打倒池上彰(さん)!? 元局アナ・元日雇派遣労働者がニュースの深層を斬る!!【毎週土曜更新】 -15ページ目

打倒池上彰(さん)!? 元局アナ・元日雇派遣労働者がニュースの深層を斬る!!【毎週土曜更新】

テレビ局ディレクター、アナウンサー、国家資格予備校講師、W杯ボランティア、本書き、日雇派遣、不動産飛込営業、コールセンターマネージャ、ITベンチャー人事総務課長という多彩な経験から多角的な独自視点で、今起きているニュースの深層を、徹底的に好き勝手に斬ります。

きょうは、安倍政権が検討を指示した、
「ホワイトカラー・エグゼンプション」について、
取り上げます。



安倍首相は、多様な働き方を容認する社会づくりの一環として、
給与を労働時間ではなく、成果で測るという、
ホワイトカラー・エグゼンプションの導入の検討を指示した。



ホワイトカラー・エグゼンプションは、
稼働時間と成果に正の相関関係が見られる工場などと違い、
労働時間では測りにくい仕事に対して、
その成果物に応じた給与を支給するというものである。



つまり、労働時間に関係ないので、
なので”残業代0”という言われ方をする。



”残業代0”という言い方は、少々ずれているように思える。
なぜなら、成果物が良ければ、1時間でももらえるからだ。



となれば、仕事の効率化を図り、長時間労働抑止につながる、
だから、一部で起きている労働強化は誤解、だというのだ。



日本の経営者が、全員「人件費」を「コスト」と考えず、
「投資」と考えるなら、その通りになるだろう。



しかし残念ながら、バブル崩壊後の日本の労働環境の
変遷をみる限り、ほとんどの企業では「コスト」と
とらえていると言わざるを得ない。



最たる例が「労働者派遣」だ。



労働者派遣は、当初「高度かつ専門的知識を要する業務」に
限定されてきた。



しかし、それから20数年、業務に原則制限なしとなっている。
そして、それと相俟って、非正規雇用が激増したのは、
周知のとおりである。



なぜなら企業にとって、直接雇用と違い、
派遣労働者には雇用関係がないことから、
簡単に辞めさせられることができるからだ。



今回の、ホワイトカラー・エグゼンプションも、
年収1000万以上かつ高度な専門知識を要する業務、
とされているが、経済界からは、早くも
その要件の緩和を求める声が上がっている。



既に、労働者派遣法と同じ道をたどる兆候を見せている。



派遣では、非正規が増えて収入が減り、
結婚や子供を諦め、少子化に拍車をかけてきた。



今度は、そのターゲットが正社員になる。



ホワイトカラー・エグゼンプションでは、
何時間働いても「コスト」は増えないことから、
人件費削減をもくろむ経営者にとっては、
うってつけの制度になる。



これが労働強化と言われるゆえんだ。
仕事に生活の大半を取られたら、家庭を顧みる余裕などない。
独身者にとっては、婚活の時間も取れない。



名前の通り、ホワイトカラー=企画、事務職対象だが、
デスクワークでも、企画という成果に掛ける時間より、
時間と成果に正の相関関係にある雑務の方が多いことや、
上司からの細かい指示を受けて仕事が始まることは、
これをお読みの皆さんも、実感されていることだろう。



冒頭にも書いた通り、ホワイトカラー・エグゼンプションは、
「成果」で給与を決める、としている。



であれば、相当の裁量や権限をもち、雑務を一切しない
従業員のみに適用されるべき、ということになり、
ほとんどのホワイトカラーには適用はできない。



しかし先にも書いた通り、経済界は要件緩和を求め、
先例の労働者派遣は、制限がほぼなくなった。



ホワイトカラー・エグゼンプションもそうなったら、
正社員のほとんどが長時間労働の犠牲になりかねず、
少子化への歯止めがますます利かなくなる。



さらなる少子化に拍車がかかったら、
先日の増田寛也元総務大臣が中心となってまとめた、
人口減少社会の行く先が、ますます現実のものとなってしまう。



そうなれば、日本はどうなってしまうか。



ホワイトカラー・エグゼンプションを導入するより、
人件費をコストと考える経営者にとっても、
働き手に取っても、不利益にならない方法はいくらでもある。



その具体策は、小欄でも幾度か紹介してきたので、
ここでは割愛するが、このような政策を考える”有識者”は、
日ごろ接する大企業ばかりでなく、
悪辣経営者に迫害を受けている労働者の現状を
もっともっと知ってほしいと、強く願う。



なぜなら日本の人口の大半は、
経営者ではなく、労働者なのだから。




本日もお読みいただき、ありがとうございました。
皆さんは、ホワイトカラー・エグゼンプションについて、
どうお感じになりますか。



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タイトルに、一切の捻りの意図はありません。
本当に、そう問われる事態です。



人気デュオ、CHAGE and ASKAのASKAこと宮崎重明容疑者が、
覚せい剤の所持の疑いで逮捕された。




待たしても芸能人、それも30年以上にもわたって
性別や世代を幅広く超えて支持されているアーチストが、
別の側面では、先日の50代の小学校校長に続いて、
責任ある立場の50代が逮捕された事態に、
少なからず衝撃が走った。



筆者自身、チャゲアスの楽曲の1つを、
恥ずかしながらレパートリーにしており、
若くて純粋で愚かだった20歳前後に、
唄うときは戻ってしまう。



一方でチャゲアスは、ここ数年ヒット作に恵まれず、
2人の間では衝突もあり、宮崎容疑者は、
売れなくなる、という不安を常に感じるという
芸能人特有のプレッシャーもあったと伝えられている。



はいえ、薬物に頼るには絶対にならない。



2人の衝突の中には、CHAGE氏が宮崎容疑者に、
「あんなの止めろ!!」と詰め寄っていた場面も、
目撃されたと伝わっている。



なぜ薬物はいけないのか。



覚せい剤などのいわゆる「麻薬」は、他の薬と違い、
人間の根本的活動をつかさどる脳幹を直接刺激するという。
その効能は、気分が良くなり全身に力がみなぎる、という。



同時に、脳の中心である脳幹が、
体に快感をもたらすものと認識してしまうとも、
医者の話から聞いた。



また、ある麻薬経験者が言っていたが、
「食欲」と同じらしい。



筆者はそれを聞いたとき、戦慄を覚えた。



食欲は、人間にとって生きていくための本能である。
それと同じと脳が認識する、ということは、
麻薬摂取欲求が、本能になってしまうということだ。



だから「麻薬」と言われるという。妙に納得してしまった。



しかし食べ物と違い、薬物は薬物。
効いているときは、その「快感」をもたらすが、
切れてしまうと、心身ともに激しい倦怠感が襲うらしい。



そして、それを解消するために再度摂取する。
しかしそこは、やはりしょせん薬物。
摂取ごとに効き目は薄くなっていくのは同じだという。



それと反比例するかの如く、副作用はどんどん大きくなり、
食欲不振等の身体的症状だけではなく、
何かに襲われると言った幻覚、被害妄想が激しくなる。



その症状の様子を、動画サイトなどで見た方も
いらっしゃるだろう。


動画サイトをご覧になるときは、心してご覧ください。
 できればテレビニュースの特集程度に
 とどめておくことをお勧めいたします。)



と書かざるを得ないほど、その姿の中には、
もはや人間の尊厳が(とは言いたくないが)
一切感じられないものもあった。



折角治療しても、脳が本能の欲求として欲しがる以上、
それには抗うことは非常に難しい。



再犯率が高いという特徴が、それを裏付けている。



「1回くらい大丈夫だろう。」
その1回が、人間の尊厳を失う一歩になってしまう。



薬物から抜け出す為の駆け込み寺ともいえる、
「ダルク」という施設を運営している、
過去に自身も麻薬で服役した経験のある人が、
こうも言っていた。



「今こうやって薬物から抜け出させる活動をしていますけど、
 1時間後には、薬物を摂取していても不思議じゃない。
 それくらい怖いものなんです。


          一生の戦いなんです。」



この言葉を聞いたときは、今度は、
戦慄ではなく、気が滅入ってしまった。



「覚せい剤、止めますか? 人間、辞めますか?」
30年くらい前に放送された、公共CMのフレーズである。



当時小学生だった筆者は、同級生と、意味もよくわからず
ふざけ合って、そのフレーズを繰り返していたが、
”尊厳を失う姿”になるかもしれない恐怖と
”一生戦わざるを得ない”状況に陥ると知った今、
それが、冗談でも何でもない、真実なんだと実感する。



合法のアルコールでも、行き過ぎると依存症になり、
心身に大きなダメージを与える。



脳幹に直接作用し、摂取欲求が本能になってしまう麻薬。
宮崎容疑者の逮捕を見聞し、改めてその恐ろしさを感じた。




皆さんは今回のASKAの逮捕、どう感じられましたか?
ASKAにクスリに引き込んだ奴、これからソイツを殴りに行きたい、
そう感じた方も多いのではないでしょうか。



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きょうは、先日安倍首相が見直しを明言した、
集団的自衛権を巡る、主要五紙の報道に触れます。



安倍首相が集団的自衛権の憲法解釈を
見直すことに触れた記者会見の翌日の16日、
新聞各紙朝刊は、そろって一面トップで報道した。



それぞれの見出しは、以下のとおりである。



読売「集団的自衛権 限定容認へ協議」
朝日「集団的自衛権行使へ転換」
毎日「集団的自衛権 容認を指示」
産経「首相 行使容認へ強い決意」
日経「首相「憲法解釈の変更検討」」



これらを見比べただけでも少しずつ表現に違いがあり、
100%客観報道の難しさを改めて感じる。



一方で「なら結局は何なの?」という事実は、安倍首相が、
「これまで”保持しているが使用を憲法上禁じられてる”
 集団的自衛権に対する憲法解釈を、見直すことを始める。」
ということである。



つまり、始まりはこれから、ということである。



そのことをどう伝えるか、各紙従来の主義主張を踏まえ、
非常に苦心して見出しを作った跡がうかがえる。
かろうじて自紙のカラーを出せた、と感じる。



なので、一面について特に驚くことはない。
社説についても、従来通りの主張だ。



もしかしたら、これをお読みの方の中にも、
「どうして、それぞれの新聞は、
 書く人が違っても、同じ主張になるのだろう。」
と感じている方もいらっしゃるかもしれない。



まさに核心を突いた疑問と言える。
それには明確な理由がある。



それぞれの新聞は、
「自紙の読者ならこういう見方をするだろう。」
という姿勢で、記事を書いているからだ。



筆者は、先に出した五紙のうち、
一社の記者の取材を受けたことがある。
その時、



筆者「昨日の記事は、過激でしたね~(笑)。」
記者「ええ、ウチはいつも”これくらい書いちゃえ~”
   という雰囲気ですから(笑)。」



と、過激であることを認めただけでなく、
あえてそうしている、という返答だった。
本音通りなら、過激とは感じないだろう。



ここから、自分の姿勢ではなく、
購読者の受け取り方を忖度していることが窺える。



購読者は、いわば顧客。
いくら客観姿勢が求められる新聞でも、
購読者に取ってもらわなければ、経営は成り立たない。



なので、誰が書いても、同じ視点からの内容になる。



「そうは言っても、主義主張に合わない社には
 入らないんじゃないの。」
これも至極当然のように思える疑問だ。



しかし、新聞社も会社である。基本的に新卒を採用する。
20歳過ぎたばかりの若者が、確固たる主義主張をもつには、
まだまだ経験が不足している。



日本共産党に批判的な姿勢を取る読売新聞社の渡邉恒雄会長も、
東大在学時は、その党員だった。本人もテレビで明言している。



記者志望の学生は、まず「新聞記者になりたい。」と思う。
記者になれればどこだって良いのだ。
というより、なれなければ意味がない。



渡邉氏も、後の雑誌のインタビューで、
より志望度の高かった朝日新聞には落とされたとのこと。
主義主張の合った社に落とされ、合わなかった社に入社した。



もちろんそのような学生ばかりとは言わないが、
殆どがそうであろう。



だからこそ、自分の本音とは違う姿勢で記事を書けるのだ。
(客観視点からは、一面では必要であり、反面弊害と感じる。)



では、記者たちの本音が出るのは一体どこか。
筆者は、今回社会面に注目してみた。



社会面は、通常、世間一般で起きている事件事故を取り上げる。
一面に関連する記事を載せるなら、世間の反応を載せる。



朝日は見出しこそ、一面を超える表現で、
「近づく 戦争出来る国」と取り上げ、
購読者層を意識した作りになっている。



しかし、本文を良く見ると、複数の自衛隊員の反応として、
「集団的自衛権は必要だから賛成だが、
 しかし、決め方が軽すぎる。現場のことを考えていない。」
という声を載せている。



本当に、集団的自衛権に真っ向から反対なら、
こんな声は載せないはずだ。



一方毎日は、もっと反対のスタンスを明確にしている。
同じく、自衛隊員の声ではあるが、
「止むをえないとはいえ、自衛隊が標的になるという、
 実際に戦闘が起きた時の全く議論がされていない。」
という声を紹介している。



日経は、若者の「無関心ではいられないが、現実味もない。」
という声を紹介している。



以上三紙は、国会周辺での反対デモも取り上げている。



読売は、逆に自衛隊の最前線の歓迎の声を取り上げている。
ただし戦闘ではなく、邦人救出や商船警護ができる、
という意味で取り上げている。戦闘には触れていない。



最後にさらっと、「国民は、政府の判断の注視が必要。」
と、政府をけん制する識者の声を出している。



読売を含めた以上四紙は、
日本ペンクラブの反対声明も報道している。



驚いたのは産経だ。全く載せてないのである。
産経なら、全面賛成の国民の声を載せると思いきや、である。



これをどのように捉えるか。



賛成の国民の声を拾えなかったか、
それとも一面での姿勢とは、本音では反対なのか、
こればかりは、記者や編集委員に聞いてみないと分からない。



しかし、少なくとも無関心ではないことは確かで、
それを踏まえれば、本音がどこにあるか、推察できよう。




本日は、いつもより長い文章を最後までお読みいただき、
ありがとうございました。

皆さんは、如何お感じでしょうか。
1つの新聞だけでなく、見比べてみると非常に興味深いです。



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きょうは、クリミア編入後の、
ウクライナをめぐるロシアの動きに触れます。



ロシアのプーチン大統領は、ウクライナ東部での、
独立の是非を問う住民投票について、延期を呼びかけた。



住民投票を進めているのは、いわゆる
”親ロシア”と呼ばれる人たちだ。



クリミアのように、親ロシアの動きを援助し、
自国に編入したのとは、まるで別の対応だ。



以前本欄で、ロシアも欧米も混乱は避けたいのが本音、
ということを指摘したが、ロシアとしては、
それを表面に出さざるを得なくなったと思われる。



ではなぜ、クリミアでは強硬突破したのか?



ウクライナは、歴史上、ポーランドや
オーストリア=ハンガリーなど
様々な国家に支配された来た、
言い方を変えれば、奪い奪われた地だ。



旧ソ連の時代になり、ロシアとウクライナは、
その構成国であった。



国際的には、「ソ連」が1つの主権国家であり、
ロシアとウクライナは、いわゆる身内であった。



そのソ連時代、クリミア半島はロシアに属していた。
それを、ソ連政府はウクライナに移管したのである。



ちょっと適当ではないかもしれないが、2005年に、
長野県に属していた山口村が、岐阜県中津川市と合併し、
県境が変わったことと、境目の変更、
という点では似ているかもしれない。



山口村は、もともと市外局番が岐阜県のものであるなど、
生活圏は、中津川市と実質的に一体だった。



しかしそれが崩壊し、ロシアとウクライナは、
それぞれ主権国家と認められた。



ロシアとしては、他のウクライナの地域とは違い、
もともとロシア、という意識が強かった。



ソ連崩壊後も、クリミアにあったソ連の基地は、
ロシアが受け継いだ。
それにご案内の通り、ロシア系住民が多い。



だからこそプーチン大統領としては、
クリミアの親ロシア派が蜂起した時点で、
クリミア編入以外の選択肢は、最早なかったのである。



もし、親ロシア派の蜂起がなければ、
欧米の経済制裁というリスクを冒してまで、
クリミア編入は画策しなかったであろう。



しかし、ウクライナ南部・東部の独立の動きに対しては、
かつてロシアだったクリミアとは全く経緯が違う。
これ以上の経済制裁のリスクを受け入れるまでの価値はない。



とはいえ、親ロシア派の反感を買ってまで、
独立投票を認めない、ということまでは言えない。



欧米の経済制裁はあまり効果がない、と言われているが、
プーチン側近の個人を狙ったものに対しては効果が出ており、
それも影響して、延期要請の発言になったのであろう。



だが独立投票は予定通り実施する、としている。
ロシア国内の支持も独立派に向けられている。



これまでロシアの切り札だった天然ガスも、
アメリカのシェールガス革命でその効果は薄れた。



アメリカが、本気でヨーロッパ、特にドイツに、
安価で提供することを始めたら、
ロシアは途端に外貨獲得の手段を失ってしまう。



中国に協力を求めたくも、中国の軍事的増強は
ロシアの望まぬところであるし、中国自身、
国内の少数民族の独立への波及を警戒し、
ウクライナ情勢には客観視を決め込んでいる。



となると、最大の見込客である日本に、
さらなる売込をかけることになるが、
北方領土の全面返還に繋がってしまい、
こちらもうかつなことはできない。



今回のウクライナ情勢は、ウクライナが親欧米路線を
取ろうとするたびに圧力をかけ続け、
北部西部を中心とする親欧米派住民の反感を買い、
東部南部を中心とする親ロシア住民との対立を、
結果的に激化させてしまったことに原因がある。



プーチン大統領はどこまでコントロールできるか。
一層の強権を発動せねばならないジレンマに陥っている。




皆さんは、今のウクライナ情勢をどうとらえていますか?
今週もお読みいただき、ありがとうございました。



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今週は、先月、昨日と相次いで発生した、
韓国における公共交通の事故から、
韓国社会が今どのような状況かに触れます。



先月の、フェリー船セウォル号沈没事故に続いて、
ソウル市の地下鉄で、追突事故が起こった。



セウォル号の事故では、事故発生から救助に至るまでの
全ての過程で、対応のずさんさや乗組員の救助義務放棄、
重量の3.6倍の積荷を載せていたこと、

そもそも、船体購入後、安全軽視の改造が行われたこと、

閣僚が記念写真を撮るなどの緊張感のなさ、
どれ1つ取っても、信じられないことが積み重なっており、
韓国社会では、自分たちの存在価値すら問う雰囲気になっていた。



そこに、追い打ちをかけるかのような地下鉄の追突事故である。
これも、システムが正常に作動していれば防げたとか、
運転士の怠慢が報道されている。



社会の在り方を見直すことは必要なことであろうが、
正直、今頃になって、とひそかに思っている韓国国民は、
実は多いのではないだろうか。



セウォル号に匹敵する事故は、実は今回だけではない。
鉄道事故も近年でも起きている。



例えば地下鉄では、テグ市で2003年に起きた放火事件で、
多数の犠牲者を出している。



韓国の新幹線KTXでは、ポイント通過の際に脱線事故を起こしている。

昨年には、アシアナ航空が、米国内で着陸時に事故を起こしている。



少し前では、1995年に、ソウル市のデパートが、
崩壊事故を起こしている他、

その前年には、幹線道路の橋が崩落している。



いずれもその時に指摘されているのは、
「建設時の手抜き工事」「注意義務の欠如」と言った、
少し気を付けていれば防げた、いわゆる「重過失」であった。



起きた当時も、無理な経済成長のひずみや、
社会が殺伐としていると言ったことが指摘されていたが、
今回のセウォル号の事故は、重過失を通り越し、

「故意」が積み重なっていることで、
衝撃が大きくなっているものと思われる。



重過失のうちにあらゆる対策を打っておけば、
と悔やまれているのだろう。



しかし、ほとんどの国民がそれに対し黙って見ていたわけではない。



その事を前提に、話をここでガラッと変えるが、
国外に暮らす韓国人は、全体の何%かご存じであろうか。



正確な数値は出ていないが、およそ500万人、10%と言われている。



海外で暮らす韓国人は、およそ3つのパターンに分けられる。



1つ目が、華僑の様に本国と強いつながりを持って、
海外で韓国人社会を形成しているパターン。



2つ目は、いわゆる在日韓国人。



そして3つ目が、個人または家族単位で海外移住をし、
韓国人社会には属さず、現地の市民となるパターンである。

この3つ目が、急速に増えている、というのだ。



筆者の周囲にもずっと日本で暮らし、
帰国することはあまり考えていない、
という思いを持っている人が多い。



冷静に「日本の方がいいんですよね~。」と軽くさらっと答える。



皆総じて、現地で血眼になって反日を叫ぶ姿と、
同じ韓国人とは思えない、おとなしく冷静な立ち振る舞いである。



ただ中には「私には愛国心ありませんから」と笑い飛ばす人もいた。
もう1つ「日本は私にビジネスチャンスを与えてくれた。」
という人もいた。



富裕層とかそういうことではない、そのビジネスで成功した人は、
どちらかと言うと、困窮していた、とも話している。
他にも、窮地に立たされ復活した人もいる。



ここから推測されることは、大きなことが起きても、
手を打たず次々と事故を繰り返す自国社会に嫌気がさし、
海外に脱出する人が多いのでは、ということである。



翻って日本社会ではどうか、JR西日本や北海道で起きた事故は、
これも人的ミスは、その背景に余裕のなさが指摘されている。
高速道路でのバス事故も然りだ。他にも事故は多く起きている。



ただ、韓国のマスコミが、昨日の地下鉄事故の前に
「東京は、テグ市の地下鉄放火でさえも、現地に調査団を送り、
 それを活かした対策を実施している。我々はそれをしなかった。」
指摘している。



対策をせず、経済成長ばかりを追う姿に、
嫌気をさした国民が海外に相次いで脱出しているということが、
ここ10数年の韓国で起きているのではないだろうか。



この動きに拍車がかかれば、韓国社会の崩壊につながってしまう。
それは、日本にとっても大きな打撃である。



そうならないよう、日本側も手を差し伸べねばならないが、
これは、逆に好機である。



なぜなら、窮地に陥った人に手を差し伸べれば必ず応ずる。
その対価として、慰安婦問題の存否や、植民地時代の真実を、
否応なしに認めさせることができるのだから。



韓国国内で、反日一辺倒ではなく利用もしようという
「用日論」が出ていると言うが、
逆に、自国の安全や国際的イメージUPのために、
「用韓」を考える絶好の機会ではないか。




皆さんは、この隣国で起きていること、
どのようにとらえていますか。



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今回は、今週行われた日米首脳会談を取り上げます




今週水曜日、アメリカのオバマ大統領が
国賓として日本を訪れ、安倍首相と会談を行った。



この訪日は、来る前から去った後も、
徒労ばかりが印象に残ってしまう。



そもそも訪日を決めたときから、国賓にこだわる日本と、
実利を優先する米国との間で、さや当てが続いた。



国賓にして、中国や韓国に見せつけたい日本と、
TPPで絶対に譲れない米国が折りあった結果が、
実質40時間の滞在での国賓待遇だった。



しかし、訪日をセレモニーでは終わらせたくない米国が、
TPPの交渉において、ずっと強硬な姿勢を取り続けた。



日本側も、譲れない項目があり、
今年に入って、議論は平行線を続けた。



米国は、大統領訪日を成功させたい日本が、
最後は折れてくるだろう、とタカをくくっていたふしもある。



当初素通りされるはずだった韓国が、
国賓での訪日に横やりを入れるため、
米国に自国も訪問するよう要求し、
それを受け入れかつ日本では国賓での訪問を維持し、
日本に恩を売った形にもなっていたからだ。



日本に譲歩を迫るため、韓国の要求というより、
米国が「訪韓カード」で揺さぶりをかけた、ともみてとれる。



しかし、日本も国内事情を抱え、譲るに譲れなかった。



また、今回のオバマ大統領アジア歴訪は、
昨年、内政の混乱で、アジア歴訪中だったにもかかわらず、
取りやめなければならず、その失地回復の意味もあった。



米国も、日本訪問は避けられない選択肢であり、
それもまた強硬姿勢を貫けなかった背景にある。



そしてその思惑は、オーストラリアからの
牛肉輸入の関税税率の日豪合意で崩れ去る。



あわてた米国は、フロマン通商代表に
甘利TPP担当大臣との交渉を多く重ねるよう指示した。



しかし、結局大統領離日直前の共同声明発表となり、
各紙の報道で、合意ができたかどうか見解が分かれる結果となった。



文章の書き方こそ、合意ができたとされているが、
要は「これからも議論することで合意」となっているからである。
つまり、単に先送り=何も進まなかった、ということである。



一部で、数値合意があり、明日の衆院補選の結果が出てから、
その数値を公表する、と報道されたが
共同声明に盛り込まれなければ、
会談自体内容は薄かったことになる。



TPPの問題は、単に日米の利害対立だけでなく、
日米対他の参加国、米対日本及び他の参加国、
日本対米国を除く他の参加国、と日本が絡むだけで、
3つの対立構造がある。



日米は、利害対立はあるものの、
他の参加国に対して結束を見せなければならない、
という共通の利害があり、何としても
形の上だけでも合意をしなければならなかった。



なぜならTPPは、単に経済連携協定にとどまらず、
大きな市場での統一ルールを先につくり国際ルールにして、
今なお成長を続ける中国を国際ルールに取り込み、
軍事上の懸念を小さくする目的もあるからだ。



共同声明に、ASEANとの連携が書かれていたが、
それを如実に表している。



中国に脅威を感じているASEAN諸国は、
日米の結束に安心しただろう。



ここで、今これをお読みの方は「?」と思われただろう。
「合意できてないのに結束って矛盾しているのでは。」



実はここが、今回の訪日のもう1つの側面になる。



今回、経済においては徒労に終わった感があり、
周辺国、特に中国・韓国は、
日本が実を取れなかったことで安心した、
と見る向きもあるが、実際は逆である。



まず韓国だが、大統領訪韓を受け入れたことで、
大統領との会談で、慰安婦以外のことは話題にしなかった。



これまで、他国首脳との会談で執拗な対日批判をしていた
朴大統領に対し、米国が強くくぎを刺したとみてよいだろう。


さらに会談では、北朝鮮に対し、
”日”米韓三国の結束が必要、との合意まで出来た。


韓国にとって、これは対日関係改善の確約を、
米国にさせられたに等しい。
(韓国にとって、その方がチャンスなのだが…。)


北朝鮮は、日韓の冷え込みを機に、
日本に近づいて揺さぶりをかけてきたが、
改めて自国封じ込めの力が強いことを再認識したに違いない。



何より中国は一番脅威に感じているだろう。
なぜなら、米国大統領として、初めて明確に、
「尖閣諸島は日米安保の適用範囲」と言い切った。



さらに、当初安倍政権に警戒すらしていたオバマ政権が、
日本の集団的自衛権の憲法解釈を変える姿勢を見せていることに、
「歓迎」と、これまた明言したからだ。



そして先に触れたASEANとの連携に触れたことも相俟って、
「米国は、中国の好き勝手は一切させない。」との強い姿勢を、
安倍首相の前で宣言したことになった。



中国は当然猛反発したが、内実は、
どうやって巻き返しを図るかを懸命に考えている最中だろう。



2020年までに、中国のGDPが米国を抜くと、
かねてより各調査機関で予測されていたが、
ここにきて、「中進国の罠」に陥る恐れも出てきた。



「中心国の罠」とは、一定の経済成長を経てきた発展途上国が、
その途中で息切れし、先進国になれないことを言う。
今、政治混乱が収束できないタイが

その状況になりつつあると言われる。



そうならないためには、皮肉にも日米とうまくやらないといけない。



その意味で、徒労だけには終わらなかったが、
経済だけを見てみると、ホント、徒労だけに終わった感が否めない。



この合意先送りが、TPPの前途に影を落とさなければ良いが…。




お陰さまで、このブログも100回を迎えました。
これも、ひとえに皆様のご愛読の賜物と御礼申し上げます。

これからも、独自の視点で書きたい放題書きますので、
お楽しみいただければ、幸甚です。



【ご意見のお願い】
 本ブログに関して、皆さんのご意見をお願いしています。
 コメント欄に、記事の内容について忌憚のない思いをお書きください。


 なおコメントの内容は、記事の内容に主題的に直接
 深く触れていると判断したものについて、公開を致します。


 それ以外の、例えば「遊びに来てください」的なものは、
 コメント返しのしようがないので、ご高配たまわれば幸甚です。
 公開の有無理由のお問い合わせも、同様と致します。

先週、小保方氏がなぜ不正を認めているのか、
いまいち分かりづらいとのご指摘を受けたので、
それを再度ご説明申し上げた上で、
小保方氏が発表した声明も踏まえて書きます。




表題にある、小保方氏が不正を認めている、
という根拠は、以下のとおりである。



まず、簡潔にまとめると


・理研の規則において「悪意」とは「故意」である。
 道徳的な「悪」の有無は関係ない。

            ↓

・小保方氏は切り貼りが「故意」であることを認めた。

            ↓

・つまり、小保方氏は「不正」であることを認めたことになる。


 ということになる。



詳細に説明したい。


・理化学研究所の調査委員会は、
 「小保方氏は不正行為を行った。」と断定した。



・不正の根拠として「悪意をもって資料を改ざん・捏造した」
 点を上げている。



・ここでいう「悪意」とは、言うなれば「故意」のことである。

 世間一般で言う道徳的な「悪いこと」、今回の事例で言えば、
 他人を欺こう、という意図があったかどうかは関係ない。



・なぜ「故意」と解釈されるか。それは、法令独特の言い回しによる。



・法令も規則の1つであり、理研の内部規定も規則の1つである。
 つまり、書き方などの形式・意味も法令に準ずることになる。



・法令の条文において、「悪意」とは、
 「ある事実を知っていながら、一定の行為に及んだ」事を指す。

 そこに、道徳的な「悪いこと」ということは全く関係ない。



・民法564条に典型例がある。


 【民法564条】
  前条(※)の規定による権利は、
  買主が善意であったときは事実を知った時から、
  悪意であったときは契約の時から、
  それぞれ一年以内に行使しなければならない。


   ※民法563条各項に、一定の物、例えば土地を
    不動産屋が買い取るとき、その土地が、
    実は相続を受けたばかりの2人兄弟の共同所有物で、


    売主の兄が、実はもう一人の共同所有者たる
    弟の許可を得ないで売買契約をした場合における、
    兄及び不動産屋が行使できる権利を定めている。



・この564条の「買主善意・悪意」とは、
 ※の事例の不動産屋が、兄弟の共同所有ということを、
 「知らなかったか・知っていたか」ということである。



・不動産屋にしてみれば、仮に「知っていた」=「悪意」だったとしても、
 「弟さんも承諾してくれているんだろう。」と思うこともありうる。
 この点で、道徳的な「悪意」が存在しえないことは、明白である。



・知っていようがいまいが、不動産屋は、
 自らの意思、つまり「故意」で売買契約を結んだ結果、
 実は、弟の承諾が得られていなかった、ということである。



・これを、今回の事案に当てはめれば、以下のとおりとなる。



・小保方氏は、写真の切り貼りを行ったことを認めた。



・しかも「見易くするため」という意図をもって=「故意」に行った。



・「故意」すなわち「悪意」である。



・理研の規則上「悪意」をもって行った行為は「不正」である。



・よって、小保方氏が故意を認めた以上、
 理研の規則にのっとれば、「不正」であることを
 認めたことになるのである。




今回の小保方氏の記者会見は、小保方氏サイドによれば、

「不正と判断されたことに対する不服申し立てについて」
 の会見であり、STAP細胞の有無についてではない、
 なのでそれに関しては十分準備ができなかった」としている。



しかし、今回の一番大きなポイントだった、
「故意だったかどうか」については、
まさにその「不正とされた根拠」であり、
一番準備して然るべきものである。



この点については、小保方氏の反応から、
「悪意」とは「故意」を指すことを理解していなかったように思える。

もし理解ていてあの反応なら、
研究者の道を断たれても、もっと適した他の道がある。



恐らくは、小保方氏の社会人としての未熟さを考慮して、
弁護団がその意味を敢えて小保方氏に
説明しなかったのではないか、と推察する。



法律を扱う弁護士が、悪意の意味を知らないわけないからだ。
だから、三木秀夫弁護士が、すぐに質問を制した、とみられる。



今週、論文の共同執筆者である理研の笹井芳樹氏も会見を行った。
氏は「STAP細胞は、有力な仮説」と発言した。



世界で最も権威ある科学誌「ネイチャー」が、
仮説段階の研究を掲載するだろうか。



仮説だけなら、理科系ど素人の筆者でもできる。



理化学研究所の対応も、組織とは思えないお粗末ぶりを
相変わらずさらけ出し続けている。



文部科学省も、調査結果報告を受けた段階では、
下村博文大臣が「もっと十分な調査を」と要望するにとどめたが、
この迷走ぶりに、ついには、予算をより自由に使えるようになる
「特定国立研究開発法人」化を先送りすることを固めた。



今回のこの一連の騒動は、日本国内ではあまり認識されていないが、
外国では大々的に報道されている。
科学大国の、しかもそれをリードしてきた理研での騒動だからだ。



このままでは、日本という国の国際的信用も低下してしまうこと、
政府も深く認識して、恐れずに、もっと理研に切り込んでほしい。
なぜなら、理研は民間企業ではなく、独立行政法人なのだから。




今週もお読みいただき、ありがとうございました。
皆さんは、いかがお感じでしょうか。



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今週は、これを外すわけにはいかないでしょう。




理化学研究所(理研)の小保方晴子・ユニットリーダーが、
ネーチャーに載せたSTAP細胞に関する論文の資料に
不正があったとの調査結果を出した理研に対し、
不服申し立てをし、その説明の記者会見を開いた。



記者会見では、自身の未熟さによる影響の大きさに対する謝罪と、
今後も研究を続けていきたいという意思を明確にし、
理研や他者に対する不満を述べなかったことと、
理研の調査のずさんさが改めて明らかになったこととも併せ、
世間一般の、小保方氏への同情が集まっている。




筆者は、記者会見の様子を全て見ていたが、
これらの態度から、全て弁護士との綿密な打ち合わせが
あったことが伺える。



その一方で、小保方氏が主張するSTAP細胞の存在の有無については、
「ある」という主張だけでなんらの根拠も示されず、
疑惑は逆に深まったように感じる。



記者会見の性質上、記者の質問に答えるので、
記者が、不利な質問をしなければ、答えることはない。

つまり、記者の手腕が問われるのである。



集まった記者から数多くの質問が出たが、
小保方氏が質問を利用して自身に有利な事実まで回答しなかったことや
(それはそれで真摯な姿勢と同情を集めたが)
司会の三木秀夫弁護士の質問の遮りなどで、
深く突っ込めた質問は、数えるほどだった。



中には、持論を展開し論戦を吹っ掛ける記者もいて、
小保方氏への同情を一層集めることにもなった。



STAP細胞存在の根拠を会見で示せないのなら、
”後日どういう形で示してもらえますか”
という質問も出なかった。



この記者の攻めあぐねた会見に、
テレビ朝日の川村晃司コメンテーターは、
その突っ込み不足を嘆く発言をしていた。



その例の1つが「悪意」だ。



ここでいう悪意とは、2つの意味が出てくる。



1つは道徳的な意味で、文字通り「悪いこと」である。
今回の事例では「資料の捏造・改ざんは、虚偽・詐意が
あったかどうか」ということになる。



もう1つは、法律などの規則に用いられる独特の言い回しで、
「故意」ということを意味する。
この「故意」に、道徳的な「悪意」の有無は関係ない。
全く別の意味である。



今回の事例では、虚偽・詐意の有無に関係なく
「意図をもって違う資料を載せた」ということになる。



小保方氏は、資料の不備及びその責任は認めつつ、
「そこに悪意はなく、悪意がなければ不正ではない、
 という理研の規定に従えば、今回は不正ではない。」
と、不服申し立てをしたことである。



理研の規定であることから規則なので、ここでは、
「資料を取り違えたことが”故意”だったかどうか」
ということになる。



この「悪意」の捉え方について、追及される場面があったが、
小保方氏は、何を聞かれているのか理解できておらず、
どう答えてよいか戸惑っていた。



筆者はこの時、

「小保方氏は、悪意の意味を、道徳的な概念しか知らず、
 ”故意”という全く別の意味も持っていて、
 故意の有無が理研の規則に抵触するかどうかが問題ということを、
 全く理解していないのではないか。」

と感じた。



それを説明した上で再度質問をすべきだったが、
聞いた記者もそう感じたのだろうが、
小保方氏の戸惑いに、記者も戸惑って、
うまく説明することができなかった。



ただ、小保方氏は冒頭で、資料の切り貼りについては、
「見易くするため、加工した」事ははっきり認めており、
ここは”故意”であることが明確になった。



規則に当てはめれば、この一点をもって、不正ということになる。



ただ、切り貼りをした部分は、STAP細胞の存在の有無に影響しない個所で、
STAP細胞でない部分が見づらいので、該当部分を明るく補正して
上から同じもの切り貼りをしたにすぎない、ということは、
小保方氏に批判的な科学者からも、指摘されている。



しかし世間の関心は、捏造・改ざんではなく、
STAP細胞が存在するかどうかである。



この点については、小保方氏に同情する人たちの中でも、
明確な根拠がなかったことで、疑問を持つ人が多い。



小保方氏が、この疑義を晴らすのであれば、
小保方氏がいると主張する自分以外に成功した研究者の
了解をとって公開すること、この一点に尽きるだろう。



その研究者も、本当に成功したら、
大きな功績になるわけで、拒否する理由はないはずだ。



記者からその点を指摘された小保方氏は、
最初は戸惑いつつも、そういう方法もあると知って、
安どの表情を浮かべていた。



すかさず三木弁護士が「貴重なご意見ありがとうございます。」
と制し、次の質問に移した。



正直、そういう方法もあることすら思いつかない小保方氏の、
いわゆる一般の「人」としての資質があまりに未熟であることと、
この弁護士の制し方から、その未熟さを逆手にとるなど

同情を集めることに長けていて、今回も成功したことが、
実は疑惑解明にはほとんど意味をなさなかったことが、
(それを狙ったと考えられるが)
それぞれ浮き彫りになった記者会見となった。



弁護士サイドとしては、小保方氏を守ることに大成功したともいえる。
研究者として続けられる可能性も出てきた。



ただし、続けられるかどうかは、
STAP細胞の存在が発表時点で真正なものであったことが、
客観的に証明されることが大前提である。




今週もお読みいただき、ありがとうございました。
皆さんは、この記者会見、どのように捉えましたか。

きょうは、このところ限定要因論が取りざたされている、
「集団的自衛権」の行使に対する憲法解釈を取り上げます。



国連憲章で加盟国に認められている、
「集団的自衛権=同盟国が攻撃されたら
 時刻が攻撃されていなくても、相手に反撃できる権利」について、
我が国では、憲法第9条第2項後半部分の
「国の交戦権は、これを認めない。」によって
”権利は有しているが憲法上禁止している”というのが、
現在の政府(内閣)の解釈である。



この解釈を変更し、集団的自衛権の行使を認めよう、
という動きが、ここにきてにわかに活発になってきた。



しかし、憲法9条の改正に前向きな、いわゆる改憲派の人たちから、
”解釈変更などもってのほか”とする声が、
護憲派の人たち以上に大きい。



一体どういうことなのか、疑問を持つ方も多いだろう。



そもそも憲法とは、国家形成において、
全国民が統治にかかわることが事実上不可能であることから、
代表者を選んで統治をさせる際、権利乱用を防ぐため、
その統治者に認めるべき権限、禁止される事項を
列記するという一面がある。



その代表者は、我が国では国会議員である。
その合議体が国会である。



その国会が統治のルールともいえる法律を定め、
法律に従って統治を行う政府のトップである、
内閣総理大臣を選出する。



政府は、国会の決めた法律の範囲外のことはできない。



その政府の憲法解釈を変えよう、ということは、
主権者たる国民が代表者に課したルールである憲法を軽んじる、
すなわち、民主主義の否定、ともとれることから、
改憲派の反対の論拠となっている。



安倍首相は「解釈変更には最高責任者の私が負う」と発言したが、
それに対して、野党ではなく自民党内から猛反発が出たのは当然だ。



なぜなら、自民党が多数を占める国会から指名されたのに、
その国会を軽視したともとられなかねないからだ。



内閣は”国会”に責任を負うのであって、
国民には、”国会”が責任を負う。
それをすっ飛ばすとは何事か、ということなのである。



憲法に関することなのだから、
本来なら全国民的議論が、まずあってしかるべきだ。



しかし、憲法の変更には相当のハードルが控えている。



とはいえ、日本列島を取り巻く環境は、
もはや日本一国だけでは対応できず、
集団的自衛権を行使できるようにしておかなければ、
備えは心もとなく、一刻も早い行使可能な環境を
整備しなければならないのも事実だ。



であれば、その国民の代表者の集まりである国会が、
内閣に先んじてその是非を議論するのが筋なのである。



ここにきて、自民党の高村副総裁が取りまとめに動き、
ようやく政府から自民党に主導権が移るようになってきた。



これを機に、国会で集団的自衛権をどうするかどうかを議論し、
その結論を持って政府が施策を行う、という、
本来の形に戻してほしいと感じている。




皆さんは、この問題について、いかがお考えでしょうか。
きょうもお読みいただき、ありがとうございました。

きょうは、今週再審開始が決定した、
袴田事件通じて、死刑制度について考えます。




1966年、静岡県清水市(現在の静岡市清水区)で、
一家4人が殺害された事件の犯人として死刑判決を受けていた、
袴田厳元被告の再審が、静岡地方裁判所によって決定された。



注目されるのは、捜査当局が証拠として提出し裁判で認定された衣類は、

「ねつ造されたと考えるのが最も合理的であり、
 現実的には他に考えようがない。
 そして、このような証拠をねつ造する必要と能力を有するのは、
 おそらく捜査機関をおいて外にないと思われる。 」

と明記されたことである。



この衣類は、事件から1年以上たって発見されたこととされている。
しかも、この衣類は袴田さんには小さすぎるものであった。



当時からこれらの不自然さが指摘され、
第一審で死刑判決を出した3人のうち1人は、
証拠が不十分であると無罪判決を出すことを主張していた。
この裁判官は、判決から半年後に退官している。



もしこれが認定されれば、またしても、捜査当局の証拠捏造となる。



検察側は、最新取り消しを求め上訴する構えを見せているが、
検察自らDNA不一致の証拠を出していることから、
最終的に、最高裁判所で再審開始が決定されることは濃厚とみられる。



「もう今はそういう時代ではないだろう。」
とお考えの方も少なくはあるまい。



しかし最近でも、現厚生労働省事務次官の
村木厚子氏が無罪となった事件で、大阪地検特捜部が、
証拠となるフロッピーディスクの日付を改ざんしたり、
パソコン遠隔操作事件でも
4人の無関係者に自白させていることが発覚している。



もし冤罪で死刑が執行されたら、取り返しがつかない。
しかも、捜査当局の捏造やミスは、完全に消せるものではない。



死刑存続派の人たちはそれを指摘されたら、それは違う、という。
ではあなたはミスをしませんかと聞かれたら、その自信はないという。
そして「ではあなたは自分の家族が無残に殺されても、
死刑反対と言い続けられますか。と聞き返す。



その質問は、その犯人が真犯人であることが前提の質問だ。
死刑反対派の人たちが、それを指摘した上で、
「ではあなたが無実で死刑執行されたらどう思いますか。」
と聞かれると、それはそうならないと分からない、という。



ならば、家族が殺されても死刑反対と言い続けられるか、という質問には、
やはり、それはそうならないと分からない、という答えになってしまう。



これらのやりとりから、やはり、取り返しがつかない以上、
死刑はやってはいけない刑罰である、ということが導き出される。



世界各国を見ても、日本より人権が保障されていないとされる国々含め、
死刑を置いている国は少数派になっている。



とはいえ、被害者家族の心情を考えれば、
死刑の次に重い無期懲役が最高刑になれば、
いつかは出てくるかもしれない、ということなど、
到底受け入れられるものではないことは推し量れる。



そこで、静岡地裁の決定の中で、もう1点注目されるのが、


「国家機関が無実の個人を陥れ、
 45年以上にわたり身体を拘束し続けたことになり、
 刑事司法の理念からは到底耐え難いことといわなければならない。」


「拘置をこれ以上継続することは、
 耐え難いほど正義に反する状況にあると言わざるを得ない。
 一刻も早く袴田の身柄を解放すべきである」


というくだりである。



さきの捏造認定と併せ捜査当局への断罪と、
組織防衛をやメンツを捨てて真実を明らかにせよ、と、
裁判所が命じたに等しい。



ここからは、このうちの
「45年以上にわたり身体を拘束し続けた」に着目したい。



無期懲役だと、先にも書いたが仮釈放がある。
ここに、死刑との大きな開きがある。



袴田さんは、まさに45年以上拘束されたことにより、
拘禁症状などの精神疾患を発症したとされている。



無期懲役でも、一生出られないかもしれない、と絶望に陥り、
同様の症状がでる受刑者もいるという。



そこで考えられるのが、死刑の代わりに
「恩赦適用のない終身禁錮」を導入することである。



これなら、真犯人が別にいたとしても、
取り返しがつかない事態にはならない。

それも懲役ではなく、一生禁錮なら、
想像するだけで恐ろしいことが理解できると思われる。



見方によっては、死刑より重い、ともいわれる。
実際、拘禁症状の出た袴田さんは、
自殺を考えたこともあった、と言っている。



静岡地裁の今回の決定は、暗に、
死刑制度に対する警告も含まれているのではないだろうか。



そして、今の無期懲役囚の平均収容年数が30年を超え、

仮釈放もほとんど行われず、50年経った受刑者も多くおり、

既に終身刑が、実質的に執行されているに等しい現実も、

忘れてはならないと感じる。



今回もお読みいただき、ありがとうございました。
皆さんは、どうお考えですか。