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ある方の日記

人はその立場にならないと…物事の実感がなかなか湧いてきません。

それは仕方ない事かも知れません。


朴英二ブログ


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津波はすべてを飲み込みました。


知人の方も、この津波で家をなくし現在避難所生活をおくっています。


その方の日記を紹介します。


津波てんでんこ走る人昔からの言い伝えです。

津波が来たら親も親戚も構わず高台に逃げろ、そう思って逃げれば 必ず再会できるぴかぴか(新しい)

母親からしつこいくらい言われて来たのと、過去地震津波を経験して来たせいか

いち早く逃げる事が出来ましたあせあせ

激しく揺れてる時 窓から海を見たら水が引きはじめてました!

頭に浮かんだのは引きが早いと来るのも早い!

津波だ、防災サイレンが鳴った時は、2階から降り日頃から準備している防災グッズが入ってるリック持ってバイクで高台へ逃げましたダッシュ(走り出す様)

見下ろすと工業団地から逃げる車と海水が引くのと沖の方面から白く持ち上がった高波か゛

押し寄せて来て湾内で二倍以上に膨らんだ津波が

一気に逃げ惑う車や建物を飲み込み押し流す地獄のような光景を見ました波

引き波の時40~50位の車が海へ湾内は渦を巻き第2・3・4と何度と繰り返し

その間何度も巨大余震~~

運がよかった事は立て揺れのため建物が崩壊しなかった事で逃げられました。

教訓として携帯電話の充電器はソーラーが便利・テレビが見れ情報が入る。

車では逃げない、ガソリン用のタンクを準備しておく、電池乾電池ろうそくは絶対必要です。

今学校の避難所に居ますが近いうち内陸部の避難所に移ります。

災害は忘れてた頃にやって来る。


なによりも助かって本当によかった。


いつも、mixiでつぶやいたり、コメントをくれたりしてくれてたのに…

地震の後、ポツリと止まり…


数日たって、「生きてます」のつぶやき。

「本当によかった。」

「生きててくれてありがとう。」

「頑張ってください。」

といろんな人たちがコメントしていました。



都心にいるとまるでなにもなかったように感たりもする。

僕たちは、感じることを怠ってはいけないと思います。

もちろん同じ気持ちには決してなれないけれども…

僕たちにできる事はたくさんあるんだと思うんです。


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なにか一つでもできる事を…


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そして、たくさん笑いましょう。


幸せが幸せを運んでくれる。。。


そう信じています。。。

【テロップ有】セセデ支援隊!새 세대지원대!

先日UPしたセセデ支援隊動画にテロップをいれてほしいとの要望がありましたので入れてみました。
※セセデ→新しい世代という意味



福島と東北の朝鮮学校に支援物資をいち早く届けるための活動をドキュメント


今回テロップを入れながらすごく感じたんですが。。。

こんだけウリマルと日本語がごちゃまぜの会話を

100%聞き取れる人たちが大勢いることがすごいな~と勝手に思いました。

あるひとが言ってました「ウリボンマル」ですねヾ(@^▽^@)ノって。。。


是非日本の方や韓国の方にも広めてくださいm(_ _ )m

出国と疎開

福島原発の事故の報道を受け

外国人が続々と出国している

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少し残念な気もしないでもないが…これは仕方ないY(>_<、)Y

日本人が海外に仕事で行っていたとすれば、同じ行動をとるだろう

帰るところがあるのだから…


いまさらながら…

日本で生まれ育った在日に帰るところはない…という事をこれほど痛感させられたことはいまだかつてない。

個人的には、老後は祖国でくらしたいな~と考えていますが、

今回のような場合に、すぐに帰るという事にはならないわけです。


ボーフムのチョンテセも著書のなかでこんな事を書いていた記憶がある。

「ドイツにいるけど自分は在日です。」


言われてみれば面白い感覚ですよね。


3世代4世代かけて、在日コリアンのアイデンティティーが確立しているという事なんですね。




そういう意味で、ニューカマーとオールドカマーの隔たりを感じたりもするわけです。

もちろんすべてがという意味ではありません。

仙台の避難所で生活する韓国人留学生の話もそうですし…

地震の後に、韓国から日本に来ている僕の友人もいるわけです。



福島でお会いした方たちは、やはり福島の人たちでした。

東京から西へ西へと疎開する人もいる中で、福島に残り福島の人たちのために生きているわけです。

今後の原発の状況がどのようになるか…僕には正直わかりません。

だから、東京から西へ疎開する人を責めたりもしません。

特に子供たちは…

彼らは未来だからです。

大人になにかあったとしても子供を守る義務はあると思うからです。



北茨城地方に支援物資を届ける活動をしている人がこんな事を語っていました。

「この年になって、見えない敵にビビってなんかいられない。」\(*`∧´)/

この判断が正しいとか間違っているとかいう話ではありません。

とある方がこんな事を語っていました。

「今回に限っては、一回戦が決勝戦みたいなもんだ!!



西日本では疎開先として受け入れ準備を整えはじめていますが

数十万人の避難所生活を強いられている人々を一気に受け入れる事はできません。


東京からの疎開をどう考えるか…

ある学者は、万が一の時、一気にパニックにならないように…疎開できる人は疎開するべきだと言っています。

それも一理あるように思えます。

春休みで、親戚が西日本にいるようだったら、母親と子供で疎開するのは良い判断かもしれません。

なにもなければ戻ってくれば良いだけの事ですから。。

同時に、疎開する明確な志があればそれは誰であろうと逃げることにはならないと思います。

でも現時点で普通に仕事をしている人たちは、残って仕事をすべきだと思います。

経済を回さなければいけないと思います。

たくさん働いて、たくさん食べて、たくさん遊んで…ヾ(@^▽^@)ノ

そうしなければ首都機能を失い、さらなる被害を呼び起こしてしまうでしょう。



ジャーナリストが一歩踏み出すことは当たり前のことです。そこに勇気はさほど要りません。

本当に必要な資質は、10歩目は踏み出さない勇気だと…


僕はジャーナリストではありませんが、自分がやるべきことがなんなのか…

いま必死に考えています。

福島ハッキョの状況

東北ハッキョの最新情報はかっちんさんのブログ↓をご覧ください。

http://ameblo.jp/sanpurena/

福島ハッキョの状況を知っている限りお知らせします。
(情報元、学校に残り活動をしている金宗仁さん)

昨日の話では、現在福島ハッキョニは16名の(同胞,日本人)が避難しているとのことです。

一時29人の人たちが避難していましたが、親戚の家などをたより疎開したとの事です。

郡山市では物資が徐々に届き始めたそうですが大きな災害にみまわれた地域は何もない状態。

20日

ハッキョに避難しているすべての人がスクリーニング検査をうけ全員異常なし。

ガソリン調達組といわき方面への支援物資配達班に別れて活動。

給油量が制限されていましたが、少しのガソリンを確保。

いわき市地区10戸、勿来小浜地区12戸の同胞宅に物資を届けました。

同胞は、家屋のダメージも相当あり、水道復旧が遅れ苦労が絶えない状態。

ある同胞は届けられた物資を近隣の日本の人に配ったそうです。

物資をもっとたくさんの被災者に届けたいが、ガソリンが確保できないことがなによりも深刻とのことです。

最後まで、学校の先生たちは卒業式だけはと準備を進めてきたそうです。

しかし現状では予想以上に卒業式をおこなうのは厳しいとの事です。

それでも金宗仁さんは、あきらめていないと語ってくれました。

福島ハッキョのブログ
http://blogs.dion.ne.jp/f_chojun/

セセデ支援隊。動画アップしました(突貫編集バージョン)

福島ハッキョ,東北ハッキョへのセセデ支援隊の動画です。



※スピード優先で編集したのでクオリティーは大目に見てください( ̄ー ̄;

セセデ支援隊~東北ハッキョ編~

東北ハッキョで食糧などの物資が不足している…

現地の状況を正確に把握できていない状況の中で、一陣であった僕たちはどうしても焦る気持ちを抑えることができません。

一刻も早く届けないといけないんではないだろうか。。。

しかし。。。

こういう時だからこそ…焦る気持ちを抑えなければいけない。。。

ノーマルタイヤでチェーンもつけていない…

万が一2次災害になってしまったら…

確実に物資を届けなくてはならない。。。

「朝になるのを待とう。。。」H幹事長が決断しました。

こういう時にリーダーの存在がとても大切であることを実感しました。

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午前4時30分…

なんとか…近くのパーキングまで進んで、朝を待つことに。。。

パーキングも断水で中も寒いので車の中で仮眠をとることに。。。



午前7時30分。。。

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あたりは真っ白でしたが…雪は止んでいました。

そして、他の車両が動き出したことで

出発!!

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天候も味方し晴天…雪も完全にとけ…

さー宮城の同胞が待っています!!


午前9時…仙台南インター到着

仙台の街中では

開店前のスーパーには大行列。。

オープンしてないガソリンスタンドに1キロ以上の長蛇の列。。

そんな仙台の街を走り…東北ハッキョへ。。。

東北ハッキョは山の上にあります。

狭い山道を登って…

午前9時30分

東北ハッキョに到着!!

たくさんの人たちが出迎えてくれて…僕たちに拍手を送ってくれました。(ノ◇≦。)


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みんなで物資を運びました。

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食糧と日用品,衣類などが届けられました。

※今回の支援物資は、地震の後開設されたNPO法人ウリハッキョに集まった義援金と、呼びかけで集まった物資です。
※そして2tと4tトラックは、東京のH先輩が用意してくれた車両です。

多くの人々の想いが詰まった支援物資を無事届けることができました。



校長先生から言葉を頂きました。

「こんな遠いところまで本当にありがとう…いま東北地方は困難の中にいますが、全国の同胞たちが支援の手を差し伸べてくれるおかげで、私たちも勇気が湧いてきます。本当にありがとう…」

ビデオカメラを握りながらも涙を抑える事ができませんでした(ノ_-。)




宮城では、物資が手に入りません。

スーパーに何時間並んでも…一人5品まで…とか

お年寄りなどはスーパーに何時間も並べません。

宮城県本部では、東北ハッキョを拠点として

県内に住む同胞たちに支援物資を届けていました。

僕たちが届けた物資もその場ですぐ仕分けされ…

名簿を確認しながら…

ここは小さな赤ちゃんがいるからおむつとミルクを持って行ってあげてくれ。

ここはお年寄りがいらっしゃるからあたたかいものを持って行ってあげてくれ。

分担して物資をかばんに詰めて…自転車や徒歩で同胞の家を回っていました。

茨城朝高を卒業したばかりのトンムもボランティアに駆けつけておにぎりを一生懸命つくっていました。


そこには…

ハラボジ、ハルモニ達が生きた時代…

分け合い、助け合い、ともに生きてきた同胞社会の姿がありました。


ボランティア活動をしていたオモニが僕たちを見て

「ご飯は食べた?」と聞いてくれました。

「僕たちは大丈夫です。」と言おうとすると、

「ウリサラムでしょ?」と言って温かいラーメンを作ってくれました。

最高に温かく…最高に美味しく…最高に辛いラーメンでした。

もう胸がつまってしかたありませんでした。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。



東北ハッキョの校舎のダメージは燦々たるものでした。

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あちこちで、亀裂が入り

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1階の教員室も壁が崩れ

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4階では、天井から雨漏りが

とても使用できる状態ではありませんでした。

先生の話では…余震で崩れるかもしれないとのことでした。



過去に茨城朝鮮学校が火事になり校舎が燃えてしまった時…

東北や北海道…関東,関西…全国各地から救援の手が差し伸べられました。

そうして茨城ハッキョは不死鳥のごとくよみがえりました。



いま僕たちにできること…

これから僕たちが出来ること…

一人ひとりの力は微力かもしれませんが、みんなで力を合わせれば必ず立ち上がれると思いました。



僕は今回東北地方に行って…

逆に福島,東北の皆さんの頑張る姿に勇気と力を頂いてきました。

伝えることが僕が出来ること。やらなければいけないことだと思います。

今回撮影してきた映像をいち早く編集し配信したいと思います。


中央緊急対策委員会も動いています。

山形から宮城へ秋田から岩手へ支援金と物資が向かっているそうです。

また茨城,福島には直接支援金が届けられるそうです。



昨日北海道から入った支援物資が岩手に届けられたそうです。

今朝、兵庫の支援隊が、支援金とガソリン,スクーター,自転車などの、同胞訪問に必要なものを届けたそうです。
阪神淡路大震災の経験から、本当に迅速にそして必要なものを集めて届けました。

本日の夜、神奈川からも軽油や灯油などの燃料と支援物資を持って出発します。

そして、埼玉…京都…全国各地で…

支援の輪は全国に広まっています。

このブログを見た同胞のみなさん。

支援に関する問い合わせは各都道府県の本部に問い合わせてください。

なにかしらの動きが始まっています。

セセデ支援隊~福島ハッキョ編~

それは一昨日ツイッターでつぶやかれました。


 

「明日被災地への支援物資を届ける第一陣が出発します。…13時までに物資を○○○まで届けてください…」

 


連日TVで報道されている被災地の悲惨な状況…

 


被災地のウリハッキョで物資が足りないとの情報…

 


皆が思っていたこと。。。

 


それは…

 


「何か自分に出来ることはないだろうか…」

 


何か…

 


そう

 


何か…

 



翌日16日、朝会社に出かける途中…カップラーメンが積んであるお店を見つけすぐに買い上野に届ける事にしました。

 


16日正午上野に到着。。。

 


さっそく持ってきたカップメンを届けると


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「あれ?これだけ?」


「これから集まる…と…思う…」


どことなく自信なさげな感じと思ったのは僕だけでしょうかあせる


それでも目の前の支援物資を見ると…考えるより先に…


「撮影でついていけないですか?」


検討するとの答えをもらい、撮影の準備をするためにいったん会社へ


数時間後、連絡があり。


「18時に出発するのでそれまで来てください」とのこと


即効上野に向かうと…



そこには…


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支援物資を満載積み込んだ2tと4tのトラックが!!


こんな短時間でよくこんなに集まったもんだ∑ヾ( ̄0 ̄;ノ


そして


18時30分。


青商会代表2名と朝青代表2名…急きょむりやりお願いして載せてもらった僕の5名で出発!!


東北地方へ向かう高速道路は、はもちろん一般車両通行止め。


でも…そこは準備万端。


事前に許可をとっていたので、そのまま東北自動車道へ…


すきすきの高速道路を順調にすすみ


パーキングへ…


するとそこには…


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緊急車両ばかり…


ナンバーを見ると鹿児島。


全国各地より救援にかけつけているんですね。



セセデ支援隊の目的地は、福島ハッキョと東北ハッキョ。


福島ハッキョは郡山で東北ハッキョは仙台。


2台のトラックで分担していくべきかどうか。。。


しかし…朝青のC君は福島初中出身の東北朝高卒業生…


みんなで両方いこう!!


そして最初の目的地福島へ。。。


車はなれない4tトラック…またところどころ地面が舗装された後で盛り上がっていました。


事故のないよう…休憩しながら…ゆっくり運転し…


福島ハッキョと連絡をとりながら。。。


夜中の1時30分福島ハッキョに到着


夜中で一般の避難者の方たちはお休みでしたが…


本部のイルクンや先生達が出迎えてくれました。


凍えるような寒さのなか…一緒に支援物資を運びました。



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若い先生達。女性の先生達も頑張っていました。


茨城で行われているセッピョル学園でお会いした先生達もそこにいました。


明るい笑い声を聞き少し安心もしました。


温かい飲み物を頂いて現状などのお話を聞きました。


「ガソリンがないのが深刻です。ガソリンさえあれば遠くの同胞も学校に呼べるのに…」


「今回の原発事故で物資がほとんど入ってこない。いまはなんとか物資を確保できているが今後どうなるかわからない。」


そう言いながらも…支援物資の中から


「これはいまのところ足りているから東北ハッキョに持って行ってあげてほしい」と…


原発事故からの放射能の問題も、非難している人達が冷静に判断できるようにと、チラシも作っていた。


「本当にありがとう!道程気を付けてください!!!」


その言葉を頂き、僕たちは福島ハッキョを後にしました。


17日午前2時30分福島ハッキョ出発。


気温ー4度。。。


少し走ると雪が降り始めていました。。。


どんどん雪も強まり…視界もわるく…


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高速道路は車が通るとタイヤの跡が残り…それに沿って走れば、それほど心配もない。。。


でも現在一般車が通らない高速道路は、極端に車の量が少ないので、高速道路に雪が積もってしまう。。。


真っ白な高速道路…


「いつ滑ってもおかしくない。。。危険です。。。」


「もうこれ以上進めません。。。」


目的地の仙台まで50キロ地点で僕たちの車は進めなくなってしまった。。。



17日午前4時…



つづく

無力であったとしても

昨日は、会社のメンバーで外壁のペンキを塗りました。

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僕はペンキ塗りは初めてだったんですが、↑Hから教わりながらペンキ塗りをしました。


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↑ビフォー

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↑アフター



午後に仕事で出かけようとした時。。。

大地震が来ました((>д<))

揺れは凄かったんですが…どんな規模などかも想像することもできず…

とりあえず横浜駅までいきました。

横浜駅に到着すると…すんごい人で溢れかえっていました。

横浜駅で少し待機してみることにしたんですが…

デパートやビルの中からどんどん人が出てくるんです。

どこからこんなに人がわいてくるのか?

といった感じです。

横浜市は日本で一番人口が多い市で360万人が住んでいます。

溢れんばかりの人を見て

「街というものは、災害時の事は想定されずに造られているんだ…」と

初めて気付かされました。



2回目の大きな地震を街中で体感しました。

5番街のビックカメラビルが音を立てながら今にも倒れてきそうな勢いで揺れていました。

さすがにビビりました。。。

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ダイエーの側道に亀裂が数十メートル入っていました。



人は目の前で起こっている状況しか認識できない…

そして今後起こりうる危険を察知する能力も乏しいことを痛感。

家に戻ってTVを観るまで…東北地方でどのような状況になっているかを想像もできませんでした。。



「天災の前で人間は無力である。」



Oh! my god!

という救いを日本に住む多くの人たちは持ち合わせていません。



人間は無力かもしれない…

でも意識を有するもので人間より有力なものが存在しないのであれば、

人間は人間の力を信じるしかないと思うんです。

神様の力を信じてないかもしれませんが…

僕たち人間が持つ「助け合う」という言葉は信じられると思うんです。

26歳になりました。

昨日3月6日僕は26歳の誕生日を迎えましたヾ(@°▽°@)ノ

おめでとう~!!!!

せ~の

ケーキ

ふ~

パチパチパチ音譜

いや~一人で誕生日気分を味わえるなんて…ブログってすばらしいо(ж>▽<)y ☆

…あ

そこじゃない…

…26歳って( ̄_ ̄ i)

いや…その~…

朝起きたら26歳になってたんです。寝る前は35歳だったのに…


なぞなぞみたいですいませんm(_ _ )m

みなさん「年齢」ってなんだと思いますかはてなマーク

俺~そろそろ30だし~とか…アラサーとかアラフォーとか…

なんか年齢に縛られちゃってる気がしませんか?

そもそも、肉体年齢にしても精神年齢にしても、むちゃくちゃ個人差ありまくりだと思うんですよね~。。。

世の中で生活するうえで、学校とか仕事とか…なにかの会員にいたるまで年齢を書く欄があり偽ることは法律にひっかかる場合もありますから、そこらへんは素直に従うべきなんですが…

身も心も知らず知らずに、それに従ってしまうのはおかしな話だと思うんです。

だから昨日僕はいきなり26歳になろうと思ったんですグッド!

友人におっくんという人がいます。

彼はいつでもどこでも23歳です。というので、僕も最初はえらいふけてんな~と思ったものです。

ただいまだに彼が本当は何歳なのか知りません。

ということで23歳でいいや!ということになっています。

ちなみに彼は1年後あっても23歳なんです( ̄_ ̄ i)

いまでは彼の意図がすごくわかります。

※そんな意図だったかどうかは正直わかりませんが…



とま~そんな事を日曜日お仕事でいった湘南の海を眺めながら考えていたわけです。

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その足で茨城の日立市に向かいました。

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午前中に湘南を眺め午後に茨城の鵜の岬を眺め。。。

僕にとっては、昨日が海の日でした波

「未来をあきらめなかったものたち」のインタビューにも出ていただいたC氏にお招きいただき、国民宿舎「鵜の岬」に行ってまいりました。

国民宿舎「鵜の岬」は初めて行きましたが、日本で一番人気のある国民宿舎で予約も全然取れないそうです。

ご一緒したメンバーはペンネームで紹介します。

①Cさん
②「素晴らしい!ありえない!」さん
③やたらとカンニング事件に詳しいYさん
リンゴさん
⑤とんぼのUさん
⑥僕
の6名でした。

Cさんから昔の話などを聞いてとてもとてもためになった貴重な時間でした。

偶然か必然かCさんがこんな話をしていました。

「青春とは青春した時が青春だ」

素晴らしいお言葉頂きました。かっこ良すぎますо(ж>▽<)y ☆

楽しい時間と貴重なお話ありがとうございました!!



最後に念のためですが、僕が26歳になったからと言って、いままでの後輩がいきなり先輩になるということではないです。

20年前の運動会の風景がそこにはありました。。。

「血は水よりも濃い」とよく言われます。

たしかに血をイメージすると濃い感じがします。

病院で「あなたの血液はさらさらですね~」と言われたとしてもさすがに水よりは濃いと安易に想像できる。

もちろんそんな話をわざわざしたいわけではなく…f^_^;

本来使われている意味での「血は水よりも濃い」という言葉を聞いて

それが果してどれだけの意味を持っているのだろうか?

と思う事もあるわけです。

「家族の絆」などの意味で使われると同時に

世の中では、「民族性」という意味でその言葉がよく使われます。

この「血」って何なんだろう?と最近よく思うわけです。



「朝鮮人はいつ朝鮮人になるか知っとるか?」

「え?生まれた時ですか?」


「あほ!気持の問題や。」


「ごほん。それは、異国の地で生まれ育ち…」


「バカタレー!!朝鮮人はな~…」


これは、「晴天長短」の中で出てくる、年配のオモニと若い先生のやりとりの一場面です。

年配のオモニはこう続けます。

「朝鮮人はな~年寄りにやんややんや言われて…刃向って…またやんややんや言われて…刃向って…またやんややんや言われて…諦めた時…朝鮮人になるんや!」

この物語は、20年まえの朝鮮学校を舞台に繰り広げられる在日の家族の物語です。


運動会の開会式で「金日成将軍の歌」が流れると、アボジが立ち上がり

「おー。久々やな~この歌まだ覚えてるかな~

…チャ~ンベッサンチュルギチュルギ

…あれっクリウムとクイルムどっちが先やったかな~

…あ~やっぱりクリウムが先やったわ~…

…ア~アクイルンド~ピンナヌン キムイルソンチャング~ン音譜

まだまだ歌えるな~!!」


歌が終わるともう一曲始まり…

「なんやこの歌?…あ~キムジョンイルの歌か~…世代的に知らんからパスしますわ」


と誰がきいているわけでもないのに一人歌わないことを宣言し座る。



非常に難しく微妙な問題を、よくこんなにさらっと描けたもんだな~と関心するばかりでした。

これはほんの一部分にすぎないのですが、60分の作品の中に随所に考えさせられるセリフが盛沢山でした。

気に入ったシーンをあげたらもうキリがありません。

明日(もう今日ですね)にもう一度公演があり、審査があります。

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本日公演の後審査員をまじえてのトークがありましたが、あの柄本明さんも審査員だったんですね~∑ヾ( ̄0 ̄;ノ

審査員の感想の中にこんな言葉がたくさんありました。

「羨ましいよね」
「日本では家族が崩壊しちゃってるから…」

この物語もたしかに20年前の話なんで…今はかなり違ってはいるものの、いわゆる「家族」というものは今ものこっていると言えます。

日本人からみた在日社会がどのように映っているのか大変興味もあったので、そういう意味でも目から鱗でしたね。

本日ラスト公演

下北沢「劇」小劇場にて16時より~

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19時~公開審査会がおこなわれます。

僕は仕事と別件でいけませんが、「晴天長短」が最優秀賞を受賞すること心よりねがっています。