お正月といえば初日の出、初詣、そして暴走族。
多摩地区はいまだに元旦に暴走する族が生存しているのだが、今年は静かだった。
少子化の流れで10代から構成される暴走族も人員不足なのかもしれない。
それはそれでいいことだ。
どうしてだかよくわからないが、昭和の時代から漫画やドラマの中に登場する暴走族
というのは必ず「ドクロ」☠が描かれた旗をなびかせたり、「ドクロ」がペイントされた
シャコタンにまたがっていたりするのが通例となっている。
見慣れてしまえば違和感もクソもないのだけれど、オレはよくよく冷静に考えてみたうえで
かなり若い頃からちょっとした不思議感をおぼえていたのだ。
暴走族とかヤンキーはワルをイメージするシンボルとしてドクロをよく愛するが、
それって簡単にいってしまえば、我々全員の頭皮の下に埋まっているリン酸カルシウムを
主成分とする硬めの組織にすぎないのである。
たとえば、それが龍、般若、阿修羅、矢印みたいな槍をもった西洋の悪魔などのイラスト
ならばわかる。
想像上の者で、それなりにイカすデザインをしているのを用いることである意味、現実世界に
ケンカ売っているという捉え方もできる。
だけど、暴走族とかがよく描いて周囲に見せつけているものはいわゆる
「リン酸カルシウムで形成された鉱物」
「レントゲンで見た自画像」
であるともいえる。
そういう角度で見るとダサい(笑)
いや、ダサいんじゃない!
もしかすると彼らは普段はああいった派手な格好して、爆音を響かせて周囲の人に多大な
迷惑を掛けているが、実は将来、医者や人体化学の権威を目指しているエリート集団の卵
なのかもしれん!!
だから将来に向けた予備行動として、多くの人たちに対し、もっと人体を形成する骨の構造に
ついてしって欲しいがために、ああいった頭蓋骨の図を世間に向けて公表しているのだ!
きっと!
……んなことぁ、ない。
ただ、こういったことを書いてはきたものの、オレもドクロのデザインは決して嫌いじゃないのだ。
[💀]のフォルムって、オレはすごく奇跡的なデザインだと思う。
まさしくこれが人体の神秘かなっていう印象。
だって、コレ、架空のモノでもなんでもなく誰の体内にもあるものでしょう?
だから本来はどちらかといえば、メディカル&サイエンス的、かつ現実的なマジメな存在だと
思うのだ。
そういった反面、その奇跡的なデザインもあって、冒頭で書いたように暴走族のようなアナーキー集団のイメージにマッチすることもあれば、ヘビメタやパンクロッカーなどのファションなどカルチャー的なことにもマッチしたりする。
お堅いジャンルと柔らかいジャンル。
相反するジャンルの両方に通用するってなにげにすごい。
冷静に考えてみよう。
人工的なモノじゃなく、ごく自然に元から備わっている人体の一部じゃないか。
それがここまでさまざななジャンルにオシャレデザインとして用いられているのだ。
ドクロイラストのTシャツとかは買っても、胃袋の形のキーホルダーとか三半規管の画が
プリントされたパーカーとか出ても誰も買わないでしょう(笑)
やはりドクロ力はすごい。
そういえば昔、観光地とかいったら土産屋で「根性」「努力」とかいう文字のキーホルダーや
木刀とならんで、赤とかピンクとかグリーンとか意味もなく前身カラフルに塗られたジャラジャラした骸骨のキーホルダーとかもよく見かけたもんだ。
それとこのデザインは描く人間によって名称とイメージもおそらく変化すると思う。
小学校の図画工作の授業で各自好きな絵を描くのが課題だったとする。
「高校あたりでヤンキーになりそうなガキ大将の子供」と「アニメゲームおたくの子供」と
「将来医者になりたいといっているガリベンの子供」が3人とも同じガイコツ💀の絵を描いていたとしても、先生の目にはきっと違った名称のものを描いているに映るんではないか?
ガキ大将 → 「ドクロ」を描いている。
おたく → 「しゃれこうべ(妖怪)」を描いている。
ガリベン → 「頭蓋骨」を描いている。
まさに悪の象徴から人体学までと形容が幅広い。まったく同じデザインなのに。
フォルムだけでなく言語も幅広いのもまたドクロ力。
いや、ドクロってここでいってしまうのもまた印象悪くなるか。
でもドクロはいったい、いつからワルのシンボルとして象徴にされる傾向になったのか
考えてみる。
やはり映画や漫画に登場する「海賊」が掲げる旗ではないだろうか。
それを踏まえて一度冷静にイメージしてみようではないか。
「頭蓋骨」と「悪」……
よーく比べてみてリンクする部分てあるだろか?
ない!
我々はドクロ、つまりガイコツのデザインを見るとすぐに「悪い」「恐い」といった類を
連想するが、思考回路において「頭蓋骨」⇔「悪」は実は直結しておらず、その間に一度
「海賊」というワードが経由されているゆえに、「ドクロ=恐い・悪」といったイメージに
結びつくのではないかというのが最近到達したオレの理論である。
バラエティ番組などで出演者の罰ゲームが決定すると、画面によくドクロマーク💀が大きく
でたりする。
視聴者もパブロフの犬状態でそれを観ると、ああ罰ゲームだ!と当たり前のように思ってしまうが
ちょっと冷静に考えて見ると、自分の頭皮の下にあるカルシウム組織がどうして罰ゲームなのかと、
こんがらがってきたりもする(笑)
またコントなどにおいて、毒薬の瓶を示すイラストとして瓶の表面によく☠マークが
書かれたりしているが、良薬毒薬ともにクスリとは体内に入れるものである。
その体内に入れるモノが入っている瓶の表面に、我々の体内に存在するものが描かれている
わけだから、それは恐いとか毒だとかいうより、むしろごく自然のイラストのようにも捉える
ことができる。
海賊の概念を完全にとり払ってみれば、立派な骨をつくるカルシウム剤の瓶にも見えるのでは
ないだろうか(笑)
うーん、実に偉大なり、我らがホネ。
医学人体学にもカルチャーにも重要なポジションを確固たるものにしている。
小さい頃、ポンキッキが好きで幼稚園に行く前毎日見ていたのだが、番組の中でよく流れていた
「ホネホネロック」という歌を最近ふと思い出した。
歌っていたのは子門真人。
ホネをテーマにして子供向けに作られたロックだけれど、最近改めて聞き直してみると
楽器の演奏も、歌唱も、歌詞も、すべてにおいてこれほどクオリティ性の高いロックンロール
だったのかと驚かされた。
当時は子供ながらに子供だましだとマセガキ根性半分で楽しんでいたが、やはりこういうものは
ある程度年齢いってから聴き直してみるものだと感じた。
いやしかし!歌詞も冒頭からすごい。
「ひとくいしゅうちょう が おおだいこ」
だもんな。
今の時代の表現規制だと「ひとくい」も「しゅうちょう」も両方ヤバい(笑)
そのしゅうちょうが太鼓を夜中にこっそり叩くと、世界に存在するホネがリズムに合わせて
躍り出すという世界感。
最初は博物館に飾られていた恐竜の骨格が躍り出したと思えば、次は街の路地裏のゴミ箱の
中に捨てられていたイワシのホネが躍り出すという落差も子供心をわしづかみにしたもんだ。
音楽として単純に子門真人のシャウトがソウルフルで、コーラスもかっこいい。
ここ最近の音楽シーンてあまり興味ない。
愛だとか恋だとか似たような歌詞、似たような音楽ばっか。
以前にも書いたけど、ロックって基本にあるものは反コツ精神だと思う。
そしてそういった既成概念をとっぱって、自分たちで新しい世界を開拓するっていう
精神は大事だと思うけど、それを踏まえても今のロックってまだ愛だの恋だのって
いったようなホネを抜かれたようなのが多いのは否めない。
ホネ太ロックじゃなく、ホネはホネでもナンコツロックとでもいおうか?
そんな歌をどこの馬のホネかもわからないロックグループが歌っている。
寒さがホネ身にしみるこんな季節だからこそ、ブル―ハーツやブランキージェットシティ、
マッドカプセルマーケッツや、この子門真人のようなホネのあるロックが聴きたいかも。
もうこの際、ホタテのロックンロールや、郷ひろみのオバケのロックンロールでもいいわ。