(その3からの続き)
-安土(9:41着・10:10発)-
安土城を一周し、天守閣、三重塔、二王門を巡りました。
百々橋を渡ってすぐに左折
この辺りが往時の安土城下町だった模様
さすがにその頃からの建物は残っていませんが、雰囲気は感じられます。
右カーブに石灯籠。
往時は枡形構造のまちなみだったのかな?
安土城址から離れると現代的な街並みに。
いよいよ安土駅へのアプローチ。
歩道付きのしっかりした道ですが、所々で古い建物も見かけました。
安土駅に着きました。
ここはやっぱり安土城推しですね。
そしてもちろんこのお方。
人間五十年の舞をしているところでしょうか?
ホームは2面3線。
能登川駅とは異なり、京都方面ホームに待避線が設けられています。
安土駅の南口に面して安土城郭資料館があります。
入館料も200円と安めなので、サラッと覗いてみましょうか。
館内には屏風絵や映像資料もありましたが、
いちばん目を引いたのがこちら。
安土城の断面模型です。
いやぁ、中はこんなんだったんですかぁ…。
絢爛豪華な外観ばかり有名ですが、中も凄い造りになっていますね。
お堂が天守内にそのまますっぽり入ってしまっているとは!
先ほど安土城天守跡で見た土台の跡は
窪んだ部分の石の位置と一致するみたいですよ。
あれを見てからこれを見ると、安土城天守の大きさがイメージできますね。
城郭資料館の見学を終え、次の駅へ向かいます。
北口を出てすぐに左折して西へ進みます。
この通り、先ほど以上に味のある通りでした。
このあたりも安土城の城下町で、今歩いている道は朝鮮人街道だったそうです。
当時の主要交通路・東山道は安土を通っていませんでしたが、
織田信長は安土城下町を発展させるべく東山道の支道を敷設し、
原則としてその支道を通行するように指示したそうです。
信長亡き後、この地を支配した豊臣秀次は安土の町民を
新たに建設した近江八幡の城下町に移住させたそうですが、
町民には引き続き朝鮮人街道を通行するよう指示し、
安土の役割もある程度残っていたようです。
途中の四つ角を左折して住宅地を北へ。
右手に水路が流れていますが、このあたりも湧き水が豊富なんだそう。
住宅地の北端で川を渡りました。
橋の傍らには常夜灯のような石灯籠が立っていたので
この道が朝鮮人街道なのかと思いましたが、違うみたいですね。
その先は一面真っ平らな水田地帯。
やはりここも干拓地で、昔は琵琶湖の内湖だったようです。
(その5へ続く)
安土駅周辺のGPSログ(1/22,500)です。















