山崎豊子『大地の子』から見えてくるもの~贖罪~ | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…

 日本製鉄(以下,日鉄)が半世紀に及ぶ宝山鋼鉄との中国合弁事業から撤退するとのニュースが飛び込んできたのは昨年の夏。すでに日鉄は一昨年末,かつて米国の鉄鋼産業を象徴するような存在だったUSスチールに2兆円規模の大型買収を仕掛けていた。このUSスチール買収計画は大統領選とも絡んで政治問題化し,今月7日の日米首脳会談でも議題に上るだろうが,困難を極めている。日本国内での鋼材需要が低迷する中で,日鉄が海外での成長を期するなら中国か米国だ。米中分断が深まるなかで両方を取ることは現実的ではない。そこで日鉄は,半世紀にわたって足場を築いてきた中国という巨大市場を捨て,買収に伴うリスクは承知で米国シフトを選択したわけである。

 

 約半世紀前,新日鉄(現・日鉄)が高炉技術を供与することで生まれた宝山鋼鉄。きっかけは1972年,田中角栄が電撃的に結んだ日中共同声明であった。この日中国交正常化を機に両国の友好を象徴するプロジェクトとして,日中協力による製鉄所建設が始まった。国交を結んだ直後に周恩来首相が新日鉄の稲山嘉寛社長と会談し,武漢製鉄所の近代化を要請。続いて鄧小平副総理が来日して千葉県の君津製鉄所を視察し,「これと同じ製鉄所が欲しい」と稲山氏に最新鋭の製鉄所建設を依頼した。

 

 新日鉄側は延べ1万人もの人員を動員し,1985年に宝山鋼鉄の中核をなす上海宝山製鉄所が完成した。愛憎交錯するなか,その後も新日鉄は中国に近代的鉄鋼産業を育てるにあたって常に陰から支え続けた。この日中の巨大プロジェクトを舞台に,中国残留孤児の半生を描いた小説が山崎豊子の『大地の子』である。

 

 私が今日,わざわざこの『大地の子』という小説を取り上げるのは,日中間の経済協力や技術協力の背後にある,日本側の倫理的な態度=エートスが本作品には描かれていたからである。すなわちそれは,

 中国への侵略戦争に対する深い反省や贖罪という態度

である。中国残留孤児を主人公とするこの小説の背骨に戦争があることは言うまでもないが,日中間の経済協力においても戦争の影響が色濃く影を落としていた。

 

 私が本作を読んでいてハッと胸を突き動かされたのは,東洋製鉄(新日鉄をモデルにした作中の会社)の幹部社員らが,製鉄所建設の立地調査で上海を訪れた時の一コマである。

 

柿田専務は,長江の岸辺の方へ足を運び,

「われわれの世代には,中国に何か償わねばならぬ気持がある。その時期が来たようだな」

と云うと,同行の三人も頷いたが,木更津工場の設備部長は,足もとの土を両手で摑み,ぐうっと握りしめ,

贖罪……」

瞑目するかのように,呟いた。

(山崎豊子『大地の子  中』文藝春秋p.98)

 

稲村会長(新日鉄の稲山社長をモデルにした人物)は,故周恩来総理と十数年に及ぶ交流があり,敗戦時,中国が日本に戦時賠償を要求しなかったことに負い目を感じている人であった。

(同書p.208)

 

 戦争責任や戦後賠償に後ろ向きな日本の政府や国家機関に対する中国人の不信感はなかなか払拭されなかったが,それと比較して日本の民間人に対する中国人のそれは,こうした経済協力や文化交流の中で多少なりとも解消されていったのではないか。つまり戦後,民間企業や文化交流を中心に日中の友好関係は深まっていった。本作で造形されているような登場人物は現実にも少なからずいたのではないかと思う。だからこそ日本側の経済協力・バックアップは紆余曲折がありながらも半世紀に及び,中国の近代化,産業発展に一定の貢献をした。国家が果たそうとしなかった戦争責任や賠償責任を,代わりに民間企業が技術支援や産業育成という形で中国側に支払ったと言ってもいいかもしれない。だからと言って,それで日本側の戦争責任や戦後賠償がすべて解消したと言いたいわけではない。今年の戦後80年で日本の中国侵略に対する真摯な反省と謝罪の言葉を述べた公式の政府見解は必要だと思うし,「強制連行」被害者や慰安婦など個人の賠償請求権問題も解決していない。

 

 『大地の子』に戻ると,そうした中国に対する贖罪意識や「負い目」が,新日鉄をはじめとする日本の産業界の人々のベースにはあったのではないかと,本作を読んでいて強く思ったわけである。そうした日本の人たちの心的な態度が中国産業の近代化を陰で支えていた,と言ったら言い過ぎだろうか。

 

 もちろんこの日中共同プロジェクトが首尾よく進んだわけではない。いつの時代も日中間で意見の対立やすれ違い,諍いがあり,中国共産党の内部抗争とも重なって厳しい神経戦が繰り広げられてきた。21世紀に入って,新日鉄が縮小路線に転じた一方で,宝山鋼鉄は自国の巨大市場を足場に世界一の鉄鋼メーカーへと成長し,いわば「師弟関係」にあった両者の立ち位置は大きく変わった。さらには日鉄が特許侵害で宝山側を提訴するなど対立を深め,昨年の合弁解消に至った。

 

 「時代の流れ」と言ってしまえばそれまでだが,そうした時代の流れの背後にあるものを読み取ることが歴史を見る上では大切であろう。こうした協力関係解消の背景には,日中の経済的な立ち位置が逆転するなかで,中国の産業側でもはや日本の支援を必要としなくなり,日本側でも中国に対する贖罪意識や責任意識が薄れていったという事情がある。それに加えて,日中間に次のような行動原理や価値観の根本的な相違があったのではないかと,本作を読んでいて思った。すなわち,企業の利益を求めて極力,経済合理的に働こうとする日本の企業人と,経済合理性からは一定の距離を置き,中国共産党と中国人民のために忠誠を尽くそうとする中国人との違いである。毛沢東が提唱・推進した「社会主義革命と社会主義建設」の過程で中国に近代的な合理的経済人が成長・確立してこなかったことが,21世紀に日中間で経済協力や技術協力が続かなかった最大の要因であったように思える。その意味では中国は未だ文化大革命という前近代のさ中にある。

 

 では,日米間の経済関係はどうか。ここ数年,国別の対米直接投資では日本が首位に立っている。経済合理性の観点から日本企業は中国より米国を優先してきているように見える。それは先に述べた日鉄の米国シフトの動きにも表れているだろう。ならば,どうしてUSスチール買収は上手く行かないのか――。

 

 日米の関係者全て、思考が「鉄は国家なり」になっていた

 

 

 USスチールは今ではラストベルトの代表格のような企業だが,先にも述べたようにかつてはアメリカ産業の繁栄を象徴するような鉄鋼メーカーであった。USを名前にも冠したそうした企業の所有権を他国,しかも後進で非西洋の日本に奪われたくないという気持ちの底には,米国人特有のナショナル(国家)プライドや米国例外主義が見え隠れする。それがトランプの掲げる自国第一主義によって顕在化した。経済合理的に冷静に考えれば,高い関税によって自国産業を保護し発展させようという保護主義的な政策は,貿易戦争を招くと同時に国内でインフレを加速させ,結果として米国の経済成長を阻害しGDPを押し下げることは明らかだ。そのような合理的な判断を,米国の非合理的なナショナルプライドや例外主義が妨げている。落ちぶれたUSスチールを再生させるには,党や国家のプライドよりも産業の近代化を優先した鄧小平のような政治指導者が必要なのかもしれないが,それは今のアメリカでは望むべくもない。

 

 自国第一主義による関税合戦は貿易戦争を招くと今,書いたが,貿易戦争だけでなく,実際に戦火を交える本物の戦争さえ引き起こすリスクがあることは過去の歴史が示している。小説『大地の子』全編に底流として流れているのは,戦争への怒りと平和への願いである。製鉄所建設によって中国の産業近代化が実現できたのも平和なればこそであった。そこには日本人の戦争責任や贖罪の意識があったと同時に,日本側が供与する工場設備や技術に対する中国側の信頼もあった。そのように倫理的で合理的な態度をもって信頼し合う対等な関係が,今の日米関係には築かれていないだろう。日本側から「対米従属」とも呼ばれる支配・被支配の関係の中では,むしろ経済摩擦や政治的対立につながるファクターの方が多いように思える。今,米国に求められているものは,ナショナルなプライドや自国第一主義などではなくて,原爆投下という過去の無差別大量殺戮に対する反省と贖罪の意識であろう…