グレタ・ガーウィグ脚本・監督、シアーシャ・ローナン、ローリー・メトカーフ、トレイシー・レッツ、ルーカス・ヘッジズ、ビーニー・フェルドスタイン、ティモシー・シャラメ、オデイア・ラッシュ、ジョーダン・ロドリゲス、マリエル・スコット、ロイス・スミス、スティーヴン・ヘンダーソン出演の『レディ・バード』。2017年作品。PG12。

 

2002年、カリフォルニア州サクラメント。「線路の向こう」に住む高校生のクリスティン(シアーシャ・ローナン)は“レディ・バード”と名乗っている。親友のジュリー(ビーニー・フェルドスタイン)と学校の演劇の稽古に参加したり、そこで出会ったダニー(ルーカス・ヘッジズ)に惹かれて彼の家に招かれたりと高校生活を満喫しているが、数学が苦手な彼女は勉強の成績が芳しくない。家の経済状況と進学のことや恋に悩んだり、母親(ローリー・メトカーフ)やジュリーとの関係がギクシャクしたりしながらも、“レディ・バード”クリスティンは18歳の誕生日を迎えて未来に羽ばたいていく。

 

シアーシャ・ローナン主演映画ということで、2016年に観た『ブルックリン』もわりと好きだったので興味を持っていました。アカデミー賞主演女優賞にもノミネートされてその演技も作品の評判も上々のようで。

 

公開まもなくだったことや上映館が限られているからということもあるんだろうけど、僕が観にいった日は平日にもかかわらず客席は混んでいて、しかも観る前からすでに劇場パンフレットは完売状態。ここ(敢えてどことは言いませんが)は『バーフバリ』の時もそうだったけど、あまり数を入荷してないのかな。担当の人はもうちょっと考えてくれるとありがたいんですが。

 

で、観てみたのですが、10代の少女のいたって「普通の」生活が描かれていて、なるほど、アメリカの田舎町の子はこんな感じなのか、と。

 

この映画の何が「普通」なのかといえば、特別劇的な事件が起こるわけではなく、友情とか、恋とか、進路の問題とか、現実にいる多くの女の子たちが体験するある時期を淡々と描いていること。

 

僕は男で姉妹もいないし娘がいる父親という立場でもないので、この映画の主人公クリスティンにかつての自分を重ね合わせることはなかったし、その家族の気持ちもわからないからアメリカの女子高生の生態を観察するような感じで観ていたんですが、これはアメリカに限らずどこの国でも通じる普遍的な青春譚で、日本でも特に多くの女性たちの共感を呼んでいるのも、なるほどなぁ、と。

 

カトリック系の私立高校で制服を着ているのも、そんなに厳しくはないけど比較的保守的な校風とか、日本の学校を思わせるところがあるし。

 

クリスティンはシンデレラのように最後にお姫様にはならないけれど、でも夢に向かって新しい世界に飛び込んでいく。

 

この物語やクリスティンのキャラクターなどには監督で女優のグレタ・ガーウィグの経験や本人自身が重ねられているようで(彼女もサクラメント出身)、アメリカでヒットした理由もそういう等身大のティーンエイジャーの姿が描かれていたからなのでしょう。みんな、そういうほんとに自分が共感できる話を求めているんだな。

 

右端がグレタ・ガーウィグ監督

 

グレタ・ガーウィグの女優としての出演作は、僕は有名な『フランシス・ハ』はタイトルを知ってるだけで観ていなくて、ウディ・アレンの『ローマでアモーレ』にも出てたそうだけど(ジェシー・アイゼンバーグの恋人役)、彼女のことは特に印象にない。とても綺麗なかたですけど。

 

女優で監督でもあるというと、ちょっとサラ・ポーリーを思い出しますが(って、僕は彼女の監督作品は1本しか観てませんが)、単館系の作品でリアルな人間模様を描く共通点があるのかな。

 

正直なところ、クリスティンの恋の顛末については、ほんとは自分には合っていない人たちと無理して付き合おうとして失敗するところなど、おそらくこうなるだろうなぁ、という予想通りの展開を見せるのでお話的な面白さというのはあまり感じなくて、ありがちといえばありがちな失恋や女の子同士の友情と家族の大切さの再確認、みたいな印象ではありました。

 

シナリオが高く評価されているということだけど、ちょっと僕にはそれはよくわかんなかった。

 

ただ、出演者たちが皆適材適所で好演しているので、それで楽しんで観られたというのはあるし、独りよがりなポエムな作品にもこれ見よがしなお涙頂戴モノにもしていないところが、すでに熟練のような手堅さを感じさせる。

 

主演のシアーシャ・ローナンは『ブルックリン』では真面目な性格であまり自分の意見を強く主張しないヒロインを演じていたけど、この『レディ・バード』のクリスティンは我が強く思い立ったら即行動するタイプだし、恋愛にも積極的で先生に対してもわりとずけずけとものを言う女の子。異なる性質の女性をどちらも違和感なく演じ分けているのは、やはり彼女の演技力が高いから。役柄を自分に寄せるのではなくて役柄になりきっている。

 

彼女の演じるキャラクターを作品ごとに見比べてみる面白さもあると思いますね。

 

違いもあるけど似てるところもあって、『ブルックリン』でも『レディ・バード』でもシアーシャが演じるヒロインたちは結構男にモテる。

 

相手から好意を寄せてくるか自分から行くかという違いはあるけれど、ともかくシアーシャ・ローナンは両方の作品で複数の異性と付き合ったり結婚を考えさえする。

 

なんかその辺もリアルなんですよね。物凄い美人ではないけれど、でも可愛いから近くにいれば気になる。なんとなく顔が高橋みなみっぽいしw そりゃ、この子なら男子はほっとかないだろうな、と思わせるから。

 

 

 

この構図は『ブルックリン』のポスターっぽい

 

映画が始まってすぐ、母親の運転する車に乗っているクリスティンの頬が意外と荒れていて、赤いニキビみたいなのもいっぱいあるしちょっと気になったんだけど、Wikipediaによればリアルなあの年頃の女の子を演じるためにシアーシャ・ローナンは敢えて肌の荒れをメイクで隠さなかったんだとか。

 

おかげで単に可愛い女子高生のヒロインがドタバタするラヴコメみたいな僕が興味を持てないジャンルの映画(邦画にやたらとありますが)にはなってなくて、かといって「感動映画」っぽく過度に感傷的でもない。

 

ユーモラスな場面もあるけどコメディとしてデフォルメして演出されてるわけじゃなくて、出演者たちの演技もリアリズムによるものなので、人間ドラマとして観ていられる。

 

この映画の登場人物たちに自分の身近にいる人を重ねられるんですよね。

 

いたもんなぁ、ああいう髪の染め方してる子。

 

クリスティンたちに演劇の指導をしている神父さん(スティーヴン・ヘンダーソン)も生身の人間としての問題を抱えている。シスター(ロイス・スミス)はただ厳しいんじゃなくて、クリスティンの才能を見出してもくれる。

 

 

 

 

看護師として働きながら実質的に家計を一人で支えている母親にヒドいことを言ったり、勉強そっちのけで恋愛にうつつを抜かしているクリスティンの浅はかさ、未熟さにイラッとしたりするんだけれど、そういうことに身に覚えのある人も多いんじゃないだろうか。

 

ワガママが言えるのも、喧嘩しながらも娘のことを心配してくれる母親の存在も、それは当たり前のことじゃない。

 

 

 

 

クリスティンの父親(トレイシー・レッツ)はおだやかで家族に優しいがリストラに遭って失業中で、なかなか再就職先が見つからない。同じ会社に入れ違いで面接に来た長男と鉢合わせしたりする。

 

そして、実は父は以前から鬱だったことをクリスティンは母親から知らされる。

 

重過ぎず、でも世知辛さや家同士の格差など現実はしっかりと反映されている。

 

クリスティンのちょっと斎藤工似な兄ミゲル(ジョーダン・ロドリゲス)は名前からしてメキシコ系で養子らしいけど詳しく説明されていなくて、いつも彼と一緒にいるシェリー(マリエル・スコット)も同居しているっぽいけど恋人なのか結婚相手なのかもよくわからない。

 

 

 

でもシェリーは自分の実の家族と疎遠で、クリスティンの両親が彼女を受け入れてくれたことに感謝していて、たびたび母親とぶつかるクリスティンに親と家族のありがたみをさりげなく伝える。

 

シェリーはミゲルと同様に感情表現があまり豊かではなくちょっと無表情にも感じられるんだけど、もしかしたらそれは彼女がこれまで生きてきた環境によって身についたものなのかもしれない。

 

ミゲルが自分の肌の色について言及する場面もあるし、直接的には描かれないけど公立高校では差別を受けたという母親の台詞もあることから、就職でもいろいろな困難があるのだろうと想像できる。

 

クリスティンが最初に好きになったダニーは大きな家に住む地元の金持ちの息子で、彼の家に招かれたクリスティンが壁に貼られたロナルド・レーガンのポスターを見て「何かの冗談?」と笑うと真顔で「いいや」と答えるところなど、いかにもアメリカの典型的な保守層の家で、それが後半でのダニーの苦悩に繋がっている。

 

ダニーを演じるルーカス・ヘッジズは『マンチェスター・バイ・ザ・シー』や『スリー・ビルボード』など出演作も増えていてアメリカでは大人気なんだそうだけど、ちょうどあちらで人気が高いという『ベイビー・ドライバー』のアンセル・エルゴートなどと同様に、顔は美男子というよりもその辺にいそうな普通のあんちゃんで、そこが逆にウケてるのかなぁ、と。

 

 

 

ダニーのいい意味でも悪い意味でも「普通」な感じ(悪い奴じゃないが少々退屈)と、セクシュアル・マイノリティという組み合わせが面白いけど、こういう人はほんとにいそうだし。何をもって「普通」と呼ぶのか、という問いかけでもあると思う。「普通」ってなんだ?ってこと。結局は誰もが“自分自身”でしかないのだし。

 

一方で、ダニーが男子トイレで同性とキスしているところに出くわしてショックを受けたクリスティンが次に好きになったカイルはやはり金持ちの家のボンボンで、(こちらも僕は未見ですが)『君の名前で僕を呼んで』にも出ているティモシー・シャラメが演じる紛れもない美男子だけど、こいつがダニーとはまったく違うイケ好かない野郎で女の子にモテモテの「イケメンのクズ」という、これも現実に存在するタイプの男の一つの典型を表わしてもいる。

 

 

 

 

地元密着型のダニーに対してカイルはもともと他の土地から来たようだし、だから今住んでいるサクラメントにも特別思い入れはなく、親の力で今後いくらでも他所での活動もできそうな雰囲気がある。

 

こういう見た目はいいけど人間性に大いに問題のある男を好きになる時点で男性を見る目がないのがわかるんですが(やっかみ)、でも確かにイケメンだし、日本でも涼しい目をして女の子に冷たく接するイケメン男子がフィクションの中では人気があるのも(現実にはどうなのか知んないが)、特にティーンの頃には好奇心旺盛でいろんなタイプの男子に興味を持つから思わずヨロめいちゃうのはしかたないのかもしれないッスね。

 

カイルはバンドで演奏していたところをクリスティンが一方的に見初めてコクって、いつも積極的なのはクリスティンの方だし、ついにベッドイン、となっても彼はクリスティンの下で自分からは何もせず、いつの間にか勝手にイってる^_^; そのことに恥じらいもない。付き合ってるのにクリスティンのことをなんとも思っていないのが丸わかりで、同じ男から見ても呆気に取られるぐらい自分勝手なんだよな。

 

でも理屈じゃなくてこういう男はモテる。顔がいいし楽器が弾けるしお洒落でガツガツしてなくて、ちょっと孤独そうなところなんかも女心をくすぐるんでしょう。…死ね!!

 

クリスティンが親友のジュリーと一方的に距離を置いて急に仲良くし始めるジェナは、これまたアメリカ映画でよく目にする高校のチアリーダー的な美少女で、演じるオデイア・ラッシュのいかにも心がこもっていない顔つきと態度(しょっちゅう教室でクリスティンと顔を合わせているにもかかわらず彼女を気にも留めておらず、話しかけられて「あんた誰?」と尋ねるところなど)なんかも『桐島、部活やめるってよ』で山本美月が演じていたクラスのスクールカースト上位女子そのもの。

 

 

 

オデイア・ラッシュは顔はモデルみたいな美形だけど体つきは結構ヴォリュームがあって、そういうところも妙にリアルだったりして。

 

ジェナは田舎町の美人、というポジションに満足していて、それは故郷が退屈で堪らないクリスティンと対照的。高校時代にそれなりに楽しい思いをしてそのまま地元に居つくことになんの疑問も感じていないジェナと、都会に出ていきたいクリスティンとの対比。これも僕たちの身近にいくらでもあること。

 

ジェナは外の世界で自分の可能性を試そうとは思っていないんだよね。故郷でまわりの同級生や男たちにちやほやされてても、都会に出ればただの田舎娘であることを自覚しているのかもしれない。

 

イケてる子たちとツルみたいばかりに大きな家に住んでいると嘘をついたクリスティンに、ジェナは「嘘つきは嫌い」と言う。

 

単純に裕福ではなかったクリスティンを見限っただけなのかもしれないけど、こんな嫌な感じの女の子さえも自分の中で貫いているものもあるということ。

 

カイルは終始クリスティンを見下しているし、ジェナもクリスティンの母親が買って一所懸命娘のために縫い直したドレスを「ダサい」と笑う。

 

ダニーとのデートの時もそうだったけど、女の子が特別な日に着ていく服をお母さんと一緒に考えたりしてる姿にはキュ~ンとするし、だからそれを笑うというのはほんとにヒドい侮辱だと思う。その人の想いを踏みにじる行為だから。

 

それでもそういうヒドいことを言ったりやったりする人たちは実際に世の中にいるし、劇中で彼らが最後にクリスティンによってやり込められることはない。一方的な悪役としては描かれていないんですね。

 

別れることになっても、心が通じ合ったり楽しいひとときを過ごした思い出は残る。

 

世界にはいろんな人がいるのだということ。誰と付き合うのかはその人の選択次第だけど、おそらくカイルやジェナのような人たちの立場から描いたらまったく違う物語になるのだろうと思う。彼らからしたらクリスティンは勘違いしたイタい女子と映るのかもしれない。

 

そのあたりも、ちょっと引いたところから青春時代を愛おしく見つめるグレタ・ガーウィグの視点を感じます。この人はきっと青春時代に怨念がないんだろうな。

 

クリスティンの親友のジュリーを演じるビーニー・フェルドスタインは、『ネイバーズ2』では女子大生を演じててクロエ・グレース・モレッツと共演してましたが、あの映画ではハッパ吸って自動車に激突する豪快なぽっちゃり女子役だったのが、今回は歳が若返って(笑)しかもちょっと可愛いキャラになってる。

 

 

 

まぁ、相変わらず自慰ネタで盛り上がったりはしてるけどw

 

でもジュリーは根は真面目な子なのがわかる。詳しくは描かれないけれど、彼女もまた失恋を経験して青春の痛みも感じている。

 

『ネイバーズ2』の時に、ビーニー・フェルドスタイン(名前がヘイリー・スタインフェルドとちょっと紛らわしいですが)が『スーパーバッド 童貞ウォーズ』や『ウルフ・オブ・ウォールストリート』のジョナ・ヒルにあまりに似てるので可笑しかったんだけど、実の妹だと知って納得。双子かっ、ってぐらい顔も体型もクリソツ(ジョナ・ヒルは最近激痩せして話題になりましたが)。

 

兄妹揃って映画じゃ下ネタかましてるよねw

 

 

 

 

クリスティンが大学進学のためにニューヨークに行くのは『ブルックリン』でアイルランドからアメリカに渡って進学するヒロインと繋がるし(『トイ・ストーリー3』や『ズートピア』も思い出しますね)、その姿は日本で地方から上京する人たちと変わりなくて、大都会に圧倒されながらもバーで見知らぬ男性に気さくに話しかけたり、酒を飲み過ぎて倒れて病院に運ばれたり、相変わらずやらかしてるクリスティンには親近感も湧く。

 

別れ際に口論してしまったけど空港に引き返して涙ながらに娘を送り出す母親、そして憧れの地であらためて親や家族のかけがえのなさを痛感して、その母に感謝の言葉を述べる娘。

 

今も世界中のさまざまな場所で繰り広げられている、親子間の軋轢と和解。

 

母が娘を乗せて運転する車の中から始まったこの映画は、その後、娘が運転免許を取って嫌いだった故郷の町を巡り、やがて娘を降ろして一人で車を運転する母の姿を映し出す。

 

自分の本当の名前を受け入れることができたクリスティンは、これからも懲りずに恋をしては失敗したり、母親とも言い合いをしたりするんでしょう。

 

将来への不安はある。それでもレディ・バードは未来に飛び立っていく。

 

これはすべての若者とその親への応援歌であり、かつてのレディ・バードたちへ共感を込めた贈り物。

 

とても小さくて、でも大切なものについて描いている映画でした。

 

 

関連作品

『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』

『バービー』

『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』

『DUNE/デューン 砂の惑星』

『ビッグ・シック ぼくたちの大いなる目ざめ』

 

 

 

 

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