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CHARGE「Express 零」

数日前に戻りますが

以前何度か観に行ったことがある「CHARGE」の

10周年記念復活公演「Express 零」に行ってきました。

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脚本もそうですが、その演出に言葉を失いました。

またこれ音響照明も素晴らしいんですね。。

もちろんその素晴らしさがわかるのはメンバー達の、演技,ダンス,歌唱力が総合的に素晴らしいからなんですが。。。

小劇場ですが5公演すべて満員御礼。。。

完全にエンターテインメントとして仕上がっていました。

初めてCHARGEの公演を観に行った時は、まだ演出をしたことがなかったので、「面白い!!」「また観たい!!」と感動したものですが、今回はむちゃくちゃ勉強になりました。。

自分が恥ずかしくなるくらい(→o←)ゞ

選曲もいいな~。。

演出,振り付けもし尚出演するリーダーの藤林美沙さん。

相当いろんなもの見てんだろうな~いろんな曲聞いてんだろうな~って感じです。

最後のセリフ「いってらっしゃい」って。。。もう言葉がでません。

一気にファンになっちゃいます。。

そして、知人でもある李順和さん。。

彼女のキャラクターは度肝を抜かれますね。。

CHARGEのメンバーや舞台に上がる人は全員女性です。

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女性のしなやかさ,力強さが存分に発揮されている舞台でした。



先週観に行った「東尋坊」でも生と死が扱われていましたが、

日曜日に行ったCHARGEの「Express 零」でも生と死が扱われていました。

その日に親族が亡くなりました。

そして昨日まで大阪に行ってきたんですが。。

いろんな事を考えました。

「Express 零」でこんな事が表現されていました。

永遠であろうとするはかなさ…永遠である苦しみ…

帰るべき場所があることの幸せ…逃げない事から広がる人生…



あたり前ですが、人の命は永遠でないからこそ、楽しく…悲しく…生に対する実感をもてるんだと…

いつかは訪れる死。。。

「東尋坊」で語られていた「死は生の先にあるのではない。いつも隣り合わせ」なんだと。。。

もちろん…そんな事ばかり考えていたらそれこそ息苦しくなってしまうけど…

でも「死への恐怖」を拭いされるのは「生きている証」を実感できるか否か。。。

必要なのは生きる勇気なんだと。。。


自分の信念と愛するひとのために…


そう「Express 零」の最後の曲は、「鱗」だったんです。


李忠成という生き方

難しい…難しすぎるテーマである( ̄ー ̄;

僕は以前、李忠成という人物の生き方に対して否定的だった時期もある。

しかし、彼の生き方をもう一度ゆっくり考える必要があるのではないだろうかと常々考えていた。

彼は在日コリアン4世として生まれた。

U-20では韓国代表に招集されている。

出場機会には恵まれなかった。

彼は2007年に日本国籍を取得した。

「安易な道を選択した。」とすいう人もいるが、それには共感できない。

彼もまた葛藤し…苦しみ…「日本国籍」を選択したのだ。

李のまま…

そして日本代表になり、昨日決勝弾を決め一躍ヒーローになったグッド!

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日本人も在日も惜しみない拍手を送った。

彼は試合前ブログでこう語っていた。

「…僕は生まれてきて今まで韓国と日本の両方を尊重し、尊敬の念を惜しんだ事はありません。
僕にとっての祖国は日本・韓国二つです。
僕は日本という国籍を選び、今はサッカー日本代表選手に選ばれアジアの頂点を目指しチームの力になろうと頑張っています。…」

彼は、リアン系日本人として堂々と胸をはったのだ。

素晴らしい生き方だと思います。



しかし難しい問題もあります。

在日コリアンは、彼のようにコリアン系日本人を目指すのが良いのかどうかという問題です。

現在年間1万人の在日コリアンが、帰化しているとされています。

本名のまま帰化する人たちがどれだけいるのだろうか…

社会に自分をアピールできる能力を持っている人たちだからこそ可能である。。。という側面はないだろうか。。。

以前Newsweekのジャパニーズ・コリアンという特集の取材を受けたことがある。

そこに紹介された人物たちは、スポーツ選手,歌手,アーティストなど特別な表現手段を有する人達だった。

もともと日本国籍を取得する理由はなんだろうか…

それは、日本でよりよく暮らすためであり…

それは、ルーツを否定することと同義語であってはいけない。

本人はルーツを否定するつもりはなくても、国籍は日本…名前も日本名…

子供たちはどのように育っていくのだろう。。。

え?民族にこだわる必要なんてそもそもないんじゃない?

こだわってる?

いや…本当は当たり前である事が…あたり前に思えないからこだわっているように見えるだけだと僕は思う。

旅行に行って楽しいのは、その地域の風習や文化,食べ物の違いがあるからであり、それは世界旅行をしようが、国内旅行をしようが同じである。

どこどこの県出身だからと言って差別されてはいけない。

どこどこの県出身だからと恥じたり隠したりするのは、なにかがゆがんでいる証拠だと思う。



在日コリアンも将来的には、日本国籍を取得し生きる時代が来るべきだと思う。

しかしそれは、「すべての人」が、ジャパニーズコリアンとして堂々と生きれる日が来ての話だと思う。



李忠成選手の生き方を応援したいと思う('-^*)/


でも僕は、日本国籍を取得しない:*:・( ̄∀ ̄)・:*:



大きな城の裏口から入ってまぎれてしまう人たちが沢山いるなか、

李忠成は正門を叩いて入って行った。

僕は自分たちの小さな城を、もぬけの空にするわけにはいかない。

攻撃してくる悪い人たちもいますから\(*`∧´)/

鄭大世選手の活躍の情報は僕たちの城に勇気を与えてくれるо(ж>▽<)y ☆


自分になにが出来るだろうか。。。

僕は僕たちの城から出かけて大きな城の前に行って

の中の人まで見れるくらいの大きなスクリーンに大きな文字を映し出します。

「正門は開けっ放しにしてほしい。というより正門は取っ払っちゃいましょう。
こっちの城の門も取っ払っちゃいますから。。ほんでもって最高においしいメロンパンを一緒に食べましょうヾ(@°▽°@)ノ」


そうして、みんなが幸せに堂々と生きれる日本になるよう頑張りたい。

「東尋坊」

在日の若手演出家の鄭光誠氏作・演出作品「東尋坊」の撮影に行ってきました。

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中野テアトルBONBON

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今回の公演は「自殺」という問題をテーマにした作品です。

演劇の世界は詳しくないんですが…

インディーズの映画では、比較的多く扱われている題材です。

だからこそ難しい…

その難しい題材に真っ向から挑んだ作品です。

カメラを握っていたのでそのすべてを把握することができなかったのですが、とても力強い作品でした。


現在日本では年間3万人が自殺していると統計がでています。

行方不明者が年間10万人に達していることから考えると自殺者数はそれ以上いることでしょう。。

不況…いじめ…孤独感…

強者と弱者…

強者には弱者が見えていない…

強者?

本当に強者は存在するのでしょうか?

もともと人間は弱者なのかも知れない…

その弱さを払しょくしようと…強くなろうと…する。。

物事にチャレンジし…何かを成し遂げようと努力することは素晴らしいことだと思います。

でも足元が見えなくなってしまう事もあります。

そしてつまづいて転んだとき…立ち上がれなくなってしまう。。。

そして初めて自分の弱さを思い知るんだと思います。

弱者である自分自身を見つめることが大切なのではないでしょうか。。。

「足元をみなさい」とは偉大な教えです。

両足が地についているからこそ大きく跳べるんだと…



今日の公演もほぼ満席でした。

それぞれの立場…現状…悩み…

それぞれの心に、何かを届けた…そんな公演でした。

妙な切なさ…

韓国負けてしまいました。。。残念でした。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

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サッカーの試合を観ながらツイッターをチェックしてました。

在日の友人たちのつぶやきを観ていると、韓国を応援していながらも

日本にもエールをおくっていました。



韓国人の友人がいる日本人も

日本人の友人がいる韓国人も

同じような感じでした。。


その気遣いがとても大切だと思いました。

顔が見えるからの気遣いだと思います。


ネットの世界ではやはりそうはいかないんですね。

「キムチ悪い」
とか書きこみがありました。(´д`lll)

逆に韓国にもそういう人たちがいるそうですが。。。

とても残念です。



在日の日本への気遣いはとても素晴らしいと思う一方で

なんとなく切なさ」を感じます。

日本で生まれた現実の中で自分の生きる道を模索しているような…

もちろん「長友のプレー最高だな~」とか「本田のパスは絶妙だな~」とか

知っているからこそという部分もあると思います。

ただ…韓国が試合に負けて…「眠れないな~」と思いながらも次のオーストラリア戦は日本を応援しようと考えている自分に、言葉では言い表せない「妙な切なさ」を感じたわけです。。

純粋なスポーツなのに…

いや、純粋なスポーツだからこそ…

何かを突きつけられている
…そんな気がするんです。

高尾山制覇!!

朝大サムルノリ公演

土曜日、青商会の集まりに行った後、懐かしい朝大に向かった。。。

朝鮮大学校のサムルノリサークルの公演を観るためでした。

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NEWSTYLEで2年以上スタッフとして活躍する主将のりょんすのラスト公演。。

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僕達の時代にはサムルノリクラブはなかったんですが…

いまは部員もかなり多くて、結構迫力ある舞台を披露してくれました。

スゴヘッソヨ~≧(´▽`)≦

後ろに女子が座っていて黄色い声援が飛び交っていましたが、ウリマル100%でしたヾ(@°▽°@)ノ

さすが朝大!!

「私はチョーデに行って音楽の先生になるの…だからあんたに心配されなくても大丈夫!」

智絵もここを卒業していったのでしょう。。。

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主将のりょんすとちーちゃん。

あっ…そうそう…ダンス部というものが存在したのもビックリ(ノ´▽`)ノ

いい感じでした。。。

普通に考えたらダンス部があって当たり前なのに…固定観念って恐い。。。

テラスで缶コーヒーを買いました。

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変わらない風景でした。

ん…ちょっと待てよ??

なんでここがテラスなんだ?

「テラス」調べてみました。

「家屋の母屋から突き出した部分のこと。。。」

こんな感じ…

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誰が最初に「テラス」と名前を付けたか知りませんが…責任をとってもらいたい\(*`∧´)/



「僕たちはあのテラスから始まったんだ…ラブラブ

テラスじゃね~し(;´Д`)ノ



ま~それはいいとして、帰りに「フランソワ」に行きました。

「キャンディー」に行きたかったのに連れの要望で「フランソワ」になりました。

ひさしぶりに食べる「フランソワ」…

懐かしい青春の味がしました~:*:・( ̄∀ ̄)・:*:



フランソワ買って行ったら

「オ~!ハンモグムマン チュラ!」

「お~!一口だけちょ~だい!」

…その一口がどれほど大きかったことか( ̄ー ̄;



二段ベットの上から吐かれて、頭からかぶってしまったK君
はいまや立派になり…

自らの顔の脂で、牌を滑らせ…役萬に振り込んでしまった脂ギッシュなJ君
は経営者になり…

あれから15年…

懐かしいし、楽しい日々だった。。。

でも…戻りたくはない…かな


15年後に

「15年前はこんなことやあんなことがあって

懐かしいし、楽しい日々だった。。。

でも…戻りたくはない…かな…

いまが最高に楽しいから…」

と言えるような人生を歩みたいと思います。

大阪ラグビー部 呉監督とセブンサミッター鄭義哲氏

北海道の登別温泉温泉に行って来ました~!!

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今回は、新春ウリマダンという北海道同胞が集まる新春イベントで

2年連続全国3位に輝いた大阪朝高ラグビー部 オ・ヨンギル監督

世界7大陸の最高峰の山を制覇した在日の登山家 鄭義哲氏

お二人を交えてのトークのコーディネーターとして90分間挑みました。



高校ラグビーの激戦区の大阪では、ラグビーをやっている高校が170校に上るという。。。

その中で見事、大阪代表(3校)として全国大会に出場。。

名だたる競合を撃破し…惜しくも桐蔭に敗れていまったが、見事ベスト4。しかも2年連続!!

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今年は…決勝進出…そして…優勝。。。と期待されているという事を学生たちも自覚していた。。。

そんなプレッシャーの中で彼らは最高にいいプレーをしてくれた。。

そう語る呉監督。

学生たちに指導する時、

「こうしなさい。ああしなさい。とは絶対に言わない。自分で考えろと。。。」

自分の子供たちにも同じように言っている。。

…親は子供たちにいろいろ言ってしまいがちである。。でも本当は自分で考えて行動するように導いてあげるのが教育なんだという事を、あらためて実感。。

素晴らしい話を聞けました≧(´▽`)≦



そして鄭義哲氏

彼は、32歳の時初めて山を登ったのがきっかけとなり、ほとんど素人でありながら、富士山も登ったことがないのに、アフリカ大陸最高峰であるキリマンジャロに挑戦( ̄□ ̄;)するという凄い人です。

それから数年の間に世界の最高峰を次々に制覇!!

最後に残ったエベレストΣ(・ω・ノ)ノ!

エベレストは、難易度もさることながら…一番の問題は費用が莫大にかかることだという。

入山料だけでも100万円ヽ((◎д◎ ))ゝ

当然一人では登れないので、現地でシェルパーを雇うのだが一人80万円。。

諦めようかと途方に暮れていた時、在日登山協会のバックアップのもとチャレンジする事に!!

有名な登山家はシェルパーを20人以上雇うのにくらべ、鄭氏は一人を雇うのがやっと…

そのシェルパーも途中で荷物を置いて去って行ってしまうという事態に…

途中では、雪に埋まっている死体の姿も。。。

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滑落の恐怖…マイナス20℃を下回る世界…

8500mを越えたあたりから全く進めなくなってしまう…

それでもあきらめず一歩ずつ進む…

そして…

見事登頂に成功!!


その話を思い出すだけでも。゚(T^T)゚。感動です。

僕も最初は

「なぜ山に登るのか?」

という疑問が湧きました。。

でも話を聞いているうちに

その答えは…あるわけがない。。。と思うんです。

彼にとっては

「なぜ生きるんですか?」


という質問と同じなのかもしれないからです。

世界で300人…日本に15人…もちろん在日では初

彼は山頂でこの旗を掲げます。

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世界のてっぺんでこの旗を掲げた初めての人…鄭義哲。。。


彼は言っていました。

「いま生きている人たちは山をやめた人たちだ…」


そんな死と隣り合わせの中でも…チャレンジを続ける彼の姿から

言葉では表現できない強い心を感じとることが出来ました。


講演も今回が2回目だと聞きました。

もっと多くの人達に聞かせてあげたい。。

とくに学生たちに彼の話を聞いてもらいたいと強く感じました。



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素晴らしい出会いに感謝してますヾ(@°▽°@)ノ


そして…その場を提供してくださった北海道の方々に感謝しています!!


ホームページアップ~スタジオ探検

フォトスタジオ・ニュースタイルのホームページがアップされました~!!

newstyle-studio.com

スタジオ内を探検してみますо(ж>▽<)y ☆

スタジオは横浜の三ッ沢公園の近く「宮ヶ谷」という場所にあります。

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中に入ると

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エントランス…
※照明が当たっている所のサインが韓国で作った鉄製のサインです。


メインスタジオ
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背景と照明器具のスタジオ設備…
黒いソファーでエレガントに決めることも( ̄▽+ ̄*)


A-スタジオ
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ヨーロピアンテイストでウエディング撮影を行ったり…レンガ背景やコンクリート背景でいろんな撮影が可能。。



B-スタジオ

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子供を自由に遊ばせながらの自然な撮影が可能なキッズROOM

壁にチョークで落書きもできちゃうんです音譜


C-スタジオ
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成人式や七五三…和と韓の撮影が可能
です。
トルチャンチの撮影が出来るスタジオは僕の夢でもありました。


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メイク,着付けルームも完備していますヾ(@°▽°@)ノ







高い技術は欠かすことはできません。

しかしそれだけでは届かない領域があると思います。

必要なのは…

これは、僕が映像を制作してきた経験の中で学んだ事でもあります。

撮る人の心が写るのが、写真であり映像なんだと。。。



大切な想いをカタチに…最高の笑顔を永遠に…


というコンセプトのもと

NEWSTYLEだからこその写真を残して行きたいと思います!!

さようなら…バイク

今日僕のバイクが、バイクの王様に売られて行ってしまった。゚(T^T)゚。

3年くらい乗っていなかったけど、またいつかは乗りたいと思っていた。。。

cagiva mito125

イタリアのブランドだった。。。

そのブランドは昨年つぶれてしまった。。。

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オブジェとして気に入っていたが仕方がない。。。



僕が初めてバイクにまたがったのは高1の頃。

兄が乗っていたRGVr250

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2ストロークエンジンでむちゃ危険なバイクだった;;

高校3年の時からは

Bandid250!!

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これで学校に通っていたわけですが…

先生に見つかり止められそうになったのを振り切って逃げたことがあります。

…いまだにその時のことを言われます(´□`。)


一度は盗まれて…半年後に戻ってきた優秀なやつでした('-^*)/

その後…

大学4年の時祖国を訪問して帰ってきたらバイクが消えていました。

母から6万円を手渡されました(T▽T;)



そして今日最後のバイクとお別れをした訳ですが

バイクの王様に3万円で引き取られて行きました。。。



バイクを手放すことになり…あの時を思い出しました。

いまから、3年前バイク事故である人がなくなりました。

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ノリックこと阿倍典史さんです。

レース中ではなく、公道でUターンしてきたトラックに衝突しました。

僕が彼と出会ったのは、その1年前でした。

僕よりは一つ年下なんですが、自分にとても厳しく努力家であり、また気さくな一面も持つ青年でした。

生前に彼が言っていた事はいまでも記憶に残っています。

「ロッキー・ザ・ファイナルを観て人はどういうかわからないけど、老いた体で自分と戦っている彼の姿にとても感動した。自分もそうありたい。」と

全日本ロードレース初参戦、18歳の史上最年少チャンピオンだった彼は、その時すでに、32歳になっていた。。。



その1か月後彼は事故でなくなりました。

やり残した事もたくさんあったと思います。

でも…彼の姿に多くの人々が勇気付けられ…彼の言葉が多くの人々の記憶に残っているわけです。

人の価値とは何で決まるのか…

何をもって素晴らしい人だと言えるのか…

そんなことを考える今日この頃です。

NEWSTYLEメンバー紹介~