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  • 11Sep
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      『割りに合う』 3年・牧野友哉

      こんにちは。スポーツ健康科学部3回生の牧野友哉です。最近感じたことを部員ブログに綴りたいと思います。私たちは、グラウンドへ行き、2,3時間サッカーをして、帰る。といった行動をほぼ毎日しています。日々2,3時間の練習のために時間をかけて通い、交通費や部費などお金もかけています。これはサッカーのために「犠牲」を払っていると言えると思います。ここで思うのは、この「犠牲」は割に合っているかどうかです。ただ練習してただ帰るだけでは割に合わず、無駄な「犠牲」を払ったことになりますが、有意義な2,3時間を過ごせれば割に合った「犠牲」を払ったことになります。有意義の価値観は、「楽しむ」「うまくなる」「貢献する」など、選手・スタッフ、人によって様々だと思いますが、自分の行動次第で有意義な時間を過ごせると思います。結局何が言いたいかというと、サッカーをするための時間やお金に対して、割に合った行動とれてる?って事です。当たり前の事ですが見失いがちなことではないでしょうか。皆さんも自分が犠牲にしているものに対して割に合った行動がとれてるか考えてみてください。最後まで読んで頂きありがとうございました。ONETAPを利用している学生に最適なスタンプがあるらしい…https://line.me/S/sticker/14488025/?lang=ja&utm_source=gnsh_stickerDetailhttps://line.me/S/sticker/15099703/?lang=ja&utm_source=gnsh_stickerDetail

  • 04Sep
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      『決意表明』 1年・國嶋康介

      「決意表明」 國嶋康介こんにちは。この度部員ブログを担当させていただくことになりました法学部1回生の國嶋康介です。拙い文章ではありますが、最後まで読んでいただけると幸いです。今回初めて部員ブログを書くということで、これからの4年間に対する決意表明をしたいと思います。僕の今までのサッカー人生で、苦しかったことといえば怪我が多かったことです。中学の頃は腰椎分離症に2回なり、合わせて1年ほどサッカーができませんでした。高校2年の頃には、足首あたりにある腓骨筋腱を両足脱臼して手術をしました。2週間入院したのですが、術後で足が痛くベッドから出られない状態が続き、退屈で苦痛な日々を過ごしました。そんな状況中、チームメイトはインターハイ本戦に向けて切磋琢磨していました。ベッドの上で無力な僕は、焦りと悔しさで涙が止まらなかったことを鮮明に覚えています。退院した後もインターハイ本戦には間に合わず、チームに帯同してのサポートと応援しかできませんでした。さらに追い討ちをかけるように僕の高校はインターハイで優勝しました。目の前で優勝する瞬間を見て、嬉しい気持ちももちろんありましたが、もし怪我をしていなければ少しでも試合のピッチ上で優勝に貢献できたかもしれない。そんな悔しい気持ちの方が正直に言えば確実に勝っていました。もうこんな悔しい気持ちにはなりたくないです。なので、怪我予防のためにお風呂上がりや練習前後のストレッチはもちろんのこと、練習に対して中途半端な気持ちで取り組むと危険な場面で回避できなかったり、逆に怪我をさせてしまうこともあると思うので、集中力を高めて取り組むと共に、向上心を持ってプレーしたいと思います。そして4年間大きな怪我なく過ごしたいと思います。最後にもう一つ。僕は今まで全国大会のピッチでプレーしたことがありません。小学生の頃は県大会決勝で敗れ、中学生の頃も予選で敗退し、高校1.2年は上記にもある通り全国に出た試合は全部ベンチ外、高校3年でも選手権の県大会決勝で負けました。僕は今のところこの4年間でサッカーに区切りをつけようと思っています。なので「終わりよければすべてよし」ということにして、この4年間で必ず1度は全国大会に出場し、ピッチ上で活躍したいと思います。口で言うことやこのように文章を綴ることは簡単なので、行動で示していけるように頑張ります。まとまりのない文章ですが最後まで読んでいただきありがとうございました。

  • 30Aug
    • 『アンテナ』 1年・本田良輔の画像

      『アンテナ』 1年・本田良輔

      こんにちは。今回部員ブログを担当させていただきます、経済学部1回生の本田良輔です。初めての部員ブログでまとまりのない文章だと思いますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。まず私のことを知らない人がほとんどだと思うので軽く自己紹介をしたいと思います。福岡出身で、美和台JSC→FCグローバル→東福岡高校と小中高サッカーばかりの人生を歩んできました。好きな食べ物は母が作るコロッケで、嫌いな食べ物は特にありません、、、自己紹介はこれくらいにしておいて本題に入ろうと思います。『アンテナを張れ』これは高校時代にお世話になったサッカー部のコーチがよく言っていた言葉です。「ん?アンテナを張る?どういうことだよ!」初めてこの言葉を言われたとき私はそう思いました。皆さんもそのように思われたのではないでしょうか。もちろん物理的にアンテナを張るというわけではありません。簡単に言うと「感じる」ということです。自分でさまざまな方向にアンテナを張り、色々な情報をキャッチし最善の行動をする。簡単そうに見えて実はとても難しいことです。練習前にコーチが何か言おうとしている、マネージャーさんが何かを探している、伝えようとしている、そんな光景をよく見ると思います。そこでアンテナを張り巡らせ、いま自分に何ができるか考えて行動することが大切だと思います。例えば、簡単なことですが「紅白戦をするからゴールを設置して」と言われたとき、ほとんどの人がゴールを運びに行きます。同志社ではあまり見ないですが、大人数で1つのゴールを運ぶということを経験した人も多いと思います。それが悪いことだとは思いませんが、コーンを置いたりグラウンド内の荷物をどかしたりと他にもやることはたくさんあります。「ゴールにこんな人数いらないな、他にできることはないか?」と考えられる人が1人でも多くいればそのチームは確実に強くなると思います。常にアンテナを張っておくと自ずと視野を広げ、周りを見るようになるのでプレー面にもいい影響が出ると思います。どこにポジションをとるべきか、どの選択をするべきか、最善の選択ができるようになるはずです。ここまで偉そうに語ってきましたが、私も常にアンテナを張ることはできていないと思います!もっと色々なところにアンテナを張り、いま何をすべきか常に考えることが自分の成長につながると信じています。ここまでこの文章を読んでくれた方々も日頃から少し「アンテナを張る」ことを意識して生活してみてください。普段見えてこなかったものが見えてくると思います!拙く生意気な文章だったと思いますが最後まで読んでくださりありがとうございました!

  • 25Aug
    • 『Sunfish』 3年・小山智仁の画像

      『Sunfish』 3年・小山智仁

      今回、ブログを担当します。小山智仁ことマンボウです。この書き方だと本名がマンボウになってしまいますが、私にとってマンボウというあだ名は本名と同じくらい大切なものなので良いでしょう。ブログの内容として、人に響く系、感謝系、後悔系、これまでの人生語る系など色々ありますが、今回はブログのサムネイル誘導系でいきたいと思います。サムネイルというかトプ画というか最初の画像で、この薄いブログを読ませるという作戦です。という事で、薄い内容としては、冒頭のあだ名についてです。私がマンボウというあだ名を授かったのは、小4の頃でした。小3から小4にかけて、チーム内で私が魚に似ていると言われ始めました。あだ名には何種類かあり、マンボウ、コブダイ、ブダイでした。(どのような魚か気になる方は検索してみてください!)そして、小4の時に県トレの監督にスタメン発表で「キーパーマンボウ」と言われた時が私のあだ名が確定した時でした。私は何も思わなかったですが、自分の息子がマンボウと言われることに対して普通に受け入れていた親は本当に凄いと思います。マンボウというあだ名お陰で、初対面の人の掴みとしては完璧なあだ名ですし、基本的にすぐに覚えてくれて、忘れる事もないです。デメリットとしては、あだ名が先行しすぎて、本名を知らなかったり忘れていたりすることです。このせいで、高校の時後輩が本名がマンボウだと思っていて、私を呼ぶ時に「マンさん」と呼んでしまい、顧問の先生に「先輩のことをあだ名で呼ぶな」と怒られていたのは本当に可哀想でした。また本名で呼ばれると性別関係なく、何故かドキッとしてしまうことぐらいでなので、非常に良いあだ名だと自分でも思います。マンボウは英語でSunfishと言います。なので太陽のように元気にチームを盛り上げる魚でいたいと思います。コロナ禍ですが同志社一丸となってリーグ戦勝ち続けましょう‼️

  • 19Aug
    • 『希少価値』 2年・塔本敦也の画像

      『希少価値』 2年・塔本敦也

      こんにちは。この度、部員ブログを担当させて頂くことになりました法学部法律学科2回生の塔本敦也です。
拙い文章ですが最後まで読んでいただけると幸いです。今回、何について書こうか悩みましたが、人の希少価値について考えたことを書きたいと思います。私の同期には全国大会に出場して活躍したり、合格率の低い資格を取得していたりなどと尊敬する人たちがたくさんいます。それに対して、私は大会で良い成績を残したり、何かアピールできるような資格を持っていたりしません。そんな時、私は人にアピールできる自分の価値とはなんだろうと考えることが多くなりました。このような事を考えていると、高校の時にある先生がした希少価値についての授業を思い出しました。それは、世の中にできる人が少ないことをできる人は希少価値が高く、社会はその人を高く評価するといった内容でした。分かりやすい評価で言うと時給です。その人の給料を時給で考えると、なれる人が少ない弁護士は時給が高く、誰でも替えが利くスーパーのレジ打ちは時給が低くなります。つまり、専門的知識があるという希少価値に払う報酬の一つとして高いお金を得ることができます。では、希少価値と評価されるのは経歴や学力だけでしょうか。このブログを書くにあたって改めて考えてみると、目に見えることだけの評価が希少価値ではないと思いました。私は小さな変化に気づけることや地道に努力を継続できることなども希少価値を高める要素ではないかと思います。そのような些細なことでも、小さな価値を積み重ねることで、その人の希少価値を高めることができます。その小さな価値の積み重ねに対する報酬として信頼や良い人間関係を得ることができると思います。大学生は、高校までに比べて自由に自分で選択する機会が増えました。つまり、自分にとって楽な道を選択することもできます。しかし、そのような環境に甘えるのではなく良いと思うことを習慣化し、もっと自分の希少価値を高めるために時間を使ってみようと思います。まとまりのない文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

  • 18Aug
    • 「大学でサッカーを始めた理由」 2年 清水美緒奈の画像

      「大学でサッカーを始めた理由」 2年 清水美緒奈

      こんにちは。今回部員ブログを担当させて頂くことになりました、文化情報学部2回生の清水美緒奈です。多くの方々に向けて文章を書くのはこれが初めてなので何を書こうか迷いましたが、なぜ大学からサッカーを始めたのかについて書きたいと思います。拙い文章ですが、最後までお付き合いいただければ幸いです。私は大学からサッカーを始めました。それまで、中学・高校ではテニス部に所属していました。そのため、「何で大学から体育会でサッカーを始めようと思ったのか?」サッカー部に入ってから今まで、周りの人からたくさん聞かれる機会がありました。理由は単純ですが、サッカーをしている女の子に憧れていたからです。小学生の頃、W杯でなでしこジャパンが優勝した試合を家族で見ていた時に、はじめて女子サッカーのことを知りました。どの選手も真剣にプレーしている姿がかっこいいなぁと思い、そこからどんどん女子サッカーが好きになりました。それ以降も、なでしこジャパンや全日本高校女子サッカーの試合はテレビで見ていたものの、「かっこいいなぁ」「やってみたいなぁ」と頭で思うだけで、本格的に始めようという考えは大学に入学するまで全くありませんでした。そして、大学に入学し、大学ではサッカーをしてみたいなぁと高校を卒業してから心のどこかで思っていたこともあり、初めは、サークルでサッカーをするか体育会でサッカーをするかの2択で迷っていました。しかし、インスタやTwitterで体育会サッカー部女子チームのことをたくさん見ていく中で、どんどん「やるなら本気でやりたいな」と思い始めました。最終的には新歓PVを見て心を打たれ、「大学ではサッカーに挑戦しよう!」と決意しました。現在は、周りの方々に支えられながら思いっきりサッカーをすることができています!難しいことや上手くいかないことももちろんたくさんありますが、何か一つでもできるようになった時の喜びはその分とても大きいです。まだまだできないことの方が多いですが、今後もっと活躍できるように努力して頑張りたいと思います。最後に、この同志社体育会サッカー部に入って本当によかったです!最後まで読んでいただきありがとうございました。

  • 11Aug
    • 『新たな挑戦』 2年・櫻井かりんの画像

      『新たな挑戦』 2年・櫻井かりん

       こんにちは!今回、部員ブログを担当させていただきます、女子チーム2回生の櫻井かりんです。今回は、私が大学でサッカーを始めた理由について書きたいと思います。 私は中学、高校時代は勉強に集中するために、部活動をしていませんでした。大学は、部活動をする最後のチャンスだと思い、「絶対に何かの部活に入りたい!」と考えていました。 たくさんある部活動の中で、サッカー部を選んだ理由は本当に単純で、ただサッカーがしたかったからです。小学生の頃に、友達に誘われて1度だけ、サッカースクールの体験に行ったことがあります。その体験が楽しくて、サッカーを習いたいと親にお願いをしましたが、兄弟の習い事との兼ね合いもあって、諦めました。 大学に入学し、サッカー部に女子チームがあることを知りました。私は3歳から高校までバレエを習ってきましたが、それ以外には特に何もしていませんでした。部活動にも、スポーツにも触れたことのない私が、サッカー部に選手として入部してやっていけるのか、という不安は大きかったですが、「ずっとやりたかったサッカーに挑戦できるのは今しかない!」と思い、入部を決意しました。 サッカー部に入部して、もうすぐ1年が経ちます。分からないことや、出来ないことが多く、たくさん迷惑をかけて、厳しく言われることもあります。悔しい思いをすることもありますが、励ましてくれて、分からないことや出来ないことは丁寧に教えてくださる先輩や同期に支えられて、少しずつ成長できていると感じています。 今は出来ないことだらけで、あと3年でどこまで出来るようになるかは分かりませんが、今はとにかくサッカーが楽しいです!不安もありますが、出来ないこと、サッカーから逃げたら絶対に後悔すると思うので、残りの3年間、必死に食らいついていきます! 拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

  • 03Aug
    • 『恵まれたサッカー人生』 2年・若林真美の画像

      『恵まれたサッカー人生』 2年・若林真美

      こんにちは。今回部員ブログを担当させていただきます、文化情報学部2回の若林真美です。私は小学1年生でサッカーを始め、かれこれ13年が経ちましたが、これまでサッカーを辞めるということをあまり考えたことがありませんでした。そんな中、大学生になってから体育会に入っていることに驚かれたり、サッカーをしていることに驚かれたりする機会が一気に多くなりました。確かに、高校で辞める人も多く、大学で体育会に入っている人、特に女子は少ないのかもしれません。私はあまり感じたことはありませんでしたが、これが普通でないとすれば、なぜ続けられているのか。振り返ってみると、やっぱり私は人に恵まれているなと思います。小学生の頃は男子チームでプレーする中で、対等に接してくれたチームメイト、コーチ。「女子」と言われることが嫌いだった当時の私にとっては、すごくありがたく、おかげで本気でサッカーに打ち込むことができたと、今振り返ると思います。そして、中学高校6年間。中高一貫の学校に進学したため、本当に濃かったです。6年間でいろいろなことを学び、経験しましたが、「サッカーを楽しんだ」ということは胸を張って言えます。授業が終わって、練習をするのが楽しみでしかたない毎日は、最高だったなと思います。これは、監督を筆頭に楽しい人たちが作るチームであり、誇れるチームメイトがいたからだと思います。そして、同志社大学でサッカーをしている今、これまでとは違った新たな環境でサッカーをしています。チーム全体でもそうですが、同期に特化して言うと、同期の女子プレーヤーは私を含めて4人。そのうち2人は大学からサッカーを始め、1人は小学生の頃に少しやっていた程度です。この新しいことにチャレンジする勇気は、そう簡単なものではないように思います。入部当初、同期がいなかった私にとって、大学というこれまで部活動に励んでいた人たちでも辞める選択をする人が多くなっていく環境の中で、未経験者にも関わらず勇気を持って入部してきてくれたことに感謝しかありません。私自身、これまでほとんどサッカーしかしてきておらず、正直何か新しいことにチャレンジしたことがありません。同期や女子チームはチャレンジしている人たちばかりで、自分にはないものを持っている人たちに囲まれ、毎日たくさんの刺激をもらっています。これまで私が伸び伸びとサッカーをしてこれたのも、13年目にして新たなサッカーとの向き合い方をして、たくさんの気づきを得られる環境にいられるのも、何よりサッカーを楽しめているのも、恵まれた環境だからこそだと思います。残り2年半の大学サッカーとなりましたが、感謝を忘れず、また経験者として、サッカー始めてよかった、この人が居てくれてよかったと思ってもらえるよう頑張りたいと思います。最後まで読んでいただきありがとうございました。

  • 26Jul
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      「のみのお話」2年・巽 健太

      こんにちは。 今回部員ブログを担当させて頂く法学部2回生の巽健太です。「サッカーに手紙を書いてみました。」  「普通ってなんやねん。」  「2年後にだんじゅうになる男」「アテンションプリーズ」幾多の名作を世に出している、同志社サッカー部部員ブログに、僭越ながら駄作ではありますが、決意表明を込めて、素直に思っていることを書かせて頂きます。法律のレポートは、字数足らずで手こずり、ブログは字数オーバーで頭を抱える。わたくし巽の冗長な文章をお届けします。シーン渾身の掴みは、無惨にも不発に終わり、夏の夜空に消えていきましたが、最後まで読んで頂けると有難く思います。私は、小学生の頃に所属していた横浜FCからジュニアユースに昇格することができず、東急SレイエスFCに入団させて頂きました。「ちょっと待ってレイエスってあの人もじゃん」「あいつだよあいつ。」「やぎあ....」おっと誰か来たようだ…。そう。彼です。女子部員からは目の保養男子部員からは目の敵(?)こと現3回生Y脇先輩です。今もそうですが、中学時代にも何度かお世話になった記憶があります。個性が強くて、優しい先輩です。ですが今は、Y脇くんは関係ありませんので一旦頭の端に置いときましょうか。いやY脇はこの際、頭の外に退場してもらいましょうか。思い切ってアイツの事忘れちゃいますか。(本人公認の弄りなので悪しからず…)本題に入るのでここからは真面目に。今回のブログでは、私が東急レイエスの監督にして頂いた「ノミの話」から話を膨らませていきたいと思います。今でも情景が思い出せるくらい、心に響いたお話です。唐突ですが皆さんノミの実験はご存知でしょうか。梶谷君のためだけに1から説明するとノミは2~2.5mmぐらいの砂粒ほどの小さな虫です。しかし、大きさに見合わず、ジャンプ力はおよそ2mと言われていて体長のおよそ1000倍の高さまでジャンプすることができます。そのノミを瓶に入れ蓋をして閉じ込めます。ノミは瓶から出ようと飛び跳ねますが、蓋を破壊するはずも無く、落ちていってしまいます。何度も瓶からから出ようと飛び跳ねますが、時間が経過するにつれてやがて跳ぶのをやめてしまいます。そしてノミを瓶から出すと、蓋があった高さまでしか跳ぶことができなくなってしまったのです。その後、ゾウの同じような話を教えて頂き現状に満足か?今に馴れていないか?良い意味での「違和感」を感じられるか?と言われてハッとしたのか、中学時代のノートに書き殴られていて、その下にこう続いていました。「上を目指す限り、人には蓋が存在する。」同志社大学サッカー部に所属する、選手や学生コーチ、トレーナー、マネージャーに試練や課題、問題という名の蓋は存在すると思います。蓋の名前がそれぞれ違い、強度や圧力 高さ 全て人それぞれです。それ故に、人と同じことをしていても蓋を壊すことは不可能で、臨機応変に必要な行動を取捨選択しながら向き合う必要があります。高みを目指していれば、時には落ち込み、蓋に対して目を背けてしまうことがあるかもしれませんが、人間はノミと違います。考えて修正し行動することができ、蓋を開けるチャンスを仲間に与えて協力することもできます。そのための仲間であり、そのためのチームです。現在私は、侑子さんをはじめとするトレーナーのおかげもあり、8ヶ月のリハビリから復帰しました。「一番下のカテゴリーから強度を上げていきたい」という、私の我儘を親切に聞いて頂き、Dチームで仲間と切磋琢磨しています。現在私にある蓋は、8ヶ月分以上のサッカー経験値を手に入れてコンデションを上げることです。この蓋を壊すことができても、終わりではなく、高みを目指す限り続きます。プロを目指すのを辞める理由は、出そうと思えばいくらでも出せる。・怪我したら辛いから。・プロになれなかった時苦労するから。・安定しないから。・自分より上手い人はいくらでもいるから。・就活に集中できなくなるから。・挫折が苦しいから。しかし、安易に夢に蓋をするつもりは微塵もないし、多くの指導者に教えられ、支えられた、私のサッカー人生に幕が閉じるのを指咥えて見ている訳にはいかない。1回生時に理想していた姿と現在の姿との間には、大きな差があり、追い付いて追い抜くには並大抵なことをしていても理想の姿には間に合わない。「追いついた」そう思った時には、既に自分に置いていかれる。私は、華麗な経歴や実力は無い。誰よりも愚直に向き合い成長して、残りの3年間に全てを委ねる。言葉足らずで拙い文章ではありましたが読んでいただきありがとうございました。〜参考文献〜  「激白 〜俺と菊池の熱い出会いについて〜 」 1241ページ 第7章 〜菊池が好きな飲み物〜 参照著 川口 ユウダイ「黄色の新幹線に乗ればドイツに行ける!」  著 梶谷 カイト  「國府田鬼教官の毎日格言カレンダー」

  • 21Jul
    • 『「なぜ」から始まる』 2年・國府田駿の画像

      『「なぜ」から始まる』 2年・國府田駿

      こんにちは。今回部員ブログを担当させていただきます、政策学部2回生の國府田駿です。最後まで読んでいただけると嬉しいです。今回は最近私が気付いた大事なことについて書こうと思います。先にかなり長い文章になってしまったことをお断りさせて頂きます。突然ですが、皆さんは自分が「なぜサッカー部に所属しているのか」と考えたことはありますか。サッカー部じゃなくてもいいです。「なぜ勉強をしているのか」「なぜ就活をしているのか」といった問いでも大丈夫です。突然こんな質問をしたらとても怪しい人みたいに思われるかもしれませんが、もう少しお付き合いください。今出したいくつかの問いは考えるのも面倒だし、ましてや口に出そうものなら当然変な奴だと思われるでしょう。しかし、実はこの何事にもなぜから追及することが大切であり、これこそが私が最近気づいた大事なことです。このような考え方を持つきっかけとなったのはある本との出会いです。その本ではある起業家の人生に焦点を当て、『幸せを追求する生き方』の重要性について書かれていました。この『幸せを追求する生き方』という考えに出会ってから私は「私にとっての幸せは何か」の問いから始まり「どんな人生を送りたいのか」「どんな人間でありたいのか」といった様々な自問自答をするようになりました。もちろんその過程で最初に挙げたいくつかの質問についても考えました。これまでいろんな問いを上げてきましたが、私が一番言いたいのは『何事にも目的を追求すること』です。何事にもと書いた通り、これはすべてに当てはまります。もちろん私達がするサッカーでも同じです。サッカーの目的は試合に勝つこと。もっと細かく言えば点を取ること。この目的を忘れてしまうと綺麗なポゼッションサッカーをすることだけを目指してしまったり、はたまた単調なパワーサッカー、カウンターサッカーを繰り返すだけになってしまいます。このような出来事はよく「手段が目的化する」などともいわれますがまさにその通りです。常に勝つこと、点を取ることといった目的を忘れていなければ、そこから最善の戦略が出てくるでしょう。それはポゼッションをするにしても隙あらばダイレクトプレーでゴールを目指す、またカウンターをするにしても成功率が低い状況ならキャンセルの選択をして一度やり直すといったプレーが出てくるということです。カウンターをキャンセルするのは一見ネガティブな判断かもしれませんが、個人的には無謀な状況で仕掛けてボールを失うくらいなら一旦やり直す方が点を取るために有効な選択だと感じます。ここら辺は人それぞれだと思います。まずは身近なサッカーを例に挙げましたが、これは人生においても同じです。つまり人生における目的を追求すること。自分がどのような価値観を大切にして生き、どのような人生を送りたいかが明確になっていると自然といろんなことが決まります。生きる目的が定まると自然とやりたいことが見えてきます。やりたいことが見えてくるとどんな仕事をしたいかが決まり、どんな仕事がしたいかが決まるとどの企業に応募するのか、どのゼミに入るのか、どの資格が必要なのかなどが明確になります。これは先程挙げたサッカーにおいて勝つことを最優先に考えることで最善の戦略を導き出そうとするのと何ら変わりません。これサイクルが完成すると日常におけるすべての行動が目的に合致したものとなります。また、人生の目的を設定することのメリットは日常においてするべきことが明確になり、人生を効率よく生きられることです。これをすることによって大学生にありがちななんとなく資格を取る、なんとなく給料の高い企業に応募する、なんとなくTOEICの勉強をする、といった行動が時間の浪費だと気づきます。私もつい最近まではそうでした。もちろん、全てを批判してるのではありません。個人的に表面的な充実感に浸って目的を持たずなんとなく何かに取り組むのが嫌いなだけです。ぜひ皆さんも自分の人生の目的について考えてみてはどうでしょうか。私の大事と思うことについて書きましたが、これもあくまで私の経験則からの導き出した答えでありまだまだ改善する点はたくさんあると思います。どうか温かい目で見ていただきたいです。ここまで読んでくださった方は私のことを真面目で面白くないやつだと思ってることでしょう。しかしながら、私も人間です。みんなと楽しく話したり遊んだりしたい気持ちもあります。すべての行動に目的を見出すと書きましたが、当然そんなことをしていたら面倒くさい人になり一人ぼっちになることでしょう。そこにはある程度の割り切りも必要だと思っています。まだ話したことない人も多いと思いますが、どうかあまり硬い人間だと思わずに気軽に話しかけてください。もちろん今でも仲良くしてくれる友達や一緒にサッカーを楽しめる仲間に囲まれていることには感謝してます。どうぞ今後とも國府田駿をよろしくお願いします。

  • 17Jul
    • 「出会いという奇跡」  2年・冨田太陽の画像

      「出会いという奇跡」 2年・冨田太陽

      出会いという奇跡こんにちは。この度部員ブログを担当させていただくことになりました、社会学部2回の冨田太陽です。拙い文章ですが、最後まで読んでいただけると、嬉しいです。私はこのブログを機に、自分の人生について振り返って見ることにしました。私は、親の仕事の影響で、北は北海道、南は佐賀と、日本全国をとびわまり、様々な場所で生活をしてきたことから、多くの出会いと別れを繰り返してきました。その中でも、一番印象深く心に残っているのが、小学4年生のときの出来事です。当時、私は兵庫県の西宮で生活をしていましたが、ある日、父が仕事から帰ってくると、『転勤することになった、九州やけど、どこやと思う?』と聞いてきました。私は、覚えたばかりの都道府県を思い出し、答えていきましたが、最後まで出てこなかった場所がありました。それが私が引っ越すことになった場所、佐賀県です。それから、佐賀県に引っ越し、夏休み明けの初日の日。クラスに入ると、聞いたこともない方言が飛び交い、滅多にこない転校生の私を見て、初対面にも関わらず、ヤジを飛ばしてくるクラスメイトがいました。自分はここでやっていけるのかと不安を感じたことを今でも鮮明に覚えています。しかし、そんな不安はすぐに消え去り、佐賀県での新しい仲間との出会いは、私にとって掛け替えの無いものになりました。授業中はふざけたおし、毎日のように喧嘩が起き、先生の言うことは聞かず、好き勝手に行動する人たちばかりで、そんな同級生たちと、生活を送る毎日は、言葉にできないほど楽しく、学校という場所が大好きになっていきました。今になっても、佐賀にいた頃の仲間たちと、頻繁に連絡を取っていますが、皆のやらかし話や、おもしろ話を聞くたびに元気をもらっています。もし、佐賀県に引っ越さなければ、この仲間達と出会うことができなかったと考えると、本当にこの出会いは、奇跡だと感じます。これからの人生も、自分にとって大切な『出会いという奇跡』がたくさんあればいいなと思います。最後まで読んでいただきありがとうございました。

  • 08Jul
    • 「希望の轍」    2年・多田雅彦の画像

      「希望の轍」 2年・多田雅彦

      関西リーグや関西選手権、期末試験、そして部員ブログの期日。これは超ハードな1ヶ月になること間違いなし。図書館に寝泊まり出来たらどれほど楽でしょうか。こんにちは、法学部法律学科2年の多田雅彦です。簡単な自己紹介として兵庫県神戸市出身小束山小学校、多聞東中学校、滝川第二高校を経て今に至ります。ポジションはGKです。好きな言葉は「怯まず驕らず溌溂と」口癖は「¡Muy bien!」です。この口癖はカテゴリーに浸透しつつあります。この前キャプテンも言ってました!その他にもいろいろありますが、サッカー部ホームページをチェックもしくは直接話せばあとはだいたい分かりますのでそちらをよろしくお願いします!さて、以前親からあることを言われ、そうだなぁと思ったのでここに書きたいと思います。「今こうして大学でサッカーできていることは当時からすれば想像もできないことやで。とても幸せなことなんやから、もっと楽しみなさい」他人にほとんど言ったことはないですが僕は小さい頃、ある小児がんにかかりました。そのころの記憶はあまりありませんが、ベッドに手足を押さえつけられ注射をうたれたのだけは鮮明に覚えています。間違いなくあれがトラウマとなり今も注射は怖いです。結局手術によって治ったわけですが、毎年検査を受けて数値が安定したのは小学生の、、、いつだったか忘れましたが小学生のころでした。同じ病気で亡くなった人もいる中で、こうして元気に過ごせていることがどれほど素晴らしいことか。ましてや、今同志社サッカー部でサッカーができていることが当時の僕の状態から想像できただろうか。そういう意味でぼくはその言葉を受け止めました。そう考えると一日を無駄にすることはできないな。みんなとサッカーできて自分は幸せだな。と思います。また、親は「その年に神戸市でその病気にかかったのは雅彦だけ。」「かかったこと自体奇跡だぞ。自信持てよ」と言ってきます。なんやそれ。とは思いましたが、まあ事実として受け止めて自分は強運を持っていると信じたいと思います。最後に、やはりここまで来れたのは手助けしてくれた親をはじめとするたくさんの人たち、仲良くしてくれる友達、自分を夢中させてくれるサッカーのおかげだと思います。一方で、大学の残り二年半まだまだ目指したい目標があります。それらを達成するためにも今サッカーが出来ていることのありがたさや幸せに感謝して楽しむこと、そして、自分は強運の持ち主であると学生らしく前向きにに明るくいることを意識していこうと思います。テスト期間の精神状態、僕の元から無い国語力、これが今回のとてもあっさりとした内容の言い訳です。お許しください。最後まで読んでくれた方ありがとうございます。以上多田雅彦でした。怯まず驕らず溌溂と!! ムイビエン!!

  • 29Jun
    • 『幸せ者』 2年・橋本充生の画像

      『幸せ者』 2年・橋本充生

      こんにちは。今回部員ブログを書かせていただくことになりました、社会学部メディア学科の橋本充生です。今回は僕が同志社大学体育会サッカー部に入部し、サッカーをしている中で、「幸せ者」だと感じた気持ちを書きたいと思います。僕はサッカー部に入部して約1年が経ちました。しかし、両膝の怪我の影響でしっかりとプレーができた期間は2ヶ月ほどしかないです。まず、1番初めの膝の怪我は高2の6月でした。刈谷高校のサッカー部でAチームに上がり、これからだという時に左膝の前十字靭帯を損傷しました。目の前が真っ暗になり、すごく辛かったけれど、3年生で試合に出れるようにしっかり治そうとリハビリに励みました。そして3年生の4月に復帰しました。しかし神様は意地悪でした。8月に再度左膝の前十字靭帯を損傷して高校サッカー人生が終了しました。毎日部活帰りに1人で泣いたし、なんで自分だけこんな思いをしなければならないのだろうと思っていました。また膝の怪我をするのが絶対に嫌だからサッカーは高校でやめようと思っていたのですが、自分の生活を見直してみると、すべてサッカーのために頑張っていることに気付き、自分の生きがいはサッカーなのだなと思い、大学でもサッカーを続けることを決めました。大学に入る前の3月に2度目の靭帯の修復手術をし、自粛期間でもリハビリに励み、8月にサッカー部に入部しました。しかし、ここでも試練がありました。膝に違和感を感じながらリハビリを行っていたら10月に右膝の膝蓋骨を骨折し、手術。現在も1度は復帰したけれど、右膝の痛みからプレーが制限されている状態です。ここまでの話だけだと超不幸者であると感じるでしょう。しかし、僕は「幸せ者」だと感じます。その理由は2つあると思います。まず1つは、普通の人では経験できないような素晴らしい経験をしていると感じるからです。この怪我によって人の弱みを知れたし、メンタルも強くなり、怪我の前よりも何千倍も人として成長できていると感じています。もう1つは周りの人の支えです。高校の時の友達は今でも怪我を気にかけてくれるし応援してくれます。サッカー部の仲間も、「期待してるぞ。」、「充生と一緒に試合に出たい。」などと頑張れる言葉をくれるし、無理なプレーをしないように注意してくれる友達もいます。そして何より両親の存在です。怪我をした時も辛いリハビリ生活でもいつもそばにいてくれて、自分の挑戦に対して1度も否定的な言葉を言わず、全力でサポートしてくれています。このような場でしか言えないと思うから言わせていただきます、いつもありがとう。僕は、このような人達に支えられているから辛くても「幸せ者」と感じることができているし、100%でプレーができるように努力することができるし、興戸の坂もギリギリ登り切ることができます。残りの大学サッカー生活の目標は、完全復帰して試合に出て活躍し、今度は僕が支えてくれた人達を幸せにさせることです。長くまとまりのない文章でしたが、最後まで読んでいただいてありがとうございました。ほな、今日も練習頑張るかぁ。

    • 『「距離」の変化』 2年・衣川綾乃の画像

      『「距離」の変化』 2年・衣川綾乃

      こんにちは。今回の部員ブログを担当させていただきます、文化情報学部2回生マネージャーの衣川綾乃です。つい最近、改めて気付いたことについて書きたいと思います。私は高校1年生からサッカー部のマネージャーをしています。中学まではバレーボール部に所属していましたが、怪我や部内の環境もあって選手としての自信を失い、高校ではバレーをしないと決めていました。でも何か部活に入って全力で取り組みたいと強く思っていました。そうした時に、ふと小学生の頃のことが頭をよぎりました。父と兄の影響で幼い頃からサッカーと接点がありました。初めは「点数全然入らへんやん、何が面白いんかな?」と退屈でしたが、次第にサッカーは広いグラウンドの中で瞬時の判断力が要求される難しいスポーツだと感じるようになり、そして気づけば、その90分は「あっという間」に変化していました。あの経験が蘇り、より近くで関わりたいと入部しましたが、マネージャーにはグランド外の仕事が数え切れないほどあって、正直楽しいことよりも辛いことの方が多かったように思います。それでも選手のみんなと喜びも悔しさも共に感じたいという思いで何とか最後までやり遂げることができました。西京極での決勝戦は遠くスタンドに座り、記録の練習も兼ね観戦していたのですが、あの巨大なスタジアム、そこに響き渡る力強い声援や大きな太鼓の音、そして何よりもピッチで躍動する選手たちのレベルの高さに、毎回心を強く揺さぶられました。でも残念ながら、それらは私にとっては最後まで「遠い存在」のままでした。しかし、大学でもサッカー部に入った今、これまでの私の環境は一変しています。あれほど「遠く」に感じたスタジアム、あの時遠くのピッチを走っていた選手たちが、すぐ目の前にいて今、こんなに「近く」で話すことができているんです。入部してから今まで、仕事に追われるばかりでこんなこと考えたこともありませんでした。でもある日の帰り道、同期の選手とサッカーの話をしていた時、今自分はこんなに恵まれた環境にいるんだということにやっと気づくことができました。そして単にそうした感慨に浸っているだけでなく、この環境に合わせて自分ももっと成長し、チームの勝利に少しでも貢献しなければならないと強く思いました。いつか、この人がマネージャーで良かったと思ってもらえるよう努力し続けたいと思います。最後まで読んでくださりありがとうございました。

  • 23Jun
    • 『自分を信じる』 2年・久世道大の画像

      『自分を信じる』 2年・久世道大

      こんにちは。今回部員ブログを書かせていただくことになりました、文化情報学部2回生の久世道大です。高校の顧問の先生には3年間「くぜ」と呼ばれ続けてきましたが、実際は「くせ」と濁らずに読みますので、間違えなく覚えていただければ嬉しいです。部員ブログを書くにあたって何について書くのか考えたところ、真っ先に浮かんできたのが高校での三年間のことでした。なので、今回は私の高校サッカーについての振り返りを書かせていただこうと思います。拙い文章ですが、最後まで読んでいただけると幸いです。高校サッカーについての話となると、多くの人が理不尽エピソードに花を咲かすのではないでしょうか。私が卒業した洛北高校サッカー部も典型的な高校サッカー生活といった感じでした。毎日のボールを使わない朝練、長い練習時間、選手とスタッフの信頼関係、例を挙げればキリが無いほどですが、そんな理不尽が溢れる環境の中で、大事にしていたことが一つあります。それは、  「自分のモチベーションは自分で作る」ということです。これは高校を卒業した今でも大切にしている考え方の一つでもあります。しんどい事が続くと、つい自分の周りの環境に託けて、"自分が頑張らなくていい理由"を探したくなってしまいます。これはとても簡単なことであり、サボることが自分の中で正当化されるのでとても楽なことでもあります。私も実際に途中まで、そうしてしまっていました。しかし、それは成長する上では無意味で非常に勿体無い事だと気付き、周りの環境について考えることをやめ、自分自身の中に"頑張る理由"を見出すようにしました。「全国へ行く」「次の試合で活躍する」といった自分で設定した目標の為に高いモチベーションで練習を行うようになってからは、練習の中で楽しさを感じることも増えていきました。そのように努力を続けた結果、選手権では全国出場に及ばなかったものの、決勝で橘高校と延長にもつれる試合をすることができ、悔いのない高校サッカー生活を送ることができました―――と、その時は思っていたのですが、今では一つの後悔を抱いています。そう感じるようになったきっかけは、決勝戦が行われたスタジアムの近くを通った時でした。今でもスタジアムの近くへ行くと、決勝のことを思い出してしまうのですが、その時は負けてからそれほど経っていなかったので、決勝戦の光景を思い出すと共に全国を逃したという悔しい思いが込み上げてきていました。その悔しさを感じた時、私はその気持ちを鎮める為に「あんな環境で練習してきて、よく決勝のいい勝負までいけた。相手は橘だったし、負けてはしまったけどよくやった。」と、自分で切り捨てた環境のことを負けた言い訳のように考えてしまっていました。周りの環境のことを考えないようにしたのは自分であるのに、敗戦の理由を結局は周りの環境のせいにしていたことに気付いた時、自分がとても情けなく感じました。その時から、環境を変えようとしなかった、変えることを諦めていた自分に後悔を感じるようになりました。今、高校サッカーの3年間を思い返すと、あの時こんな風なことを言っておけばよかった(選手にも、先生にも)と感じる場面がたくさん出てきます。では、なぜその時に言えなかったのかと考えると、自分への自信の無さが原因としてあったのではないかと思います。私は自分に自信がありません。自分がやった事や、今からやろうとしている事は間違っているのでは無いかとすぐ考えてしまいます。また、自分がそうだと思ったことを主張できずに、周りの人に流されてしまうきらいがあるように思います。しかし、今回の部員ブログの執筆を通して、そのような生き方では、あの時ああしとけば良かったという後悔が残り続ける人生になってしまうと感じました。「自信を持つ」ということはその字の通り、自分を信じることです。今は自分に自信を持つことが出来ていない私ですが、この同志社大学体育会サッカー部での活動を通して、信じることの出来る自分を形成していければなと思っています。長々としたまとまりのない文章になってしまいましたが、最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。

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      『つながり』 2年・黒坂澪

      こんにちは。この度部員ブログを担当させて頂くことになりました経済学部2回生の黒坂澪です。面白い事もためになるような事も言えず、拙い文章になりますが最後まで読んでいただけたら幸いです。今回私が書くのは人とのつながりについてです。今までの人生を振り返った時に自分は常に人と関わっていて、つながりは大事な事と感じたため今回のブログで書くことにしました。中学校や高校では普通に生活する分には先生などの大人が全て教えてくれるため、基本的には何とかなると思います。しかし、部活など全員が同じ行動をするとは限らない時、私達は何も分からない状態で行動しなければなりません。そのような時、どうすれば良いか知ってる人がいればどれほど心強いでしょうか。私がいた高校は上下関係が厳しく、先輩に色々と聞くことが出来ませんでした。1年生の時は何も分からない状態で、自分も含め皆何度も先輩や先生に怒られました。大学では、私達が入学した時コロナウイルスの拡大によって入学式がなく、授業も対面が一切なく説明もないまま始まりました。授業や部活、サークルなどがないため誰かと関わることなく自分でやらなければならない状況でした。勿論何でも人に頼るのではなく、自分で考えて行動する事も大切です。しかし日々の生活で誰かと常に関わっているように、相談などができるつながりを持つことは大切だと思います。まとなりのない文章で上手く伝わっているか分かりませんが、言いたいことは自分はいつも周りに支えられていて、周りの人とのつながりは大切にしなければという事です。改めてつながりを大切にしようと思います。皆さんも、反対意見や違う意見を持っていただいて構いませんが、この文が何かを考えるきっかけになればと思います。最後まで読んでいただきありがとうございました。

  • 02Jun
    • 『自信を得るために』 2年・神戸まりなの画像

      『自信を得るために』 2年・神戸まりな

      こんにちは。学生トレーナーをしているスポーツ健康科学部2回生の神戸まりなです。私が入部したのは1回生の冬休みで、周りと比べてかなり遅れてスタートしました。高校野球が好きなので野球部のマネージャーに憧れた時期はありましたが、まさか大学で体育会に入ることになるとは思ってもみませんでした。友人の誘いで見学に行ったときに、部の雰囲気が良かったのと先輩方がテーピングをしている姿がかっこいいと感じ、少しずつ気持ちが傾いていきました。けれど、入部してしまえば今のバイトは辞めなければならないし、髪は染められないし、友人と遊びに行く時間もかなり減ってしまう。私が想像していたような大学生活は送れないことを考えると、なかなか踏み出せずにいました。一方で、何となく4年間を過ごすのではなく、何かに打ち込みたいという気持ちもありました。私は自分に自信が持てずにいたので、胸を張って「私にはこれができる」と言えるものを何かひとつ得たいと思っていました。トレーナーを経験しておけば、今後身近な人が怪我をした際に役立てると思い、入部を決意しました。最初は、女子校出身で男子との接し方がよくわからず、トレーナー経験もなく、サッカーのこともよく知らない、と散々で、何から手をつけていいのやら分からない状況でした。とりあえずは選手とのコミュニケーションを第一の目標とし、そのために背番号と関連させながら名前と顔を一致させていきました。100人以上いる選手を覚えるなんて無理かもしれないと思っていましたが、3ヶ月程でほぼ全員覚えることができました。トレーナーの仕事で一番難しいと感じるのは、応急処置です。足首の捻挫や腿の肉離れ程度の怪我であれば対応できるようになってきましたが、脳震盪や膝の怪我など重度のものは未だに不安で、ひとりのときに起こった場合、冷静に対応できるかとても心配です。6月に入るとIリーグや新人戦が開幕し、ひとりで試合会場に行かなければならない機会が増えると思いますが、万が一アクシデントが起こった際には迅速に対応できるように日々励みたいと思います。トレーナーは人手不足で困っているので、興味のある方はぜひ見学だけでも来てください!

  • 01Jun
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      『雑草魂』 2年・川口優大

      こんにちは。今回部員ブログを担当させて頂くことになりました商学部2回生の川口優大です。まとまりのない文章ですが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。私は宮城県仙台市出身で、小学1年生から本格的にサッカーを始めました。小学4年生にはベガルタ仙台Jr.に入り、そこからJr.ユースにも上がり、6年間ベガルタ仙台に在籍しました。高校からは親元を離れ、石川県の星稜高校に入学しました。そして今は同志社大学体育会サッカー部でプレーしています。側から見れば順風満帆なサッカー人生なのかもしれません。そんな私ですが、誰よりも自信を持っていることがあります。それは挫折した回数です。 中学の頃は、身長が急激に伸び、思うようなプレーができず、小学生の時のドリブルのキレなどはほとんど失い、プレースタイルも大幅に変わりました。チームメイトからは「小学生の時は凄かった」「なんであいつが試合出てるか分からない」と陰口を叩かれたりもしました。そういった声を見返す為、親元を離れ、全国高校サッカー選手権で優勝しようと思い星稜高校に入学しました。入学してからは、監督やコーチが熱意を持って指導してくださり、休みはほとんどありませんでしたが、寮生活や学校生活を含め、自分史上最も成長したと胸を張って言える3年間になりました。ただ、高校でも2年次の全国選手権の2週間前に右足舟状骨を骨折し、出場するチャンスを逃したり、最後の年の選手権で県大会の決勝で鵬学園に負けてしまい、全国大会に出ることすらできないという挫折を味わいました。また、知っている方も多いと思いますが、星稜高校の同期の野球部は、現在東京ヤクルトスワローズで活躍する奥川、読売ジャイアンツで活躍する山瀬を擁し、夏の甲子園大会で準優勝という成績を残したことで、もはや学校のスターとなっていました。学校生活や寮生活を共にした、友達達の活躍に大きく刺激を受けたと同時に、サッカー部は全国にすら出れなかったという事実に私は胸が締め付けられるような思いでした。高校で全国選手権に出て、サッカーを辞めようとしていた私でしたが、「本当にこのままで終わっていいのか」という思いが込み上げ、そこから大学でもサッカーを続ける決意を固めました。そして今、そういった大きな挫折や悔しさを得て大学サッカーをしています。私は決して上手い選手ではありません。ただ、誰よりも戦い、声を出し、身体を張って戦っているつもりです。同志社大学体育会サッカー部には共に高みを目指す仲間、情熱を持って指導してくれるスタッフ、選手の怪我や健康状態を管理してくれる学生トレーナー、選手を支えてくれるマネージャーがいます。支えてくれるチームメイトや、応援してくれる家族や友人への感謝の気持ちを忘れず、また怪我でサッカーができなくなってしまった親友の分まで、私は私なりに泥臭く頑張っていこうと思います。「雑草」のように何度踏まれてもまた立ち上がり、いつか花を咲かせれる日が来るまで。

  • 28May
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      『シーンとストーリー』 2年 影近大輔

      こんにちは。今回ブログを担当します、最近筋トレにハマり身体がゴツくなってきたのが嬉しくてワンサイズ小さめの練習着を着がちなスポーツ健康科学部2回生の影近大輔です。何について書こうか迷いましたが、自分が大事にしている考え方について書こうと思います。長いうえに下手くそな文章なのでサラサラ〜っと流しながら読んでみてください。突然ですが皆さんは今まで挫折をしたり、他に何も考えられなくなるほど落ち込んだりした経験はありますか?私は何度か経験したことがあります。中でも1番大きな挫折は高校3年生の時の出来事です。私がサッカーを始めた理由は、年末にテレビで放送されている高校サッカー選手権で地元の県の代表として出場していた星稜高校が活躍しているのを観て、自分もあんな舞台で活躍してみたいと思ったことがきっかけでした。それから星稜中学、そして星稜高校に入学し、選手権で活躍するために必死に努力をしてきました。この高校3年間で全て出し切り、大学ではサッカーを辞めようと考えていました。1、2年生の頃はスタメンになることはできず、選手権にも出場できませんでした。そしてあっという間に2年間が過ぎ、選手権に挑戦できる最後の年になりました。自分はこの年からスタメンで出場することができるようになり、選手権の県予選にも出場していました。チームは順調に勝ち進み、決勝戦まで駒を進めました。あと1勝でずっと目標にしてきた選手権の全国大会に出場することができる。必ず優勝して全国大会で活躍する。そう意気込んで決勝戦を迎えました。結果は延長戦の末、1-2で敗れました。試合終了の笛が鳴り、気がつくと地面に倒れ込み泣き崩れていました。今まで自分が何年もかけて積み上げてきたものが全て崩れ落ちていくような感覚その日から毎日決勝戦のことが夢に出てくるようになり、何をしていてもあの日の悔しい気持ちが心の片隅に残っていました。こんな終わり方でサッカーを辞めたくない、大学でもう一度挑戦したい、そう強く思うようになりました。そして大学でもサッカー部に入り、全国大会に出場するため頑張ろうと決めました。あの日の辛くて悔しい経験があったからこそ、今も本気でサッカーに取り組むことが出来ています。今では大学でもサッカーを続けて本当に良かったと思います。もしサッカーを続けていなければ、サッカー部の仲間にも出会えていなかったし、こんなに楽しい毎日を過ごせていなかったと思います。この話から私が何を伝えたいかというと、挫折したりうまく行っていないという、その「シーン」だけで捉えるのではなく、長い人生の「ストーリー」の中の1シーンとして捉えるということです。今はうまくいっていなくても、何年後かにはあの時の経験があったからこそ成長した今の自分があると言える日が来る、この経験も人生という長いストーリーには必要なシーンなんだと私は考えています。人は誰でも挫折や辛い経験があると思います。ですがそのシーンだけを捉えて落ち込むのではなく、人生というストーリーの中の必要な1シーンなんだと捉えることが出来れば、その辛い経験も自分が成長するための大事な出来事に変わってくるのではないでしょうか。文章力がないため短い文章にまとめる事が出来ませんでした。すみません。最後まで読んでいただきありがとうございました。

  • 25May
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      『タラレバ人間』 2回・片岡颯真

      こんにちは。スポーツ健康科学部2年の片岡颯真です。一度もブログなんてものを書いたことがないので平凡な文章しか書けません。少しでも読んでいただければ嬉しいです。大阪生まれ、大阪育ち、身長・体重は日本人男性の平均か少し下ぐらい、これといった特技なし、いたって普通の男子大学生。何かあるだろうと言われれば、フィリピン在住経験あり、ということぐらい。こんな普通な人間である僕は、「タラレバ人間」であり、タラレバ人間であることに一種の嫌悪感のようなものを抱いていました。タラレバ人間とは読んで字のごとく、「〜だったら」、「〜すれば(よかった)」と思うことが多い人間のことです。大抵のタラレバ人間は、良い結果を求めて行動しようとしたが結局は行動せず、一度は思い描いた理想から結果的に離れてしまったとき、行動しなかったことに後悔します。そしてあの時はこうだったからできなかった、と何かしら自分に都合のいい理由を考えます。あの時もっと練習すればよかった、あの時もうちょっと勉強すればよかった、英語をもうちょっと積極的にやってれば、なんてことを僕は時々思っていました。きっと「あの時」の僕は何かしょうもない理由をつけては行動してこなかったのでしょう。こうなることが予想できたのに。これってダサくないですか?僕はダサいと思っています。そうなんです、僕はダサいタラレバ人間でした。だからそんな自分に嫌悪感を抱いていたのです。じゃあどうすればいいのか。理想を求めて行動したが、思うようにいかなった、でもチャレンジしたことは後悔しない、チャレンジして得た結果を振り返ってタラレバを言うような人間になればいい。そんなタラレバはダサくない、チャレンジするのだからむしろカッコいいのでは、という考えに至りました。とても最近のことです。僕が大学でもサッカーを続けることを決めたのは、ただサッカーが好きだというのもありますが、しないことに何か理由をつけて数年後に大学でも本気でサッカーすればよかった、なんてダサいタラレバを言いたくなかったから。学連活動に参加させて頂こうと思ったのも同じ。後になってやらなかったことを後悔したくなかった。そしてある時僕は、人生で初めて座右の銘にしようと決めた言葉に出会いました。「しない後悔よりする後悔」ダサいタラレバ人間を卒業したい僕にはぴったりの言葉でした。人生一度きり。どうせ一度きりなら何でもやってみるしかない。何でもやってみて、成功したならそれでよし、失敗したとしてもやってみたことは後悔しないカッコいいタラレバ人間でありたい。ダサいタラレバはもう言わない、そう心に決めています。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。