのなら、

歴史的に無名のままで終わるしかない事を意識してほしい。

 

キリストは右の頬を打たれたら、左の頬を出せ

 

そういう哲学を示している。

この解釈は

正しいと信じることに動じるなという表現でも理解できる。

結果として欧州政治家、NATO組織の政治家、

彼らが平和を唱えつつ、

平和的に解決できなかったこの事実を

反省しないのか、反省するべきなのか、

自らの言葉が示す「平和維持」という目的で、

先ずは反省する事が前提という点も伝えておこう。

もし、反省することなく

「平和維持」という自らの言葉を裏切るのなら、

それは先にも述べた様に

人を欺いて悪魔の所業に手を貸す選択として、

割り切ってほしい。

まあ、それなら勇者に始末してもらいやすくなるし…

なんてね…

 

それで…日本の政治家・・・

まあ…彼らは一切反省する事ないし、

哲学なんてものは無意味な人たちなので、

継続して愚行を頑張るだけでしょう。

 

彼らは知識いわば

攻略法に頼って行動するしか出来ないレベル。

攻略法の無い、通用しない世界では、

誰かがその攻略法を教えてあげるしかない。

ただ・・・教えるにして…

彼らはプライドが高く、

先ずは彼らに媚びへつらう人間でなければ成らない点。

そんなことまでして

こいつ等に功績を与える気も無い

と、言うのがこれまたプライドの高い優秀な人間。

 

いわば…愚者の国そのものの姿な訳です。

 

日本に今必要なのは、

周の武王か劉備玄徳が必要といっておきます。

そして彼らが三顧の礼に匹敵する形で、

太公望や諸葛孔明という

優秀な軍師を迎えるならということなのかな・・・

まあ・・・そんな幻想的な人物居ないわけだから、

日本国民は諦めた方が良い。

 

居るのは歴史に埋没した国や勢力の人材程度。

そして…歴史の中に80年代、90年代を最盛期に

埋没して行く国の姿だけ。

 

こういう状況にある事すら、

日本の政治家であり官僚は理解していない事に、

日本国民は嘆き反省するだけ。

国民が反省すれば、

後に少しは良くなるかも。

 

まあ、ここまでは

政治家に愚痴言わせてもらいましたが・・・

反省することなく同じ過ちを続けるのかな…

 

因みに最近、話題に成る

学校へ行かない「ゆたぽん」くんの話。

ゆたぽんが学校へ行かない、

その父親が行かなくて良いという方針なら、

それはそれで良いと思う。

今後の事は彼らの責任で、

親子そろってそれに挑めばいいし、

それもそれで人生の選択だとおもう。

 

ただし、それが社会的に正しいという主張は違います。

 

ゆたぽんが主張して良いのは、

「成功の自由」

偶々、Youtubeの世界で成功したケースだから、

彼ら自身がその成功の有り方を変える必要性は無く、

寧ろ「成功」という実績の中では、

成功しなかった状態より、

ある意味正解とも言えるのです。

 

ただし、それはエンターテインナーとして成功したからで、

多くのその他はその成功に辿りつけない事を知るべき。

 

一握りの成功者と違って、

多くの人は地道な生活の中で、

細やかな幸せを求めて生きていかなければ成らない。

その細やかな幸せを維持する手段として、

「怒られないように頑張る」という社会労働が求められます。

 

学校で何を学ぶのか…

夢や希望を与えるのは教育の姿勢で、

教育の目的で言うなれば、

「怒られないように頑張る」という労働者の鍛錬です。

何かあれば上司から怒られる、

お店の店員なら客から怒鳴られる。

普通の精神状態では爆発します。

耐えられない人は喧嘩もします。

場合によっては殺人に走ります。

ある意味、ヤンチャに育った子たちは、

こういう部分で問題を引き起こします。

筆者も例外では無いと言っておきます。

 

でも、こんな人ばかりの社会では

殺伐とした世紀末な社会しか成立しない訳です。

 

逆に、学校教育を真面目に受けて、

こうした環境にも適応できる立派な社会人が多く居るから、

日本は治安の良い国で、

サービスも適正に機能する状態にあるのです。

 

学校へ行く事の大切さは、

寧ろ成功出来ない場合でも、

細やかな幸せを見つけて生きていける事を

鍛錬する場と理解した方が良いです。

その中で成功できた人は、

ある意味勤勉な鍛錬の下で頑張った分、

強かな生き方が出来るのです。

 

ただし!!

能力的な優秀者さは「教育の姿勢」部分に該当する為、

論理的かつクリエイティヴな発想を

育成する意味では機能しません。

いわば成功者の中で突出した成功者を生み出す要素としては、

まあ、最悪と言っておきます。

ただしその成功者に成れる人は一握りの人間ですが、

それでも学校を楽しむ場としての機能であり、

同時に社会活動の鍛錬という部分で、

様々な可能性と向き合って考えれば、

日本の教育はもっと改善されるべきとは言えます。

 

かといって…「学校へ行く必要はない」のとは違います。

あくまで嫌でも

社会活動をしなければ生きていけないという鍛錬の意味で、

修行した方が良いという事です。

 

ゆたぽんは今、成功した事で自由に活動できます。

でも、それは自分が成功した事で

あくまで家族から学校での鍛錬を免除されただけと

自分が特別であること意識して考えてください。

そうでなければ社会的に大事な鍛錬の場を破壊する、

社会悪に成るだけなのですから。

そして社会悪に成れば、

結果として足を引っ張り、

ゆたぽんの成功を邪魔する人が増えるという事も。

その結果、今の成功を維持できなくなるという点は、

今学んでおいた方が良い事とも言っておきます。

 

ゆたぽんくんにアドヴァイス出来る事は、

学校に行った方が良いか、

必要ないかの議論は

一切しない事です。

ここでいう事は、

「自分は運よくYoutubeの世界で成功したから、これからはより良いエンターテインナーを目指して家族と修行するつもりです。」

 

と、いう事だけ。

最終的には、

「学校へは行けるなら行っておいた方が良い」

と、そして・・・

「その中で自分で環境によって判断していくのは、その人の自由だと思う。その判断を社会が否定するのは逆に良くないと思う。」

と、まで言えるように頑張ってください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうも…ショーエイです。

正直、ペレ選手にはもう少し長く生きててほしかった。

まだまだサッカーの世界で色々な影響力を与えて、

選手たちを鼓舞する存在として居てほしかった。

 

メッシ選手と言う21世紀の新たな王の誕生から、

2週間足らずの出来事だったわけですが、

 

彼は新たな王の誕生の瞬間を見届けて、

何か吹っ切れたように姿をけした・・・

 

彼の死に際を美しく表現するなら、

こういう言葉が一番素敵なのかな。

 

とは言え、メッシ選手の誕生は2000年以後の21世紀。

正直な話、

誰が史上最強かを決めるのは難しい事なので、

世紀を分けて見る方が良いと思います。

 

既に、20世紀に存在した名選手4名が

お亡くなりになってしまった。

残るのは…ベッケンバウアーかな。

ボビー・チャールトンも含めたい話だが、

彼はその他名選手の筆頭という形で、

個人的に線引きさせてもらいます。

 

ペレ選手やディス・テファーの選手。

また実を言えばクライフ選手も現役を知らない筆者ですが、

ここはクライフ選手の表現を用いて、

二人の違いを語らせてもらいます。

 

クライフ選手は

ディ・ステファーを最高の選手として表現してます。

以前にも説明しましたが、

ディ・ステファーの選手は

チームをまるでオーケストラの指揮者の様に支配したと言います。

いわば司令塔として凄ったという表現ですが、

でも今でいうとポジションはフォワードです。

 

その一方でペレ選手は

一人の兵卒として最高だと表現してます。

 

ただし・・・現在、クライフ選手もお亡くなりなっているので、

勝手ながらこの表現を心理的に調整すると…

クライフ選手は、

現役世代としてペレ選手は近く、

技術面でも対抗心を抱くレベルにあったため、

世代として憧れの残る

ディ・ステファーの選手を最高としたかったのかも…

そういう表現として伝えます。

 

これは今のエムバペ選手が、

まあ、本人はそう表現してませんが・・・

メッシ選手よりジダン選手の方が凄かった

と言う雰囲気に近いのかもと理解しても良いと思います。

 

【記録だけでしか伝わっていないペレ選手の偉大さ・・・】

ワールドカップ3回優勝の経験者として、

唯一ブラジル代表として残ったのが、

ペレ選手のみだった。

内2回にはガリンシャ選手とヴァヴァ選手などが居ます。

 

だからペレ選手は凄いのか?

否!!

それは…彼を歴史に残す為に齎した数字でしかない。

 

現役世代を知るセルジオ越後氏は、

ペレ選手を最高と言い続けています。

勿論、憧れが先行した部分もあるかも知れませんが、

少なくともそう思い続けるだけの凄さが

ペレ選手にあったのだと先ずご理解いただけたらと思います。

 

ペレ - 王のフットボール ( Pelé - The King of Football ) - YouTube

上の動画を見るとペレ選手の凄さが見れますが、

メッシ選手の凄さと動画で比較するのは難しいです。

一般的には同じレベルに見えるから…

 

でも…動画に残る全ての技術面を分析して

現代風に表現するなら…

メッシ選手にネイマール選手のテクニックと、

そして若いころは

エムバペ選手のスピードを兼ね備えたのが

ペレ選手と表現します。

 

勿論な事ですが…

実はメッシ選手も

ネイマール選手の様なテクニックは使えるとも言えるのですが…

達人の領域という表現で伝えるなら…

これに如何に無駄なく敵を翻弄するかが大事といえます。

 

余計な動きを省いて、

最小限の技術を駆使して、

敵の裏を突く

 

実は、全てのスポーツの極みは、

フェイントでありトリックプレイはあまり必要ありません。

フェイントやトリックを用いるのは、

瞬発力という瞬発的な判断力を補うものでしかない。

いわば相手を翻弄して隙を伺うのがこの部類です。

 

しかし…相手が翻弄されずに冷静に居たのなら…?

 

そうなると…フェイントの効果が薄れますが…

それでもネイマール選手のトリックに反応するのは

ディフェンスでも相当な達人しか出来ない領域と言えます。

 

普通の人はここで思考が止まります。

でも…究極を求める人は…ここの先を求めます。

ただし…究極を求められる人は…

いわば誰よりも瞬間的な判断と動作が早い人に限られ…

天才の中の天才の領域であることはご理解いただきたい。

 

究極の世界では…

 

相手がバランスを崩した瞬間に隙をつくことが最強。

その見極めとそれに対応する技術のみを追求するのです。

 

いわば相手がボールを奪いに足を出して来れば

相手はその分バランスを崩します。

その崩れたバランスから

次のモーションに移るまでの動作の限界を見極めて、

自分が動くべき場(場という科学的な表現を持ちます)を、

瞬時に見極めるのです。

 

更にはこれはメッシ選手もやる事なのですが…

相手が出来ない限界…

例えるなら相手よりも遠い場所にボールがあれば、

そのボールは自分に有利な場に存在する

と、言う極めて単純な論理で、

如何にここを制するかで判断します。

 

なので…たった数秒の中で・・・

3人、4人を相手にした際、

これらの判断を同時に行えるかが

極みであり、達人の領域に成るのです。

 

こうした判断が出来ても、

結局は自分の体が

それに応じて動かなくては意味が有りません。

実はスポーツ選手でなくても、

こうした極みの判断が出来る天才は存在しますが、

そういう人は寧ろゲームというeSporsの世界でなら

活躍できると言っておきます。

寧ろその判断で体を動かして

スポーツの世界で君臨することが如何に凄いか…

そう考えるとメッシ選手の凄さはより理解できると言えます。

 

【極みでのメッシ選手とペレ選手の差】

実はこの差を表現するのは既に適正では無い事を伝えます。

実際に本人も他人もその差を論じる事は出来ないのですから。

ただし・・・その差を表現するなかで、

ペレ選手最高と感じる人の贔屓(ひいき)な部分、

そしてペレ選手でありメッシ選手の極みを

今後超越する人に伝えるいみでここに記します。

 

極みの領域でより豊富な武器を持つ・・・

いわば動作が多彩であればあるほど、

その極みで無双を展開できる。

 

こう記せば誰でも理解できる部分に成るでしょう。

この多彩な武器の部分が、

ペレ選手の方がメッシ選手より豊富だった…

もう既に妄想の領域の話になるところです。

 

ただし…メッシ選手のドリブル突破の映像の中に、

所々でネイマール選手が使う様な動きが加わると…

 

何か凄くない!!

 

これがペレ選手が持つ凄さと伝えておきます。

上に記した動画には

そんな雰囲気が伝わるものと見直してみれば、

ある意味ショーとしての魅力は、

最終的にペレ選手の方が凄いようにも感じる所です。

 

これは実はマラドーナ選手とメッシ選手を比較しても、

何となく伝わる部分でもあります。

 

冗談ぽく言わせてもらうと…

リオ君…君は地味だね

 

天才の領域の話だとこういう感じに成ります。

ただし・・・達人の領域の話では…

無駄な事せずに、最大限の機能のみを優先すると…

まあ地味な動きの連動が一番隙の少ない動きになる。

とは言っておきます。

 

まあ…格闘技で回し蹴りあえてぶち込むと、

確かにショーとしては冴えるけど・・・

他のモーションで確実にもっと強いダメージ出せるなら、

そっちを使う方が隙が少なくない・・・

ある意味、そういう所です。

 

いわば最終的にサッカーをショーとして比較すると、

ペレ選手の方がメッシ選手より凄かったという所で、

実はこの部分では

マラドーナ選手の方がペレ選手より上手かったという、

3人の関係性をこういう形で表現しておきます。

 

このショーという部分で表現してますが…

実用的な意味でいうなれば、

意外性を齎すクリエイティヴィティな部分と伝えておきます。

意外性な部分は、

心理的で場の時間を止める効果があり、

まあ・・・

「えっ?こいつ何してんの?」

という相手に対応を惑わせる

戦術的な要素として伝えておきます。

 

メッシ選手の様に真面目なプレイだと…

遊びが無い分、「えっ」という部分が少なく成りますが、

それでもボールを一旦止めて

状況を見極める時間として同じ場を活用している事は、

知っておく必要性があります。

でも、この「えっ」と思わせる惑わしの効果は、

有るのと無いのとでは空間の雰囲気と、

時間が止まる…いわば選手の動きを止める効果として、

大きな違いが出る事は理解しても良いと言えます。

なので、この部分ではネイマール選手の方が、

メッシ選手より上手いと言っておきます。

 

【結果として考えるペレ選手の偉大さ】

こうして色々な事を分析して行くと、

メッシ選手とネイマール選手の要素を

極めてバランスよく兼ね備えたのが

ペレ選手であるということで理解いただけたらと思います。

 

因みに…

ペレ選手とディステファーの選手に極めて近かったのが、

実はマラドーナ選手なのです。

いわばディステファーの選手のオーケストラの指揮者

という表現で他の選手の使い方が上手いという部分では、

マラドーナ選手の上手さは際立っていました。

その上で個人技も半端なかった訳です。

 

でも、一人で局面を打開できる力の部分では、

やっぱりペレ選手の凄さには及ばないという事。

 

でもチームスポーツだから…

そうなるとマラドーナ選手の方がやっぱり・・・

 

いえ・・・

全然役割が違います。

 

ある意味、

ペレ選手は自分の動きで

得点に結びつける事に長けたという表現で考えると、

味方からパスを貰う点では最強です。

いわばフォワードとしての極みです。

マラドーナ選手場合、究極に違いを表現すると、

自分の存在で味方の場を活用して

得点に繋げることに長けた選手に成ります。

いわばミッドフィールダーとしての極みですね。

 

ただし…両者ともほぼ同じレベルで

両者の特徴を生み出せる点は忘れないでほしいですが、

究極に違いを言うなればそういう違いという事です。

 

そう考えると・・・メッシ選手は寧ろペレ選手に近く、

実はマラドーナ選手の後継者は未だに存在しないのも事実です。

 

クライフ選手もペレ選手に近いと言えるわけですが…

クライフ選手がディ・ステファーが最強と言った意味は、

実はディ・ステファーノ選手とマラドーナ選手のスタイルは、

中々出てきにくいものであるという意味で、

凄いと思って良いかと思います。

 

まあ・・・今後の選手が目指す部分としては…

ペレ選手とマラドーナ選手またはディ・ステファーノ選手を

合わせた様な存在にる事ですが…

正直、エムバペ選手もペレ選手に近く、

マラドーナ選手、ディ・ステファーの選手に近い選手が

今後出て来れば

ペレ選手の系譜対マラドーナ選手の系譜で

面白いかなと思います。

 

ただし…何れにしても‥・

相当な才能なしには語れない話です。

 

因みに…チームのモチベーションを上げれるのは、

マラドーナ選手のスタイルで、

逆に究極に得点に結びつけるのはペレ選手の系譜です。

双方が同じチームに存在したのなら、

そのチームが最強という意味で成立する話で、

よく考えたら…一人の選手が併せ持っても…

結局はチーム次第で

どちらかのスタイルに成って行くのが

サッカーというチームスポーツなのかも知れません。

 

とはいえ、ペレ選手の偉大さがこれで伝わるならと思い、

改めてご冥福をお祈りします。

 

【追伸】

実はペレとマラドーナはショービジネス的に

仲悪い演出をお互いにしていた様で…

内心的にはお互い尊敬し合い、

多分、凄いベストフレンドになれたと思う。

まるでシュワちゃんとスタローンみたいな感じ。

 

Veja a canção que Pelé fez em homenagem a Diego Maradona - YouTube

 

二人がテレビ番組で共演を果たしたという

ニュースの動画ですが

お互いの目を見るに、

すごく素敵な関係だったのだなと改めて感じるものです。

 

きっと今頃、二人は天国で、

酒を酌み交わしながらどちらが最強かを、

冗談交じりに語りあっているのだろうな…

そう想像してしまいます。

 

マラドーナはペレとの比較をこう言いました。

「ペレの母親はペレが最高というし、自分の母親は自分が最高と言うだろう。」

 

この言葉の裏には、

マラドーナは世間体

いわば世界が望むエンターテインメントの中で、

自分の口からペレへの憧れを語らなかったという意味でも

感じ取れることばで理解できます。

 

きっと次生まれ変わったときは…

どこかの世界で二人が共演を果たす。

そんなストーリーも面白いかなと思う次第です。

 

 

 

どうも…ショーエイです。

多くの人が諦めている現象の一つ、

優秀な政治家が居ないという事なのですが…

何故か?

 

実は絶望的な理由がそこに有るからです。

 

先ず、民主制が悪いシステムという訳では無い事は

お伝えしておきます。

正し、憲法に則って行われた場合の話です。

いわば安定した社会の中では

政治家が社会に関与しない方が望ましいという事です。

 

寧ろ行政機関が適切に機能していれば…

適切に機能と言うのは、

これもまた行政機関の組織上層部が

政策などに関与しない・・・

関与しないというのも

不必要な政策に関与しないという事ですが、

ある意味こうした組織上層部の頭脳は必要ありません。

寧ろ現場という意味で、

市民や国民と接するところが

適切に活動していれば十分に機能します。

後は民間に協力を仰ぐところは仰ぐ所で

現場の行政機関の限界を見極めて、

民間に必要な処置を検討して

法制化しなければ成らない部分を検討するだけです。

 

例えば保育園の不足問題…

介護士の不足問題…

これらは寧ろ現場の限界を把握して

行政機関が出来る限界をちゃんと知るのも大事です。

 

【保育士や介護士の不足問題と適正問題は、

資格と給与面で補うしか無い!!】

多くの国民は当然こういう事に気づいていると思います。

人の世話をするのがどれだけ大変な仕事か、

誰もが理解しうるところです。

そんな面倒な仕事を

安い給与または平均的な給与で

やりたいと思う人は少ないです。

ある意味、それでもそういう仕事に従事している人は、

個々の社会貢献心に依存するという部分です。

 

この社会貢献心は心理学的には

「善良な心」では無い事も伝えておきます。

寧ろ「善良な考え方」であると認識してほしいです。

心=考え方でも良いのですが…

勘違いする人が多いのであえて分けます。

これはボランティアに従事する人たちも同じです。

 

宗教的であり又は人生の経験の中で、

自分が社会に出来る事を優先して考えた人たちが、

こうした奉仕活動を頑張ってくれるのです。

多くの人は寧ろ自分がやりたい事を優先します。

または自分が楽または楽しく過ごす為を優先します。

「善良な心」と表現すると、

寧ろ後者の人たちに心が無い様な意味に成るからです。

彼ら後者の生き方をしている人たちにも、

「善良な心」は有ります。

ただそこに自己の献身を捧げる考えが無いだけです。

自己の献身を捧げる事は多大な労力を伴うため、

普通に出来る事ではない事は理解しておくのも大事です。

 

ただ、こうした奉仕の心に少しでも理解を示すなら、

自分の出来る事で感謝を伝える事は「善良な心」と言えます。

それでも自己の労力を

そこに捧げるだけの気合が無い事は先ず理解した上で、

それに一生懸命従事する人を

尊敬する気持ちが必要という点は伝えておきます。

彼らの奉仕に対する労力は、

感謝を伝える人の代わりにやっている事では無いのですから。

 

そこを理解した上で、

では奉仕活動を行う人の100%が気持ちだけでやっているか?

と、言うとそうでも無い事は理解するべき話です。

 

寧ろ生活する為にやっている人も居るという前提で、

それでも自己の献身を捧げて、

ある意味奉仕活動としてのルールに基づいて、

自己の奉仕に於けるストレスを抱えながら

頑張っている人も居る事を踏まえたうえで、

彼らに合わせて感謝する気持ちが「善良な心」に成ります。

 

現実的に人の心理または真理を理解するならば…

一人の献身ある考え(善良な考え)に感化されて

彼を助ける意味で参加した人達。

一部はその気持ちを継続させた形で頑張れるが、

逆に多くはそこに自己の生存

いわば生活を犠牲に頑張っているという事を

理解するべきなのです。

 

仮にこれが戦争と言う舞台で、

国民の為に命を捧げるという話に成った時、

どれだけの人が国の為に死ぬ気持ちを持てるか?

そこで考えてみて欲しいです。

多くの兵士は、徴兵という形の場合、

その国で全うに生きるためには、

死地に行かなければ成らないという

強制によって活動しているという事です。

最終的に死を覚悟する意味で、

「自分は国民の為に死ぬ」

という自己暗示で命を諦めているだけなのです。

 

寧ろ武術家の様に、敵を倒す楽しみであり、

死線を極めた勝負に従事できる人は、

ほんのごく一部でしかない事を理解してほしいです。

 

金を生み出せる人で、

「善良な心」のある人は、

こうした活動に寄付という形で気持ちを伝えている。

なので心で動いている人も、

生活の為に頑張っている人も、

合わせて社会貢献してくれる

大事な存在として認識できるのです。

 

寧ろ「善良な心」の無い人は、

生活の為に頑張っている人を省いて考えてしまい、

逆に彼らを蔑んで見るのも事実です。

 

さて…政治家という権力を握った際に、

または上級官僚として権力の中枢に入り込んだ人間・・・

彼らに「善良な心」を維持できるか?

と、いう話に成ると…ほぼ絶望的と言えます。

寧ろ、志を持ってそういう世界に入った直後は別かも知れません。

でも、「考え方が若い」という意味もあって、

献身=善良な心として認識し、

自己の生活の為に活動する人が多いという現実に、

寧ろ失望して行くのが彼ら権力者の流れなのです。

実は「人間的に未熟」で終わるのが

こういう人たちなのですが…

未熟ゆえに自分を特別視して、

自身が失望した社会を管理する義務感を抱くのです。

 

兵法的に伝えるなら、

兵士が国へ捧げる気持ちが薄い事を知って、

彼らが敵から逃げ出す状況を生み出さないようにするには、

彼らに敵前逃亡させない罰則を用いて働かせるしかない。

または彼らに本来軍法違反では有るが、

死地へ出向く楽しみとして「乱取り」と呼ばれる不法行為を

あえて許可する。

いわば士気を維持するために

こうした管理を行う必要性が生じて、

兵士を自分の駒として活用する事に陥るのです。

いわば…こうした軍の指揮官には、

国の為に嫌々ながらも参加する兵士たちに、

全く心を汲み取らず、

動物を扱う様に、餌や罰を以て利用することしか出来ない…

出来ないというより、

出来なくなるまたはそういう方法しか考えなくなるのです。

 

逆に彼ら兵士の心を救うには?

まあ、その戦争に勝つことしかない…

普通はそうなってしまいます。

 

※当ブログでは韓国の慰安婦問題は当時の日本軍に限らず、

どこでもディスオーダーとして戦地では発生するとしているのも、

実際にこうした現実を知るからです。

現状、ロシア軍でも発生しているのは、

寧ろ戦争に発展した中では悲しい話ながら、

避けられない現実と言えます。

 

軍の世界でも同様な様に、

社会を円滑に回そうと考える上では、

国民を駒として考えてしまうのは当然と言えば当然なのです。

 

資格と給与という部分を考慮せずに、

兵隊だけを投入して凌ぐ姿勢…

いわば保育士や介護士の人員確保に焦る姿勢が、

こうした状況を物語っているのです。

資格も簡素化したもので、

保育士や介護士の資格の希少価値は全く有りません。

ただ資格があればその仕事に従事できるというものでしかない。

 

【名将は戦う意義を示す者】

まず…名将は善良な心は理解しても、決して充てにはしない。

いわば充てにすることなく、

全ての人間は生きる為を優先すると理解するゆえに、

対応もそれに伴って考えていく。

その対応に「善良な心」への配慮も備わる事は言うまでもない。

 

保育士や介護士の資格に何か特典を持たせる…

いわばその資格に何らかの意義を与えるなら…

先ず、そこを考えます。

ポイントとか給与面の保証?

それは「善良な心」の方へ配慮が無い考え方です。

 

特典を考える際に、

先ず、それに従事する人たちが最終的に何を必要とするのか…

いわばここでは「善良な考え」に戻しますが、

その「善良な考え」の中で最終的に何を必要とするのかで、

色々考えます。

すると前述にも少し説明した様に、

「寄付」という信頼性が一番大事なのかという事です。

いわば「善良な心」で、

その作業に従事する労力までは持てないけど、

自分に何かサポートできる事があるならと、

「寄付」という手法を考える人は多いと思います。

しかし、「寄付」する場所に信頼性が置かれない場合、

やはり躊躇してしまいます。

 

ここで…有能な頭なら…

では資格に「寄付」を受けられる信頼性を持たせたら?

と、考えると…

資格保持者が大量に出た場合、

この信頼性は明らかに薄れます。

そこで少しでも効果的な方法は無いか考えるのが、

名将であるか無いかの大きな違いとも言えます。

いわば…大まかな作戦を考えたが…

その効果が薄いから止めるは暗愚で、

その作戦の効果が少しでも見込めるところを探り、

そこが機能するように構想を練り込んで実践するから、

大きな効果を得られるのです。

 

これをブログで記す作中の「魔仙妃」の言葉で言うなれば…

「確率あるところに可能性有り、その可能性を確実たるまで練り上げ実戦すること、これ正に奇策なり」

 

勿論・・・この言葉の裏には…

ナポレオンの言葉を揶揄する意味も含まれます。

「吾輩の辞書には不可能は無い」

確かに深い意味で考えるなら、魔仙妃の言葉と一緒ですが…

魔仙妃の言葉には「不可能を可能と固執する奴はバカだ!!」

というものも含まれ、

「0%は0%でしかないゆえに、0%なら切り捨てろ!!」

ここには四捨五入的な意味も含まれ、

「1%と0.5%の選択なら、1%を取れ」

という意味も含まれます。

ただ…確率として成功の余地があるか無いかを見極めないと、

成功の余地を無駄に排除してしまい、

結果として何の功績も得ずに、

逆転することも出来ないという事です。

いわば…「奇策」とはそういう時に使うものですから。

 

では…「寄付」の話で奇策を考えた場合…

「寄付を受けられる」という事で、

資格に対する付加価値が上がるか?

そこが趣旨の目的です。

恐らく上がるようには見えます。

これが可能性です。

しかし、個々に受けられるという権利では、

寄付する側への信頼性が欠落し、

結果として効果は皆無と成ります。

 

信頼性のある寄付ならしても

良いと考える人がどれだけいるのか?

 

ある意味、クラウドファンディングが機能する社会で、

こうした考えを模索するなら、

そういう寄付は成立すると見込めます。

 

確実たるまで練り上げるという作業は、

こういう分析を色々張り巡らせていくのです。

 

そこで寄付を受ける側と、寄付をする側、

双方の関係性が上手く成立し、

双方の「善良な心」が噛み合うようにするにはと考えるなら、

寄付金額を最低でも資格従事者全員に分配できれば…

いわば「ボーナス」という形で提供すればという事です。

故に国か自治体がこの寄付の窓口に成って、

最終的にその寄付で寄せられた額を資格者に分配する。

この金額は従事者に向けたもので、

施設等の運営費であり、建設費、設置費とは別にする。

いわば寄付金は全て従事者に分配するとういう仕組みにします。

 

勿論、ここでは従事者にも色々責任が出ます。

いわば従事者の不祥事等の発生は

その寄付に影響を及ぼすという流れにも成るわけです。

逆に彼らの献身と社会的貢献が評価されれば、

その寄付金額は大きく成ります。

こうした意味で社会奉仕する姿勢を

アピールする意義を持たせるのです。

いわば保育士や介護士はその職務に応じた活動以外にも、

社会貢献する事で

その職務の評価が上がるとう意味にも繋がります。

人助けをするだけでも、そうした貢献として評価されるのです。

 

勿論、こうして考えた構想が100%機能するかまでは、

正直、現状では確証できません。

まだまだ予期せぬ副作用があるかもしれない。

ただし、何となく50%まで構想上行けそうな雰囲気になったら、

普通の人は実戦して見る方が良いとも言えます。

そして実戦する中で、調整するようにすれば、

実はほぼ確実に成功するとも言っておきます。

 

これが名将の考える所と言っておきます。

 

ゲーム会社の話に成りますが、

アメリカを含む海外のゲームが、

最近、早期アクセスなる形で試験的にGOするのも

こうした50%の見切りからとも言えます。

そうした中でフィードバックによって、

より完成品に近づけていくのです。

 

ただし…ここで名将と諸葛孔明クラスの違いは生じるのです。

しかし…諸葛孔明クラスなんて…10億に一人の存在で…

ハッキリ言って…お目にかかる事も難しい。

いわば…数億人のサッカー従事者の中で、

バロンドールを何度も勝ち取る選手は

メッシとクリスティアーノ・ロナウド位しか居ないという話と同じです。

そんなレベルほいほいと現れる期待をすることこそ、

無理な話と考える方が良いです。

 

諸葛孔明クラスは、メッシ選手が他の選手と違って

フィールド上で特殊に色々な景色を見れるのと同じで、

50%の実戦を行う前に、

起こりうるだろう問題を想定して見えるという事です。

いわば…一般的に予知というレベルです。

先ず簡単な予知で、これはある程度の人なら気付くレベルですが、保育士や介護士の寄付を受ける資格の悪用です。

資格を得て仕事に従事しないで寄付を受けるという行為です。

ここでいう問題は…

仕事をしている振りをする場合。

これに対する罰則であり、管理をどうするか…

そういう部分の見極めも必要に成ります。

 

次に、寄付金額が思ったほど集まらず、

分配金が従事者に比例して低く成ってしまうケース。

 

簡単に言えば…こうして予知しておく必要性のある副作用は、

実は色々見えてきます。

50%というのは、こうした予知する問題を含めて、

とりあえずその従事者に意義を感じさせ、

そこへ向かおうとする人を増やせるかを前提に見切るわけです。

 

名将でも最大の目的を失っては意味がなくなります。

いわば見切りで発射するゆえに、

予知する出来事で失敗する事を恐れるケースに陥ります。

日本がダメなのはここに陥るからと言っておきます。

最大の目的は何なのか?

従事者の人員不足の解消ですよね。

色々予知して失敗しそうなケースはあるが、

とりあえず人員確保の流れに効果的に機能する方法は、

ここにあるかどうかで50%の見切り発射のポイントとします。

 

では、寄付金が上手く集まらなかった場合はどう対処するか…

その際は保育費であり、介護費の値上げという

オプションは考える必要性が生じるという点で良いと思います。

 

因みに名将にも至らないレベルの

日本の政治家であり、上級官僚が議論したところで、

50%の見切りで不安要素だけを議論して

本来解決するべき目的を見失って、

最終的には無策無能の

人員確保の為の広告費に予算をつぎ込んで、

募集を拡大する形に陥ります。

理由は難しい調整を面倒くさがるからです。

まあ、そういう調整の仕方は才能でしかなく、

知識では教えてくれませんから、

日本のこういう人たちには無理な話ともいえます。

本当に残念ですね・・・

 

ただし…諸葛孔明クラスなら…

先ず、間抜けな官僚や政治家の宣伝も兼ねて、

国民に問題が伝わるように上手く宣伝します。

先ず寄付が失敗する以前に、寄付が集まるように説得する。

寄付できる人に、

「国の将来の為の協力」を敢えて訴える。

その上でその心が浸透しなかった場合、

国の将来を支える人を守る意味で、

保育費や介護費を値上げするする形で対応すると示します。

 

こうした宣伝の仕方で、

保育士や介護士になる意義も

国の為の大事な職務であることアピールできます。

 

どこかの首相の様に、

寄付するのも従事するのも、

「国民の義務」なんて事は言いません。

 

あえて、

「国民の皆さんの気持ちを先ず示してほしい」

とします。

それが失敗しても、税金で賄う形で

「国民の義務」なんて理不尽な発想はしません。

寧ろ「国民の気持ちがそういう奉仕に協力的でないのなら、

そこは利用者負担で対応するしかなくなる」

という形で、

国の将来性に陰が生じるという言葉で説得するのです。

 

【善良な心を響かせるのが士気向上の奇策】

人は強制されると苦痛に感じる。

強制なく気持ちで動かされると強制の労力の倍の効果を出す。

 

これ人間の当然の心理なのです。

いわば

「命令されて仕事するより、助けてあげる方が気持ちよく動ける」

という事です。

 

勿論、助けたくない様な人に「助けて」と言われても、

助けたくないと思うのは当然で、

何か「利用してない?」と、

あざとい意味で捉えるのも無理は有りません。

 

いわばそれはその人が人を利用してきた事の裏返しです。

人を強制して使う人は

寧ろ本当に助けて欲しい時に

見殺しにされるのも当然なのが、

人間の社会なのです。

 

これらが個人個人であり、会社勤めの中で生じる事は、

致し方ないとするしかないのも、

多種多様な人間が共存する中では、

理解する必要もあります。

 

税金負担で賄うという事は、強制です。

寧ろそれだけしか集まらない。

逆に寄付という事だと、徴税よりあまり集まらないかもしれない。

でも…余裕も無い人からむしり取るより、

余裕のある人がある意味余分に出したくなる意味としては、

寄付の方が効果的です。

孫の為であり、自分の老後の為、

または自分の介護への感謝の為、

介護費以上にそういう感謝の気持ちで寄付する気持ちは、

資金に余裕があれば気持ちよく発生する。

いわばレストランのチップと同じです。

 

先ずはこういう気持ちの社会が日本で成立するか、

こういう気持ちの社会を構築できるか、

いわば試験的にやってみるという発想も

国民への意欲向上に結び付けて考えるのです。

 

【不祥事の発生やその対応も、微調整の手腕が問われる。】

 

気持ちの社会で、

不祥事の発生は寄付金への死活問題に成ります。

不祥事が発生しない事を前提に考える事は、

勿論日本の政治家でもしませんが…

不祥事が発生したらどうする?

で止まるのがこの人たちのレベルです。

 

諸葛孔明レベルだと、

不祥事発覚は逆に残酷なほどに吊し上げる。

そして寧ろ不祥事の発生に伴って、

適正に仕事をしている人たちの活動をよりアピールする。

彼らの活動を不祥事を起こした人間に見せつけて、

彼らの奉仕に対する気持ちにどう報いるのか・・・

そういう報道に成るように情報を流します。

 

と、簡単に付け足しておきますが、

微調整しながら対応を決定するのも才能の一つで、

この微調整が上手く出来ないから、

50%見切り発射でも失敗してしまうケースが

多々生じるのも事実です。

いわばゲームのフィードバックを上手く分析できずに、

ユーザーが本来求める部分を見切れずに、

安易に調整して失敗するケースと同じと言えます。

でも、ゲームなら予算の回収がある程度見込めた、

政策なら本来の目的・・・

いわば保育士や介護士の確保がある程度成果を上げたなら、

とりあえず良し…いわば何もしないより良かったで

国民も政策者も妥協して良い所と言えます。

 

勿論、失敗によって批難を受けるのは当然なのですが…

 

まあ、ここで示した言葉理解しても、

結局実際の社会で機能させられないレベルの人間が、

結果として政治や行政の中枢で

権力を握っているのは残念な話です。

いわば、失敗して批難に晒される事を恐れてしまうから、

妥当であまり効果の無い方法で妥協する感じなのです。

仮に彼らの頭脳で頑張っても

予知できる副作用の微調整が上手く機能せずに、

絶大な効果を得られる前に頓挫するのも事実です。

逆に優秀な名将に足る人物なら、

絶大な効果までは得られずとも、

最大の目的と、

その目的の維持に努める労力は惜しまないと言えます。

いわば保育士、介護士を十分に確保した上で、

彼らが職務に誇りを持って維持できる環境までは、

頑張って繋げるという事です。

 

 

今、民主制の政治家にポンコツが多いというのは、

名将に足る人物すらおらず、

ただ人気取りの選挙で、

名声だけで伸し上がった人ばかりだからという

実態だからです。

上級官僚も含めてこれらが徒党を組んで、

無能な議論を繰り広げているだけの政治が、

今の民主制の状態という事を、

先ず理解しておいた方が良いという事です。

 

彼らは自分の評価を落とすリスクを恐れて、

本当に大切な決断が出来ない。

 

この中で…マシな人材を選んでも、

所詮は無能な中のボスザルでしか無いので、

期待している方が馬鹿と言っておきます。

 

ただし!!

民主制とはこういう状態を予知してデザインされたもので、

特に憲法が上にある以上、

本来支障がない事を理解してほしい。

 

故に無能な連中がこの憲法に手を染めようとするなら、

触らせてはいけないのです。

こうして無能な連中が憲法に手を染める事によって、

民主制は徐々に崩れていき、

憲法の機能不全によって、

独裁を生み出していくのです。

日本は既に憲法の機能不全を起こしているから、

とても危険と言っておきます。

 

憲法があるから政治がダメでも、

国民の生活は個々の努力次第で守られたのです。

30年も成長しないクソみたいな政治でも、

何とか最低限の豊かさを保てているのは、

憲法を基準に法の下で

適正な民事活動が維持されているからです。

それでも悪政によって消費税は

30年でどんどんと上がり、

更に防衛費という名目で税負担を強いる政治は、

無能を通り越して害悪でしかないと考えて欲しい。

 

自民党の独裁を許してしまっているゆえに、

政治が金を欲しがるままを許してしまっているのです。

寧ろ無能な政治家の要求に乗らずに、

現状で我慢しろと国民は抵抗するべき。

いわば無能ゆえに余分な金を欲しがる。

無能ゆえに余計な負担を平気で国民に要請するのです。

有能なら先ず国民を豊かにして、

現状のまま国庫を豊かにすることを模索する。

 

岸田君は結局…

所得倍増を目指してそれをしようとしてたんじゃないの?

もう・・・諦めてしまったのなら・・・

そもそも口だけの無能じゃないのかな?

まあ、やり方もデタラメで…逆なんだよ!!

国民の財布に余裕を持たせてから、

給与を上げるのだよ!!

その為に先ず消費税の減税で、

政府が国庫の身を切るところが最初なのだよ!!

国庫の身を切る事も頑張らないで、

税負担ばかり考えるなんて論外です!!

国民はこの無能ぶりに怒りをもつべき!!

 

まあ…国が国ならその国民もそのレベルか…

それで良いのですか?!

富国強兵

よくこうした言葉を用いて、

軍拡の理由としてますが・・・

その時点で富国強兵の真意が

わかっていないと言っておきます。

 

強兵を目指すうえで、重税を課して、

国を衰退させる例は多々存在します。

 

彼ら無能な知識層は、

ゲームや小説と現実は違うと言ってますが…

彼らはゲームや小説の英雄側の視点で

自分を分析しているから

寧ろ彼らは違いの本質すら理解できていないのです。

 

ゲームや小説と違う点は・・・

英雄に成れる人物はその一握りで、

そこに埋没して行く脇の姿が

一般的に権力の中枢に居る彼らだという事です。

埋没して行く彼らも、

一時期には権力を手中に収める立場に居た訳です。

更に埋没しているという表現にしますが、

その権力の下で生活する無名な国民であり市民とは、

確かに権力を持っている時点で違います。

だからと言って自分たちが

歴史に残る偉人であり英雄と

同格の様に考えていること自体が、

バカバカしい話です。

 

富国強兵は、国を豊かにして強兵を作る意味で、

まあ、アメリカの様に日本に後塵舐めていた

90年代の経済から、

今の状態に復興したなら、

それは正に理を得ていると言っても良いでしょう。

 

では…日本は?

逆に衰退している。

日本は先ず富国を優先して考えるべきなのに、

富国すらできずにいる。

解かりやすいので三国志の話で言うなれば、

劉備に乗っ取られた

蜀の劉璋の状態に似ていると言えます。

 

彼らは兵力を補うために、

重税を課して国を破綻させて、

結局はそれよりも小さいはずの劉備に奪われてしまった。

今、日本で議論されている事は正にこういう状態です。

かと言って…劉備に備えなければ奪われる。

または当時の漢中に居た張魯という勢力に奪われる。

でも…結果として重税を課して国民を疲弊させては、

その原資となる経済はどんどん悪く疲弊する訳です。

これを富国強兵という意味で言うなれば、

正に愚の骨頂です。

 

先ず、現状戦争に至る状態に無い事を踏まえて、

現有戦力で守りうる最大の配置を行う。

ウクライナが苦戦しながらも

現時点でロシアとの戦争で何とか持ちこたえている状況を見て、

侵略する側が如何に苦戦するのかを考えれば、

戦力を増強せずとも、

他国が侵攻するリスクを決断に結びつける状態は無いと

判断した上で、

それでも突発的かつ偶発的な事態に備えて、

適正な配備をしておくという事。

逆に、いかに兵力を増強しようとも、

突発的、偶発的な事態では、

国土は100%守り切れない。

しかし敵の侵攻を十分に食い止める力が

増強無しでも有るのなら、

それは侵攻を決断する抑止力として機能する。

 

ここを維持した上で、

韓国との外交上の問題を解決して、

北朝鮮からの事態で確実に連携を取れるように、

和解する。

 

米国が同盟国防衛として確実に守る姿勢が無いのなら、

潔く中立国としての立場を表明し、

日本から戦争を仕掛ける意思はない事を明確にする。

米軍基地は国連平和維持軍として駐留させている形で、

米国と国連に働きかける。

 

正直な話…税金むしり取って国防に費やす前に、

戦争を回避または抑止するための労力は

山ほどあるという事です。

それをやった上でまだ足りないのなら、

次は国防ではなく、宇宙開発の技術促進に成るのです。

 

無能な連中は次に来るだろう技術を予測してません。

 

太陽光発電の技術で、

宇宙からマイクロ電磁波で地上に送電する方法などが、

技術的に進んでいる訳で、

マイクロ電磁波が人体に悪影響を及ぼす観点から、

今は難しいとしてます。

逆に言えば、これ兵器としてつかえるという話です。

兵器の応用が可能な分野に対応した技術開発が出来ない。

または兵器応用を研究した上で、

逆にそれに備える部分まで研究するという事が、

真の国防に備える発想なのです。

 

現有兵器をいくら揃えても、

数年後にそういう技術が進化したら無駄に成るだけです。

逆にそういう技術を得たのなら、

それこそ対外的に抑止力として働く。

 

愚者は今出来ることを精一杯に揃えようとするが、

英雄は次に訪れるだろう優位性の担保を目指すがゆえに、

結果として愚者の愚行を嘲笑するのです。

 

ゲームの世界でも誰かの攻略法を真似て、

そのままやって自分の実績としているが、

そもそもが無能な攻略でしかない事を知りもしない。

攻略法を知っても、

もっとより効果的な方法を模索して、

それを見出すことに努めなければ、

そのプレイヤーはその世界で

なんの価値も無いのです。

 

真の価値を知らない人から称賛を受けても、

真の価値を生み出した人には勝てないのだから。

 

これはスポーツの世界でも同じ。

メッシやネイマールのプレイを真似たところで、

同じことが出来たところで、

彼らを越える存在には成れないのと一緒です。

 

ちょっと難しい話ですが…

単純に大きな違いを言うなれば

メッシやネイマールのプレイを

真似て同じことが出来るようになったか、

自分で色々積み重ねた練習の中で、

メッシやネイマールと同じ事は出来るのかで、

実戦に向いたときにその選手の力は歴然と違うという事です。

 

何にしても、基礎を徹底して

様々な状況を想定して、

それに対して自分なりに対応を考える力が無ければ、

真の達人には成れないという話です。

 

しかし…そういう達人は、稀にしか存在せず、

民主制の政治家にそれを望むのは酷な話である事を、

我々庶民は知っておく必要がある。

その上で、マシな奴に投票するのではなく、

常にダメを排除して、次を試す姿勢が、

民主主義を最大限に活かす道と言っておきます。

 

好き嫌いはあるだろうけど、

イーロン・マスクがトランプに苦言を呈したように、

「我々の上には常に憲法があり、

何人もこの存在を越えては成らない!!」

これが民主制を維持する秘訣と同意する話でもあります。

 

政治家にそれ以上を求めるべきではないとも言っておきます。

もし、それ以上を求められる存在ならば、

その政治家は国民に感謝と誠意を示して、

治世を豊かに導くでしょう。

ただし…その人物は恐らく憲法の存在を尊重し、

それが自分亡き後、

治世を永続させるものであることを知るでしょう。

今、存在する合衆国憲法であり、日本国憲法は、

それだけ価値ある状態で維持されているのです。

なのでこれを変える事は、

如何なる理由があっても許すべきではないと言っておきます。

 

国民が20年後の未来を予知できないのなら、

寧ろ不変を覆す如何なる戯言も信じるべきではない。

 

とは言え…

世界はまだ纏まった状態ではない。

国連で世界を統合するには…

民主制で選ばれたアホな政治家は

全て排除する必要性が有るのだろうか…

全ては米国を含む各国の国民、市民が

どういう政治家を支持するかに掛っている。

 

ウクライナの戦争…

平和を望みながら、長期戦の対立へ導いてしまう世論。

そしてそれに同調する政治家。

米ソの冷戦から結果として

この対立意識の解消が出来なかった結末であることを、

殆どの人が理解しようとしていないのは、

真に残念な話です。

いわば…この戦争すら起こす必要性は無く、

それ以前に対処出来た事なのです。

それが崩れ去って結果としてこういう戦争に発展した以上、

正直、止める事は難しく、

双方が双方のプライドをぶつけ合って、

本当に疲れ果てるまで殴り合う話です。

 

ボクシングの試合の1ラウンドを1年として戦争を見るならば、

1ラウンドでKOすることが適わない状態で、

2ラウンド、3ラウンドと続く様なもの。

15ラウンドなんてベトナム戦争と同じで、

当時圧倒的な米軍を以てしても、

決着が着かずに米軍の判定負けの様になった。

多くがロシアのKO負けを論じて期待しているが、

ロシアが立ち続ける限り戦争は終わらない。

あと何ラウンド持つかも解からないが…

その間、ウクライナの市民はダメージを受け続ける訳です。

 

ウクライナの人々が可愛そうだけど…

どうやって止めるの?今更…

 

ウクライナだって国土を奪われたままで終われる様な

国としてのプライド捨てれない。

 

ここを踏まえたうえで

ロシアとの交渉に結び付けなければ成らないが…

マクロン大統領が言っている意味すら

理解できない人が大半なので、

交渉する基準すら模索もできない。

 

民主制の無能な政治が蔓延る現状が…

憲法の無い国際社会で無秩序に働いているとは、

真に情けない。

国連憲章の内政不干渉の項目なんて、

アメリカが寧ろ無効化させている状態。

米国の国連大使の・・・グリーンフィールドだっけ?

さっさと消えるか、

ちゃんと国連憲章の意味を理解して発言しなさい!!

無知無能にもあきれる話。

国連は民主制を正当化する場所では無い!!

民主制を正当化する前に、

民主制が国連憲章化できる議論の流れを作りなさい!!

 

いわば…中国もロシアも妥協できるところ

「投票無き世襲は加盟国国家の正当な統治機関として認めない」

と、いう所から始める。

ロシアのシステム上でも、中国のシステム上でも、

この文言は妥協できる状態にあるから。。

そしてとりあえず選挙では無く、投票とすることで、

独裁国家の世襲に歯止めをかけるという意味です。

 

そしてこれが機能し始めてから、

投票を国民選挙という文言に変えるタイミングを

今後調整して行く。

それには中国の人民

(国民だけど表現を中華風に調整します。)

が、どれだけ国民選挙を求める状態に靡くかで決まる話で、

世代を得て、経済的な繋がりで

米国の文化と交わっていく事で

50年以内には流れが変わるという見積もりです。

その際に、米国は中国の経済に負けては成らない事と、

米国と中国が外交上上手く付き合って競い合う必要性がある事、

この何れかが欠落すると50年では

決着が着かなくなるとも言っておきます。

中国の人民が米国民に敵対心を持ってはならず、

また中国の人民が米国民を見下す状態に成っては成らない。

それを補佐する意味で、

ある意味欧米、西側の国々は米国と共に発展し続けるよう、

協力していかなければ成らないのです。

無論、そこに中国やロシアを敵視したり排斥するような

考えが混じっては成らないのです。

 

双方が競争を意識しつつも、

フェアに戦う事で新たな世代を西側の意識へ導いていく。

また、欧米と西側の力が団結してこの経済競争に挑めば、

中国はさほど脅威ではない事も自信を持つべきで、

多くの英知を支援して優位性を保つようにすれば、

中国が追いついてきても、

それ以上に力強く進めるのは疑いの余地はない。

 

古い価値観は年を得るごとに衰え、

新しい価値観がそれ以上に浸透する。

世代を重ねることで世界の価値観は

より一つの世界に共有されていく事を、

今の世代は理解して見つめるべきなのです。

 

今、この新しい価値観を古い価値観で覆そうとしているのは、

60代以上の政治家が蔓延って、

冷戦時代の因縁を持ち込んでいる結末と理解してほしい。

ウクライナの戦争は

そういう古い価値観が齎した副作用でしかない事を、

先ず理解した上で、

この老害どもをいち早く排斥する必要性があると

強く述べておきます。

新しい価値観を理解するマクロン大統領は、

若くて甘いのではなく、

寧ろ老害でしかない古い政治家が

人間不信に陥って理解できていないだけの話です。

「プーチンは信用できない!!」

そういう意識で挑むのは仕方ないが…

プーチン大統領も不死身ではない。

いつか死ぬだろうし、

20年後も生きているとは限らない。

ある意味、その20年後を見据えて、

その20年後にロシアで権力を握る世代に、

価値観を共有できる環境を齎すべきと言う話です。

 

なのでロシアを敵視する状況は、

20年後も同じ敵愾心をロシアに植え付ける作用しか

働かないという事です。

 

もっと先を見据えて考えるなら、

20年後のロシアが我々と同じ価値観で共有出来たなら、

その時でもウクライナの領土返還の話は出来る。

今の一部のロシアの若い世代が戦争に反対しているのなら、

彼らが新しいロシアとして正当化できるように、

今のロシアを導くのも策略という表現にしておくが、

そういう意味で機能する。

いわば自然な形で徐々に価値観を共有して行く方が、

より効果的に世界が纏まるという事です。

 

それでも今と成って

ウクライナとロシアが戦争してしまった状態では、

こういう話も難しい。

ロシアとウクライナが再び関係を良好にするには、

ゼレンスキーは寧ろ邪魔。

無論、怨恨を与えたプーチン大統領も邪魔と成る。

ただし…

ゼレンスキーが退陣して

ウクライナが親ロ派の存在を排除しない状態になったら、

プーチン大統領も自身の退陣を潔く認める可能性は大きくある。

その条件はウクライナがロシアとの関係改善を決定して、

更にはNATO加盟から手を引く、

またはNATOがウクライナ加盟を今後認めないとする事です。

 

実は…現状ここが和平に進展できるラインです。

でも、ゼレンスキーは親ロ派の活動を非国民として認めないし、

退陣する意思も無いので、

結局、戦争は終わりそうにないという事。

また、ゼレンスキーはバカなので、

こういう話でプーチンが退陣するなら

和平に応じると言いそうですが、

それは相手の敵愾心に火を付けるだけの行為で、

彼が平和を望んで発している言葉には成らないのです。

 

まあ、現状の状態でゼレンスキーが

何らかの事故か戦禍に巻き込まれて死んでも、

一時的には英雄視されても、

歴史的には戦争に導いた愚者扱いされるのがオチです。

彼が英雄に成れるのはロシアとの戦争に勝てたときだけ。

なのでウクライナ政府=ゼレンスキー政権は

そこが明確に成るまで、

和平交渉は如何なる国民の犠牲を伴っても、

決して妥協しないと言えます。

 

まあ、こんなバカな大統領を選んだウクライナ国民を

哀れに思うと一般的には残酷な表現を用いて伝えておきます。

 

なぜバカとまで言い切るのか?

それはこいつが避けられるはずの戦争を

避けれなかった馬鹿だからです。

ゼレンスキーが大統領に成った時期待したのは、

ロシアとの関係改善だったのですから、

戦争と言う結末は、失望以外に言葉がない怒りしか感じません。

 

この怒りは…前述にもある通り、

世界が平和に統合できる機会を彼の馬鹿な判断によって、

全て台無しにされたから。

NATOがけしかけた結果であっても、

本当に国民にとってベストな選択は何であるのか…

そこをちゃんと理解していれば、

NATOや米国のネズミ国務長官ブリンケンの

罠の犠牲に成る事なく、

平和的にウクライナ国民を導けたわけですから。

 

どうするの?

これだけ国民犠牲にする状態にして…

ウクライナの国民がこいつを支持し続けて戦争する以上、

正直助ける気も有りません!!

世界平和を滅茶苦茶にしてくれて有難う!!

ウクライナ国民にこの言葉を今送ります!!

自分らで責任取れ!!

 

因みに敵の敵は味方と言う意味で

ロシアをサポートする意味でも有りませんが、

自分がロシアの大統領だったとしても、

ウクライナのゼレンスキーは許せなかっただろうと理解します。

多分、同じ状況では、同じ選択して、

戦争を始めるだろうと思います。

勿論、いろんな批判を受ける覚悟で。

この表現自体も炎上覚悟でしているのと同じで、

許せない行為に対しては許せない姿勢で表現するのが、

人間にある本質だという事は理解してほしい。

 

戦争は法律で縛られた社会とは別で、

国家と国家の関係で発生するもの…

より慎重に相手と付き合う事が無ければ、

こうした殺伐とした結末はいつ何時も訪れるのです。

 

日本もこうした事を理解しないで外交しているなら、

ウクライナと同じ結末を引き起こすことは覚悟した方が良いです。

 

むしろ・・・こんな事も解からないの?

と、いう話で我々の社会は動いている。

長い愚痴になってしまった…

後で読みなおしたら…凄い長くて、

本文と同じ事言ってて申し訳ないです。

 

どうも…ショーエイです。

今回のワールドカップ決勝戦。

もうどちらが勝っても文句なし!!

最高のパフォーマンスで両者が雌雄を決してほしい。

 

そういう結末になったと言えます。

ほぼ、当事国以外の人は、

多少のひいきは有れど、

結果はどうあれ最高に素敵な舞台と成るでしょう。

 

特にパリ市民にとっては、

PSGに所属する新旧のスターが激突する部隊と成るので、

格別な決勝とも言えるのではないでしょうか。

 

まあ、色々な意味で言っちゃ悪いけど、

自由の女神から、

マクロン・フランス大統領への

クリスマスプレゼントかな…

フランスが優勝する意味では無く、

この決勝の舞台そのものが。

どの政治家よりも、

彼だけが本当に自由と平和を考えて

行動していたという評価を、

人間ではない何かの力が評価したという

表現をあえて言っておきます。

 

また、これが幸せを感じさせる決勝と成ったのも、

何気にエムバペ選手がPSGに残ってくれたから。

同じPSGに所属する新旧スターが、

ワールドカップの舞台で世代を超えた勝負に挑む。

二人がチームメートで有る事で、

この勝負に何の確執も無い形に成った事も、

この決勝戦を幸せに感じさせる部分と思えます。

 

正直、メッシ選手は最後なので、

メッシ選手に勝たせてあげたい!!

でも、フランスの連覇でも良い。

それも歴史的。

エムバペ、グリーズマン、ロリス選手ら、

前回大会同様に活躍した選手らが、

ペレ選手の連覇と言う偉業を

新たに生み出すのも見たい。

最強の称号に君臨したメッシ選手を相手に、

優勝をもぎ取るという意味の大きさは、

仮にアルゼンチンが負けたとしても

メッシ選手の偉大さを伝える戦いと成る。

 

もし、メッシ選手が勝ったなら、

この有終の美は、

今世紀最大の伝説として残ることに成ると言えます。

そうなったとしても…

エムバペ選手はメッシ選手が一線を退いた後、

偉大な選手となる義務が生じる事も、

覚悟しておいてほしいです。

この後、エムバペ選手が偉大に成る事で、

この幸せいっぱいの決勝の舞台が、

より大きな歴史として刻まれる事に成るのですから。

 

そういう決勝の舞台で有る事を感じて、

この日曜日(月曜日)の勝負を楽しみたいです。

 

どうも…ショーエイです。

先ず、別に森保監督が好きでは無いのだけど・・・

三苫選手の使い方は合理的だった。

 

前にも書いたけど…

日本の選手の質は、言うほど上等なもんじゃ無いです。

昔も今も…

日本の選手が出来るテクニックは、

寧ろブラジルの選手の殆どが出来るレベル。

いわば欧州のリーグの中では、

平均的な選手ばかり。

無論、昔に比べれば

平均レベルの選手が増えたことは、

いい意味で成長したと言えます。

 

そういう平均のレベルの選手が集まっても、

チームとして機能すれば、

試合は対等に運べるのがサッカーというスポーツです。

 

しかし、この平均レベルの中で、

少しでも有利に試合を進めようとするならば、

相手が疲れたころに元気のある選手を投入する方が、

効果的に機能するという話です。

 

なので三苫選手みたいなドリブラーを

後半に起用するというのは、

実に合理的な戦術で、

日本の様なレベルのチームにとっては、

最善の奇策と言えます。

 

またレギュレーションが3名交代から5名に増えたことで、

こうした戦術は今後効果的に用いられるように成るとも思えます。

ある意味、スタミナは無いけど、

エンド・クラッシャーという感じ…

日本語で言うなれば「終盤の暴走者」みたいな…

起用法は戦術的に出てきそうな気もします。

 

多分、ディフェンダーも終盤に

メッシやネイマールの様な選手が元気な形で登場して、

ドリブル突破で引っ掻き回されると、

かなりキツイと思う。

そうした状況下で、

エムバペ選手ほど驚異的なスピードは無くとも、

三苫選手の様なスピードは

十分に活きる場と成るという事です。

 

三苫選手を前半から使うべきという話も有るけど…

寧ろ、前半から使っていたら、

三苫選手が活きるところがもっと減ったとも言えます。

 

最後にちょっと皮肉を言っておきます。

サッカーの試合だから、

ワールドカップで優勝できるとか、

日本の力を信じるのは別に構いません。

 

でも、同じ様に中国に戦争で勝てるとか、

ロシアに戦争で勝てるとかいう議論は考えないでほしい。

戦争でのサッカーで言う一点一点で、

人が犠牲に成る事を考えた上で、

寧ろバカバカしい戦争に巻き込まれない姿勢を

考えて欲しいですね。

 

まあ、バカバカしい戦争したいならすればいいのだけど…

その時は自分はウクライナの犠牲者同様に、

何時死んでも構わない覚悟を決めるしかない。

 

勝つか負けるか…

そんな結果が出る前に

犠牲に成って死ぬかもという覚悟を持てますか?

 

スポーツと戦争は違うという事を、

一般の人は良く理解してほしいです。

 

どうも…ショーエイです。

これを書き始めている時点で、

日本対クロアチア戦、前半40分です。

 

先ず2流という表現は、

優勝を狙える国が1流。

優勝を狙える実力無く、頑張って勝ち進むのが2流。

参加するだけは3流です。

 

別段、悪い言葉では有りません。

現状の日本にとっては…

 

スペインに限らず、1流の国はボール回しが上手いです。

この基本は誰が見ても理解できると思いますが、

何故、こんな違いが出るのか?

それはスペースカバーの意識の違いです。

 

スペースカバーの意味くらい解ってるよ!!

まあ、そういう素人さん多いと思いますが、

その言葉通りで理解している知能ゆえに、

日本代表と同じ程度です。

ここはハッキリ言っておきます!!

 

スペースカバーの意識は、

「味方に対する心遣い。」

 

勿論、日本にもそれが解る選手は居ます。

それが長友選手なのですが…

他の選手はクソみたいに理解してません。

なのでボールを支配出来ない、

又はボール回しが遅いのです。

まあ、そういうレベル故に、

前に蹴りだして

ラッキーに誰かが合わせてくれるのを期待する攻撃は、

妥当といえば妥当です。

 

達人の領域を知らない人には、

全ての動きが計算されて見える。

しかし、実際は違います。

 

達人の領域では、

迂闊に飛び込めばそこは死地となり、

その隙を逃せば勝機を失うという感じです。

 

ゲームの組み立て時点では

実は隙を伺う動きなだけです。

 

勿論、選手として

この領域を感覚的に理解してる選手は

天才と呼ばれる限られた人に限るのも事実です。

なので基本的にはサッカーの試合では、

隙を逃すのが常で時間が進みます。

 

※因みにテレビゲームとして天才一人が操作した場合、

恐らく圧倒的な試合に成ると言えます。

 

ただ、ディフェンスも隙を作らずに守るのは至難の業なので、

どれだけ相手が隙を見せる状況に追い込むかが

勝敗を決める部分なのです。

その中でボール支配の上手い側が本来有利に成るのです。

 

【ボール回しは意識の違い】

先ずは足元のテクニックに関して言えば、

日本の選手もそれほど悪くは無いです。

ただし、これは久保選手がゴミに成った点でも有りますが、

ボールを貰える位置に動く意識では

実は使い物に成らないのです。

これは寧ろディフェンスに読まれるからと言っておきます。

 

ティキ・タカと呼ばれるスペインサッカーの組み立てを、

精神的に分析すると、

ボール保持者をサポートする動きに徹するという事です。

サポートという表現は解りにくいと思いますが、

実は論理的に理解させるのは難しく、

練習による刷り込みと、

実績による安心感でしか選手に教える手段は有りません。

 

難しいのは、

孫子の言葉、

「彼を知り、己を知らば」

を完璧な意味で理解しろという事と一緒です。

 

他の言葉で言うなれば、

「自分がされて嫌な事は、他人にするな!!」

という言葉の逆応用、

「自分がされたい事を他人にしてあげる」

という表現に成ります。

 

こうした意識を持ってプレイすると、

ボール保持者がここに居てくれると

助かるという場所が見えてきます。

 

【パスが来ることを期待して動くのではないという違い】

スペースに走るという一般的に言われる動きは、

走り手がボールを貰える位置に動くという意識で成立します。

正直、プロなら誰でも出来ます。

しかし、そのスペースにディフェンダー対応するのも

プロなら出来る話です。

 

日本人が戦術的に愚かな部分はここで戦うところ・・・

日本人だけとは言わずに

まあ殆どの国がこのレベルで戦っていると言えますが…

これをスピードであり、

パワーや高さで押し切ろうとするわけです。

結構、一般的にこうしたチームが多いのですが、

戦術的には昔のイングランドのロングボールに退化している。

 

ティキ・タカという言葉で表現するパスサッカーのベースは

味方が居て欲しい場所に動く点です。

そしてそこは空間的

にセーフティポイントに成る場所であることも大事です。

この基本的な違いは、

パスを選ぶ、プレイを選ぶのは

ボールの持ち手の選択で有るという点です。

その中で仕掛けるという隙をつく動きは

持ち手の動きに合わせるという感じです。

 

しかし、その殆どの場合、

ボールの持ち手は

簡単に仕掛けていく事が無いのも、

これも大事な意識です。

なのでセーフティポイントでパスを受けつつ、

仕掛ける形と隙を伺い続けるのです。

ディフェンスが崩れそうな形を見つけるのは

選手の才能なのでボールをキープできても、

ここで攻撃力に大きな差が生じると言えます。

今のスペインと、優勝した時のスペインの差は、

こうした判断力の部分にあると言えます。

 

それでも、

仕掛けは殆どセーフティーポイントを利用して

パススピードを上げるだけなので、

美しく繋がっていくのです。

その中で相手ディフェンスは崩れやすく成り、

シュートを打てる場所に誰かが入り込めば、

大きなチャンスが生まれるのです。

 

【普通の人には解らない大きな違い】

最近、万の言葉を用いても

理解できないアホには理解できないので、

高飛車にこういう言い方をします。

 

先ず、サッカー選手はエゴイストの塊という

精神状態を説明しておきます。

サッカー選手と言わずに、

スポーツ選手で成功する人はそういうものです。

どれだけ人が良くても

自分の力で打開する意識の無い人間は、

勝負の世界で大成しにくいです。

これは政治の世界でも一緒かも。

 

そのエゴイストの集団に統制を齎すには、

マラドーナの様なボスザルを用いるか、

選手全体が

エゴイスティックに仕掛けられるシステムに

組み込むかの

何れかが大事に成ります。

 

【普通のシステムではエゴがぶつかり合うだけ】

よく味方同士で動きに関して喧嘩することがあります。

そもそもそれ自体がアホな話です。

いわばどちらの主張も正しく、

ただ噛み合わないだけ。

なのでマラドーナの様なボスザルシステムで、

俺中心にプレイしろが一番纏まりやすく成ります。

メッシは現状こうした戦い方をするべきとも言えます。

※性格的に…難しいのは見て取れる。

寧ろゲームを作らないロナウドの方が、

こうした形を狙っているようにも見えるが…

ロナウドの自分が点を取るだけの形では、

そこまでの組み立てで機能しないのも事実です。

 

しかし、セーフティポイントに動くように

組み込まれたチームだと、

エゴを発動するボール保持者が

全体を見極める責任が発生するため、

他人に要求する部分は少なくなるという事も言えます。

寧ろ、セーフティポイントの見極めの出来ない選手は、

チームから外されるだけです。

 

【日本人が海外で評価されない部分は

こういう意識の低さから】

日本人は人が良いから向いているはず…

いいえ…日本人は社会的に臆病なだけです。

心優しい人はアメリカにもヨーロッパにも居ます。

勿論、日本にも居ます。

割合はどの国も一緒です。

 

ただ、日本人は表立って自己主張する人が少ないだけ。

それ故に穏やかに見える。

ルールを守らないと社会的に浮いた存在になって

恥ずかしいという意識があるだけで、

他人を気遣う意味でやっている人は少ないのも事実です。

逆にルールが無ければ

他人を平気で締め上げて楽しむ有様は

ネット上の特に無記名な状態での荒れ模様で解ります。

 

企業の有りようも、他人が求めるサービスより、

結局は利益重視の姿勢のみ。

気遣いのあるサービスを目指しているのなら、

消費者が求めるような製品をガンガン生み出す

イノベーションを持ち合わせていると言えます。

今の日本には無いですね。

 

人をサポートする意識と言うのは、

エゴイストだから出来ないというのではないです。

ある意味、エゴイスティックな言い方からすれば、

他人を最大限に活用する。

お人好しに言えば他人を気遣うという意味なるのですが、

結果としてやることは同じです。

 

ただし、両者の違いは、

エゴイストは

他人を最大限に活用できるように配慮しつつ、

自分を活かす場所で自分を主張する点で分かれます。

その自己主張を発揮するためにイノベーションであり、

クリエイティヴィティを用いるのです。

※ここは解りづらいかも‥‥

 

【一流は気遣いを武器に使う。】

人を気遣って何に成るの?

自分の為に自分が頑張れば良いんじゃない。

 

これが日本人の意識に浸透している事です。

なので…味方を殺してしまうのです。

 

気遣いは優しさでは無い。

ただし優しさを持ち合わせないと気遣いは出来ない。

なので一流にしか使えないのも事実です。

 

先ず、人は一人で出来る事は限られている。

サッカーなら一人で11人相手に戦うのも無理がある。

そうした中で味方を最大限に活用しなければ成らないという事。

味方の能力を最大限に活用するには、

精神的、能力的に気遣いを与えて、

その人がフルに活きるようにした方が

効率が良いという事です。

 

誰もが解っているようで解からないから

ティキ・タカというスタイルは一流なのです。

ある意味、これ出来る事が一流のチームと言える。

 

サポートの動きに全体が徹するから、

いつでもその個々の能力が時折奇襲攻撃として機能する。

また、メッシ、イニエスタ、シャビが存在した

全盛期のバルセロナは理想的。

メッシがドリブルする際にも、

味方がどう走って相手のディフェンスを引き付ければ

そのドリブルのコースが空くのかまで気遣うプレイ。

 

ここでエゴイスティックな話を言えば…

そのディフェンスがメッシのドリブルのカバーに向かったら、

自分が逆に空くという事。

気遣う気持ちが有る故に、

こうして生じた空間も上手く活かせるのです。

 

気遣いの無い動きは、

メッシが自分にパスしてくれる場所に動こうとする。

ただしそこにはメッシのドリブル突破を気遣う意識が無い分、

メッシの判断に難しい状況を齎している事すら気付かない。

いわばメッシのドリブルコースに

余計なディフェンスを与えているだけで、

自分だけがフリーに成ろうとする動きな分、

メッシからのパスコースのラインも潰してしまっている。

勿論、強引にパスは出せなくも無いが、

実はそのパスが通るまでの間に、

ディフェンスのカバーが反応する事も計算出来ない。

故に決定打に成らないケースと成るのです。

それでも運良ければ入るのがサッカーですが…

あくまで運次第なのです。

※現状、または以前からアルゼンチン代表が

メッシのドリブルで上手く機能しないのは

こういう部分が欠落しているから。

 

いわば、気遣いあるプレイはメッシが最大限に活きるプレイ、

ドリブル突破でコースが空きやすいように、

先ずはコース上のディフェンスを

自分に引き付けるという気遣い。

その上で相手ディフェンスの動きを見極めて、

今度はメッシがパスしやすい場所に位置取る。

(この時点でほぼ空間が生じる)

その上でシュートのチャンスが生じれば決めれば良いだけ。

その決定打を決めきれないのは

その選手の能力が伴っていないだけという話に成ります。

 

これはドリブルに限らずに、パスでも同じで、

いわばワンツーを決めるポイントでも成立してきます。

ワンツーが決まりににくいのは、

パスを出したあと、ディフェンスがくっついてきて

パスコースを塞ぐからですが…

ティキ・タカでパスをつなぐことで、それを攪乱すれば、

その一本のワンツーが通る隙が生じるのです。

そこへ結びつけるのは、ある意味相互の気遣いで

ポジショニングを上手く取るという基本が

ベースになるという事に戻る話です。

 

正直、現代サッカーでこうした気遣いの動きが、

日本で全く語られていない時点で、

国民も2流、選手も2流という事でしか無いのです。

 

先ず、日本はドリブルの意味すら理解してません。

今現在の時点で試合は終わりました。

 

PKで負けた件は…後で説明します。

見ててもコース読めた…

 

ドリブルは単純にテクニックで抜くだけと

考えている人多いと思います。

味方と敵の位置取りから見えるコースです。

これはパスも同じです。

クロアチア戦、三苫選手が

良い感じで内に切り返して放ったドリブルが有りましたが、

ああいうコースを如何に生み出すかは味方の動き次第です。

 

逆にディフェンスはそういうコースを作らせないよう守るのが、

メッシ選手やネイマール選手の対策と成ります。

 

なので…コースの無い所にいくら切り込んでも、

ラッキーチャンスしか生まれないのです。

無駄とは言いませんが…

 

でも…スペイン戦の疑惑のゴールも含めて、

ああいう形でも勝てば良いという話なら、

攻撃を諦めてもっとディフェンスシステムの強化に努めた方が

良いのではという話です。

まあ、そのディフェンスも周りを気遣うプレイで、

最終的にはキーパーを気遣うように守る意識が大事なのですが、

足を出し過ぎです。

 

では、PK戦に関して…

先ず、日本には剣道というものが有るのに、

その精神教育が全く伝わっていない。

PK3発も外れた点はこの部分の差です。

 

ヨーロッパには勿論剣道なんてものは有りません。

しかし、どこでどう伝わってのかまでは、

言いにくいのですが、

武術的な瞬発力を高める話は有るのかも。

 

先ず、キーパーがどこで反応しているのか…

蹴る瞬間です。

逆にヤマを張って動くキーパーは良く決められます。

 

最初に覚えておくことは、

全てのシュート、

または武術で言うなれば全ての攻撃を防ぐことは出来ない。

いわば力いっぱい

ギリギリで放たれたシュートを止めれないのは、

どうしようも無いと割り切るのです。

その上で蹴るギリギリまで精神を高め、

ボールが飛ぶ瞬間に反応する。

 

そういうキーパーが今大会多く、

PKが止められるシーンが目立つ中で、

日本の選手のコースは蹴る直前で見やすかった。

いわば蹴り足がコースを差した状態で蹴ってるから、

そういうキーパーには読みやすかったという話です。

 

正直…レベルの低い盛り上がりで

スペイン戦の後、日本を応援する気無くなった。

 

クロアチアはスペインやドイツより

戦い易い相手だったのに、

コスタリカ戦も含めて、

こういう所で負けるのはどうしようも無い。

真面に組み立てから点が取れない副作用と言えます。

 

【理想的なベスト4】

エムバペ、ロナウド、メッシ、ネイマールが出そろう中で、

新旧のスターが最後の雌雄を決するのが、

この20年の集大成と成って良いのですが…

 

先ず、

問題はオランダのディフェンスをアルゼンチンが崩せるか…

そしてオランダの攻撃を

アルゼンチンが守り切るだけの強さが見れない点。

もう一つは、メッシが

ディエゴの様にアグレッシブに組み立てられるか…

メッシはもっと自分に戻す様に要求するべきと言えます。

アルゼンチンがメッシを中心に、ボールを彼に集めて、

その上で組み立てる形を作れれば、

オランダを倒す事は可能だが、

そこが出来ないとオランダのディフェンスに阻まれ、

オランダが上手く得点して負ける感じになると思う。

 

クロアチアとブラジルは、

恐らくブラジルが有利。

 

イングランドとフランスは、見た感じ互角。

ただし…キーマンは多分エムバペでは無く、

グリースマンに成ると思う。

トップ下として今回グリーズマンは実に良い動きをしている。

寧ろ賢い組織のイングランドは

エムバペ対策は出来ていると言える分、

グリーズマンの組み立て次第で、

エムバペかデンベレが活きる場面が出てくると言えます。

ただし、今回のイングランドは特殊なシステムで、

ハリー・ケーンがセンターフォーワードの位置で

ゲームを作っている点。

POST&GOとでもいうスタイルかな…

このシステム…嵌ると真ん中のディフェンスが釣りだされて、

→の向きの攻めに対して、<この形に成りやすいです。

<こういう真ん中が守るゴールより凹んだ形に成ると、

サイドからのインへ入る形が守りにくく成る為、

真ん中変にカウンターチャンスが生じやすくなる。

これに対してフランスはケインのマークをボランチに預けて、

<こういう状態を作らずに、

常に>こういう方を意識できるかが勝敗を分けるポイントになる。

 

ポルトガルとスペインに成るのかな…ちょっと微妙だけど…

 

スペインはパスサッカーの伝統を引き継いでいるが、

隙を確実に突く突破力は今の世代には薄い。

日本戦で1点しか取れなかったところが、

実は微妙さを感じさせます。

 

ポルトガルはチームワークがあまり良くない。

ロナウドがあの年齢でゲームメーク出来ない状態は、

正直致命的です。

なのでスイスに負ける可能性も有ります。

寧ろロナウドがイングランドのハリー・ケーンの様な、

センターフォワードからのゲームメイクを出来るなら、

ポルトガルは大きく変われた可能性は有る。

その才能は有るはずだったが・・・

 

順当に考えると…実はオランダが一番バランスが良い。

寧ろ今のオランダは昔のドイツの様にも見える。

個人的にはメッシに優勝させてあげたいが、

アルゼンチンがオランダに勝てる状態にあるようには感じず、

もしオランダに勝てたならという所です。