昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

たまに利用しているスーパーで見つけた。

 

「ランチパック 家系豚骨醤油ラーメン風」

 

 

ランチパックは普段まったくといっていいほど買わないのだが

店にいったときはよく目にする。

 

ランチパックもペヤングみたいにバラエティなテイスト路線に

走り始めたかと思いながらも、家系ラーメン総本山監修とのことで

話のネタにひとつ買ってみた。

価格は他のランチパックに比べると、やや高め。

 

パンの代わりに固めた麺で上下から肉を挟むライスバーガーは

ファストフードでも見かけるが、パンの中に麺を入れるというのは

まさに炭水化物×炭水化物。

 

手で割ってみるとこんな感じ。

 

 

目でみると一応麺らしきモノは確認できるのだが、

口にするとあまり麺の食感は感じない。

 

別に不味くはないけれど、とくにラーメンという感じも家系という

感じもあまりしなかったというのが率直な感想。

 

 

 

学生時代から就職するまで働いていたバイト先のガソリンスタンドの所長が

今年1月に亡くなったことを日曜日にしった。

 

きっかけはネットだった。

日曜日の昼、ネットサーフィンをしていて、なんとなくその所長のことを久々

思いだし、もしかしたらだけどSNSかなにか実はやっているかもしれない

と思い、フルネームで検索を掛けてみたのである。

虫の知らせだったのかもしれない。

 

そうしたら某県(所長は地方から赴任で東京にきていて退職後に地元に戻ったのでその県)

で亡くなった人を報告するお悔みサイトのようなものがヒットしたのである。

どうして?と思いながらそのサイトに羅列されている亡くなった人の名前を見て

いったら、その中のひとりに所長の名前があった。

しかも年齢まで同じ。

 

驚いてそのバイト時代の先輩にLINEで連絡した。

そしたらその先輩がまた別の先輩に連絡してくれていろいろ確認を

とり、また連絡してくれた。

どこにでもいるような名前じゃないので同姓同名の可能性はないと思う。

どうやら本人で間違いないらしい。

 

本当に驚いた。

バイトを辞めてから1度か2度、飲み会であったけれど、それでも、もう

15年かそのくらいはあっていなかったが、ついこの前亡くなっていたなんて。

オレより10歳ほど上だから、まだ若いといえば若い。

 

病気だったのか事故だったのかわからないが、とにかくご冥福をお祈りしたいと

思う。

 

数年前も同じ職場で年齢もみっつよっつしか違わない女性がひとり病気で亡くなった。

そのすこし前には、お世話になった社長がまだ50歳ちょっとで病気で亡くなった。

さらにその前には、ミクシィ上で再会した同級生がわずか40歳で病気で亡くなった。

ミクシィのやりとりで卒業以来はじめて会う約束を交わしたが、結局果たせなかった。

 

身近な人間や知っている人間がだんだん亡くなってきてもおかしくない年齢に

なってきたんだなあとつくづく痛感する。

 

そういうオレも、正直今いろいろあって生きるのが辛い。

 

この前、NHKでエヴァンゲリオン監督の庵野秀明に密着する番組をやっていて

観ていたのだが、モノを創ってゆくうえで、庵野監督も自殺を考えたことがあると

インタビューで語っていた。

 

ビルの屋上から飛び降りることや電車に飛び込むことを考えたという。

とどまった理由として、

「死ぬのはいいけど、最後に痛いのが嫌だったから」

と語っていた。

 

一見笑い話のように聞こえるけれど、その気持ちすごくよくわかる。

オレも似たような思いだったから。

自分は度胸がない臆病者でちょうど良かったと思う。

もしオレにその痛みを受け入れられる度胸があったら、とっくに決行

していたかもしれない。

 

周囲に向かったり、あるいはSNS上において

‘自殺は絶対ダメ’と自信を持って発信する気力が今はない。

でもそこは命についてもう一度じっくり考えないといけないのだと思う。

 

誰だっただろうか。

友達から聞いたのか、どこかの作家がエッセイで書いていたのか忘れたけど

どこかで

 

「あなたが死にたいといった今日は、昨日死んだ人が生きたかった今日なんですよ」

 

という台詞を聞いた。

 

そうだろうな。きっと50代で亡くなった所長ももっと生きたかったんだろうなと

思う。

亡くなってしまった人からすれば、その命私にちょうだい、といいたい

だろうな、と。

 

ただ、生きている以上、誰がいつどうなるかわからない。

 

人生は旅だとか航路だとかによく例えられるけれど、別にマイナス思考とかそういう

ことじゃなく、人はみな、生まれた瞬間、死に向かって旅だってゆくのは事実だと思う。

 

老眼も始まった。

デカ盛りが食べられなくなってきた。

老いも間違いなくきている。

 

 

どこでいつどうなるかわからない以上、精神論や前向き夢物語に縛られるのは辞めて

生きないといけないなと最近改めて感じ始めた。

更新がなかったのは体調がここしばらく良くないのもあったのだが、

それにくわえ、ただでさえブログのネタ切れ状態なのにステイホームで

どこにもいっていないし、誰とも会っていないので余計に書くことがない。

 

だからといってしばらく更新を見送りにしていたら、アクセス数がさすがにかなり減ってきてしまっている。

ここらでとりあえずまた一度更新しとかないといけないと思ったのだが、やはりまだ書くことが

思い浮かばない。

 

そう思ったらタイミング的に本日、金曜ロードショーで映画「タイタニック」(前編)を

やっているようなので、それに合わせて、約8年前にアップしたタイタニックの映画における

真実解析記事を今回はリブログすることにする。

お時間があればどうぞご覧ください。

 

 

「アサヒスーパードライ生ジョッキ缶」という商品が、人気ありすぎて

バランスのとれた供給ができないため、販売休止になったという

ニュースをすこし前に耳にした。

 

たしかにこれは人気あるらしい。

先日、病院の帰りに地元のディスカウントショップに立ち寄ったら

この缶がずらっと棚にたくさん並んでいた。

 

そのとき気になったのだが、ビールだから高いし、今はかわないで

スルーでいいかなと思い、買わなかった。

だけど、その日の夜、やっぱり気になりムショーにビールが飲みたくなり

ふたたび自転車で店にいった。

 

そうしたらもう売り切れていた。

信じられん。

つい、数時間前まであれほどたくさん並んであったのがもう売り切れなんて。

やはりみんな、見つけたらここぞとばかりに買いこんでいったんだと思われる。

 

どんな感じかちょっと飲んでみたかったなあと思いつつ、もう生産再開の6月までは

手に入らないだろうと諦めていた。

 

だが、西友に買い物にいったとき、一応アルコールコーナーをのぞいてみたら

なんと在庫わずかながら棚に並んでいるのを発見。

初回出荷ぶんがまだここには残っていたのだと思える。

 

1本購入した。

 

 

ニュースなどでご存じのとおり、この生ジョッキ缶は缶の上の部分が

フルオープンになり、泡がでてジョッキのようにゴクゴク飲める缶である。

 

蓋をあけてみた。

 

泡がシュワシュワ。

 

 

すこし前に、飲み口が大きい缶があったが、それは短命ですぐ消えて

しまった。

上の部分がすべて空くのは日本初らしい。

 

中身はおそらく普通のスーパードライ。

ただ、泡をもっと欲しい場合は両手で缶を包むと泡が増えると書いて

あったので、試しに包んでみると本当に泡がモコモコと増えてきた。

これは画期的。

 

これもこれでありだと思うけれど、個人的にはグラスに注いで

飲むほうが好きかな。

 

今はこんなご時世だから今は無理だけど、お花見とかで飲むには

いいかもしれない。

 

ちなみに今まで3人くらいから「アルコール依存症じゃないの?」といわれたが

依存症についてちょっとだけ調べてみたら、依存症の人は時間問わず酒を吞みたく

なるらしい。

オレは夜しか呑みたくならないから、大丈夫。たぶん。

皮肉でも変な意味でもなく、徹底したベジタリアンの人は本当に

すごいと思う。

 

自分は肉も魚も好きなので、どうしても焼肉や寿司は食べたくなってしまう。

ロースカツも好きで、「かつや」のソースカツ丼弁当もたまにテイクアウトする。

 

しかし、これらの口にしているモノも、もともとは生きていたんだなあと

思うことも多いし、自分たちの手で直接 ‘と殺 ’しているわけじゃないという

罪悪感がまったくないわけでもない。

 

人間て、やはりいろんな命をいただいて生きているんだなあと感じる。

 

それを考えると、食品ロスを防ぐというのは人間にできる最大限の

生物にたいする礼儀なんだろうなあと思えるのである。

 

この前、回転寿司にいったら、回転している皿の数が明らかに少なかった。

回転寿司の醍醐味といったら、回ってくる皿から選んでとることだけれども

ずっと回り続けているネタが最終的に廃棄されたりする食品ロスを考えれば

タッチパネル優先でも注文のほうがたしかに正解かもしれない。

 

オレらが小学生のころは、給食もみんなたくさん残したりしていた。

オレも嫌いな玉ねぎが入っているシチューやカレーなどが多かったから

かなり残していた。

 

それらの残飯はブタの餌になるので、献立にブタ肉使用の料理があれば

ブタにとっては共食いとなるので皮肉といえば皮肉である。

 

すこし前に映画『ブタがいた教室』を観た。

 

 

 

――

センセーショナルな内容で賛否両論を巻き起こした実話を映画化

6年2組のクラスを受け持った新任教師は、クラスでブタを飼い育て、

卒業時に自分たちで食べるという驚くべき授業を始める。

名前を付けられ、可愛がるブタに感情移入していく子供たち。

そして迎えた卒業式。クラスを二つに分けた激論と答えが出される…。

(amazonより引用)

 

 

妻夫木聡演じる新任教師が、最後に食べるという約束で一匹の

ブタを教室に連れて来る。

 

ブタはPちゃんと名づけられ、可愛がられる。

 

やがて卒業が近くなるが、ブタに愛着をもった子供たちの中では

卒業後、Pちゃんを生かして下級生に世話を委ねるという考えもではじめる。

 

クラスの意見は見事にまっぷたつに割れ、決めてとなる最後の一票は

ブタを連れてきた新任教師に委ねられた。

 

果たしてPちゃんはどうなるのか?

 

 

内容が内容だけに静かといえば静かな映画だった。

面白いか、つまらないかというくくりでわける映画ではないかなと思う。

 

作品を観たという友人から聞いたネタバレとは、なぜかラストが異なっていたので、

そういう意味では個人的に意表をつかれたラストではあったが、まあそれもありかなと

いうところだった。

 

自分がもしこの子供たちの立場だとしたら、やはり同じように感情移入して

しまうだろうなと感じた1作だった。