『負け組』 4回生 清水継太
2026年10月3日プレーヤーとしてのサッカー人生が終了しました。小1からボールを蹴り始めて16年間、長いようで短かったです。まずは小学校から高校までのサッカー人生を軽く振り返ります!小学生の時はとにかくサッカーが楽しかった。怒られることもほとんどなく、試合にも出られて、のびのびとプレーできました。YMCAの仲間や指導者の方々が本当に大好きです。中学生になった頃から「サッカーをやりたくない。」という気持ちが芽生えてきました。ミスをしたら怒られ、試合にもなかなか出られないという苦しい3年間を過ごしました。2年生になった頃には指導者全員が辞めてしまい、環境がガラッと変わりました。色んなことがありましたが、必死に食らいつきました。引退試合で最後の10分くらい出してもらった経験が、今でも忘れられません。高校では1年生の頃から試合に出してもらえました。リーグ戦の昇格と選手権ベスト32という成績を残せました。大学で一緒にサッカーをしたみんなからすると大したことないかもしれませんが、その頃は本当に達成感がありました。3年生たった3人で挑んだ最後の選手権、勉強は疎かになったけど良い経験でした。周りとのサッカーに対する温度差に苦しむこともありましたが、比較的充実した3年間でした。そして大学サッカーは、、、絶対にAチームに行く、プロになるという思いを持ってセレクションを受けました。yo-yoで基準が満たせず、最初の1週間は走りだけでした。ゆうが、よしき、やまそー、下山、野木(あと1人いたような、、、)懐かしいな!そしてなんとかyo-yoをクリアして練習に入れました。1番下のDチームだったけどめちゃくちゃ先輩も同期も上手くて、ビビりました。なんとか食らいつこうと思って自主練に励んだり、筋トレをしたり、睡眠や食事にこだわった時期もありました。でも結局どれも中途半端で、やっぱり自分は「負け組」だなと痛感しています。終わってみると4年間Dチームから上がれず、ど底辺でした。何も結果を残せず、あっけなく終わりました。Aに上がりたいとか、プロになりたいとかの気持ちはいつのまにか消えていました。そして、特に最後の1年はサッカーが本当に苦痛でした。主務の仕事、就活、教育実習に追われるうちにプレーすることに対しての優先順位が下がっていきました。あんなに好きだったサッカーを嫌いになる感覚が苦しかったです。振り返ってみると良いことも悪いこともありました。けどサッカーをやっててよかったと思っています。残りのサッカー人生は主務という裏方の役割でチームを支えます。後期の関西リーグは苦しい状況が続いていますが、チームがインカレで全国に行けるように最高のサポートをします。これがいつ投稿されるかわからないけど、その頃にはインカレ決まってますように。いや、必ず行く!最後に、両親に感謝を伝えます。サッカーをしてみたり、大学受験に落ちて私立に行ってみたり、一人暮らししてみたり、就活で地方に行きまくってみたり、とてもお金のかかる息子だったと思いますが、ここまで育ててくれてありがとう!特に就活は4年の7月末に就職先が決まったということでめちゃくちゃ心配したと思うけど、なんとか夢が叶えられました。お母さん、父ちゃん、そして一応悠真もサポートしてくれたからこそだと思います。4月からはなかなか会えない日々が続きますが、比較的活躍が見やすいのではないかなと思うので見ててください!