今日も当ブログに
お越しいただき
ありがとうございます
小学校6年の頃の話に突入です。
激しい夫婦ゲンカが続く
小学校の4年から5年時にかけて
彼女の食は細いまま
偏食も改善されず
身長は伸び
体力は落ちる一方でした。
そして相変わらず
頻繁に熱を出し
1週間は回復せずに寝込みました。
そして
6年生になろうと言う頃
毒母の妊娠が発覚しました。
実は彼女が知る限り
4年生の頃も
妊娠し
ていました。
その妊娠時は
彼女が生まれたK市の病院にまで行き
進んで中絶してしまったんですね。
なぜか?
というと、
血液型不適合で
一人しか
産めません、
と
最初の妊娠時に
いわれていたから。
は?
最初の妊娠って??
彼女の前にも
ひとり妊娠していたらしいです。
その時は
ひとりしか産めないなら
経済的に苦しい今は
諦めて
育てられるようになったら産もう
だから
今ダメ
堕ろす
と、決断にいたりました。
さらに
その流れから
彼女は
「あなたは選ばれた子」でもあり
「中絶せずに産んであげた子」であり
「あんたができたから
年貢を納めた」
別名
できたから
仕方なく一緒になった婚
だったと
聞かさせれてきたわけです。
また
その最初に言われた
血液型不適合を
10年経っても
アホみたいに信じ続け、
医学の進歩も鑑みず
いそいそ
K市まで行き
再診も受けず
自分から
中絶を申し出たのでしま。
どこまで愚かな毒親たちなのか。
セカンドオピニオンとか
インフォームドコンセント
などと言う
概念もない時代ではありますが、
医師の言うことを
盲信した結果
彼女が10歳の時に
できるはずの兄弟は
殺されました。
産婦人科なので
できれば新しい病院にかかりたくないという乙女心もあったみたいですが、、、
そして
2年後
再びの妊娠となり
K市まで行かなくとも
この辺りにも
いい病院はあるよ??ということで
その噂の産院で診察を受けたところ
「うめますが?」
との回答。
え?
血液型不適合は??
じゃあ兄弟いないのもなんだから産もうか・・・
と言う綺麗な表向きの理由が1つ。
もう一つは
「俺の子じゃないだろ?」
と
毒母がたった1度
近所のママ友と飲みに行き
深夜に帰宅し
二日酔いになって朝起きれず寝坊していたことを引き合いに出して
毒父が浮気を疑ったからです。
DNA鑑定などがない時代
売り言葉に買い言葉で
「そんなに疑うなら産めばわかる!💢」
と言うことになったわけです。
しかし
そもそも血液型不適合で
産めないとわかっているなら
避妊しないか💢?
って話ですし
さらには
あんだけしょっちゅう喧嘩しておきながら
妊娠するようなことしてんじゃねーよ!💢
ってことですよね??
夫婦喧嘩犬も食わねーわけだわな!!
いや。。。
そんな甘い話ではなく・・・
多分
毒母は
毒父に
レイプされていたのではないかと
今となっては彼女は思います。
だってあれだけの喧嘩をして
いつの間にか仲直りをしている
仕事上
会話をしなければいけなかったり
は、あるにしても・・・不自然極まりないですから。
当時彼女は
なぜ子供ができるのか??
それは「キスという行為」だと思っていたので
レイプされたんだろう・・・というのは
いまあの頃を
振り返っての見解です。
そして
この
誰の子かを証明することがきっかけで
もう一人
毒親育ちの不幸な子供がこの世に誕生することになってしまうのです。
一人目は
経済的理由で
中絶
二人目は
できちゃったから
仕方なく
三人めは無知で中絶
四人めは
浮気疑惑払拭のために出産。
呪われて然るべき動機がズラリと並びましたね。
〇〇が一人では
不憫だからとか言う理由で
高齢出産を決意。
毒母40歳でした。
さすがに
妊娠中は
殴る蹴るはなくなるだろうと
彼女も一時
安心して過ごせるかも・・・と
頭の隅をよぎりました。
しかし
兄弟ができることに一切
喜びはありませんでした
親が取られる
とか
そういうことではなく
彼女には母性というものが
全くなかったのです。
それも・・・
彼女が親になって
「女の子には1歳になったら抱き人形を買い与えるのよ??」という
彼女のママ友の母親の言葉で知らされることになるのです。
毒母は
自分の子供時代はもとより
知識も
教養もないので
子供に絵本の読み聞かせもなく
話しかけもなく
幼少期を過ごした
というお話をしましたね?
この時
母性を育むべき大事な仕込み
「抱き人形を与える」
と言うこともしなかったのです。
毒母は自分の都合で
可愛いと思うもの
気に入ったものは
買う
でも
嫌いなもの
気に入らないものは
買わない
主義だったのです。
毒親特有の
「自分都合」ってやつです。
毒母にとって
抱き人形は可愛くないし
気持ち悪いので
買い与えなかった。
なので彼女は
年下の子が苦手で
扱いもわからず
友人に兄弟がいることも
全く羨ましいと思わず
むしろ
一人っこであることが
快適でした。
ただ両親が喧嘩の時を除いては・・・ですが。
毒母は
これを機に
もともと傾きかけていた飲食業を休み
専業主婦にシフトします。
高度成長期も頭打ち感が出始め
毒父の遊技場も以前ほどは賑わいもなく
この頃から
経済的にも困窮の一途をたどり始めます。
そんな中
彼女の誕生日と同じ日に出産予定だった兄弟は
予定日が来ても
生まれません。
かなり予定日からずれているにもかかわらず
陣痛の兆しがなく
毒母が高齢出産だったこともあり
入院して
帝王切開をすることになります。
その帝王切開の術中に
病院から連絡が入り
毒父が
「今から病院に行ってくるぞ」
と
彼女が就寝している枕元に言い残し
手術に立ち会いに出かけて行きました。
後で聞いたことですが
毒母、お腹の子ともに
とても危険な状態になり
毒父は呼び出され
その時
助けるとしたら
どちらを助けますか??
と医師に聞かれたのだそうです。
そして毒父は
「母親」
と答えたらしいです。
その理由として
まだ子供が母親を必要とする年頃だから
と言っていましたが、
本音の所はどうなのでしょうか??
毒父は
子供好きでしたし
家事もできる。
いい機会なので毒母を
見殺しにして
新しい嫁をもらって
子供を育てたらいいのじゃ・・・?
しかし
ここが毒父の
弱さ
と言うか
母親に捨てられ
親の愛薄く育っている毒父も
初めてできた家族であり
自分では何もできない毒母に頼られることで
自尊心を満たしていたようです。
決して彼女のためや
毒母への愛などではなく
自分の為に
毒母を生かすことを選択したのです。
結果ですか??
毒母
お腹の子
どちらも助かり
未だに
ピンピンしています・・・
そして12歳違いの妹が誕生しました。
と同時に彼女の体を
人生最大の病が脅かし始めていました。
つづく
同じような境遇の方
彼女の言いたいこと
共感してただける方は
ぜひ
いいね
をお願いします。
に参加中
なぜ彼女がランキング参加するのか?はこちらから
https://ameblo.jp/dokuoya526/entry-12411023217.html