拝啓 アンミカ様。白が200色あるならば、ネガティブな人にも200種類あるのですよ。
話を聞いているだけで気が沈むどうしようもないネガティブな人もいれば、
芸人ヒロシのように話が面白くて聞いているだけで大笑いできる素敵なネガティブ
な人もいるわけです。
あなたの発言は暗黙でネガティブな人の存在価値を認めているとオレはとっています。
もちろんそれは結果であって、ご本人の意図しているところじゃないでしょうけれど。
あなたはポジティブを肯定している発言をしているつもりで、無意識にネガティブも
肯定しているのです。それにお気づきですか??
ここ最近、自分のなかである言葉が思いついた。
「ポジティブハラスメント」
元気や前向き発言の強制などを表わす言葉だ。
我ながらいい着眼点だと思ったのだが、ポジティブハラスメント(略してポジハラ)
で検索してみたら、既に数年前に考えていた人がいたようで、もうそれなりに話題には
なっていたようだった。
ちょっと悔しかったが、でも同じ感覚の人がいたということを思うと、嬉しかった
という面はある。
しかし、それでも今現在は空前のポジティブ思考ブームである。
啓発する本やテレビ番組を多い。
自称ネガティブのオレとしては実に生きづらい、そして目障りな世の中である。
最初にも書いたとおり、人間は様々である。
ポジティブな人間もいていいのだが、ネガティブな人間もいていいのだ。
両方の人間がいることによって、目に見えない世の中の天秤はバランスがとれている。
ポジティブといわれる人はどうして人にポジティブハラスメントをするのだろうか。
笑顔の強制
前向き発言の強制
元気の強制
明るさの強制
大きな声の強制
すべて迷惑行為に等しい。
哲学者の中島義道も似たようなことを言っていたが、ポジティブな人が周囲にポジティブを
強制するのは、決して世の中やその人のためではない。
自分のまわりに暗かったり後ろ向き発言をする人がいたら‘自分が嫌だから’そういう人を
排除あるいは矯正しようとしているわけである。
実は単なるエゴイストなのだ。
逆を考えれば、ネガティブな人のほうはポジティブな人にネガティブを強制しない。
ネガティブな人はポジティブな人の存在をそれはそれで認めているのだ。
そこが大きな違い。
ポジティブなのは構わない。それは個人の自由だ。
だけど他人に強要せず、自分のなかだけでやっていただきたい。
押し付けるのは迷惑だし、暑苦しい。
一番思うのは押しつけのポジティブより笑えるネガティブのほうが大事。
「苦しいときほど笑え?それが出来たらとっくに笑っている」
というのはヒロシのネガティブ名言。
聞いたとき共感した。そして笑った。
元気もでる。
基本、ネガティブっていうのは奥が深く面白いのだ。
ポジティブな人はそこを理解していない。
いや、厳しいいい方するとポジティブ(積極的)だといいながら、ネガティブの
面白いところを全然積極的に深掘りしようとしていない。
消極的なのである。そっちのほうがたちの悪い何もしないほうのネガティブである。
そう、オレがいいたいのは、どっちがネガティブなのだ!?ということ。
ネガティブといわれる人が悪いパターンばかり考えるのは、想像力が豊かだからだ。
その想像力をいかせば、いろんな方面や分野で役に立つことができる。
ポジティブな人は積極的だといいながら、なぜネガティブな人の才能や素質を見つけて
積極的にネガティブな人の活躍の場を見出そうとしない??
それはネガティブと共存しようとする世界観がなく、ネガティブを排除しようという
ことに必死になっているからだ。
時代は変わってきている。
ポジハラやポジティブ信仰をなくして、もっとネガティブが市民権を獲得するように
しなければならない。
自分がこれまで属していた企業のなかでも、古い人たち、偉い人たち、面接官とかは
みな、元気とか笑顔とか大きな声とかが好きだった。
そしてネガティブ発言が大嫌いだった。
そういう古き悪しき感覚もオレらが教えて変えていかないといけないのだろう。
営業マンを相手する取引先の窓口の担当者もバカじゃない。
マニュアル馬鹿のひとつおぼえで、ずっとニコニコ営業スマイル浮かべている営業マンや
とりあえず声に元気がある営業マンがニセモノだということくらい見抜いているだろう。
なかには営業スマイルが大嫌いな担当者だっているはずだ。
いや、実際の経験からして確実にいた。
前任者が胡散くさいから担当を変えてくれといわれてオレになったことも現実あった。
元気がある営業マンもうっとうしいから嫌だといわれてオレになったこともあった。
そうなのだ。そういうときこそ、営業スマイルや前向き発言ができないネガティブな人間の
出番なのだ。
取引先の担当者も負けず劣らずネガティブな人間のときがある。ネガティブにはネガティブを。
そんなときは価値観があったりして意気投合して、気にいられ、見事契約に結び付くなんて
ことだってありえるのだ。
そう、ポジティブが嫌いな人間にとって、ネガティブは需要があるのだ。
需要があるからこそヒロシも芸能界で再ブレイクしたのもあると思う。
それなのに今でも企業の古い人や偉い人は、明るく元気で声に張りのある営業マンだけが
客に好かれると信じている。
暗くて静かな営業マンが好きな担当者も多くはないにしてもいるのだ。
そういう客にぶつける要員として、ネガティブな営業マンをスタンバイしておこうとどうして
考えられないのだろうか。
ドリフターズは5人全員が志村けんだったら、きっと人気はでていないし、上手く回転も
していない。
ノロマ役の高木ブーや普通っぽい中本工事がいたからこそ、いろんな層のファンを獲得できた
とでもいえば伝わるだろうか。
まとめると、オレがいいたいのは自称ポジティブな人は、もっと積極的にネガティブのネガティブな
部分を最大限に活かそうとせよ!ということ。
今、ポジティブな人がしようとしていることは、この世からネガティブな人や思想を排除しようと
していることにすぎない。
映画「時計じかけのオレンジ」じゃあるまいし、無理に思考を矯正しようとするのは大きな
間違いである。
殺さず排除もせず生かす。これがもっとも大事なのだが同時に難しくもあるので、能天気な
ポジティブにはなかなか出来ないのかもしれない。
辛いとき、苦しいとき、前向き発言を強制されたり。聞かされたりするのはかなりしんどい。
辛いときはネガティブな言葉のほうがずっと元気のきっかけになる。心がラクになる。
14年前に書いた記事。ブログ書きはじめのころだけあり文章がかなり幼稚だが
おすすめの本を紹介しているので時間あれば読んでいただきたい。
ナポレオンやニーチェなどのネガティブ名言を集めた本である。
これは差別でもなんでもなく書かせてもらう。
オレ自身が障害者ということも踏まえて、中間というか平均的な人が存在する以上、
オレはポジティブもネガティブも両方とも一種の「障害」のようなものだと捉えている。
ポジティブは前向きにしか考えられない障害。
ネガティブは後ろ向きにしか考えられない障害。
みなさんは障害者を排除しようと思いますか?
そんなことないですよね。
そうなんです。どっちかがどっちかを排除したり矯正しようとすることなく、互いに共生してゆかないと
いけないのです。
ネガティブは決して悪いことではない。個性だ。
そして、私生活においてもビジネスにおいても必ずどこかに需要がある。
だけど、誰もその需要のありかを見つけようとしない。
なぜか?理由は簡単。
多くの人が動いたり考えたりする以前に、ネガティブはいけないことだという観念に縛られて
いるからだ。
企業の古い人や、ポジティブな人に伝えたい。
「あなたもポジティブというのであれば、ネガティブの面白さにたいして、もっと
ポジティブに追求してみませんか??」
と。