トランプ米大統領が打ち出した関税政策に世界が揺れている。日本は24%の相互関税と自動車への25%の追加関税が課せられるということだが,これが実際に行われれば,自動車産業をはじめ日本の産業・経済は大きな打撃を被るだろう。トランプ関税が景気後退へのトリガーになると指摘する声も少なくない。こういう関税引き上げは,世界経済に混乱にもたらすと同時に当然,米国自身にもブーメランのように跳ね返って米国経済にも打撃を与えるだろう。すなわち,まずは輸入品価格の上昇によるインフレが個人消費を直撃し,そのインフレを抑えるためにFRBが利上げに踏み切れば景気が悪化し,雇用が失われる。また,サプライチェーンの混乱も必至だろう。政治リスクの高まった米国からの企業離れ,生産拠点の米国以外への移転が進んで,長期的には米国メーカーの衰退をもたらす。さらには各国が報復関税で米国に対抗することで,関税合戦が世界貿易戦争へと発展する懸念も拭えない。貿易戦争に勝者はなく,世界は大不況に陥るリスクが高まる。
こう考えてくると,保護関税というのは長期的に見て米国自身にも世界経済にも何のメリットもないわけである。それなのに,どうしてトランプはこうした馬鹿げた保護関税にこだわり,それを無理やり実施しようとするのか。何がトランプをタリフ・マン(関税男)にしたのか。―――
こうしたトランプ関税の背後にあるものを見定めるには,やはりグローバリズムの観点を入れなければならないだろう。すなわち1970年代後半から進展した,いわゆるグローバリズムへの反動がついにトランプという「関税モンスター」を生み出した,と仮説的に言えないだろうか。そこでグローバリズムについてもう少し深く考えてみる必要がある。その際に掲題の佐伯啓思さんの本は一本の補助線を与えてくれる。すなわち補助線とは,タイトルからもわかるように,ケインズの経済学的考察である。
本書は実は1999年に出たものだが,その後のITバブルとその崩壊,リーマン・ショックなどを予告するかのように,グローバル経済の不安定性や危うさといったものに警鐘を鳴らしていて,驚かされる。本書の趣旨は,ケインズを読み直しながら現代のグローバリズムの動きを批判的にとらえようというものだが,それが実にうまく論理的に書かれていて,説得力ある内容だった。ケインズというフィルターを通すことでグローバリズムの本質的な問題がくっきりと見えてくるのである。佐伯さんは,日本の保守派を代表する論客の一人であるが,私が読んだ佐伯さんの著作の中では本書が一番充実していて,教えられることも多かった。おそらく彼の一番脂ののった時期の著作であろう。
さて,70年代には変動相場制への移行による為替市場への大量の投機資金の流入,オイルショックによるオイルダラーの発生,80年代には金融自由化の進展などがあり,90年代にかけて金融を中心にした資本の国境を越えた動きが活発になった。こうした国際資本は一国の金融当局によってはコントロールできず,しかも実体経済からは相対的に独立して,独自の世界を作り出す。
一国の生産や雇用は,グローバルな市場を瞬くまに移動する金融によって攪乱されるであろう。ここにナショナル・エコノミーとグローバル・エコノミーの齟齬,金融的利益と産業(生産)の利益との齟齬が生じる。さらにグローバルな金融市場そのものも安定するとは限らない。このことは,いいかえれば,グローバリズムの進展とともに市場経済は不安定要素を増大させ,人々の生活はいっそうの不確実性にさらされるようになる。
(佐伯啓思『ケインズの予言 幻想のグローバル資本主義(下)』PHP新書p.194)
佐伯さんは,こうした金融のグローバリズムはケインズの一国主義的立場とは相容れないと指摘する。すなわちケインズにとって経済の主要問題は,金融のグローバルな展開に対抗してナショナル・エコノミーの基盤をいかに確かなものにするか,という点にあったとして,ケインズを「国民経済主義者(エコノミック・ナショナリスト)」と位置づける。国家によるマクロ経済運営というケインズ主義は,不況・失業対策というよりは,グローバル資本主義から国内の経済や国民生活を守るための方策であったというわけである。
端的にいえば,ケインズは,人々の生を無国籍的な金融に委ねるのではなく,一国の生産と安定した生活のもとに基礎づけようとした,といってよいだろう。もはや大規模な土地所有も,確かで永続的な財産ももたない大衆化した現代社会では,政府が責任をもって人々の生活の基本条件(雇用,賃金,住居,環境など)を確保しなければならない。これがケインズの考え方だったといってよいだろう。金融は確かに一部の投資家にとっては大きな金儲けの機会を与えるが,大部分の「普通の」人々にとっては,決して生の「確かな基礎」を提供しはしない。むしろ,産業の確実な進展,それによるナショナル・エコノミーの安定,その方が生の「確実な条件」を提供するだろう。
・・・グローバリズムの中でこそ公共政策が必要だというケインズの基本的な発想はいまでも有効である。いやいまこそ生かされるべきではないか。
(同書p.199~p.200)
このように反グローバリズムの先駆的な思想家としてケインズを位置づける佐伯さんの評価に私も基本的には賛同する。だが同時に,あまりにもケインズのナショナリストの側面を強調しすぎていないかという疑念も残った。確かにケインズが謳う政府による有効需要管理政策は一国経済(ナショナル・エコノミー)を想定したものであったが,いわゆる不寛容な経済ナショナリズムや国家主義からは彼自身,距離を置き,その危険性を十分認識していたように思う。私は,本書での佐伯さんのグローバリズム批判がその危険な罠に陥っているのではないかと懸念するのである。
むしろここで重要なことは,ケインズが,経済の安定を国家の手に委ねるべきだとした点である。銀行の取り付け騒ぎに対しては中央銀行が「最後の貸手」だとすれば,経済の恐慌的な事態においては,国家こそが「最後の責任者」なのである。「確かな雇用」を奪われつつある「普通の人」にとっては,土地でもなく,地域コミュニティでもなく,家柄でもなく,教会でもないとすれば,国家だけが頼りであろう。
(同書p.105)
佐伯さんの本書ではグローバリズムへの批判があまりにも強く押し出されたがゆえに,国家への依存や信頼といったナショナルな面が無条件に肯定されている。だが,グローバリズムの不安定性を克服するためには,もっと国際機関や地域連合の役割を重視してもよいのではないかと思うし,ピケティが提案するようなグローバル資本への累進課税といった国際的な規制も考えてよいだろう。私はグローバリズムの不安定性を緩和するために,グローバルなケインズ主義が検討されるべきだと考える。
佐伯さんが説く,ケインズを媒介にしたグローバリズム批判は核心を突いていたと思うが,その出口論があまりに内向きなケインズ論になっていて納得できなかった。そこには危険なナショナリズムの臭いがする。その意味で,トランプが唱えるような自国第一主義というのは,ケインズ主義が生み落とした鬼子ともいえる。各国で国家依存が強まり自国第一主義が台頭すれば,世界は再び対立と分断の時代を迎えるであろう。トランプ関税は,まさにその時代の到来を予告している…
☆トランプ関税を市民の力で葬ろう!
☆今こそグローバルなケインズ主義を!
☆ケインズ的財政政策を労働者の手に!
全米50州で反トランプの大規模デモ、関税や政府縮小に抗議 欧州でも https://t.co/Q2ugfEHGdZ https://t.co/Q2ugfEHGdZ
— ロイター (@ReutersJapan) April 6, 2025