ジョージー・ルーク監督、シアーシャ・ローナン、マーゴット・ロビー、ジャック・ロウデン、ジェームズ・マクアードル、ジョー・アルウィン、デヴィッド・テナント、ガイ・ピアース、ジェンマ・チャン、イスマエル・クルス・コルドバ、エイドリアン・レスター、マーティン・コムストン、アイリーン・オヒギンズ、イアン・ハート、ブレンダン・コイル、アレックス・ベケットほか出演の『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』。2018年作品。

 

原作はジョン・ガイによる評伝「Queen of Scots: The True Life of Mary Stuart」。

 

1561年、フランス王の夫の死去に伴い故郷のスコットランドに帰国したメアリー・ステュアート(シアーシャ・ローナン)は、彼女のイングランドにおける王位継承権の高まりを警戒する従姉のエリザベス女王(マーゴット・ロビー)と対立することになる。

 

物語の内容について記述しています。映画をまだご覧になっていないかたはご注意ください。

 

 

レディ・バード』のシアーシャ・ローナンと『アイ, トーニャ 史上最大のスキャンダル』のマーゴット・ロビーが共演する歴史劇ということで、ちょっと前に観た『女王陛下のお気に入り』と大いに重なるものがあるのでこちらも楽しみにしていました。

 

実際、『女王陛下~』でオリヴィア・コールマンが演じたアンは『ふたりの女王』のメアリーの子孫でステュアート朝最後の女王。『ふたりの女王』は『女王陛下~』の140年近く前の話で両者は繋がっている。

 

もっとも『女王陛下~』が三人の女優たちの演技合戦が見どころでヒロインたちにほぼ均等に見せ場を作っていたのに対して、こちらは邦題は『メアリーとエリザベス』となっているものの主人公はメアリー・ステュアートの方で(映画の原題は“Mary Queen of Scots”)、エリザベスは彼女と対照的な生き方をした存在としてクローズアップされてはいるけれど、映画の多くはメアリーの視点で描かれている。

 

もちろん、シアーシャ・ローナンもマーゴット・ロビーもこれまでにアカデミー賞にノミネート経験がある実力派だから、これもまた二人の女優の演技を楽しむ作品であることは確かですが。

 

 

 

 

またエリザベスに仕えるウィリアム・セシルを演じるガイ・ピアースなど、脇の出演者たちもそれぞれ存在感と演技が光る。

 

 

 

 

 

 

 

エリザベスの延臣のランドルフ卿をジャマイカ系の俳優エイドリアン・レスターが演じていたり、また侍女のエリザベス・タルボット(ベス・オブ・ハードウィック)を中国系の血を引くジェンマ・チャンが演じている。映画ではかなり珍しい配役。

 

 

 

 

ポリティカル・コレクトネスに基づいて、ということもあるだろうけど、ハリウッドや舞台のシェイクスピア劇などで活躍している俳優など演技力を見込んで起用したということだから、そのあたりも現代的だし、史実を再現するだけでなく、今、歴史劇で「何」を描くか、ということを重視しているんですね。

 

メアリー・ステュアートに仕える4人の女官は全員ファーストネームが“メアリー”だったんだそうで(メアリー・ビートン、メアリー・シートン、メアリー・フレミング、メアリー・リビングストン)なかなか紛らわしいですが、メアリー・ビートンを演じるアイリーン・オヒギンズは『ブルックリン』でも英国の友人役でシアーシャ・ローナンと共演してました。

 

 

 

エリザベスの愛人ロバート・ダドリーを演じるジョー・アルウィンは『女王陛下~』ではエマ・ストーン演じるアビゲイルの夫を演じていてアソコをしごかれてヨガってました。偶然だろうけど狙ってるとしか思えないキャスティング。ジョー・アルウィンは私生活ではテイラー・スウィフトの恋人ということなので、もう映画の中と外でプレイボーイなんだなw

 

 

 

スコットランドに帰ったメアリーの夫となるダーンリー卿役のジャック・ロウデンは『ダンケルク』や『否定と肯定』などで真面目で頼りがいのある男性を演じていたのとはうってかわって、頼りなくそのくせ国王としての権力を手に入れようという魂胆が見え見えな浅はかな男を好演。

 

 

 

実際にそのような事実があったのかどうか知りませんが、映画ではダーンリー卿はメアリーの秘書官のリッツィオ(イスマエル・クルス・コルドバ)と同性愛関係にあって、逆にメアリーとはなかなか子作りをしようとしないために跡継ぎが欲しい彼女が業を煮やして自分からまたがったり、結局は後ろから、という描写も。

 

リッツィオやダーンリー卿の暗殺は史実なので、今風の題材としてうまく物語化しているなぁ、と。

 

なんとなく同性愛が「悪者」っぽく扱われているのが気になりますが。

 

僕は相変わらず歴史に疎いので、観る前はてっきりメアリーとエリザベスがイングランドの女王の座をめぐって戦うのかと思っていたんだけど、彼女たちが直接戦争を行なうことはないし(エリザベスが間接的にスコットランドのメアリー側を攻撃することはあったが)、二人が直接顔を合わせるのは一度きり。

 

 

 

 

また、『ふたりの女王』と『女王陛下のお気に入り』は、女性への性差別が描かれていたり、“男”が非常に醜く愚かに描かれているというような共通点はあるが、女同士の「愛情」や「権力」をめぐるマウンティング合戦に焦点が絞られていた『女王陛下~』に対して、この『ふたりの女王』では自分の欲求に忠実に生きるメアリーとイングランドを“夫”にして「男になった」エリザベスとを対比させることで、現代社会で女性が高い地位につくことについての喩えになっている。

 

二つの映画の違いを意識しながら観てみるのも一興かと。

 

マーゴット・ロビーはオーストラリア出身だけど、しばしば英国を舞台にした作品(『アバウト・タイム~愛おしい時間について~』『グッバイ・クリストファー・ロビン』『ピーターラビット』)に出ているし、やはりオーストラリア出身のケイト・ブランシェット同様にエリザベス1世を演じているのが面白いですね。

 

ちなみに、2008年の映画『ブーリン家の姉妹』ではエリザベス1世の生母アン・ブーリンをナタリー・ポートマンが演じ、また妹のメアリー・ブーリンをスカーレット・ヨハンソンが演じていた。ヨハンソンはかつて今回の『ふたりの女王』のメアリー・ステュアート役の候補でもあった。

 

マーゴット・ロビーはこの映画では特殊メイクで鼻の高さを変えているので、彼女の顔が映るたびに鼻が気になってしょうがなかったんですが。エリザベス女王というのはそんなに鼻に特徴があったんでしょうか。

 

鼻をいじったり天然痘に罹ってあばた顔になったり、おしろいで真っ白な顔になったりして『アイ, トーニャ』の時以上にマーゴット・ロビーの美貌が隠れてしまってますが、シアーシャ・ローナン演じるメアリーとヴィジュアル面でもあえて対照的に描いているようにも見える。

 

 

 

シアーシャ・ローナンは『レディ・バード』でもラヴシーンを演じていたけど、この映画でも頑張っていて、ただ綺麗なドレスを着てやんごとない女王様を演じているわけではない。

 

『女王陛下のお気に入り』のエマ・ストーンもそうだったように、あちらの歴史物では女優さんは度胸も必要なんだなぁ、って思います。

 

映画の冒頭近くで見せるスプーンみたいな髪型が奇妙。髪の中に型を入れている

 

馬に乗って自ら戦いに赴いたり貴族たちや教会との微妙な力関係など、夫亡きあと女王として国を束ねていくこと、威信を保ち続けることの困難さを彼女の姿からうかがい知ることができる。

 

それでもメアリーに共感できないのは、世継ぎを産んでスコットランドのみならずイングランドの王位を自分や我が子にもたらすことに邁進したこと。彼女の何かに憑かれたようなその懸命さが僕にはわからなかった。

 

そのことについてメアリーは劇中で「女王にならなければわからない」と女官に語る。メアリーの孤独は、同じような立場にいるエリザベスにしかわからない。

 

王位を争う間柄でありながら、互いに他の誰よりもその大変さがわかる存在。

 

日本の大奥に通じる世界だし、彼女の気持ちがわかるのは今の日本だったら天皇家の皇后か皇太子妃、あるいは梨園などの世界の女性だけかもしれませんが、一方では権力を手に入れて頂点を目指す、ということではビジネスの世界に通じるものもある。

 

いかにまわりの有力者たちを味方につけてライヴァルを蹴落とすか。

 

この映画は、女性が大勢の、特に男性たちの上に立つことの難しさを描いてもいる。まわりは敵だらけ。

 

女性への差別的な主張とともに、あからさまにメアリーを非難、侮辱する者たちもいた。

 

結局、家臣たちがかしずくのはメアリー・ステュアートという「個人」ではなく、「ステュアート家」という家名や「女王」という称号なのだ。

 

上を目指す者は強力な「力」を利用するしかない。しかしその「力」は諸刃の剣で、やがては自分をも滅ぼしかねない。

 

まさしくメアリーは女性として野望を持ったがゆえにその「力」に振り回されて、やがて命を散らすことになる。

 

対するエリザベスは「女であることをやめる」ことで女王としての生涯をまっとうした。

 

本当にエリザベスが「女」として自分が持たないものを多く持っていたメアリーに嫉妬したり、そのことで彼女の前で涙することがあったのかどうかは知らないけれど、このあたりはとても現代的な葛藤なんではないか。

 

既存の、男たちによって作られたルールで彼らと対等に渡り合って上を目指そうとしても、それは彼女たちにとって絶対的に不利なのだ。ルール自体を変えなければ。

 

そういう意味では男社会で生き残ったエリザベスもけっして真の勝者ではない。彼女がメアリーの前で見せた涙は、そのことを自覚しているからこその悔し涙だったのかもしれない。

 

メアリーは断頭台の露と消えたが、彼女の息子のジェームズはやがてエリザベス亡きあとイングランドの王位も継いだ。そしてメアリー・ステュアートの子孫たちはスコットランドとイングランドの2つの王国に君臨した。

 

それで彼女は満足だったのだろうか。子孫たちの姿を彼女が目にすることはなかったのだが。

 

それにしても、『女王陛下のお気に入り』でも『ふたりの女王』でも男たちが軒並み「クズ」として描かれているのは偶然ではなくて、これは本当に切実なことを訴えかけていると思う。

 

400年以上も前の時代を舞台にしながら、ここで描かれているのはただの大昔の出来事ではなくて現代も変わらない女性への無理解と差別だから。ここでは宗教も槍玉に上がっている。

 

ところで、NHKの大河ドラマとか日本の歴史的人物を描いたTVドラマって主人公が「偉人」として描かれることが多いと思うんですが、『女王陛下のお気に入り』にしても『ふたりの女王』にしてもあちらの映画って主人公が何をやり遂げたかということよりも、その生き方、弱さや愚かさも併せ持った等身大の人間としての姿を描いているから僕は好きなんです。

 

映画の最後も必ずしも主人公を称えて終わるわけではない。

 

あの時もっとこうすればよかったのに、と疑問を感じることもしばしば。

 

でも、生きている人間だから過ちも犯すし、判断を間違えることもある。それを無理に主人公を正当化せずにそのまま描く。実は歴史ドラマの面白さってそこにあると思う。

 

もっとも僕は何百年も前の外国の王様や貴族たちの話にそんなに興味があるわけじゃないので、単に当時の時代風俗を忠実に再現しただけの映画(そんな映画は滅多にありませんが)を熱心に観たいとは思いません。

 

歴史ドラマという形をとりながら、どこかで現代と繋がっているテーマが扱われていると興味をそそられる。別の時代を舞台にしながら「今」を描く作品が好きなんです。

 

そのために映画の中で史実が変えられていても構わない(捏造した歴史を観客に信じ込ませることが目的の場合はまた別だが)。

 

歴史を知ろうとするきっかけになればそれはそれでいいとは思うけど、時代が近い近代とかならともかく個人的には王様やお殿様がいた頃の話は「例え話」のように観ることが多いかなぁ。

 

『女王陛下~』が、作り手が描きたいものを強調するためにしばしば同時代の人物や出来事を省略していたように、この『ふたりの女王』でもメアリーは夫のフランソワ2世が亡くなってから再婚には消極的だったように描かれているけれど、実際には諸外国の王たちの中から再婚相手をさがしていたようだし(どれもエリザベスによって阻まれた)、彼女とスペインとの関係もまったく描かれていない。

 

また、映画ではまるでエリザベスと会ってからほどなく処刑されたように見えるけれど、史実ではメアリーが刑死したのはこの映画で描かれた頃の20年ほどのちの40代の時なので(その間に何度もエリザベスの王位を奪おうとしたから、とされる)、本当にメアリー・ステュアートが映画で描かれたような人物だったのかどうかはなんともいえなくて、もっと狡猾で計算高い人だった可能性もある。

 

これも現代的な視点からメアリーとエリザベスという二人の女王を比較してわかりやすく描き分けるためにあえていろいろ改変を行なっているのかもしれない。

 

メアリー・ステュアートはこれまでにもさまざまな作品の題材になっているそうだから、機会があればこの映画での彼女とその人物像を比べてみたいです。

 

フェミニズム的なテーマを扱った映画って中には身構える人もいるようだけど(この映画を撮ったジョージー・ルークは女性監督)、僕はとても面白く感じるんです。

 

日本の大河ドラマも女性のディレクターが撮ったら、またちょっと毛色の違うものになるかもしれない。

 

昔、日本にはこんなに凄くて偉い人がいました、なんて退屈な話ではなくて、ぜひ女性を主人公にした時代劇で現代的なテーマを描いてほしいな。

 

 

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