ガイ・リッチー監督、マシュー・マコノヒー、チャーリー・ハナム、ヒュー・グラント、ジェイミー・ストロング、ヘンリー・ゴールディング、ミシェル・ドッカリー、コリン・ファレル、チディ・アジュフォ、エディ・マーサン、サミュエル・ウェスト、エリオット・サムナー、フランツ・ドラメー、バグジー・マローン、トム・ウーほか出演の『ジェントルメン』。2020年作品。
ミッキー・ピアソン(マシュー・マコノヒー)はあるアイディアで密かにイギリス中で大量の大麻を栽培して儲けていたが、彼を恨んだタブロイド紙の編集長“ビッグ・デイヴ”(エディ・マーサン)が雇った探偵フレッチャー(ヒュー・グラント)はミッキーの右腕レイモンド(チャーリー・ハナム)のもとを訪れて、ミッキーがプレスフィールド卿(サミュエル・ウェスト)と繋がりがあり、彼らの間の事情やミッキーがかかわっている大麻にまつわる犯罪など調査で明らかになった証拠をネタに2000万ポンドの金を要求するのだった。
ネタバレがありますので、まだご覧になっていないかたはご注意ください。
公開からひと月ほど経って終了間際の平日の昼間にもかかわらず、上映会場には結構人が入っていました。皆さん、この映画の何を目当てに観にこられたのだろう。
監督のガイ・リッチーはジェイソン・ステイサムのデビュー作『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』や、ステイサムとともにブラピが出てた『スナッチ』の人で、今回もその系統の作品だからそういうジャンルに興味がある人たちなのか、それともマシュー・マコノヒーが主演だからか、なんとなく予告篇観て面白そうだったからか。
あるいは、2019年のディズニーの実写映画『アラジン』の監督の最新作だからでしょうかね。
他の大勢のお客さんたちが何を基準にこの映画を選んだのか、ちょっと不思議だった。
僕は『ロック、ストック~』も『スナッチ』も観てますが、そして面白かったという記憶もあるのだけれど、どちらも男たちが大勢出てきて犯罪がらみでストーリーが入り組んでるもんだから内容はさっぱり覚えてなくて、だからあまり思い入れがないのでこの最新作も観ようかどうしようか迷っていました。
早いところオスカー受賞作の『ファーザー』が観たいんだけど、あちらはまだ上映が続いているのに対して、この『ジェントルメン』はもう終わっちゃうことを知って、とりあえずまずこちらを鑑賞。
前述の2本のガイ・リッチー作品がそうだったように観終わった途端に内容を忘れてしまうような映画でしたが、観ている間はとても楽しかった。これってすごく大事なことですが。
イギリスのギャングたちの諍い事なんて自分にはなんの関係もないので無責任に観ていられる一方で、何か心に残るものもないから忘れるのも早い。
それでも、顔をよく知ってる有名俳優から初めて見る人まで出演者たちの演技合戦が実に見応えがあって、ちょうどクエンティン・タランティーノの『パルプ・フィクション』や北野武の『アウトレイジ』の面白さを思い出しましたね。お話がどう転がっていくのかわからないところも。
この映画はタランティーノ作品を配給したミラマックスの製作だし、登場人物たちの演出などあらためてガイ・リッチーはタランティーノの影響を強く受けてるんだろうなぁ、と感じた。
レイモンドと部下が若者たちの溜まり場のアパートに押し入るシーンは、『パルプ・フィクション』の同様の場面の現代イギリス版、みたいだったし。
これはタランティーノ作品がそうであるように、アクションではなくて役者たちの演技こそを楽しむタイプの映画。
わざわざ映画の35ミリフィルムへのこだわりに言及するとこなんかも、もろにタランティーノに対する目配せっぽいし。
最後にはこの映画の中で描かれたエピソードをもとにフレッチャーが自ら書いたシナリオをミラマックスに売り込む、というオチw
前にもどっかで書いたかもしれませんが、僕はガイ・リッチーって時々『トレインスポッティング』でおなじみのダニー・ボイルとごっちゃになることがあって、二人とも英国人だし90年代にエッジの効いた群像劇で世に出てきたところがちょっと似てるから、たまにふとどっちがどっちだったかわかんなくなる^_^;
ダニー・ボイルはアカデミー賞獲ってるし最近はミニシアター系の作品が多くて(僕はほとんど観ていないんですが)、ガイ・リッチーの方はロバート・ダウニー・Jr.主演の「シャーロック・ホームズ」シリーズや先ほどの『アラジン』のようなハリウッドの大作映画も器用にこなす。
特に『アラジン』は意外だったんですよね。往年の人気アニメ映画のヒロイン像をアップデートしたディズニーの模範的なエンタメ作品を手堅く撮ってたから。こういう映画も撮れちゃう人なんだ、と。
ただ、その次のこの映画ではもっと伸び伸び撮ってる感じがしたし、ほんとに撮りたいのはこちらのタイプの映画なのかな、なんて。心なしか出演者たちもとても楽しそうに演じてるように見えるしw
マシュー・マコノヒー主演の映画を観るのは僕は2014年の『インターステラー』以来(声の出演では『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』も観たが)なのでかなり久しぶりですが、演技にも存在感にも安定感がありますね。派手な銃撃のようなシーンはほとんどないこの映画で、彼の顔の表情の演技だけで主役の風格を出しているのはさすが。ただ叫んだりがなったりするんじゃなくて、終盤にしっかりと「怖い人」の顔も見せる。
自分で自分の身体の肉を1ポンド切り取らせる罰は、「ヴェニスの商人」から。相手のマシュー(ジェイミー・ストロング)がユダヤ人だから。
後述するブタとの乱交(?)もそうだけど、残酷な場面を直接見せずに観客に想像させるのがいい。
主演はマコノヒーだけど、彼が演じるミッキーの忠実な右腕レイモンド役のチャーリー・ハナムも同じぐらいか、あるいは見方によっては彼が主役と言うこともできそうなぐらい出演時間は長いし活躍場面も多い。
チャーリー・ハナムといえば僕は『パシフィック・リム』が思い浮かぶんですが(ってゆーか、それ以外の出演作を観ていない…と思ってたら、『トゥモロー・ワールド』に出ていた)、パシリムの時も間違えたんだけど、チャニング・テイタムと似ているもんだから、今回もオールバックに髭ヅラの彼の顔を見て一瞬どっちだかわかんなかった。紛らわしいよ(;^_^A
彼もイギリスの人だったんだな。ガイ・リッチーとは『キング・アーサー』(2017)でも組んでるけど、そういえばあったな、そんな映画が。大コケしたようですが。その監督によく『アラジン』を撮らせたよなぁ。
チャーリー・ハナムのあの髪型と髭はちょっと作り込んでる感じがしちゃったんだけど、でも“ボス”を守りまわりに振り回されながらも頼りがいのあるナンバー2ぶりはなかなか堂に入ってて、ヒュー・グラント演じる狡(こす)っ辛い探偵フレッチャーとの出し抜き合いも二人の俳優たちの演技が確かだからこそ、相変わらずややこしい構成のこの映画でお話を引っ張っていく役割をしっかり果たしている。
この映画の登場人物たちは誰も超人的なパワーを持ってるわけじゃないから、どんなきっかけで窮地に追い込まれたり命を奪われるかわからない緊張感がある。“生身”の人間たちの感覚があるんですね。会話の一つ一つにちゃんと意味が込められてて、だから役者たちのやりとりを見ているだけで面白い。
ヒュー・グラントは『パディントン2』での悪役もそうだったけど、彼がこれまでロマコメで見せていたコメディのセンスも駆使して、今やかつてのイケメン俳優から性格俳優に見事な転身を遂げていますよね。
顔がだんだん嶋田久作(帝都物語)に似てきてる気も(笑)
やんちゃな若者たちに格闘技を教えているコーチ役のコリン・ファレルは最近よく出てるディズニー映画ではおとなしめな脇役が多いけど、この映画ではなんだか水を得た魚のように嬉しそうに好演していて、この人はメジャーの大作映画よりもこういうちょっとインディペンデントっぽい作品の方が向いてるんじゃないかと思った(来年公開予定のロバート・パティンソン主演の『ザ・バットマン』では悪役“ペンギン”を演じてますが)。
このコーチ、ギャングではなくてあくまでもカタギで街のジムのコーチに過ぎないのに、裏稼業の手伝いの手際がめっちゃいいのが可笑しい。
この映画の笑いどころとしては、このコーチの教え子たちでヒップホップにノって踊りながら闘う“トドラーズ”は自分たちの犯行の現場をヴィデオで撮影、MVに編集してネットに投稿してコーチに叱られたりしているようなボンクラ連中なのに、実は犯罪者集団としては劇中に登場するどんなギャングたちよりも有能だということ。
コワモテのおっさんたちをフルボッコにして大量の大麻をかっぱらったり、ロシアのギャングを始末してミッキーを救ったり。
コーチはそもそもミッキーに復讐されることを恐れて彼の手伝いを申し出たわけで、でも教え子たちはミッキーの部下たちよりもはるかに使える奴らだったという、まるでグーよりパーの方が強いけどパーはチョキに負けてチョキはグーに勝てない「ジャンケン」みたいな映画w
普段は気のいいあんちゃんたちなのが、ひとたび闘いだすとどんなプロのギャングたちよりも強いトドラーズの面々は愉快だったけど、ただ、彼らには最後まで銃器は持たせないでほしかったなぁ。
劇中でも「イチモツの大きさの比べ合い」と表現されるように、結局は強力な武器をたくさん持ってる奴が強いんだ、というつまらない常識をステゴロで闘う彼らに覆してもらいたかった。あそこは素手でロシアン・ギャングをぶちのめさなきゃ。
タブロイド紙の編集長ビッグ・デイヴ役のエディ・マーサンは、またしても悲惨な目に遭ってるしw
クスリを飲まされてブッ飛んだ彼が、巨大なブタとどんな状態になっていたのかは直接は映し出されませんが。
チャーリー・ハナムとコリン・ファレルのドン引き顔で想像しましょう(^o^)
クスリといえば、ミッキーが付き合いのあるプレスフィールド卿の娘でヘロイン中毒のローラを演じてるエリオット・サムナーのヤバめな目つきがほんとに薬物ヤってる人みたいだなぁ、と思ってたら、彼女の本職はミュージシャンで父親はスティング(彼は『ロック、ストック~』に出演している)だったのね。
確かに目許がよく似ている
ガイ・リッチーってエドワード1世の末裔らしい(なんかスゲェな^_^;)から、土地と豪邸の相続税や固定資産税、維持費などを払えなくて困っている貴族の末裔をミッキーが利用する、というアイディアはそこから発想したのかな。
貴族や金持ちたちの子女が学校で薬物にハマってしまう、というのはその階級の人々にとってはリアルな問題だったりするのかもしれない。
ミッキーや部下のレイモンドはヘロインを憎んでいて、だからそれを使って儲けている者たちを心底軽蔑しているんだけど、彼らの理屈では大麻はヘロインと違って人の命を奪うことはないからオッケー、ということらしい。
僕はどちらもやったことがないから(※やったら捕まります)その辺のことはよく知りませんが、これはこの映画の脚本を書いてるガイ・リッチー自身の考えなんでしょうかね。
劇中ではかつてのアメリカの禁酒法の話まで持ち出してたし。アルコールとマリファナは似たようなもの、という認識なのかな。
だから、この映画の主人公ミッキーがやってることはけっして悪くないんだ、ってことか。
ミッキーは裏稼業から足を洗おうとして大麻の栽培施設を同郷のアメリカのユダヤ人富豪のマシューに売ろうとするが、そこからさまざまな人間たちの思惑が交錯してトラブルへと発展していく。
先ほどのトドラーズやミッキーの後釜を狙う中国系ギャング、さらにロシア系ギャングも加わって、悪徳探偵フレッチャーが語り部を務めながら彼自身もまたこの幾巴(いくどもえ)かの知恵の輪みたいにこんがらがった男たちの祭りに参入してくる。
…実は!な展開のあとにさらにまた新たな展開があって、この一件はどんどんと混迷の度を増していく。
最初に述べたように、観てる間は出演者たちの「ならず者」演技を楽しみ、この先の展開に興味を惹かれて痛快な一篇でしたが、またしてもいつものように(?)難癖めいたことを挙げると、この映画の中でヘンリー・ゴールディングが演じる“ドライ・アイ”とトム・ウー演じるジョージ卿(中国系ギャングである彼がなんで卿=ロードなんだっけ)ら中国系ギャングたちの扱い方に若干疑問が。
僕は常々イギリス産の映画にはアジア系(に限らず白人以外の人々)への差別を隠さないところがあるなぁと感じてまして、それが結構不快だったりするんですよね。
この映画でのドライ・アイは、たとえばこれがハリウッドのド派手なアクション映画なら彼は悪役側のほんとに下っ端でしかないだろうなぁ、と思わせるほどチンケな小物なんだけど、タランティーノの映画がそうなように、これは小物たちがワチャワチャやってる様を面白がる作品なんだからそこは別にいいと思うんですよね。
ただ、イギリスでは銃の所持が法律で禁じられてるとはいえ、ギャングが脅す相手のところへ銃も持たずに丸腰でノコノコ出向いていくのはいくらなんでもマヌケ過ぎるし(ミッキーやレイモンドたちはしっかり武装してるのに)、簡単にミッキーに乗り込まれて赤痢菌入りの茶を飲んで噴水みたいにゲロを噴射するジョージ卿とか、ミッキーの妻ロザリンド(ミシェル・ドッカリー)に乱暴して犯そうとしていたところをミッキーに殺されるドライ・アイなど、あまりにもどーでもいいような存在に描かれ過ぎじゃないだろうか。他の奴らはこんなふうには描かれてないのに。
中国系ギャングたちの描写にだけ侮蔑的なものを感じるのです。ドライ・アイにもジョージ卿にも彼らの部下たちにも、ユーモアもキャラクターとしての面白さも特にない。トドラーズとは大違い。
ヘンリー・ゴールディングは『クレイジー・リッチ!』の主要キャストだし(僕は観ていませんが)、トム・ウーはガイ・リッチーの過去作にも出演しているので、別に出演者の彼らが撮影現場で粗雑に扱われてるということではなくて、「アジア系の登場人物」をただのクズとしか見做していないのがイラッとする。
今はアメリカ映画だと(この映画だってアメリカの資本が入っているんだが)アジア人の憎まれ役が出てきたら、同じ映画の中で善良だったり利発なアジア系の登場人物も出してバランスをとったりするものだけど、イギリス映画ってそういうフォローをしないんだよね。
それが現実だから、ってことだろうか。そんな“現実”を作ってるのはお前ら白人なんだけどな。
あと、ジムで黒人のアーニー(劇中でトドラーズとして唄ってるバグジー・マローン…だったと思うが別人だったらゴメンナサイ)が別の有色人種の選手に「黒いボケ」と呼ばれて「差別だ」と憤慨すると、コーチが「お前の肌は黒くて、お前はボケだからそう言っただけだろ。別に黒人全体のことを言ったんじゃない」と答える場面なんかも、ジョークのつもりなのかな、と。別に笑えもしないんですが。
こういうことを白人のガイ・リッチーが白人のコリン・ファレルに言わせるところが実にタランティーノっぽいんだけど、何が面白いのかね?怒っていいんじゃないのかな。
同じイギリスの「モンティ・パイソン」のコントでも差別ギャグっていっぱいあるけど、差別ギャグってのは差別されてる側が自虐的にやるから可笑しいんで、白人野郎が上から一方的に有色人種をコケにしたって可笑しくもなんともない。パイソンズのギャグも現在では通用しないものも多いですし。
差別だ差別だ、とあまり繰り返してるとみんなから嫌われるけど、それでも僕はやっぱりイギリス(スコットランド含む)の映画の作り手には物凄い無神経さを感じるなぁ。
面白い映画だったからこそ腑に落ちないんですよね、タランティーノの映画と同様に。
もう2021年なんですから、白人さんたちはそろそろ非白人系の人々を「なんかよーわからんし興味もないけど、とりあえずテキトーにイジっとけ」みたいな扱いはやめてもらえんでしょうか。尊重しろよ、ちゃんと。
ガイ・リッチーもさぁ、『アラジン』でせっかく非白人の男女を主人公として魅力的に描いたんだから、そのあとでそれに後ろ足で砂かけるようなことはしないでほしいな。
自らを“ジャングルの王”になぞらえるミッキーは、尻尾を出さずつつがなく仕事をやり終えることこそを信条としている。それがジェントルメン(紳士)。ガイ・リッチーさんもぜひ紳士になってくれ。頼むよ。
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