レヴォリューションNo.3/金城一紀 | デジタル編集者は今日も夜更かし。

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revolutionNo3

小学校5年生の2学期から高校三年生まで、父親の転勤で神戸西部に住んでいた。
神戸は山と海に挟まれた斜面に街も家も学校もある風光明媚な環境、自転車でツーッと坂を下っていくと、いつでも好きなときに海に出られた。

高校時代のボクは進学校の落ちこぼれでクラブにも所属せず、グータラとした毎日を過ごしていた。友人たちは京大やら阪大やら医学部やらを目指す基本的には真面目な連中ばかりだったし、かといってボクはやんちゃをするタイプではなかったから、よく独りで海に出かけて、明石海峡を行き交う船を眺めながら文庫本を読んだり、人生考えたり哲学したり、つまり現実から逃げる事ばかりを考えていた。
楽しいことやエピソードもたくさんあったけれど、多感な青春期にしては正直しんどい、鬱屈した毎日だったような気がする。ず~っとず~っと昔の話。

つまり高校時代のボクは『レヴォリューションNo.3』の主人公たちと対極にいたのだ。
当時、もし彼らと出会っていたら、いや、この小説と出会っていたら、もしかしたら違った青春時代を過ごしたかもしれない。
ボクはこの小説を、正確に5回読んでいる。しばらく離れていると、ふと、彼らに会いたくなるのだ。しんどいとき、落ち込んだとき、元気がないときに、市販ドリンク剤よりもボクには即効性がある。

寡作な作家というのはファンにとれば往々にして罪作りなものだが、金城一紀の場合に限っていえば、ボクは許す。それは、彼の創り出す世界がシンプルで共感できる正義で貫かれ、継続的かつ広範囲に、ボクの生きるリアルな世界に影響を与え続けてくれるからだ。

『GO』に始まった崇高で濃縮された世界は、高揚する精神とともに『対話篇』に引き継がれ、『レヴォリューションNo.3』でエンタテインメントとしてより身近な存在になり、『フライ、ダディ、フライ』で横道に逸れながらも世界を広げ、そして最新作『SPEED』へと続く。この一連の作品を読み進むうちに、金城一紀の描く、ほんの数年間に起こった極々狭い世界のなかに、いかに多くの物語が存在するかを知る。

落ちこぼれが集まる高校のとんでもない連中が、チケット入手がままならない高嶺の花である女子校文化祭にいかにして乗り込むか、そして、彼女たちとどうしたらお知り合いになれるか、そんな話が3話収録。それだけの事に、彼らは全身全霊を注ぎ込む。
主人公たちの個性が際だつ。全員が魅力的だ。ストーリーにワクワクする。そしてシンプルな示唆に富む。
読む者は、もしかしたら自らが所属する世界を変えられるかもしれない、と思えてくる。そして彼ら一人一人を愛し始めるだろう。最初は読者、つまり傍観者としてワクワクドキドキとストーリーを追って楽しみ、二度目、三度目と読書を重ねるたびに、さらに彼らの世界に引き込まれていく。
5回読んだボクはもう、主人公たちと同じ世界を生きて、同じ“想い出”を共有している。

ボクは高校卒業と同時に東京に戻ってきて、同窓生が誰もいない大学に入学した。それでも当時の友人たちとは10年くらいは連絡を取り合っていたが、仕事が生活の中心になるに従い、彼らとは次第に疎遠になってしまった。
ところが先週、なんと卒業以来初めての同窓会お誘いがメールで届いた。
「覚えていますか?」で始まる懐かしい友からの突然のメール。
東京でも何回か引っ越したりしているうちに、いつしか年賀状のやりとりも途絶えて、名簿上は行方不明になっていたらしい。そんなボクを同窓生がネット上で見つけて連絡をしてくれたのだ。
メールに近況が書かれていた友人たちの名前を卒業アルバムを引っ張り出して思い出す。不思議なことに、長い長いブランクにもかかわらず皆の顔だけではなく、あだ名も声も口癖もすべて覚えている。懐かしくて、アルバムの隅から隅までしばらく眺めた。

『フライ、ダディ、フライ』の映画化に合わせて、『レヴォリューションNo.3』とともに新装版が出た。それも購入して、5回目をちょうど読んでいた。読みながら高校時代の仲間たちを思い出していたところだった。
同窓会は、8月20日に神戸で行われる。卒業以来ほとんど誰とも会っていない同窓会だけど、出かけてみようかな、と思い始めている。
人生のほんの一瞬、三年間だけを一緒に過ごした旧友たちはどんなオトナになっているんだろう。どんな事を話すんだろう。ボクはもう、関西弁を喋れない。

■レヴォリューションNo.3/金城一紀■