特別展「運慶 祈りの空間ー興福寺北円堂」 

東京国立博物館 本館特別5室

2025年10月11日(土)



奈良の興福寺にある北円堂は721年に藤原不比等の一周忌に建立されましたが、その後、被災。1210年頃に再建されました。


再建の際に運慶の一門が仏像9軀を制作。今回の展覧会では、北円堂の再建時の仏像7軀が数百年ぶりに一堂に会しました。


中央に弥勒如来立像、後ろに無著菩薩立像、世親菩薩立像が控えます。この3軀は運慶の作と確認されています。これを囲むように配置された四天王立像4軀は興福寺の中金堂に安置されていているものです。残りの侍菩薩像2軀は行方不明です。



1  弥勒如来坐像

肉体的な描写に優れる運慶の仏像の中にあると、丸みを帯びた身体つきと、様式的な衣のひだの形などが、この世のものでない如来の姿を際立たせています。目は玉眼を用いず彫刻で処理しています。如来の目に生々しい人間の目はどうしても合わなかったようで、この新たな試みは運慶の彫刻の最終到達点とも言われます。

今回背中を修復したそうで、本来あるはずの光背をつけずに展示しています。背中もキレイに作られており、見えない部分も手を抜かず、完璧な存在である仏の姿をカタチにしています。



2  無著菩薩立像

無著(むじゃく)は実在したインドの学僧で法相宗の元となる理論をまとめた人です。この教えを玄奘が中国に持ち帰って法相宗が生まれ日本に伝わりました。この仏像の顔つきは日本人に見えるし、衣服もインドのものには見えないので、そういう意味ではリアルではありませんが、人体彫刻としてのそれは本当に素晴らしく存在感に圧倒されます。

 老いた目は虚で、この世ではなく別の世界が見えているような光を放っています。立体的に彫られた衣服のドレープは西洋の彫刻と比べても遜色ありません。



3  世親菩薩立像

世親(せしん)は無著の弟で兄の思想を文献にまとめ広めたと伝えられています。無著の像が老年期なのに対し、世親の像は壮年期。同じような立ち姿でも血がみなぎり力強さを感じます。輝きを放つ玉眼も何らかの感情が垣間見えます。こちらも厚い衣服に肉体は覆われていますが、盛り上がった背中、力強い指先に、血の通ったリアルな人間としての彫刻という運慶の意思が見てとれます。



5  四天王立像(増長天)

右手で剣の柄を持ち、下げた切先を左手で持っています。鎧は肩、胸には人面鬼面がほどこされています。足元は邪鬼を踏みつけているのではなく、岩場を模した木の上に立っています。



6  四天王立像(広目天)

運慶一門は焼失した仏像を参考にしながらも独自の工夫をくわえて制作しています。この像は目玉が飛び出ているのですが、元の像が玉眼だったところを違う方法で表現しています。また広目天は巻物と筆を持つことが多いのですが、この像は右手に戟をもって激しい眼差しで見下ろしています。



7  四天王立像(多聞天)

左手で天に掲げた宝塔を見上げています。他の立像と比べダイナミックなポーズです。4軀の中ではもっと動きのある彫刻です。



4  四天王立像(持国天)

スラリとした立ち姿で力強さより、品を感じます。戟を左手に持ち、遠くを見つめています。



子どもの頃はリアルな彫刻な西洋に敵わないと思っていました。しかし鎌倉時代の運慶の彫刻を見て考えが変わりました。決して見劣りしないし、西洋の彫刻とは違うリアルな人間像を実現しています。




余談ですが無著、世親の像は以前、国立博物館平成館で見た記憶がありました。その時も強い印象を受けたのでよく覚えています。しかしこのブログを探しても出てこないので調べ直すと、2017年の運慶展でした。このブログを始める前のことです。時が経つのは早いと思う一方で、あの時受けた感覚は今でも色褪せていないと、作品の凄さを再認識しました。



 

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