昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、時事ネタその他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義随筆集。


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でたんだよ でたんだよ

続くんだ 次から次へ 漫画の本が続くんだ

 

楽しいよ 表紙を開けばセル画がついてる

新作漫画「ウルトラB」も載ってるよ

 

藤子不二雄ラ~ンド~

 

……っていうCMソングが小学校のときにあった。

 

藤子不二雄が描いた漫画の数々が新装丁特別版としてセル画つきで

書店やコンビニで発売されることになり、小学館?が当時大きく宣伝打っていた。

 

昔はコミックスのCMも夕方とかにちょくちょくやっていた気がする。

 

それだけ日本の漫画文化というのは素晴らしい。

アメリカ人が日本の漫画やアニメに惹かれるのはヒーローものばかりの

自国の漫画アニメにくらべ、日本はそのテーマが多様だからだそうだ。

 

7、8年前に立川にできた「立川まんがぱーく」に初めていってきた。

ちょっと読みたい漫画があったのと、まだ訪問したことなかったからいい機会だった。

 

『立川まんがぱーく』

東京都立川市錦町3-2-26

HPはココ

 

 

作る計画が発表されてから開館当時までけっこう話題になった。

立川市子ども未来センターという施設の2階にまんがぱーくはある。

 

実は立川で働いている同級生ふたりの職場が、ここの立ち上げの際のプロジェクトに

ちょっとかかわっていて、広告業務経験のあるオレに個人単位でいろいろ

相談したいという話もちょこっとでていたが頓挫した(笑)

 

今は街中にたくさんの漫画喫茶があるが、このまんがぱーくのいいところは

入館料が400円ととても安い。

しかも一度入ったら、閉館まで何時間いてもいいのだ (と思う)。

 

それと自宅の端末から置いてある漫画が検索できる。

なので、読みたい漫画があるかと思っていざいってみたらなかった、ということが

ないのである。素晴らしい

 

カフェなどもあるが、そちらは別料金。

 

靴箱のロッカーに入れる400円が入館料となる。

抜いたカギにくっついているのが入館証。

それをゲートにピッとタッチして入る。

ちょっと高いスーパー銭湯みたいな雰囲気。

 

 

入って右にすすんでゆくと、思った以上に広い漫画スペースが奥へと続いている。

想像してたとおり人がすごい。

 

ひとつ注意事項として、この「立川まんがぱーく」は個人による館内の撮影は

自由だが、他のお客さんが映ってて顔がわかる画像などをSNSにあげるのは

禁止とのこと。

 

なので、以降アップしてゆく画像は、閉館間際までいて、人が少なくなってから

撮影したものである。

それでもどうしても少しは人が映ってしまうので、そこが画像加工処理させてもらう

ことにした。

 

館内はいかにもドラえもんにでてきそうな漫画チックな読書スペースがある。

 

 

 

ひとり用の四角い椅子やザブトンもたくさん用意されているのだけど、なによりも

嬉しいのがフロア全体が畳敷きなことだ。

 

 

上のような個室や席が埋まってても大丈夫。

気になる漫画を見つけたら、その場でベタっと畳の上に座って読んでいる

人もいる。

とにかく、どこに座ってもオシリに優しい柔らかさなのである。

 

歩いていても、温泉の休憩所にいるようなリラックス感が溢れる。

 

漫画は4~5万冊あって、これからも増やす予定らしい。

 

ジャンルや作者ごとに配置されているから見つけるのもカンタン。

 

 

オレは窓際のベンチタイプに空きがあったから、そこに腰掛けて、

とりあえずそこにあるお目当てだった漫画を3時間かけてすべて読んだ。

 

退館までまだ時間があるので、残りはフロアをふらつきながら気になった

漫画を何種類か読んで歩いた。

 

居心地良さそうな独特スペースは早い時間ずっと人がいたけど、遅くなって

きたら、二段ベッド的な空間の上が空いたので移動。

 

 

この時間だからこそ空いているけど、入館当初は1階も

2階もみんな人がいて、ゴロゴロしていた。

この撮影時も手前の1階の箱の中には人がいる様子が窓からわかる。

 

読んでいる邪魔にならぬよう、抜き足差し足忍び足で階段をあがる。

 

上からの風景。

 

子供に戻って屋根裏部屋にあがったような気分だ。

 

楽しくて、何時間でもいられそうだ。

どんどん過ぎてく時間は怖くない。

 

 

閉館がかなり近づくと、1階の隠れ家的な箱もほとんど空いた。

 

せっかくだから入ってみたけど、ここは周囲にたくさん人はいて賑やかな時間に入るから

特別部屋的な感傷に浸れるようだ。

 

館内がガラーン……シーン……としている時間帯のときに入るとなんだかちょい寂しい(笑)

「隠し部屋」というよりも「隔離部屋」みたいだ。

 

この箱の中はやはり早い時間賑やかなときに確保するのベストに違いない。

 

ここ、かなり気にいった。

 

入館料安くて長時間いられる。

店内も清潔。

漫画の数も多い。

利用したければ飲食も可能。

 

 

漫画が好きならばここまで天国な空間はなかなかない。

 

地元じゃない人も、もし立川にきて時間潰すようなことになったら超おすすめ。

 

オレもリピート間違いナシ!

漫画好きのみなさん、立川まんがぱーくでお会いしましょう。

では、ばいちゃ 👓

 


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先日放送されたアメトーークの「相方向上心ない芸人」、

予想以上によかった。

 

ジャンポケのお○けとガリッ○チュウはちょっとオレだめだけど

バイきんぐの西村とスーパーマラドーナの田中は最高だった。

 

バイきんぐは昔から面白くてふたりともそれぞれ違うタイプの個性が

輝いてる。小峠はもちろん西村もほんといいキャラしてる。

 

M-1でしか観たことなかったけど、スーパーマラドーナの田中も

あそこまで作りっ気ない向上心のなさだと、突き抜けて爽快。

一気に好きになった。

 

こういうキャラがいて、こういう企画が誕生してそれで笑いもとってるって

ことは、向上心ないことをしっかり仕事にしてる結果になっているんだから、

口先でやる気あることばかりアピールして全然面白くない人間よりも、

間違いなく世の中が求めている存在であるというのがオレの導きだしたアンサー。

 

やはりオレは熱血や努力をアピールする人間よりも、西村や田中みたいな

タイプの人間のほうが心から愛せる。

 

ほんとに重要なのは、ただの怠け者や無気力のつまらない人間で済むのではなく、

その「向上心ない」「脱力系」がしっかりと面白い才能として、どこかでなにかを生み出して

いるか人を楽しますことにつながっているかという点だ。

 

これいうと反論くるだろうけど、この競争社会において、映画アウトブレイクの猿から

感染拡大したウィルスのごとくポジティブとかやる気とかいう言葉が猛威を振るうパンデミックの

中でも、一貫してブレずに「向上心をもたない」というのはひとつの才能だ。

 

オレは前から思っていたことがある。

タレントにしても社会人にしても、向上心ややる気のない人間を使わないのができる

プロデューサーや経営者ではなく、向上心がないならないでその特性をうまくどこかで

使ってやろうという発想の転換ができる上の人間が本当に人を使う能力あるのである。

だから今回のような企画をたてたアメトーークのスタッフがお見事、さすがだ。

 

向上心あるのもそれはそれで立派なんだけど、それを思いきり言葉や表情に

だす人間は好感度的スケベでいやらしい。

実際に血のにじむような研究や努力をしていても、それを一切表にださず、

ウソでもいいから「自分、怠け者なので」と笑えるような人をオレは支持する。

 

 

向上心とはややズレるかもしれないが、自分の経験をもとに無気力な主人公を描き、

その作風を見事武器にして多くのファンを得た日本漫画界の巨匠といえばやはり、

つげ義春だろう。

 

そんなつげの存在を世の中に広めた作品といえば「ねじ式」。

 

4年ほど前にはあの舞台となった房総の漁村に聖地巡礼にでかけた。

当時の記事 ➡ 【早朝鈍行 ねじ式と帰路】

 

原作は何度も読んでいる。

映像化もされているのもしっていたが、お金を出してDVD借りてきてまでみたいとは

思わなかったが、この前図書館に置いてあるのを発見。

 

視聴覚ブースで鑑賞してみた。

 

 

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主演は浅野忠信。

脇として丹波哲郎や藤谷美紀も出演していた。

 

パッケージの写真は漫画ファンならば見てすぐわかるとおり「ねじ式」の

冒頭でメメクラゲに腕をさされた主人公。

 

作品タイトルは「ねじ式」だが、作品構成としては他にも「もっきり屋の少女」

や「やなぎや主人」なども含めたストーリーになっている。

 

主人公の「つべ」は、あらゆる妄想の中を旅して放浪する。

 

もっきり屋の少女のシーンでは、主人公が居酒屋の少女であるチヨジに

出逢う。

チヨジを演じる女優さんもなかなかイメージにあっているが、チヨジにちょっかいだす

客役の杉作J太郎を使ったのもいい配役だ。

 

放浪の最後に「ねじ式」の世界にたどり着くのだが、ねじ式に関しては原作を忠実に

再現しているのが伝わってよかった。

手にスパナを持っているオジサンや、うしろにある屏風に描かれた天狗など、

漫画のコマの背景やディティールをしっかりそのまま演出している。

 

予算や特殊撮影技術も問題もあってか、アノ有名な機関車の描き方においては

露骨な模型ではあったが、それ以外においては原作ファンには嬉しいラストエピソード

だった。

 

つげ義春の世界自体がかなりシュールで、深い意味もないから、つげや原作を

まったくしらない人がいきなりこの作品を観てもおそらく意味わからないかも

しれない。だからあえておすすめはしない。

もし観るならば、まず原作を読んでそこで、つげ義春の世界観を受け入れられる

人だけが、あくまで見比べるという意味で観るべき作品かもしれない。

 

ひとつ注意としてがめちゃくちゃエロいシーンが多い。

そしてその1シーンが長い(爆)

オトコ目線でも観ても、さすがに

「いや……もうこのカラミはいいからそろそろ原作になぞったストーリー性ある部分観せてよ」

と思ってしまう。

 

つげ作品はもともとエロスの要素が濃いけど、映像化にあたってなにもここまで強調しなくても

とは思った。浅野忠信は体張ってすごいなあとは感じたけど。

 

観たい人は借りてきていえでみたほうがよい。

すくなくとも、簡単な低い囲いしかない図書館のブースで観るのは避けたほうがいい(笑)

 

横の通路を通る人から普通に画面が見えるので、落ち着いて観られなかった(-_-;)

 

 

 

 

3記事連続の映画特集でお送りさせていただいたので次回記事はちょっと映画から離れて。


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結婚したことはない。

だから当然自分が主役となる披露宴なるモノを開催したこともない。

 

結婚して披露宴開催したことある女性から聞いた話だと、来てくれる友人などの

席位置を決めるのはかなり骨の折れる作業だったとのことだ。想像つく。

 

自分がその席にいて、両隣に座る人を指名するのであればまだいくらか

ラクだろうけど、自分自身は違う席にいて、離れた卓にすわる他人同士の

組み合わせ(席)を決めないといけないのだから、気遣いのパズルピースを円形の

卓のまわりにうまくハメて完成させてゆくような作業だろう。

 

そこに限っては客観的に職場内や同級生同志で誰と誰が仲悪いとかもしっている

わけだからなおさらだ。

鈴木義次センセイと冨永一朗センセイのような「ビジネス犬猿の仲」であった

としてもお笑いマンガ道場においては席は離す演出していたし。

 

他人同士を動かす作業に関して疲れるのは式や披露宴の席決めに限らない。

 

いつ、どこの職場とは詳しく書けないが、昔、上の人からオレの指示のもとで

下の人間ふたり使って、ある仕事をさせてほしいという指令がでた。

 

オレが下の人間と組んでふたりでやるのではない。

オレはあくまで指示だけ。組ませるのは下の人間同志ふたりというのがキーだった。

 

だが、そのふたりのうちひとりは既に上の人間から「こいつで」という指定がかかり

決まっていた。

そいつと組むもうひとりはおまえが決めて、そのふたりでやらせろ、ということだ。

 

ここでひとつ大きな問題が。

 

上の人間が先に指定してきたひとりが、はっきりいって周囲に評判良くないのである。

幸せといっていいのか、本人そのことにまったく自覚ないのだが、周囲の人間がよく

思っていないことは耳にしている。

ここでは仮にAとしておく(イニシャルではない)

 

よって、他の人間に「Aと一緒にこの仕事をやってほしい」と頼んだところで、いい顔

されないのがわかっているから、オレがその相方を指定するのも難しくなかなか嫌な

役回りである。

 

いろいろ考えて、人選に頭を悩ませた結果、ひとりパッと思い浮かんだ。

他の人間と比べると、比較的Aとよく話したり笑い合って盛り上がっているBという

人間だった。

 

「あ、B! ちょっといい?」

といってBを近くに呼ぶと、Bは「はい」といってオレのところへきた。

 

オレが

「おまえさ、Aと仲良しの友達だから、ひとつお願いしたことがあるんだけど……」

と、そこまでいったところで、本題の相談を切り出す前にもかかわらずBがものすごい

顔で激しくオレにこういってきた。

 

「ちょっとやめてくださいよ!! なんでオレがAと友達なんですか!別に仲良くないですよ!」

と。(汗)

 

驚いたオレは

「え!? なに?? おまえも嫌いだったの!?」

と聞くと、

「あたりまえじゃないですか」

と返ってきた。

 

「いやあ、いつも一緒に話して笑ったりしているから、てっきりおまえは仲良いのかと

思ってたんだけど」

とオレがいうと、Bは

「そりゃあ、同じ会社の中でこれからもずっと一緒にやっていかないといけないわけ

だから、たまには合わせて一緒に話したり盛り上がったりもしますけど……でも別に

仲良しじゃないので」

とシビアな答えが返ってきた。

 

オレが思っていた以上にそれぞれがシビアに割り切って共同生活を送っていたようだ。

 

そのとき、Bからひとことこういわれたのをおぼえいる。

「ってか、○○さん! あいつのこと好きな人なんていると思ってます??」

 

そこで思わずハッとして過去を思いだした。

この質問されたのは、そのシーンがはじめてじゃない。

 

何年か前、バイト時代の友人と日帰り旅行いった道中でも当時のバイト仲間の話題になり、

あまり評判よくなかった人のことをややフォローするつもりで発言したときも、友人から

「○○くん!あの人のこと好きな人なんていないよ!」といって笑われたことがあった。

明確に思いだせないが、その他にもどこかでもう一回そんなやりとりがあった気もする。

 

そのときたしかこう指摘されたのだ。オレにたいする優しさ含めて――

 

「みんながさりげなく距離おいてたり嫌っているような人にたいしても、あまり悪くいわず

付き合ってあげる優しさが○○さんのいいところなのかもしれないけど……

嫌われてるやつって簡単に変わらないから、それにずっと我慢してつきあっている○○さんの

ほうがいつか爆発しちゃいそうな気がして心配なんだよね……」

 

たしかにはじめて入った会社の部署の同期は、オレのことを「我慢の人」だといった。

優しいというと聞こえがよいが、そこでもめ事が起こると今後やりづらいという小心的な面が

あるといえばそれだけだ。

ただ周囲から「もうちょっとキレてもいいと思う」といわれることは多々あった。

 

でも人間関係って皮肉なもので冒頭に書いたように同じ職場だったり、家族だったり

あるいは毎日のように親しくしている親友同志のほうが、愛情も生まれやすいと同時に

憎しみや殺意も生まれやすいのだ。

 

関わり薄く、あまり関心ない人間とのほうがトラブルの種は少ない。

一緒にいる時間が長かったり、会話も多い間柄のほうが、いつかトラブルにつながる

件が発生する。

DVだっていってみれば家庭内暴力だし、殺人事件も確率的には身内の中でも発生率

が格段高いらしい。

 

でも、もし仮に。本当に仮にだが、オレが友人や同僚に殺意を抱いてふとした勢いで

殺してしまったとしても、それはあくまで突発的な感情だけであり、そのついでに自分の

利益になることまで求めようとは思わない。

 

それはオトナだからといえばオトナだからだし、勢いで殺してしまったとはいえあくまで

感情的なものに過ぎないからである。

 

ただ、まだ何者でもない若さというものは、殺意のついでにゆけるところまで突き進んで

しまう危険なものなのかもしれない。

 

アラン・ドロン主演の名作『太陽がいっぱい』を観た。

 

 

 

 

―― 貧乏なアメリカ青年トムは、金持ちの息子フィリップを連れ戻すため、ナポリにやってきた。

フィリップにねたみを覚えたトムは、殺して裕福な生活を手に入れようとする。

そして計画どおり殺害し、自殺に見せかけるが…。
   原作は、パトリシア・ハイスミス。緊迫感あふれるサスペンスストーリーと、

キレ味の鋭いどんでん返しがみごとだ。まばゆい地中海の太陽と海の輝きを背景に、

屈折した青年の鮮烈な青春像を浮き彫りにする。

主演のアラン・ドロンは、この映画でスターの地位を不動のものにした。

冷酷なフィリップを演じるモーリス・ロネ、その恋人を演じるマリー・ラフォレの美しさも見ものだ。

監督は名匠、ルネ・クレマン。アンリ・ドカエによる美しい映像と、ニーノ・ロータによる忘れられない

名旋律が印象的である。

(amazonから引用)

 

オレが生まれるずっと前に公開されたサスペンスロマン。

どちらが先かはわからないが、どことなく石原慎太郎が書く不良ストーリーっぽい。

イタリアの海の映像と流れる音楽が美しい。

 

概要は引用のとおり。

 

アランドロン演じるトムは、なにかとハナにつくフィリップを船上で殺害し、

死体を布にくるんで海へと捨てる。

身近な人物だからこそ、憎しみも芽生えやすく、またフィリップが自覚なかったところも

トムの殺意をさらに成長させたように映る。

 

フィリップの人間性を観察している限り、ここまではトムに感情移入できる。

これまでの人生でオレも似たような環境にあったことが何度かあるから。

 

でももしオレがそんな状況で相手を殺めてしまったとしても、それ以上の罪は重ねない

だろう。

 

だが何者でもない若きトムは、それをきっかけに富を追いかける。

 

フィリップの恋人には、フィリップは自殺したと伝える。

そしてその彼女を自分のものにする。

 

さらにトムは殺したフィリップになりすまし、彼も財産的なものをすべて自分のものに

しようという計画を進める。

 

やってきたフィリップの身内を殺し、その遺体を堂々と引きずって人がいる街中を

歩いたりするのも今の時代みたら、はっきりいって滑稽。

 

偽造した身分証明書の製作過程も大袈裟で大仕掛けだが、それらも含めて昔の映画

ならではの演出だと思いながら鑑賞すると、趣きがとてもある。

 

ラストシーン。

警察が追っている中、チェアーに寝そべりながら眩しいまでの太陽を体に浴びて幸せを

感じているトム。

家の中から呼ばれて一瞬戸惑うものの、「電話だ」といわれ、急に安堵して見せる無邪気

な笑顔……

 

あれは、いくら完全犯罪をもくろんで進めても、やはりどこかでボロをだして油断しきるような

純粋な若僧だということを当時のスクリーンで描きたかったのだろうか。

 

観終わった直後は、平均的に「面白かった」という感想だったが、だんだんじわじわと

素晴らしさを感じてきて、名作だといわれるのがよくわかった。

 

今の映画シーンを基準にしてしまえば必然的に古く単純な映像に捉えてしまう。

可能な限りでいい。公開当時60年の若者になって映画館に足を運んでみた気持ちになって

観賞するのがベストだ。

 

ちなみにオレが生まれる前に公開されたこの映画の存在とタイトルをはじめてしったのは

たしか小学生のとき。

 

ある番組中の劇で、ふたりの男性が「いろいろ名作映画のビデオ借りてきたから観るか!」

といい、男性のひとりが「これ、有名だから観よう」とデッキにカセットを入れた。

ふたりが見ているテレビの画面にその映像が映り流れ始めた。

 

真夏の太陽が降り注ぐビーチ。

デッキチェアーの上ではサングラスをかけた男性がくつろいでいる。

 

優雅にくつろぐその男性は、チェアーに寝たまま、おもむろに置いてあった新聞を取り

広げて、スポーツ面を読みだす。

 

そして誌面のスポーツ記事を読みながら、男性は静かにこう呟いた。

 

「大洋が一敗……」

 

そして画面に「END」の文字。

 

それを観た男性ふたりが、「おい!なんだこれは!!」と怒り出す。

 

テレビの中でサングラスをかけて新聞を読んでいた役は志村けん。

そのテレビを観て怒った男性ふたりは同じく志村けんと加藤茶である。

 

そう、カトケンごきげんテレビの1シーン。

 

当時まだ小さかったので、大洋ホエールズ(現・横浜DeNA)はしっていたが、

元ネタの「太陽がいっぱい」という映画をしらずにわけがわからず、一緒に観ていた

親に「今のどういう意味?」と訊ねたら、「『太陽がいっぱい』という有名な映画が

あって、それのダジャレだよ」と教えてくれたのがキッカケである。

 

記事タイトルみて、今回は光GENJIの曲の記事かな?と思った人は残念でした(笑)

 

 


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昼下がりの小学校の教室内。

 

先生がチョークで黒板に文字を書くカリカリという音と、

そこに書かれた文字を生徒がノートに書くカリカリという音だけが

静かに室内に響く。

 

そんな教室の中に急に漂ってくる臭い匂い。

 

オナラ。

そう、上品な医学的用語でいうところの「屁」をクラスの中の誰かが

おコキになられたのである。それもスカシで。

 

とりあえず自分がその匂いに気づく。

そして、周囲のクラスメートもおそらくその匂いに気づいているだろうと

判断したところで、教室内に静かなる心理戦が開始されるのである。

 

みんなが「誰かがオナラをした」ということに感づいている。

しかし小学生時代のこういうシチュエーションではヘタに騒いだり動いたり

できないのだ。

 

一番はじめに「うわ!くせえ!誰か屁をこいただろ!」といった場合、

一番はじめにいいだしたやつが一番アヤシイ!と疑われるリスクが高い。

 

かといって、みんなが騒ぎだしてからもしばらく黙ったままでいると、

「屁をこいた犯人だから、ずっとなにもいわないで黙ってたんだろ!」と、

それはそれで疑われる可能性もある。

 

キケンである。実にキケンである。

とりあえずは様子を匂いに気づかないふりをして黙って様子をみるのが

ベストではあるのだが、強烈な匂いだけ教室内に漂ったまま、誰もそれにふれず

なにもいわないまま進行するというのもまたなんとも表現しずらいビミョーな空気

が漂って実にいづらいものである。

 

なので、匂いだしてからちょっとしたころに決まってクラスの目立ちたがり屋的な

存在のやつが、「くせえ!」といいだして、教室内がそれに反応し、「うん!くさい!」

といいだす。

 

それがキッカケでヘンないい方だが教室内にあったビミョーな気まずい空気は

とりあえず解除されたりするのだが、まだ安心はできない。

 

今度はそこから犯人探しがはじまったりするのだ。

みんな好き勝手に証人気取りで「こっちのほうから匂ってきた」とかいいだすのである。

 

流れによっては冤罪を受ける可能性もあるのだ。だからヒヤヒヤである。

 

授業中に教室内にオナラの匂いがしてみんなが騒ぎ出したことは3~4回ほどあったが、

冤罪の被害にあったことが1度だけあった。

 

オレのすぐ近くにいたIというやつがオレのことを「臭い」と先生にいいやがったらしい。

授業が終わってから、新犯人はオレの斜め前に座っていたユージというクラスメート

だと判明。

悔しかったのはそれがわかってからも、オレを犯人扱いしたIおよび、そのIのいうことを

信じてオレを犯人扱いしたやつらが、ひとことも謝らなかったこと。

まあ、いい。それはもう時効にしてやるとして……

ちなみにオナラなら気体だったが、ユージが漏らしていたのは気体ではなく物体だった(爆)

 

ここで話したのは授業中の教室内のケースだが、他に会議室やエレベーター内など

誰かが間違いなくやったんだけど、誰だかはわからないという事件は日常にもけっこう

あると思える。

 

たとえばその空間にいるのが、ふたりだけとかであれば犯人は自分がやったと当然

わかっているだろうし、もうひとりのほうも自分じゃないのだから相手しかいないとすぐわかる。

 

でも、この教室内の例のように、そこに何人、何十人という人物がいる場合は誰が犯人だか

わからない。

 

真犯人をしっている人物はただひとり。

それはもちろん真犯人本人である。

 

真犯人以外の人間がわかっている事実はひとつだけ。

「犯人は自分ではない」ということ。

つまり真犯人以外の人間にとっては、自分以外そこにいる全員が容疑者であり、

誰もが嘘をついている可能性があるということ。

 

ヘタに誰かをかばうと、ハメられるかもしれない。

 

金田一少年やアガサクリスティや綾辻行人の作品に登場する孤島のホテルに招待

されたいわくつきのメンバー同志さながらの疑い合いの心理戦の火ぶたが切って落とされる

わけである。

 

昔観たミラ・ジョヴォヴィッチ主演の『パーフェクト・ゲッタウェイ』という映画。

まさにその心理戦を描いたようなミステリー&サスペンス。

 

詳しくは追って書くが、決しておススメというわけではない。

かといって、そこまでつまらなかったわけでもないけど、ある意味では印象に残る映画

ではあった。

 

※以降、直接的ではないが間接的なネタバレにつながる文章はあるので注意。

 

 

 

――

地上の楽園ハワイ。その地で1組のカップルが殺され、“犯人も1組のカップルらしい”
というニュースが流れる。時を同じくして、ハワイ観光を楽しんでいた3組のカップル。
開放的な場所ゆえに共に行動していた6人だったが、そのニュースを聞くやいなや
不穏な空気が流れ始め、全員がこの中の誰かが犯人ではないかと疑い始める。
そして楽園は一瞬にして“地獄”と化し、衝撃の結末が訪れる・・・。

(amazonから引用)

 

あらすじはさっといえば上に書いてあるとおり。

 

徒歩かカヤックでしかいけない秘境でたまたま遭遇した3組のカップル。

 

ミラ・ジョヴォヴィッチ演じる妻シドニーとクリフの新婚夫婦。

 

タフでワイルドなジーナとニックのカップル。

 

シドニーたちが現地にくる途中、ヒッチハイクをしていたがそこで乗せなかったことに

より、あとで現地で一緒になったとき気まずい空気になったガラの悪いクレオ&ケイルの

カップル。

 

別のカップル殺害のニュースを聞き、互いに相手カップルがその殺人犯なんじゃないかと

疑いながらストーリーが緊迫して進んでゆく。

とりあえず仲良いそぶりをしながらも、相手のカップルを警戒しながら行動をともにする。

 

鑑賞していて緊張感やサスペンス感、そして謎解き感はあった。

そこは楽しめる。

 

でも途中で、「あれ? でもこれってやっぱりあのパターンじゃない?」とオチが想像できるの

である。

 

かなり昔なら斬新だったかもだけど、最近はけっこうあるパターンのオチ。

同じ映画でいえば、「シックスセンス」とか「ファイトクラブ」的な?

ファミコンのゲームでいえば「ポートピア連続殺人事件」的な??

 

だけど、中盤でとある会話シーンがでてくる。

このシーンを観て、この会話を聞く限り……だと、その推理はありえなくなり、

別のカップルが必然的に犯人ということになるのだが……

 

うん、設定的にオカシク矛盾していたりする箇所がある。

 

一度観た人であれば、観おわったあとで

「この人たちが犯人ならば、あのシーンと会話はオカシイだろ??」

となるはずである。

 

さすがに追ってサイトで観た人の意見を読んでみたら、同じ個所にやはり疑問を

持っていたみたいだ。

 

作品構成としてはギリギリ反則かギリギリセーフかというボーダー(笑)

 

 

重ねていうが、つまらないわけじゃないけど、台本上腑に落ちないシーンもある

映画なので、同じく観た人がもしいたならばどう感じたか訊きたくて今回記事に

書いてみた。

 

あとひとつ。

先日同級生の仕事手伝った帰りに車の中で映画談議になり話したんだけど

どうして最近のドンデン返しモノの映画は、予告的なキャッチコピーで

「最後まで席を立つな!」とか、

「ラスト○分でアナタはきっと驚く!」

とかいってしまうのだろうか?

 

この「パーフェクト・ゲッタウェイ」の公開当時もそうだったようなのだけれど、

そういうふうに吹き込んでしまうとこちらも見始めたときから、

「あ、なにか仕掛けがあって、最後にドンデン返しがあるんだろうな……」

と構えながら観てしまうではないか。

 

それをふまえると、最後にビックリするとかいうことを予告でいわず、

せめて「まだ観賞していない人にラストは教えないでください」程度で止めておいて

ほしいものである。

 


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教室内でいじめられてないとしても、誰も話す人がおらずいつもひとりで

いる人間という視線で見られることもまた苦痛であると思える。

 

中学のとき仲の良い友人はいたが、そいつが登校拒否気味で後半ほとんど

学校に来なかったとき、休み時間とか話す友人がおらずやけに教室にいずらかった

記憶がある。

友人が少なかったのは事実だが名誉のために一応補足すると、学年でそいつ

しかいなかったわけじゃない。

ただ3年のクラス替えの際、教師が意図的に嫌がらせで調整したんじゃないかと

思えるほど、親しかった友人はみな別のクラスにいってしまった。

 

そんな中学生活をなんとか乗り切って、高校へと入学した。

高校生活のスタートはいい意味にも悪い意味にもリセットからのスタートだ。

 

新1年生のクラスの中に、自分の中学時代のことをしっている人間もいないかわりに

これまで親しかった数少ない友人たちもひとりもいない。

 

すべてが新しいクラスメートである。

他のクラスメート同士もみな、ぞれぞれの中学からやってきているから知らない者

同志だった。

 

中学入学当時と変わらない風景はそこにもある。

初対面同士のクラスでも、お調子者といわれるタイプのやつはさっそく似たような

明るい仲間と仲良くなって、蟻が巣をつくるような手際の良さで友人関係を構築

していた。

 

オレはそういうことができるタイプではないのは自分自身よくわかっていた。

 

だが、このようにだんだんとクラス内にグループができつつある中で、中学3年生

のときのように、「誰とも話していない人」みたいな視線を教室内から浴びる恐怖と

痛みは誰よりもしっていた。

 

高校の新生活に入ってまであの経験はしたくない。

そんなことを思っているとき、あることに気づいた。

 

オレのひとつ前の席に座っている小柄なクラスメートも、入学してから誰ともしゃべって

いなかった。

 

すぐ前の席で既に何日かは一緒の教室で過ごしているから、顔や様子はもう

なんとなく目にしていた。

 

典型的なオタクタイプで、存在的にはオレよりも地味な子だった。

 

自分も地味なタイプでありながら、それを棚にあげて「つるんだら暗いオタクコンビ」

みたいに見られそうなタイプだなと思った。

すごく酷い何様だというような意見だとお叱りは承知だが、オレも弱い人間なので、

「この子とはあまり親密になりたくないし、そう見られたくないな」と思っていた。

 

ザ。ブルーハーツの歌に、「弱い者たちが夕暮れ さらに弱い者を叩く」という歌詞が

あるが、オレ自身も地味な者として、自分よりも地味な人間をみつけたと見下した

ように安心していた部分があったんだと思う。

 

そんなことを思っていたにもかかわらず、オレの中で「この子とはつるみたくない」

という想いより、「とにかく誰かと話してて、ひとりだと思われる視線だけは回避したい」

という想いのほうが肥大してしまった。

 

「もう、この子でもいい。とにかく外面だけでも誰か友人がいるやつ」という目でクラス内

から見られるのであれば――

そう思って、ある日、前の座るその子にうしろから、「ねえねえ」とオレは声をかけた。

 

その子はイメージどおり素直でいい子だった。

オレから話しかけたことをきっかけに、その日以降よくしゃべる相手になってくれた。

オレはとりあえず、ホッとした。

これで寂しい友人のいないやつという目でクラス内で見られることはない、と。

 

だが――

それから2か月くらいあと、同じクラスにいた別のクラスメートとたまたま地元のデパートの

話がでて、そこで盛り上がった。

 

そいつは数字並びでいえば隣りの中学出身のヤンキーだったが、いわゆるお調子者の

ヤンキーではなく昭和タイプのリーゼント寡黙ヤンキー。ボクシングもやっていてガチで

ケンカっぱやいやつだった。

 

だけどどこか話しやすく、地元ネタで意気投合してからは、そいつと話すのが楽しくなって

いつの間にか毎日つるむようになっていた。

 

高校生くらいのときはヤンキーは同じヤンキーの女子にモテた。

だからそいつのまわりにも女子が集まってきて話したりしていた。それは同時にオレの

まわりにも女子が集まってワイワイ話しかけてくれたという流れに自然につながった。

類は友を呼ぶ。

同時にちょっと派手な友人もそのつながりでできた。

 

中学3年間では見えなかった光景がそこにあった。

オレはその仲間たちと高校生活を謳歌することになった。

中学時代さんざん冷めた軽蔑のまなざしを向けていたいわゆる「派手なグループ」

の中で騒いでいたやつらの楽しい気持ちがいくらかわかってしまったのだ。

 

だけど、その代償として、今でも思いだすとふとその重さが甦る十字架を背負うことと

なる。

 

入学後、クラスでひとりになりたくないからという自分勝手な願いから、前の席の地味な

クラスメートの子に自分から、「仲良くなろう」と声をかけておきながら、オレは別の派手な

グループの友人ができたら、自然とその子を放り出し、新しい仲間とつるむようになった。

 

当時も罪悪感がまったくなかったわけじゃない。

でも、オレの中で

「こいつら(ヤンキーの友人)たちとつるんでいるほうが、オレ自身もクラス内でイケてるやつに

見えるだろうから」

という考えのほうが勝ってしまった。若気の至りではすまない功罪である。

 

つまり、中学時代にもっとも嫌っていた連中のいた世界のほうの人間になってしまったわけだ。

 

そのオタクの子を放り出して、ヤンキーの友人たちとつるむようになってから数日たったとき、

オタクの子が夢にでてきた。そしてオレにこういった。

 

「○○くんさ、ひどいよね。友達になっていつも一緒に行動しようねっていったくせにさ。

ずっと無視じゃん」

 

言い訳できず、必死にあたふたしているところで眠りから覚めた。あのときの額の汗の感触を

今でも忘れていない。

 

夢の話は別として、昔いじめられっ子だったタレントの矢部美穂もオレとまったく同じ体験が

あったようでおどろいた。

クラスの中でひとりだと思われたくないから、ひそかに見下していた暗い子に声をかけて

しばらくは仲良くしていたが、やがて明るい人気グループの友人ができたとき、その暗い子の

もとをしれっと離れて、人気グループのほうで楽しく過ごしたが、やはりあとになってかなりの

罪悪感と恥に包まれたという。

 

人間はやはり弱い。そしてどこか「見栄」というものが具現化、物体化したものである。

外見は問題じゃないとかいいつつ、やはり心のどこかで、はたからみていくらか恰好つく

友人と一緒にいたいという願望を少なからず持っているものだと、実体験から痛感した。

 

ドラマのほうは観ていないのだけれど、映像がいくらか話題になっていたので湊かなえの

「リバース」(原作)を読んでみた。

 

――

深瀬和久は平凡を絵に描いたようなサラリーマンで、趣味らしいことといえばコーヒーを飲むことだった。

その縁で、越智美穂子という彼女もできてようやく自分の人生にも彩りが添えられる。と思った矢先、

謎の告発文が彼女に送りつけられた。そこにはたった一行、『深瀬和久は人殺しだ』と書かれていた。

深瀬を問い詰める美穂子。深瀬は懊悩する。ついに“あのこと”を話す時がきてしまったのか、と。

(amazonから引用)

 

深瀬和久は大学時代、ゼミの仲間数人と山へ旅行にゆく。

宿泊地である山荘に到着後、ひとりが遅れて出発して駅に到着したため、その場にいた深瀬たちは

既に酒を飲んでいるとわかっている友人のひとりを車で迎えにゆかせる、が、その友人は途中で車

ごと崖から転落して死亡してしまう。

 

物語全体の設定はミステリー&サスペンスなのだが、メインとなる一連の回想で描かれる深瀬

はじめとする‘それほど仲良くない仲間同志’内における人間関係がやけに生々しい。

 

それこそ冒頭で書いたような、‘イケてる友人’と‘イケてない友人’の間だからこそ生じる優しさや

企み。

湊かなえという女性作家は、ほんとにこのような人間関係の感情に生じる「あるある」をリアルに

作品に放り込む才能がある。

 

この「リバース」。

オチに偶然過ぎる感があったのは否めないが、ドキドキ感はあって読みやすく面白かった。

見比べるという意味ではドラマのほうも観てみたくなってきた。

 

 

今回は湊かなえスペシャルということで他に数冊まとめて紹介。

 

『母性』

 

 

母性 (新潮文庫) 母性 (新潮文庫)
360円
Amazon

 

女社会、女家族を描くのも湊かなえの十八番。

 

自分の母にも母はいる。

 

ドラマとかではよく、娘が危険な場面に直面したときに母が体を張って娘を守る。

でも、たとえば祖母、母、娘という女3世代でそういう場面にあって、母だけが

動いて誰かを助けられる場合……

 

すべての母が必ずしも娘を優先して助けるとは限らない。

自分がお腹を痛めて生んだ娘よりも、お腹を痛めて自分を生んでくれた母親の

ほうを愛し、娘を見捨ててでも自分の母を助けたいという母がいてもおかしくない。

 

そういう意味では、優先順位の既成概念ということについて考えさせられる作品だった。

個人的には面白かった。

 

 

『豆の上で眠る』

 

 

 

こちらもどちらかといえば湊節らしいロジックの作品。

つまらかなったわけじゃないが、あまりストーリーはおぼえてない(汗)

 

ただひとつ、月並みかもしれないが、

「大切な人を失うドラマを楽しめるのは、大切な人を失ったことがない人たちだけだ」

というセリフは印象に残っている。

 

 

『高校入試』

 

 

 

うん、湊かなえは好きなんだけど、コレはオレちょっとダメだった。

もちろん好きでハマる人もいるだろうから個人の問題だけど。

 

登場人物の視点がよく変わって描かれるのは湊かなえ作品あるあるなんだけど、これは

ちょっと人物が多すぎた。

 

表紙をめくったとき、登場人物相関図があった時点で、

「ああ、これたくさん出てきて複雑なやつだ」と思った(笑)

 

整理脳を持っている人は大丈夫かもしれない。

 

 

 

『ポイズンドーター・ホーリーマザー』

 

 

 

こちらは比較的最近の作品だと思う。

 

お得意のイヤミス感はそれなりにある短編集。

 

ラスト2作はストーリーがリンクしていたと思ったけど、あとは1話完結の短編なので

肩凝らず楽しんで読めると思う。

 

後半駆け足だったが、湊かなえスペシャルはこんなとこで。

 

 

追伸

芸術の秋ということで、すこしのあいだ映画や小説などカルチャー記事を

いつもより多めで10月はお届けしてゆこうかと考えている。

オレなりの季節の番組編成みたいなモン(笑)

 

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