いつもエコノミライ研究所のブログをご覧下さり、誠にありがとうございます。
先日の総集編最終回をもって、漸く、
2018年の10月下旬、楊田は、ゴッチ氏から「日産e-NV200『えこの弐』号を関東某所まで移動してもらえまいか」という依頼を受け実施した、倉敷から東京へ向けた、EVドライブ敢行の模様をお届けすることができました。
電気自動車EVは、時速80km以上の高速走行の場合は、エネルギー効率が悪くなりますので、第2世代量産型EVである
三菱i-MiEVや日産ZE-0リーフ、e-NV200
の場合には、70kmから80kmごとに急速充電を継ぎ足して行かなければ、走り切ることができません。
エコノミライ研究所は、このことを、経験をもって実証してきました。
所長楊田は三菱i-MiEV「Gミーヴ」号を所有していますが、TECTOMさんの「燃費マネージャー」(実勢価格3万円前後)を搭載し、電池残量や消費電力、累積電費など、各種情報を記録し、適切な情報処理を施せば
電気自動車という「次世代自動車」の実用性能をより詳しく分析することができ、快適なEVドライブに活かすことができます。
ゴッチ本部長のように、仕事と兼ね合わせてEV長距離ドライブを堂々と実施できるほど、環境には恵まれてはいませんが、
楊田の片道300km超のEVロングドライブの実績と致しましては
(報告済)2017年7月横浜→関→倉敷(700km)
(報告済)2017年8月倉敷→鹿児島→屋久島(900km)
(報告済)2017年10月倉敷→東京・横浜→倉敷(1400km)
(報告済)2018年8月倉敷→小牧→白馬→小牧→倉敷(1400km)
(報告済)2018年10月倉敷→東京(700km)
★今回★2019年4月倉敷→東京・横浜→倉敷(1400km)
(報告済)2019年9月倉敷→米原→白馬→敦賀→倉敷(1400km)
2019年9月鹿児島→倉敷(700km)
となっておりますが、2020年の秋も深まりつつある現在もなお、昨年実施したドライブ報告ができておりません。
ただ、新型コロナ禍の影響で、新規のロングドライブにチャレンジすることが不可能な現在、レビューできていなかった過去のドライブについて取り上げることができるのは、不幸中の幸いかもしれません。
いずれにしましても
2017年夏から連載開始したエコノミライ研究所のブログは、このようなEVドライブのレポートをするために開設されたようなものですので、
「三菱i-MiEV「Gミーヴ」号で東京往復_往路編」
と題して、週に1回のペースで旅行記を綴り始めます。
この旅では、都合、29回の急速充電を実施しましたので、30回余りもの長丁場となりますけれども、
これまで同様、「ゆっくり・じっくり」とお付き合い下されば幸いです。
・・・・・以下、旅行記本文・・・・・
<三菱i-MiEV「Gミーヴ」号で東京往復_往路編>
第0章 旅立ちを思い立った背景
第2節 エコノミライ研究所所長楊田の生活と共に有った「クルマ」達への回想(その1昭和編)
楊田並びに楊田家に関わる者共の「愛車遍歴」を語りますと、世代が知れてしまいますが、楊田家の者共も、戦後のモータリゼーションの恩恵を受けたニッポン国民ですから、自動車王国ニッポンの繁栄が弥栄(いやさか)であって欲しいという願いを込めて、敢えて、できるだけ詳細に語ります。楊田の記憶に残っているクルマから順番に記していきます。
<初代サニー4ドアセダン>
ボディ色は白でした。〇本センセが「〇車〇報」で度々、必要性を主張されていた、フロントドアの開閉式三角窓の有るクルマでした。
家の者に確認したところ、親戚筋の御下がりで譲ってもらったクルマだったのだそうです。このクルマで、記憶を確認しあった限り、1往復は、倉敷と横浜を往復しています。
このクルマには、横浜市旭区鶴ヶ峰、戸塚区下倉田にて3年程度、使用しました。駐車場事情があまり良くない地域で、駐車料金もそこそこ高い地域だったはずですので、よく、維持できたものです。
<初代ランサー1400GL4ドア>
ボディ色は、明るめの緑でした。このクルマのドアで左手の中指を挟んでしまい、この指だけ、上手く間接を動かすことができませんが、無事息災なので善しとします。
このクルマも、親族の御下がりでした。楊田の地元が岡山県倉敷市ということもあり、倉敷市水島海岸通り1にあるところの、三菱自動車水島製作所との縁もあるため、楊田家は、三菱車を購入する比率が高かったのです。
初代ランサーは、5年程度使用しました。
冬場は中々、エンジンが掛かりませんでしたので、ディーラーのアドバイスに従い、スタート前にアクセルペダルを数回、踏み切ることで、スロットルの動きを滑らかにし、チョークレバーを開いた状態にしてエンジンを掛けていました。
生まれて初めて、同乗者としてですが、高速道路ドライブも楽しんだクルマです。
ですが、後部座席はリアタイヤのホイールハウスの鉄板がむき出しだったので、横Gが掛かると身体が当たって痛かった記憶が未だに残っている程、居住性はイマイチでした。この記憶が、後々にドライブする軽自動車などの後席居住性の向上の実感に繋がるワケですけれど。。。
このクルマは、横浜市戸塚区下倉田団地、並びに倉敷で都合6年程、利用しました。戸塚駅近くのダイエーへ買い物へ行って、数回、迷子になったり、耳鼻科へ通うため戸塚と大船を何度も往復しましたし、偶(たま)に横浜界隈まで足を延ばしたり、近隣のバイパスでのドライブを楽しんだり致しました。
家の者の人生の見通しが立ち、生まれ故郷の倉敷へ凱旋、地元での新生活を始めると聞かされたときは、楊田が一人、大反対致しました。
しかしながら、結局、その当時住んでいた団地の広さの数倍もの広い一軒家に住むことができる、という誘い文句に「完堕ち」した楊田は、渋々ながらも、家の者共の生まれ故郷へと引っ越すことに同意。引っ越し内定が決まると、連日の引っ越し準備で、大忙しとなりました。
(この辺りのハナシも、記録に残すと意味のあることに成りそうですが、割愛します。)
倉敷への移動は、午前5時にランサーに大荷物も積んで深夜前の11時過ぎに新居の隣にある、家の者の実家に到着しました。
非常に過酷な長距離ドライブでしたが、大変な距離を一気に駆け抜けた爽快感は、今でも記憶に残っています。
また、忘れない内に記しておきますが、到着した家は、二階の客間でしたが、収納棚の上に置かれたカルピスさんの段ボール箱のキャラクターに視線がハマってしまい、人知れず、恐怖の念を抱きました。
<参考>「グーグル検索「カルピスのキャラクター」
(うまいこと、リンクが張れているといいのですが、とにかく、著作権の関係で、これが紹介できるギリギリです。)
倉敷市民となっても、数年間は、初代ランサーGL1400が「生活の足」でしたが、いよいよ、慣れ親しんだ愛車とも、お別れとなります。
<三菱ランサーEX(実質2代目)>
♪らんさ~いーえっくす!
というCMで御馴染み、三菱ランサーEXが、楊田家の次なる愛車となりました。
このクルマも、実は、同じ親族の御下がりでして、楊田家は、まだまだ、自己資金での愛車購入の到来を待たなければならなかったのです。
このクルマの楊田家の入庫当日のことは忘れられません。
楊田家全員が悶絶した「事件」が有ったのです。
楊田家一族郎党で、プチドライブをすることが時々あったのですが、未だ、親族の所有するランサーEXで、当該「事件」の原因となる事象を、楊田も家の者共も、目撃していましたから、
「あんときに〇〇〇が△いた×ロか!!」
と口を揃えて悪態をついたことは、「鮮明に」記憶に残っています。
どうやって、洗浄したのかな。。。濡れたタオルを暫く後部座席に錘(おもり)で定着させて例の遺物の残りを吸い上げたりしたのかもしれません。
白色のランサーEXでした。CMで観ていたクルマと同型・同色のクルマでしたから、例の匂(にお)いが概ね無くなる頃には、すっかり、楊田家の一員として定着しました。
4速マニュアルミッションドライブで走るクルマでしたが、その当時は、家の者も、当たり前のようにクラッチ操作をしていましたけれども、平成・令和に入り、この辺りの操作は、楊田家全員、相当、疎(うと)くなっています。
このクルマに関して2番目に残っている鮮明な記憶は、家の者の数日の出張の際、今では禁止行為かもしれませんけれども、後部座席の足元にビニルでできた直方体の空気椅子を3ブロック敷き詰めて、1.5畳相当の床面を作り、仕事で使う機材を何とか載せることができ、家の者共総出で見送ったことです。
今では、考えられないことですけれども、わが国では、一般道での後席シートベルト着用が義務付けられていない時代は、2007年まで存在していたのです。
<出典>ウィキペディア「シートベルト」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88
<ホンダワンダーシビックシャトル55J>
ある日、ランサーEXでドライブの最中、家の者が
「そろそろ、クルマ買おうと思うとんじゃ」と云うものですから、
”どんなクルマになるん?”と尋ねましたところ、
「前に走っとるクルマなんじゃけど、それよりも背が高いんよ。」と返ってきました。
あの車を初めてみた風景は、忘れられません。
ワンダーシビック3ドアのリアスタイルを、初めて凝視した日のことです。
数日後、楊田家に、次期候補車両のカタログが届きました。
正直なところ、リアスタイル、特に、リアコンビランプは、3ドアの方が先進的で気に入っていました。この部分だけ、すこうし残念。
(この部分、クレームが多かったのでしょう。次期もでるとなる「グランドシビック」シリーズのシャトルのリアスタイルは、ワンダー3ドアのリアコンビランプと似ていました。)
ですが、多彩なシートアレンジや、今までにない背高サイズに驚愕、一日千秋の想いで、
初代シビックシャトル
納車の日を待ち続けることとなります。
ある年の冬、その日はとうとう、遣ってきました。
クルマ2台で楊田家に遣ってこられ、そのうちの1台が、楊田家に文字通り「納車」されるクルマとして引き渡されたのです。
このクルマも、8年程度、使用し続けました。
楊田家は、このクルマと共に、昭和の時代を走り切り、このクルマと共に、平成年間に突入したのです。
(キリがよいので、次回に廻します。旅行記を綴るつもりが、とんでもない方向に話が飛んでおります。)
(とんでもない方向に話が飛んでいる継いでですので、アイミーヴに至るまでの「愛車遍歴」を綴ることと決めました。)
(次回も、お楽しみに。)
エコノミライ研究所
所長 楊田芳樹
このシリーズ
【新シリーズ】20190428Gミーヴで東京往復_01平成最後のEVロングドライブへ 2020-10-24 07:00:00
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【新シリーズ】e-NV200「えこの弐」号で関東出張_00移動をした前提(2020.5.16)
<おまけ>
youtuber楊田芳樹プロデュースによる、充電の模様の動画も再度、紹介します。
ご覧下さると、嬉しいです。
<おまけ2>
西日本三菱自動車販売株式会社様のご協力のもと、新型ekスペース試乗の模様を紹介する動画も公開することができました。
こちらについては、また、「三菱自動車」シリーズで記事に致しました。
<おまけ3>
岡山日産株式会社様のご厚意により、新型ルークス試乗の模様を紹介する動画も公開することができました。
こちらにつきましても、「日産自動車」シリーズで記事に致しました。
<関連シリーズ>
<蛇足「えこの弐」とは>
エコノミライ研究所のブログを最初からお読み下さっている方々には、説明不要かもしれませんけれども
過去記事がありますので、リンクを貼っておきます。
ご参考になれば幸いです。
HハンドルNネーム、e-NV200について(2017-09-09)
<蛇足「Gミーヴ」とは>
エコノミライ研究所所長楊田が所有する2011年11月マイナーモデルチェンジタイプの三菱i-MiEVのGグレードのことを言います。楊田はこのクルマを2012年11月に購入選択権付きリースにて導入し、5年後の2017年10月末に残価を支払い、完全所有の形で2020年10月現在も所有し続けています。
我がGミーヴについて(2017.7.10)