掲題の新書での内藤さんと三牧さんの対談はガザ危機に関してかなり掘り下げた議論をしていて,是非とも多くの人に読んでほしいと思った。というのも,ガザ危機の本質というか,パレスチナ・イスラエル問題がどうしてここまで拗れて,解決の糸口さえ見えない状況になってしまっているのか,その根源が語られているからである。また,その根源というのは,どうして日本人がパレスチナ問題を自分ごととして関心を持てないかも明らかにしてくれる。
当然のことながら,問題の一番の根っこにあるのは宗教である。しかも一神教だから,日本人には理解しにくい。だが,それを理解しないことにはパレスチナ問題の根源に触れられない。すなわち,パレスチナ問題を真に理解する前提として,キリスト教をこそ理解しなければならないのである。中世以降に形作られてきたキリスト教ヨーロッパがどんな世界だったのか,その偽善性,たちの悪さ,暴力性を,私たちは直視する必要がある。それが現在のパレスチナ・イスラエル問題につながっているのである。
内藤さんは,キリスト教西洋のたちの悪さについて,次のように指摘する。
一つは,自分たちの「神の子」イエスを十字架につけたユダヤ人への憎悪をぶつけ続けたこと。もう一つは,後に世俗主義という近代イデオロギーを生み出してから,あらゆる宗教と信仰者を軽侮するようになったことです。
(『自壊する欧米』集英社新書p.124)
一つ目はユダヤ教徒であるユダヤ人に対する憎悪・蔑視,つまりユダヤ人は排除しても構わないという反ユダヤ主義のことである。それは中世の時代からキリスト教西洋にはあって,今もある。近代以降になると,人種主義という偽科学を使ってユダヤ人を劣等人種という風にとらえ,厳しく差別し排除してきた。
こうしたキリスト教という宗教的アイデンティティが,ユダヤ教だけでなく,他の異なる宗教や他者との共存にとって大きな妨げとなって,二つ目の「あらゆる宗教と信仰者」を軽侮するという態度につながるわけである。「お前は何者だ!」と相手の宗教や民族などのアイデンティティにこだわり,他者に干渉してやまないのがキリスト教ヨーロッパ社会の特徴だ。中世以来,ヨーロッパ社会はキリスト教という宗教的アイデンティティを掲げて戦争を起こし,そこで勝利し強者として君臨しようとした。なかでもユダヤ人は,そういうキリスト教ヨーロッパに散々傷めつけられ殺戮され続けてきたわけである。
…イスラエルを建国したユダヤ人の側に,シオニズムに基づく恐ろしい自衛意識を植えつけたのは間違いなく近代ヨーロッパであり,遡れば中世以来のキリスト教ヨーロッパであったということです。
(同書p.123)
その意味では,トルコのエルドアン大統領がドイツのショルツ首相に言った言葉が断然真実を語っている。
「反ユダヤ主義というのは,ヨーロッパのあなたたちの問題だ」
「イスラム世界は逆に,反ユダヤ主義なんて持っていない。つまり我々は過去に負い目を負っていないのだ」
(同書p.156)
そうした反ユダヤ主義とか反ユダヤ感情は,イスラムの側には元々ない。エルドアンが言うように,イスラム教徒はユダヤ人に対して何ら負い目を持っていない。「ユダヤ人だから抹殺してしまえ」という感覚・発想は,どう見てもヨーロッパのものにほかならない。
にもかかわらず,西洋諸国はイスラム教徒の反イスラエル・反シオニズム感情を「反ユダヤ主義」にすり替えて,反イスラム感情,イスラモフォビアを煽る。パレスチナ問題にしても,ユダヤ教とイスラム教の根源的な対立という虚構を作り上げ,ユダヤ人側を支持することによって,自らの「反ユダヤ主義」は克服したことにする。
「イスラムだから反ユダヤ」ではありません。あれだけ歴史を重んじてきたヨーロッパ社会が,イスラエル建国とその後の歴史を全部見ないことにして,本質論のように,イスラム教だからユダヤ教は嫌いなんだと決めつけるのは非論理的かつ非歴史的です。
(同書p.122)
こうやってドイツやイギリスなどのヨーロッパ諸国は「反ユダヤ主義」を今やイスラム教徒に固有のものとしてすり替え,「反イスラム主義」を煽って親パレスチナの動きを封じ込めようとしているわけである。本当にヨーロッパというのは,まったく進歩していないなと思う。つまり「反ユダヤ主義」を全く克服できていないし,それどころか,それを「反イスラム主義」という形で反復している。
トルコのEU加盟問題にしても,イスラム主義者のエルドアンが大統領になると,EU側は「トルコはイスラムだから嫌だ」「イスラムはヨーロッパではない」という反イスラム的な声が噴き出して,トルコのEU加盟は暗礁に乗り上げた。トルコ国内ではEUは「キリスト教クラブ」と受け取られれているのだという。キリスト教クラブとは言い得て妙だなと思った。そういう同好会組織みたいなものだから,仲間意識が強く,そのぶん異質な他者への排除の力も強く働く。トルコのようなイスラムの国はEUには絶対入れないぞ,となる。
だから,ヨーロッパにおいて「反ユダヤ主義」は全然克服できていないのだ。21世紀初頭の今日にはそれを「反イスラム主義」として変奏し,同じジェノサイドを繰り返しているわけで,宗教的憎悪,レイシズムという本質は何ら変わっていない。
そういう「反ユダヤ主義」=「反イスラム主義」というヨーロッパのレイシズムが,ガザ・ジェノサイドの根底にあることを本書の対談は教えてくれる。すなわち,キリスト教ヨーロッパの「反ユダヤ主義」がユダヤ人をヨーロッパからパレスチナに追いやり,そこでは「反ユダヤ主義」は「反イスラム主義」に姿を変えてユダヤ人によるイスラム教徒虐殺を容認・黙殺し続ける。
イスラエルやアメリカが悪いと言っているだけではダメだということがわかる。キリスト教ヨーロッパの「反ユダヤ主義」こそ真に乗り越えなければならない思想的課題なのだ。反ユダヤ主義とは,ユダヤ人に対する憎悪だけでなく,今日のようにイスラム教徒への差別にもなるし,冒頭の引用文にあるように「あらゆる宗教と信仰者を軽侮する」レイシズムに変換可能なのである。
パレスチナのみならず,シリアやレバノン,トルコなどで民族間の憎悪の種を蒔いたのはイギリスとフランスである。レイシズムを中東やアジアに持ち込み,紛争や内戦,戦争の遠因を作っておきながら,自分たちヨーロッパ諸国は民主主義や人権,自由といった普遍的な価値を教えてやったじゃないかと偉そうな顔をする。けれども民族間,宗教間で殺し合いをさせておいて,人権も民主主義もあったもんじゃないだろう。内藤さんも言うように,
「最低限,殺すな」(本書p.162)
という大前提をお互いが了解しないことには,人権とか民主主義など語っても意味がない。イスラエルのガザ虐殺を黙認しておいて,人権だの人道だのと,どの口が言っているんだという話になる。
そういうヨーロッパやアメリカの欺瞞に対する批判と怒りが本書には貫いている。欧米のダブルスタンダードを許さないという強い意志も本書からは伝わってくる。本書の視点やメッセージを皆で共有し,即時停戦への圧力につなげたいと思う…
ガザの子供たちへのポリオワクチンの接種が始まった。これを機に,戦闘の一時休止ではなく,恒久停戦を求めます!