本当の自分に目覚め、幸せに生きる光の心の医療 (いずみハートクリニック / 神戸市 東灘区 心療内科)
  • 02Feb
    • 受験における大切な心構え

      受験シーズンになると、ほとんどの学生は自分に志望校に通るだろうか、落ちるだろうかと不安になるかと思います。志望校に受かるかどうかで、自分の人生は決まってしまう。自分が将来、幸せに生きられるかどうかは、志望する学校に受かるかどうかにかかっていると思ってしまうことがあります。志望校に受かるためにどうすればいいか?一般的には、時間を惜しんで勉強に励み、合格圏内にまで成績を引き上げ、その上で、試験で全力を尽くして自分の力を発揮することだと教えられます。その結果志望校に受かるどうかと言えば、それは必ずしも保証の限りではありません。受かる確率は高いでしょうが、必ずしも受かるとは限らず、落ちることもあります。いくら合格圏内のレベルの実力があっても運悪く落ちることもありますし、これまでの成績を見れば不合格圏内の実力であっても奇跡的に受かることもあります。試験に受かるかどうかということについては、自分の力の及ばない運というものの影響があります。人の人生において努力は大事ですが、その結果は必ずしも努力だけで実るものではなく、運によって左右される面があるのだということを理解しておくことがとても大事ではないかと思うのです。もしそれを理解できるなら、勇気をもって素直に結果を受け入れることがとても大切なことです。それができずに、試験に落ちると自分はダメな人間なんだと自分にレッテルを貼ってしまう人がいます。あるいは、これで人生の歯車が狂ってしまったと思う人がいます。試験の結果自体は運によるかもしれないし、あとになって振り返ると志望校に行けずに別の学校に行ったことで人生が開けることもあります。にもかかわらず、自分の努力がすべてであり、自分がダメだったからこのような結果になったのだと自分にレッテルを貼ってしまうと、潜在意識下で自ら人生をダメの方に導いていくので、人生を本当につらいものにしてしまいます。試験の結果よりも、その結果に対する受け止め方の方が、人生においてはずっと大きな問題です。大切なのは、試験に落ちたことで自分はダメだなんてレッテルを絶対に貼らないことです。運によって左右されることもあるのだと理解して、結果を素直に受け入れることです。さらにできることなら、「きっとこの方がよかったのだ。自分の小さな頭ではよくわからないけれど、天がそのように導いてくれているのだ」と思うことです。不思議と、運というものはそのように素直に、前向きな考え方をする人の味方をするものです。試験を通じて、運を味方にするようなメンタリティを身につけることができれば、人生は自分の思う以上にいい方向に開けると思います。試験はその結果よりも、試験という試練を通して、どのようなメンタリティを身につけ、どれだけ自分の心が成長するかということの方がずっとずっと重要です。受かろうが、落ちようが、自分の心を前向きに持つことができるようなメンタリティを身につけることができれば、人生に負けるようなことはありません。時間とともに、ここに語られていることが本当だったなと実感できるようになると思います。

  • 31Dec
    • やりたいことをやる!

      やりたいことをやる!って、とても大事なことではないかと思います。多くの人は「まわりの人がこうしているのだからこうすべき」「常識的に考えればこうだからこうすべき」と言います。また多くの人は、そうした考え方に従って生きていくことができます。ある程度、妥協して生きていけるんですね。ただ一部の人にはどうしてもそうしたことができません。まわりの人がこうしているからだとか、慣習だからだとか、常識的にこうだからとか言われてもどうしてもできません。無理をしてやろうとしてもなぜかうまくいかず、イライラしたり、落ち込んだりして、そんな自分が嫌になります。では、まわりの人の慣習や常識に合わせられない人って、ダメでどうしようもない落ちこぼれなんでしょうか?それは歴史上の偉人や現代でも偉大なことをなしている人が証明していますが、決してダメなことではありません。そうした人は魂の個性がとてもはっきりとしているんです。潜在意識で自分のやるべきことを知っていて、そうでないことに対しては、言いようのない違和感を抱くのです。自分の個性に応じたことであればすごく頑張れるのですが、そうでないことに対しては、「それって私のやるべきことじゃないよ」って感じてしまって、心や体が反応してしまうんです。ですから、自分の意識を押し殺して、慣習や常識というものに合わせようとしても無理なんです。それでも合わせうとするなら、心身の不調をきたして病気になるくらいしか道がなくなります。私自身もそうした人間で幼少時から何十年も苦しんできました。「みんながやるからって、なんでそれをやらないといけないの?その理由を説明して」というようなことを偉そうに自分より年上の人によく訊ねましたが、ほとんどの人は納得するような説明をしてくれませんでした。今思うと、みんなあまり考えずに行動していて、その根拠はよくわからないまま、ただ慣習や常識だからと言ってやっていたに過ぎなかったですね。その中には、慣習や常識だと言ってもすべての人に当てはまるようなものではなく、おかしなこともあったように思います。自分の人生を振り返ると、最初は群れから離れることを怖がってまわりに合わせようとしました。しかし、結局それができず、一旦は自己嫌悪になり、最後の最後にどうしようもないので開き直って自分のやりたいようにやってきました。そのやりたいようにやったことだけ結果が実り、成功に結び付いたように思います。私が行っている心の治療もその中核をなす部分は、精神医学で一般的に語られているものを学んだのではなく、人の心が本当にしあわせを感じて生きられるように導くにはどうすればいいかを探求し続ける中で見出してきたものです。それが力となって、ときには治療困難と思われる人の心にも光をもたらすことができたように思います。だから、もしあなたが本当の自分の声を感じとっていてやりたいことがあるのなら、自分の感じるままに進んでいくといいと思います。もちろん、やりたいことだからと言って、法を犯すような行為や人に苦しみを与えるような行為をしてはいけないのは言うまでもないことです。ただまわりの人に何と言われようとも、常識的に考えればこうだということがあろうとも、そうしたことを無視しても構いません。自分の心が軽くなり、生き生きとなる方向に進むべきです。生き生きとした自分でいる限り、道は開けてきます。そうして開いた道はその人を生かすとともに、まわりの人に光を与える道にも繋がっていくように思います。

  • 11Dec
    • どん底のときの心の支え

      人は生きている中で、悲しみや苦しみのどん底に陥ることがあります。そんなときって、とても不思議なんですが、元気なときにはたくさんいた人間関係がいなくなってしまいます。「誰か連絡してきてくれないかなー」と思っても、そうしたときに限って誰からもメールもラインも電話もありません。本当に全然ありません。思わず「みんな第六感でもあるのか?」「第六感で察知して連絡をしてくれればいいのに、逆に、波長が合わなくなって遠のいてしまっているのかな?」とさえ思ってしまいます。「誰か自分の気持ちをわかってくる人はいないかなー」と思って自分の家族を見ても、友だちや先輩、上司などの人間関係リストを見直しても、いざとなると誰もいないものです。自分にはたくさんの人間関係があると思っていたのに、この落ち込んだときにありのままの自分をさらけ出し、それを理解してくれる人がいるかと考えてみると、意外といないものです。中にはひとりかふたり、そうした人間関係を持っている人もいるかと思いますが、それは本当に恵まれています。そのひとりやふたりこそ、あなたにとってかけがえのない人なのですから。一方、誰もいなければ、人によってはネットや本を漁(あさ)ってどこかに救いの言葉はないか、探し求めるでしょう。人によっては、宗教に癒しと救いを求めるでしょう。人によっては、カウンセリングや心療内科に救いを求めるでしょう。人生のどん底のとき、まわりに誰もいないと感じるとき、藁(わら)をもすがりたい気持ちに駆られます。「誰かこの気持ちを理解し、癒してくれないだろうか?」「このどん底から脱するヒントを教えてくれないだろうか?」「いや、せめて寄り添ってくれないだろうか?」と。けれども、どん底の悲しみと苦しみをもたらしている問題は、その人自身の問題です。自分にふりかかってくる問題は必ずその人自身の中に解ける力を秘めており、自分でその力に目覚めて、問題を解き、脱していくしかありません。結論はそうなのですが、そうしたどん底にある人がいるとき、人として、心の医者としてはこんなふうに思います。どん底にある人が求めてきたとき、自分が少しでも寄り添える人であれば・・・。少しでも気持ちを理解し、癒しを施せる人であれば・・・そして、どん底から脱するヒントを伝えられる人であれば・・・宗教などをやっている人の中には、自分こそがそうしたことができる人間だと思っておられる人がいます。しかし、私の理解する限り、自分のことをそんなふうに思っている人で、どん底にある人に救いを与えられる人はいないような気がします。おそらく、その人は自分の考えや価値観を押し売りする人であり、人を救っているつもりになっているだけであって、どん底の人の心に光をもたらすことはありません。人の心に光をもたらすというのは、そんな簡単なことではないはずです。なかなか難しいのですが、それでも私自身は幸いなことに、友だちや患者様にしばしば「あのときにお前がいてくれてよかった」「あのときに先生がいてくれたからここまでこれたんだと思います」と言っていただけることがあります。ただそのように言っていただくときに、いつもどこか他人事のような気持ちになります。なぜなのでしょうか?きっとそうしたかかわりを持っているときには、我を忘れ、自分であって自分でないような心の状態でかかわっているからかもしれません。無我(むが)の心の状態でかかわることができたときのみ、どん底の人の心にささやかな光を伝え、その人の心の支えになることができるのではないか。そんな気が致します。

  • 05Dec
    • 摂食障害治療のゴール

      摂食障害というとても難しい病気があります。摂食障害を治す難しさは心療内科医、精神科医だって一体何%の人が治せるのかといったレベルにあり、その治癒率はガンに匹敵するといっても過言ではないと思います。そうした摂食障害治療のゴールって何だと思われるでしょうか?食事が普通にできるようになること?拒食症であれば、体重を増やすこと?過食症であれば、直すのは難しいから過食と付き合いながら生きることを学ぶこと?おそらくそうしたゴール設定で治療に取り組んでおられる医者もおられるかと思います。もしかするとかなり多くの医者がそうかもしれません。「じゃあ、あなたの考えるゴールは何だと言うんですか?」そんな声が聞こえてきそうです。摂食障害という病気の治療は本当に難しいです。ですから、あまりにも深く病気にとらわれている方、病気とともに歩んできた人生が何十年にもわたって病気が自分の一部になってしまっている方、こうした方の一部には病気と付き合いながらいかに少しでもましな人生を生きるかということを目指すのが精一杯ということもあるというのが事実です。ただ重症の摂食障害から脱する方もいます。そうした方々と共有し、目指す治療のゴールは、「摂食障害という病気と闘(たたか)い、乗り越えながら人として成長し、楽しいなあ、幸せだなあっていう日を送れるようになること。摂食障害という病気はただ体重を回復させるだけではだめ。新たな自分に目覚めて成長し、楽しいなあ、幸せだなあ、ときにありがたいなあという日を送れるようになること」それが摂食障害の治療のゴールです。「大きなことを言っているけれど、本当にそんなことができるの?」って言われるかもしれません。大きいとか小さいとかではなく、摂食障害の人たちの心を見つめ、本当にその心を救うことを考えるなら、これしかゴールはありません。もともと心の中にある生きづらさがあって、摂食障害という病気に陥ってしまったのです。治療に取り組む中で生きづらくなった心の問題を乗り越えなくては完治はありません。「摂食障害が完治だって?完治した、絶対に再発しないと言い切れるのか?」って言われるかもしれません。本当に楽しいなあ、幸せだなあという気持ちに目覚めて生きられるようになったとき、そこに摂食障害になる心の余地はなく、完治したと言えると思います。少なくとも「本当によくなったね。もう治ったと言っていいと思うよ」と伝えた人で、再発した例はありません。つい先日も2人の摂食障害の患者さんが完治間近になってきました。その1人は「今は楽しいです。毎日が幸せだなあって思います。」という話をしてくれました。こちらから何かを言って誘導したわけではないですよ。自ら「今日はいい知らせをお話ししたくて来たんです」と話す中で、そうした言葉を発していたんです。さらに、「私が『将来の夢がない』と言ったとき、先生は『摂食障害が治って本当の自分が出てきたら、夢は自然と湧き上がってくるよ』と言っていたけれど、本当に夢が出てきたんです。ほんと先生の言った通り、良くなってきました」という話をしてくれました。そうなんですね。誰の心の中にも本当の自分があって、その本当の自分は自分のやりたいことを知っているんです。夢もその本当の自分の心の中にあり、本当の自分に目覚めてくると自ずと幸せを感じ、夢も出てくるんです。心の病気の治療はどのような病気でもそうですが、症状だけを見てそれを消そうとするだけの治療では行き詰まることがあります。その人の心を見つめ、遠くにその人が楽しく、幸せに生きていただくことを思いながら治療を行っていく。そうした姿勢がとても大切ではないかと思います。

  • 27Nov
    • 自分を追いつめてしまう人へ

      こうしなくてはいけないのに自分にはできない。そんな自分が情けないと思ってしまう。まわりの人に申し訳ない、まわりの人に悪いと思ってしまう。そんなふうに自分を追いつめてしまう人に言いたい言葉があります。「ダメダメかもしれないけど、こうしなくてはいけないということをきちんとやるよりも、できない自分を許してあげる方が大事だよ」って。「何を言ってんだ?」なんて思われるかもしれません。でもね、人ってわかっていてもできないことってあるんです。わかっていても失敗してしまうことってあるんです。それって『普通(ふつう)』『普通』なんですよ。何でもかんでもきちんとできる人って、それはいるでしょうけど、そんな人って数%程度だと思います。できなかったり、失敗したりするって、結構、普通のことなんです。ただそうしたときにあまり自分を追い詰めて、自己否定して、自分の感情を下げてしまうのだけはやめた方がいいかなって思います。だって、そんなことをすればどんどん自分の心の力を失って、ますます何もできなくなってしまいますから。「どうして自分はできないんだ。こんな自分は最低だ!」なんていう悪循環にはまってしまいます。そんなのやめた方がいいです。できなかったり、失敗したりすることって、意外に普通なんです。だから、許してあげることです。「ダメダメだけど、まっいいか。自分は自分のままでいいんだよ。まだまだ成長の余地はあるけれど、とりあえずOKにしておこう」ってね。これを実践するのはね、意外に難しいと思います。きちんとやるべきことをやることよりも、やれない自分を許してあげる方がずっとずっと難しい。もしこれができれば、あなたはほんとすごい成長をしたって言えます。絶対にそう言えます。やるべきことをやれる人よりもすごいんじゃないかな。許すということはそれほどにすごいことなんです。もし自分を許すことができると、心には余裕が生まれてきます。どこかほっとして、安心できます。すると、その余裕が本当の自分の心の力を引き出してくれて、やるべきことをやる力が出てきます。そんなもんです。逆説的ですが、何もできていないダメダメな自分を許した方が、やるべきことをやれる自分になっていけるんです。自分を追い込んでしまう人へ。自分を追い込んだって、自分の力を失って不幸になるだけだから、やめましょう。とても難しいと思うけれど、「今の自分でOK!」って言ってあげて自分を許しましょう。それができればね、今までの自分にはなかった新たな心境が芽生えて、確実に幸せへの一歩を踏み出せるんじゃないかなって思います。

  • 23Nov
    • なぜかよくなる

      心の診療をしていて、「なぜかよくなる」なんて無責任なことを言っていてはだめですね。でもね、診療に携わっている人ならわかると思いますが、人がよくなるかどうかは医者にだってわからない部分があるんです。この症状にはこのお薬が効果があるだとか、ある程度のことは見通しが立ちます。ただ、人って機械ではありませんからね。人の心の中には大きな世界があり、いくら勉強や経験を積み重ねても誰からも見えない部分があるんです。だから、いつどのようによくなるかはわからないってところがあるんです。それが、最近はなぜかよくなる患者様が増えている気がしてならないんです。実際、患者様にも「先生に会えて良かった」とか、「最初からここにきていたら良かった」とか、「先生とお話しして帰ってからは調子がいいんです」とか言っていただくことがとても多くなってきました。褒めていただいても自惚(うぬぼ)れてはいけないなあなどと思って聞き流しているのですが、冷静になって振り返ると、そのように言っていただく頻度がとても高くなっている気がするんです。ほんとありがたいことです。なんでよくなることが多いのでしょうか?よくわかりませんが、きっといろいろな要素が組み合わさっているんだと思います。ひとつはクリニックの環境かもしれません。当然、清潔で整理整頓して、雰囲気の良い空間作りは心掛けているのですが、それだけではなく、光あふれる空間になればと思い、多くの『Chie Art』の絵を飾っています。特に、最近入手した絵のグレードは高くて(あっ、理屈では説明できません。私がそのように感じているだけです)、診察室は光あふれるとても居心地の良い空間になっています。そうした環境の中で診療をしていると、私も肩の力が抜けて、なんというか無我に近い境地で診療していることが多くなってきます。なんというか、ゾーンに入ることが多くなって、自然と自分であって自分でないような言葉を発していることが多いような気がするのです。自分が相手の方の心に光を伝える役割に徹することができて、相手の方にもその光が伝わっている確率が高い気がするのです。もちろん、私もまだまだ未熟なところがあるので、そうそううまくいかないこともありますけどね。ただ相手の方の表情に光が差し込んで喜んでいただけると、とても幸せな気がします。相手の方の心に光を伝える役割にふさわしい自分となって、人の心に光を伝える仕事ができれば…その光がどんどん純粋になって、強いものになっていけば…これからの人生はそんなふうに生きていきたいと切に思います。

  • 13Aug
    • 治療者はどこまでかかわるのか?

      心の医療において、治療者がどこまでかかわるのか?これは意外に難しい質問だと思います。医療であれば、その人の病気の部分にかかわるのは当然のことです。病気を直し、癒やすのが医療ですからね。ただ特に心の医療においては、病気の部分だけを扱っていては治せないことがしばしばあります。患者様のニーズを満たさないことがしばしばあります。どういうことでしょうか?例えば、人間関係のストレスによって心の病気がもたらされたとします。そうすると、診療では病気の症状のことだけでなく、自然とストレスのことにも話が広がります。それを「自分は医者なので病気の症状だけを聞いて、ストレスの話などは聞きません」とするならどうなるでしょう?おそらく、その人の病気を治せる確率はかなり低くなります。では、ストレスの話を聞くことにしましょう。さてここからです。ストレスというのは、外的要因と自分自身の内的な感じ方の掛け合わせです。要するに、人間関係のストレスであれば、他人の言動とそれを受け止める自分自身の感じ方の両方に原因がありうるわけです。外的要因については、第三者に相談をして調整を図るなり、その環境から離れるなりすることで対処できます。問題は自分自身の感じ方に要因があるときです。例えば、話を聞いていると以前の職場でも、その前の職場でも、あるいは学生のときにも同じようなパターンで、人間関係のトラブルに巻き込まれてストレスを感じるようになっていたとしましょう。その場合、それは外的要因というよりも、おそらくその人自身の問題です。もしそうであれば、その人自身に問題に気付いていただき、向き合ってもらい、問題を引き起こしてしまう自分のパターンを変えるように心がけていただくことが必要になります。病気を治し、幸せになっていただくには必要なことです。しかし現実には、その問題に向き合うか否か、自分のパターンを変えるように心がけるか否かは、その人自身の課題であり、その人自身に選択権があります。個人的な話をするなら、医者になってまだ若かった頃は、その人になんとしても課題に気付いてもらい、向き合ってもらい、取り組んでもらいたいと思い、押しの強いかかわりをしてきました。しかし今考えると、それはある意味、私自身のエゴだったのかもしれません。その人にはその人のペースがあり、課題に向き合おうとするときと向き合いたくないときがあります。それを無理にでも向き合わせようとしたことは、その人にとっては余計なお世話であり、心の負担だったのではないかと思います。現実には、病気を治したい、悩みから脱したいと言いながら、課題に向き合うくらいならまだしばらくは今のままでいいという人がいるのです。本人はそうしたことに気がついていないのですが、客観的にみると、まだ課題には向き合う気になれませんよという人がいます。その場合、結局は自らそうした選択をして、「そのままでいれば、いかにつらく苦しくなるのか。いかに自分の考えが幸せからずれたものなのか」ということを知る心の修行をしているのです。このようなとき、治療者は一定の距離を持ってかかわることを余儀なくされます。その人に少しでも幸せになっていただきたいと思っても、その人にとってその時期ではなく、まだ修業をする時期であるとき、治療者は深くかかわることを控えざるを得ません。これは治療者としての経験を経て、どこまでかかわるべきかということについて得た新たな気づきのひとつです。

  • 11Feb
    • 直感を信じる

      ここ数日、凍りつきそうな寒い日々が続いています。そんな中、ふと夜空を見上げると、月と星がとてもきれいに輝いています。特にここ数日、何かわからないけれど、月が気になってとてもきれいだなあと見入ってしまいます。こうした世界にいることに、心の奥底から感謝の気持ちが湧き上がってきます。やけに気になるので、きっと何か意味があるような気がします。ただこうした直感を信じるのは難しいことです。現実的な常識にとらわれていると、自分の直感を打ち消してしまいます。人の目や言葉ばかりを気にしていると、直感の声はどんどん小さくなって、そのうちに聞こえなくなります。心の調子が悪いときは、直感そのものを感じとれません。直感で感じるものがあるとき、理由はよくわからなくても、心に留めておくといいように思います。直感でこうした方がいいと思ったことは、その通りに行動するといいと思います。自分の中に偽りの自我があると、そうしたことはとても難しいのですが、直感の声を聞き、直感通りに行動することから、偽りの自我の殻を破っていくといいと思います。直感通りに行動できる人というのは、とても素直な人です。常識というものの中で努力をしている人よりも、最後には直感で行動する人こそが、成功や幸せというものを手に入れているような気がします。

  • 30Jan
    • どんな言葉が人の心に伝わるのか?

      どんな言葉が人の心に伝わるのか?それはわかりません。患者様に「この前、先生に言っていただいた言葉がすっと自分の中に入ってきて、大分良くなりました」ということをよく言われますが、どのような言葉がどのようなタイミングで伝わるのかはなかなかわからないものです。このブログだってそうですね。正直に告白すると、「今回はちょっといいことを書けたかな」と思ったブログの反響が悪くて、「今回は雑談のような話だけれどそうしたものもいいかな」などと思って書いたブログの反響がすごく良かったり・・。ほんとわからないものです。ただ確率の高さというのはありますね。若かった頃は「先生の言葉が自分の中に入ってきました」というようなことは全く言われませんでしたが、最近では、月に何度かは言われているような気がします。日々、人の心を見つめ、自分自身を見つめる。自分も人も少しでも幸せな方向に向けられないかを学び、腑に落ちるまで深く考え、実践に移す。そうした経験の積み重ねの中で、人への洞察力が高まり、相手に伝わるような言葉を発する確率が上がるのかもしれません。ただひとつ言えるのは、「相手の心に伝わるような名言、あるいは一転語(迷いを転じて悟りを開かせる一語)でも言ってやろう」などと思って話して、相手の心に伝わることはほとんどありません。名言や一転語を言ってやろうという心には、自我我欲の思いがあり、自我我欲の思いでもって、人に影響を与えるような言葉を語ることはできません。大事なのは、どの言葉が伝わるかわからないけれども、ただ相手の心をじっと見つめ、少しでも心に響くように自分の持ちうる最善の言葉を誠心誠意、伝えようとする無私の心です。無私という言葉は少し難しいかもしれません。無私という言葉を平たく述べるなら、自分がどんなふうに見られるだとか、自分がどんなふうに評価されるだろうかとかを考えない心です。ただ純粋に相手のことだけを思う心です。日々の研鑽による洞察力の向上とともに、自我力ではない無私の心が合わさったとき、まさに奇跡のように、相手の心に伝わるような言葉を発することができるのかもしれませんね。

  • 28Jan
    • 優秀な人が陥る罠(わな)

      優秀な人が人間関係において陥る罠というのがあります。優秀な人は勉強ができたり、仕事ができたりします。何でもそうですが、上の世界からは下の世界がよく見えます。ですから、優秀な人は勉強ができない人や仕事ができない人の問題点がよく見えます。優秀な大学に入った大学生が家庭教師をできるのも、そうしたことですね。優秀な人は優秀なのだから、そうした自分に自尊心を持っていればいいと思います。ただ優秀な人の中には優秀であるにもかかわらず、その裏に強い劣等感を持っている人がいます。自己評価が低く、心の奥は「本当の自分は全然ダメなんじゃないか。だから、誰にも認めてもらえないのではないか」という思いを持っている人ですね。そうした人は、勉強ができない人や仕事ができない人を見ると、その中に自分を見てしまいます。要するに、相手のできないところを見て自分の劣等感が刺激されて、相手にも自分と同じように完璧を求めるのです。そうすると、どうなるのでしょうか?勉強や仕事のできない人に対して、厳しくあたったり、イライラしたり、バカにしたりするようになります。自分が優秀であるが故に相手の問題点が見えるのですが、その一方で、劣等感があると相手を自分と同一視してしまって、相手に対してそうした態度をとってしまうのです。こうした人に必要なのは、相手を許す心であり、何よりも自分を許す心です。ありのままの自分にOKを出し、ありのままの相手にOKを出す心です。人は自己重要感を得るために優秀さを求めますが、優秀さだけで自己重要感を満たすことはできません。自己重要感を満たすには、ありのままの自分を受け入れる心こそが必要なのです。優秀であってもその奥に劣等感のある人は、優秀さよりも自分や人を許し、受け入れる心の方が求められているものであり、大事なのだということを知ることです。いたずらに人に厳しくあたったり、イライラしたり、悪口を言いたくなったりするようなときには、その相手の問題点ばかりを見るのではなく、自分の心を見つめて下さい。あなたの劣等感を相手に求めたり、蔑(さげす)んだりすることで、自分の心を満たそうとするのをやめることです。劣等感があっても自分が優秀でなければそうしたことはできません。しかし、優秀な人は相手を下に見て、自分の劣等感を癒そうとする行為ができるので、要注意です。そうした行為は、人間関係を悪化させるばかりではなく、ときとして、敵を作ります。そして、いずれ自分が苦しむことになるということを知っておいてほしいと思います。

  • 24Jan
    • 幸せになる心の教育

      今の学校教育にあればいいなあと思うことがいくつかあります。そのひとつに『幸せになる心の学問』というような科目があればいいのになあと思います。「心の持ち方ってそれぞれの自由だから、それぞれの個人に任せておけばいいんじゃない」って言われるかもしれません。その通りですね。また、「幸せになる心の教育などと言いながら、変なことを吹き込んで洗脳のようなことを行っては大問題でしょ」と言われれば、その通りだと思います。ただ心の医療を行っていて思うのは、人間には誰にも同じような感情があるように、心には共通した法則があるということです。心の法則があるから、心の病気から脱して心の病気にならないように、さらにそれを機に幸せな人生に転じることができるように助言し、導くことができます。幸せな人には幸せな人に共通する心があり、人生が上手くいかずに不幸を感じている人には不幸な人に共通する心があります。わかると当たり前のようなことであっても、心の法則を知らないために落とし穴に落ちてしまって、人生を苦しんでいる人はたくさんいます。私自身もそうです。自分で「これが自分の性格だし、これでいい」と思っていたことが、自分自身を不幸にして苦しめるパターンだったことが多くありました。そのために、多くの試練と向き合うことにもなりました。もっと早く知っていれば・・もっと早く気がついていれば・・どれほどいい人生を送ることができただろうかと思います。仕方のないことですし、それもきっと意味があったんだと思います。ですから、悔いるようなことはしませんが、もし心の法則を教えてくれるような教育があればどんなに良かっただろうかと思います。心の法則というのは、すでに多くの歴史上の偉人が気付き、語っています。ただ法則という基本公式はあっても、各個人における問題は応用問題であり、いかにして応用展開するかということについては、学びと経験を積み重ねる必要があります。また、心の法則を理解するには平面的ではなく、立体的にとらえなくてはならないので、とても難しいのだと思います。Aの考え方とBの考え方があるとき、それらをどうしたバランスで考えるか。ときには、2つの考えがあってお互いに矛盾するのだけれども、どちらかが間違っているのではなく、どちらも真理はある。その場合、どのように考えればいいのか。など難しいところがあります。そして、これらの学んだことは机上の空論であってはなりません。学んだことは筋力トレーニングのように毎日、実践し、そして、実証していかなくてはなかなか身につきません。こうした難しい面があるので、これまで学問として体系化されてこなかったのかもしれません。ただ『幸せになる心の学問』というものがあればいいなあと思うのです。

  • 22Jan
    • エネルギー量の高い人

      何かをなすためには、エネルギー量ってとても大事だと思います。人格の良し悪しにかかわらず、エネルギー量が低いと何事も成し遂げられません。エネルギー量が高ければ、とてもパワフルに行動できますし、行動するところには必ず何らかの成果があります。また、エネルギー量の高さは、人は惹きつけます。エネルギー量の高い人には勢いがあり、その言葉にも影響力があります。政治の世界では、それぞれの候補にエネルギー量の差があれば、エネルギー量の高い人が当選しているように見えます。ただエネルギー量が高くても、いたずらにエネルギー量が高いだけでやるべきことを見つけられずにいると、それはそれで問題となることがあります。エネルギーの発散のはけ口を求めて、イライラして人にあたったり、感情や欲望に身を任せて衝動的な行動をとりやすくなったりします。エネルギーを使う方向性を見出すことが大事ですね。自分の人生を振り返ると、若かった頃はあり余るエネルギーのコントロールに悩み、最近はエネルギーの消耗の早さに悩んでいます。今頃になってようやくエネルギー量の重要性を理解し始めています。ただ年をとってもエネルギー量の高い人っていますよね。小池百合子東京都知事は64才、ドナルド・トランプ大統領は70才。彼らはおそらく普通に過ごしている30才代くらいの人よりずっとエネルギー量が高く、勢いがあります。年をとってから漠然と生きて、自分のエネルギーを分散させているようであってはこうしたエネルギー量を維持できないように思います。いつまでも高いエネルギー量を維持するには、自分の思いをひとつのことに集中して、その目標に向かって生きる。平たく言えば、はっきりとした生きがいを持ってワクワクと生きることだと思います。ちなみに、これは自分にも言い聞かせています。自分の思いをひとつのことに集中させ、エネルギー量の高い生き方をし続けたいとそんなふうに思います。

  • 20Jan
    • 疲れているときは・・

      疲れているときに、ついイライラっとしてしまう。疲れているときに、余計なことを言ってしまって自己嫌悪になってしまう。そんなことってありませんか?疲れているときはエネルギーがありません。ですから、人との会話がうまく噛み合わなかったり、人との間にトラブルが起こったりすると、それを受け止めたり、対処したりすることができません。『疲れているときは、人と話さない』『疲れているときは、人とかかわらない』これが原則です。人と人との関わりはエネルギーのやりとりです。疲れているときは特に、負のエネルギーの強い人と関わりを避けなくてはなりません。負のエネルギーの強い人というのは、我が強く、一緒にいていい気分になれない人のことです。情に流される人は、疲れていても相手に求められると断れずに、負のエネルギーの強い人と関わることがあります。しかし、自分の持っているエネルギー以上の負のエネルギーを受けると、結局、負のエネルギーに負けてしまい、相手のために尽くそうと思っている行動ができなくなります。その結果、自分自身が倒れてしまうか、我を見失って怒りの感情が湧き上がり、とんでもない行動をとってしまうかのいずれかになります。疲れているときは、負のエネルギーの強い人とのかかわりは極力避けなくてはなりません。では、どんな人とも一切関わってはいけないのかというとそうではありません。もちろん、エネルギーを与えてくれるような癒される人と関わるのはいいと思います。ただその場合は、相手はエネルギーを自分に与えてくれて、その人自身はエネルギーを消耗していることを忘れてはなりません。いい人であれば「そんなこと全然、大丈夫。気にしなくていいよ。それより少しでも元気になってくれたならうれしいよ」などと言ってくれるだろうと思います。しかし、そうした言葉に甘えるだけではなく、相手の思いや行為に対して感謝する気持ちが大切です。感謝というのは相手に愛を与える行為ですから、感謝することでエネルギーをくれた人もまた元気になれるわけです。このように、疲れているときはいつもと違って、自分の行動をちょっと見直して行動するのがいいかと思います。

  • 18Jan
    • 人は変わることができる

      「どうせ自分には無理だよ」「人の性格って絶対に変わらないよ」そんなふうに話す人たちが変わることはないと思います。ただ人というのは変わることができないかというと、変わることはできると思います。特定されると良くないので患者様のことを書くことは極力控えています。ただご本人が特定されないように幸せな話を書くのであれば許してくださるのではないかと思いますので、今日はちょっとだけそうした話を述べてみたいと思います。その方は大学卒業後、就職するも人と話すときに喉が詰まって声が出なくなることなどがあり、仕事が続きませんでした。そのうちに就職の面接時にさえも声が出なくなり、どこにも採用されなくなりました。そのため、無職の状態が続いていたのですが、それは家族にさえも話すことができず、毎日、出勤をしているふりをなさっていました。それがあるとき家族の知るところとなり、その方は当クリニックに来て下さいました。ときはすでに30代半ばです。通院治療を開始した頃は不安でいっぱいのようでしたが、診察では助言させていただいたことをとても素直に聞いてくださり、いつもその通りに実行して下さっていました。特に「『ついてる、ついてる』などといったいい言葉を毎日つぶやくようにして、脳に言い聞かせてみては」というお話をしてからの変化は大きなものでした。徐々に穏やかな気持ちで日々を過ごされるようになり、通院して1年後にはついに就職活動を再開されたのです。そして、その数カ月後には仕事が決まりました。そのときにその方が私に対しておっしゃってくださった言葉は「先生に言われたことを繰り返しているだけです。先生の言葉は奥ゆかしく、これほどに変われるものかと思いました」「先生に出会ってからは今までの自分じゃないような感じで、以前の自分よりいいくらいです」というものでした。その後はますます意欲的に過ごされています。そうした日々を送る中で、先日、その方の職場で「この1年間、職場で誰が一番輝いていたか」という投票があったそうです。そうしたところ、その方が金賞をとられました。すご~い!!!少し前までは就職活動さえもできなかった方が、職場で一番輝いている人と言われるにまでなられたのです。私もとっても嬉しくなりました。きっと通院治療の中で、この方の素直さがご自身の内にあるダイヤモンドの心を引き出し、輝いてこられたのだと思います。私たちの仕事は医者の中でも最も燃え尽き率が高く、喜びを共有することの少ない仕事と思われます。それがこの方をはじめとして年末年始には何人もの方から良くなったのは奇跡のようだという喜びの声をいただき、私も幸せな気持ちになっています。この方自身が語っておられるように、人は変われるものだと思います。そして、病気をきっかけとして、病気以前の自分以上に成長し、幸せな自分になれることってあるのだと思います。

  • 16Jan
    • 「なぜ私ばかり悪いことが起こるの?」

      「何も悪いことはしていないのに、なぜ私ばかり悪いことが起こるの?」「正直に一生懸命に生きているのに、なぜ私ばかり悪いことが起こるの?」そんなふうに言われる人がいます。「何も悪いことはしていない」「正直に一生懸命に生きている」きっとその通りだと思います。なのに、どうして?病気だけではなく、不運なトラブル、偶発的な事故やケガさえもそうです。悪いことばかり続くことがあります。そうしたとき自分の心の中を見つめると、必ず何らかの闇があるものです。不安、恐怖感、焦り、イライラ、怒り、孤独、悲しみ・・・など、負の感情の闇に覆われています。負の感情が様々な不幸な現実を呼び寄せているのです。そんなことがあるのでしょうか。よく観察していただくと、「なるほど、ほんとその通りだ」と思われることと思います。これは多くの心の法則を説く人たちが述べている法則です。しかし、多くの人がこのことに気付いていません。たとえ、気がついたとしても、なかなか気持ちを切り替えることができません。どん底のような現実の中で、目の前の問題に対処するので精一杯な状況の中で、良い感情を持つようにするというのは至難の業です。それでも、最も望ましいのは負の感情から離れ、少しでも楽しい、ありがたい、幸せといった良い感情を持とうと心がけることです。ほんのわずかなことからでもいいので、そうすることが負の連鎖から脱する方法です。ただ私自身もあまりにつらい状況の中にある人にこうした助言はできません。だって、そんなふうに言われたって、あまりにつらくて動けないときってありますから。ただ少しでも心の余裕が回復してきたなら、そうした良い感情に導くことができたらと思い、そんなお話をします。何も悪いことをしていなくても、正直に一生懸命に生きていても、心の方向性がずれていると、人生はつらいものになります。「考え方が間違っていますよ」と責めているのではありません。「どうか自分の心の状態こそが現実を引き寄せているのだと気がついて下さいね。そうすれば、早く悪い状況から脱して、なぜかいいことが起こるようになってきますよ」とお伝えしたいだけなのです。

  • 01Dec
    • 自分の時給を決める

      小平つかささんの「やりたいことだけして生きていく」という本にこんなことが書かれていました。「あなたは、自分の時給を、いくらに設定していますか?わたしは、本気で成功すると決めたとき、メンターに言われたアドバイスに素直にしたがって、自分の時給を『最低でも3万円』と決めました」なるほど、面白い考え方だなあと思いました。確かに、自分の時給を3万円と決めると、それだけ価値のあることに自分の時間を使っているだろうかと考えさせられます。ネットサーフィンしている自分に3万円の時給を支払う価値があるだろうか。人の悪口や噂話で人と盛り上がっている自分に3万円の価値はあるだろうか。うーん、ちょっと違う気がしますね。では、寝ている自分に3万円の価値があるのか?これは必要でしょう。きっと時給100万円の仕事をしている人だって、睡眠は必要だし、休息は必要です。ですから、これは時給がいくらという次元を超えて、人間にとって必要な時間です。ただ自分の時給を決めると、自分はそれだけ価値のあることに時間を使っているだろうかと考えさせられます。それは自分の意識を高めることにもつながり、自分を成長させることにもつながります。漠然としていれば、時給10円のような生き方をしているかもしれない。いや、人に迷惑をかけてしまって、逆に、人にお金を支払はなくてはいけない生き方をしているかもしれない。自分の時給をいくらにするか?人それぞれでしょうが、自分の心のついていけるレベルで考えるといいと思います。人によっては世間の時給並みに800~1,000円と思っているかもしれません。でも、それではあまりに低すぎませんか?勇気を出して、5千円にしようと思ってみてはどうでしょう?理想は大きく、1万円にしようでもいいですよね。あるいは、清水の舞台から飛び降りるつもりで、10万円にしようって心に決めてはどうでしょう。但し、額が大きくなればなるほどに自分自身の時間と向き合う必要がありますよ。時給10万円なんて一体、どんな世界でしょう。簡単には考えられませんね。ただ自分の時給を決めて、真剣に向き合っていると、そんな世界が垣間見えるようになるかもしれません。自己評価の低い人は特にそうですが、自分の時給を決めて、真剣に自分の使う時間を見直してみるといいかもしれません。価値のあることに時間を使っていると、いつの間にか自己評価も変わってくるかもしれません。

  • 28Sep
    • 医療における奇跡

      医療の世界に奇跡があるかという話になると、大部分の医者は否定するような気がします。ただ現実には奇跡のようなことってあるように思います。ただ、それが奇跡なのか、科学者として振る舞う医者が後付けしたような理屈が本当なのか、それは検証しようもないことだと思います。先日、クリニック内にも飾っているChie Artという絵画の個展に行ってきました。実はその前の週、私にとっては驚異的な数の患者様に来ていただいたことでとても疲れ、異様な疲労感と突然の腰痛に襲われていました。あまりのしんどさに個展に行く予定にはしていたものの、個展会場は銀座で遠方だったこともあり、思わず行くのをやめて家で休もうかとも思いました。ただ自分の中ではどうしても行きたいという気持ちの方が勝ったので、とりあえず行くだけ行くかといった気持ちで個展会場に向かいました。個展会場に着くと、そこはとてもいい波動で、居心地のいい空間でした。ただいつもの自分と違ってかなり疲れていたので、あまり人と話したくないなという気持ちで過ごし、会場を後にしました。会場を出て数分歩くと、ふと我に返って、こんなことに気付きました。「あれっ?体のだるさが抜けているような気がする。気のせいかな」「あれっ?そう言えば腰の痛みも治っている。えっ、ほんとかな?・・・いや、やっぱり治っている」私は奇跡的なことを信じるタイプの人間なのですが、いざ自分に起こった場合にはそう簡単に信じないところもあります。ですから、「うーん」と思いながら、帰途につきました。翌日、Chie Artに行かれた方のフェイスブックを見ると、2人の女性が個展会場に行ったところ「体の節々の痛みが治った」「腰の痛みが治った」といったコメントを残されていました。「やっぱり~。そうだったんだ」思わずそう思いました。不思議なことですが、きっとあの波動の高い空間にいたことで、自分の心の状態も引き上げられ、治ったのではないかと思います。まあ信じていただかなくてもいいんですけどね。ただ私がこれまで行ってきた医療の中でも、奇跡としか思えないような経過をたどった方は何人もおられますので、私の場合も小さな奇跡が起こったような気がします。では、奇跡はどんな人に起こるのか?私なりに奇跡が起こるには起こるだけの条件が必要な気がします。まず奇跡を期待する人にはあまり奇跡は起こらない。それよりも、素直な心を持ち、自分に与えられた環境の中で自分のできることを精一杯頑張っている。そんな中で時折、断片的に本当の自分の心の光がキラッと輝いているように見える人。何か光が見えてきたなと思えるような人。何を言っているかわからなくなってきた人もいるかもしれませんが、私の言葉で表現すると、そんな人に奇跡って起こるような気がします。今日の話はちょっとスピリチュアルな話なので、信じられない人は適当に流して下さいね。ただ奇跡ってあるような気がしますし、時折、そんな奇跡を引き寄せられるような医療を行うことができればいいなって思っています。

  • 27Sep
    • 自分のことは自分が一番わかっている!?

      「自分のことは自分が一番わかっている」これまでの人生で、人がそんなふうに話すのをよく聞いてきました。そして「それはそうだろうな」とも思ってきました。しかし、素直な心になって考えてみると、「本当にそうかな?」という気がします。もし本当に自分のことがよくわかっているならば、人生でしんどくなったり、苦しくなったりすることはずっと少ないはずです。人は周囲の人の言葉や常識と言われるものに振り回され、それに合わせられない自分を否定しがちになります。しかし、「自分はどういった人間なんだ」ということがわかっていれば、いい意味であきらめがつくはずです。例えばですね、「自分は音楽の天才なんだ」とわかっていれば、数学ができなくたって問題ありません。斎藤一人さんも言われていますが、「中学生の頃から自分には英語は必要ないと思っていたから勉強しなかった。それで何も困ることはなかった」と言っていますが、その通りなんですね。もし自分の個性がわかっていれば、自分の道は見えるし、常識というものに振り回されることはなくなります。「自分はこういう人間なんだから、無理なものは無理」といい意味であきらめることができて、そうしたことで悩み苦しむことがなくなります。でも、人は自分のことがわかっていないために、自分の個性に合わないことだから無理にも関わらず「自分は何もできない情けない人間だ」などと言って悩み苦しみます。また、自分の心の状態がどんな心の状態にあるのかということがわかっていれば、いろいろなことが見えてきます。例えば、とても疲れているときは、心の余裕がなくなります。そんなときは自分に共感してくれるような人とは話すことはできますが、自分に説教してくる人はもちろんのことながら、いろいろと助言してくれる人と話すのもとてもしんどくなります。当たり前ですね。共感してくれるだけなら気持ちはホッとできますが、心はいっぱいいっぱいなんですから、人の話など聞き入れる余地はありません。もし自分の心の状態がわかっていれば、今関わっていいのはどういう人で、どういう人と関わるとよりしんどくなるのかがわかります。でも、人は自分の心の状態のことを意外とわかっていないんですね。人は「自分のことは自分が一番わかっている」という言葉をまことしやかに信じていますが、必ずしもそうではありませんね。自分よりもまわりの人の方がよくわかっているということもあります。決してまわりの人の意見に振り回される必要はありませんが、何人かの人が「あなたはこうなんじゃないか」「こうした方がいいんじゃないか」と助言してくれる場合、少し耳を傾けた方がいいことがあります。そのときの自分にはわからなくても、後になって「まわりの人の言う通りだった」ということはよくあります。「自分のことは自分が一番わかっている」という考えだけに縛られていると、独りよがりになって、とんでもない失敗することがあります。一方、「自分のことはまわりの人の方がよくわかっていることもある」ということを知っていて、その声に耳を傾けることができれば、自分の枠を超えることができるようになり、悩みを解決したり、さらに発展したりすることができると思います。

  • 06Sep
    • 「最近、多いよね」

      「最近、良くなって治療が終わる人が多いよね」受付の子とそんな話をしています。一般的に医者、特に心の医者は、悲観的なものの見方をする人が多いように思います。私自身にもそうした傾向性があって、どうしても状態の悪い人のことに意識が向いてしまいます。ですから、どれくらいの人が良くなっているのかということを忘れがちになります。しかし、ふと我に返ってみると、最近、良くなっていく人がとても多い気がするのです。診察では「今日、泉先生と話せると思って、何とかここまで頑張ってきた」「泉先生と話すと、心がふっと軽くなる」「泉先生のところに来てから本当に良くなった」となぜか「泉先生」という言葉を耳にすることがとても多い気がするのです。気のせいかもしれませんけど・・・客観的にみると、クリニック全体としてはとてもいい感じで治療が進んでいるんじゃないのかな。そんな気がします。ただ、医者ってなかなか上手くいってるって言えません。だって、中には状態の悪い人もいます。苦しみの中で、なかなか心の暗闇から脱することができず、一日一日をかろうじて精一杯生きている人もいます。みんながみんな、鮮やかに良くなっているわけではありません。ですから、そうした人の心に思いやると、上手くいってるなどと言う気分にはなれず、なかなかそうは言えないのです。でも、自分にこんなふうに言ってみたい気もします。ときには、うまくいってることに意識を向けてもいいんじゃないかな。「上手くいってるよ。いい感じじゃない」と自分に言ってあげてもいいんじゃないかな。気分良く、幸せな気持ちになってもいいんじゃないかな。治療者である私がそうした気持ちでいると、きっと患者様の気持ちを引き上げる力も強まってくるような気がするのです。最近は、ほんと良くなってくれている人が多いよね。今日もまた一人、摂食障害で通ってくれていた高校生の女の子の治療が終了し、「今度は大学に合格したら報告に来ます!」と言って帰られました。とても明るくて、とても嬉しいひとときでした。

  • 23Aug
    • 「疲れた」

      夕方になると思わず「疲れた」という言葉が出てしまいます。理想は、いつも元気でエネルギーに満ち溢れている姿です。私の付き合っている人たちにはそうした人がとても多いのですが、私自身はまだまだ「疲れた」というようなことを言っています。「今日も一生懸命に患者様と向き合ってきたんだからいいじゃない。頑張っているからだよ」と言ってくれる人もいます。そうですね。確かに、一生懸命に向き合ったと思います。でも、毎日毎日「疲れた」と言っているのはどこか違うような気がするのです。人生が発展し、うまくいっている人というのは、基本的にエネルギーに満ちています。要するに、いつも元気いっぱいです。今、アメリカでは大統領選が行われていて、ドナルド・トランプ氏が共和党の代表候補に選ばれることの是非が問われています。しかし、彼の言っていることが良かろうと悪かろうと、少なくとも彼が党の代表候補にまで残ることができたのは、エネルギーに満ち溢れた言動をとっていたからだと思います。彼の持っているエネルギーが多くの人に影響を与え、感化しているのだと思われます。大統領がどれほどいい人であっても、いつも「疲れた」「しんどい」などと言っていては国の指揮は下がります。みんな心配になりますし、敵対する国にはなめられてしまいます。多くの人に影響を与え、発展的な人生を生きるには、元気に満ち溢れた生き方が大事だと思います。さあ、どんなふうに元気に生きましょうか?まずは「元気に生きるぞ」って気合を入れなくてはいけませんね。元気でいることに強い価値観を持つことですね。そして、睡眠などの休息時間は削らないで、何か体を鍛える習慣を身につけないとね。頭の中は楽天的になって、何事も全てはうまくいっているんだと言い聞かせて、前向きに考えるようにすることですね。どれも結構難しいですね。でも、元気いっぱいになって、エネルギーに満ち溢れていることって、とても重要なことだと思います。

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