「心情倫理」と「責任倫理」。
昨日の日経夕刊の一面。
あすへの話題、という欄を作家の先生が書いていらっしゃいました。
タイトルは「心情倫理」から「責任倫理」へ。
私はこのコラムではじめてこのことばを認識しました。
このことばは社会学者のマックス・ウェーバーがその著書『職業としての政治』の中で
定義していることばだそうです。
心情倫理・・・自らの心情に忠実に行動する倫理。
心情の純粋さの程度で倫理性の程度が左右される。
責任倫理・・・自らの行動の影響を考慮して行動する倫理。
行動の結果への配慮の程度で倫理性の程度が左右される。
このように区別しているとのこと。
コラムの中では当然、政治の話になっているのですが、
上記の2つの考え方は自らが最終決裁者、最終責任者であるときに
常につきまとってくるものではないか、と感じられました。
心情倫理にしたがって行動しても、外的要因、不可抗力により、
思うような結果にならないかもしれない。
責任倫理にしたがって行動した場合、内的要因、外的要因、不可抗力、
何もかもひっくるめて責任をとることになるわけだ。
日本人は心情倫理を行動の基準にしている、とコラムの中で
とりあげられていたが、確かに、あふれている情報をみていると
そう感じられる部分は多いと思います。
そこに日本人のよさもあるのかもしれないけれど、
責任倫理という視点をもつことで、
はじめて真の問題点もみえてくるはずで、
問題点を認識することでしか、それを解決していくことはできないのだから
流れていってしまわないように、意識していきたいものですね。
あすへの話題、という欄を作家の先生が書いていらっしゃいました。
タイトルは「心情倫理」から「責任倫理」へ。
私はこのコラムではじめてこのことばを認識しました。
このことばは社会学者のマックス・ウェーバーがその著書『職業としての政治』の中で
定義していることばだそうです。
心情倫理・・・自らの心情に忠実に行動する倫理。
心情の純粋さの程度で倫理性の程度が左右される。
責任倫理・・・自らの行動の影響を考慮して行動する倫理。
行動の結果への配慮の程度で倫理性の程度が左右される。
このように区別しているとのこと。
コラムの中では当然、政治の話になっているのですが、
上記の2つの考え方は自らが最終決裁者、最終責任者であるときに
常につきまとってくるものではないか、と感じられました。
心情倫理にしたがって行動しても、外的要因、不可抗力により、
思うような結果にならないかもしれない。
責任倫理にしたがって行動した場合、内的要因、外的要因、不可抗力、
何もかもひっくるめて責任をとることになるわけだ。
日本人は心情倫理を行動の基準にしている、とコラムの中で
とりあげられていたが、確かに、あふれている情報をみていると
そう感じられる部分は多いと思います。
そこに日本人のよさもあるのかもしれないけれど、
責任倫理という視点をもつことで、
はじめて真の問題点もみえてくるはずで、
問題点を認識することでしか、それを解決していくことはできないのだから
流れていってしまわないように、意識していきたいものですね。
距離感の「ものさし」。
連休中にかけめぐった「リーマンショック」。
ニューヨーク、ロンドン、東京。
マーケットは右へならえ、で株安になる。
10年前の日本の再来か?
邦銀の損失額は?
あっというまに様々な情報とデータが提示された。
寝耳に水というのか、思ったよりあっという間だったというのか。
専門家の方々が今後の展望について、コメントをしていく。
ひとつの事象に対して、先の先の先までどんどんよんで手をうっていく。
遠く、海をこえた場所でおこったことであっても、
その及ぼす影響は非常に大きい。
100年前とは比べものにならないほど
世界は近くなっているのだと思います。
物理的な距離はほとんど変化していないはずなのに。
アナログな距離とバーチャルな距離。
どんなものさしをつかっているかによって、
距離感はずいぶんちがってくるものです。
今の時代は、そういういくつものものさしを「適当に」つかいわける
能力も、求められているのかもしれませんね。
ニューヨーク、ロンドン、東京。
マーケットは右へならえ、で株安になる。
10年前の日本の再来か?
邦銀の損失額は?
あっというまに様々な情報とデータが提示された。
寝耳に水というのか、思ったよりあっという間だったというのか。
専門家の方々が今後の展望について、コメントをしていく。
ひとつの事象に対して、先の先の先までどんどんよんで手をうっていく。
遠く、海をこえた場所でおこったことであっても、
その及ぼす影響は非常に大きい。
100年前とは比べものにならないほど
世界は近くなっているのだと思います。
物理的な距離はほとんど変化していないはずなのに。
アナログな距離とバーチャルな距離。
どんなものさしをつかっているかによって、
距離感はずいぶんちがってくるものです。
今の時代は、そういういくつものものさしを「適当に」つかいわける
能力も、求められているのかもしれませんね。
やってきたことは消えてなくなったりしない。
生きるということは前を向いて進んでいくことだと思うのですが、
その進んでいくモチベーションは人によって、またその時によって、
それぞれなのだと思います。
モチベーションはポジティブなこともあれば、ネガティブなこともある。
能動的なときもあれば、受動的なときもある。
自己改革的なときもあれば、他人依存的なときもある。
モチベーションアップ、ときくと、
どうしても、
あくまでも、高めの目標設定をして、
あくまでも、ポジティブに、
あくまでも、能動的に、
あくまでも、自己改革的に、
と思いこんでしまう、もしくはそれがモチベーションアップのあり方だ、と
そうできない自分をふるいたたせようとしてしまうのかもしれません。
でも、実際、ふりかえってみるとそうでもなかったような
気もしてくるのです。
どんな質のモチベーションであっても、
それによって自らが起こしたアクションが
その後の自分、今の自分をつくってくれているのであり、
そういう自分の延長線上に
これから自分が目指すものがあったり、
やるべきことがあったり、
するのだと思います。
私はこれまで、よくよく思い出してみれば
当時は
あーめんどくさい!!!
と思ってやっていたことが山ほどあるように思います。
心の中で悪態つきながら、必ずしも人様にほこれるような方向の
モチベーションばかりではなかったことが、たくさんあります。
でも、おもしろいもので、
そういう当時の真実はどこかへ消え去って、
今振り返ると、残っているのは
それらが導いてくれた、築き上げてくれた、積み重ねてくれた
数々の結果と実績と経験、今となってはかけがえのない財産ばかり。
先日、ある方からいただいたメッセージにはっとしました。
その方は私がいやいやながら、でもやるからにはちゃんとやろう、と
取り組んでいたある仕事のことを覚えていてくださって、
そのことを評価してくださったのです。
どんな思いで、とか関係なく、
やってきたことは消えてなくなったりしない
のだと、
ときに、そのことを思い出して自信をもち、
ときに、そのことを思い出して謙虚になる
ことを忘れないでいたい、と思います。
◇◇◇
結局、アスタナさんのおっしゃったとおり、
20世紀少年を一気に読み切ってしまいました・・・。
ハハハハハ・・・
その進んでいくモチベーションは人によって、またその時によって、
それぞれなのだと思います。
モチベーションはポジティブなこともあれば、ネガティブなこともある。
能動的なときもあれば、受動的なときもある。
自己改革的なときもあれば、他人依存的なときもある。
モチベーションアップ、ときくと、
どうしても、
あくまでも、高めの目標設定をして、
あくまでも、ポジティブに、
あくまでも、能動的に、
あくまでも、自己改革的に、
と思いこんでしまう、もしくはそれがモチベーションアップのあり方だ、と
そうできない自分をふるいたたせようとしてしまうのかもしれません。
でも、実際、ふりかえってみるとそうでもなかったような
気もしてくるのです。
どんな質のモチベーションであっても、
それによって自らが起こしたアクションが
その後の自分、今の自分をつくってくれているのであり、
そういう自分の延長線上に
これから自分が目指すものがあったり、
やるべきことがあったり、
するのだと思います。
私はこれまで、よくよく思い出してみれば
当時は
あーめんどくさい!!!
と思ってやっていたことが山ほどあるように思います。
心の中で悪態つきながら、必ずしも人様にほこれるような方向の
モチベーションばかりではなかったことが、たくさんあります。
でも、おもしろいもので、
そういう当時の真実はどこかへ消え去って、
今振り返ると、残っているのは
それらが導いてくれた、築き上げてくれた、積み重ねてくれた
数々の結果と実績と経験、今となってはかけがえのない財産ばかり。
先日、ある方からいただいたメッセージにはっとしました。
その方は私がいやいやながら、でもやるからにはちゃんとやろう、と
取り組んでいたある仕事のことを覚えていてくださって、
そのことを評価してくださったのです。
どんな思いで、とか関係なく、
やってきたことは消えてなくなったりしない
のだと、
ときに、そのことを思い出して自信をもち、
ときに、そのことを思い出して謙虚になる
ことを忘れないでいたい、と思います。
◇◇◇
結局、アスタナさんのおっしゃったとおり、
20世紀少年を一気に読み切ってしまいました・・・。
ハハハハハ・・・

中秋の名月。

これでは美しさは伝えられません・・。
昨日のお月様ですが。
中秋の名月、というやつです。
自分の目でみたお月様はとてもきれいでした。
で、お月見といえば、

月見だんご(笑)。
情緒のないことです・・・。
本当はすすきの一本でもほしいところでしたが、
うちの近くにはどうも見当たらなくて。
そういえば、小さい頃、東京の方ではすすきが売ってるらしいよ、ときき、
そんなアホな、と思っていましたが、ほんとに見当たらないもんなんですね。
お月見に限らず、
仕事お休み中の私は季節の行事とか、
自然とかに興味が向かっているようです。
私がそうやって両親に育ててもらったように
私も生まれてくるこの子に伝えたいと思っているからかもしれません。
だから、しばらくの間、忘れかけていたようなことを
今のうちにちょっと思い出しているのかなぁと感じます。
昨日は、はじめ、雨がふる、という予報でしたが、
お月見ができてよかったです。
◇◇◇
そういえば、先日観に行った映画は協議の結果、20世紀少年、でした。
実は私の方は原作も知らずに行ってしまったので、
今後のためにお勉強?することに。

最近、アタマがなまってきているのでは?と危機感を感じているので
MBAの本でも読もうかと思っていたはずなのですが・・・。
両方バランスよく、摂取していこうと思います。
コンサルテーションとカーナビゲーション。
昨日、主人に頼んで久々に映画を観につれていってもらいました。
私も久しぶりでとても楽しんだのですが、
どうやらお腹の住人もとても楽しんでいたようです。
そもそも、この方は和太鼓とか花火の音、お腹にズン、と響くような音が
お気に入りのようで(自宅でこれらの音がきこえると元気になる)、
昨日も映画館で流れる重低音にご満悦のご様子でした。
私は興奮気味?のお腹の住人とコミュニケーションをとるべく、
ぽんぽんとお腹をたたきながらの映画鑑賞。
みてた人がもし、いたら、変なやつだと思ったことでしょう・・・。
本当にこの子がそういう音が好きかどうかなど知り様もないのですが、
なんとなく、好きなんだろうな、と感じます。
医学的な、科学的な根拠はないかもしれませんが、
先日、知人から紹介していただいた書籍では、お腹の中にいたときのことを
覚えていて、うまれてきてから話をするというケースはけっこうあるようです。
覚えているくらいなら、きっと今でもコミュニケーションがとれるはず。
相互、というわけにはいきませんが、たくさん話しかけている今日この頃です。
◇◇◇
最近はとんと、講義からもコンサルテーションからも遠ざかっていますが、
私の講義の中でよく出てくるたとえ話としてドライブ(車の運転)、料理、など、
生活に密着したものがあります。
なぜ、これらをつかっていたかというと、自分が好きだから、が第一。
あとは自分が日々、普通に体験していることの方が、
ストンと腹に落ちやすいと思うから、という理由があります。
よく、ビジネスプランを考えるときにドライブに行くときのことを考えてみましょう、とか
経営について話すときに車の運転について思い出してみましょう、とか話していたのですが
これは私自身がこのたとえをつかって感覚をおしえてもらったときに
いちばんストンと落ちてきたから、でした。
さて、でも今日のテーマは「コンサルテーションとカーナビゲーション」。
自分がコンサルという名をかたり、仕事をしてしばらくたった頃、
そのあり方について、相当に疑問をもち、葛藤していたことがあります。
(いまだってすべてクリアになっているわけではありませんが)
そんなときに私が気になったのが、カーナビでした。
正確に言うとカーナビゲーションシステム、というやつ。
カーナビをつかったことのある方はお分かりかと思いますが、
カーナビをつかうには絶対に2つのことをまず伝えなければなりません。
それは「スタート地点」と「ゴール地点」。
まず、この情報を入力しなければシステムは作動しません。
これらを入力するとシステムは「推奨ルート」というのをプレゼンしてくれます。
これでよければ案内開始。
でも、気に入らなければ自らが詳細に条件設定をすることができます。
距離優先、一般道優先、寄り道設定、などなど。
カーナビは嫌な顔ひとつせず(機会なんで当たり前ですが)他のルートを
再プレゼンしてくれます。
そしてルートを決定して、スタート。
ナビくんはポイントごとに指示や周辺情報を提供してくれます。
「300m先、右方向です」
「およそ1キロ先、渋滞です」
そうやって自分が設定したゴールに近づくと300mか500mの付近で
だいたい、こういいます。
「目的地周辺です。音声案内を終了します。」
以上。
あと、困るのは一番はじめにいう、このひとこと。
「実際の交通状況にしたがって走行してください」
というやつ。
ナビくんのもっている情報の中に含まれないのが
事故や工事、何らかの規制によって一時的に通行が制限されている場合。
リアルに道路をみているわけではないので、
そこの判断はナビくんにはできないのです。
と、こんなナビくんを利用するようになって思ったのです。
コンサルテーションでもこういうことはあるのではないか。
ナビはシステムなので、いたれりつくせりでなくても腹がたたない人も
いるかと思いますが、
コンサルは人が行うことが多いので、いろんなところで衝突が起きてしまうこともあります。
特に、限られた情報で何らかの指針を示したり、アイディアや戦略などを
提案させていただいたりする場合、一歩間違うととんでもないところへ
導いてしまうことだってありかねない。
あげくのはてに、その目的地周辺で「これで案内は終了です。あとは自力でがんばって」
なんていわれた日にはクライアントの方は怒り心頭、となるはず。
ということで私の中では
■コンサルテーションのスタイルによってはカーナビゲーションと割り切ってしまう
■コンサルテーションをナビゲーションとして行う
■スタート地点(現在地)、ゴール地点(目的地)の設定からコミットする
■条件設定について優先順位を共有する
といったような方針がいくつかできてきました。
一見すると
コンサルテーションとカーナビゲーションは全く関係のないものですが、
視点をかえるとストンとおちてくる何かに出会えることもある
と思います。
みなさんも何か、指針に迷うものがあったり、
出口が見えなくなったりしているときには、
身近で、興味のもてるものにヒントを探してみてはいかがでしょうか。
ちなみに、我が家のナビくんは、最終的に目的地点に到達すると、急に思い出したように、おつかれさまでした、と声をかけてくれます。
この心遣い、私もマネしたいと思います。
◇◇◇
今日は中秋の名月、ですね。
雲が多いようですが、みえるかな・・・。
私も久しぶりでとても楽しんだのですが、
どうやらお腹の住人もとても楽しんでいたようです。
そもそも、この方は和太鼓とか花火の音、お腹にズン、と響くような音が
お気に入りのようで(自宅でこれらの音がきこえると元気になる)、
昨日も映画館で流れる重低音にご満悦のご様子でした。
私は興奮気味?のお腹の住人とコミュニケーションをとるべく、
ぽんぽんとお腹をたたきながらの映画鑑賞。
みてた人がもし、いたら、変なやつだと思ったことでしょう・・・。
本当にこの子がそういう音が好きかどうかなど知り様もないのですが、
なんとなく、好きなんだろうな、と感じます。
医学的な、科学的な根拠はないかもしれませんが、
先日、知人から紹介していただいた書籍では、お腹の中にいたときのことを
覚えていて、うまれてきてから話をするというケースはけっこうあるようです。
覚えているくらいなら、きっと今でもコミュニケーションがとれるはず。
相互、というわけにはいきませんが、たくさん話しかけている今日この頃です。
◇◇◇
最近はとんと、講義からもコンサルテーションからも遠ざかっていますが、
私の講義の中でよく出てくるたとえ話としてドライブ(車の運転)、料理、など、
生活に密着したものがあります。
なぜ、これらをつかっていたかというと、自分が好きだから、が第一。
あとは自分が日々、普通に体験していることの方が、
ストンと腹に落ちやすいと思うから、という理由があります。
よく、ビジネスプランを考えるときにドライブに行くときのことを考えてみましょう、とか
経営について話すときに車の運転について思い出してみましょう、とか話していたのですが
これは私自身がこのたとえをつかって感覚をおしえてもらったときに
いちばんストンと落ちてきたから、でした。
さて、でも今日のテーマは「コンサルテーションとカーナビゲーション」。
自分がコンサルという名をかたり、仕事をしてしばらくたった頃、
そのあり方について、相当に疑問をもち、葛藤していたことがあります。
(いまだってすべてクリアになっているわけではありませんが)
そんなときに私が気になったのが、カーナビでした。
正確に言うとカーナビゲーションシステム、というやつ。
カーナビをつかったことのある方はお分かりかと思いますが、
カーナビをつかうには絶対に2つのことをまず伝えなければなりません。
それは「スタート地点」と「ゴール地点」。
まず、この情報を入力しなければシステムは作動しません。
これらを入力するとシステムは「推奨ルート」というのをプレゼンしてくれます。
これでよければ案内開始。
でも、気に入らなければ自らが詳細に条件設定をすることができます。
距離優先、一般道優先、寄り道設定、などなど。
カーナビは嫌な顔ひとつせず(機会なんで当たり前ですが)他のルートを
再プレゼンしてくれます。
そしてルートを決定して、スタート。
ナビくんはポイントごとに指示や周辺情報を提供してくれます。
「300m先、右方向です」
「およそ1キロ先、渋滞です」
そうやって自分が設定したゴールに近づくと300mか500mの付近で
だいたい、こういいます。
「目的地周辺です。音声案内を終了します。」
以上。
あと、困るのは一番はじめにいう、このひとこと。
「実際の交通状況にしたがって走行してください」
というやつ。
ナビくんのもっている情報の中に含まれないのが
事故や工事、何らかの規制によって一時的に通行が制限されている場合。
リアルに道路をみているわけではないので、
そこの判断はナビくんにはできないのです。
と、こんなナビくんを利用するようになって思ったのです。
コンサルテーションでもこういうことはあるのではないか。
ナビはシステムなので、いたれりつくせりでなくても腹がたたない人も
いるかと思いますが、
コンサルは人が行うことが多いので、いろんなところで衝突が起きてしまうこともあります。
特に、限られた情報で何らかの指針を示したり、アイディアや戦略などを
提案させていただいたりする場合、一歩間違うととんでもないところへ
導いてしまうことだってありかねない。
あげくのはてに、その目的地周辺で「これで案内は終了です。あとは自力でがんばって」
なんていわれた日にはクライアントの方は怒り心頭、となるはず。
ということで私の中では
■コンサルテーションのスタイルによってはカーナビゲーションと割り切ってしまう
■コンサルテーションをナビゲーションとして行う
■スタート地点(現在地)、ゴール地点(目的地)の設定からコミットする
■条件設定について優先順位を共有する
といったような方針がいくつかできてきました。
一見すると
コンサルテーションとカーナビゲーションは全く関係のないものですが、
視点をかえるとストンとおちてくる何かに出会えることもある
と思います。
みなさんも何か、指針に迷うものがあったり、
出口が見えなくなったりしているときには、
身近で、興味のもてるものにヒントを探してみてはいかがでしょうか。
ちなみに、我が家のナビくんは、最終的に目的地点に到達すると、急に思い出したように、おつかれさまでした、と声をかけてくれます。
この心遣い、私もマネしたいと思います。
◇◇◇
今日は中秋の名月、ですね。
雲が多いようですが、みえるかな・・・。
「管理職」という肩書きでエラい目にあった話。
昨日はここ最近の涼しさはどこへやら、暑い1日になりました。
今、私のお腹に同居人がいるからか、ただでさえ暑がりの私は
もっと暑がりになっています。
温かいものを飲んだ方がよい、というのはわかっているので
ハーブティーなど飲んでみるも、一気に汗が噴き出してきます。
お腹の住人といえば、だいぶお腹が大きくなったので
お目にかかる方からは
動きますか?
と聞かれるのですが、おっしゃるとおり、よく動いています。
はじめて動いたのを感じたのはいつだったか、もうよくわからなくなってしまったのですが
(胎動がどんなものかわからなくて・・・)いつの頃からか、自由に活動
なさるようになりました。
最近、しばらくボーッと観察してみたりするのですが、
いったい君はどんな動きをしているのか??とたずねたくなるような
複雑怪奇な動きをすることもあります。
出てきたらいつか、きいてみよう、と思っています。
◇◇◇
ネットのコラムのようなもので「名ばかりの管理職」という記事をみつけ
ある人の話を思い出しました。
みなさんは管理職の定義というものをご存知でしょうか。
みつけた記事から一部引用すると以下のとおりです。
■経営と一体的な立場で、企業の経営方針の決定にかかわる重い権限が与えられている
■労働時間を管理されず、出勤や退勤の時間を自分で決められる
■一般社員より報酬が高く、管理職にふさわしい待遇を得ている
管理職というのはこういう条件を満たす人のことをさす、というわけです。
肩書きは現在は様々ですよね。
昔ながらのちょっといかついようなものもあり、
カタカナがいっぱい並んでワケがわからんようなものもあり。
今問題になっている「名ばかりの管理職」というのは
いわば、『肩書きは管理職的だが、実質、上記の3条件は満たしていない』
という人のことをさしている。
某ファストフード店の店長が訴えた件など、記憶に新しいのではないでしょうか。
責任には権利がともなう。
権利には責任がともなう。
経営者と従業員という立場はどうしてもここについては利益が相反することが多いです。
経営者としては十分に職責を果たしてくれればそれにはどれだけでも報いたいと思う。
従業員としては十分な権利が認められているから職責を全うし、できればそれ以上頑張りたいと思う。
業績が順調なときはいいのだけれど、ここにほころびが生まれるのは
いうまでもなく業績が不順なとき。
業績が思わしくないから
経営者としては危機を脱するまではつべこべ言わずに必死で働いてほしいし、
全体として結果が出てないのだからみんなも痛みをわかって我慢してほしいと思う。
従業員としてはこの先ここで働いていって将来があるのかという不安を抱えながら、
頑張っても頑張っても評価されない、職責に対して不信をもつ、と思う。
あまり最悪を考えて就職する従業員はいないのではないかと思うけれど
経営者のほうは必死にリスク回避を考えているものです。
と、ここでタイトルの話へ。
Kさんはある会社に新卒社員として入社しました。
1年後のある日、その会社は分社化してしまいます。
Kさんは気づくと分社化した新しい会社のひとつに配属されていました。
もともとそこにとまどいはあったものの、
新しい会社ということにおもしろみを感じ、
やる気をもってその業務にあたろうとしたのです。
そんなKさんに社長が与えたポジションが管理職でした。
肩書きは「部長」。
新卒2年目で部長になったKさん、はりきって頑張っていました。
ところがこの会社、スタートしたばかりで順風満帆とはいかず
様々な問題がおこります。
Kさん、自分は部長だから、と必死に問題に対処し、
会社に必要なものはどんどんなけなしのお金をつかって準備したりしていました。
それでも会社の残高は減っていく一方、
(実はこの会社の残高が減っていった理由は本業以外に原因があったのですが)
給与支払いは戦々恐々としたものでした。
Kさんの給与は25万程度。
ただし、様々な手当があるわけではないのでここからすべての生活費、保険などを
支払わなければなりません。
Kさんはまともな会社にするべく、社会保険への加入の準備をすすめます。
新卒で入ったKさんはそれが当たり前だと思っていたからです。
ところがお役所からの連絡は加入不可。
理由は給与支払いが不安定など、並べられてしまいました。
時期を同じくしてKさんは社長のこんなひとことを知ってしまいます。
「Kさんにさえ、給与支払いしておけば、Kさんはどんどん会社のために
お金をつかってくれるから」
この事実を知ったKさんは常識の見込めない会社をやめることを決意します。
やる気がある間は我慢していた自分の残業代や立て替えてきた経費など
計算をして、労働に見合った請求を会社に対して行いました。
もちろん?会社側は断固として支払い拒否をします。
Kさんは労働基準監督署、簡易裁判所などの専門機関に訴えました。
するとかえってきたこたえはこうです。
「Kさん、一応、管理職手当として給与明細に金額がのってますよね。
確かにこの金額で納得しろというのは気の毒に思うけど、
他の社員に比べたらもらっているほうなのでこれ以上の請求は難しいかなぁ。」
そんなふうにいわれたそうです。
そして、こうも付け加えられたとか。
「Kさん、まだ若いんだから、こんなことに労力つかわないで
新しいところにつとめて稼いだほうが精神的にもいいんじゃないですか」
Kさんは結局いい勉強になった、とあきらめ、新たな仕事についたのです。
本当にお気の毒な話なのですが、この話をきいてからは
「管理職」という肩書きには気をつけろ!と身にしみました・・・。
この話はかなり極端ですが、
勉強すべきは勉強し、知識をもった上で、自らの権利ばかりを主張するのではなく、
義務については全うし、それ以上の働きをする「管理職」となり、
それに対して会社は正しい評価のもとに報いていくという健全な関係を構築すると
いうのがあるべき姿なのだろうと思います。
私も仕事復帰したらこういう分野のお仕事にもまたチャレンジしたいと思っています。
今、私のお腹に同居人がいるからか、ただでさえ暑がりの私は
もっと暑がりになっています。
温かいものを飲んだ方がよい、というのはわかっているので
ハーブティーなど飲んでみるも、一気に汗が噴き出してきます。
お腹の住人といえば、だいぶお腹が大きくなったので
お目にかかる方からは
動きますか?
と聞かれるのですが、おっしゃるとおり、よく動いています。
はじめて動いたのを感じたのはいつだったか、もうよくわからなくなってしまったのですが
(胎動がどんなものかわからなくて・・・)いつの頃からか、自由に活動
なさるようになりました。
最近、しばらくボーッと観察してみたりするのですが、
いったい君はどんな動きをしているのか??とたずねたくなるような
複雑怪奇な動きをすることもあります。
出てきたらいつか、きいてみよう、と思っています。
◇◇◇
ネットのコラムのようなもので「名ばかりの管理職」という記事をみつけ
ある人の話を思い出しました。
みなさんは管理職の定義というものをご存知でしょうか。
みつけた記事から一部引用すると以下のとおりです。
■経営と一体的な立場で、企業の経営方針の決定にかかわる重い権限が与えられている
■労働時間を管理されず、出勤や退勤の時間を自分で決められる
■一般社員より報酬が高く、管理職にふさわしい待遇を得ている
管理職というのはこういう条件を満たす人のことをさす、というわけです。
肩書きは現在は様々ですよね。
昔ながらのちょっといかついようなものもあり、
カタカナがいっぱい並んでワケがわからんようなものもあり。
今問題になっている「名ばかりの管理職」というのは
いわば、『肩書きは管理職的だが、実質、上記の3条件は満たしていない』
という人のことをさしている。
某ファストフード店の店長が訴えた件など、記憶に新しいのではないでしょうか。
責任には権利がともなう。
権利には責任がともなう。
経営者と従業員という立場はどうしてもここについては利益が相反することが多いです。
経営者としては十分に職責を果たしてくれればそれにはどれだけでも報いたいと思う。
従業員としては十分な権利が認められているから職責を全うし、できればそれ以上頑張りたいと思う。
業績が順調なときはいいのだけれど、ここにほころびが生まれるのは
いうまでもなく業績が不順なとき。
業績が思わしくないから
経営者としては危機を脱するまではつべこべ言わずに必死で働いてほしいし、
全体として結果が出てないのだからみんなも痛みをわかって我慢してほしいと思う。
従業員としてはこの先ここで働いていって将来があるのかという不安を抱えながら、
頑張っても頑張っても評価されない、職責に対して不信をもつ、と思う。
あまり最悪を考えて就職する従業員はいないのではないかと思うけれど
経営者のほうは必死にリスク回避を考えているものです。
と、ここでタイトルの話へ。
Kさんはある会社に新卒社員として入社しました。
1年後のある日、その会社は分社化してしまいます。
Kさんは気づくと分社化した新しい会社のひとつに配属されていました。
もともとそこにとまどいはあったものの、
新しい会社ということにおもしろみを感じ、
やる気をもってその業務にあたろうとしたのです。
そんなKさんに社長が与えたポジションが管理職でした。
肩書きは「部長」。
新卒2年目で部長になったKさん、はりきって頑張っていました。
ところがこの会社、スタートしたばかりで順風満帆とはいかず
様々な問題がおこります。
Kさん、自分は部長だから、と必死に問題に対処し、
会社に必要なものはどんどんなけなしのお金をつかって準備したりしていました。
それでも会社の残高は減っていく一方、
(実はこの会社の残高が減っていった理由は本業以外に原因があったのですが)
給与支払いは戦々恐々としたものでした。
Kさんの給与は25万程度。
ただし、様々な手当があるわけではないのでここからすべての生活費、保険などを
支払わなければなりません。
Kさんはまともな会社にするべく、社会保険への加入の準備をすすめます。
新卒で入ったKさんはそれが当たり前だと思っていたからです。
ところがお役所からの連絡は加入不可。
理由は給与支払いが不安定など、並べられてしまいました。
時期を同じくしてKさんは社長のこんなひとことを知ってしまいます。
「Kさんにさえ、給与支払いしておけば、Kさんはどんどん会社のために
お金をつかってくれるから」
この事実を知ったKさんは常識の見込めない会社をやめることを決意します。
やる気がある間は我慢していた自分の残業代や立て替えてきた経費など
計算をして、労働に見合った請求を会社に対して行いました。
もちろん?会社側は断固として支払い拒否をします。
Kさんは労働基準監督署、簡易裁判所などの専門機関に訴えました。
するとかえってきたこたえはこうです。
「Kさん、一応、管理職手当として給与明細に金額がのってますよね。
確かにこの金額で納得しろというのは気の毒に思うけど、
他の社員に比べたらもらっているほうなのでこれ以上の請求は難しいかなぁ。」
そんなふうにいわれたそうです。
そして、こうも付け加えられたとか。
「Kさん、まだ若いんだから、こんなことに労力つかわないで
新しいところにつとめて稼いだほうが精神的にもいいんじゃないですか」
Kさんは結局いい勉強になった、とあきらめ、新たな仕事についたのです。
本当にお気の毒な話なのですが、この話をきいてからは
「管理職」という肩書きには気をつけろ!と身にしみました・・・。
この話はかなり極端ですが、
勉強すべきは勉強し、知識をもった上で、自らの権利ばかりを主張するのではなく、
義務については全うし、それ以上の働きをする「管理職」となり、
それに対して会社は正しい評価のもとに報いていくという健全な関係を構築すると
いうのがあるべき姿なのだろうと思います。
私も仕事復帰したらこういう分野のお仕事にもまたチャレンジしたいと思っています。
人間と類人猿の違い。
先日、テレビの番組で
チンパンジーの知性大研究
というのをやっていて、途中からでしたが興味深く見ました。
日本人の先生も英語で話していて吹き替えが入っていたので
あれは海外でつくられた番組だったのかもしれません。
人間と類人猿=チンパンジーの違いについての研究、実験の部分から
私はみていたのですが、その対比をするために
チンパンジーと幼児に同じ実験を行っていました。
いろいろとおもしろい実験をしていましたが、
興味深かった実験はこんな感じでした。
構造の見えない箱の中にキャンディが入っている。
キャンディを取り出すための手順を大人がみせる。
するとマネをして見事キャンディを取り出す。
次に構造の見える(=スケルトン)の箱にキャンディが入っている。
実は大人がしてみせたキャンディを取り出すための手順には
無意味な手順が含まれていたことが分かる。
すると、チンパンジー、幼児はどのような反応を示すか。
結果は。
チンパンジー → 無意味な手順を省いて直接キャンディを取り出す。
幼児 → 無意味な手順も省かず、見た通りの手順でキャンディを取り出す。
このように書くとチンパンジーのほうがかしこいような気がしませんか?
でも、この結果には興味深い考察があったのです。
チンパンジーの目的はあくまでも「キャンディを手に入れる」こと。
だから大人のやってみせたことのうち、キャンディを手に入れるために必要な手順だけを
マネしただけ。
では幼児は?
幼児は「大人から教わったことをやる」ことが目的だった、というのです。
だからキャンディをとるだけだったらいらない手順も大人から教わった手順だから
きちんと守ってやるのだと。
結論として人間と類人猿の違いをこのように述べていました。
人間には「教えたい」という欲求がある。
すなわち「教育」が成り立つ。
そのため、相手を励ましたり、褒めたりという行動がある。
類人猿にはこの「教えたい」という欲求がない。
ただ、誰かがやっていることをマネすることはできる。
すなわち「学習」することはできる。
この「教育」と「学習」には大きな違いがあるのだというのです。
教育はどんどん積み重なって、世代がかわっても受け継がれていくことができる。
学習は一代限り、その場限りになってしまう。
もちろん、類人猿にも文化はある。
が、人間と類人猿の進化が決定的に異なるのはこの「教育」と「学習」の違いなのだ、と。
この番組の考察をきいて思いました。
私たちはもともともっている能力をきちんと使えていないのではないか。
教育というすばらしい能力を備えているのに、
学習というその手前の能力を使い切れていないために
教育のパワーが最大化されないのではないか。
教育というのは誰かに自分の能力をのばしてもらう責任をおってもらうシステムではないはず。
あくまでも自分のもっていない知識やノウハウなどと伝授してもらう人間に特有のもの。
このへんをはき違えると今話題のモンスターなんとか、とか、
クレーマーなんとか、とか生まれてくるのかもしれないですね。
また、教育ということに携わって行く以上、
自分自身もそれをはき違えないようにしないといけないのだと思いました。
◇◇◇
ちなみにこの番組は教育テレビでやっていたのですが、
最近「みんなのうた」で流れているうたが気になります。
ひとつはアンジェラアキさんの「手紙」♪
もうひとつは「えだまめアロハ」♪
チンパンジーの知性大研究
というのをやっていて、途中からでしたが興味深く見ました。
日本人の先生も英語で話していて吹き替えが入っていたので
あれは海外でつくられた番組だったのかもしれません。
人間と類人猿=チンパンジーの違いについての研究、実験の部分から
私はみていたのですが、その対比をするために
チンパンジーと幼児に同じ実験を行っていました。
いろいろとおもしろい実験をしていましたが、
興味深かった実験はこんな感じでした。
構造の見えない箱の中にキャンディが入っている。
キャンディを取り出すための手順を大人がみせる。
するとマネをして見事キャンディを取り出す。
次に構造の見える(=スケルトン)の箱にキャンディが入っている。
実は大人がしてみせたキャンディを取り出すための手順には
無意味な手順が含まれていたことが分かる。
すると、チンパンジー、幼児はどのような反応を示すか。
結果は。
チンパンジー → 無意味な手順を省いて直接キャンディを取り出す。
幼児 → 無意味な手順も省かず、見た通りの手順でキャンディを取り出す。
このように書くとチンパンジーのほうがかしこいような気がしませんか?
でも、この結果には興味深い考察があったのです。
チンパンジーの目的はあくまでも「キャンディを手に入れる」こと。
だから大人のやってみせたことのうち、キャンディを手に入れるために必要な手順だけを
マネしただけ。
では幼児は?
幼児は「大人から教わったことをやる」ことが目的だった、というのです。
だからキャンディをとるだけだったらいらない手順も大人から教わった手順だから
きちんと守ってやるのだと。
結論として人間と類人猿の違いをこのように述べていました。
人間には「教えたい」という欲求がある。
すなわち「教育」が成り立つ。
そのため、相手を励ましたり、褒めたりという行動がある。
類人猿にはこの「教えたい」という欲求がない。
ただ、誰かがやっていることをマネすることはできる。
すなわち「学習」することはできる。
この「教育」と「学習」には大きな違いがあるのだというのです。
教育はどんどん積み重なって、世代がかわっても受け継がれていくことができる。
学習は一代限り、その場限りになってしまう。
もちろん、類人猿にも文化はある。
が、人間と類人猿の進化が決定的に異なるのはこの「教育」と「学習」の違いなのだ、と。
この番組の考察をきいて思いました。
私たちはもともともっている能力をきちんと使えていないのではないか。
教育というすばらしい能力を備えているのに、
学習というその手前の能力を使い切れていないために
教育のパワーが最大化されないのではないか。
教育というのは誰かに自分の能力をのばしてもらう責任をおってもらうシステムではないはず。
あくまでも自分のもっていない知識やノウハウなどと伝授してもらう人間に特有のもの。
このへんをはき違えると今話題のモンスターなんとか、とか、
クレーマーなんとか、とか生まれてくるのかもしれないですね。
また、教育ということに携わって行く以上、
自分自身もそれをはき違えないようにしないといけないのだと思いました。
◇◇◇
ちなみにこの番組は教育テレビでやっていたのですが、
最近「みんなのうた」で流れているうたが気になります。
ひとつはアンジェラアキさんの「手紙」♪
もうひとつは「えだまめアロハ」♪
朝食を食べる人。朝食を食べない人。

先日、主人の誕生日でした。
今時はネットでバースデーケーキも注文できるんですよね。
便利でいいような、なんでもそんなに便利じゃちょっと怖い?ような。
でも今回は自宅にいながらにして満足なものを届けていただけて
よかったです♪
ろうそくは年齢の半分、たててみました(笑)。
◇◇◇
最近耳にしたちょっと対照的な話題。
ひとつは大学生の食事事情。
きちんと栄養のある食事をとらない人が多いという。
朝ご飯と昼ご飯が兼用だったり、朝はおかししか食べなかったり、
夕食はコンビニ弁当ばっかりだったり。
それでも偏っているかもしれないけれど、
空腹は満たせるから生きてはいけて、だからそういう食生活になるのだろう、と。
でも、今はかなり問題視されているらしく、
大学で「食育」にとりくんでいるところも少なくないとか。
確か春頃に大学生の「モチベーション」を維持する取り組みを
大学がカリキュラムに取り入れる、なんて話もあったように記憶しているが
いたれりつくせり、になってきているようだ。
私が大学生だった頃と今とでそんなに学生個人が変化しているとは
あまり思わないのだけれど、社会が変わったのでしょうか。
それとも、学生個人が変化して、そういうサポートがないとダメになっているのでしょうか。
脱線しましたが、大学生は朝食を食べない人が多いらしい。
そしてビジネスパーソン。
大学生とは違って、ビジネスパーソンは77%が朝食を食べているそうだ。
スイッチが入れ替わる、のか。
朝食のスタイルで「ソトアサ」というのが多いらしい。
ちょっと早めに家を出て、外で朝ご飯を食べる、というスタイル。
なかでも「席朝」つまり会社の自席で朝ご飯を食べる人がけっこう多いのだとか。
私は前職から離れる直近、1年くらいはけっこうぎりぎりに出社していたから
偉そうにいえませんが、本来は朝一番に出社するタイプでした。
今、流行のソトアサ族だったってわけですね。
朝、誰もいないオフィスでゆっくりコーヒーを飲みながら
1日の仕事の流れを考えたり、メールをチェックしたり。
そうやってまだ空気のすんでいるオフィスで仕事をすると
同じ時間でもはかどり方が違うんですよね。
電車も朝早めの方が比較的すいているし、遅れないし、ね。
なのでソトアサ族、席朝派が増えているのは納得。
朝食を食べましょう!とメディアなどでもよく言われているし、
科学的な根拠もいろいろ示されていますが、
私自身がしっかり朝ご飯をつくって食べるようになったのは
ここ1年くらいです。
朝、出社する生活ではなくなって、早起きも必要なくなったのですが、
その頃、体調を崩していたのでプチ断食に行きました。
そして、断食施設の先生に「いかに朝ご飯が大事か」を説かれました。
よく言えば素直、ある意味単純ですが、
それ以来、我が家はしっかり「朝ご飯」を食べることになりました。
一番びっくりしたのは主人でしょう(笑)。
前日までパンを焼いて簡単にすませていた、もしくは食べなかった人が
出張にいってかえって来たら、朝からご飯にみそ汁、納豆に出し巻き卵、とか
やりはじめたのですから。
不思議なものですが、それまでどんなに頑張っても朝起きれなかったのが嘘みたいに
すっきり起き上がれるようになったものです。
こういう習慣ができあがっただけでもお金を払って、ご飯を我慢するという不思議な
体験をしてきた甲斐があったというものです。
◇◇◇
食事については、プレママ生活を送るなかでいろいろと勉強しました。
おかげで比較的好きなものを我慢せずに食べているつもりですが、
検診のたびに受ける検査の数値はすべて良好、体重変化も今のところ
目標数値内できています。
もともと料理をつくるのは好きで、それはずっと仕事でやってきた
ビジネスプランを考えたり、事業を継続することを考えたりするのと
似た思考回路を使えたりもするので、意識的にやっています。
いつか、そういう思考回路について、ちゃんとまとめてみたいな、と
思う今日この頃です。
「ここぷり」もチェック!

嫌だ、苦手だ、と言ってられないことを克服する。

しっかり脂がのっていて、とてもおいしかったです。
やっぱり旬のものはよいですね。
◇◇◇
今日は私の嫌いで苦手なことについて。
すでに妊娠8ヶ月に入り、検診は2週間ごとになっています。
先日の報道では妊婦検診を14回無料で受けられるようにすることを
検討しているとかかれていましたが、現在、私の暮らす戸田市では
5回が無料になっています。
戸田市というのはとても財政的に優秀な市ですが、
東京23区内のように検診費用をほぼ全額負担というわけではありません。
私は勝手に、それはきっと戸田市に妊婦さんが多いからなんだろうと
思っています。
私のお世話になっている病院は産科医院ですが、
月に120件の上限で分娩を受け付けています。
今の時点で来年の1月までほぼいっぱい。
分娩可能な病院はここだけではないので、戸田市全体ではいったいどれくらいの
妊婦さんがいらっしゃることか。
今、産科不足の世の中ですが、私は家から歩いても15分とかからない病院に
安心してお世話になっています。
恵まれていますよね。
と、なぜ産科の話をしたか。
それは私の
嫌だ、苦手だ、と言ってられないこと
ときってもきれない関係にあるからです。
私はよく、こわいものなんかなさそうだ、といわれますが、
意外とへたれていて?どうしても苦手なものに
採血
があります。
大好き♪と言う人もそんなにいないのでしょうが、
私の場合は筋金入り?!です。
思い起こせばはじめてのアクシデントは小学校5年生のとき。
生まれてはじめての貧血検査でその事件はおこりました。
当時、貧血検査は耳たぶをちょこっときって採血する、という
気軽な感じのものでした。
なぜだか知りませんが、私は異常にそれをこわがり、いやがり、
無事に終わったものの、そのあとは世界がボーッとしていました。
そして保健室を出て教室へ向かう途中、
なぜか向こうから歩いてきていた当時の担任(男性)の先生に
真正面からぶつかっていき、そのままばったり、倒れ込んでしまいました・・・。
貧血検査で貧血?と思いきや、検査結果はいたって良好。
あまりに恐怖感をもったために意識を失ってしまったのです・・・。
そして次は中学生のとき。
またしても貧血検査。
保健室の先生に小5のときの経験を話し、私の血は濃いので問題ない、
検査をやると倒れるので免除してほしい、と直訴しました(笑)。
先生はにっこり笑って
中学生になったんだから、もう大丈夫よ
とおっしゃって、免除されることはありませんでした(当然です)。
今度は検査後、無事、教室まで戻れました。
が、その後、どんどん世界がふわふわしてきて・・・そのとき英語の授業の
真っ最中でしたが、手を挙げて先生に保健室に行かせてください、と
頼み、保健室で倒れました(苦笑)。
これだけでもどんだけ嫌いなんだ、と思うでしょうが、
決定的だったのは大学1年生の健康診断です。
ものすごい人数が一斉に健康診断を行っていたので
その日、大学会館は女子大生になったばかり、まだ友人もできてるかどうか、くらいで
ごった返していました。
私が恐れていたのは久しぶりの『採血』。
しかも今回は耳たぶではなく、腕からしっかり採血されます。
大学生なんだから、大丈夫、大丈夫。
一生懸命、自分に言い聞かせる。
そして採血。
おっ、なんともない。
採血のあとは「身長、体重」。
事件はそこでおこりました。
並んで待っている間に若干アタマがぼーっとしてきました。
やばい・・・。
私の番です。
身長をはかります。
なんとかクリア。
そして体重。
そこで私の意識は途切れました。
なんと、体重計の目の前でぶったおれてしまったのです・・・。
その後、私の身体は体育専門学群のお兄様2人に抱えられ、
心電図の台に寝かされました・・・。
翌日から出会う同じ学部の子に言われたのは
あ、草野さんって体重計の前で倒れた人だよね♪
まるで体重がはかりたくなかった人のように、覚えられてしまったのでした・・・。
若干脱線しましたが、こういう数々のエピソードがあるくらい、
筋金入りの採血嫌いだったのです。
とはいえ、今の私の身体は私のものであって、私だけのものでありません。
採血が嫌だ、苦手だ、といってられないのです。
妊婦検診がはじまってはや何ヶ月か。
もう何度か採血しています。
未だに針を刺すところはみれないので目をつぶってヨコを向いています。
でも、もうぶったおれることはなくなりました。
好きではないけれど、耐えられるようになりました。
それはその必要性(=ニーズ)が嫌だと思う気持ち(=ウォンツ)を上回ったと
いうことなんだと思います。
別の視点では、嫌だと思う気持ち(=ウォンツ)が赤ちゃんに元気でいてほしい(=ウォンツ)を
上回ったということなのでしょう。
ニーズとウォンツが一致したとき、人の行動力は一気に増しますよね。
嫌だ、苦手だ、と言ってられないことを克服するには
●ニーズがウォンツを上回るようにする
●ネガティブなウォンツをポジティブなウォンツが上回るようにする
ことも有効な手段かもしれません。
ちなみに、今日も診察のあと、先生がにっこり笑って(若い女性の先生です)
今日は採血もしていってくださいね♪
と突然おっしゃいました。
心の準備が必要なんで、早めにおしえといてください、先生・・・。
「理想の自分」にいくらなら出せるか。

今日は久しぶりのお友達が遊びにきてくださって
ハワイ土産とミニブーケをいただきました。
かなり癒されます♪
◇◇◇
今日、オリコンさんのランキングをみつけました。
『理想の自分になるために、いくらぐらい投資するか』
について、20代から40代の社会人にアンケートを行ったそうです。
理想の自分、とは。
これは人によってかなり異なっているだろうと推測します。
理想の外見、を思い浮かべる人。
理想のスキル、を思い浮かべる人。
理想の収入、を思い浮かべる人。
理想の生活、を思い浮かべる人。
などなどなど。
ただ、『投資』という言葉が使われているので、
多くの方は
理想のスキルを手に入れた自分
というふうに思い浮かべたかも、しれませんね。
そして結果ですが、
第1位は
今の自分に満足しているので投資する必要はない
ということでした。
ただ、女性のみのランキングでは
50,000円~100,000円
が1位になっていました。
また、2位以下については金額が回答されており、
全体としては8割の方が自己投資について前向きである、という結果になっていました。
全体の1位から3位の金額をみてみると
●必要ない
●50,000円~100,000円
●100,000円~300,000円
とのこと。
これらから推測されるのは
具体的に『理想の自分』を描いている人が多い
ということかと思います。
リアリティのある金額になっていると思いませんか?
何かしら、具体的に「こういうスキルを身につけたい」「こういう習い事がしたい」と
いうことがあるから出てきた金額のように私は思いました。
(ただし、本当に明確になっている方は最終的にもっと多くの金額を投資する
ことになっていると思うのですが。)
まだ明確にはなっていないが具体的に思い浮かべるものはあって、
それがこれくらいの金額で手に入れられそう、という感じなのではないかと思います。
金額と1位の結果を合わせて考えると、
けっこうみなさん、今のご自身に満足されているようですね。
あともうちょっとこれができれば、こうであれば、ということなのでしょうか。
もしくは理想はあるけれど、現実的に考えてそんなに投資はできない、ということなのか・・・。
ふつうに考えると、大きく投資しなければ大きなリターンは得られないわけで
小さな投資は投資にいたらず、消費でおわってしまうことも多いもの。
ただ、投資というのはお金だけではありません。
時間も含まれますよね。
それと、それまでの投資をどれだけしてきているか、ということ。
ですので、今度はぜひ、金額と時間の両方についてきいてみたいな、と思います。
また、これまでどれくらいの投資をしてきましたか、とか。
ちなみに私は30歳まではずっと時間もお金も投資して生きてきたなぁ、と思います。
これは感想ではありません。
意識的に投資しつづけてきました。
今の私の様々な環境はこれのおかげだなぁと思っています。
問題なのは、理想の自分、はどんどん変化し(欲張りな方向に)、投資もとどまることを知らない
ということかもしれません・・・。
あなたは「理想の自分」にいくらなら出せますか?
また、今までいくら出してきましたか?
◇◇◇
今日は久しぶりに青空がみれて気持ちよかったですね。

本日のメニューは鮮魚コーナーで目があった秋刀魚になりました。

「ここぷり」もチェック!