「心情倫理」と「責任倫理」。
昨日の日経夕刊の一面。
あすへの話題、という欄を作家の先生が書いていらっしゃいました。
タイトルは「心情倫理」から「責任倫理」へ。
私はこのコラムではじめてこのことばを認識しました。
このことばは社会学者のマックス・ウェーバーがその著書『職業としての政治』の中で
定義していることばだそうです。
心情倫理・・・自らの心情に忠実に行動する倫理。
心情の純粋さの程度で倫理性の程度が左右される。
責任倫理・・・自らの行動の影響を考慮して行動する倫理。
行動の結果への配慮の程度で倫理性の程度が左右される。
このように区別しているとのこと。
コラムの中では当然、政治の話になっているのですが、
上記の2つの考え方は自らが最終決裁者、最終責任者であるときに
常につきまとってくるものではないか、と感じられました。
心情倫理にしたがって行動しても、外的要因、不可抗力により、
思うような結果にならないかもしれない。
責任倫理にしたがって行動した場合、内的要因、外的要因、不可抗力、
何もかもひっくるめて責任をとることになるわけだ。
日本人は心情倫理を行動の基準にしている、とコラムの中で
とりあげられていたが、確かに、あふれている情報をみていると
そう感じられる部分は多いと思います。
そこに日本人のよさもあるのかもしれないけれど、
責任倫理という視点をもつことで、
はじめて真の問題点もみえてくるはずで、
問題点を認識することでしか、それを解決していくことはできないのだから
流れていってしまわないように、意識していきたいものですね。
あすへの話題、という欄を作家の先生が書いていらっしゃいました。
タイトルは「心情倫理」から「責任倫理」へ。
私はこのコラムではじめてこのことばを認識しました。
このことばは社会学者のマックス・ウェーバーがその著書『職業としての政治』の中で
定義していることばだそうです。
心情倫理・・・自らの心情に忠実に行動する倫理。
心情の純粋さの程度で倫理性の程度が左右される。
責任倫理・・・自らの行動の影響を考慮して行動する倫理。
行動の結果への配慮の程度で倫理性の程度が左右される。
このように区別しているとのこと。
コラムの中では当然、政治の話になっているのですが、
上記の2つの考え方は自らが最終決裁者、最終責任者であるときに
常につきまとってくるものではないか、と感じられました。
心情倫理にしたがって行動しても、外的要因、不可抗力により、
思うような結果にならないかもしれない。
責任倫理にしたがって行動した場合、内的要因、外的要因、不可抗力、
何もかもひっくるめて責任をとることになるわけだ。
日本人は心情倫理を行動の基準にしている、とコラムの中で
とりあげられていたが、確かに、あふれている情報をみていると
そう感じられる部分は多いと思います。
そこに日本人のよさもあるのかもしれないけれど、
責任倫理という視点をもつことで、
はじめて真の問題点もみえてくるはずで、
問題点を認識することでしか、それを解決していくことはできないのだから
流れていってしまわないように、意識していきたいものですね。