6月14日、脚本家のジェームス三木氏が逝去された。
私のなかの三木氏といえば、大河ドラマ『独眼竜政宗』のシナリオを書いた人だ。
訃報を伝える記事にも『独眼竜政宗』(1987)が氏の代表作としてまず挙げられている。
大河ドラマ史上最高視聴率作品の『独眼竜政宗』についてプロデューサーの中村克史氏はこういっている。
原作は、それほど長い小説ではなかったのですが、ドラマでは「誕生」から「大往生」まで描きます。
そこで下敷きとなったのが、政宗の従兄で重臣だった伊達成実が書いた『成実記』で、演出の吉村芳之ディレクターが半年以上かけて現代語に訳しています。
それをジェームス三木さんは全部読み込んだうえで脚本に取り組まれたのです。
親子の関係、夫婦の関係、さらに家族同様に親身になってくれる周辺の人々。
現代に置きかえると従業員、社員である家来など。
そうした複雑な人間関係を描きながらどの登場人物にも人生を持たせる。
それがジェームスさんは本当に巧みなんですが、その裏では相当勉強されていたと思います。
ただし、そういう姿は決して人には見せない方ですね。
大河ドラマ『独眼竜政宗』 NHKアーカイブスより
中村氏は、大河ドラマの変遷のなかで『独眼竜政宗』が大きなターニングポイントになったという意味のことを証言されている。
大河ドラマは1983年の『徳川家康』のあと、近現代を扱うことになった。
『徳川家康』のディレクターはNHK上層部からこう言われた。
これで、時代劇としての大河はピリオドを打つ。お前のやる作品の後からは、現代へ突入するぞ。
しかし、その後の近現代大河は3年で終わった。
トラブルもあり視聴率も芳しくなかった。
世間はやはり、歴史モノを求めていたのだ。
ということになって、伊達政宗を持ち出したのが、『独眼竜政宗』のプロデューサーとなった中村氏であった。
中村氏は、大河ドラマ『獅子の時代』(1980)の制作に関わっていた。
また、中村氏は『独眼竜政宗』の前年に朝の連続テレビ小説『澪つくし』のプロデューサーであった。
その脚本がジェームス三木氏だった。
中村氏は『澪つくし』を描く三木氏を傍で見ていて、この人なら新しい大河ドラマを描いてくれる、と思ったのではないか。
伊達政宗という人の運命は、戦国大名という点を差し引いてみても尋常ではない。
まず、幼い頃に病気で片目を失った。
母の愛情は弟にあり、自分には薄かった。
父親は敵の人質となり、敵と一緒に撃ち果たすことになった。
母親から毒を盛られ死の淵をさまよった。
伊達家は二派に分かれ、憂いを断つために実弟を刃にかけた。
そうした人間が、相剋を乗り越えて大大名家を成すのである。
中村氏が三木氏を選んだのは、彼がそれまでほとんど時代劇を書いていなかったということのようだ。
三木氏には映画『ゴッドファーザー』のような現代の物語を、現代の視点で歴史劇として描くことを期待していたのである。
大河ドラマ『独眼竜政宗』プロデューサー・中村克史 NHKアーカイブスより
中村氏の証言がある。
ジェームスさんはドラマって言葉を
『トラブルを克服していく物語』
と規定したんです。
トラブルを作ることで、初めて人間の本性を出してくる。
だから、
『ドラマというのはトラブルを乗り越える人間の力ですよ』
と、そこの部分もいかんなく発揮してもらえたと思っています。
三木氏も、のちにインタビューにこう答えている。
伊達政宗の人生は5歳のときに疱瘡で右目を失明したことに始まり、母に毒殺されそうになったり、父が殺されるのを見殺しにしたりと壮絶です。
それを描く上で大事にしたのは登場人物の劣等感と自尊心でした。
この2つは誰もが持っている感情なので、それをうまく描こうと思っていたのを覚えています。
『独眼竜政宗』の政宗は、母の愛は薄く嫌悪つよく風貌は醜く劣等感で内向的な少年だ。
垣間見せる政宗の弱気を片倉小十郎ら忠臣が力強く献身的に支え、自尊心のある伊達家の棟梁に押し上げていったのだ。
『独眼竜政宗』は史実に限りなく忠実な現代の人間ドラマであった。
そして、茶の間の歴史劇への飢餓感ともあいまって大河ドラマ史上最高の平均視聴率39.7%をたたき出し、いまもこの記録は破られていない。
近現代大河をはさんで、スパイラルアップした歴史劇大河の第二幕がこうして開いた。
そして、『独眼竜政宗』は、脚本家・ジェームス三木の名を不動のものにしたのである。
俳優、歌手、小説家を経て稀代の人気脚本家となったジェームス三木 読売オンラインより
三木氏が手がけた大河ドラマに『八代将軍吉宗』(1995)がある。
本作は、原作はなく三木氏のオリジナル脚本。
徳川吉宗役は西田敏行で、『翔ぶが如く』に続く2度目の主演作だ。
『八代将軍吉宗』で話題になったのは、近松門左衛門を演じる江守徹が役の衣装のまま語りとして現れる新しいスタイルと、吉宗の後継者として家重を演じた中村梅雀の熱演であろう。
個人的な想像だが、中村梅雀の徳川家重はおそらく三木氏の当て書きなのではないか。
お二人の縁は、とても深くてドラマチックだ。
三木氏と梅雀氏との縁は、劇団前進座の舞台『煙が目にしみる』(1991)にさかのぼる。
俳優・中村梅雀 婦人公論ウェブサイトより
梅雀氏には偉大な父がいた。
四代目中村梅之助である。
歌舞伎俳優であり、映画俳優であり、テレビ時代劇の人気俳優であり、劇団前進座の代表である。
どうでもいいことだが、私の大好きな俳優さんでもある。
若き梅雀氏は三木氏脚本の舞台『煙が目にしみる』で主演をつとめることになった。
梅之助の息子ではあるものの、公は公、私は私。おそらく梅之助は梅雀氏に対して芝居には人一倍きびしかったろうし、劇団の先輩や座員からもまた違う意味で厳しい目で見られていたと思われる。
そのあたりの機微を梅雀氏が話している。
ジェームス三木先生の脚本・演出の現代劇でした。
劇団(前進座)でやらせてもらったので、親父も一緒に出ますし、先輩たちにも囲まれています。
彼らがいろいろ言ってくる。
すると先生が『君の思う通りにやってくれ。気にするな』と。
それで周りに反抗しながら自分で作っていきました。
三木氏が、梅雀氏の一番の理解者で援助者であった。
ところが、最初の公演だった大阪の中座での中日を終えたところで新聞評が出まして。
『周りはちゃんとしているのに主役が面白くない』って。
わざわざ楽屋の前を大声で笑いながら通る先輩もいました。
もう悔しくて悔しくて。
舞台は父親の梅之助氏も出ている。
第二幕から舞台に出たら、涙が止まらなくなっているんです。
それがまた、親父に破門を言い渡されて出ていく場面で。
次が幕前芝居で、そこでも涙が止まらない。打ちのめされて、全てを失って、そして大事なものに気づくという芝居でした。
父・中村梅之助の言葉に、
役になれ、自分になれ
というのがある。
梅之助の父、三代目中村翫右衛門の教えだという。
夢中になればなるほど、それを演じている自分の中にもう一人の自分がいる。
それが〝自分になれ〟ということらしい。
この時の梅雀氏の境地がそれだったのではなかったか。
私一人に当たったピンスポットが絞られて、その場が終わった。
すると、いつもはなかった拍手が来たんです。
びっくりしました。
後から考えると、この主人公と梅雀が重なったんですよ。
これが役作りだと気づきました。
自分に近づけて燃やさないといけない。
どんなに役を作っても、役には近づけないんですよ。そこからですね。
音を立てて分かるようになったのは。
音を立てて…とまでいうのだ。
目から鱗どころではない。
見えない世界が一望にして見えるようになったのだろう。
その瞬間に三木氏も立ち会ったのかもしれない。
三木氏作、梅雀氏主演の舞台『煙が目にしみる』は第46回文化庁芸術祭賞を受賞している。
ジェームス三木、二度目の大河脚本は『八代将軍吉宗』 NHKオンデマンドより
ジェームス先生に『君にどうしてもやってもらいたい役なんだ』と振ってもらえたんです。
そう梅雀氏が言うのは、1995年の大河ドラマ『八代将軍吉宗』の徳川家重(吉宗の長男で9代将軍)役のことである。
家重役は中村梅雀、やはりこれは三木氏の当て書きだったのだ。
家重の父・吉宗は、徳川家中興の祖にして偉大な改革者だ。
それに対して、後継者に指名された家重は、病気による言語障がい者であった。また、頻尿のため小便公方などと揶揄された。
史書での家重は、国政のさまざまな事柄は幕臣にうまく委ねられたとか、吉宗の恩恵によるものも大きいなどという消極的な評価の人であった。
家重はほぼ誰も演じていない役でもある。
梅雀氏はどう演じたのか。
研究しまくりました。
障がい者の役なので養護学校にも徹底して通いましたし、臨床心理学の先生にもいろいろ聞いて僕との共通点を探りました。
父・梅之助からは、「ああいう役をやったら損だ」と言われたそうだ。
悩む梅雀氏に言った三木氏のひと言は、生涯に残るひと言だったのではないかと、私は勝手に想像している。
家重は貴方そのものじゃありませんか。
そう言ったのである。
梅雀氏は、思った。
(私は)コンプレックスの塊なんです。
お坊ちゃま育ちでも、祖父や父といつも比べられ、先輩にはいじめられ。
それでも父を継ぐ立場にある。
家重と全く同じ環境にいるんです。
さらに、三木氏はこうも言った。
僕が後ろから押すから。君はやりたいようにやれ。
ジェームス三木は家重役に挑む梅雀の背中を押した NHKアーカイブスより
大河ドラマで障がい者を演じるのである。
三木氏がそれを書き、梅雀氏は徹底的に演った。
事実、制作サイドからは家重の演出方針には反対もあったらしい。
しかし、梅雀氏の信念を三木氏が後押ししたのである。共演者も然りだった。
大切にしたのは、中途半端さやためらいがあってはいけないということです。
むしろ徹底してリアルにやれば、絶対に家重の人生の濃厚さが伝わるはずだと。
そのため事前にさまざまな専門家の方にお話を伺い、施設へも足を運んで障がいのある方たちと接し、感じたことを身体のすみずみまでコピーするような気持ちで撮影に備えたのを覚えています。
徳川家重役は梅雀氏の名を全国区に押し上げ、松尾芸能賞奨励賞という評価を得ている。
私もリアルタイムで観ていた。
徳川家重の人物像は知っていたので、梅雀氏の家重を観て(梅雀氏を見たことがなかっただけに私は)、
そうか、家重とはこういう人だったのだな。
と惹き込まれるようにして観たことを覚えている。
父・吉宗を演じた西田敏行氏もきっとそうだったに違いない。
最終回を撮り終えて記者から、今回もっとも印象的だったことはなにかと聞かれた西田氏は、
中村梅雀という俳優に出会ったことです。
と言ったのである。
梅雀氏は、ジェームス三木という跳躍台によって二度も跳躍した。
時として脚本家と俳優の関係は、お互いの人生においてきわめて劇的である。
つつしんでご冥福をお祈りします。
合掌。
【参考】
春日太一『大河ドラマの黄金時代』(NHK出版)
週刊ポスト『中村梅雀「自分に近づけて燃やすのが、役作り」』2020年2月