ジョン・クローリー監督、シアーシャ・ローナンエモリー・コーエンフィオナ・グラスコットアイリーン・オヒギンズエミリー・ベット・リッカーズイヴ・マックリンノラ=ジェーン・ヌーンジェシカ・パレドーナル・グリーソンエヴァ・バーシッスルジム・ブロードベントジェーン・ブレナンブリッド・ブレナンジュリー・ウォルターズ出演の『ブルックリン』。2015年作品。

原作はコルム・トビーンの同名小説。

第88回アカデミー賞作品賞、脚色賞、主演女優賞ノミネート。



1950年代初め。アイルランドの小さな町に住むエイリシュ(シアーシャ・ローナン)は、姉のローズ(フィオナ・グラスコット)の口利きでアメリカに渡ることに。母(ジェーン・ブレナン)を姉一人に任せて旅立つことに申し訳なさもあったが、ブルックリンの下宿に住んでデパートの店員として働き始める。そして慣れない環境にホームシックに罹りながらもエイリシュはフラッド神父(ジム・ブロードベント)の勧めで大学で学び始め、ダンスパーティで知りあったイタリア系の青年トニー(エモリー・コーエン)と恋仲になる。

以下、ネタバレを含みます。


僕がシアーシャ・ローナン主演の映画を観るのは、2011年の『ハンナ』以来5年ぶり。

彼女が出演していて昨年公開された『グランド・ブダペスト・ホテル』はDVDで観ましたが、その時美しく成長した彼女をもっと見ていたい、と思いました。

それで、今年のアカデミー賞にもノミネートされた(残念ながら無冠でしたが)この映画に興味を持ち、アカデミー賞関連作なのと昔のアメリカを舞台にした物語だということ以外内容について何も知らないまま予告篇も観ずに鑑賞。

映画館は平日の夕方にもかかわらず結構混んでて、口コミで人気が出てるのがわかりました。

僕は明るい色を使ったポスターの雰囲気から、ポップでちょっとお洒落系の物語を勝手に想像していたんですが、全然違ってて、かなり現実的なお話でした。空想的な要素は皆無。

作品自体はフィクションなんだけど、実話を基にした話、と言われたら納得してしまいそうなぐらいに。

地味といえば地味だし全体的にわりと淡々とした作りなんですが、出演者たちの演技が良くて見入ってしまうし身につまされるような話だったりもする。

要するに、田舎から勤め口を探して都会に、とか、地方から一人で東京に移り住んだ若い女性の話、みたいな感じ。

そんな映画に退屈したり気が滅入らずに済んだのは、やはり俳優たちの演技と1950年代のファッションのおかげでしょう。

主人公エイリシュが着る緑色のコートやカーディガン、黄色や青色の服など、カラフルな50年代ファッションが目に楽しい。

 

 


たとえば彼女が横断歩道を渡るほんのわずかなシーンで、あの当時の服装に身を包んだ大勢のエキストラたちがまわりを歩いている。

そういうところに贅沢さを感じる。

同じ時代が舞台の『キャロル』を思い出しました。

実はこの映画は、ヒロインの行動において『キャロル』とも通じるものがあったことが最後にわかるようになっている。

そしてヒロインたちのファッションがとてもお洒落だから、ちょうど僕が映画を観る前に誤解していたように見た目は華やかな話にも思えるんだけど、内容はそのまま舞台を今の日本に置き換えても成り立つ話なんだよね。

田舎から出てきた若い女性がなかなか仕事に慣れずに故郷が恋しくて泣いたりするけど、大学で学ぶ喜びを知ったり恋人ができたりして徐々に新しい環境に馴染んでいく。でも…という、ほんとにどこにでもありそうな身近で普遍的な物語。

もうシアーシャ・ローナンの魅力爆発。

今回は水着姿も披露しているけれど、『ハンナ』ではまだちょっとあどけなさが残る年齢だっただけに、その丸みを帯びた肢体がなんとも眩しくて。

成長したシアーシャ・ローナンが大人の女性を見事に演じている。

日本で一番悪い奴ら』の“濡れ場”はエロ親父目線で観ていた僕も、この映画のシアーシャのラヴシーンにはちょっとドキドキしてしまった。あぁそうか、彼女はもうこういう役を演じる歳になったんだ、と。

アイルランドの故郷の町では美人ということになっている友人のアリソン(アイリーン・オヒギンズ)よりもどう見てもエイリシュの方が美人でしょ、というツッコミは措いといてw




美女、というほどではない、という感じの微妙さがいいんですよね。普通っぽくて。

ちょっと以前よりもポッチャリしてきたのも個人的にはツボでした。

『ハンナ』はアクション物なのになんかどっか違う、という異物感のある映画でしたが(それもあって作品としての評価は芳しくなかった)、必ずしも出番が多くはなかった『グランド・ブダペスト・ホテル』でも思ったんだけど、どちらかというと彼女はハリウッドのSF超大作とかアクション映画などよりもこういう日常を描いた話や文芸物などの方が合っているのかもしれない。

いや、僕はまだシアーシャ・ローナンの主演映画を2本しか観ていないので、この先彼女に女優としてどんな可能性の幅があるのかはわかりませんが。

アメリカに向かう船の中でエイリシュが船酔いに苦しむ場面があるんだけど、別の乗客にトイレを占拠されて我慢しきれずにバケツに吐くのかと思ったらおもむろにそこにのっかってウンコしだす場面ではちょっと唖然とした(乗船してからヒツジの肉を食べたせい)^_^;

こういう描写って、同じ年頃の日本の女優さんではちょっと難しいんではないかな。

でもただ綺麗事だけではない部分も見せておくことで、のちにエイリシュが2人の男性の間で揺れるというメロドラマ的な展開がけっして絵空事に見えないようになっている。

ヨーロッパからアメリカに渡る話といえば、1920年代を舞台にアメリカ移民を描いたマリオン・コティヤール主演の『エヴァの告白』という映画があった。

あの映画も2人の男性に想いを寄せられるヒロインの物語だったけれど、この『ブルックリン』でもエイリシュはトニーとジムという、それぞれアメリカ人と地元アイルランドの金持ちの家の青年との間で揺れる。

揺れる、といっても、エイリシュはアイルランドに一時帰国する前にトニーの申し出で彼と結婚しているので、そのままジムとどうにかなっちゃったらマズいんですが。

このあたり、いろんな人たちの感想を読むと、人によってエイリシュの行動への反応が違ってて面白い。

「やらかしちゃったヒロイン」と感じた人もいれば、彼女の葛藤にはさほど抵抗を覚えず、最終的にトニーを選んだ彼女に共感している人も。

クリント・イーストウッド監督の『マディソン郡の橋』でメリル・ストリープ演じるヒロインが夫とイーストウッド演じる写真家との間で揺れたように、この『ブルックリン』にもそういう昼メロっぽい要素を感じなくもない。

まぁ、僕はさすがに自分が結婚していることを黙ったままのエイリシュには疑問を感じましたが。

トニーからの手紙も読まずに無視して(今ならLINEが「未読」のままのようなもの)相手に気を揉ませるのも、あまりに優柔不断すぎるんじゃないか?と。

なんだかいつの間にかお膳立てされてあれよあれよという間に「そういうこと」みたいになってしまうのは、エイリシュがその町で仕事を依頼されてどんどん業務を任されていく展開もそうだけど、わざとそういうふうにまわりに流されている姿を描いているんだな、と。

だから彼女の行動は褒められたものじゃないと思うし、映画を観ていてイラッとしてしまった人がいるのもわかる。

ジムの登場がかなり唐突でもあるし。

僕なんかはもう、ジムを演じるドーナル・グリーソンがほんとに不憫でならなくて^_^;

 


FRANK -フランク-』や『エクス・マキナ』に続いて実に哀しい結末で。

家のドアの下に置かれたエイリシュからの手紙を拾い上げて、黙ってそれを読んでいる時の彼の表情に泣けた。

でもまぁ、『アバウト・タイム』ではレイチェル・マクアダムス相手にイイ思いしていたんだから、しょーがないよなw

エイリシュと恋に落ちてやがて結婚するトニー役は、『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ』でブラッドリー・クーパーの息子を演じていたエモリー・コーエン。




ちょっと若い頃のジョニー・デップに似てるなぁ、と。背は低いけど。

彼のこの映画での妙にモッタリとした喋り方は演技なのか地なのかわからなくて、観ながら「もっと早く喋れ^_^;」と思ったけど、トニーは学校に通っていないので字の読み書きが苦手ながら、家族思いでエイリシュに対しても極力紳士的であろうとする。

この映画の中でトニーが何か問題を起こすことは一度もない。

エイリシュの下宿の主人のキーオ夫人(ジュリー・ウォルターズ)も彼のことを気に入る。

だから映画だけ観ていると、これ以上ないぐらいに理想的な夫なんですよね。

なのに、なんでエイリシュは地元で別の男と会って母親にも期待させるような振る舞いをしたのかというと、やはり老いた母を一人故郷に残してアメリカで生活することに迷いが生じていたんだと思う。

一番の理解者であった姉のローズが急病で亡くなってしまったことで、エイリシュはこれからの人生について再び考え直さなければならなくなったのだ。

だから結婚してるのにジムに気を持たせるような行動をしたエイリシュを責める意見もわかるけど、姉の死はまったくの想定外だったし、ジムとの再会も地元で仕事にありつけるチャンスが巡ってくることも考えてもいなかったから、アイルランドで生きる、という選択肢も頭をよぎったんでしょう。単にジムが金持ちの家の息子だからクラッときたんではないはずだ(もちろん、それも理由の一つではあるだろうけど)。

僕はそれはとても人間的な迷いだと思う。

人間って、正しいか間違ってるかだけで物事を判断するわけでも行動するのでもないから。

それでも最終的にトニーの許に帰っていくからこそ、観客はぎりぎりエイリシュの行動に納得できるんでしょう。

『マディソン郡の橋』のメリル・ストリープの迷いもまた、古い価値観の中での生活からの脱出、という夢想がどこかにあったんだろうけど、この『ブルックリン』のエイリシュの逡巡はもうちょっと現実に即したものだったんじゃないかと思う。

こういうところも日本人である僕たちには実に理解しやすいのではないだろうか。

ただ好きだから、愛しているから、というだけではない、綺麗事だけじゃないさまざまな事情や状況。

そういう中で人は「選択」していく。

エイリシュはアメリカに渡る前に勤めていた店の主人のケリー夫人(ブリッド・ブレナン)に呼び出され、彼女がアメリカで結婚していながらジムと良い仲になっていることについて詰問される。

では、ケリー夫人が何も知らず彼女を問い詰めなかったら、エイリシュはアメリカには帰らなかったのだろうか。




もしかしたらそうかもしれない、と思わせるところも巧いなぁ、と。

だから確実なものなんてないのだ、と。

人生における「幸せ」とか「安定」というのは、かなり危ういバランスの上で保たれているのかもしれない。

映画の冒頭とラスト近くに登場するケリー夫人は、この映画ではほとんど唯一といっていい、「嫌な人物」である。

ブルックリンの下宿で同居している一見意地悪そうな女性たち(エミリー・ベット・リッカーズ、イヴ・マックリン)でさえもエイリシュに化粧を教えてくれたり、けっしてただの「悪者」としては描かれていなかったのに、ケリー夫人だけは「田舎町の偏狭で閉鎖的な悪しき人間関係」の象徴のような存在として描かれている。




地元に住むエイリシュの母のいつもどこか沈んだような悲しげなまなざしも印象的だった。

エイリシュの実家では食事の時に家族の間で会話がない。母も姉もエイリシュも皆黙ってナイフとフォークを動かして食べる。見ていて気分が重くなるし、おいしそうでもない。賑やかなブルックリンの下宿とは対照的だ。




映画の中でこういう小さなディテールを丹念に積み上げている。

大都会から故郷に帰ったら洗練されてて地元の人たちの見る目が変わる、みたいなのも、僕はむさ苦しい男なんで実感はないですが、人によってはそういうこともありそうですよね。

エイリシュは、就職が決まりそうでジムとも接近している彼女がすでに結婚していることを他のみんなにバラすような口ぶりでほくそ笑むケリー夫人に向かって、「あなたは一体私をどうしたいんですか?ここにとどめておきたいの?それともここから追放したいんですか?」と問いかける。

それはケリー夫人本人にさえわからないことなのだろう。

自分は狭い町の人間関係、情報を握っていて、そこの住人たち一人ひとりを支配している。それが彼女の心の拠り所なのだろうから。

エイリシュは「忘れていた」そういう故郷の“狭さ”を思いだして、そこから再び出ていくことを決意する。

その“狭さ”は、金持ちの家の出であるジムもおそらく例外ではない。伝統を重んじる家柄ならなおさらだろう。

彼はトニーと同じくけっしてエイリシュに対して何か問題を起こすわけではない。

アイルランドから一度も出たことがない彼は素朴に海外への憧れも口にするし、そんな彼が「この国で暮らすのも悪くない」とエイリシュに告げる言葉自体にはなんら異議を唱える要素はない。

ジムを選び、彼やその親族とともに生きるという選択肢もあった。

それでもエイリシュはアメリカとトニーを選ぶ。ただそれだけのことだ。

でもこれが『キャロル』でラストにヒロインがした選択のように、一人の女性の自立の始まりになっている。

僕はこれはとてもリアルな世界観だと感じたし、この映画が先ほどのケリー夫人を例外として、彼女以外の登場人物たちをわかりやすい善人とか悪人に描き分けなかったことに好感を持ちました。

デパートでエイリシュを指導する女性(演じるジェシカ・パレが本当に美しい)のエレガントな雰囲気とプロフェッショナルぶり。




彼女もまたただの嫌な先輩や上司ではなくて、たくましく生きるためにエイリシュを鍛えてくれる。

また、エイリシュがデパートに初めて出勤した時に話しかけてくる女性は、都会で人に対して愛想よくして社交的に振る舞うことの大切さを教えてくれる。

エイルシュはけっして小器用に立ち回るのが得意な女性ではないけれど、それでも積極的に行動することを学んでいく。

彼女はただ善意の塊ではなくて、同じ下宿に住み始めた口の悪いユダヤ系の若い女性をめんどくさいと感じるような、ほんとに等身大の女性なのだ。

初め見たときはちょっとキツめに感じられたキーオ夫人が実はエイリシュのことをちゃんと見守ってくれていた、というのも微笑ましいし、彼女はしょっちゅう憎まれ口を叩く若い女性の下宿人たちとの会話にも必ずユーモアを入れている。




トニーの弟や家族たちもそうだけど、出番がそんなに多くはない登場人物でさえも描写が丁寧なんですよね。

人間を描く、ってこういうことなんだな、って思った。

映画のラストで、エイリシュはかつて自分がアイルランドからアメリカに渡った時と同じように、今度は新しくアメリカを訪れる同郷の女性に船上で会う。そして自分がしてもらったようにアドヴァイスをする。新世界で強く生きていくための。

この映画、ディズニーアニメの『ズートピア』と併せて観ると面白いかもしれませんね。







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