昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

拝啓 アンミカ様。白が200色あるならば、ネガティブな人にも200種類あるのですよ。

話を聞いているだけで気が沈むどうしようもないネガティブな人もいれば、

芸人ヒロシのように話が面白くて聞いているだけで大笑いできる素敵なネガティブ

な人もいるわけです。

あなたの発言は暗黙でネガティブな人の存在価値を認めているとオレはとっています。

もちろんそれは結果であって、ご本人の意図しているところじゃないでしょうけれど。

あなたはポジティブを肯定している発言をしているつもりで、無意識にネガティブも

肯定しているのです。それにお気づきですか??

 

 

ここ最近、自分のなかである言葉が思いついた。

「ポジティブハラスメント」

元気や前向き発言の強制などを表わす言葉だ。

我ながらいい着眼点だと思ったのだが、ポジティブハラスメント(略してポジハラ)

で検索してみたら、既に数年前に考えていた人がいたようで、もうそれなりに話題には

なっていたようだった。

ちょっと悔しかったが、でも同じ感覚の人がいたということを思うと、嬉しかった

という面はある。

 

しかし、それでも今現在は空前のポジティブ思考ブームである。

啓発する本やテレビ番組を多い。

自称ネガティブのオレとしては実に生きづらい、そして目障りな世の中である。

 

最初にも書いたとおり、人間は様々である。

ポジティブな人間もいていいのだが、ネガティブな人間もいていいのだ。

両方の人間がいることによって、目に見えない世の中の天秤はバランスがとれている。

 

ポジティブといわれる人はどうして人にポジティブハラスメントをするのだろうか。

笑顔の強制

前向き発言の強制

元気の強制

明るさの強制

大きな声の強制

すべて迷惑行為に等しい。

 

哲学者の中島義道も似たようなことを言っていたが、ポジティブな人が周囲にポジティブを

強制するのは、決して世の中やその人のためではない。

自分のまわりに暗かったり後ろ向き発言をする人がいたら‘自分が嫌だから’そういう人を

排除あるいは矯正しようとしているわけである。

実は単なるエゴイストなのだ。

逆を考えれば、ネガティブな人のほうはポジティブな人にネガティブを強制しない。

ネガティブな人はポジティブな人の存在をそれはそれで認めているのだ。

そこが大きな違い。

 

ポジティブなのは構わない。それは個人の自由だ。

だけど他人に強要せず、自分のなかだけでやっていただきたい。

押し付けるのは迷惑だし、暑苦しい。

 

一番思うのは押しつけのポジティブより笑えるネガティブのほうが大事。

「苦しいときほど笑え?それが出来たらとっくに笑っている」

というのはヒロシのネガティブ名言。

聞いたとき共感した。そして笑った。

元気もでる。

 

基本、ネガティブっていうのは奥が深く面白いのだ。

ポジティブな人はそこを理解していない。

いや、厳しいいい方するとポジティブ(積極的)だといいながら、ネガティブの

面白いところを全然積極的に深掘りしようとしていない。

消極的なのである。そっちのほうがたちの悪い何もしないほうのネガティブである。

 

そう、オレがいいたいのは、どっちがネガティブなのだ!?ということ。

ネガティブといわれる人が悪いパターンばかり考えるのは、想像力が豊かだからだ。

 

その想像力をいかせば、いろんな方面や分野で役に立つことができる。

ポジティブな人は積極的だといいながら、なぜネガティブな人の才能や素質を見つけて

積極的にネガティブな人の活躍の場を見出そうとしない??

それはネガティブと共存しようとする世界観がなく、ネガティブを排除しようという

ことに必死になっているからだ。

 

時代は変わってきている。

ポジハラやポジティブ信仰をなくして、もっとネガティブが市民権を獲得するように

しなければならない。

 

自分がこれまで属していた企業のなかでも、古い人たち、偉い人たち、面接官とかは

みな、元気とか笑顔とか大きな声とかが好きだった。

そしてネガティブ発言が大嫌いだった。

そういう古き悪しき感覚もオレらが教えて変えていかないといけないのだろう。

 

営業マンを相手する取引先の窓口の担当者もバカじゃない。

マニュアル馬鹿のひとつおぼえで、ずっとニコニコ営業スマイル浮かべている営業マンや

とりあえず声に元気がある営業マンがニセモノだということくらい見抜いているだろう。

 

なかには営業スマイルが大嫌いな担当者だっているはずだ。

いや、実際の経験からして確実にいた。

前任者が胡散くさいから担当を変えてくれといわれてオレになったことも現実あった。

元気がある営業マンもうっとうしいから嫌だといわれてオレになったこともあった。

 

そうなのだ。そういうときこそ、営業スマイルや前向き発言ができないネガティブな人間の

出番なのだ。

取引先の担当者も負けず劣らずネガティブな人間のときがある。ネガティブにはネガティブを。

そんなときは価値観があったりして意気投合して、気にいられ、見事契約に結び付くなんて

ことだってありえるのだ。

そう、ポジティブが嫌いな人間にとって、ネガティブは需要があるのだ。

需要があるからこそヒロシも芸能界で再ブレイクしたのもあると思う。

 

それなのに今でも企業の古い人や偉い人は、明るく元気で声に張りのある営業マンだけが

客に好かれると信じている。

暗くて静かな営業マンが好きな担当者も多くはないにしてもいるのだ。

そういう客にぶつける要員として、ネガティブな営業マンをスタンバイしておこうとどうして

考えられないのだろうか。

ドリフターズは5人全員が志村けんだったら、きっと人気はでていないし、上手く回転も

していない。

ノロマ役の高木ブーや普通っぽい中本工事がいたからこそ、いろんな層のファンを獲得できた

とでもいえば伝わるだろうか。

 

まとめると、オレがいいたいのは自称ポジティブな人は、もっと積極的にネガティブのネガティブな

部分を最大限に活かそうとせよ!ということ。

今、ポジティブな人がしようとしていることは、この世からネガティブな人や思想を排除しようと

していることにすぎない。

映画「時計じかけのオレンジ」じゃあるまいし、無理に思考を矯正しようとするのは大きな

間違いである。

殺さず排除もせず生かす。これがもっとも大事なのだが同時に難しくもあるので、能天気な

ポジティブにはなかなか出来ないのかもしれない。

 

辛いとき、苦しいとき、前向き発言を強制されたり。聞かされたりするのはかなりしんどい。

辛いときはネガティブな言葉のほうがずっと元気のきっかけになる。心がラクになる。

 

14年前に書いた記事。ブログ書きはじめのころだけあり文章がかなり幼稚だが

おすすめの本を紹介しているので時間あれば読んでいただきたい。

ナポレオンやニーチェなどのネガティブ名言を集めた本である。

 

これは差別でもなんでもなく書かせてもらう。

オレ自身が障害者ということも踏まえて、中間というか平均的な人が存在する以上、

オレはポジティブもネガティブも両方とも一種の「障害」のようなものだと捉えている。

ポジティブは前向きにしか考えられない障害。

ネガティブは後ろ向きにしか考えられない障害。

 

みなさんは障害者を排除しようと思いますか?

そんなことないですよね。

そうなんです。どっちかがどっちかを排除したり矯正しようとすることなく、互いに共生してゆかないと

いけないのです。

 

ネガティブは決して悪いことではない。個性だ。

そして、私生活においてもビジネスにおいても必ずどこかに需要がある。

だけど、誰もその需要のありかを見つけようとしない。

なぜか?理由は簡単。

多くの人が動いたり考えたりする以前に、ネガティブはいけないことだという観念に縛られて

いるからだ。

 

企業の古い人や、ポジティブな人に伝えたい。

 

「あなたもポジティブというのであれば、ネガティブの面白さにたいして、もっと

ポジティブに追求してみませんか??」

 

と。

 

先日は月イチで立川通院の日だった。

早いもので発達障害の診断受けて、いち障害者として暮らすようになってから

もう数年が過ぎた。

帰り際、受付の女性から、自立支援(医療費が月3千円くらい国から出る制度)

と障害者手帳の期限が7月までだと言われた。

また市役所いって諸々の書類手続きとかしないといけないのか。

あれ、本当に面倒臭い。

 

処方箋をだしてもらい病院をでて、今度は薬局へ。

ここ最近薬でてくるまで1時間くらい待たされてイライラしてたのに今回は

すいていたのか10分ほどで出てきた。極端だ。

 

すべて終わって正午と、この日は進行が早い。

御昼どきなので混んでいるかもしれないが、ランチをしにラーメンスクエアへ

いった。

 

最初はよくいっていて3、4回ほど記事でも書いたまぜそばの「麺屋こころ」へ

行こうかと思ったれど、この日はなんとなくスープがある麺を食べて、最後の

スープをごくごくと飲み干したい気分だった。

 

なので新しくラーメンスクエアに入って、ちょっと気になっていた店へ。

 

『京都熟成細麺らぁ~めん京』

サイトはココ

 

 

ラーメンスクエアのなかには数店舗入っているのだが、ラーメンブロガーの

ZATSUさんのブログによると、ここのハコは期間限定でリレー方式で店が

入ってゆくらしい。半年間かな。

前にあった「綱取物語」っていう店がすぐなくなって驚いた印象だったんだけど、

別に人気がなかったわけじゃなく、もともと半年だけだったようだ。

 

券売機で券を買う。一番基本のメニューにした。

時刻は12時ちょっと過ぎだったけど、先客は4組ほどだった。

 

店員さんに券を渡し空いてる席に座る。

 

茹で時間が短いのかすぐに着丼。

 

 

「みやこらぁ~めん」 890円

 

 

ビジュアルは良い。

 

スープは鶏と野菜の旨みが凝縮された鶏白湯スープ。

上には背脂がのっている。

ひとくちすすってみる。美味い。ほどよいしょっぱさがある。

 

麺は中細ストレート麺。

細麺だけどスープによく絡みスルスルと入る。

 

トッピングは刻み葱、チャーシュー、メンマ、半熟玉子半分。

 

チャーシューは柔らかくとろとろしてる。

あと数枚欲しい。

玉子もいい味をだしている。

 

細麺だけど、コシもあって全体的に美味かった。味は文句なし。

スープも完飲。

ただ、890円にしてはやや量が物足りなかったかな。

食事よりも呑んだあとに食べたい一杯かもしれない。

 

さて、このハコ、また半年後にはどんな店が入るのだろうか。

 

ずっと前、アメブロをはじめたばかりのときに三億円事件の現場記事を書いた

ことをこの前ふと思いだして、検索して見たら記事が削除されていた……。

 

何故だ?

自傷フリージャーナリストが書いているこんな弱小ブログに、どこかタブーに

ふれる箇所でもあったのだろうか?

いや、そんなわけない。

何かの事故だろう。

警察関係者の息子が犯人だったという説もあるということは書いた気がするが

そんな説はもう有名で、誰も彼も書いているし報道しているので、そこがひっかかった

なんてことはないだろう。

 

画像もろとも記事が削除されていたので、先日撮影した現場の写真をふたたびアップだけ。

 

 

府中刑務所の横の通り。

ここで偽白バイ警官が現金を強奪して消えていった。

今は平和だ。

見てのとおり、日本を騒がした大事件があった場所だとは到底思えない。

 

写真を撮ったといっても、わざわざ撮りにいったわけではない。

ここ、うちの近所なのだ。

たまに弁当を買いに行く弁当屋があるので週末そこにゆくとき、ついでに

撮影した。

子供のころからこの道はよく通っている。

 

いろんな事件現場には関心がある。あさま山荘へは群馬の先輩の車でいった。

世田谷一家殺害事件現場や八王子スーパー強盗殺人事件現場へは自転車で

1時間以上かけていったが(記事にもした)、ここは家から自転車で数分でつく。

 

刑務所の道路挟んで反対側には都立府中高校があるのだが、事件当時、府中高校の

生徒も警察からいろいろ訊かれたらしい。

結局、犯人はつかまらず未解決事件のまま、時間だけが過ぎた。

 

犯罪もここまで完璧にやって逃げ切ると、犯人はもう悪人というよりもヒーローだ。

時がたった今もまだ生きてるのだろうか。

自殺したという説もある。

 

この事件があってから、全国の企業の給料やボーナスが現金で手渡しじゃなく

銀行振り込みになったんだけど、オレが20歳前半のころバイトしていたガソリン

スタンドは辞めるまでずっと手渡しだった。

おかげで売り上げが盗まれるという事件が起きて警察沙汰になったこともあった。

詳しくは書けないけれども。

 

果たして三億円はどこへ消えたのか??

府中市といったら「競馬場」「刑務所」そして「三億円事件」を連想する人が多いので

記録として一応削除された記事の修正版として書いておいた。

 

またみなさんがご興味ある事件のネタがあれば書いてゆきたい。

 

(ネットの調子が悪いのでコメ返など遅れる可能性があります)

 

スポーツや歌やお芝居と同じで、「人生」も上手い人と下手な人がいる。

オレは人生が下手な人間。

下手なのは宿命だと思ってしょうがない。

人生が上手くなりたいものだ。

でも、これってほとんどが運なんだろうな。

大谷翔平とかは人生が上手い人だと思う。

 

それはさておき、だんだん暑くなってきた。今日も暑かった。

本格的に暑くなる前に泊まりでどこかどこ温泉にでもいきたい。

行く余裕ないなあ。

久しぶりに四万温泉とか湯西川温泉とかにいきたい。

 

火曜日の深夜はテレビ朝日で23時45分から放送している「キョコロヒー」を

観ている。ヒコロヒーと斉藤京子が出ているバラエティ番組。

今夜もこのブログ書いたあと観るつもり。

とくになにが面白いって内容じゃないんだけど、深夜番組依存症としては

観てしまう。

前から思っていたんだけど、ヒコロヒーって、スピードワゴンの小沢一敬に似てないか?

オレだけだろうか。そう思っているのは??

ヒコロヒーって好きにも嫌いにもなれないんだよなあ。

なんかそういうタイプ。

芸能人って、好きでも嫌いでもないっていわれるのが一番イタイらしいけど。

 

あと今日はBS朝日で埼玉西武ライオンズと東北楽天ゴールデンイーグルスの中継を

観ていた。ライオンズ、あまり打てなかったけど勝った。最後危なかった。

主砲なき2位。

ここ数年でバッターだけでも浅村、秋山、森、山川と主力が抜けた。

ホームランバッターがいないのによく2位になれたと、ライオンズファンながらも

感心する。

昨年が劇的に弱くシーズンで100敗するかと思ったけど、今年は昨年に比べたら

いけそうだ。西口新監督なかなかやる。

ただ、投手陣はいいけど、オリックスから加入したセデーニョがいまいち打てないのが

気になる。オリックス時代同様に年間でホームラン15本は打ってほしいところだ。

ライオンズ、今年は期待している。

 

なんか最近、お金のかからない新しい趣味を見つけたいと思っているのだけど、

なにかないだろうか。

新しい趣味がないからブログネタも同じくない(-.-)

 

いつも自虐的なことやマイナスなことばかり書いているので、今日は珍しく

自慢話をさせていただきたい。

 

昔いた会社で広告の仕事をやっていたとき、営業で繁華街のキャバクラ・パブや

不動産業者、ネイルサロンなどを回っていた。

歌舞伎町にRという不動産屋があって、そこも担当だった。

月に2,3回ほど顔をだしていたのだが、いくといつも決まってお馴染みの従業員の

人たちがいて、とても良くしてくれていた。

そこにSさんという部長だったかな。とにかく店舗でちょっと偉い人がいてよく話して

いたのだが、あるとき、自分で独立して企業するとのことでRを辞めた。

ああ、寂しいなあと思っていたのだけど、近くに事務所をかまえたらしく、独立した

あともよくRに遊びに顔をだしていて、オレが営業でRにいったときもよくあった。

 

ある日、オレが営業にいったら、入れ違いでちょっと前までSさんがまた顔出しにきて

いて、従業員の人と楽しく話していったとのこと。

そこでさっきまでSさんと話したRの従業員の人から、

「ああ!今、Sさんが来ていたんですけど、○○さん(オレ)のこと、めちゃめちゃ褒めて

いましたよ!『ああいう営業マンがうちにも欲しいよ』っていっていました!!」

と聞かされた。

すごい嬉しかった。

 

また池袋にもAというロシアンパブの客さんがあって、そこも社長含めた従業員の人ととても

仲良くしてもらっていた。

こちらも月に2回くらい通わせていただいていたのだが、ある日、集金いくと社長が

不在だった。でも社長と同じくらい仲良くしてもらっていた若い男性の従業員の方がいて、

その人が対応してくれた。そのとき、

『社長が○○さんのことすごく評価していました。このへん(池袋)回っている営業マンの

なかではたぶん一番やり手なんじゃないかって!』

と聞かされた。

すごい嬉しかった。

 

西新宿にはCというネイルサロンのお客さんがいて、オレよりも若い女性がオーナーだった。

ある日、新人の女の子が入ってきたから同行でその店に一緒に連れていった。

店にいくとオーナーがでてきて今日は新人を連れてきたということを伝えてそれから

一通り仕事の話をした。帰り際、女性オーナーが同行した女の子に向かって、

「この人(オレ)、すごく仕事できる人だから一緒にいると勉強になるよ!」

と笑顔でいってくれた。

これまたすごい嬉しかった。

 

歌舞伎町のRと、池袋のAに関しては、とくに嬉しかった。

なにが嬉しいかって、Sさんや社長本人から直接言われたとするならば、お世辞の

可能性も否定できないが、第3者から「○○さんのことを褒めてた」といわれたことが

リアル味あって嬉しい。この気持ちわかっていただけるだろうか。

 

オレにはこれだけ気にいってくれているお客さんたちがいる。

改めてそう思った。

会社で上の上にいる人間からは、仕事が出来る人間、お客さんに求められている人間として

認識されたことはたぶんなかった。

 

でもオレには実際したってくれるお客さん、オレが顔を出すと楽しそうにしてくれる客さんが

まわりにはいた。

基本、嫌われている人間には出来ない芸当であり、存在であると思う。

 

オレはずっと自分でコミュニケーション能力が無いと思っていたが、実は自分で思っている

以上にコミュニケーション能力があるのかもしれない。

いや、誤解はしないでほしい。

このブログでもずっとしつこいくらい昔から書いてきているように、オレは今でも

「コミュニケーション能力」という言葉、またそれを啓発するような風潮は大っきらいである。

 

でもここ最近、ひとつ気づいたことがある。

「好き・嫌い」と「持っている・持っていない」は、まったく別であるということだ。

 

ボクシングの内藤大助は子供のころ、いじめられっ子だった。

だけど、チャンピオンになった。

内藤のジムの会長はこういった。

「内藤はいじめられっ子だったけれど、喧嘩は強かったんです」

そうなのだ。いじめられっ子は喧嘩が弱いというのは固定概念なのだ。

 

コミュニケーション能力の有無についても同じことがいえる。

 

オレはコミュニケーション能力という言葉は大嫌いだし、その上達を流行らせようとする

風潮も大嫌いだけど、コミュニケーション能力はコミュニケーション能力で十分持っている

のかもしれない。

だから、広告営業マン時代も仲良くしてくれるお客さんがいたのではないかと。

 

「嫌いだから持っていない」「持っていないから嫌い」というのは固定概念。

英語や数学が嫌いだけどしっかり出来る人もいるように、コミュニケーション能力

は嫌いだけれども持っているかいないかといえば持っている人間はいるかもしれない。

 

逆もあることに気づく。

ヘタの横好きというか、実際コミュニケーション能力がまったくない人間が、

「コミュニケーション能力」という言葉がやけに大好きだったり、また、また会議や朝礼

とかで人に向かって、「コミュニケーション能力を身につけなさい!」と偉そうに説いて

いるケースも多いのではないだろうか。

 

みなさんのまわりで普段から「コミュニケーション能力!」「コミュニケーション能力!」と

人にたいして言っている人間がいたら、その人間自体が本当にコミュニケーション能力らしき

ものを持っているか、まずはよく観察してみるといいかもしれない。

実は持っていないということが発覚した時点で、説得力も威厳もすべてなくなるだろう。

それはそれである意味面白いかもしれない。

 

そういえばつい最近、久しぶりの人からLINE電話がかかってきた。

お互いもうやめたけど、7年前くらいに半年間同じ会社で働いていた人だ。

お互いやめてからは、数回しか会っていないけれど、サウナという共通の趣味があるので

2回ほど一緒に銭湯にいった。また行きましょうという話をした。

 

そうだ。

コミュニケーション能力が影響しているのかどうかわからないけれど、オレのまわりには

営業マン時代のお客さん以外にも、今でもずっとたくさんの呑み仲間や友人がいる。

 

大学時代の友人たち。

高校時代の柔道部の友人たち。

それとは別の高校時代の同じクラスの友人たち。

最初の会社で最初の部署だったときの友人Sさん。

最初の会社で2番目の部署だったときの友人・同僚たち。

前の会社で一緒だったサウナ仲間のKさん。

西川口のガススタでバイトしていたときの先輩で今群馬にいるN先輩。

同じ埼玉西武ライオンズファンでブログでも数回登場しているコバさん。

最近会ってはいないけど、年賀状でつながっている友人たち。

そして、このブログでやりとりさせていただいているみなさん。

 

オレは環境的には恵まれていないけれど、友人(フォロワーの皆さん含む)には

恵まれたと思う。ありがたいことだ。

 

オレは結婚する予定はないから、式や披露宴も当然あるはずないが、もし結婚して

披露宴をやることになったら招待客の席決めをする際、うちの親とかは

「何! うちの息子はこんなに友達がいたのか!」

と驚くことになるだろう。

 

決して自惚れているわけじゃないが、まったくコミュニケーション能力がない人間に

ここまで友人知人は作れないだろうという自負はある。

 

いままで賛同をいただいていたアンチコミュ能派を裏切るつもりはない。

オレにコミュ能があろうがなかろうが、オレは今までもそしてこれからもコミュ能という

言葉および風潮が嫌いなことに変わりはない。

 

コミュ能があるのもないのも両方とも個性だ。

どっちかがどっちかを潰すようなことがあってはいけない。

コミュニケーション能力がないことも多様性を考えると個性なので、ある人もない人も

お互いを尊重しながら共存できる世の中をつくっていかないとオレは思う。

 

今改めて考えると、発達障害だったこともあって、大学4年生時の就職活動は苦労して

結局就職浪人になった。

書類選考や筆記試験は突破するのだが、どうも面接がうまくいかなのだ。

それからオレは自分のことをコミュニケーション障害およびコミュニケーション能力が

ない人間だと悩み続けた。

 

でも今ならばはっきりいえる。

企業の面接官のいうコミュニケーション能力と、本当に仲にいい友人を作るための

コミュニケーション能力はまったく別モノである。

 

企業の面接官が求めるコミュニケーション能力というのは、今その場で自分にたいして

どれだけ自己アピールできるかというだけのもの。

つまり純粋よりも小利口な人間。

そこに惑わされたり、そこで自信を失ってはいけない。

 

まわりの友人知人やフォロワーさんに感謝しつつ、今日はこんなところで。