デジタル編集者は今日も夜更かし。 -6ページ目

デジタル編集者は今日も夜更かし。

出版社に在籍していながら、仕事はネット、携帯などデジタル企画のプロデュース。

もし雑誌をやっていたら記事にしたかもしれない様々なネタを、ジャンルにこだわらずコラム風に書いてみる。アナログ志向のデジタル編集者は、相も変わらずジタバタと24時間営業中!

caution

昼時になると行き交うサラリーマンやOLでそこここに小さな渋滞ができる都心の某道路で、珍しい貼り紙を見つけた。

警告 この物件は、道路法及び道路交通法に違反しています。
所有者は至急撤去してください。撤去しない場合は、不要な物として処分されます。
道路はみんなのものです。正しく使いましょう。”

歩道の左右にズラリと立ち並び人の流れを堰き止めていた回転寿司やビデオ屋などの看板すべてに、パチンコ屋ののぼり一本一本すべてに貼ってある。
かねて邪魔だなぁと思っていたので、おお、そういえばここは法治国家ニッポンだった、とようやく思い出す。

道路は国民共有の財産だから、たとえば歩道の上に張り出した看板や日除けでも占有許可を取り、占有料を支払うことになっている。
たとえば東京23区内の国道では、店の2階から道路上に張り出している看板は、1㎡あたり8,500円/年を収めなくてはならない。よく見かける日除けは、2,200円/年だ。ただし、日除けに店名などの文字、広告が入っていればそれは看板の扱い。
しかも、高さは路面から2.5m以上、突き出しは1m以内などと決まっていたりする。
まして、舗道上に看板を放置するなど、占有許可の段階でおりないだろう。
東京都の場合は、さらに屋外広告物条例などで、看板のサイズや表現方法など景観をも考慮した細則が決められている。

というわけで、日常的に違法状態が続いている町並みに、気紛れなのか、なんらかのキャンペーンなのか、チェックが入ったわけだ。
看板だから設置者は明らかだし、処分するなら費用は設置者持ちだろう…と思ったりもするのだが、とりあえず行政と警察が行動を起こしたという事に驚いた。

旅行代理店のパンフレット・ラックや、弁当屋の販売台、路地の奥にあるマッサージ店の誘導看板…、さてさて、明日はどうなっているのか、すごく楽しみなのだ。

ところで、この幹線道路から一本入ると、地域整備の波から取り残されて下町の風情を残した一角がある。昔からの八百屋さんや、煙草屋、豆腐屋に、米屋。
住居を兼ねたお店は、奥に卓袱台とテレビがある座敷で家族が店番を兼ねて食事をしていたりするのが歩道から見える。昭和30年代にタイムスリップしたような、ある意味で懐かしい風景。
こうした店では、歩道を我が庭のように飾る。
壊れかけた発泡スチロールに椿やトマトやアロエを植え、大きなプラスチックの漬け物樽には水をためて金魚を飼っている。覗いてみるとホテイアオイがビッシリとはびこり、水は青く濁っているけど。そして、定番はワサビの桶に赤いベゴニア。
脈絡も節操もなく、それらが歩道を塞いでいる。人はカラダを斜めにしないとすれ違うことはできず、車イスでは少なくともまっすぐには通れない。
あふれた荷物や看板は、歩道だけでは置ききれずに車道をも占有している。身内のクルマやバイクは日常的にそこを駐車場代わりにしているが、空いているときはご丁寧に駐車禁止の赤いコーンを身代わりに立てている。
周辺ではよく駐禁のチェックが行われ、実際にレッカーされるクルマも多いのだが、なぜかこの一角の地元車に限ってはタイヤにチョークの跡を見たことがない。
下町文化の保存会でもあるのか、それとも、地元同士の情報ネットワークがあるのか。

100mも離れていないのに、もちろん例の貼り紙もここまでは進出していなかった。
今日も八百屋のおじちゃんとおばちゃんが、路駐したバンの荷台に粋に腰掛け、気のいい笑顔を満面に浮かべながら近所のおばちゃんと談笑をしていた。
当然歩行者は歩道を通ることができず、このエリアの異邦人であるネクタイ姿のサラリーマンや気の弱い学生たちは、車道に迂回して通り過ぎる。
ボクはといえば、お庭先を失礼しまっせ、と談笑の輪の中を腰を低くして突っ切るのだった。
とまどいの視線は彼らのもの。一瞬ストップする会話に、批難のニュアンスが漂う。
道路はみんなのもの…、とはもちろん、口には出さない。

Obstacle

Discovery

ドキドキしながら、スペースシャトル“ディスカバリー"の打ち上げを見た。
86年のチャレンジャー爆発事故の悪魔のような煙がふと脳裏を横切る。
03年のコロンビアの事故を考えると帰還までは気が抜けないのだが、それでもとにかく打ち上げ成功 (^^v
画面は、CNNのライブ中継で、オービターとメイン燃料タンクの切り離しの瞬間。後ろに地球が見えて、太陽の光を受ける機体が本当にきれいだ。すごいなぁ。

ボクは、『スペース・シャトルの操縦マニュアル』を持っている。1981年4月12日、スペースシャトル“コロンビア"が初めて宇宙を飛んだ翌年、1982年の発行でタイトルは『SPACE SHUTTLE OPERATOR'S MANUAL』。
もちろん本物ではなくて一般向けに出版されたMOOKなのだが、当時、たまたまハワイの書店をブラブラしているときに見つけて即購入した。9ドル95セント。今でも売っているかもしれない、とAmazonで探してみたら、米国の古書店経由で約3万円の値が付いていた。
宇宙服の着方から、トイレの使い方、船内での調理方法、もちろん操縦やミッションの詳細、緊急時の脱出方法などがイラストと写真を交えながら解説されている。(その後、角川書店から『スペース・シャトル 搭乗員ハンドブック』として翻訳本が出た)

子どもの頃は、模型飛行機や熱気球を熱心に作ったり、固形燃料を使ったロケットを飛ばしたり、空を飛ぶことに憧れていていた。視力が落ちたり、数学が苦手だったり、それより何よりオトナの事情を優先して次第に諦め、いまはたまに旅客機に乗客として乗るだけ。
ディスカバリーの巨体がググンと持ち上がり、地球の重力から離れていく姿を見ていると、子どもの頃の憧れの気持ちを思い出す。

NASAとESE(欧州宇宙機関)などは2020年頃には、1万~1万5千ドル程度の宇宙観光旅行も可能になると予測している。
今回のシャトル打ち上げは、確か114回目だ。結構、飛んでる。宇宙開発にキチンと予算が回るように、世界の平和が実現、維持できれば本当に可能かもしれない。貯金しておこうっと。


↓『SPACE SHUTTLE OPERATOR'S MANUAL』より
manual

*左ページは、着陸時の緊急脱出の仕方。電源を遮断して、速やかに機体から脱出する、と書いてあるが、電源を切るだけでパネルに山ほどあるなかから6コのスイッチを指示通りの方法でOffにして、数百度の熱を持つ機体に防熱シートを設置し…とスッゲー複雑。
右は折り込みのフライトコンソールパネルのイラスト。広げると、9面に分かれたパネルにスイッチやメータがてんこ盛りで、それが操縦席には何セットもある。

speed

精神が重力の影響を受けるわけはないのだが、夏バテのカラダが重たいのと同じように、
心がしんどいときにはズッシリと重く、動きが鈍くなる。
しんどいなぁ、と思っているときには、新しいことを試してみよう、とか、壁を打ち破ってやろうなどという発想なんて出てこないものだ。

今回の主人公は、16歳の“平凡な"女子高生。
だけど彼女は、かつてバレーを習っていた。つまり、跳ぶこと(ジュテ)の意味を知っている。
主人公の資質あり。切っ掛けさえあれば、素敵な指導者さえいれば、いつでも重力の呪縛から自由になれる。
彼女に危機が迫ったときに現れるのは当然奴ら。待ってたよ、ゾンビーズ!

女のコが落ちこぼれ集団のゾンビーズと絡むとどんなストーリーが展開するのか。
無条件に彼らのファンとなってしまっているボクとしては、冷静かつ公平に評価なんてできないし、その必要もあまり感じてないのでそこは割り引いて欲しい。
金城一紀の最新作は、やっぱり楽しかった。

この小説を一言で表せば、以下の式になる。

『SPEED』=(『レヴォルーションNo.3』+『フライ、ダディ、フライ』)÷2-『GO』

じつはほとんど想定内の展開で内容に驚きはなかったのだが、それはそれで楽しく読むことができた。
金城さん、いつもの頼む!ってお願いしたら、この作品が出てきたって感じ。
前2作に比べて、その爽快感や影響力は持続しなかったのだけれど、それは、ボクが男だからかもしれない。

何となく、そして意味もなく、ウムムと沈滞気味な最近のボクの心なのだけれど、それでもこういう小説を読むと、負けるモンか!とちょっと元気になっている。オトナになっても、いくつになっても、重力に逆らって宙を跳ぶ夢と希望は忘れちゃいけないんだ(*^^*) 単純すぎるけど。。

■SPEED / 金城一紀■

party

金曜日に、お誘いをいただいてお台場で開かれた某パーティに出席。
とはいっても、色気はまったく抜きのかなりアカデミックな集いで、出席者の何割かはきっと博士号を持っているに違いない…という国際色も豊かな不思議なパーティ。

お台場メディアージュにあるソニー・エクスプローラサイエンス で開かれている“ソニーコンピュータサイエンス研究所 展”の研究者主催で、閉館後の会場に関係者とその知り合いがワサワサと集まった。
誘ってくれたのは、仕事とも言えない仕事で知り合ったN氏 で、最近は仕事とは直結しないかもしれないけど、もしかしたら面白いことができるかも…というレベルでお会いすることが多い。ボクはこういう関係がとっても刺激的で、楽しい。

世界最先端技術を担う研究所主催だけあって、このパーティのメインイベントはもちろんビンゴなどではなく、出席者相互の繋がりを数値化して、そのマッチング度合いで新型netWalkmanを競うというもの。
主席者全員に配られた個人カードには、氏名などいくつかデータが2次元バーコードで記録されていて、カードをペアにしてカメラの前に置くとネット上のデータを検索して……と、ボクには説明するのも難しいけど、初めてお会いした方と思いのほか近い関係であることが判明したりして、かなり楽しかった。
いつもとは違う集いに顔を出したことで、また、たくさんの刺激をいただいた。

とにかくパーティで楽しいのは、それまで知らなかった人と知り合いになること。
誰かに誰かを紹介したり、紹介されたりするのは、本当に楽しい。
オトナになると、どうしても仕事を通じてできる関係が主となるけれど、パーティなどで知り合った知人、友人は、ボクにとっては、とっても大切な人になる確率が高い。

最近はブログやSNSを通じて、人と知り合うことも多くなってきた。コメントやメールで様々な意見を聞くことができる。やっていて良かったと思う瞬間だ。
ネットよりも、雑誌よりも、テレビよりも、直接人から話を聞くのが楽しい。人と話をするのが面白い。
人間は、やっぱり独りでは生きにくい。集団の生物だと思う。
そんなわけで、皆さん、もっともっと繋がりましょう(^^

himawari

夏休みが40日以上あった子どもの頃、夏は暑ければ暑いほど良い、と単純に思っていた。
暑い夏を楽しく過ごす方法はたくさんあったし、乗り切る体力だって十分で、夏バテなんて言葉とは縁がなかった。

かつては、“暑い"と“楽しい"は同義語だったはずなのに、いつの頃からか、暑いねぇ~が、やだねぇ~とか、参ったねぇの意味を持つ挨拶になっている。
日射しがガンガン照りつける夏は、当然のように真っ黒に日焼けしていたのも昔の話。
肌のため、カラダのためにも、いまは真っ当な人たちは紫外線を避ける。日焼けはするのは無鉄砲な一部のチャレンジャーたちだけだ。

その上、地球温暖化による異常気象が原因とされたりもするこの異常な暑さ。
この6月の地球全体の平均気温は、1880年の統計開始以来、最も高かったことが発表された。夏が無条件で楽しかった昔が懐かしいな。。

こんなふうにごちゃごちゃ考えてしまうのは、どうやら十分にまとまった休暇がとれないからではないだろうか…、などと暑さに参ってボーッとしているアタマで考えたりしてみる。

まあ、ボクは素直に夏を楽しめなくなったワケだけれど、それでも、ヒマワリを見ると何となくワクワクとする。
絵日記にヒマワリ(もう、描かないけど…)。暑中見舞いにヒマワリ(ほとんど出さないけど…「)。昔々の懐かしい夏休みを象徴するイメージだ。

ようやく時間に余裕ができて、梅雨明けから遅れること1週間、
アパートのディスプレイを紫陽花 から夏のテーマに変更した。今回は、ちょっと立体的に。もちろんメインの花をヒマワリにして。

シルクフラワーを安く手に入れるために、最近ユザワヤのフラワー会員になった。シルクフラワーだけでなく、すべての花材が半額になる。女性しかいない売り場だけど、季節をイメージしながら花を選んでいると、時間が経つのも周囲も気にならなくなるほど楽しい。季節の感じ方も、夏の楽しみ方も、ちょっと変わってきたな。

6percent
*記念だから、ちょっとチーム・マイナス6%に参加してみた。個人レベルで温暖化を考えるきっかけに。
皆さんも、よろしかったら仲間に入ってみませんか?

I LOVE YOU


今をときめく男性作家陣の恋愛短編アンソロジーである。
すべて、書き下ろしである。
祥伝社創立35周年記念特別出版である…。
これが読まずにいられるか。

さてさて、実生活で他人の恋愛話を聞くのは、申し訳ないけど概ね退屈なものだ。
聞き始めた当初はワクワク興味津々ではあるのだが、それでもそんなにスペシャルなエピソードが続くハズもなく、10分もつき合うとそれが失恋話で死ぬの生きるのという展開になろうが、熱々デレデレの自慢話になろうが、まあ、あっという間にお腹いっぱいになるは必定。

それなのに名手の手によって小説になった途端に、赤の他人の恋愛が上質なテーマとなるから不思議だ。
主人公たちの馴れ初めを知りたい、行く末を見守りたい。

このアンソロジーはそれぞれが50~60ページ程度の短編だから、出逢いも別れも、それほどのスペクタクルはない。
が、しかしかえってそれが自分の懐かしい思い出と重なったり、憧れだったりする身近なシチュエーションで、短編ではあるけれど、すぐに感情移入ができる。
恋愛小説は、どれだけ感情移入ができるかによって、その楽しみ方に大きく差が出ると思うが、まして短編小説では、いかに素早く主人公とイメージを共有できるか、舞台を想像できるか、が必要となる。
その点でもさすがに、この6人の作家たちは上手い。

ボクはよく、言葉によるスケッチを試みる。
風景をスケッチするように、街の光景を文章にしてみるのだ。
たとえば、電車のなかで見かけた人々の所作をその場でノートに書き留める。街で見つけた新しいお店のショーウィンドを文章で表現してみる。食べた料理を伝える工夫をしてみる。
何を書いて、何を省略するのか。やってみると、なかなか楽しくて、そして難しい。
いつも一緒にいるパートナーや友人が相手であれば、文章でも会話でも、共通する何らかのイメージを持っているのでボクが見たシーンを伝えることも比較的容易いが、たとえば全国の皆さんが訪れてくれるこのブログでは、しっかりとスケッチをしてキチンと描写しないと本当に真意が伝わっているのかどうか、怪しいものだ。

それに比べて、プロの技。
たとえば離婚を決意し、レストランで最後の食事をする夫婦を書いた本多孝好氏『Sidewalk Talk』のあるシーン。

思わず笑みを交わしてから、その場違いさに気づき、僕らは互いの笑みを持て余した。気詰まりになって、僕はテーブルの真ん中にある一輪挿しに挿された白い花に目を向けた。彼女はすっとピアノの方に一度視線を外すことで、笑みを収めた。"

彼女の描写にボクは脱帽。
もうこれだけで映像が思い浮かぶし、この二人の気持ちが伝わってくるではないか。

どちらかといえば、それぞれ軽めの恋愛小説だ。
もしかしたら、皆さん、肩の力を抜いて書かれたのかな、とも思う。だから部屋でじっくりと読むよりも、カフェで恋人を待っている時とか、ひとりでランチをする時なんかにちょうど良い小説集かもしれない。
イチバン好きだったのは…、それはここでは書かないでおこう。きっと読者の恋愛経験によって、それぞれ感想が異なるような気がする。

■I LOVE YOU / 伊坂幸太郎、石田衣良、市川拓司、中田永一、中村航、本多孝好■

MRI

2005年本屋大賞第2位。
どうもボクはこの賞とは相性が悪いらしく…。もちろん大好きな小説も受賞(*)しているんだけど、ね。(*今年で言えば『チルドレン』、 『そのときは彼によろしく』
それで小説選びの基準としてはあんまり興味はなかったけど、好きな作家ばかりを読んでいて食わず嫌いもいかがなものか、ということで未読のものを何冊か読んでみることにした。

まずは若年性アルツハイマーを発病する主人公の一人称で展開する『明日の記憶』。渡辺謙さん主演で映画化も決定。話題の小説だ。

面白かった。面白かったのだが、『夜のピクニック』 の大賞と共に、やはり相性が悪いのかなぁとも思ってしまったのだった。

確かに記憶を失っていく過程には静かな恐怖はあるし、ある部分は感動的だし、生きる意味を考えるきっかけにもなるだろう。各書評でも概ね好評。でもボクは結局、終始冷静に読み終わった。

喪失する記憶をテーマにした小説なら、昨年の同賞で大賞を獲得した『博士の愛した数式』 (小川洋子)の方がはるかに洗練されていたし、こちらは、ボクは大いに感動した。博士の愛したオイラーの等式
eiπ + 1 = 0

が、意味は理解できなくても本当に美しく思えてきて、ボクはプリントしてデスクの前に貼ってある。

また、『明日の記憶』の主人公がつけている日記の表現手法は、世界中に感動を与え今なお読み継がれているSFの名作『アルジャーノンに花束を』 (ダニエル・キイス)そのままではないだろうか。“アルジャーノン"が大好きなボクとしては、ちょっと許せなかった。

幸せになっていく過程を描いて感動を得ようとする小説と、避けられない不幸に価値を与える小説がある、と思う。

いわゆる知識人と言われる人々や評論家たち、マニアックな本読みたち(書店員や編集者を含む)にかかると、前者はなぜか、ご都合主義とか漫画チックとか、問題意識が欠如しているとか、お気に召さないようで評価の対象になるチャンス自体が少なくなる。
方や不幸を描くと一気に“問題作"となり、評価のハードルが低くなるような気がするのは気のせいだろうか。
たとえばハリウッドの映画とヨーロッパ映画のような関係。
ボクは、もっともっとハッピーな小説や映画を評価しても良いんじゃないかな、と思うし、実力ある作家たちが、不幸ではなく、幸せをキチンと書いて欲しいと思っている。

若年性アルツハイマーは、働き盛りの年代で痴呆が進行するというショッキングで深刻な病だ。治癒の可能性も極めて低い。症例をみると、ボク自身も、あれ?もしかしたら…と恐怖を煽られる。そして、小説を読みながら、いまボクがもし…と、考える。
でも、小説は病気や不幸そのものが主人公ではいけない、あるいは、そんな事で評価しては作者にも失礼だ、と思うのだ。

ところで、写真はボクの頭の中身。初公開!
数年前の人間ドックでMRI撮影したビデオを持っているのだが、そこからキャプチャしてみた。この写真の真ん中あたり、脳の下部に記憶をつかさどる「海馬」がある。専門医がこの写真を見て、おっとやばいんじゃないの?なんて不具合を見つけちゃったりしたら、ちょっと怖いな。

■明日の記憶/萩原 浩■

noodle


朝から、半日の人間ドックだった。

ボクは基本が朝飯&夕食の一日2食なので、打ち合わせを兼ねたたまのパワーランチ以外にあまり昼食をとるチャンスがない。
でも今日は昨晩から絶食だったので、お腹はペコペコ。検査結果が出るまでの1時間半でゆっくり食事をすることにした。

東急本店近くの病院を出て、1時間半をつぶせる飯屋を探す。午後1時を過ぎていたので、そろそろ席も空きだしているのだが、迷う迷う。
じつはあまり一人で食事をすることに慣れていないのだ。
センター街あたりまで足を延ばすも、さすがにその周辺に落ち着ける店を見つけることができず、渋谷ビデオスタジオまで戻って、渋谷川暗渠の裏通りを徘徊。
コーヒーも飲みたかったから、結局、深夜の営業時間に入ったことのあるマカオ料理を出すカフェに決めて、“黒ゴマ冷やし担々麺"を食べた。

ところが…。
ランチメニューだったのですぐに料理が出てきたのだが、それを待っている少しの時間も一人では間が持たない。仕事関連で思いついたことをメモしたり、読みかけの本を開いたり閉じたり。どうも落ち着かない。店には心地良いR&Bが流れている。

担々麺に舌鼓を打ったのは、ほんの数分。食後にコーヒーを頼んで、さあて、この一人の時間をどう過ごすべきか。
広い店内を見渡すと、ほとんどが若い女性なのだが一人客が多い。そして彼女たちのほとんどが、本も開いていない。見事に何もしていない。
何を考えているんだろう。過去を振り返っているのか、それとも、未来を夢見ているのか。
しかし何というか、堂々としているというか、店に馴染んでいる。ボクのように店内を見回している客もいない。

あと1時間。
一人で食事をすることに慣れていないボクは、やはり本を読むことにした。
お客さんと従業員が作りだす平日昼下がりの店の雰囲気がじつにゆったりとしていて、思った以上に集中してしまった。
コーヒーもお代わりして、ふと気がつくと病院に戻る時間だ。ページも進んで、帰りの電車で読む分も危うい。

少し前の“お一人様"ブームは女性を指していたけど、まあ、これからはボクもたまには真似してみますか。一人で食事をして、ゆっくりとコーヒーを飲みながら、本を読んだり考え事をしたりするのもなかなか良いな。なんだか、本当に久しぶりにゆったりとランチタイムを過ごした。

病院に戻って、医師の検査結果を聞いた。
怖い病気の兆候は一切なし。でも、一部の数値が少しずつ高くなっていた。
「少し、痩せましょうね…」
ウムム、せっかくランチの楽しさを味わったばかりだというのに。
目標は、体重3キロ減。時々のランチを楽しむためにも、幽霊会員を返上して真剣にジムに通わなくては。

FlyDaddyFly

映画化をきっかけとして新装版が出て、この『フライ、ダディ、フライ』は正確に6回目を読んだ。
恥ずかしいけれど、本当に恥ずかしいけれど、この小説はボクにとってほとんどバイブルと言ってもいいかもしれない。いつ読んでも、何回読んでも、元気がモリモリ湧いてくるとっても楽しい応援小説なのだ。

東京に200万人くらいはいそうな平凡な中年サラリーマンが主人公だ。
映画の公開日と同じく‘7月9日'に、事件は起こる。
この事件が妻子あるおっさんにとってシンプルだけど重要な動機となって、今までの世界から飛び立つ決意をする。そして、イチバン大切なものを守るために、夏の一ヶ月間を使ってカラダを鍛え、心を解放していく。
なんて単純なストーリー。まるで少年ジャンプの漫画のようなコンセプト。

でもね、そんなシンプルさが、根回しとか、やむを得ない事情とか、訳知り顔とか、ゴマすりとか、お追従とか、馴れ合いとか、世間の目とか、常識とかに代表される閉塞感と永年付き合ってきたサラリーマンや、
自主規制とか、たったひと言がいえない躊躇いとか、他人に対するやっかみとか、体力的な限界とか、目標を達成できないときの諦めなどなど、自分のなかで上手に折り合いをつける事で世渡りしてきたオトナにとっては、じつに新鮮なのだ。

目覚めた主人公のおっさんをルーク・スカイウォーカーとすれば、オビ-ワン・ケノービやヨーダの役割を“あの" 高校生たちが担う。自分をおっさんに置き換えての共感に加えて、彼らの視点からも楽しく読める。

だからもし未読であれば『GO』で世界観を共有した後、『対話篇』『レヴォルーションNo.3』 と、できれば順番に読むべきだ。ゼッタイに順番に読む方が100倍楽しい。どうしても早く読みたい、というのであれば、せめて『レヴォルーションNo.3』を読んでから。お願い…。

笑えるシーンも泣けるエピソードもたっぷり満載。そして、しっかりと自分と世の中の関わりを再度考えさせられる。
何度読んでも、後半に突入するとページ毎に、“がんばれ!がんばれ!"とおっさんを応援してしまう。気がつくと、ボロボロと泣いている。負けるモンか!と、元気と勇気が湧いてくる。
そして、たまにしか挙げないダンベルに10Kgをセットしてみたり、いつもは本が積んであるベンチを片付けて、腹筋100回にチャレンジしてみたりするのだ。そんな日は、ぐっすり眠れる。どうせ3日も続かないから、また、しばらくしてこの小説を読むのだけれど。

■フライ、ダディ、フライ/金城一紀■

*金城氏によれば、『フライ、ダディ、フライ』もともと『GO』映画化の時からのシナリオアイディアが先で、小説はそのノベライズだとか。ホントは、一方の主人公スンシン役は長瀬クンをイメージしていたのだけれど、岡田クンでもいいや。見に行くぞ~。

revolutionNo3

小学校5年生の2学期から高校三年生まで、父親の転勤で神戸西部に住んでいた。
神戸は山と海に挟まれた斜面に街も家も学校もある風光明媚な環境、自転車でツーッと坂を下っていくと、いつでも好きなときに海に出られた。

高校時代のボクは進学校の落ちこぼれでクラブにも所属せず、グータラとした毎日を過ごしていた。友人たちは京大やら阪大やら医学部やらを目指す基本的には真面目な連中ばかりだったし、かといってボクはやんちゃをするタイプではなかったから、よく独りで海に出かけて、明石海峡を行き交う船を眺めながら文庫本を読んだり、人生考えたり哲学したり、つまり現実から逃げる事ばかりを考えていた。
楽しいことやエピソードもたくさんあったけれど、多感な青春期にしては正直しんどい、鬱屈した毎日だったような気がする。ず~っとず~っと昔の話。

つまり高校時代のボクは『レヴォリューションNo.3』の主人公たちと対極にいたのだ。
当時、もし彼らと出会っていたら、いや、この小説と出会っていたら、もしかしたら違った青春時代を過ごしたかもしれない。
ボクはこの小説を、正確に5回読んでいる。しばらく離れていると、ふと、彼らに会いたくなるのだ。しんどいとき、落ち込んだとき、元気がないときに、市販ドリンク剤よりもボクには即効性がある。

寡作な作家というのはファンにとれば往々にして罪作りなものだが、金城一紀の場合に限っていえば、ボクは許す。それは、彼の創り出す世界がシンプルで共感できる正義で貫かれ、継続的かつ広範囲に、ボクの生きるリアルな世界に影響を与え続けてくれるからだ。

『GO』に始まった崇高で濃縮された世界は、高揚する精神とともに『対話篇』に引き継がれ、『レヴォリューションNo.3』でエンタテインメントとしてより身近な存在になり、『フライ、ダディ、フライ』で横道に逸れながらも世界を広げ、そして最新作『SPEED』へと続く。この一連の作品を読み進むうちに、金城一紀の描く、ほんの数年間に起こった極々狭い世界のなかに、いかに多くの物語が存在するかを知る。

落ちこぼれが集まる高校のとんでもない連中が、チケット入手がままならない高嶺の花である女子校文化祭にいかにして乗り込むか、そして、彼女たちとどうしたらお知り合いになれるか、そんな話が3話収録。それだけの事に、彼らは全身全霊を注ぎ込む。
主人公たちの個性が際だつ。全員が魅力的だ。ストーリーにワクワクする。そしてシンプルな示唆に富む。
読む者は、もしかしたら自らが所属する世界を変えられるかもしれない、と思えてくる。そして彼ら一人一人を愛し始めるだろう。最初は読者、つまり傍観者としてワクワクドキドキとストーリーを追って楽しみ、二度目、三度目と読書を重ねるたびに、さらに彼らの世界に引き込まれていく。
5回読んだボクはもう、主人公たちと同じ世界を生きて、同じ“想い出”を共有している。

ボクは高校卒業と同時に東京に戻ってきて、同窓生が誰もいない大学に入学した。それでも当時の友人たちとは10年くらいは連絡を取り合っていたが、仕事が生活の中心になるに従い、彼らとは次第に疎遠になってしまった。
ところが先週、なんと卒業以来初めての同窓会お誘いがメールで届いた。
「覚えていますか?」で始まる懐かしい友からの突然のメール。
東京でも何回か引っ越したりしているうちに、いつしか年賀状のやりとりも途絶えて、名簿上は行方不明になっていたらしい。そんなボクを同窓生がネット上で見つけて連絡をしてくれたのだ。
メールに近況が書かれていた友人たちの名前を卒業アルバムを引っ張り出して思い出す。不思議なことに、長い長いブランクにもかかわらず皆の顔だけではなく、あだ名も声も口癖もすべて覚えている。懐かしくて、アルバムの隅から隅までしばらく眺めた。

『フライ、ダディ、フライ』の映画化に合わせて、『レヴォリューションNo.3』とともに新装版が出た。それも購入して、5回目をちょうど読んでいた。読みながら高校時代の仲間たちを思い出していたところだった。
同窓会は、8月20日に神戸で行われる。卒業以来ほとんど誰とも会っていない同窓会だけど、出かけてみようかな、と思い始めている。
人生のほんの一瞬、三年間だけを一緒に過ごした旧友たちはどんなオトナになっているんだろう。どんな事を話すんだろう。ボクはもう、関西弁を喋れない。

■レヴォリューションNo.3/金城一紀■