セセデ支援隊~東北ハッキョ編~
東北ハッキョで食糧などの物資が不足している…
現地の状況を正確に把握できていない状況の中で、一陣であった僕たちはどうしても焦る気持ちを抑えることができません。
一刻も早く届けないといけないんではないだろうか。。。
しかし。。。
こういう時だからこそ…焦る気持ちを抑えなければいけない。。。
ノーマルタイヤでチェーンもつけていない…
万が一2次災害になってしまったら…
確実に物資を届けなくてはならない。。。
「朝になるのを待とう。。。」H幹事長が決断しました。
こういう時にリーダーの存在がとても大切であることを実感しました。
午前4時30分…
なんとか…近くのパーキングまで進んで、朝を待つことに。。。
パーキングも断水で中も寒いので車の中で仮眠をとることに。。。
…
午前7時30分。。。
あたりは真っ白でしたが…雪は止んでいました。
そして、他の車両が動き出したことで
出発
天候も味方し晴天…雪も完全にとけ…
さー宮城の同胞が待っています!!
午前9時…仙台南インター到着
仙台の街中では
開店前のスーパーには大行列。。
オープンしてないガソリンスタンドに1キロ以上の長蛇の列。。
そんな仙台の街を走り…東北ハッキョへ。。。
東北ハッキョは山の上にあります。
狭い山道を登って…
午前9時30分
東北ハッキョに到着
たくさんの人たちが出迎えてくれて…僕たちに拍手を送ってくれました。(ノ◇≦。)
みんなで物資を運びました。
食糧と日用品,衣類などが届けられました。
※今回の支援物資は、地震の後開設されたNPO法人ウリハッキョに集まった義援金と、呼びかけで集まった物資です。
※そして2tと4tトラックは、東京のH先輩が用意してくれた車両です。
多くの人々の想いが詰まった支援物資を無事届けることができました。
…
校長先生から言葉を頂きました。
「こんな遠いところまで本当にありがとう…いま東北地方は困難の中にいますが、全国の同胞たちが支援の手を差し伸べてくれるおかげで、私たちも勇気が湧いてきます。本当にありがとう…」
ビデオカメラを握りながらも涙を抑える事ができませんでした(ノ_-。)
…
宮城では、物資が手に入りません。
スーパーに何時間並んでも…一人5品まで…とか
お年寄りなどはスーパーに何時間も並べません。
宮城県本部では、東北ハッキョを拠点として
県内に住む同胞たちに支援物資を届けていました。
僕たちが届けた物資もその場ですぐ仕分けされ…
名簿を確認しながら…
ここは小さな赤ちゃんがいるからおむつとミルクを持って行ってあげてくれ。
ここはお年寄りがいらっしゃるからあたたかいものを持って行ってあげてくれ。
分担して物資をかばんに詰めて…自転車や徒歩で同胞の家を回っていました。
茨城朝高を卒業したばかりのトンムもボランティアに駆けつけておにぎりを一生懸命つくっていました。
そこには…
ハラボジ、ハルモニ達が生きた時代…
分け合い、助け合い、ともに生きてきた同胞社会の姿がありました。
ボランティア活動をしていたオモニが僕たちを見て
「ご飯は食べた?」と聞いてくれました。
「僕たちは大丈夫です。」と言おうとすると、
「ウリサラムでしょ?」と言って温かいラーメンを作ってくれました。
最高に温かく…最高に美味しく…最高に辛いラーメンでした。
もう胸がつまってしかたありませんでした。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
…
東北ハッキョの校舎のダメージは燦々たるものでした。
あちこちで、亀裂が入り
1階の教員室も壁が崩れ
4階では、天井から雨漏りが
とても使用できる状態ではありませんでした。
先生の話では…余震で崩れるかもしれないとのことでした。
…
過去に茨城朝鮮学校が火事になり校舎が燃えてしまった時…
東北や北海道…関東,関西…全国各地から救援の手が差し伸べられました。
そうして茨城ハッキョは不死鳥のごとくよみがえりました。
…
いま僕たちにできること…
これから僕たちが出来ること…
一人ひとりの力は微力かもしれませんが、みんなで力を合わせれば必ず立ち上がれると思いました。
…
僕は今回東北地方に行って…
逆に福島,東北の皆さんの頑張る姿に勇気と力を頂いてきました。
伝えることが僕が出来ること。やらなければいけないことだと思います。
今回撮影してきた映像をいち早く編集し配信したいと思います。
…
中央緊急対策委員会も動いています。
山形から宮城へ秋田から岩手へ支援金と物資が向かっているそうです。
また茨城,福島には直接支援金が届けられるそうです。
…
昨日北海道から入った支援物資が岩手に届けられたそうです。
今朝、兵庫の支援隊が、支援金とガソリン,スクーター,自転車などの、同胞訪問に必要なものを届けたそうです。
阪神淡路大震災の経験から、本当に迅速にそして必要なものを集めて届けました。
本日の夜、神奈川からも軽油や灯油などの燃料と支援物資を持って出発します。
そして、埼玉…京都…全国各地で…
支援の輪は全国に広まっています。
このブログを見た同胞のみなさん。
支援に関する問い合わせは各都道府県の本部に問い合わせてください。
なにかしらの動きが始まっています。
現地の状況を正確に把握できていない状況の中で、一陣であった僕たちはどうしても焦る気持ちを抑えることができません。
一刻も早く届けないといけないんではないだろうか。。。
しかし。。。
こういう時だからこそ…焦る気持ちを抑えなければいけない。。。
ノーマルタイヤでチェーンもつけていない…
万が一2次災害になってしまったら…
確実に物資を届けなくてはならない。。。
「朝になるのを待とう。。。」H幹事長が決断しました。
こういう時にリーダーの存在がとても大切であることを実感しました。

午前4時30分…
なんとか…近くのパーキングまで進んで、朝を待つことに。。。
パーキングも断水で中も寒いので車の中で仮眠をとることに。。。
…
午前7時30分。。。

あたりは真っ白でしたが…雪は止んでいました。
そして、他の車両が動き出したことで
出発


天候も味方し晴天…雪も完全にとけ…
さー宮城の同胞が待っています!!
午前9時…仙台南インター到着
仙台の街中では
開店前のスーパーには大行列。。
オープンしてないガソリンスタンドに1キロ以上の長蛇の列。。
そんな仙台の街を走り…東北ハッキョへ。。。
東北ハッキョは山の上にあります。
狭い山道を登って…
午前9時30分
東北ハッキョに到着

たくさんの人たちが出迎えてくれて…僕たちに拍手を送ってくれました。(ノ◇≦。)

みんなで物資を運びました。

食糧と日用品,衣類などが届けられました。
※今回の支援物資は、地震の後開設されたNPO法人ウリハッキョに集まった義援金と、呼びかけで集まった物資です。
※そして2tと4tトラックは、東京のH先輩が用意してくれた車両です。
多くの人々の想いが詰まった支援物資を無事届けることができました。
…
校長先生から言葉を頂きました。
「こんな遠いところまで本当にありがとう…いま東北地方は困難の中にいますが、全国の同胞たちが支援の手を差し伸べてくれるおかげで、私たちも勇気が湧いてきます。本当にありがとう…」
ビデオカメラを握りながらも涙を抑える事ができませんでした(ノ_-。)
…
宮城では、物資が手に入りません。
スーパーに何時間並んでも…一人5品まで…とか
お年寄りなどはスーパーに何時間も並べません。
宮城県本部では、東北ハッキョを拠点として
県内に住む同胞たちに支援物資を届けていました。
僕たちが届けた物資もその場ですぐ仕分けされ…
名簿を確認しながら…
ここは小さな赤ちゃんがいるからおむつとミルクを持って行ってあげてくれ。
ここはお年寄りがいらっしゃるからあたたかいものを持って行ってあげてくれ。
分担して物資をかばんに詰めて…自転車や徒歩で同胞の家を回っていました。
茨城朝高を卒業したばかりのトンムもボランティアに駆けつけておにぎりを一生懸命つくっていました。
そこには…
ハラボジ、ハルモニ達が生きた時代…
分け合い、助け合い、ともに生きてきた同胞社会の姿がありました。
ボランティア活動をしていたオモニが僕たちを見て
「ご飯は食べた?」と聞いてくれました。
「僕たちは大丈夫です。」と言おうとすると、
「ウリサラムでしょ?」と言って温かいラーメンを作ってくれました。
最高に温かく…最高に美味しく…最高に辛いラーメンでした。
もう胸がつまってしかたありませんでした。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
…
東北ハッキョの校舎のダメージは燦々たるものでした。

あちこちで、亀裂が入り

1階の教員室も壁が崩れ

4階では、天井から雨漏りが
とても使用できる状態ではありませんでした。
先生の話では…余震で崩れるかもしれないとのことでした。
…
過去に茨城朝鮮学校が火事になり校舎が燃えてしまった時…
東北や北海道…関東,関西…全国各地から救援の手が差し伸べられました。
そうして茨城ハッキョは不死鳥のごとくよみがえりました。
…
いま僕たちにできること…
これから僕たちが出来ること…
一人ひとりの力は微力かもしれませんが、みんなで力を合わせれば必ず立ち上がれると思いました。
…
僕は今回東北地方に行って…
逆に福島,東北の皆さんの頑張る姿に勇気と力を頂いてきました。
伝えることが僕が出来ること。やらなければいけないことだと思います。
今回撮影してきた映像をいち早く編集し配信したいと思います。
…
中央緊急対策委員会も動いています。
山形から宮城へ秋田から岩手へ支援金と物資が向かっているそうです。
また茨城,福島には直接支援金が届けられるそうです。
…
昨日北海道から入った支援物資が岩手に届けられたそうです。
今朝、兵庫の支援隊が、支援金とガソリン,スクーター,自転車などの、同胞訪問に必要なものを届けたそうです。
阪神淡路大震災の経験から、本当に迅速にそして必要なものを集めて届けました。
本日の夜、神奈川からも軽油や灯油などの燃料と支援物資を持って出発します。
そして、埼玉…京都…全国各地で…
支援の輪は全国に広まっています。
このブログを見た同胞のみなさん。
支援に関する問い合わせは各都道府県の本部に問い合わせてください。
なにかしらの動きが始まっています。