『国盗り物語』よ永遠に〜私のなかの信長と光秀〜 | 天地温古堂商店

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歴史、人、旅、日々の雑感などを徒然に書き溜めていこうと思います。どうぞお立ち寄りください。

ここのところ著名人や俳優の訃報が続いている。

山本コータローさん
島田陽子さん
小林清志さん
三宅一生さん
元横綱・二代目若乃花関

そして、俳優・石濱朗さんが7月26日、老衰で亡くなられた。
87歳。

石濱さんは、NHK大河ドラマにも多く出演された。
『竜馬がゆく』(1968年)から『元禄繚乱』(1999年)まで8作品に出演。
『草燃える』では、〝鎌倉殿の13人〟の一人・三善康信を好演された。
また、『おんな太閤記』(1981年)では明智光秀役を演じている。

大河ドラマ名脇役のご冥福をお祈りしたい。

その『おんな太閤記』は、いま、BSプレミアムで再放送されている。

8月21日(日)午前7:15からは、いよいよ「本能寺の変」。
石濱さん演じる明智光秀の勇姿もみることができる。
討たれる相手・主君の織田信長を演じたのは藤岡弘さん。

因縁なのか、単なる偶然か。
今年の大河『鎌倉殿の13人』と舞台が同じ時空間のドラマで、三谷幸喜氏リスペクトの『草燃える』(1979年)では、石濱さんは「三善康信」を、藤岡弘さんは「三浦義村」を演じている。
ふたりとも大河の常連だったわけだ。

さて、『おんな太閤記』の本能寺の変。

天正10(1582)年6月2日、織田信長(藤岡弘)は明智光秀(石濱朗)の謀反により、本能寺で自害する。
長浜城のねね(佐久間良子)は、謀反の報せに、一族を連れ山中の寺へ避難する。
その途中、浅井の残党に襲われ、ねねは義姉のとも(長山藍子)となか(赤木春恵)を助けるため、初めて人を殺してしまう。
備中高松城を攻めていた秀吉(西田敏行)は、信長の死を知ると、主君の仇を討つため全軍を取って返し、急いで京へと戻る、というストーリー。

『おんな太閤記』は、ねねが主人公。
そのため本能寺の変の場面でも、シーンは駆け足のように、運命が急変するねねにズームアップされている。

さて、織田信長と明智光秀。
そして、本能寺の変。

日本史上、もっとも有名な出来事のひとつだ。

私にとっての本能寺の変といえば、『国盗り物語』(1973年)だ。
初めてみた大河ドラマだったので、それはもう唯一無二に圧倒的だった。
さらなるオールドファンなら、信長といえば高橋幸治、秀吉といえば緒形拳なのだろうが、アラカン世代の私としては断然『国盗り物語』ということになる。

 


NHKオンデマンドより

どこかこの世の人とは違う冷血さただよう高橋幸治の陰の信長とは異なり、怒れば魔王のように恐ろしく褒めれば相手は身もだえするほどの歓喜きわまるような陽の信長を、高橋英樹は演じていた。

当時29歳の高橋は、信長に傾倒した。
俗に、役になりきる、というが、若き高橋は信長になりきった。

高橋英樹はこの時のことを後年、こう言っている。

この作品で信長役をいただいて、信長が自分に乗り移ったのではないかと思うほど、すっかりほれ込んでしまいました。
喜怒哀楽が激しくて、何を考えているのか読みにくい。
思考は人よりはるかに先をゆき、違う次元からものを発想する。
だからこそ天下統一を目指した人物で、あの時代に一大名、それも小大名がそこまで大きなことを考えていたという設定でやらせてもらいました。
ただ自分は正しいけれど周囲がついてくることができず、結局死に向かっていくという悲劇。
でも、あの統率力や行動力はやはり希有な人物だったと思うし、いまだに武将の中で誰が好きかと聞かれれば信長と答えています。

(NHKアーカイブス NHK人物録・高橋英樹より)

 

織田信長を演じる高橋英樹(当時29歳) NHKウェブサイト NHK番組発掘プロジェクトより

 

魔王のような信長に堪え忍び苦悩したのが、近藤正臣演じるところの明智光秀だった。

我慢しなくてはこの場所にいることはできないと思いつつ、その我慢が溜まりに溜まっていった。
同時に光秀の理想というものがあり、それはただ単に戦に勝てば良いというものではなかったのではないか。
そこが社長である信長とのずれになる。

(近藤正臣「NHKアーカイブス」より)

『国盗り物語』の信長と光秀には、特別な仕掛けがある。
斎藤道三という仕掛けが。

斎藤道三の娘・濃姫は信長の正室となる。
濃姫の生母は小見の方といい、光秀のおばにあたる。
道三にとっての信長は娘婿、義理の甥が光秀。
道三が夢見て志半ばにして斃れた国盗りの道。その志の後継者として信長と光秀が存在する。

『国盗り物語』が素晴らしいドラマだった理由のひとつは、原作と脚本の秀逸さであろう。
原作は司馬遼太郎の『国盗り物語』であるが、それだけではなくNHKは、司馬氏のほかの戦国作品を『国盗り〜』のなかに取り込み、立体的に組み立てたのである。
一年間もたすための苦肉の策であるとともに、結果として見事な炯眼となった。

ほかの作品とは『新史太閤記』『功名が辻』『尻啖らえ孫市』『梟の城』などだ。
脚本の大野靖子氏は、見事にこれらの作品と登場人物を立体的に組み立て、ときにはセリフの中に時代背景を入れつつ、ドラマが小説から決して離れることはなかった。

小説のほうでいくと、司馬氏は当初『国盗り物語』を斎藤道三の死で終えるつもりだったという。

連載していた雑誌の編集部が、

もっと続けては

とそそのかされて、信長と光秀を書いたという。

司馬氏は、道三が美濃の国盗りを果たす以前に、すでに小説のなかで雑談風にそのことを予告めいて書いている。

要するにこの物語はかいこがまゆをつくってやがて蛾になってゆくように庄九郎が斎藤道三になっていく物語だが、斎藤道三一代では国盗りという大仕事は終わらない。
道三の主題と方法は、ふたりの「弟子」にひきつがれる。

(司馬遼太郎『国盗り物語』より)

という。

道三と娘婿・信長については、

信長と道三の交情というのは濃やかなもので、道三がもっている新時代へのあこがれ、独創性、権謀術数、経済政策、戦争の仕方など世を覆してあたらしい世をつくってゆくすべてのものを、信長なりに吸収した。
(同上)

一方、道三と妻の甥・光秀については、

これが道三に私淑し、相弟子の信長とおなじようなものを吸収した。しかし吸収の仕方がちがっていた。
信長は道三のもっている先例を無視した独創性を学んだが、このいま一人の弟子は道三のもつ古典的教養にあこがれ、その色あいのなかで「道三学」を身につけた。

(同上)


ドラマの道三は、光秀に鉄砲術を教えていた。それはマンツーマンであり、まさに私淑という関係にみえた。

そして、小説とドラマの主題をこう言って結んでいる。

歴史は劇的であるといっていい。
なぜならば、この相弟子がのちに主従となり、さらにのちには本能寺で相搏つことになるのである。(略)
光秀は反逆者であるという。
いや、光秀にいわせればそうではなかったであろう。かれは「道三流の革命」を実践したにすぎなかったのである。

(同上)

これが小説世界としての主題で、史実ではないと仮に言われたとしても、十代前半の稚拙だけれど多感だった我が身としては、目の前がパッと明るくなるような蠱惑的な光景だったのだ。

以降、いまもこの世界から抜けられないでいる。

 


明智光秀を演じる近藤正臣(当時31歳) 同サイトより


ドラマでは、かなり光秀像について焦点があてられた。

光秀は美濃の名族の流れを汲み、貴族武士的な教養を受けている。権威を大切にする当時の常識人だ。
仕えた信長は、むしろ古い権威を敵視しどんどん壊してゆく。比叡山を焼き打ちし。一向宗門徒を弾圧し、室町幕府を滅ぼしてしまう。

光秀は、自らの信じてきた権威を信長に壊されることに悩み苦しみながらも、従わざるをえない。
そんな葛藤する男として魅力的に描かれていた。
謀叛人として以外の光秀がこれだけ精細に描かれた初めてのドラマだったのではなかろうか。

光秀を際立たせたのが、憎々しいまでに傍若無人で魔王的な信長と、その理不尽にひたすら耐える姿だった。

先日、『徹子の部屋』で49年ぶりに再会した高橋英樹と近藤正臣のふたり。
撮影の一年間、一度も食事にいかず、口もほとんどきかなかった、しかし緊張感のある楽しい時間だったことを、口をそろえて話されていた。


本能寺の変のワンシーン NHKアーカイブス NHK人物録・高橋英樹より

信長と光秀。
この49年ぶりは、たまらなかった!

信長役の高橋は当時を振り返って、

あのとき出演していたのは、みんな近い年代だった。そういう意味では、戦国時代を描いているんだけど、俳優の戦国時代だったという思いがありまして。
そこで仲良くしたり食事したりすると……役が信長だけに、孤独でいたいと。


一方、光秀役の近藤は、

よく覚えてます、シーンシーンのこと。
英樹さんに突き飛ばされて、頭打ち付けられるとかね。よく覚えてますね。
でも、面白かったなあ、なんだか面白かった。


ひどい仕打ちのシーンをあたってみると、たとえばこんな具合だ。

信長が浅井長政、朝倉義景を討ち滅ぼし正月の酒宴となったときのこと。
家臣たちの前に黒漆に黄金をあしらった酒器が運ばれてきた。
浅井と朝倉の髑髏に漆と金を施したものだ。
信長は家臣たちにこれで酒を飲め、という。
柴田勝家も藤吉郎も内心の動揺をみすかされないためもはや笑うしかない。

が、ひとり別の表情がある。
光秀であった。
(笑え。ー)
と光秀は自分に懸命に命じていたが、どうしても笑顔にならない。
この演技力の乏しい男は、無能な狂言師のように素顔でぼう然とすわっている。
その光秀の表情に信長の視線が走った。(略)
「十兵衛っ」
叫び、信長が立ち、上段をとびおりた。
信長にすれば、せっかく自分がこの独創的な方法で幸福と充足感を味わっているのに、光秀は腐れ儒者のようにひややかに座し、自分を批判し、嫌悪している。そう信長はとった。
「なぜ飲まぬ。キンカン頭っ」
信長はその異風な杯をつかみ、光秀の口もとに持ってゆき唇をひらかせようとした。
「こ、これはそれがしが旧主左京大夫(朝倉義景)殿でござりまする」
「旧主が恋しいか、信長が大事か」
信長は光秀の頭をおさえ、唇を割らせ、むりやりにその酒を流し込んだ。

(司馬遼太郎『国盗り物語』より)

比叡山焼き打ちを諫止しようとしたときも、武田氏を甲斐に攻めほぼ勝利を手中にした戦陣でも、光秀は信長の怒りを買い、足蹴にされ、また打擲された。

あるいはフィクションかもしれないが、中世の破壊者と中世の外護者の相剋を、映像にしたものがこれに違いなかった。

光秀はついに信長を裏切り、斃した。
その理由は怨恨ともいわれる。
しかし信長を見ると、多くの者に裏切られている。

織田信行
浅井長政
松永久秀
荒木村重

そのいずれもが失敗して滅亡に至る(荒木は一族を犠牲にして生き残り千利休の弟子となる)が、明智光秀のみは才覚も実行力もあったため成功した。
彼らが信長に抱いていたのは、六十余州というたとえば越後や播磨や土佐といった分国郷土、郷党・仲間意識をぶち壊した信長のグローバリズムの拒絶ではなかろうか。

地縁、血縁、あらゆる権威、権威にひもづく利権など、すべてを乗り越えてすりつぶしてゆく信長は、早かれ遅かれたれかによって止められる宿命だったのかもしれない。

小説では、光秀が本能寺の変のあと、懇意の大名からも離反され孤立するなかで、秀吉との決戦をしなければならなくなり、失意のうちに出陣をするシーンがある。

(それにしてもあっけなさすぎる)
と、光秀は思わざるをえない。
どこに手違いがあったのであろう。光秀の計算では計算として精緻なつもりであった。
しかしあくまでも計算は現実ではない。計算は計算にすぎなかった。
(そういうことらしい。最初から、間違いのうえに立って算用を立てた。あやまりは根本にある)
光秀は、うすうす気づいていた。計算の根本にある自分についてである。どうやら新時代の主人になるにはむいていないようであった。
(そうらしい)
かつての道三はむいていたのであろう。
信長は酷薄、残忍という類のない欠点をもちながら、その欠点が、旧弊を破壊し、あたらしい時代を創造しあげるのに神のような資質になった。
光秀は考えた。
かれは時代の翹望にこたえる資質はないようであった。
ひとびとは光秀を望まず秀吉を望みつつある。

(司馬遼太郎『国盗り物語』より)

史実はいざ知らず、この物語は斎藤道三のただ二人の弟子の相搏ちだ。


信長は凄まじい早足で時代を駆け抜けてゆく。

しかし、信長と同じ速さでかける人間の視点では、並行して走る車が隣の車を見るようにその速さを実感できない。
光秀は、中世的な文化教養、宗教観、権威の大切さを持つ存在として信長の対極に置かれた。
そのことは、信長の先進性、特異性、唯一性を際立たせる役回りだった。

信長から秀吉への〝歴史の進化〟だけの視点で戦国を描かないのが『国盗り物語』なのである。


大河ドラマ『国盗り物語』は、高橋が役者の戦国時代と言うように、

役者がどうやってくるのか、どういうセリフ回しをしてくるのか、どう表現するのかお互いわからない手のうちを隠したままくる感じがして緊張感があった

という。

とくにドラマの後半は、高橋のいう戦国時代のように、当時の20代から30代の若い俳優たちが新鮮な大地から湧くようにして多く出演した。

木下藤吉郎に、火野正平
徳川家康に、寺尾聰
浅井長政に、杉良太郎
雑賀孫市に、林隆三
竹中半兵衛に、米倉斉加年
黒田官兵衛に、江守徹
足利義昭に、伊丹十三
柴田勝家に、宍戸錠
秀吉を狙う忍び・重蔵に、露口茂
濃姫に、松坂慶子
光秀の妻に、中野良子
お市の方に、松原智恵子

垂涎のキャスティングだ。


木下藤吉郎を演じる火野正平(当時24歳) NHKウェブサイト NHK番組発掘プロジェクトより

足利義昭を演じる伊丹十三(当時40歳)同サイトより

竹中半兵衛を演じる米倉斉加年(当時39歳)同サイトより

濃姫を演じる松坂慶子(当時21歳)同サイトより

お市の方を演じる松原智恵子(当時28歳)同サイトより


回顧談を聞く限り、ストーリーの骨太さや役者たちの表現欲から、和気藹々というより野心満々の戦場のような撮影現場だったように思える。

信長と光秀、そして戦国の男たち女たち。
何かを手にしようと競うように演じ合った若き役者たち。

いずれにしても、小学生の鼻垂れ小僧が、見たことのないすばらしいものに出会ってしまった。

三つ子の魂百まで。

私にとって『国盗り物語』が、永遠でないはずがない。