諏訪淳 きみはうつくしい WHAT MUSEUM
諏訪淳 きみはうつくしいWHAT MUSEUM2026年1月25日(日)超写実絵画のアーティスト、諏訪淳の個展です。これまでの作品から最新作「汀にて」まで、諏訪淳をひととおり総覧できるラインナップです。誰でも気軽にスマホで写真を撮れ、SNSで発信もできる時代に、見た目をリアルに描くことの価値は失われていくと思いきや、逆にその存在価値は高まっています。素手で描くというあまりに手間のかかる行為が、かえって唯一無二であることを際立たせたている。そして対象となる人間の本質を描こうとした時、表面しかなぞることのできない絵画という技法の限界が顕になっていく。そういう本質的な限界は早い時期から意識されていて作品のタイトルやモチーフにも現れている。肉体の写実性を高めるために人体の内部の構造、骨や筋肉、血管、内臓まで探っても、これまで辿ってきた人生の軌跡をいくら取材しても、この乖離は埋まらない。やがて実の親の死という状況を迎えた時、アーティストとしての業のなせることか、死にゆくその姿を克明描きとめるという、創作なのか、鎮魂なのか、祈りなのか、観想なのか、独特の雰囲気をもつ作品を形にしていきます。生物が静物に変わっていく。一体何が変わるのか。ヨーロッパの静物画は、色彩や光の加減がどこか空虚さを漂わせます。そこには死を見つめるという意図が伝統的に込められているからです。諏訪淳はもちろん、写実の本場、ヨーロッパの静物画を研究していますが、諏訪淳の作品に宿るの死の匂いは本人の嗜好(というと不謹慎かもしれない)、性分、関心によるところが大きいようです。コロナ禍ののち、描きたいものが無くなったというのもわかる気がします。消えてゆく対象に向き合っているとエネルギーが吸われてしまう。その後、取り組んだ作品が今回展示している「汀にて」です。汀にてこれは、絵画、彫刻、デッサンによるインスタレーション。彫刻を中心に、そのデッサンが円形に配置されていて、展示室の正面に大きな絵画が展示してある。モチーフは共通、「朽ち果てた(再生する??)人体。」人体の骨格標本に石膏と外壁用充填材で肉付けして作られています。何となく「九相図」や「一休骸骨」を思い出します。解説を読むと「九相図」にインスパイアされているらしい。しかし私が感じたのは、諏訪淳は生命、人間を創り出そうとしているということでした。神にしか許されていない所業を芸術というやり方で達成しようとしている。その試行錯誤の様子をスケッチしたのがこの作品。作品ではないかもしれない。結局不完全な人間しか作れず、呆然と立ち尽くす。その行為は禅僧が九相図に向かい禅を組むことと同じでしょう。これは一種の公案のような作品と思います。この世の「ことわり」を変えることはできない。それが真理。真理を受け入れて超えることが、禅の修行の目的であるように、この作品と対峙し超える時、新しいステージか始まるのだと思います。鑑賞する立場の我々からすれば、生命力に満ちたリアルな人間像を描くことを期待してしまう。でも近道などせずに一歩一歩どん底から上がってくるアーティストの描くリアルはそんな安易なものではないだろう。諏訪淳にしか到達し得ないリアルを今後の作品に期待します。過去の展覧会のブログもありますので、こちらもどうぞ。『超写実絵画「諏訪敦 眼窩裏の火事」 府中市美術館』諏訪敦 眼窩裏の火事府中市美術館2022年12月17日(土)諏訪敦は、日本の超写実絵画の旗手と言って良い存在です。しかし、まだ世間の知名度、評価が足りないと…ameblo.jp↓ランキング参加中!押していただけると嬉しいです。