どん底のときの心の支え

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人は生きている中で、悲しみや苦しみのどん底に陥ることがあります。

そんなときって、とても不思議なんですが、元気なときにはたくさんいた人間関係がいなくなってしまいます。

「誰か連絡してきてくれないかなー」と思っても、そうしたときに限って誰からもメールもラインも電話もありません。

本当に全然ありません。

思わず「みんな第六感でもあるのか?」「第六感で察知して連絡をしてくれればいいのに、逆に、波長が合わなくなって遠のいてしまっているのかな?」とさえ思ってしまいます。

 

「誰か自分の気持ちをわかってくる人はいないかなー」と思って自分の家族を見ても、友だちや先輩、上司などの人間関係リストを見直しても、いざとなると誰もいないものです。

自分にはたくさんの人間関係があると思っていたのに、この落ち込んだときにありのままの自分をさらけ出し、それを理解してくれる人がいるかと考えてみると、意外といないものです。

 

中にはひとりかふたり、そうした人間関係を持っている人もいるかと思いますが、それは本当に恵まれています。

そのひとりやふたりこそ、あなたにとってかけがえのない人なのですから。

 

一方、誰もいなければ、人によってはネットや本を漁(あさ)ってどこかに救いの言葉はないか、探し求めるでしょう。

人によっては、宗教に癒しと救いを求めるでしょう。

人によっては、カウンセリングや心療内科に救いを求めるでしょう。

 

人生のどん底のとき、まわりに誰もいないと感じるとき、藁(わら)をもすがりたい気持ちに駆られます。

「誰かこの気持ちを理解し、癒してくれないだろうか?」

「このどん底から脱するヒントを教えてくれないだろうか?」

「いや、せめて寄り添ってくれないだろうか?」と。

けれども、どん底の悲しみと苦しみをもたらしている問題は、その人自身の問題です。

自分にふりかかってくる問題は必ずその人自身の中に解ける力を秘めており、自分でその力に目覚めて、問題を解き、脱していくしかありません。

 

結論はそうなのですが、そうしたどん底にある人がいるとき、人として、心の医者としてはこんなふうに思います。

どん底にある人が求めてきたとき、自分が少しでも寄り添える人であれば・・・。

少しでも気持ちを理解し、癒しを施せる人であれば・・・

そして、どん底から脱するヒントを伝えられる人であれば・・・

 

宗教などをやっている人の中には、自分こそがそうしたことができる人間だと思っておられる人がいます。

しかし、私の理解する限り、自分のことをそんなふうに思っている人で、どん底にある人に救いを与えられる人はいないような気がします。

おそらく、その人は自分の考えや価値観を押し売りする人であり、人を救っているつもりになっているだけであって、どん底の人の心に光をもたらすことはありません。

 

人の心に光をもたらすというのは、そんな簡単なことではないはずです。

なかなか難しいのですが、それでも私自身は幸いなことに、友だちや患者様にしばしば「あのときにお前がいてくれてよかった」「あのときに先生がいてくれたからここまでこれたんだと思います」と言っていただけることがあります。

ただそのように言っていただくときに、いつもどこか他人事のような気持ちになります。

なぜなのでしょうか?

きっとそうしたかかわりを持っているときには、我を忘れ、自分であって自分でないような心の状態でかかわっているからかもしれません。

無我(むが)の心の状態でかかわることができたときのみ、どん底の人の心にささやかな光を伝え、その人の心の支えになることができるのではないか。

そんな気が致します。