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TITLE:
ここまでのあらすじ。
 
Written by BlueCat

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【再発した蕁麻疹】
0926:未明、唐突に蕁麻疹が再発。

 煮物も食べられるようになってきたし、そろそろ食肉でもしようかな、と思っていた日のことだった。
 ウェイトトレーニングを少しずつ始め、徐々に増やしてゆけると思っていた、のだが。

1003:1週間の記憶がほとんどない。
 突き刺すような強い痒みと発熱は、風邪でもないのに「感冒」と呼んでいいほどの感覚異常をもたらした。

 食事ができなくなることは分かっていたので、麹と白米(三五八の漬け床を作るために常備している)を使って麹床を大量(4Lの寸胴と3Lの圧力鍋)に作り、(およそ24時間後)出来上がったそれをタッパーに分けて冷凍した。

 薬物耐性が付いてしまったのか、今回は飲み薬も塗り薬もほとんど効果を発揮しなかった。
 布団や肌と肌が重なる部分は熱を持ち、激しい痒みと水疱を生じる。
 眠ろうにも30分と置かずに痒みや熱さが発生するので、眠ることもままならない。しかし起きていてもまた痒い。
 自分の体温で火傷のような熱さを感じる上、そこに水疱ができて痒くなる。
 そんな状態が5日ほども続いただろうか。
 大腿筋、尾てい骨、鎖骨周り、手の甲、足の甲 ── 。
 末端の、あるいは皮膚の薄い、もしくは脂肪の少ない部分にそれは頻出した。

 入浴はもちろんできないし、(寒いけれど)体温に近い温度のシャワーを浴びた。
 それでも剥き出しになった皮膚が過剰反応するので、シャワーの回数を2日に一度くらいにして対応した。

 涼しい日もあったはずなのだけれど、エアコンで部屋を冷やした上、水を入れて凍らせたペットボトルで患部を冷やした。
 眠るときもそうやって、冷やしながら眠った。
 寒いと感じているのに、身体を冷やさないわけにはいかなかった。

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 微熱は今も続いているし、少し動くと体温がすぐに37℃を超えてしまう。
 まるでクーラント不足の自動車のようだ。

 体調が安定した日、常用薬を貰いに病院に出掛けたついで医者に相談したが、「免疫反応があるだけ健康な証拠でしょう」などと言って要領を得ない。
 もちろん不満はない。
 ヒトの身体というのは数式ではない。

 一般的とされる特性に当てはまる人もいるだろうけれど、僕のように、体質がちょっと異常なイキモノもいる。
 それでも医者というのは人間の組成を数値化し、その数値の変動をして「健康体」だのなんだのと点数を付ける。
 まぁそれが仕事なのだろうから仕方ないのだが、理解できないものを「分からない」と断じ、知らないものを「手に負えない」と正直に言える医者を探すのはなかなか大変なことだ。
 だいたいは一般論だけで判断し「こういうものだ」と断ずる医者が多い。だから僕はそういう押しつけをしない現在の主治医を気に入っている。

 なんでも見るタイプの開業医などは、ともすれば専門外のことを尋ねられ、それに一般論で答えて済ませるケースが多いように思う。
 専門医であっても年々刷新される情報を追い続けるのがむつかしい状況にもかかわらず、である。
 町医者が悪いとは言わないし、総合病院ならいいのかといえばそうでもないだろうけれど、要は知ったかぶりをしていることに気付かない人間というのは一定数いて、いかなるビジネスであれプライベートであれ、ろくな奴ではない。

 若い頃から、体調が悪いと聞くと「医者に行け」とうるさい連中は居たものだが、そういった人間達は往々にして「一般的」な特性を持っているからそんなことを言えるのである。
 もちろん一般的であることを悪いとは思っていないし、ちょっと変わった体質だからといって、それが格別なこととも思っていない。少々不便なだけで、自慢になるどころか引け目を感じる場面が多い。

 それでも僕が医者をあまり信用しないのは、彼らが僕の身体についてのプロフェッショナルではないという、単純にそれだけの理由による。

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 意識を失っている間に、世俗はまた変貌を遂げている。

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【お金の話】
 世俗の人からは驚かれるのだが、僕のようなイキモノは体調を崩して寝たきりになり、ゲームばかりして過ごしているくらいの方がお金が貯まるという現実をこの3ヶ月ほどの生活で突きつけられた。
 建材も買わず、農業資材も買わず、工具も買わず、ゲームソフトを買うくらいで、食費は最低限。
 堆肥にする生ゴミはおろか燃えるゴミすら出ないので驚いた。
 家から出ないし外食もしない(自炊に使う食材もほとんどない)から、お金を使う必要がない。結果、お金が貯まってしまったのだ。

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 世俗やメディアに、あたかも「お金のリテラシィ」などと嘯いて、テキトーなことを言っている人間は少なからずいる。
 たとえば「最低賃金」という概念がある。
 雇用する者が雇用という行為を行う際、雇用される者の単位時間あたりの最低金額を法定したもので、多くの人が僕よりよほど理解しているものと想像する。

 そうした「雇用される者の権利」を否定するつもりはないが、しかし同時に経済を人権から切り離して、単純に数値として考えた場合、こんなものは絵に描いた餅だといえる。
 僕はもともと自営業向きの思考回路を持っているからなのかもしれないが、経済的な実効力を発揮して、実際の売上げを作る(お金のやり取りをする)まで、その人間にもその行為にも、いかなる経済的な価値もないと思っている。
(なので僕は誰かの手伝いなどで仕事に入るとき「最低時給300円+お気持ちの歩合」を提案するが、それでも高いと思っている)

 雇用される者はその寿命の一部を切り売りしているのだから「実際の売上げとは関係なく」その費用が支払われるべきだ、という理想論や権利問題はあってしかるべきだと思う。
 しかし一方で、その「実際の売上げには関係なく」という部分が、最終的には共産主義的な発想や行動を増長する。
 会社員であろうとバイトであろうと、あるいは公務員であろうと政治家であろうと関係はない。
「実際の売上げに関係なく」仕事っぽいことをしているフリをして、問題を起こさなければ、それでお金が手に入ると思っている人間が少なからずいる、ということだ。

 繰り返すが、雇用される者は(特に雇用する組織が大きいほど相対的に)立場が弱いので、権利を守る必要があり、そのために法定する必要があるという考え方はあってしかるべきで、必要だとさえ思う。
 しかし同時にそれは理想論であり、絵に描いた餅だ、そこを履き違えている人間がいて、そういう人間はともすれば資本主義の下で共産主義に染まっている、と僕は言っている。それだけのことである。

 結果、経済はその意味合いを曖昧にしてしまっているように観察される。

>>>

【リテラシィという嘘】
 かつて「財テク」などと呼ばれていたが、投資を始めとする金融商品を買って利益を生み出すという経済概念は、市場原理のひとつ ── 銀行の預金商品も、その名の通り(普通預金でさえ)本来は商品 ── である。
 一方で、そうしたある種の「楽な利益構築」は市場だけでなく世間一般から「労働に対する熱意」を少しずつ削いできたのではないか。

 資本家と労働者という対比を見ようにも、かつてのようにそれらは明確に二分されるものではない。
 絶対的な資本家、絶対的な労働者がいる一方で、ある程度以上の金融資産を有しつつ、労働者でもあるというハイブリッド投資家/労働者が増えた。
 それ自体は経済という全体像を知る(リテラシィを獲得する)上では有意である。
 実際に政府もこれを後押ししているが、資本主義経済においては資本家と労働者の立場の対立が、市場の最適な成長を生み出すシステムだったのではないかと思う。
 世俗が知ったような顔をして、資本家寄りの思想を「経済リテラシィ」として流布するにつれ、労働者寄りの思想が衰退するのは必然である。
 労働者寄りの思想とは端的に言えば「誰か ── それは世間や社会であり、会社であり、家族であり、自身である ── のために働いて対価を得ることに価値がある」という考え方だ。
 資本家寄りの思想を分かりやすく言えば「高い利益を得るために、手段を選ばない」ことに尽きる。
 そのうちには当然、原価を下げることも含まれる。
 時間も人間も材料も税金も、何もかもを安くしてゆけば、それで利幅が大きくなる。
 利益を最大化することが至上という考え方は、誰かを幸せにしようとか、それをどこに還元するとか、そういう綺麗ごとを含まない。

 この国家がギスギスして衰退しつつあるのは、経済至上主義が行き過ぎて、政府に属している連中どころか国民全体が資本家思考に染まってきたことが原因だろう。
 政府も経団連に名を連ねるような大企業の経営陣も「お金でお金を増やす」ということの不自然さには思い至らないらしい。

 資本家思想に凝り固まると、労働力も道具も資源も安い方がよい、ということになる。
 僕は何年も前から「100円ショップに群がるような生き方をする労働者は自身の首を絞める」と言ってきていたが、結局のところ周囲の人にもそれは響かなかったのだろうと想像する。

 FIREなどと銘打って、早期リタイアが持てはやされた時期もあった(まだこの数年のことだ)が、結局のところ人間というのは社会や他者との関わりを持たないと精神衛生や安定を保ちにくいものらしい。
 僕からすれば、単に自分の中に物差しがないのだろうと思えるが、だからといって社会性を持つことが悪いことだとは思っていない(僕には不向きだというだけだ)。

 僕自身は自立心のカタマリというか、自己責任論の権化というか、とにかく馴れ合いとヒエラルキィを作りたがる下らない連れション文化が嫌いなため、結果的に社会性を放棄してしまった。
 社会性のすべてが連れション文化だと嗤う気はないが、その粘着性や結合力が無駄に使われればおかしなことになるのは、プラモデルで接着剤がはみ出たときのことを考えれば容易に理解できるだろう。え、最近のプラモは接着剤不要なの?

 粘着したがるわりに、自分のこと(あるいは自分の利益になること)しか考えない人間が少なからずいる。
 そういう人間や集団が権力や資本を握るとどういうことになるか、というのは観察のしがいがある。

>>>

 施政者が経済効果を謳ってデタラメを繰り返して久しいが、彼らが表向き掲げているのは、こうした「資本家寄りの本音をポリコレで飾り付けた理想論」であり、つまるところ中身がない。
 おそらく立法府にそれだけの実効力の発揮を求めることが、そもそもおかしいのである。
 しかしこの国は立法府と行政府が融合しており、いつからか司法府も、警察機構も抱き込まれているように観察される。
(そういえば「自由」でも「民主」でもない政党がそれを名乗っている様は、朝鮮「民主主義」「人民」「共和国」に通じるデタラメさがあって微笑ましい)

 なぜといって、立法府が立法府に都合の良いことを法定することが可能なままに任せ、同時に経済との繋がりも強くなってしまった。
 国家予算を握っているから当たり前だろうという考え方は、行政府に対しては必然だと思えるが、立法府が経済や経済を多く持つ者とより強く繋がるということ自体が、相当にイカれていると思わない方がどうかしていると僕は思っている。

 権力と経済がしっかり腐敗臭を漂わせているのに、どうも人々は我々ケモノと違って鼻の利きが悪いらしく、あるいは自身の泣き言を遠吠えすることに必死で、何をどうしようともしていない。

 我々が選挙に出掛けたところで、直接、法律を変えることができるわけではない。
 これがもっとももどかしいところだ。
 内閣総理大臣やら与党やらが矢面に立たされてはいるが、所詮は一介の個人が、大規模な組成までを含んだ政治的ビジョンを仮に持ち得たとしても、一朝一夕にときの声を上げてその実現を可能にできるとは思えない。

 民主政治という学芸会の寸劇を、僕らは眺めてそこに民主政治があると幻想しているだけではないかと、僕はずっと疑っている。
 宝くじ協会の会長にも(僕は)なれないし、日本赤十字社の役員にも(僕は)なれないから余計にそう思う。


 ならせろ!
 






 

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TITLE:
「世界観」という誤用の一人歩き。
Written by BlueCat

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//[Body]
※世界観という言葉の使い方について、一般の用法を否定しているような記述をしており、そうした用法をしている人を不快にする可能性について配慮し、一時非公開にしてありました。
ブックマークもしくは検索によって訪問される方がいるようなので、原文のまま、再度公開します。
 
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 他にあまり用例を見ないので個別にあげつらうような形になってしまうが「世界観」という日本語の使われ方に少々違和感を覚える(違和観ではないがそう書いても問題はなさそうだ)。
 用例としては「世界観が素晴らしい」「世界観がリアル」「世界観の作り込みが緻密」などである。
 これらはすべて「世界設定」という単語で置き換えることが可能で、意味もそのまま「世界設定」のことを指しているように観察される。

 僕が触れるのはゲームというインタフェイスを通してのことが多いが、他にも映画やアニメなどのフィクション作品 ── とくにSFやファンタジィなどにおいて、現行の現実社会からの乖離が大きい世界設定になるほど当然に、その緻密さや整合性に意識が向けられるのは不思議ではない。

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 そもそも「○○観」という日本語がどのような意味を持つかというと、たとえば「価値観」や「宗教観」「概観」といったように、主観を持つ存在(まぁだいたい「自分」と呼ばれるものたち)が何らかの対象を観察して感じたこと、あるいは観察することそのものを指す。
「世界観」という単語を辞書で引いてみても「世界に対する見方・見解」といった説明がされているだけで、フィクションの世界設定に該当する、あるいはそのように解釈が可能な記述はない。

「○○観」という単語は『「○○」に対する主観的(あるいは社会的)感覚』のことなのだ。
 よって「世界観」という単語が示すのは、(仮にフィクションであっても)世界に対する「主観的な」感覚や見解であり、それは統一的なものではなく個々人にそれぞれのものだと思う。
 ゆえに「リアルである」とか「緻密である」という表現がおかしくなってしまう。

 たとえば誰かの経済観や宗教観といった価値観に対して「リアルだ」とか「緻密だ」とか「作り込まれている」といった表現をするだろうか。
 価値観というのは現実にその人の主観として存在するものなのだから、そもそもリアルなものであり、同時に実態を持たないという点でヴァーチャルである。
 また主観的な見方や見解なのだから、緻密さというスケール感を客観的に当てはめることはできないように思えるし、価値観なんて(僕のように少々変わった趣味の持ち主でもない限り)作り込むようなものではない。

「作り込まれた価値観」なんてものが存在するなら、それは建前というものに感じられるし「では本心はどうなの?」ということになってしまう。
(ちなみに僕はたくさんの「建前」を持っているので、どれも本心といえば本心だし、嘘といえば嘘ではある)

>>>


 にもかかわらずこのような誤用が蔓延してしまったのは、おそらくクリエイタ側が「世界観」という単語を使っていた(使った)経緯があるのだろう。
 たとえばフィクション作品においてクリエイタが「これこれこういった世界観を持っている」「このような世界観の構築(作り込み)を図った」「世界観の投影を行う」という単語をインタビュなどで使ったのではないだろうか。
 この時点では単語の用法に誤りはない。

 クリエイタは自身の作る作品の世界設定を、まさにそのフィクション世界を「見て感じた」とおりに設定してゆくからだ。
 もちろん上記の用例で「世界設定を持っている」「世界設定の構築を図った」「世界設定に投影を行う」と表現してもおそらく違和感はないだろう。
 しかしクリエイタ本人にとってみれば、その設定は自身の内にあるヴァーチャルとして、確かに観て感じていることそのものである。
 ためにそれは「世界設定」であり、同時にその作品世界に対する作者なりの「世界観」でもある。

 あるいは批評家気取りが得々と「作者の世界観は……」などと語ったのかもしれないが、第三者が好き勝手に他人の価値観を語ることは白々しい。
 仮に本業の評論家だったとしても ── 僕はフィクション作品の批評家/評論家という職業を寄生虫程度には嫌っている ── その客観性を欠いたことにも気付かない認識は、評論と呼ぶには少々歪んでいるようにも思える。

>>>

 果たしてその作品を傍観する我々が見ているのは、その作品を作る際にクリエイタの中に存在した「世界観」かといえばそんなことはないだろう。
 作品を見る者が知るのは、作品を見て感じられる世界設定の片鱗に過ぎない。
 別に作者が崇高で作品を見る者は凡俗であるとか、そういうことが言いたいのではない。
 主観を指す言葉を、客体として使うことの気持ち悪さなのだ。

 先に述べたとおり、世界観というのは、あくまで主観的なものである。
 べったりそれと分かる作者の世界観にまみれた作品など、素人臭くて嫌われるような気がする。

 にもかかわらず新しい映画が、アニメが、漫画が、ゲームがリリースされると決まって誰かが「美しい世界観」「素晴らしい世界観」と褒めそやし、あるいは「世界観がイマイチ」などとあげつらう。
 べつにそうした感想(作品観)を持つのは構わないのだが、やはりそれは「世界設定」ではないだろうか。

 
 個人だけでなく、マスメディアでも当たり前に誤用している。
 もはや辞書の内容を書き換えた方が早いような気までする。そうなれば僕も諦めがつく。

 まぁとにかくそんなわけで、違和感というか、違和観というか、そういうのをですね。感じるわけです、はい。
 あるいはもしかしたら「分かって使っているんだよ」という人もいるのかもしれませんけれど。
 でも言葉は正しく使っていただきたいな、なんて思うわけです。はい。
 まぁ僕も適当に、ふんわりした感じで、ろくに辞書も引かずに知ったような顔で日本語を使ってしまうので気を付けなくてはいけないと常々感じているわけですが。
 

 
 
 
 
 
 
 

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230914

 昨日から連日で草刈りをしている。
 8時頃に開始して、電源からコードリールと延長コードで足りる範囲を一日の作業領域としている。
 およそ3〜4エリアに分割されることになり、1エリアにつき2〜3時間で作業が終わるから、詰めれば一日で終えられる作業だろうとは思う。

 もっとも作業中に奥様(仮想)が体調に応じて休憩や中止の指示を出すことがあるのでそれには従うようにしている。
 僕の身体に起因した仮想人格だが、僕は作業中、目先の作業対象や使う道具に集中していることが多く、ために体調を崩す傾向にあるのだ。奥様(仮想)はこうした局面で僕の生命維持に役立っている。

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 作業が終わってシャワーを浴びてから体温を測るのだが、昨日ともに37.7℃になっている。
 シャワーは30分ほど掛かるので、それだけの時間があるのに体温調整できないということになる。

 昨日はBP(高校の友人)が遊びに来たので、夜になってから食事に出掛けた。
 数日に一度なら、固形物を食しても問題ないようになってきた。

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 正直なところ、そろそろIRLに戻りたい。
 7月からかれこれ2ヶ月、外出を最低限にしている。
 屋外作業もできなかったため、作物は野生化してしまったし、いわゆる雑草たちも伸び放題になってしまった。
 堆肥はあらかた出来上がった上に積んでいたからよかったが、ムラができているし、底の方までこなれているか不明である。
 屋外用に作りたかったもの(移設型堆肥枠)や網戸などの修繕、サンシェードの固定具の改修、納屋の壁のリフォームなど、屋外でしたいことはすべてできないまま終わった。
 初夏の頃「48歳の夏は一度きりだよ!」と奥様(仮想)がおっしゃっていたのだが、熱中症はすべてを奪うのだ。

 ちなみに数年前の原因不明の体調不良が熱中症の後遺症だったと仮定すると、回復までおよそ1年、もとどおりになるには2年掛かることになる。

 その数年前の時は、4ヶ月ほど、ずっとSKYRIMをプレイしては眠っていた。
 気付かないまま普段どおりの生活をしようとしていたから、内臓のダメージが相当蓄積したように思う。

 今回は、熱中症の翌日から蕁麻疹が出たおかげで、後遺症として観察を続けられた。
 意外なのは、内臓の不調が表出するまでひと月くらい掛かるということだ。

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 もともとヴァーチャル寄りに作られてはいるが、肉体がある以上、僕もIRLに棲む生命体には変わりない。
 惑星ルビコンの資源を巡る勢力争いに巻き込まれたりも(AC6で)していたが、ずっとヴァーチャルに居続けるのもなかなか苦痛を伴う。
 だからといって眠り続けるのもなかなか苦痛である。

 

 IRLでは屋内のリフォームもまだ躊躇する程度しか回復していない。
 それでも2時間程度の作業なら、リハビリ程度にちょうどよいと感じている。
(今日は3時間掛かったのだが、かなり身体が眠い状態が続いている)

230910

 数日前から、体温が37を超えたままだ。
 体調がずいぶん良くなった気がして、玄米粥を食べたのが良くなかったか、お腹を下してしまい、それからひどい倦怠感が続いている。
 数時間起きて、暴力的な眠りに打ち倒されて数時間眠る、というのを繰り返している。

 豆腐や味噌汁を一日一度食しているだけで何日過ぎただろう。
 不思議なのは、もはや空腹を感じないことに対して危機感を持たなくなったこと。

 よくよく考えれば、子供の頃は本当に小食だった。
 どうにもならない空腹を感じることもあったが、そういうときは砂糖水(ジュース類の比喩ではなく、直喩として上白糖を溶かした水道水)を飲んで凌ぐ術を身に付けた。

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 油脂類や穀物類を、どういうわけかこの身体は好まないらしい。
(野菜類と大豆製品はとにかく好む、というのはお腹を下さないことからも分かる)

 体調の悪さが表出する箇所が、表皮から始まり、胃→小腸→大腸(現在)といった体感がある。
 なぜこんなにゆるりと具合の悪い場所が推移していくのかは不明。

 そういえば数年前も、同じような謎の不調不良で、食事もままならず眠っていた時期があったことを思い出す。
 あの夏も、たしかバイト先で熱中症に罹ったような。

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 医者に掛かればいいのかもしれないが、僕のような特異体質に対する知見を深く持つ者は少ない。
 多くの人間に当てはまることを勧められて従ったり、多数派と同じ処置をした結果、悪化するケースがなかったわけではないからだ。
(ために、そういう変な体質に対して理解のない医者に僕は掛からない)

 それとも点滴を数十分も入れてもらえば、簡単に回復できるのだろうか。


 早朝、草刈りをしようかと悩むが、無理をしない方がよいと判断してゲームをして過ごす。
 いつになったら庭の管理に手を出せるやら。

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TITLE:
自身という呪い。
SUBTITLE:
~ Mind cage. ~
Written by BlueCat

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//[Body]

 人間というのは、自分という名の檻に閉じ込められた獣なのだろうと思うことがある。
 時にその事実
は哀れで滑稽で、そして無力で虚しい。
 なべて等しくみな人間かと、哀れむこともあるのだが、そういう動物なのだろうから仕方ない。

 おおよそ広く観察する範囲において、この「自分」という呪いに掛かっていない人は極めて少ない。
 身体だって十分に自分を限定し制限する檻であり、その未熟な檻が成熟するまでには他者の力を借りなくてはならず、その他者は必ず「自分」を束縛する檻になる。あるいは柵(しがらみ)と言い換えてもいい。

>>>

 それではその柵が広く緩かったらどうなるかといえば、それはそれである種の檻には違いないのだ。
 卑近な例だが僕は子供の頃、親(父親)は放任主義で、子供(特に僕)に関して無関心なのだと思っていた。
 もちろん経営していた会社が倒産し、負債と病気と子供を抱えた状態で配偶者と別れるというのが一度に重なったわけだから、その苦労は僕の想像を超える。
 しかし当の「子供」たる僕にしてみれば、そんな苦労はそれこそ想像もつかないものだったし、4歳の時点で(当時2歳の妹があまりに我が儘だったため)「僕はわがままを言わないようにしよう」と心に決めた経緯があったので、必然に手の掛かる妹が父親の愛情を独占しようといつも奮闘していた。

 妬ましいということはなく、微笑ましい気持ちでいつも眺めていた。
(ときに、その過ぎる我が儘をいさめる必要はあったが)

 僕は学業の成績こそ学年で目を引くほど優秀だったが、とにかく非常識な人間だったろうと思う。
 学校で猫を飼ったり、宿題というものをまったくしてこなかったり、それから女物の服(姉のお下がりである)を平気で着ていたのでいじめられることもあった。
 おそらく学校の先生も、何らか、親に連絡はしたのではないかと思う。

 それで僕は親から何か、学校での生活について言われたことがあるかというと、まったくない。
 成績について「これは!」と褒められたこともないし、宿題をしなさいと言われたことも、しないことを咎められたことも、猫を抱えて登校していることを注意されたこともない。
 もちろん僕が学校生活について何も言わなかったことも事実だ。
 クラスで1人だけテストで100点だった、なんてわざわざ報告していたらきりがないし、宿題をいつも忘れているということを自宅にいると忘れている。同様に自宅に居る猫はすでに学校に居ないので、思い至ることがない。

 かの4歳の決意以来「僕のことを見て欲しい」という気持ちが希薄だったのだろう。
「求めよ、さらば与えられん」という言葉が事実なら、逆接的に求めないから与えられなかった。
 もちろん欲しかったわけでもない。

 ではその放任主義の緩さの中で、僕は自分の自由(深夜にTVを観たりラジオを聴いたり)を満喫していたわけだが、果たして大人になったとき「自分は父親から愛されていたのか」と自問すれば「妹ほどではないな」と即答できるほどだった。
 手の掛からない子を演じることを決定したのだから当然なのだが、それが好いとか嫌いということではなく、単純に「さして愛されていなかったのだろう」(自分も大して愛着を持っているわけではないし)と思い至る結果を生んだのだ。

 実のところこれは親のせいばかりでもない。なぜといって、僕の場合は自分で手の掛からない子供としての自身を構築することを決定したわけだから。
 愛されたかったら「妹より僕を!」と妹を退ける勢いで自己顕示していた方が良かっただろう。
 単純にそんな欲がなかったわけだが。
(それにある時期から僕は父親を蔑み、いつか殺す必要があると考えるようになっていたし)

 そして近年、改めて振り返ると、僕はたいそう父親からも愛されていた。
 ただお互いに、それを上手に表現し、やり取りすることができなかっただけだ。

 つまり放任主義によって柵を広くて緩くし、檻に閉じ込めないようにしたところで、それも何らかの柵として作用するのだ。
 あるいは環境がどれほど努力したところで、自分が望まないものは手に入らないものだし、望んだとしても本人が適切な努力をしなければやはり手に入らない。

>>>

 僕のように希薄な自我の上に複数の人格を載せていると「自分」の呪いはますます薄くなる。
 世の中のだいたいのことは「Aとも言えるしBとも言える。notAともnotBとも言える」ことの連続だ。

 子供の頃などは「果たして自分はここで何を選択すればいいのか」と分からなくなることもしばしばあった。
 環境が求めていることと自分の許容範囲との妥協点を探り、それを終着点として自身の言動を制御しようというおかしなアルゴリズム(思考様式)が僕にはあるのだ。

 それでも好き嫌いはあるし、許せないこともある。
 ただその感情によって切り出される視界は、なかなか自分を制限してしまうのも事実だ。
 そして多くの人はその自我を「好き嫌い」によって切り取って自らを制限してゆく。
「自分はこういうものだ」「自分はこう考えるものだ」「自分はこのように反応するはずだ」と意識せず無選択的に選択している様は、スピーディではあるが自由には見えない。

>>>

 未だに他人の愚痴を聞くことがあるので楽しく拝聴するのだが、その強く固執した「好き嫌い」こそがその人を苦しめていることを、どのように理解してもらえばいいのかと苦悩することもある。
 しかしそれぞれに肉体があり、その肉体に起因した過去もある(肉体がなければ、きっともっと自由に他人になれるだろう)。
 過去があるから人間関係が固着し、流動的でないために摩擦が起きる。

 下世話な表現をすれば、仕事をしなければ収入が得られないことが多いし、1人で生きるには不器用な者が多い。
 感情で結びついた好ましい(あるいは好ましかった)誰かと共に生きる(生きるためにその必要がある)者もいる。
 誰でも炊事洗濯ができて、高い場所にも手が届き、重いものを運べて、家のリフォームや庭木の剪定もできて、電気工事もなんとなくやってみたらできた、というようにはならないし、自分の孤独を自分で埋めるようなイキモノは、基本的に変人扱いされる。
(そのように俯瞰して考えると、僕は極めて特殊な個体のようだ。まぁ猫だから必然か)

 配偶者であれ親であれ子であれ友人であれ同僚であれ恋人であれ、誰かの手を頼って人間関係が生まれ、あるいはその人間関係があるから誰かに頼ることができ、あるいは誰かに頼られることがある。
 そしてそれは漏れなく何らかの摩擦を生み、自身という檻を強固にする。

 気に入った檻ならそれはよいことだ。
 幸せは檻にある。実に人間は家に棲むではないか。

 荒野に放り出され、雨風に打たれ、無能な個体は獲物を取れないどころかむしろ獲物にされるような生き方は自由だが過酷だ。
 それに比べれば、檻で暮らすのも「まし」だと思う。
 しかし檻が気に入らないとなれば、それを望むなら、相応の適切な努力 ── 努力という言葉が僕は嫌いなので正確にいえば、計画と実行/演算と出力 ── によって未来を変えるしかない。

 そして変えた未来も、結局は檻なのだ。
 自分が自分であり、自分という欲を捨てられない以上、人はなべて等しく、自分という檻から出られない。

>>>

 きっとそれはある種の呪いだろう。

 人は与えられた環境という呪いを操作できないことによって無力感を植え付けられ、その無力感のまま自分の環境を選択しては、その環境に不満を抱く。

 あるいはどこかで環境を操作することを学ぶことは可能だ。
 環境が操作できるとなれば、自身は無力などではないと知ることができる。
 もちろんその「環境」に他人が含まれていると、これはこれでその人に対する柵を作ってしまうことになり、呪いを作ることになるわけだから、たいそう恐ろしいことなのだけれど ── 。







 

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TITLE:
AC6。webニュースのこと。政治のこと。僕の身体。
 
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]

230826

 予定のある日とその前日以外、起床と就寝と食事は身体任せである。
(前日は「時差ボケ」解消の調整日として使われる)

 アラームに対する条件反射によってベッドから身体を無理矢理引き剥がすような起床をしなくなって久しい。
 目覚めるときには、すでに頭が何かを考えていることが多い。稀に夢を見ていることもある。
 多くはそのとき集中的に考えていることが継続審議されている。

 ゲームだったらその攻略や操作の反復。音楽が流れていることもあるし、読んでいる本の内容について考えていることもある。
 ものを作っているときはその設計や作業工程、仕上げの方法や道具について考えていたりする。
「あ、あの材料が足りない」などという情報は、ホワイトボードに書いて忘れるようにしているが、寝ている間に他の必要なものを思い付くケースもある。

 そうして考えながら「あ」と、身体が目覚めることを知るのだ。
 夢の場合はヴァーチャルから現実に認識を移動するのに時間が掛かるが、IRLのことを考えていた場合、ほんとうに「すっ」と目覚める。

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 目覚めてまず、身体を動かさずじっとしていることが多い。
 たいていは目を閉じたまま、身体の状態を確認する。
 まず思い出すことは、この身体が人間のそれであること。

 こうして文字を書いているから考えもしない人が多いが、僕は猫である。

 痺れや痛み、暑さや寒さ、汗による不快感などを確認する。
 それらがなければ、足と手の先を感覚する。
 夢を見ていた場合、身体の末端に到達するまで、少し時間が掛かる。
 指先を動かす。手首足首を、少し動かす。
 そうやって末端から徐々に身体を動かして、腕や脚の皮膚、関節を撫で、皮膚の状態やその感覚を確認する。

 身体の感覚をある程度確認したら、意識をはっきりとIRLに移動させる。
「今日も生きている」とこのときに思う。
 余命計算が為され、残りの人生の最初の一日であることを思う。

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 目覚めのとき、手足に軽い痺れがあった。

 筋肉痛のそれに似ているが、そうではない。
 軽い栄養失調の前触れだ。
 確かにしばらくまともなものを摂食していない。

 豆腐は美味しいが栄養は偏っているし、サプリメントで補うにしても僕は頻繁に飲み忘れる。
 僕はそれを思い出す。
 土日の外出は好きではないが、ピークオフを狙い、蕎麦を食しに出掛けることを画策する。

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 食事をして気付いたのだが僕の身体は今、胴体と頭部、頸部での発汗がほとんどである。
 四肢からほとんど発汗せず、表皮、とくに膝などの関節部は手に触れてひんやり感じるほど冷えている。

 どのような経緯でかは不明だが、静脈から毛細血管に熱が乗って表皮で発散されないようだ。
 四肢で熱を発散できないため、身体を動かしたり環境温度が高いと胴体部が過熱してしまうのだろう。
 毛細管類が元通りの機能を回復するのにどの程度掛かり、またどの程度まで機能を回復するのかは不明だ。

 夜、TUが猫を迎えにやって来る。

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230827

 昨日に引き続き、(熱は引かないが)体調がいい。
 特に皮膚感覚が抜群だ。傷跡もほとんど見えなくなった。

 調子に乗って、少しだけ庭で作業するが、あっという間に体温が37℃を超えるので退避。

 夕刻近くになって、久しぶりに洗車。
 僕は基本的に洗車の必要を感じない性格なのだが、オープンカーに(真夏は絶対にしないが)できないという選択の余地がなくなることを嫌うので、ほどほどの頻度で洗車をする一方、雨が続くときは完全放置する傾向がある。

 腕や背中の筋肉も落ちているので、少しだけウェイトトレーニングをする。
 あっという間に体温が上がり、息が上がらない程度の運動だったが37.4℃にまで到達した。

 夜は久しぶりに外で飲酒を含めた食事。
 単純に温度と湿度が下がってきたこともあるが、夜の空気が肌に心地よいと感じられるようになった。
(前回は100mほど歩いて、刺激に耐えられず引き返したので)

 2時間ほどかけて食事をし、肉類もしっかり食べた。
 消化状況もまずまず。

 僕は食事をするときに口に含んでから箸を置き、目を閉じて舌触りや歯ごたえや香りや味を感覚してから咀嚼をし、それらの変化を楽しみ、呑み込んで胃袋に落ちるのを感覚し、わずかに口を開いて余韻を味わい、ようやく目を開ける。
 お酒でも似たようなことをするので、ほとんどの店で、最初から記憶されることになる。
 そもそも箸置きを使わない人もいるだろうし、酒席でもそんなに悠長に飲食する人は少ないから理解はできる。

 また酒杯を重ねても、椅子の背もたれに背を付けず、肘をついて前屈みになることもない。
 それらのいずれかをするときは、すでに頭も身体も泥酔している状態なので、それ以上飲ませないよう、黒猫氏あたりが帰宅を促すようにできている。
 味も分からないのに料理や酒を取り込み続けるなど、カフェインであれニコチンであれその他の薬物であれ、同じような中毒や依存症に違いない。

 観察の範囲で、多くの人は何らかの中毒にはなっているように思える。
 僕はコンピュータドライブ中毒である。食事や入浴、睡眠を除けば、コンピュータにずっと触れていたい。

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230828

 体調もいいし気温にも耐えられる。
 体温は相変わらず36.8℃だが、調子がいいのだから少し作業をしようと思い、ナビ用に加工するつもりで外してあるダッシュボードパネルの加工を開始する。
 ちなみにナビを取り付けてから半年ほど、パネルを外した剥き出しの状態になっている。
 個人的にはそういうジャンクっぽく見た目を仕上げないのも十分魅力的だと思う。

 樹脂はABSだろうと思うが、厚みがあって少々固い。
 パネルに罫書き線は書いてあるので、ドリルで10mm間隔に穴を空け、切断の足掛かりを作る。
 しかしカッターでは良く切れず、ニッパでは刃が思うように入らない。
 工具を見るため、ホームセンタに出掛ける。

 帰宅は14時。
 カットが終わったら、レザークラフトの道具と革が10年ほど寝ているので、それを使ってカバーを作る予定。
 まだ先は長い。

 今日は固形物を摂食しなくてもよいだろう。

>>>
【AC6】
 エースコンバットではなく、アーマードコアの方。

 現在3周目。全体に良くできていると感じる。
 建造物はトラス構造の微細に至るまで精緻にモデリングされ、レンダリング技術も(ハードウェアの裏打ちがあってこそだろうが)とても美しい。
 プレイ画面で被写界深度が強いあまり、ジオラマでも見ているような感覚になることはあるが、それも含めて楽しい。

 当初はボス戦で「なんちゃらソウル」みたいな作りに感じられる部分もあり正直辟易していたが、操作の技量が向上し、機体性能が上がるにつれ、爽快なゲームに変わってゆく。
(当初は絶望的にボスが強く感じられるので)
 そういったレベルデザインなのだろうけれど、シナリオが分岐するミッションで、受けたのにどう考えてもクリアできない、という場面が1周目にはたびたびあった。
 また別ルートの周回を終えてエンディングを見るたび、次の周回で新たな要素や分岐が発生するようだ。
(現在の3周目まではそう)

 1周目では、登場する女性(の人格を持つ)キャラクタが(僕が弱いために他のルートを選べず)「激おこ」になってしまうのだが、過去の恋人との修羅場を彷彿とさせられて非常にやるせない思いをした。
「違うん。そうじゃなくて。誤解だから。そういうつもりじゃなかったから」と言い訳しながら戦闘を繰り返してボロ負けする、というのを繰り返した。
 何度も何度も冷たくなじられ、硬直した態度で突き放され、最後に怒りに震え、あるいは寂しそうに独りごちる捨て台詞は、涙するほどつらかった。
 シナリオライタは女性によく怒られた経験があるんじゃないかと思うほど「女の怒り」を上手に描けていたと思う。メンタル削られるからやめてほしい。

 2周目では別の女性キャラ(こちらはこちらで命の恩人)と敵対するルートに進行したが、そちらは今までのACにありがちな「豪傑な女戦士」という感じで、まぁ、ちょっといろいろ切ないのだけれど、メンタルをいじめられないのでよかった。
 敵対するキャラクタは、どうしようもないクズキャラもいる一方、部下思いの熱血軍人であったり、つくづく「いい人だなぁ」と思うキャラが多かった。
 だいたい屠るんですけどね。

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【ビッグモータのニュース】
 ネットニュースのコメントを観察する範囲で損保ジャパンがひどく叩かれているが、東海日動と三井住友はうまく逃げたのだろうか。
 それとも金融庁も絡めた情報操作でもあったのだろうか。
 そもそもT社とM社は系列こそ違うものの、自動車保険はT社ベースの商品を売っていたと記憶している。
(M社は独自の自動車保険を持たない)

 それを考えると、損保ジャパンだけが矢面に立たされて火を着けられている様は、少々異様に思える。
 怒りを募らせるオーディエンス・コメンテータたちは、まぁ、叩く相手がいれば誰でもよいのかもしれない。

>>>
【ちょっと政治の話】
 かねてから弟子には「反政府組織を樹立しなよユー」と言っているのだが、婚活に忙しいとか、普通の人生を歩みたいとか、逃げてばかりである。
 僕は猫なので、そういうことは致しません。

 多数決というのは、人間の社会性が引力のように互いを引き寄せ合う機能を上手く利用したものだったのかもしれない。
 少なくとも集合の中で、少数に若干の不利を強いても多数に有効な方策を採るほうが合理的だというのはもっともな話だ。
 一方で昨今は、少数の強者のために、多数の弱者を虐げる方策が採られている気もする。

 いわゆる「政治家の、政治家による、政治家のための政治」である(誰も言ってないね。ごめんね)。
 これが多数決原理の選挙制度を利用した民主主義政治と銘打って、法治国家で施行されている。
 法を変えられるのは立法府に在籍されておられる政治家の皆様だから、これはもうどうしようもない。

 選挙に行く人が少なくなるのも無理はなかろう。
 結局のところ、彼らのそれは「連れション文化圏」そのままだ。
「○○ちゃんがこう言ってるから私もそうする」といった感じで、そのような同調によって議席をより多く集めている政党がもっともらしく政策を決めるのだろう。

 本来、代議士は、その地域に住む人々の意見を広く集約し、それを議場に反映させることが仕事ではないかとも思うのだが、そんな時代は終わったのかもしれない。
 たくさんの金正恩が「連れション文化圏」に飼い慣らされて、政治ごっこを続けているように思えることもある。
 もちろんそれは僕が社会性のほとんどを放棄して生きていられるからだろうとは思う。
 連れション文化が嫌いなあまり会社員すら勤まらず、とうとうただの猫になってしまった。

 それにしてもごっこというなら首相もごっこ遊びをしているだけかもしれない。

 安倍首相は好きではなかった(嫌いだった)が、本人のそれか、誰かに言われた目標であるかに向かって、政治をしていたとは思う。
 おそらく「連れション文化圏」のメカニズムを考えれば、後者である可能性が高いとは思うが。
 いずれにしても有能であるはずの人々が、一般の人々を蔑ろにするように観察されることもある現在の政府は、社会主義的であり封建的でもある。

 マイノリティに過剰な権利を与えようと倫理に振り回される現代国家こそが素晴らしいなんてこれっぽっちも思わないが、能力がなかったり、何らかの弱さや不具合を抱えていたりする人でも、不幸に溺れている人でも、もっとのほほんと過ごせるような社会であればいいのにと願う。

 だから「反政府組織を結成しなよ」と弟子にけしかけるのだが、昔から彼
は僕の言うことを聞かないのだ。






 

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[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :黒猫:
 
[InterMethod]
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// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :夢見の猫の額の奥に:暗闇エトランジェ:
 
 
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// TimeLine:
// NOTE:230825
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
これまでのあらすじ。
 
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
 
230822

 夜になって買い物に出掛け、湯葉と豆腐を購入。
 帰宅してから一念発起し、外食しようと家を出るが100mほど歩いた地点で肌に違和感を感じて踵を返す。
 温度もさることながら、湿度が高いと排熱は悪化するわけで、そのためかもしれない。
 もはや外出を恐れるレベル。
 純血種の引きこもりでも誕生したか。

 帰宅して湯葉と豆腐を食べる。

>>>
230823

 もしかして平熱が引き上げられたのだろうか、と思うくらい36.8℃。

 僕のことを都合の良い、浮気相手か何かと勘違いしているフシのあるBP(高校からの友人)からメール。
「都合の良い」扱い、というのはつまり、午前9時にメールをしてきて「今日一緒に昼食を食べに行こう」と誘ってくるからだ。
 肉体関係に持ち込まれないだけありがたいと考えた方がいいのだろうか。
 ちなみに粗大ごみの処理などに(軽トラ共々)駆り出される場合キャビンの取り外しがあるため、数日前には連絡をもらえるようになったので多少の進歩はある。
 が、食べることになると彼は猛獣のようにIQが下がる傾向にあるので仕方ない。
 肉体関係に持ち込まれないのは救いだろう。

 いずれにしても僕は午前10時に寝始めることもあるし、朝食(朝に食べているというだけで、寝る前の最後の食事のこともある)を6時に摂ることもある。
 たまたま起きていて、昨日は湯葉と豆腐しか食べていないため、同行することにする。

 話を聞くと、鰻を食べに行きたいのだという。
 僕の体調について話を聞かせると、きちんと心配してくれるので「ああ、悪い奴ではないのだな」と実感する。

 体温上昇と肌の異常と胃腸の不調に怯えながら、きちんと服を着て出掛ける。
 服を着るだけでかなり蓄熱するので不安だったが、問題なし。
 食事もそれだけで発熱するが、お冷やで手首を冷やして体温を下げる。
 自身の体調の変化に怯えながらも、ゆっくりと食事をする。
 BPは男らしくガツガツ食べるのだが、僕は健康なときでもかなりゆっくりだ。

 重量のある食事だったが満足である。
 決して安くはないのに、BPがご馳走してくれるというので有り難く甘えておく。
 こうしておけば体調が良くなって不意にお酒に誘いたくなったときに都合が良い。
 もっとも彼は大手運送業に勤務しているので、翌日が休日でないと誘えないが。

 昼食が重かったので、夜まで空腹を感じず。

>>>
230824

 EMS器具のおかげで、ずいぶん筋力が戻ってきた。
 身体を動かすと低迷している気力が戻ってくるので、筋力は大切なリソースである。
 ともすれば嫌悪感なく眠り続けたりしてしまうし、筋力が落ちると気力も落ちるのだ。
 最近はそのメカニズムが理解できているので「なんくるないさー」くらいの気持ちで俯瞰している。
 僕は自分のことを他人事として認識することについて、ちょっとしたベテランなのだ。

 オニオンスープなどに使う冷凍野菜を買いに業務スーパに出掛け、近所のスーパで豆腐を買う。

 そわそわしながら0時を待って「Armored Core VI」のプレイを始める。
 もう俺はしばらく家を出ないぞ。
 EMSで筋トレしながらゲームをし続けてやる。

 ゲームの休憩時間に豆腐を食べる。
 豆腐ってどうしてこんなに美味しいんだろう。

>>>
230825

「嫌悪感なく眠り続ける」とは書いたが、僕は(ことに夏の間)眠りに就いてから4時間前後で目覚めることが多い。
 そのためわざわざ12〜14時頃に入眠時間を設定することもある。

 ちなみに今日は10時に眠って15時に目覚めた。
 早朝のうちに燃えるゴミを出したのだが、食事も工作もしていないから本当にゴミが少なくて困る。
 それでも夏場は放置するわけにはいかないので、適当に大きなゴミを探してステーションに出す。

 目覚めて気付いたのだが、肌の傷跡が急に消えつつある。
 おそらく筋肉が増えたため、回復が早まったのだろうとは思う。
 なるほど食事をしたがらないのには理由がありそうだ。

 筋肉を付けるためのタンパク質が、豆腐と数十gの水溶性アミノ酸だけで大丈夫なのか心配になるが、空腹を感じないというのは十分だと判断して良さそうだ。

 少し気になったのだが抗生物質を飲まないと、喉や鼻が不調である。
 呼吸器系にとくに作用する種類なのでありがたいのだが、長期服用は耐性菌の発現に繋がったりするので避けたいのではある。
 よくよく考えると、ずっとクーラを使っている(身体を冷やす必要があるので当たり前だが)。
 シーズン前にフィルタだけでなく本体フレームを分解して掃除したのだが、素人ではロータリィファンの清掃に限界があり、それが結構汚れている。毛が生えているのではないかと疑うほどだ。

 清掃業者を呼ぼうか考えたものの、すでに暑くなり始めていたので断念した。
 それに本体ラベルを確認すると8年ほど稼働していた様子だ。
 寝室との仕切りがなくなったため、冷却を要する空間が広くなっていることもある。
 そもそも前の住人はエアコンを使ったことがなかったため、防滴運転を強制停止し、フィルタの掃除もろくにせず、僕が棲み始めた当初はひどい状態だったのだ。
 別に責めるつもりも非難するつもりもないが、道具のメインテナンスを考えない人というのが一定数いることを僕は数年前になってようやく理解できるようになってきた。

 で、その機械から出てくる風に当たり続けているというわけで、これは体調が悪くなるのも必然かと思い至る。
 奥様(仮想)にあらせられましては、こうした(僕の健康状態の維持管理の向上に繋がる)事案について、躊躇なく断行なされる傾向にあるため、夏が終わる頃、エアコンを買い替えようと考えている。
 奥様(仮想)は「すぐでもです猫様!」というのだが、暑い間は出掛けたくないので。

>>>

 夜になってTU(中学からの友人です)がやって来る。
 何やら家族でお出かけするのだが、折しも仔猫を追加で飼い始めたばかりなのだという。
 彼は奥様が自営だし障害を持つ子がいるので、なかなか旅行にも出られずにいるのだが、たまに出られるとなったときに心配事があるのも大変だということで預かることになった。
 猫の扱いなら任せておけ。

>>>

 皮膚の感覚はずいぶん落ち着いてきた。
 熱は下がらないし、運動すると熱は上がるが、もうしばらくの辛抱だろう。
 食欲がまったく発生しないことについては、これで問題ないと結論した。

 TUの家の猫が僕の足を噛む。
 アヲが出て行って久しいので、部屋に猫がいる状況に、少しそわそわする。






 

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~ Junction Box ~
 
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  :ひとになったゆめをみる:
 
 
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230822

 熱は相変わらず。

 一般に「食欲がない」というと、気力や元気がなくなっていたり、体調が優れない様子のことが多いと認識されている傾向がある。
 僕の場合はそもそも食欲がないことが普通の状態なので、ときどき空腹を感じたり、強く何かを食べることを欲するときにはじめて「食欲がある」と認識することになる。

 どうしてこんな話をしているかというと、昨日から36時間以上、飲み物だけで過ごしている。
「今日こそは固形物を食べよう!(何となれば外食に出掛けよう!)」と思っていたはずなのだが、そもそも食欲が存在しないデフォルトの状態に戻ってしまったため、何かを食べる気持ちにも、作る気にも、まして出掛ける気にもならない。

 椅子に座って Fallout4 をプレイし、気分転換に部屋や廊下の掃除をするだけの日常なので、消費カロリィは驚くほど少ないはずだが、基礎代謝分はどうなるのだろう。

 普段なら24時間以上の絶食状態は意識して避けているのだが、今回は体調が体調なだけに悩んでいる。
 食べるべきなのか、身体の状態に従って食べずに過ごすべきなのか。

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 僕は存外、この身体を信頼して、また気に入ってもいる。
 一般から比すると(外見に反して)非常に弱いのだが、それは一般に合わせようとするからだということも30代になって分かった。

 一般的に人は空腹を感じる。
 僕の場合、時間やタイミングや肉体の状態を観察して「空腹だろう」と判断する。

 一般的に人は1日3食の食事をすることが望ましいと思っている。
 思うのは自由だが、僕の場合1日3食は身体の負担が大きいので、原則1〜2食である。もちろん増えることもあるし減ることもある。

 一般的に人は病中病後に栄養を摂り、また摂らせたがる。
 僕の場合、病中は栄養を最小限に留め、病後は徐々に回復食を摂るほうが負担が少ない。

 胃腸ヨワヨワかよ!
 と思うのだが、じつにそうなのだった。

>>>

 そもそも人並みかそれ以上にたくさん食べられるようになったのは20代半ばくらいから30代半ばまでの10年間ほど。
 子供の頃は週に一度の排便で、特に便秘だという感覚もないほどの小食だった。

 身体(特に皮膚粘膜系)に不調を感じなかったのは27〜32歳までの5年ほど。
 あとの期間はだいたい調子が悪い。
 風邪を引きやすいし、身体に合わない食べ物を食べるとすぐにどこかから出てくる。ひどい話だ。

 身体のベストコンディションがおよそ終わったことは30代半ばで感じていたので、自身の体調の変化に驚きはしない。
 これを肉体的な劣化や衰退と捉えるか、順当な変化と思うかはそれぞれだ。
 僕にとっては自分の望んだ死が近づいているだけだから特に不満はない。
 気持ちはいつでも70歳。もう十分生きたよ俺。

>>>

 話題を戻して今日の食欲である。
 牛乳、カルピス、ビタミン剤、アミノ酸(プロテインを持っていないので)は摂取した。
 最低限のカロリィや栄養は賄えていると思うし、過剰な熱量を摂取しないのも理に適ってはいると思う。
 水分も(18時間経過段階で)すでに2L以上飲んでいる。
 なぜか水が美味しい。アスコルビン酸カリウムを混ぜているから余計か。

 寝起きに栄養失調時特有の筋肉の痺れはないから、体組織を分解し(転換し)ている気配もない。

 ただこの状態を信じて放っておいていいのかどうかが分からない。
 もちろん回復すると勝手に食欲が湧くはずなのだが、48時間を超えるとさすがに不安になる。

 ずっと昔、ちょっと神経的に病んでしまって半年くらい眠り続けていたことがあるのだが、そのときはだいたい3日ほどで多少は空腹が発生していたように思う(その頃のことはほとんど記憶にない)。

 あれか、太陽か。太陽を浴びてセロトニンを作ればいいのか。
 でも熱も引いていないから、体温が上がるのは怖いんだよなぁ……。

 無理して美味しいものを食べるのは好きではないし。
 少し悩んでしまう。
 この身体は、いったいどうしたいのだろう。

 まあ精神的に落ち込んだりはしていないから問題はないのだが。
 そろそろ人間と会話をしないと日本語を忘れるし、対人恐怖症になってしまうからなぁ。

 このひと月でまともに会話をしたのは姉の通院介助をした2日間だけなので。
 あのね。
 会話って、話題選定やリアクションも含めて、技術なんよ。
 怠ると、技術が明確に低下するから、それは避けたいわけで。

 まぁ明日考えよう。

230821

 熱中症から6週目に到達。
 未だに体温が下がらない。

 ヨーグルトと粥をやめて2週間になるか。
 消化はできていると思うのだが、吸収に問題があったようだ。
 排泄物や胃腸の具合から察するにそのように判断して摂食をやめた。
 今考えれば、摂取カロリィがそれでも高いため身体が拒否していたのだろうと想像する。
 あと調子が良くなってきたと思って粥に身欠きニシンを入れたのも良くなかったか。
 魚はどれも好きなのに30分ほどで蕁麻疹が発生して難儀し、翌日から粥をやめた次第。
 それから2,3日は飲み物だけで過ごしていたが、普段から食欲がほとんど発生しない身体なのでこのあたりは特に苦痛もない。

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 豆腐だけという食事もさすがに飽きた。
 今はオニオンスープなどを食していて、特に不調はない。
 量的には1日に鍋1杯分、およそ2L程度か。
 あとは水溶性複合必須アミノ酸とビタミン剤。
 ほとんど身体を動かしていないので、消費カロリィは十分にまかなえる。

 発汗機能は回復していてそれなりに汗は出るのだが、少し身体を動かしたり外部から熱を受けると(台所で調理をしていたりするだけで)体温が37℃を超えてしまう。
 いまいち何が悪いのか分からない。

 体感で調子が悪いわけではないのだが、経験上、これで無理をすると(先の身欠きニシン入り粥のように)唐突に体調を崩すのだ。
 ひと月以上寝たきりのような生活なので、インプラント手術の頃に買ったEMSトレーニング器具を使って筋肉機能を回復させている。

 数日前に、不意に煙草を吸いたくなったので久しぶりに2本ほど着ける。
 1日3本程度も吸うと満足してしまうのだが、完治するまでは多少控えておいてもいいだろう。このあたりは身体に任せておいてよさそう。
 家で飲酒をしなくなって久しい。おそらく数ヶ月になるだろう。

 といってこの体調では外食もできない。
 いや、具合はいいのだけれど、不意の体調不良に対応できないから怯えている。

 食材の消費も極端に減ったので買い物に行く回数も減り、ごみも出ないから収集日に出すかどうか迷うほどだ。

 食材も買わず、園芸資材も建築資材も工具も買わず、外食もせず、家でゲームをして暇を潰している。
 そう。庭にも出られないから暇である。
 結果として、まったくといっていいほどお金を使っていない。
 お金を貯めるには絶好のライフスタイルだが、退屈であるし面白くもない。
 ゲームが嫌いなわけではないが、それしかできないとなると話は違う。

>>>

 お金といえばガソリンが高騰しているようで、久しぶりに給油に出掛けて驚いた。
 仕方ないのでレギュラではなくハイオクを入れることにした。
 地方によって差があるかは分からないが、僕の棲んでいる地域ではだいたい価格差が11円(昔は10円だったが、おそらく消費税加算分だろう)である。

 これは価格が低いうちは大きな差になるのだが、価格が上がれば比率で安いことになる。
 一説にはレギュラよりハイオクの方が燃費が(価格分以上)良くなるケースもあると聞いていたので試してみようと思ったのだ。

 入れてみて驚いたのだが、ノッキングしそうな回転数がほとんどなくなった。
(MTなので回転数とギアは意識することになる)
 加減速で余計なアクセルワークが必要なくなるので、なるほど燃費が良くなるのかもしれない。

 だからといって近所の買い物への行き帰りに遠回りで隣市くらいまでドライブするかというとそれほどでもない。
 出掛けたところで煙草も吸えない(吸いたくない)のだから仕方ない。
 洗車したいのにそれもできない状況だから仕方ないか。

>>>

 健康なときは煙草を吸うため(だけ)にドライブで出掛けることがある。
 喫煙可能で、人気がなくて、景色のいい場所というのも辺境ならいくらでもある。
 そこで1本くらい煙草を吸って、それで帰ってくる。
 ドライブとしてはまあまあきちんとしたドライブだろう。

 少々残念なのは車内が狭くて運転しながら喫煙できないことか。

>>>

 考えると一昨年あたりの熱中症でも、結局秋になるまで満足に人間らしい生活ができなかった。
(健康なときは「人間らしい生活」とやらをしているのかと問われると困るが)

 ゲームをする時間を捻出するためにスープ(ポトフ、煮物)を作るというのは僕の中では常套手段だが、スープしか食べられないためにゲームをして過ごすよりないという状況は(肉体的に楽になるぶん)苦痛である。

 そろそろ固形物を食べたい。

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// TimeLine:230812
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
久しぶりの庭仕事。
 
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]

230808
 熱中症から3週目。
 全身の皮膚がバサバサのガサガサに荒れる。
 関連してか固形物が消化不能になる。

 水疱になったり書き壊れて擦過傷のようになった皮膚が再生プロセスに入ったのだろう。
 胸骨から上の部位は皮膚に異常はないが、それより下は背中側も荒れている。
 範囲が広いために負荷も高いのだろう。

 体温は37℃に近い状態を推移。

 皮膚の負担は粘膜の負担を増すようだ。どちらも外界との境界だから当たり前か。
 かれこれ3日ほど胃腸機能が低下している。
 ヨーグルトや豆腐は食べられるので問題はないが、粥は消化に難儀している様子。炭水化物ニガテなんだね。
 とはいえヨーグルトも食べ過ぎると腸が不調になるから、やっぱり豆腐か。
 大豆はヒスタミンを生成しやすいらしいのだが、この身体は大豆で育てられたようなものだから、どんなときでも豆腐だけはだいたい食べられる。

 ビタミン系のサプリメントなどはよく吸収している様子だ。
 こういうとき、普段からさほど食欲がないのは楽である。

>>>

 再生しているのだろうと思うのは、身体がひどく怠いためだ。
 食事が終わると、たいていひどく(精製炭水化物を摂ったように)眠くなる。
 結果、1日に16時間ほど眠っている。
 心地よい目覚めとは言いがたいが、栄養失調に特有の痛みや怠さはない。
 運動不足になっている ── よほど室温を下げておけば筋トレもできるのだろうけれど ── ので、一部の関節や筋肉が痛むがこれは仕方ないだろう。

 それでも姉の通院は予定どおりなので、姉の家に眠る。

>>>

230812

 久しぶりに庭仕事。
 フルフェイスの防塵マスクとアームカバー、長袖のジャンプスーツを着込んで、草刈り機を使っての草刈り。
 8時にスタートして10時半まで作業。

 およそ3週間、寝たきりだったため筋力は著しく低下しており、途中から草刈り機の重みで腕と腰が痛む。

 作業をしようと思ったのは、27℃程度の室温で、布団を掛けて眠れるようになったため。
 今までは布団を掛けることが(身体が過剰に蓄熱するため)できなかった。

 作業後、すぐにシャワーを浴びるが、シャワーヘッドを持ち上げるのが苦痛。

>>>

 発汗機能に異常はない。
 表皮の拒否反応もなくなった。
 表皮はまだ荒れ気味ではあるが、状態も、触覚もずいぶん回復してきた(蕁麻疹が出ている最中は、触覚が、コートされているような、妙な違和感がある)。
 体温はまだ37℃に近いので、粘膜系は回復していない模様(なので粘膜保護の重装備で作業した)。

 そういえば、3週目前後から白髪が急に増えた。
 これは単なる推測だが熱中症の際、毛細血管や外分泌系の微細孔が(一部にせよ不調を来すくらいには)閉塞もしくは梗塞を起こすのかもしれない。
 すると体温を下げて水分を摂取しても汗が出ず、尿の頻度が上がることも説明できる。
 また表皮付近に老廃物が大量に発生する(にもかかわらず内分泌系に循環させられない)ため、蕁麻疹になる理由も想像できる。
 表皮が熱を発散できず、かなりの長期に渡って比較的低温の環境におかなくてはならないのも納得がゆく。
(実際、眠るときも26℃前後の室温で布団を掛けることができなかったし、可能な限り薄着をしていないと身体が蓄熱してしまう状態だった)

 ところで体重が約70kgなので、5%は3.5Lである。
 熱中症と重なれば重症になることに少々驚く。
 庭仕事の後にTシャツを絞るだけで500ml程度は水分が確認できる。
 全身分と蒸散分で、庭仕事のたび2L近くの水分を失っているだろう。
 もっとも体温に近い気温になると、昨今の僕は(奥様の勧告に従い)作業を中断してしまうから問題なかったのだろう。

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 庭で育てていた枝豆が数株、収穫のタイミングを逃して朽ちてしまった。
 枝豆というのはどうやら、食用に適した成熟レベルまで育つと、枯れて種を残す行程に入るようだ。
 それでも収穫適期の株が3つほどあるので、キュウリ(5本くらい)、オクラ(1本)と併せて収穫。

 キュウリは雨のおかげでえぐ味が和らぎ、身も大きくなりやすくなったようだ。4本ほど過大になったものは堆肥場へ。
 オクラは採ってその場で食べてしまった。採りたてのオクラは美味しいのだ。
 キュウリを昼食に、夜は枝豆をオーブンで焼いて食べた。

 固形物の消化に難儀するはずなのだが、野菜に関しては生食だろうと胃も腸も苦にせず機能する。
(玄米も野菜だとオモウンダケドナー)

 茶碗を持ち上げるにも、腕が痛くて重い。







 

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[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
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[Engineer]
  :青猫:
 
[InterMethod]
  -Darkness-Diary-Interface-Mechanics-
 
[Module]
  -Condencer-Reactor-Resistor-
 
[Object]
  -Garden-
 
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  :暗闇エトランジェ:
 
 
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