きょうは、今週再審開始が決定した、
袴田事件通じて、死刑制度について考えます。
1966年、静岡県清水市(現在の静岡市清水区)で、
一家4人が殺害された事件の犯人として死刑判決を受けていた、
袴田厳元被告の再審が、静岡地方裁判所によって決定された。
注目されるのは、捜査当局が証拠として提出し裁判で認定された衣類は、
「ねつ造されたと考えるのが最も合理的であり、
現実的には他に考えようがない。
そして、このような証拠をねつ造する必要と能力を有するのは、
おそらく捜査機関をおいて外にないと思われる。 」
と明記されたことである。
この衣類は、事件から1年以上たって発見されたこととされている。
しかも、この衣類は袴田さんには小さすぎるものであった。
当時からこれらの不自然さが指摘され、
第一審で死刑判決を出した3人のうち1人は、
証拠が不十分であると無罪判決を出すことを主張していた。
この裁判官は、判決から半年後に退官している。
もしこれが認定されれば、またしても、捜査当局の証拠捏造となる。
検察側は、最新取り消しを求め上訴する構えを見せているが、
検察自らDNA不一致の証拠を出していることから、
最終的に、最高裁判所で再審開始が決定されることは濃厚とみられる。
「もう今はそういう時代ではないだろう。」
とお考えの方も少なくはあるまい。
しかし最近でも、現厚生労働省事務次官の
村木厚子氏が無罪となった事件で、大阪地検特捜部が、
証拠となるフロッピーディスクの日付を改ざんしたり、
パソコン遠隔操作事件でも
4人の無関係者に自白させていることが発覚している。
もし冤罪で死刑が執行されたら、取り返しがつかない。
しかも、捜査当局の捏造やミスは、完全に消せるものではない。
死刑存続派の人たちはそれを指摘されたら、それは違う、という。
ではあなたはミスをしませんかと聞かれたら、その自信はないという。
そして「ではあなたは自分の家族が無残に殺されても、
死刑反対と言い続けられますか。と聞き返す。
その質問は、その犯人が真犯人であることが前提の質問だ。
死刑反対派の人たちが、それを指摘した上で、
「ではあなたが無実で死刑執行されたらどう思いますか。」
と聞かれると、それはそうならないと分からない、という。
ならば、家族が殺されても死刑反対と言い続けられるか、という質問には、
やはり、それはそうならないと分からない、という答えになってしまう。
これらのやりとりから、やはり、取り返しがつかない以上、
死刑はやってはいけない刑罰である、ということが導き出される。
世界各国を見ても、日本より人権が保障されていないとされる国々含め、
死刑を置いている国は少数派になっている。
とはいえ、被害者家族の心情を考えれば、
死刑の次に重い無期懲役が最高刑になれば、
いつかは出てくるかもしれない、ということなど、
到底受け入れられるものではないことは推し量れる。
そこで、静岡地裁の決定の中で、もう1点注目されるのが、
「国家機関が無実の個人を陥れ、
45年以上にわたり身体を拘束し続けたことになり、
刑事司法の理念からは到底耐え難いことといわなければならない。」
「拘置をこれ以上継続することは、
耐え難いほど正義に反する状況にあると言わざるを得ない。
一刻も早く袴田の身柄を解放すべきである」
というくだりである。
さきの捏造認定と併せ捜査当局への断罪と、
組織防衛をやメンツを捨てて真実を明らかにせよ、と、
裁判所が命じたに等しい。
ここからは、このうちの
「45年以上にわたり身体を拘束し続けた」に着目したい。
無期懲役だと、先にも書いたが仮釈放がある。
ここに、死刑との大きな開きがある。
袴田さんは、まさに45年以上拘束されたことにより、
拘禁症状などの精神疾患を発症したとされている。
無期懲役でも、一生出られないかもしれない、と絶望に陥り、
同様の症状がでる受刑者もいるという。
そこで考えられるのが、死刑の代わりに
「恩赦適用のない終身禁錮」を導入することである。
これなら、真犯人が別にいたとしても、
取り返しがつかない事態にはならない。
それも懲役ではなく、一生禁錮なら、
想像するだけで恐ろしいことが理解できると思われる。
見方によっては、死刑より重い、ともいわれる。
実際、拘禁症状の出た袴田さんは、
自殺を考えたこともあった、と言っている。
静岡地裁の今回の決定は、暗に、
死刑制度に対する警告も含まれているのではないだろうか。
そして、今の無期懲役囚の平均収容年数が30年を超え、
仮釈放もほとんど行われず、50年経った受刑者も多くおり、
既に終身刑が、実質的に執行されているに等しい現実も、
忘れてはならないと感じる。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
皆さんは、どうお考えですか。