やりたいことをやる!って、とても大事なことではないかと思います。
多くの人は「まわりの人がこうしているのだからこうすべき」「常識的に考えればこうだからこうすべき」と言います。
また多くの人は、そうした考え方に従って生きていくことができます。
ある程度、妥協して生きていけるんですね。
ただ一部の人にはどうしてもそうしたことができません。
まわりの人がこうしているからだとか、慣習だからだとか、常識的にこうだからとか言われてもどうしてもできません。
無理をしてやろうとしてもなぜかうまくいかず、イライラしたり、落ち込んだりして、そんな自分が嫌になります。
では、まわりの人の慣習や常識に合わせられない人って、ダメでどうしようもない落ちこぼれなんでしょうか?
それは歴史上の偉人や現代でも偉大なことをなしている人が証明していますが、決してダメなことではありません。
そうした人は魂の個性がとてもはっきりとしているんです。
潜在意識で自分のやるべきことを知っていて、そうでないことに対しては、言いようのない違和感を抱くのです。
自分の個性に応じたことであればすごく頑張れるのですが、そうでないことに対しては、「それって私のやるべきことじゃないよ」って感じてしまって、心や体が反応してしまうんです。
ですから、自分の意識を押し殺して、慣習や常識というものに合わせようとしても無理なんです。
それでも合わせうとするなら、心身の不調をきたして病気になるくらいしか道がなくなります。
私自身もそうした人間で幼少時から何十年も苦しんできました。
「みんながやるからって、なんでそれをやらないといけないの?その理由を説明して」というようなことを偉そうに自分より年上の人によく訊ねましたが、ほとんどの人は納得するような説明をしてくれませんでした。
今思うと、みんなあまり考えずに行動していて、その根拠はよくわからないまま、ただ慣習や常識だからと言ってやっていたに過ぎなかったですね。
その中には、慣習や常識だと言ってもすべての人に当てはまるようなものではなく、おかしなこともあったように思います。
自分の人生を振り返ると、最初は群れから離れることを怖がってまわりに合わせようとしました。
しかし、結局それができず、一旦は自己嫌悪になり、最後の最後にどうしようもないので開き直って自分のやりたいようにやってきました。
そのやりたいようにやったことだけ結果が実り、成功に結び付いたように思います。
私が行っている心の治療もその中核をなす部分は、精神医学で一般的に語られているものを学んだのではなく、人の心が本当にしあわせを感じて生きられるように導くにはどうすればいいかを探求し続ける中で見出してきたものです。
それが力となって、ときには治療困難と思われる人の心にも光をもたらすことができたように思います。
だから、もしあなたが本当の自分の声を感じとっていてやりたいことがあるのなら、自分の感じるままに進んでいくといいと思います。
もちろん、やりたいことだからと言って、法を犯すような行為や人に苦しみを与えるような行為をしてはいけないのは言うまでもないことです。
ただまわりの人に何と言われようとも、常識的に考えればこうだということがあろうとも、そうしたことを無視しても構いません。
自分の心が軽くなり、生き生きとなる方向に進むべきです。
生き生きとした自分でいる限り、道は開けてきます。
そうして開いた道はその人を生かすとともに、まわりの人に光を与える道にも繋がっていくように思います。