1億総いじめっこ時代
どうも、SNSの拡がりの世の中への悪影響は大きくて、人と人との関係性のルールが、どんどん変わり過ぎていると感じることが多くなった。
人と、何かのコミュニーケーションをする時に、一番大事な事は、お相手の事を尊重する態度やったと思うのやね。
匿名で、どこの誰でも書き込めたり、自分の意見を堂々と発表できる機会が増えた事は、素晴らしい事なんやけど、一番大事なことが欠落しているのやね。それは、「遠慮」や「配慮」なんやね。
お相手を「慮る(おもんばかる)」という事は、大人の人間にとって、大事な事の一つなんやけど、これが備わってない人が、増えてしまったのは、残念な事やね。
子どもは、そこまでの知恵が無いから、許されるとしても、ええ大人が、人さまに、あからさまに、罵詈雑言を吐いたり、死ねとか、お前なんか生きている価値が無いとか、普段の生活なら、決して言ってはならないNGワードを平気な顔して、言ってしまう。
この現象は、ある意味、大人の幼稚化に近いのだろうけど、これを社会全体が許してしまう空気感が、怖いのやね。
天皇陛下の姪っ子さんの結婚を素直に喜んであげられない態度。
皇室とは、全く関係のない人たちが、ボロクソな事を書いていいルール。そんなの有っていいはずがないやないの。
人が集まれば誰かを虐めてしまうものと、諦めてしまうのは、簡単やけど、大人はこれをしたらあかんやないの。
分別盛りの人たちが、寄って集って、いじめっ子に成り下がってしまうこと。恥ずかしいことやと思うで。
馬鹿じゃないのか
ちょっと左寄りの新聞ほど、見出しに、「格差」という言葉をよく、使いたがる傾向がある。
「格差」問題だと、政権批判のキーワードに成り得ると、思って使っておられるようやけど、どうなのかね。
小学校のかけっこで、お手て繋いで、みんなで一緒にゴールしましょうって、学校が有って驚いたけど、こんなことやってるの、日本だけやで。
みんなが平等でなかったらあかんというのは、あくまで、環境や前提条件であって、早く走りたいと努力した子供が、人より早く走れるようになるように、人との競争というのは、モチベーションでもある。
教育という場は、大人になって、競争社会になることを、正しく教える場でもあるはずなんやね。
ところが、日本の教育って、平等であることと、人と競う事を混同していて、競争は避けるべきこと。格差は良くない事なんて、馬鹿なことを教えるところがある。
以前にも書いたが、悪いのは、貧困であって、格差ではない。
そして、今の社会って、何でもかんでも、お金と言う物差しで見過ぎる。
人より貧しい事が悪い事なんてはずがない。人より豊かな事も悪い事と教えていたのは、中国の文化大革命の時代のことやわな。
人より努力して豊かになった人が批判される社会は、共産主義社会そのものやからね。
こんな考え方が蔓延してくると、人より頑張る人が居なくなってくる。
人より頑張る事が、恰好悪いなんて、穿った見方しかできない大人になるな。そう、言いたいのやね。
卵が先か鶏が先か
立憲民主党が、選挙で、しきりに訴えている「分配なくして、成長なし」という、キャッチフレーズ。
私、この政党って、いつまでも、労働組合の感覚が抜けない政党やなぁと思うのやね。
本来、このキャッチフレーズは、「成長なしくて分配なし」が正しいはずなんやね。経済成長させないで、給料だけあげろは、無理やから。
公務員さんたちの労組は、国が給料を決めれるから、こんな感覚なのやろうけど、民間のほとんどの企業は、売り上げが上がらないと、利益が増えない。
利益が増えて、はじめて、社員さんの給料を上げられる原資が出来るはずなんやね。
公務員さんたちだって、景気が良くなって、税収が増えないのに、給料だけあげるのは、無理だって、こと。子供にだって分かるやないの。
問題の分配なんやけど、日本の所得分配率である、ジニ係数を見れば一目瞭然やけど、日本の分配って、ものすごく、全うな数値なんやね。超公平なレベル。
ダメなのが、経済成長率。給料上げれば、経済が成長するって言っているだけで、経済ど素人です~と、顔に書いて歩いているようなもの。
日本のテレビ局がよくやる、やらせ番組ってあるでしょ。あれをリアル経済でやろうとしても、うまく行くはずないやないの。
経済成長なしに、無理して社員の給料だけ上げてみ。会社がバタバタつぶれるから。世の中で一番高いのが人件費やからね。
それを上げるために、みんな、民間企業は一所懸命努力しているのに、いいね。頑張らなくていい役人さんたちは。
誰も頑張らない日本を、皆が頑張る日本にしないと、成長なんて、望めんって。楽して儲けようなんて、そんなお商売無いって。
経済上げるただ一つの方法は、皆が、競争して切磋琢磨するしかない。
結局、そこに戻るのやから。この成長しなかった30年間の日本をまず、反省せんとあかんて。
不要不急
この2年ほどのコロナ禍で、政府や行政が、国民に訴え続けてきたことが、不要不急を避けてください。
急いでする必要のない事。今やらなくてもいい事をするな。随分、よく、みんな、我慢してきたものやね。
いつも、不要不急は、避けてくださいと言うのやけど、もう、不要不急の事をやってもかまいませんよとは、誰も言ってくれないのやね。
人って、どうでもいいこと。そんなに今やらなくてもいいこと。これが大好きなんやね。
極言すれば、人生のほとんどは、暇つぶし。あいみょんの歌の歌詞にもある通り、人生とは、死ぬまでのエピソードなんやそうや。
そうか。逸話か。。本当に大事な事って、そんなにない。日常は、そんな、大変で無い事、でも、楽しい事、やってみたいことの繰り返しなんやろうね。
このコロナ禍の時代は、犬で例えれば、おいしい餌を目前にして、ご主人さまから、「待て!」をかけ続けられてきたようなもの。
早く、「良しっ!」って、言ってほしいのやけど、なかなか、焦らされて、言ってはもらえない状態に似ている。
これが、こんなに、永く続くとは、みんな、予想しなかっただろうけど、実際は、皆我慢してきたのやね。
ところが、やっと、「良し!」が出ても、余りにも「待てっ!」の期間が長かったものやから、本当に食べていいものか、躊躇している感じ。
これが、みんなの、今の心境なのやないかな。
本当に、楽しんでいいものか、疑心暗鬼になって、また、コロナが蔓延してくるのではないかと、なかなか一歩を踏み出せない感じ。
誰か、もう、ええのやでと、言って欲しいのやね。
緊急事態宣言は明けたけど
先日、京都の街を車で通勤中に見た風景。ちょっと、久しぶりの風景やった。
修学旅行の子ども達が、旅館の前に整列していたのやね。
長かったコロナ禍がやっと終わった実感かな。京都にとって、当たり前やった風景が、ちょっと戻ってきた感じがして、何か嬉しくなった。
先週、夏から急に初冬の寒さに気温は急降下。Tシャツ短パンの人が消え、今は、上着無しでは少し寒い時もある感じかな。
ガラガラだったホテルの朝食レストランにも、少しずつ、人影が増えて来た。
いつも行く、焼き鳥屋さんにも、久しぶりに観光客の姿が。
今の時季の京都は、まだまだ観光客が戻ってないけど、人気のラーメン屋さんとか、ガイドブックによく載っているお店の前には、行列が出来出したところかもね。
今頃、京都に来る方たちは、ラッキーやね。
ホテルは安いし、人気のあるお店も比較的空いている。ずっと、京都に来たかったのを、我慢してましたと、うれしい事を、言って下さる。
ただ、長引いたコロナ禍のせいでか、夜の街を歩くと、一部の店には客がいっぱいいるけど、隣の店には、誰も客がいないという、ケースが目立つかも。
どこに差があるのかは、分からないけど、これからは、こんなお店間での格差が拡がっていくのやろうね。
いいところはいいけど、ダメなところはダメのママ。厳しい世界やわ。
天皇の長子
秋篠宮家の長女、眞子さまが、小室圭さんと結婚されたことで、女性天皇、女系天皇問題は、少し世間の空気感が変わったのかも知れないね。
天皇を男系男子にだけにしか認めてない日本の皇室やけど、過去に女性の天皇はいた。
欧州の皇室も、女性でも、国王にするところが、ほとんどと、世界では男女の差をつけることが時代遅れという批判もある。
だから、日本はまだまだ男尊女卑の世界のまま。女性の社会進出には、まずは、象徴天皇から男女区別なしにすべきではと意見が強くなっているのやろうね。
私、いろいろと異見はあるやろうけど、天皇の長子が次の天皇になる。
その男女の区別はしない。と、いうのが、最も、国民に分かりやすいルールではないかと思うのやね。
つまり、例えば、次の天皇陛下は、愛子さんが、女性天皇になる。それであかんのかと思うんや。
秋篠宮さんには、悠仁さんという立派な男の子がおられるのに。という意見もあるけど、皇統が途絶えないようにというのが、まず、大事なんやね。
もし、結婚して男の子が生まれなければ、愛子さまが嫁入すれば、今の天皇陛下は、お家が途絶えてしまうということなんやね。それも殺生な話やないのかな。
まぁ、小室さんのお母さんが皇族と姻戚関係になるのを、毛嫌いされている方も多いように、女性宮家は、いろいろとトラブルの火種が多いけどね。
今は天皇家は綱渡りの状態が続く。
何やかんや言っても、悠仁さまが次の次の天皇候補なのは、まず、変わらないやろうけど、この先の事まで、先回りしたい人が大過ぎるからね。
佳子さまとかは、皇族を離れる眞子さまを羨ましく感じておられるのを、コメントされると、ちょっと、お気の毒な気持ちになるわ。宿命とは言えね。
嫌とは言わせない
最近、何かと話題になる、2ちゃんねる創業者の「ひろゆき」という方。
この方、いろいろな方と、対談して、ディベートすると、常に勝ってしまうので、論破王なんて、呼ばれているみたいやね。
私、この方のしゃべり口調で、よく話される。「~してもらっても、いいですか?」という、言い回しが、とても、気になるのやね。
日本人って、基本的に、相手と面と向かって意見の相違があることを、避ける習性があるのやね。
だから、何々してくれって、頼まれたら、天邪鬼な人は、嫌ですと言うのやけど、「~してもらってもいいですか」と、疑問形で言われると、嫌とは言いにくいと思うのやね。
この言葉、こちらに、何か選択肢があるように、匂わせているけど、実質的に、こちらの言う事を聞けといっているに等しい言葉づかいなんやね。
嫌とは言いにくい言葉を使って、自分の論戦に引き込むもディベートの手法なのかもね。
ある意味、この言葉って、ちょっとズルいニュアンスを含んでいて、それに、ちょっとイライラするのやね。オッチャンとしたら。
府立植物園改修問題
京都の府立植物園と言えば、京都市に住む人たちからしたら、気軽に行ける広大な施設、というイメージがある。
本来のこの施設の目的は貴重な植物の種の保存であったり、府民に植物と触れ合う事により、癒しを与えるということなんやろう。
その府立植物園について、京都府は数年に渡り、各方面から集まっていただいた会議で、将来像の検討を続けてきた。
それが、いよいよ、実現する段階になって、またまた、京都の悪いところやけど、共産党が、反対運動を扇動しようとしているのやね。
府の意向では、鴨川に面した部分に、新しい入口を新設して、流行りのカフェのような施設も作りたいというのやね。
私は、これのどこが反対する理由になるか分からんのやね。
植物の育成に必要なバックヤード部分が削られるのを反対理由に挙げているけど、これ、西脇知事さんは、面積は減らないと、公言しているからね。
ようは、いつもの、何でも反対の京都の共産党の反対ネタ探しなんやろうね。
京都タワーに反対し、京都駅ビルに反対し、ホテルオークラや、鴨川にかかる橋、京都水族館にも反対してきたね。
京都の左巻きな人たちは、常に、行政に盾付くことでしか、自分たちの存在意義を主張できる術がないのやね。
昔から、京都は、反東京の気質があるから、ある程度、反権力、反中央の考え方を持つ人が多い。
左翼に有らずんば、インテリに非ず。の時代から、だいぶん経つのやけどね。
元植物園の園長さんたちを前面に押し出してはいるものの、実質上は、左寄りな政党が、喧嘩のネタ探しをしているようなもの。
庶民の味方をアピールするのやけど、なかなか、革新系の市長や知事にはならない。みんな、昔の暗黒時代の京都の事を覚えているからね。
労働組合だけ強くなって、公務員の給料を日本有数の高さにしていて、道路ボロボロ。工事費は出さない。何も変えない。そら、京都は落ちぶれるわ。こんなことばかりしていたら。
現在は、都市間競争の時代。他の都市は、どんどん魅力を付け加えて、人が増えているのに、京都は、既得権を持った人たちが、よそ者を排除し、何かを変えようとすると反対ばかりする。悪い癖やで。
ただのだだっ広くて、何もない。ごはんやお茶するところもない今の植物園は、正直言って、魅力が無い。
植物園の本来の目的が変わってしまうっておっしゃるけど、その目的って何や。時代と共に変わっていくことの方が良いものと、変えてはいけないもの。
植物園は、テコ入れして、変えた方が良い施設やと思うけどな。
莫大な税金で穴埋めしないといけない植物園より、人が集まって、収益すら期待できる植物園になってくれたら、京都に住みたいと思う人が増える。
意地汚い、地域エゴで、我々の大事な京都の未来を失わせることだけは、堪忍して欲しいのやね。
現金給付
実質的に選挙戦に突入して、世の中はまた騒がしくなった。
超短期決戦の選挙戦は、誰に有利になるのやろうね。
それにしても、各党の公約の中にある、現金給付金の文字。これって、私は、あまりよろしくないと思っているのやね。
だって、当選したら、お金を配りますから、票を入れてくださいって、これ、間接的な、票の買収やないの。
国民を甘言で丸め込もうなんて、まともな選挙じゃなくなるやんか。
政治や行政っていうのは、国民から集めたお金の使い途を決められるという、とても大きな権限がある。
でも、国民にとって、一番望ましい政府というのは、皆から集めるお金を出来るだけ少なくして、出来るだけ大事に使ってくれる政府・・ということになるのやないのかな。
ところが、この「小さな政府論」を前面に押し出してくれる政党があまりないのやね。
どの政党も、たくさん集めてたくさん使う事ばっかり言う。
私ね。日本のように経済一流、政治三流の国では、政治が、あまり目立つのは、良くないと考えしまうのやね。
政治家やら、公務員さんたちは、本来は、日本と言う国のメインプレーヤーではないのや。
メインは、国民一人一人であったり、企業ひとつことつであるはずなんやね。政治や役人は、あくまで、脇役であってほしいのや。
そのうえで、国民がどうしたら、より良い暮らしが出来るか。どうしたら、企業がいきいきと活躍出来るかを、一所懸命考えるのが、政治と行政の役回りやと思うのやね。
補助金や給付金なんてものは、あくまで、政策実現のために最低限行うもの。
公金を配ることが、世の中の公平と平等を、ある程度、歪めてしまうってこと、肝に銘じて欲しいのやね。
先住権
その土地に古くからあった会社やお家は、後から来た人たちに、色々と優位な立場で、モノを言えるものであるのやね。
昔からのその地域のルールがあって、後から来たものは、それに従わなければならない。これ、多くのケースで、あてはまることが多い。
でも、例えば、養豚場のあった地域に、後から周辺がどんどん、宅地開発をされて、多くの住民が住むようになったりする。
そうしたら、養豚場は臭くて、迷惑施設だとクレームが出て、結果として、その施設がその地域から追い出されてしまうってこと。あるのやね。
反対派が多い、沖縄の普天間基地の周辺って、数軒しかそこで住んでいる人がいなかったと聞く。
ところが、いつの間にか、たくさんの住民が基地近くに住むようになって、米軍基地は迷惑だから。こんな、人口密接地域に空港なんて、非常識となっちゃう。基地の方が古くからあるのにね。
京都府で今、もめている府立植物園の再開発計画も、植物園周辺に住む人たちが、家の近くに、賑わい施設なんて作られてはたまらないと言い出して、これに、共産党が乗っかって、反対運動に仕立てようとしているのやね。
何か、昔の成田空港反対闘争とか、辺野古基地移設反対運動とかに、共通する「臭い」がするのやね。
住民運動という、感情論に持ち込んで、行政に盾付きたい。その気が満々なんやね。
一般的には、先住している人たちの意見と言うものは、尊重されることが多いのだけれど、これが、ちょっと間違うと、ただの住民エゴに成り下がってしまう。
街の発展というものは、その地に集まってくる新住民によって塗り換えられていくものでもあるからなんやね。
不当に旧住民の権利だけを聞くと、新住民の人たちとの分断が起きて、街の新陳代謝が阻害されてしまうからなんやね。
街の権利と言っても、法律的には、その方が所有する自分の土地の中だけの権利が大原則や。
お隣にどんな迷惑がかかるかも知れない施設がやってきて、営業を始めても、それらを規制する法令が無いと、法律は、その土地の権利者の権利が当然の事ながら、優先させられる。
風俗業であったり、景観による規制があったり、臭いのきつい焼鳥屋さんであったりしても、隣人は基本的に文句を言えない。嫌なら、出ていく権利があるからね。
だから、無作為な街の変化が起きにくいように、行政によって、建物の高さを制限したり、派手過ぎる看板を規制したり、公序良俗に反したお仕事が出来ないように、規制がかかる。
ただ、街の発展というのものは、生き物のようなもので、いろいろな時代背景やら、近くの施設の雰囲気、似たような業種の商売の集中などで、どんどん変わっていくものでもある。
行政がいくら強力な規制をしようと思っても、個人の行動やら、お商売まで、憲法違反な制限を、するのはなかなか認められないものなんやね。
焦点の北山通や鴨川周辺が、どう変えていきたいのか。京都府の目標をまずは、ちゃんと、知りたいところなんやね。