人間と類人猿の違い。
先日、テレビの番組で
チンパンジーの知性大研究
というのをやっていて、途中からでしたが興味深く見ました。
日本人の先生も英語で話していて吹き替えが入っていたので
あれは海外でつくられた番組だったのかもしれません。
人間と類人猿=チンパンジーの違いについての研究、実験の部分から
私はみていたのですが、その対比をするために
チンパンジーと幼児に同じ実験を行っていました。
いろいろとおもしろい実験をしていましたが、
興味深かった実験はこんな感じでした。
構造の見えない箱の中にキャンディが入っている。
キャンディを取り出すための手順を大人がみせる。
するとマネをして見事キャンディを取り出す。
次に構造の見える(=スケルトン)の箱にキャンディが入っている。
実は大人がしてみせたキャンディを取り出すための手順には
無意味な手順が含まれていたことが分かる。
すると、チンパンジー、幼児はどのような反応を示すか。
結果は。
チンパンジー → 無意味な手順を省いて直接キャンディを取り出す。
幼児 → 無意味な手順も省かず、見た通りの手順でキャンディを取り出す。
このように書くとチンパンジーのほうがかしこいような気がしませんか?
でも、この結果には興味深い考察があったのです。
チンパンジーの目的はあくまでも「キャンディを手に入れる」こと。
だから大人のやってみせたことのうち、キャンディを手に入れるために必要な手順だけを
マネしただけ。
では幼児は?
幼児は「大人から教わったことをやる」ことが目的だった、というのです。
だからキャンディをとるだけだったらいらない手順も大人から教わった手順だから
きちんと守ってやるのだと。
結論として人間と類人猿の違いをこのように述べていました。
人間には「教えたい」という欲求がある。
すなわち「教育」が成り立つ。
そのため、相手を励ましたり、褒めたりという行動がある。
類人猿にはこの「教えたい」という欲求がない。
ただ、誰かがやっていることをマネすることはできる。
すなわち「学習」することはできる。
この「教育」と「学習」には大きな違いがあるのだというのです。
教育はどんどん積み重なって、世代がかわっても受け継がれていくことができる。
学習は一代限り、その場限りになってしまう。
もちろん、類人猿にも文化はある。
が、人間と類人猿の進化が決定的に異なるのはこの「教育」と「学習」の違いなのだ、と。
この番組の考察をきいて思いました。
私たちはもともともっている能力をきちんと使えていないのではないか。
教育というすばらしい能力を備えているのに、
学習というその手前の能力を使い切れていないために
教育のパワーが最大化されないのではないか。
教育というのは誰かに自分の能力をのばしてもらう責任をおってもらうシステムではないはず。
あくまでも自分のもっていない知識やノウハウなどと伝授してもらう人間に特有のもの。
このへんをはき違えると今話題のモンスターなんとか、とか、
クレーマーなんとか、とか生まれてくるのかもしれないですね。
また、教育ということに携わって行く以上、
自分自身もそれをはき違えないようにしないといけないのだと思いました。
◇◇◇
ちなみにこの番組は教育テレビでやっていたのですが、
最近「みんなのうた」で流れているうたが気になります。
ひとつはアンジェラアキさんの「手紙」♪
もうひとつは「えだまめアロハ」♪
チンパンジーの知性大研究
というのをやっていて、途中からでしたが興味深く見ました。
日本人の先生も英語で話していて吹き替えが入っていたので
あれは海外でつくられた番組だったのかもしれません。
人間と類人猿=チンパンジーの違いについての研究、実験の部分から
私はみていたのですが、その対比をするために
チンパンジーと幼児に同じ実験を行っていました。
いろいろとおもしろい実験をしていましたが、
興味深かった実験はこんな感じでした。
構造の見えない箱の中にキャンディが入っている。
キャンディを取り出すための手順を大人がみせる。
するとマネをして見事キャンディを取り出す。
次に構造の見える(=スケルトン)の箱にキャンディが入っている。
実は大人がしてみせたキャンディを取り出すための手順には
無意味な手順が含まれていたことが分かる。
すると、チンパンジー、幼児はどのような反応を示すか。
結果は。
チンパンジー → 無意味な手順を省いて直接キャンディを取り出す。
幼児 → 無意味な手順も省かず、見た通りの手順でキャンディを取り出す。
このように書くとチンパンジーのほうがかしこいような気がしませんか?
でも、この結果には興味深い考察があったのです。
チンパンジーの目的はあくまでも「キャンディを手に入れる」こと。
だから大人のやってみせたことのうち、キャンディを手に入れるために必要な手順だけを
マネしただけ。
では幼児は?
幼児は「大人から教わったことをやる」ことが目的だった、というのです。
だからキャンディをとるだけだったらいらない手順も大人から教わった手順だから
きちんと守ってやるのだと。
結論として人間と類人猿の違いをこのように述べていました。
人間には「教えたい」という欲求がある。
すなわち「教育」が成り立つ。
そのため、相手を励ましたり、褒めたりという行動がある。
類人猿にはこの「教えたい」という欲求がない。
ただ、誰かがやっていることをマネすることはできる。
すなわち「学習」することはできる。
この「教育」と「学習」には大きな違いがあるのだというのです。
教育はどんどん積み重なって、世代がかわっても受け継がれていくことができる。
学習は一代限り、その場限りになってしまう。
もちろん、類人猿にも文化はある。
が、人間と類人猿の進化が決定的に異なるのはこの「教育」と「学習」の違いなのだ、と。
この番組の考察をきいて思いました。
私たちはもともともっている能力をきちんと使えていないのではないか。
教育というすばらしい能力を備えているのに、
学習というその手前の能力を使い切れていないために
教育のパワーが最大化されないのではないか。
教育というのは誰かに自分の能力をのばしてもらう責任をおってもらうシステムではないはず。
あくまでも自分のもっていない知識やノウハウなどと伝授してもらう人間に特有のもの。
このへんをはき違えると今話題のモンスターなんとか、とか、
クレーマーなんとか、とか生まれてくるのかもしれないですね。
また、教育ということに携わって行く以上、
自分自身もそれをはき違えないようにしないといけないのだと思いました。
◇◇◇
ちなみにこの番組は教育テレビでやっていたのですが、
最近「みんなのうた」で流れているうたが気になります。
ひとつはアンジェラアキさんの「手紙」♪
もうひとつは「えだまめアロハ」♪