前回は渡辺努さんの『世界インフレの謎』を取り上げて批評したが,引き続き経済学者の本を読んで,喫緊の問題であるインフレについて考えている。渡辺さんの本が《物価は人々の気分次第だから政府・中央銀行が物価目標を設定して人々をマインドコントロールしてしまえばいいんだ》みたいなカルト的な内容だったので,掲題の野口悠紀雄さんの本は相対的に良い印象を持った。野口さんは,渡辺さんのように人々の暮らしや実感から遊離した無責任な議論を展開するのではなく,ちゃんと地に足をつけた議論をしているように感じた。つまり「インフレ期待」とか「デフレ・マインド」といった得体の知れないものを根拠に経済を語るのではなく,経済の実態を示すデータに基づいて経済政策の効果や誤りをできる限り客観的に評価している。やたら難しい数式や学説を持ってきて読者を一定の方向へ誘導・洗脳しようとする悪質な経済学者が多い中で,野口さんの議論態度は経済学者として誠実で公正なものだと思った。
何より,アベノミクス「第一の矢」として黒田日銀総裁(当時)が進めた大規模な金融緩和を正面切って批判しているところが良い。ご存知の通り,安倍首相から日銀総裁に起用された黒田氏は,デフレ不況を終わらせるために物価を2%上げるという目標を2年で実現すると約束(インフレターゲッティング)。国債の大量購入のほか,マイナス金利の導入や長期金利を0%に抑えるイールドカーブ・コントロール(YCC)なども実施した。それでも2%目標は達成できず,デフレを克服することはできなかった。それどころか人々の暮らしは一層苦しくなり,経済格差は拡大した。
野口さんは,このような異次元緩和の本当の目的が,実は物価上昇ではなくて,「低金利と円安」であったと喝破する。これは図星で,異次元緩和に対する批判として実に真っ当なものだ。
私は,異次元緩和が本当に行なおうとしていたのは,以下のようなことだったのではないかと考えている。
1.国債の大量購入によって金利を引き下げる
2.金利引き下げによって,財政資金の調達を容易にする。さらに,外国との金利差を拡大し,円安を実現する
3.円安によって大企業の利益を増大させる
4.それによって株価を引き上げる
(野口悠紀雄『日銀の責任』PHP新書p.113~p.114)
野口さんはこの円安が物価高騰を加速させ,さらに実質賃金を下落させたとして,円安批判を展開する。大事なのは,野口さんが消費者や労働者の立場に立って物価やインフレの問題を考えているという点だ。ここが渡辺さんとの本質的な違いである。野口さんはインフレの影響を消費税になぞらえて,次のように言っている。野口さんの説明は歯切れがよく,素人にもわかりやすい。
物価が2%上昇するのは,消費税を2%上げるのと同じことだ。そして,その税収を大企業に補助金として配っているのと同じことだ。
(同書p.56)
インフレは消費者にとっては消費税を課されているのと同じだ。だから「インフレ税」とも呼ばれる。そして,原価の高騰を製品価格に転嫁できない零細企業もインフレの犠牲になる。
インフレ税は,最も過酷な税だとされている。それは,所得の低い人々に対しても負担を課すからだ。
(同書p.57)
結局のところ,物価高騰の犠牲者は,消費者と零細企業ということになる。消費者は,消費財の価格が上昇することにより負担を負っている。製造業の零細企業は,原材料費の値上がりを発注者への販売価格に反映させることができないために,負担を負っている。
(同書p.76)
インフレは所得の低い人々や下請けの零細企業に対して特に重くのしかかってくるから,最も過酷な税=「インフレ税」というわけである。このような深刻な影響をもたらすインフレに対処するために,政府はガソリン代や電気・ガス料金を補助する物価対策を実施したが,問題の根源である円安に対処しなければ何の意味もない,と野口さんは痛烈に批判する。
野口さんは,円安の進行を止めるために金融緩和政策をやめることを本書で一貫して主張している。日銀が金融緩和によって物価高騰の大きな要因である円安を放置しながら,一方で政府が物価対策を行うというのは,アクセルとブレーキを同時に踏むようなもので,まったく矛盾していると言うのだ。
また,円安→物価上昇がもたらす影響として実質賃金の低下についても,野口さんは深刻に受け止め,その改善を訴える。だが同時に,実質賃金低下の問題に本気で取り組もうという政治的な動きが日本に見られないことに不満を漏らしている。最近の経済学者には強い政治的主張を避ける人が多い中で,これは貴重な意見だと思った。経済政策とは政治なのだ。
日本には,企業(とりわけ大企業)の立場からの経済政策を求める政治勢力は存在するが,労働者の立場からの経済政策を求める政治勢力は存在しない。
(中略)
日本の労働者は見捨てられている。実質賃金の水準を維持するというごくささやかな願いですら,顧みられることがない。
(同書p.58~p.59)
「労働者の立場からの経済政策」が求められているとする野口さんの意見に私は深く共感する。それは何より第一に実質賃金の引き上げである。そのためにも金融緩和を見直して円安の進行を止め,物価高騰を緩和することが必要だ,というのが野口さんの主張である。
その点に関して興味深く思ったのは,野口さんが2%物価目標を取り下げることを提案すると同時に,どうしても数値目標を設けたいなら,「実質賃金の上昇率」を目標とすべきだと主張していることである。この主張には魂消た。
…何年経っても,金融政策では,物価上昇を実現できないことが分かった。
(中略)
より重要なことは,2%の物価上昇目的が外形的には達成されたにもかかわらず,それによって日本人が豊かになったわけではないことだ。物価が上昇する半面で賃金が上昇しないために,人々の暮らしは困窮することになった。つまり,物価は適切な目標ではないことが分かった。
もし数値目標が必要なのであれば,実質賃金の上昇率を目標とすべきだろう。
ただし,これは日銀の政策だけで達成できるものではない。政府も賃金を自由に操作できるわけではない。賃金上昇率を決めるのは,企業の生産性(一人当たり付加価値)の動向であり,それを決めるのは技術進歩とビジネスモデルだ。したがって,賃金を目標とするにしても,努力目標として抽象的なものにせざるをえない。
(同書p.281~p.282)
まあ,現実問題として,日銀が実質賃金の上昇率を目標として設定することはあり得ないとしても,物価目標を設けるという政策(インフレターゲッティング)はやめるべきだというのは現実的な主張で,直ちにやめるべきだと思う。
そもそも物価上昇が経済全体にとって本当に好ましいことなのか,根本的に考え直す時期に来ていると私は思っている。特に生活の苦しい消費者や労働者にとって,2%の物価上昇という状況がどれだけ生活を圧迫するものなのか,金融当局者や政府にはよく考えてもらいたい。「デフレ・マインド」の一言で片づけられる問題ではない。インフレとは,生活が成り立つかどうか,生きるか死ぬかの瀬戸際の問題なのだ。
…物価が上昇しても賃金は上がらない。賃金を日本銀行が動かすことはできないという当然のことが,確認された。また,政府も賃金を動かせないことが分かった。つまり,物価上昇は,働く者の立場から見れば望ましくないものであることが明らかになった。
(同書p.283)
物価上昇は絶対的に好ましいという昨今のメディアで垂れ流される言説は,鵜呑みにしてはいけないと思う。どんな物価上昇でもその国の経済にとって好ましいわけではないからだ。需要が拡大し,賃金が上昇することによって生じるマイルドな物価上昇(ディマンドプル型のインフレ)は好ましいタイプのインフレであろう。だが,アベノミクスのような金融主導型やコストプッシュ型のインフレは,下層労働者や零細企業など社会的弱者にとって全く好ましいものではない。だから,物価さえ上がれば良いというリフレ派の考えに基づいて物価を金融政策の目標に置くことは極めて非合理で不適切な政策だ。野口さんが「実質賃金の上昇率を目標にせよ」と言いたくなる気持ちはよくわかる。
渡辺さんが説くような,《人々の期待や予想が変われば物価も上昇する》というインフレ理論は,物価さえ上がれば景気は上向くだろうという安易な前提に立っている。このような言説は,インフレによる人々の生活の痛みや苦しみを全く直視していない。だから全く信用が置けないものである。それと比べれば,野口さんの本書は消費者や労働者の置かれた状況をよく見て,金融政策の誤りを指摘すると同時にあるべき金融政策を模索していて,大変好感が持てた。だが一方で,財政政策をあまり評価していない点には不満が残る。
金融緩和に景気拡大効果がほとんど見込めないなかでは,財政政策の役割が重要となるだろう。だが,財政健全化を主張する野口さんは,財政政策に積極的な意味を認めない。上で述べてきたように,野口さんは日銀による異次元緩和に対する容赦ない批判者であった。その日銀批判の文脈で野口さんは,日銀が異次元緩和を通じて財政放漫化にも加担してきたと断じるわけである。だから異次元緩和をやめると同時に,放漫財政も終わりにしなければならないと言う。野口さんの論理では異次元緩和と財政拡大はセットとして捉えられている。
2013年から大量の国債を市中から購入し,長期金利を押し下げた。さらに,2016年からはYCCによって,長期金利を直接に抑制した。
これらによって,国債による財政資金の調達コストが低下した。こうして,必要性の疑わしい財政支出が増加しやすい環境が作られた。それは,安易な人気取り的財政支出が増加することに寄与したと考えられる。
(同書p.301)
だが金融政策と財政政策は切り分けて考える必要があるだろう。すなわち,インフレを抑制するためには金融政策をメインにして金融を引き締め,景気のリカバリーのためには財政政策をメインに財政支出拡大の方向で対応するというのが,経済政策(ポリシーミックス)の基本である。現在の日本では,「失われた30年」と言われる長期停滞と物価高を克服して景気回復を図るために,財政を積極的に活用する必要があると思う。
今後の財政政策では,需要を刺激して景気を回復させようという伝統的なケインズ政策だけでなく,AI・デジタル化や気候変動対策などで国内投資を促進するために供給サイドに働きかける財政政策も必要である。つまり供給サイドの構造を変えるには政府による財政支援がどうしても必要であり,その意味で政府による産業政策が求められているのである。
そうした財政政策や産業政策に,野口さんの言う「労働者の立場からの経済政策」という視点を積極的に取り入れてほしいと思うのである。つまりDXにしてもGXにしても,働く人たちの能力や適性を生かせる供給・産業構造に作り変えていく。労働者に対する積極的な投資(人的投資)を行う新興企業やスタートアップ企業を育て,労働者の立場から働きやすい企業や産業を作っていくためにも,財政政策によって国内投資を促進していく必要がある。とにかく,これからは需要喚起策としてだけでなく,産業政策や労働政策としても財政政策を積極的に活用していくべき時代だろう。
労働組合は賃金引き上げなどの労働条件の改善を経営側に要求する圧力団体として活動してきたが,これからはもっと広く経済政策や財政政策,産業政策を立案・要求する力も求められるのではないか――
財務省を占拠せよ!
財政政策を労働者の手に!
経済政策にデモクラシーを!
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〔追記(重要)〕
3月11日,狭山事件の石川さんが亡くなりました。何度かお会いしたことがあります。無罪判決の日まで何とか生きていてほしかったと思うと残念でなりませんが,本人が一番無念かもしれません。同時に,今は「お疲れさまでした」と言いたい気持ちもあります。
学生の頃,野間宏の『狭山裁判』(岩波新書)や『世界』連載記事を読んで狭山事件を知り,「こんなことがあっていいのか」と,まだ若い私があのとき受けた衝撃は今も憶えている。それ以来,私の心の中にはいつも狭山事件があった。野間さんの『狭山裁判』上・下を常に本棚に並べていて,狭山事件のことは決して忘れないように生きてきた。野間さんが本の中で「石川青年」と呼んでいたのが懐かしく思い出される。野間さんの遺志を受け継ぐつもりで,石川さんが無罪判決を勝ち取るまでは差別からの解放はないとの確信のもとに,自分なりに闘ってきたつもりだった。これからも狭山差別事件を闘い続けていく…
1963年”狭山事件”で
— アジアンドキュメンタリーズ (@asiandocs_tokyo) November 25, 2023
自白の強要や証拠のねつ造によって犯人とされ
現在も無実を訴え続けている石川一雄さん
殺人犯にされて半世紀
日々を"凛"として生き抜く夫婦の物語。
ドキュメンタリー映画
「SAYAMA 見えない手錠をはずすまで」配信中!https://t.co/KhdQ80CRGS pic.twitter.com/5Hp52GEyJ8