天地温古堂商店

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歴史、人、旅、日々の雑感などを徒然に書き溜めています。読み物が中心です。表現の自由度を高めるために、です・ます調でなく、である調を使っています。そこにみなさまの目に止まる、心に残る何かがあれば幸いです。どうぞお立ち寄りください。

憲法はまだか

といっても、時事の話でも政治の話でもない。

5月3日は、日本国憲法の79回目の誕生日だ。

本稿では、ほんの小さい範囲で、憲法に触れたいと思う。

たとえば、そのものが誕生するまでの物語というカテゴリーがある。

私が子供のころ夢中になって観たテレビにウルトラマンがある。
その誕生の物語が『ウルトラマンを作った男たち』というドラマで、1989年に放送されている。
たとえば、今年で62作品めとなる日本最長の歴史ドラマシリーズ・大河ドラマ。
その誕生の物語は『大河ドラマが生まれた日』というドラマで、NHKで2023年に放送されている。

ウルトラマンや大河ドラマと同じように、日本国憲法がどのようにして誕生したかという視点で、触れることができたらと思う。

とはいえ、わずかに私が触れることができるのは、その誕生物語がドラマと小説になっているということだけだ。

『憲法はまだか』

という作品がある。
その作品だけ、ぜひ紹介して終わりたい。


憲法とはいったいなんだろう。
わかってるようで、いま説明してみてくださいといわれても、言葉につまる。

基本的なことを調べてみたら、こういうことだ。

国民の権利・自由を守るために、国がやってはいけないことについて国民が定めた決まりのことを、憲法という。
たとえば、国民の表現の自由を守るため、憲法21条は「……表現の自由は、これを保障する」と定めて、国に対し、国民の表現活動を侵してはならないと縛りをかけている。

このように、国民が制定した憲法によって国家権力を制限し、私たち国民の権利を保障することが、憲法について最も基本的で大切な考え方になっているのだ。

 

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1951年5月3日、皇居前広場で開かれた憲法記念日式典で万歳する昭和天皇と皇后 毎日新聞ウェブサイトより


日本国憲法は、前文と103の条文から成っている。
それがどのように作られたものなのか。
約80年前のことで、当事者はこの世を去った。もはや歴史の領域に入っている。

どうもこうだったようだ、でも構わないのかもしれないが、そこは、意外と大事なことではないかという思いが、私にはある。

小難しい話なら、私もオススメはしないが、『憲法はまだか』はドラマも小説も、とても面白かったのである。
面白いうえに、著者のジェームス三木氏はゆゆしきことを言っている。

それは、『憲法はまだか』のフィクション性についてだ。
三木氏は、小説の最後にこう言っている。

新憲法制定時の経緯については、日米のすがれた学者の研究書が、たくさん出ている。
浅学非才の筆者がこの小説を書けたのは、それらの研究書があるからだ。


つまり、史料に基づいて三木氏は書いているという自信があったのだ。

 

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小説『憲法はまだか』 HMVウェブサイトより


テレビドラマ『憲法はまだか』は憲法発布50年を記念して、NHKによって制作され、1996年11月30日(土) 午後09:00 〜 午後10:29に第1回、1996年12月07日(土) 午後09:00 〜 午後10:29に第2回が放送された。
オリジナル脚本で、書いたのは『独眼竜政宗』のジェームス三木である。

その後、三木氏は使命感にかられるように同名の小説を書いた。

私が、この物語に図らずも惹き込まれたのは、ひとえに歴史の空間に同座しているような脚本の精緻さと、それを演じる俳優たちのすばらしさだ。

憲法担当大臣の松本烝治に、津川雅彦
首相・幣原喜重郎に、神山繁
外務大臣・吉田茂に、鈴木瑞穂
厚生大臣・芦田均に、佐藤慶

近衛文麿に、江守徹

憲法の政府案を作る委員会の委員役に、久米明、近藤正臣、滝田裕介、矢崎滋

語弊があるかもしれないが、いまならみんな名優というだろうが、そんな人たちがこの頃はゴロゴロいた。

さて、ドラマはーー。
戦争に敗れた日本政府は、1945年(昭和20年)10月、連合国軍総司令部(GHQ)から憲法改正の要請を受けた。
首相・幣原喜重郎は憲法担当大臣に松本烝治を任命するところから、ドラマははじまる。

日本にはすでに憲法はある。
明治憲法だ。
だから、GHQの要請は憲法改正だ。

松本たちはこれを、主権在君を残そうとする最小限の改正案で乗り切ろうとする。

松本大臣が仕切る憲法問題調査委員会では、こんなやりとりがある。

すると第一条は「日本国ハ君主制トシ、万世一系ノ天皇ヲ君主トス」でいいですね。

お待ちください。民主主義を表明する意味では、第一条に「統治ハ臣民ノ輔翼ニ依リテ行フ」と、付け加えたらどうでしょう。

「臣民」という言葉には、封建的な響きが感じられます。私は「国民」のほうがいいと思いますよ。

臣民は臣民でいいじゃないか。御詔勅でも爾臣民になっている。これを変えるのは君、国体を変えることになりかねませんよ。

と、いうような調子である。

統帥大権は残すのですか?

残します。

戒厳令布告の権能も?

残します。

失礼ですが、この程度の改正では、GHQも国民も、不満を持つと思います。

不満があれば、訂正に応じてもよろしい。最初から後退した形で政府案を出せば、相手につけ入る隙を与えかねません。

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松本烝治 関西大学ウェブサイトより


一方、占領軍側のマッカーサーやスタッフたちは、

象徴天皇
主権在民
基本的人権の尊重
戦争放棄

を柱とする大胆な案を日本政府に突きつけ、短期間での改正を強く求めてくる。
松本ら政府側にしてみれば衝撃的な内容だ。


物語は、近衛文麿、幣原喜重郎、吉田茂、松本烝治といった日本の政治家、そしてマッカーサーやGHQ民政局のスタッフなど占領軍側の面々が、それぞれの理想、打算、保身、信念のあいだで揺れうごく姿が、真実味をもって描かれている。

政府案とGHQ案の攻防、帝国議会での審議、国民への公表など、憲法制定のプロセスが人間ドラマとして語られ、最終的に現在の日本国憲法が成立していくまでが描かれている。

この作品では、

押しつけ憲法なのか
主体的な選択なのか

戦前の体制を守ろうとする力
新しい民主主義国家をつくろうとする力

という拮抗する対極的なテーマが、観る者の目の前に提示される。


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ドラマ『憲法はまだか』のワンシーン(松本烝治役を演じたのは津川雅彦) NHKアーカイブスより


***

本稿は結論がない。
そこに描かれたもの、書かれたことをたどり歩くだけである。
ただ、観れば(読めば)、憲法について自分の座標点がどこにあるかが、あるいはわかるかもしれない。
それだけのための〟推し〟記事である。

このドラマ(小説)で、私がもっとも印象に残ったシーンを、以下に書きとめたい。

政府案に対して、シビレを切らすように提示されたGHQ案は、明治憲法の最小限改正をもくろむ松本にしてみれば、非現実的であり、未熟であり、アラ探しの対象にしか見えないものだった。

これまでの苦労が、水泡に帰したと思うと、どっと疲れが出た。
しかし憲法担当大臣の役職は、4月10日の総選挙まで、保証されている。
幣原に不服を唱えて、職を辞すのは簡単だが、どうせ総選挙が終われば、公職を追放されて野に下る身である。
もうひとふんばりしてホイットニーと対決し、できの悪いGHQ案を和風に料理してやろう。それが自分の使命であると、松本は新たな闘志を燃やした。(略)


ホイットニーとは、GHQ民政局の局長で憲法草案制定の責任者であるコートニー・ホイットニーのことである。

作業は急を要した。
だが憲法問題調査委員会は、すでに解散している。改めて精鋭スタッフを、組織しなければならない。松本の頭には、すぐ宮沢俊義が浮かんだ。


宮沢は憲法問題調査委員会の委員の一人で憲法学者で、松本とは意見の相違がありつつも、ともに政府案を作った中心的な人物である。

松本大臣は津川雅彦、宮沢教授は近藤正臣。なんだったらこの2人を想像してお読みいただいても楽しいかもしれない。

宮沢なら頼りになる。
大臣室に招かれた宮沢は、何かしら居心地が悪そうだった。


松本
GHQのナニはどうでしたか

ナニとは憲法のGHQ案のこと。

宮沢
なかなかエキゾチックな内容ですね

松本
気の重い話ですよ。あれをベースに考え直せって言うんですからな。
いがぐりですよ。皮を向かないまま飲み込めって言われてもね。


松本は笑ってみせた。
宮沢の意見を何度もしりぞけ、ほとんど独裁的に起草した草案を、いとも簡単にひっくり返されたのだから、きまりが悪かったのだろう。


松本
しかし、こうなったら、閣議決定に従うほかはありません。体制を立て直して、イガを取り除く作業をしなければなりません。
宮沢教授にわざわざお越しいただいたのはそのお願いのためでして…


松本は低姿勢であった。
宮沢はきっぱりといった。


宮沢
せっかくですが辞退させていただきます。
 

松本

まあ、そうおっしゃらずに…


宮沢
GHQの案はよくできていますよ。あのままでいいじゃありませんか。

松本
はっはっはっ、皮肉ですか?

宮沢
いいえ皮肉ではありません。
私は一読して感動しました。目からウロコが落ちる思いでした。


松本

目からウロコが落ちるって、あれは民政局のシロウトが作ったんですよ。


宮沢

そうでしょうね。憲法学者には、とても思いつかない条文です。


松本

宮沢さんーー

 

松本の反論をさえぎるように、宮沢は言葉を重ねた。

 

宮沢

正直にいいますと、私は学者の限界を感じました。もともと法律家というものは、保守的な考え方しか、できないものだと、思い知らされました。

 

松本は不機嫌に黙り込んだ。宮沢は遠慮しなかった


宮沢

失礼ですが、調査委員会のメンバーは、大臣をはじめ、明治憲法しか、頭にありませんでした。明治憲法を改正するという固定観念に支配されていました。それがそもそもの間違いだったんです。

高木教授がおっしゃったように、もっと早くGHQの真意を、確かめておくべきでしたね。

 

松本

私を批判してるんですか?

 

宮沢

自分自身を批判してるんです。


松本

すると何かね、宮沢さんはアメリカの押しつける憲法をすんなり容認しろというのかね。

 

宮沢

押しつけとはいえないでしょう。我々はナショナリズムにこだわりましたが、あの憲法案は、インターナショナルですよ。国家という概念を飛び越えて、人類の理想が示されています。戦争放棄して、平和国家を建設するという空前絶後の条文には、心を洗われました。


松本

宮沢君は、いつから理想主義者になったんだ。

 

松本は怒気をあらわにした。


松本

憲法は国家経営の基本法です。

歯の浮くような絵空事を並べて立てても、現実の政治には対処できません。インフレの対策には、物価統制令も必要だし、預貯金も封鎖して、新円を発行することも必要なんだ。


宮沢

それは別の問題でしょう。


松本

別の問題?


宮沢

理想持たない人間には、人間としての価値がありません。


松本
分かった!君には頼みません。
 

松本は憤然と立ち上がった。


こういうやりとりが現実にあったかどうかは、わからない。
日米の資料にこうした記録があったか、松本・宮沢両氏の証言があったか。

しかし、この場面も含めて『憲法はまだか』は、私たちに自分の持つ、あるいはこれから持とうとしている憲法についての座標点がどこなのかを、考えるキッカケになるのではなかろうか。

 

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ジェームス三木 読売新聞ウェブサイトより


この松本烝治と宮沢俊義のやりとりは、ひょっとすると三木氏の思いが詰まったシーンかもしれない。

小説の中で、三木氏はこう言っている。

 

現行憲法を、アメリカの「押しつけ」とする説は、必ずしも間違っていないと思う。マッカーサーの三原則から、民政局のモデル案が作成され、その大半を、日本は呑まされたのである。

しかし憲法が押しつけならば、民主主義も押しつけといわねばならない。押しつけだから変えるというなら、民主主義はどうなるのか。基本的人権はどうなるのか。


当時、GHQ民政局の最年少だったベアテ・シロタ・ゴードンの言葉を三木氏は引用している。
 

『日本国憲法』は、アメリカの憲法よりずっと優れています。自分の持ち物より、もっといいものを、プレゼントするとき、それを『押しつけ』というでしょうか。

 

三木氏は、自分の思いを抑えつつも、そのようなことを書く。


と、同時に三木氏は抑えつつも、思いがにじみ出る自分を自覚しているようだ。
それは、次の言葉でわかる。
 

何のために、筆者はこの小説を書こうと思ったのか。

それは『日本国憲法』に関わった人々を、記録の隙間から、人間として立ち上がらせ、心臓に鼓動を与え、呼吸をさせ、感情と性格を蘇らせたいと、思ったからである。

 

筆者が心がけたのは、それぞれの人物の思いや主張を、できるだけ公平に描き、誰の立場にも、立たないことであった。

だが実際には、至難なことであり、知らず知らずのうちに、個人的な好き嫌いが、出てしまったかもしれない。

 

フランスの思想家ヴォルテールはいった。

「私は君の意見に反対だ。しかし君が君の意見をいうことを、もし妨げるやつがいたら、私はそいつと、命をかけて闘う」

 

言論の自由とはそういうものだ。

どんなに意見が違っても相手のいうことをよく聞いて、議論をつくさなければならない。


この言葉こそが、どうやら本稿の主題といえばいえそうである。

憲法はまだか

憲法は私たち国民ひとりひとりが考えるものだ。

憲法は、ひとりひとりの器量が問われている。


だからこそーー

ひとりひとりの座標点探しだけは、いまからでも遅くはないのではあるまいか。

 

【参考】

ジェームス三木『憲法はまだか』(角川文庫)

 

テレビドラマ『憲法はまだか』

小説『憲法はまだか』